ちっぽけな魔術師の斬魔飛哮   作:望夢

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また新たにクトゥルフな本を買いまして。多少強引なんですが引っ付けてみました。

元ネタはラヴクラフト&ダーレス著『破風の窓』からです。

ヒーロー物ハッピーエンドとしてはアルルートは好きなんですが、なんとなくそれよりも人として出来ることを精一杯やり通す姫さんルートが好きだったりする。カッス的な人間讃歌を喉が枯れ果てる程に歌いたくなるんですよ。




TAKE ME HIGHER

 

 

 認識が甘かった。

 

 魔術という特別な力。世界の真理を暴き、自らの宇宙法則に置き換え、世界を再構築する。

 

 そんな神様の様な力に触れて、自分も魔術師の一人として、邪悪に立ち向かい、魔を断つ剣として戦うこと。

 

 しかしそれは世界を知らない小娘が抱いた幻想だった。

 

 巨大な深きものどもに睨まれた時、私に出来たことは、恐怖に砕けてしまいそうな心を守る為に泣き叫ぶだけだった。

 

 お爺様がクロウリードさんを覇道財閥に迎えた本当の意味を理解できた。

 

 あのような理不尽な恐怖を前にしても、勇敢に立ち向かえる人間こそを必要としていた。

 

 そして何故、お爺様が私に魔術を学ばせなかったのかを知る。

 

 お爺様はわかっていたのだ。

 

 宇宙的な邪悪を前にして、私が恐怖に打ち負けてしまう事をわかっていたのだ。

 

 世界の真理を暴く魔術師であるからこそ、お爺様は私の真理を見抜けたのかもしれない。

 

 我が儘を言ってもただの足手まとい。

 

 何も出来ない自分が悔しい。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 悔しいと思うことすら悔しい。

 

 情けない。

 

 情けない。

 

 情けない。

 

 情けない。

 

 情けない。

 

 情けないと思うことすら情けない。

 

 だからすべてが終わったあとで。

 

 恐怖から解放された心は堰を切った様に感情を爆裂させた。

 

 悔しくて、情けなくて。

 

 何も出来なかった自分にはそう思う権利すらないのに。

 

 ならば何故、嗚咽は止まってくれないのだろう。

 

 止めなく溢れる涙は止まってくれないのだろう。

 

「あ、え…っと……瑠璃、さん?」

 

 私が泣いてばかりいるからクロウリードさんも困ってしまっている。

 

 どうして涙は止まらないのか。どうしてすがり着く手を離す事が出来ないのか。

 

 それをしてしまったらダメだ。

 

 泣き止まなければならない――ダメだ。今泣き止んでしまっては。

 

 すがり着く手を離さなければ――ダメだ。今手を離してしまっては。

 

 そうしてしまったら、耐えられない。

 

「あっ……」

 

 服を掴んでいた手から生地が引っ張られる。

 

 いや。ダメ。今はまだダメ。

 

 もう少し。もう少しだけ。そうしたらもう――。

 

「大丈夫だから――」

 

「え…。あ……」

 

 ふわりと、軟らかくて甘い香りが鼻孔を突く。

 

 そして背中と肩に回された腕。

 

 助ける為に、庇うために抱きすくめるのではない。

 

 まるで母親が子どもをあやす様に優しく包み込んでくれるように抱き締めてくれた。

 

「もう。何も怖くないから」

 

 子どもを安心させる手つきで叩かれる背中。

 

 まるで父親が子どもを安心させる様に、優しく不器用に、でも力強い手つきで、頭を撫でてくれた。

 

 それが、悔しいとか、情けないとか。

 

 そう誤魔化していたすべてを取り払ってしまった。

 

 ああ。いけない。これはダメだ。

 

 我が儘を言って着いてきて、足手纏いだったのに。何も出来なかった自分にはそんな権利はないのに――。

 

「ああぁぁぁ……! うわあああぁぁ! うわああああぁぁぁぁ!」

 

 悔しくて、憎くて、情けなくて。

 

 そうした涙は幾度となく流してきた。

 

 でも――。

 

「怖かった……、恐かったよぉ……っ」

 

 みっともなく、子供の様に、無防備に、泣き叫んだ。

 

 覇道財閥の一人娘としての鎧は取り払われ、剥き出しの、生身の心――ただの『瑠璃』がいるだけだった。

 

「大丈夫。もう大丈夫だから」

 

 安心できる様に、もう怖がらせるものはなくなったと言い聞かせる様に、クロウは彼女が泣き止むまで、ずっと頭を撫でながら抱き締めていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 泣き止みはした。それこそ泣き声を絶やさなかった喉は痛い。

 

 枯れることなく流し続けた涙でただでさえ色素の赤い母譲りの瞳はこれ以上ない程真っ赤だろう。

 

 鼻水こそなんとか堪えたものの、垂れ流した涙でクロウのシャツの胸元はびしょ濡れだ。

 

 子供の様に泣き散らして、落ち着いてくれば襲ってくる羞恥心でとても顔を上げられなかったし。離れてしまえば真っ赤に泣き腫らした顔を見られてしまうから身動きも出来ない。

 

 それがまだ恐怖が抜けきっていないのかと思ったクロウは絶えず背中をゆっくり、子どもを安心させる、寝かしつける様なリズム感で叩いてくる。

 

 それが心地好くて、離れることを躊躇ってしまう。

 

 こんな風に誰かにしがみついて泣いたのは、それこそ両親がブラックロッジによって殺された時だ。

 

 悔しくて、憎くて、理不尽に対して子どもだった瑠璃が出来る現実に対する精一杯の反抗だった。

 

 でも、恐怖から泣きじゃくったのはいつ以来だろうか?

 

 思い出せない。

 

 なにしろ怖いものなんてなかったからだ。

 

「(ああ…。わたくしはなんて)」

 

 幸せ者だったのだろう。

 

 無知であるからこそ、恐怖を感じるものなどなかった。

 

 常に護られていたからだ。

 

 今自らその中から抜け出したことで世界の恐怖を知ったのだ。

 

「もう、大丈夫ですわ」

 

「そう」

 

 そう一言添えて身体を離したクロウ。その顔には申し訳なさの色が見えた。

 

「あの、瑠璃さん…むぐ」

 

 なにかを言おうとするクロウの唇に、瑠璃は人差し指を当ててその言葉を封じる。

 

「今回のことで、クロウリードさんが責任を感じることなどありませんわ」

 

 世界の真理を知る魔術師である覇道鋼造がそうである様に、クロウもまた魔術師であり世界の真理を知る者だ。

 

 自分が調査に同行する事を申し出た時に真っ先に間髪入れずクロウは反対したのは、こうなる事がわかっていたからかもしれない。

 

 それでも我が儘を通して着いてきて、結果は情けない足手纏い。

 

 そう。すべて人の話を聞かずに我を通した自分の責任であって、クロウが責任を感じることなどなにもないのだ。

 

「今回の事はわたくしの認識の甘さが招いたことです。むしろ足手纏いになってしまったわたくしこそ、あなたに謝らなければなりません」

 

「そんなこと。それに、その、……家族、ですから。一応。瑠璃さんを守る事は当然でしょう?」

 

「まぁ――!」

 

 少々探るように、その自信はまだないのか。途切れ途切れに、確認する様にクロウは瑠璃にそう言った。

 

 瑠璃はその言葉を受け取って、花が咲いた様に笑った。

 

 それでも、家族でも迷惑をかけてしまったのならば謝るのは人としての常識だ。

 

 でも謝罪の言葉が欲しいわけではない。

 

 本人がそう思っているのならば、言葉に出すのではなく、心の内で謝りながら、瑠璃は口を開いた。

 

「では家族として、この事は内密にお願いしますね」

 

「それは、もちろん」

 

 というより態々女の子が恐怖から泣き喚いたなどと触れて回るような悪趣味は持ち合わせていない。

 

「お爺様にも内緒ですからね?」

 

「わかってます」

 

「ウィンフィールドにもですよ?」

 

「はいはい」

 

「『はい』は1度で充分です」

 

「心配性ですね」

 

「だって…」

 

 あんな風にわんわん泣いたことなどなかったのだ。それも成人はしていなくとも、もう幼子とは言えない歳になっている自分が、恐怖に打ち負けて子供の様に泣き散らしてしまったのだ。

 

 覇道瑠璃の人生で封印してしまいたい恥部ベストスリーには確実にランクインする。

 

「そんなにお兄さんが信じられませんか?」

 

 大袈裟に、心外だと言うようにジェスチャーをするクロウ。

 

「そうですわね。なら、家族となった証として、先ずはその言葉を信じることにしますわ。()()()

 

「お兄様……?」

 

 まるで鳩が豆鉄砲を受けたような呆けた顔をするクロウに、瑠璃は吹き出した。

 

「ええ。家族なんですもの。いつまでもクロウリードさん、なんて他人行事な呼び方は相応しくありませんわ」

 

「いや、まぁ。そう? なのかなぁ…?」

 

 しかしいきなりお兄様呼びは驚くし、くすぐったいものをクロウは感じてしまう。

 

 だが瑠璃のような美少女にそう呼ばれるのは悪くない。むしろ役得でもある。

 

「もう大丈夫そうなら、おれ達も下に降りようか」

 

「そ、そうですね」

 

 差し出された手を取って、瑠璃は立ち上がる。

 

 自分の手よりも小さな手。細い指。背丈も小柄な目の前のその小さな身体の何処に、いったいどうして、あの様な邪悪を前にして臆する事なく立ち向かえる強い心が宿っているのだろうか。

 

「どうして…」

 

「え…?」

 

 口を突いて出る疑問。

 

 しかしそれは自分で探さなければならないような気がした。

 

「いいえ。なんでもありませんわ」

 

 だから誤魔化すように笑顔を浮かべた。

 

 それが魔術師であるクロウに何れ程意味があるのかはわからないが。

 

「そう」

 

 優しく微笑んで、それ以上はなにも言うことはなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 本格的な遺跡調査はミスカトニック大学秘密図書館特殊資料室に任せ、一週間振りにアーカムシティの地を踏んだ。

 

 そして瑠璃は気付く事があった。

 

 普段何気無く住んでいるこの街は、大規模な魔術的な意味を持っているのだと見抜く事が出来た。

 

 上空から、黄金の蜂蜜酒によって高められた霊視能力がそれを読み取っていく。

 

 この大都市の中心部は、地理的な中心部ではなく、その都心部よりやや東の地にある。

 

 すなわち覇道邸がアーカムシティの真の中心部。

 

 放射状の市街鉄道、環状の大通り、その他、市営の諸設備のすべてが、覇道邸への接続を念頭に造られているのだ。

 

 覇道邸は単なる大富豪の私邸に留まらず、世界経済をも支配する覇道財閥の中枢としての機能を負っていることは周知の事実。

 

 そして対邪神勢力に対する最前線基地であり、()()()()――。

 

 人類の背水の陣を支える強固にして最後の砦なのだと。不思議と瑠璃は確信した。

 

 最前線基地が最後の砦等とは。自分の理解力が及んでいないのかと自らの知識を疑ったが、しかし幾度も街を見直しても、やはりそうとしか思えなかったのだ。

 

 アーカムシティのすべての道は、覇道邸に通じている。つまり、地球上の有形無形の活力のすべてが覇道邸に流れ込む仕組みになっている。

 

 その活力が、陽の気が、覇道邸を強力かつ大規模な結界を敷き、魔術的に、霊的に、強固な要塞と化していた。

 

 デモンベイン・クロックのコックピット。

 

 瑠璃はそこに居た。

 

 一時的な狂気に囚われてしまった瑠璃の体調を鑑みて、デモンベイン・クロックの回収に合わせ、アーカムシティへと帰還したのだった。

 

 バイアクヘーが文字通りの光速なら、デモンベイン・クロックの飛高速度はゆったりとしたものだった。

 

 それもそうだ。戦闘でもないのだから急ぐ必要もない。しかし人の目には触れないように高高度。地上からでは米粒よりも小さく見えるだろう黒点。

 

 そんな高さから見下ろすアーカムシティだからこそ、この街の機能を見ることが出来たのだろう。

 

「改めて見ると、スゴいんだな。この街……」

 

 戦っている時にはなかった。まるで戦闘機の操縦席の様なシートに座っているクロウが呟き漏らす。

 

「霊的に、魔術的に、人の陽の気を運ぶ気脈。この街がまるごとそうした霊脈的に整えられています。しかし陽の気を集めると言うことは」

 

「比例して陰の気も集めてしまう。か――」

 

「イエス、マスター」

 

 故にこそ、この街は 大黄金時代にして大混乱時代にして大暗黒時代。

 

 富豪も貧民も愚者も聖人も悪人も分け隔てなく受け入れ生かし殺す。

 

 それがこの街、アーカムシティなのだ。

 

 デモンベイン・クロックは地下格納庫に収容され、覇道財閥の誇る自動修復機械トイ・リアニメーターによるメンテナンスを受ける。工業兵器として存在する機械神であるデモンベイン・クロックが覇道財閥に置かれるのもこうした設備があるが故だ。

 

「戻ったか。クロウ」

 

 そしてデモンベイン・クロックを出迎えたのは覇道鋼造だった。

 

 汚れてこそいるが、特に損傷という損傷のないデモンベイン・クロックを見て満足気だが、覇道が瑠璃へと視線を向けた時にはその顔は険しいものになっていた。

 

「どうだった、瑠璃。宇宙的な脅威を前にした気分は」

 

 その言葉を受けて、瑠璃は一度瞳を閉じた。

 

「確かに。わたくし自身の認識の甘さと脆弱さを痛感いたしました。ですが――」

 

 閉じていた瞳を再度開いたその内には、確かな覚悟があった。

 

「敵を知り、己を知ればこそ、わたくしは邪悪に抗うことの凄絶さと尊さを垣間見る事が出来たように思えます」

 

 そうして瑠璃は背後を振り向いた。

 

 並び立つ鋼鉄の巨人たち。その金属の体躯を剣として邪悪を打ち滅ぼす刃金の巨人たち。

 

「怖くないと言えば嘘でしょう。再び邪悪を前にした時、恐怖に戦慄(おのの)く事なく立ち向かえるのかという保証はどこにもありません。しかし決めました。わたくしも抗うと。覇道財閥の人間というからではなく、一人の人間として、この脳裡に焼き付いてしまった邪悪から、この世界を守るために」

 

 その決意は尊く。しかし、それを見る覇道の表情は誇らしくも悲痛だった。

 

 それを瑠璃は読み取れなかった。まだそれを察せる程ではなかった。

 

 確かに1度は恐怖に打ち据えられてしまった。

 

 しかしそれでもなお抗おうと決意する彼女は邪悪に抗う一人の人間だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 知識は力だというが、()っているということは何も便利なことばかりではない。

 

 識っているのだから気になってしまう事も山ほどある。

 

 たとえばウィルバー・ウェイトリー。

 

 人間のラヴィニア・ウェイトリーと旧支配者ヨグ=ソトースとの混血児。

 

 ウィルバー・ウェイトリーはセンチネル丘の壊れた『門』から異界を覗き見ていたというが、果してそれだけだったのか。

 

 それを別の方面から示唆する物語が存在している。

 

 それを確かめる為にあの呪われた村に再び足を踏み入れる事となった。

 

 高度経済成長によって日増しに拡大化する街――アーカムシティを中心にその開発に取り残されて忘れ去られた村。

 

 暴力と背徳が跋扈し、邪悪な儀式や謎めいた集会、秘められた殺人などが平然と行われているという、堕落と退廃に冒された不浄の土地。

 

 ダンウィッチへと――。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 兄となったクロウがダンウィッチ村に行くと言い出したのはペルーから戻ってきて一週間経つか経たないかといった頃だった。

 

 一時的な狂気に囚われてしまった瑠璃は、それでも邪悪に対する反抗を誓うものの、精神力の回復のために数日は魔術の修業を休まなければならなかった時でもあった。

 

 ダンウィッチの怪についての巻末は瑠璃も報告書で読んでいる。

 

 その様な宇宙的邪悪が自分の住む直ぐ近くで存在していようとは思わなかった。

 

 その邪悪も既に打ち倒されている。クロウとデモンベイン・クロックによって。

 

 しかし。ならば何故、今さらダンウィッチに用があるのか。

 

「ちょっと確かめたい事があるんだ。2、3日で戻ってくるから」

 

「でしたらわたくしも参ります」

 

 クロウが無意味に動くというのは考えられない。

 

 それは尊敬する祖父と同じで何処かまるで未来が見えている様に感じることがあるからだ。

 

 鬼械神を操る程の高位の魔術師なのだ。未来視が出来ても不思。議ではないと瑠璃は思っている。

 

「ダメだ」

 

「何故ですか?」

 

 また間髪入れずに同行を拒否されてしまった。

 

 故にこそ確実になにかがあると言われている様なものだ。

 

「この間狂気に囚われたばかりだからですよ。今は心を休めないと」

 

「それはお兄様も同じことです」

 

 ここ最近立て続けに、一月も開けないで機械神での戦闘をしているクロウ。

 

 デモンベインは魔導書の招喚する鬼械神とは違って術者の負担を極限まで軽くする措置が至るところにされているが、それでも精神力を消費するという鬼械神の根底、魔術の負担を無くすことは出来ない。

 

 鬼械神を操るより軽くとも確実に消耗はしているのだ。

 

 しばらくは休むようにシュリュズベリィ博士からも言われているのは瑠璃の知るところにある。

 

 それを無視しているのだから内密に動く気なのだろう。

 

 お爺様もそうだ。自分の身を省みる暇があれば少しでも邪悪に抗う為に邁進する。

 

 同じ様に、兄となった少年は自分の身を案じる暇があれば少しでも邪悪に対する行動に走る。

 

 しかしそれは寿命を削り磨り潰すのと同義。年老いている祖父は残された時間を無駄にしないように奔走している節がある。

 

 自分も戦いたい。しかし未熟であるから何も出来ない。ならばせめて少しでも良い。休めるときに休んで欲しい。それが叶わないのならば、自分が代わりにできることをさせて欲しい。少しでも負担を無くす為に自分にも頼って欲しい。

 

 だから――。

 

「同行を許して貰えないのなら、シュリュズベリィ博士に言いつけますからね?」

 

「それは――ズルいですって」

 

 その答えを聞けば、今回の行動は師であるシュリュズベリィ博士には無断である事は疑うまでもなく確定だった。

 

 しかしそうまでしても確かめなければならないなにかがある。

 

「話してください。いったい何をしようとしているのか」

 

「うむむむむ……」

 

 悩んでいる。それを口にすればどうなるかを考えている。

 

「お兄様――?」

 

「うっ」

 

 少し睨めば言葉に詰まる。そして降参と言わんばかりに手を上げて口を開いた。

 

「……ウィルバー・ウェイトリーについては知ってますか?」

 

 まるで忌まわしい記憶を掘り起こす様に、険しい顔つきでその名を口にしたクロウ。

 

 ウィルバー・ウェイトリー――。

 

 ダンウィッチの怪の始まり。

 

 ミスカトニック大学秘密図書館に侵入した怪異にして邪悪な血を引いた怪物にして魔術師であった。

 

 幼少の頃から知能、体格の両面で異常な発達を見せ、生後7ヶ月で歩き、11ヶ月には喋り始め、そして15歳になった頃には身長が2mを超えていたという。

 

 髪と目は黒く、身体も浅黒く貧弱な顎が羊を思わせる風貌をしており、いつも全身を覆う装いで、決して他人に顔と手以外の部分を見せなかったという。

 

「アレは自宅の近くにあるセンチネル丘の『門』から異界を覗いて知識を得ていた。そして、祖父から受け継いだ不完全なネクロノミコンでは至れない門を開くためにミスカトニック大学のラテン語版を狙った。その目的はアレの父親の解放。そんな事をされたらクトゥルーの復活なんて細事だ」

 

「クトゥルーよりも強力なのですか……?」

 

 それほど深刻な事柄だったのか。言葉で聞くだけでも、つい数ヵ月前に世界は滅びを迎えようとしていた事に瑠璃は背筋に凍るものを感じた。

 

「旧支配者の中でも特大に最悪の存在。一にして全、全にして一。時空の隔たりなど関係がない。あらゆる大地、あらゆる宇宙、あらゆる物質を超越する、最極の空虚。つまり掛け値なしに最強格の神性。旧支配者ヨグ=ソトースの復活がウェイトリーの目的だった。弟の化け物が虚無に姿を消せるのも、そういった血筋を引いていたからだ」

 

 口を開く先から飛び出す驚異の知識量。あのシュリュズベリィ博士をして、旧支配者に関する知識量の多さは舌を巻く程だと言わしめるだけはある。

 

「でもそれだけじゃない気がする。それを確かめる為に、もう一度、あの呪われた村の陰鬱で、忌まわしい家に赴く必要がある」

 

 それは予想が外れていて欲しいと切実に願いながら、邪悪の進撃に対する憂慮を憂い、手遅れでないことを思う声だった。

 

「では道中は車で向かいましょう」

 

「え…?」

 

「今回は前回のような遺跡探索ではありませんし。ウィンフィールドに送ってもらいましょう」

 

「いや。でも…」

 

 確かに前回の遺跡探索では普通の人間であるウィンフィールドは連れていけなかったが、今回ダンウィッチ村に行くのならば送迎させても問題はないだろうし、魔術師でなくともウィンフィールドの腕はそこらの二流、三流魔術師や深きものども程度なら粉砕してしまうだろう。

 

 魔術師であるはずの自分が、彼を相手にしても勝てる光景(ヴィジョン)が思い浮かばない辺り、その実力は疑い様はない。

 

「バイアクヘーの招喚もまた魔術です。なるべく消耗は避けるべきです。良いですね?」

 

「い、イエス、マム」

 

 完全に主導権を握られていた。

 

 車でなければバイアクヘーを招喚して向かうことだろう。

 

 却下である。少しでも負担を減らす為にはダンウィッチまでは車で向かうべきだろう。

 

 だからウィンフィールドに話を通してダンウィッチ村まで車を出して貰うことになる。

 

 余り良い噂を聞かない場所に赴く事に、しかしウィンフィールドは深く理由を聞く事はなく車を出してくれた。

 

 車には運転手のウィンフィールド、そして後部座席にはクロウと瑠璃が座っている。

 

 その手には手記ネクロノミコン・ラテン語版が広げられていた。

 

「瑠璃さんの相性の良いのは火の系統と属性的には剣の方向だ。盾の属性も悪くはないけれど、丁度良い魔術がネクロノミコンには記述されている」

 

 そう言ってクロウはその魔術を瑠璃に教えた。

 

 小さな炎が指先に顕れ、果物ナイフ程度の小さな三日月を重ねた刀が錬金された。

 

「バルザイの偃月刀――。賢人バルザイが鍛え上げた青銅の刀にして火の属性を持ち、魔法使いの杖として魔術を補助する効果もある呪法兵装だ」

 

 我に傅き、我に仕え、我が秘術に力を与え、火の秘文字の刻まれし刃が霊験灼かに、我が命に背く諸々の霊を悉く恐怖せしめると共に、魔術の実践に必要な円、図、記号を描く助けとなれ。

 

 ヴーアの無敵の印に於いて、力を与えよ。力を与えよ。力を――与えよ。

 

 その魔刃鍛造の記述を一字一句違える事なく覚える。そうなればペルーでクロウの使っていた刀が招喚出来る様になる。

 

 瑠璃の魔術適性はバルザイの偃月刀との相性が良い。そして魔術を補助する魔術導具(アーティファクト)が扱えれば自分の身を守る程度ならどうにかなるだろう。

 

 旧き印(エルダー・サイン)も合わされば邪神奉仕眷属程度退ける事も容易いだろう。

 

 だから必死になって覚える。

 

 理解を深める。イメージは――大丈夫だ。この間の遺跡探索で見ている。

 

 火が手から湧き水のように溢れ出し、それが青く輝く三日月を重ねた刀になった。

 

 今も一連の術構成は見させて貰った。

 

「わっ! わっ! わっ!」

 

「お嬢様!?」

 

「気負いすぎだよ。まったく」

 

 無意識で魔術を使ってしまっていたらしい。手の内から溢れる炎に驚いてしまう。

 

 そんな炎を出す手に小さな手が添えられた。すると直ぐに炎は収まった。

 

 イメージして魔術を暴発させてしまう程度にまだ自分は未熟だ。

 

 車に揺られながら数時間。

 

 見えてくる景色は異常に感じる様になった。

 

 木々は異様に大きく、葉の色や形は見たこともないものばかり。遺伝子に致命的な欠陥があるのか、あるいは地球の植物ではないように感じる。

 

 そう。車はダンウィッチの村に到着した。

 

「さて。先ずは聞き込みだけれど。クロハ」

 

「イエス、マスター」

 

 パラパラと、紙がクロウの背中から脇出す。学生服の上着とワイシャツの間。腰のブックホルダーから溢れ出す紙吹雪は魔導書の頁。

 

 それが二重螺旋を描いてクロウの隣で人型の形を作って結晶化する。

 

 実体を得て顕れたのはクロウと同じく黒い髪の毛を靡かせる少女。

 

 魔導書の精霊等と言われても初めは信じられなかった。

 

 膨大な月日を経た。或いは強い魔力の傍に居ればこの様に魂と実体を獲得するのだという。

 

 黒い少女の場合は後者だという。

 

 ナコト写本の精霊――クロハ。

 

 彼女が実体を結んだ。

 

「広範囲暗示展開。――これでよろしいですか?」

 

「パーフェクトだ、クロハ」

 

「感謝の極み」

 

 自身の従者の様に、クロハはクロウの前で胸に手を当てて一礼する。

 

「ここの住人は警戒心が強い上に怪異に対して過剰な怯えと忌避感を示すから軽い暗示を掛けたんだ」

 

 それほどの忌まわしき邪悪がのさばっていたのだ。

 

 聞き込みに対する資料も瑠璃は目を通していた。

 

 呪われた一族。ウェイトリー家によって狂気に支配された村。邪悪な村の住人ですら怯えて口を紡ぐ程の忌まわしい邪悪な存在が在ったのだ。

 

 クロウはいくつかの家を訪ねて帰ってきた。

 

 その顔は、答えを得られた確信と、深刻な事態へとなっていないことを切実に願っていた。

 

「なにかわかったのですか?」

 

「ええ。求めていた答えを得ましたよ。最悪の場合を想定して、急いだ方が良いかもしれない」

 

 クロウの周囲に風が吹く。その風の気配は瑠璃も知っている。

 

「バイアクヘー!」

 

 再びクロウの後ろ腰から魔導書の頁が溢れて、それが集まり実体を結ぶ。

 

 魔翼機バイアクヘー。

 

 ハスターに仕える眷属であり、星間宇宙を渡る力を持ち、術者を運ぶ存在だ。

 

 バイアクヘーを招喚して、その背にクロハと共にクロウは飛び乗る。

 

「ここから先はおれたちだけで行く。瑠璃さんたちはここで待っててくれ。万が一の時は覇道鋼造に連絡を。『C』が顕れたと言えば伝わるはずだ」

 

「ちょっと、お兄様!」

 

 『C』が顕れた? いったい何を示唆した言葉なのだろうか。

 

「あとは頼みます、ウィンフィールド!」

 

「お嬢様!」

 

 お爺様もお兄様――クロウリードさんも、何時もそうだ。自分には多くを告げずに、自分だけで背負い込んでしまう。

 

 それだけ自分が未熟で力不足で足手纏いなのはわかっている。

 

 それでも自分は知らなければならない。

 

 護られているばかりではいけない。自分だって、護りたいのだから。

 

 黄金の蜂蜜酒から作られた丸薬を飲み込んで、今にも空に飛び立つバイアクヘーへと飛び乗る。

 

「瑠璃さん!?」

 

 それに驚くクロウ。しかし既にバイアクヘーは光となって加速した。

 

 一瞬で辿り着いたのは、ダンウィッチの中心部から7km程離れた辺鄙な場所だ。

 

 そこには呪われた家が存在する。

 

 魔術師によって運命を汚染された一家が住んだ家。ウェイトリー家が。

 

「なんで…!」

 

「わたくしだけ除け者にするつもりですか?」

 

「今回はそんなことを言ってる場合じゃ」

 

「ならキチンと、わたくしが納得できる理由を説明してくださいな。ただ危険だからというふざけた理由では許しませんわよ!」

 

 鋭い眼光を放つ。

 

 それに睨まれて。そして置いていこうとした理由の核心を突かれて、クロウは言葉を詰まらせた。

 

 瑠璃を置いていこうとしたのは彼女の指摘の通りに危険だからという理由だ。

 

 しかしその危険度が最悪の場合、旧支配者を相手にしなければならない可能性すらあるからに他ならなかった。

 

「クロウリードさん。『C』とはいったい何を示した言葉なのですか?」

 

 瑠璃は敢えてクロウを兄ではなく名前で呼び追及する。それははぐらかすことなど許さないという意味だった。

 

「『C』の意味は大いなる『C』。大いなるクトゥルーを表している。旧神によって地球の海に幽閉された旧支配者。世界各所に対クトゥルー組織が多いのも、クトゥルーの奉仕種族が多いだけじゃない。この星にクトゥルーが封印されているからだ」

 

「ですがクトゥルーは未だ封印されているはず。なのに何故こんなところに顕れるのですか?」

 

 そう。ダンウィッチは周りに海など存在してはいない土地だ。ペルーの様に遺跡であるわけでもない。

 

「それを確かめる為に、ここに来たんだ」

 

 着陸したバイアクヘーから降り、クロウは家の玄関には向かわずに、家の周りをくるりと一回りした。

 

 瑠璃はその様子を見守った。というより、クロウの様に容易く家に近寄ることが出来なかった。

 

 まるで空気が質量を持っているような。粘りつく様に重い雰囲気が、家の南側から発せられているのだ。

 

「なんなのですか。この家は――」

 

 そう溢した瑠璃の言葉を聞いて、クロウは口許に弧を描いた。それは彼の師と同じ、生徒が何かに気付いたり確信に迫った時に見せる笑みだった。

 

「この家こそ、呪われた家系ウェイトリー家の家さ。今はその従兄が住んでいるらしいけど」

 

 ウェイトリー家。魔術師であった父によって邪神との間に子を成したラヴィニア・ウェイトリーの双子の兄弟が引き起こす事件の始まる一族の名だ。

 

「此処には生前、ウィルバー・ウェイトリーが手に入れたと思われる『レンのガラス』がある」

 

「『レンのガラス』――?」

 

 疑問符を浮かべる瑠璃に対して、その疑問に答えたのはクロハだった。

 

「ヒアデスで作られたとされる異世界へ通じる門を開くことの出来る魔導具の一種です」

 

「『門』を開く。では――」

 

 そうして理解が及んだらしい。

 

「早く破壊しないと」

 

「まぁ。焦ったら事を仕損じるかもしれない。取り敢えず人の家に入るからには呼び鈴を押すところからだ」

 

「そんな悠長な事を言ってる場合じゃ」

 

「まだ出てくるとは限らないけれど、焦ったところで旧支配者はどうにかなる相手じゃない。冷静に分析して対処するしか方法はない。それほど桁違いの相手だと思った方が良い」

 

 そう言われてしまっては、瑠璃も努めて冷静になるしかない。

 

 なにしろ自身よりも魔術師としての位階は上であるクロウの言うことだ。

 

 まだ魔術師となったばかりの自分の知識ではどうあっても敵わないのだから。

 

 玄関の戸口に近づき、クロウは戸を叩いた。

 

 瑠璃もそんなクロウのあとに続いて家に近寄れたが、次第に異音が聞こえてきた。

 

 それは猫が爪で戸を引っ掻く様な音であれば、まるで巨大な蛇が戸に身を擦り付けながら這う様な音であり、馬の(ひずめ)の様な音、鳥の(くちばし)が窓をつつく様な音、そして巨大ななにかが足を踏み鳴らす様な音、吸盤が吸い付く様な音――。

 

 余りに不気味で超常的な現象に思わず瑠璃はクロウの背中に隠れる。

 

 流石にこうもホラー的な現象になると怖いものは怖い。まだ姿形のある深きものどもの方が恐いと感じるが怖さの種類が違う。

 

 玄関の戸が開かれると、中から猫が飛び出してきて、クロウの顔にしがみついた。

 

「痛ッ!? な、なに!?」

 

 その猫を引き剥がすと、猫は暴れてクロウの手から逃れて走って何処かへと行ってしまう。

 

「あぁ、すみません。大丈夫ですか?」

 

 現れたのは少し顎の細めの青年だった。

 

「ええ。平気ですよ。貴方はエイクリイさんでよろしいですか?」

 

「え、ええ、そうですが。君たちは?」

 

 エイクリイ青年は不思議そうにクロウとクロハ、そしてクロウの背に隠れる瑠璃を見る。

 

 もう陽が沈もうとしている時間に見掛けは少女が3人も訪ねてくればそれは不思議に思われても仕方がないだろう。

 

「失礼。申し遅れました。私はミスカトニック大学附属図書館の司書長補佐のクロウリードと申します」

 

「ミスカトニック大学の附属図書館…。あぁ、従兄の蔵書を受け取りに?」

 

「ええ。それと、私は考古学を専攻していまして。こちらに珍しいガラスがあると聞き及んだものでして」

 

 スラスラと話が進んでいく。あらかじめある程度の調査はしていたらしいものの、常日頃殆どの時間を共にしている瑠璃からして、いつそんな暇がクロウにあったのかと不思議に思う。ここ最近は秘密図書館にも立ち入っていないというのにだ。

 

 もしかしたら以前から調べていたのかもしれない。

 

 そこはさておき、エイクリイ青年に事情を話し、邸宅に上がることになった一行。

 

 既に怪音は止んでいたが、それでも感じる不気味さは依然として残っていた。

 

「従兄のウィルバーの蔵書は此方になります」

 

 案内された部屋は、秘密図書館に近い闇の気配が漂っていた。間違いなく魔導書の気配だ。

 

 ナコト写本、ルルイエ異本、怪蛆の秘密、屍食教典儀、ネクロノミコン――程度は低いが間違いなく魔導書だ。

 

「パリの国立図書館の印。ナコト写本か――」

 

 魔導書を流し読みして、その魔導書たちを黄色い布に包んでいく。そしてその上で五芒星の印を切る。封印処置が施された。

 

「エイクリイさんは、この本を読んだことは?」

 

 そう、クロウはエイクリイ青年に確認した。

 

「え、ええ。少しは…。ですけど私には内容は何がなんだか」

 

「それで構わないのですよ。理解できない事を無理に理解することもない」

 

 そう言い閉めて、クロウは次の質問を切り出した。

 

「他に、例えばウィルバー氏が処分して欲しいと言った物はありませんか?」

 

「ええ。ありますが」

 

「お見せしていただいても?」

 

「ええ。でも、内容も書いてあることも奇怪で気味が悪いと言いますか」

 

「ご心配なく。考古学の中にはそうした奇天烈怪奇(きてれつかいき)な事も珍しくありませんから」

 

「は、はぁ…」

 

 暗示のお陰か、もっともらしい事を言っているからか。特に怪しまれる様な事もなくクロウはウィルバー・ウェイトリーが遺したとされる資料を閲覧できた。

 

 それを瑠璃も隣で目を通していく。

 

 そこには確かに奇怪で、心をざわつかせる異界の光景や生物の絵が描かれていた。

 

 人間と同じくらいの大きさの翼を持つ蝙蝠の様な生物。

 

 一見八腕類に見えるが、蛸よりも遥かに知性を持っていることは明らかな、触腕を垂らす広大な無定形の体。

 

 半人半魚の鉤爪を備えた生物。

 

 直立して歩き、鱗のついた手と怖ろしい両棲類の顔を持つ海水の様に青い生物。

 

「これは――」

 

 他の絵には見覚えはないが、最後の絵の特徴に当て嵌まる存在を瑠璃は知っていた。

 

「深きものども、ですか」

 

「加えておそらく、シャンタク鳥、ショゴスか古のものか、そして――クトゥルーだ」

 

「クトゥルー……」

 

 その他にも日記の様なものまで見つけ、それらの絵を描いただろう理由も見えてきた。

 

 ウェイトリーはレンのガラスを通して異界を覗き見ていたのだ。

 

 その時だ。

 

 部屋が――家全体が揺れたのだ。

 

「なっ、なんなのですか、一体!?」

 

 立っていられない、程でもないが、激しい揺れは地震とは様子が違う。まるでなにかが家にぶつかっている様な、そんな感覚だった。

 

「まさか――!」

 

「あ、お兄様!?」

 

 部屋を出て、階段を駆け上がるクロウのあとを慌てて瑠璃も追う。

 

 クロウが入った場所は絨毯が敷かれた部屋だった。部屋に唯一ある窓からはもう夜だというのに昼間の太陽の様な眩い光が放たれていた。

 

 そして絨毯の下からも、星の形をした光が立ち昇っていた。

 

「儀式もしていないのに扉が繋がるのか!?」

 

 その様子にクロウは驚いていた。

 

 資料を読む限り、決まった手順をしなければ扉は開くことはないと瑠璃も思っていた。

 

「おそらく、向こう側から此方に干渉しているのでしょう。儀式魔方陣も完全に消し去れていないことで不完全ながら路が続いているのでしょう。テレビのチャンネルの様にあらかじめ繋がる場所をある程度固定する意味もあったのかもしれませんが、それを管理する者が居なくなれば危険です」

 

 現状を説明するクロハの言で、瑠璃は現状を正しく理解できた。

 

「それは――」

 

 一際、部屋で輝きを放つガラス窓が何処かと繋がった。

 

 そこから溢れ出して来るのは大木の様に太い物体だった。

 

 余りに太すぎてそれが触手なのだと気付くのに一瞬の時間を必要とした。

 

「第四の結印よ!」

 

 素早く防禦陣を展開するクロウだったが、薄紙を引き裂く様にあっさりと結界は突破された。

 

「ぐああああああっ」

 

「マスター!」

 

 太い触手によって凪ぎ払われたクロウは壁を突き破って家の外に放り出されてしまった。

 

 獲物を求めて蠢く触手は次に瑠璃に襲い掛かった。

 

 蜂蜜酒によって過敏になっている瑠璃の闘争本能がそれを察知し、床を転げる様にして回避した。

 

「う、う、うわああああっ」

 

 しかし別の悲鳴が上がった。

 

 瑠璃に続いて様子を見に来たエイクリイ青年が触手に捕まってしまったのだ。

 

「あ、待っ――」

 

 止める暇もなく、エイクリイ青年を絡め取った触手は窓の向こう側へ引き込んだ。

 

 誰かの断末魔と骨を粉砕する音、肉を咀嚼する音が耳に響く。

 

 そして新たな獲物を求めて再び触手が窓から這い出てくる。

 

 それは今度は確実に瑠璃を狙っている。

 

「くっ!?」

 

 それをまた床を転がって避ける。

 

 無様だ。はっきり言うまでもなく無様だ。

 

 自身が居ながら犠牲者を出してしまった。

 

 それが赦せない。

 

「我に傅き、我に仕え、我が秘術に力を与え、火の秘文字の刻まれし刃が霊験灼かに、我が命に背く諸々の霊を悉く恐怖せしめると共に、魔術の実践に必要な円、図、記号を描く助けとなれ!」

 

 脳裏を駆け巡る術式。魂を奮わせ、それを結晶化する。

 

「ヴーアの無敵の印に於いて、力を与えよ! 力を与えよ! 力を――与えよ!!」

 

 手の内から溢れ出す炎が厚みを得、質量を得て、実体を結び、冷たく青銅の青に光る三日月を重ねた刀を鍛造する。

 

「バルザイの偃月刀!」

 

 賢人バルザイが鍛え上げた青銅の刀を手にして、瑠璃は触手を迎え撃つ。

 

「くっ、きゃあっ」

 

 だが刃が立たずに弾かれてしまう。

 

「レンのガラスの窓を!!」

 

 触手を避けながらクロハが叫んだ。

 

「っ、やあああっ!!」

 

 偃月刀を振りかぶって全力投擲。

 

 回転する刃は真っ直ぐに触手の出入口であるレンのガラスの窓へと向かっていく。

 

 しかし触手は窓枠いっぱいに這い出している。

 

 瑠璃の投げた偃月刀はその触手に弾かれてレンのガラスまでは届かない。

 

「届かない!?」

 

「充分だ!」

 

 粉砕された壁の穴から黒い影が躍り出る。

 

 弾かれた偃月刀を手に、迸る魔力が偃月刀の表面に魔術文字を浮かび上がらせる。

 

「破ァァァァァっっ」

 

 火炎を纏った偃月刀を触手と壁の隙間にクロウは捩じ込んだ。

 

 ガラスが砕け散る音と共に、触手が断ち切られる。

 

 レンのガラスが砕けたことで空間的に断絶された為だ。

 

「やった…?」

 

「……そういうのは、フラグなんだけどね」

 

「え? 旗…ですか?」

 

「ヤックデカルチャー。伝わらないか…」

 

「???」

 

 21世紀の言葉が20世紀初頭の人間に伝わるべくもなく、瑠璃はクロウの言葉に疑問符を浮かべる。

 

「……わたくしが居ながら、犠牲者を出してしまいました」

 

「いや。おれも無様を晒してしまった。瑠璃さんだけの責任じゃない」

 

 エイクリイ青年を犠牲にしてしまった事に胸を痛める瑠璃。

 

 師としてその責任を負うべき自身が居ながら真っ先に打ち据えられてしまったのだ。そうでなければ犠牲者を出すこともなかったかもしれない。

 

「っ、マスター!!」

 

「ちぃっ!!」

 

 クロハが気付き、言葉にするよりも先に思考が届いて身体が動いた。

 

「え? きゃあっ!?」

 

 瑠璃の身体を抱え、さらにクロハの魔力を受けて術衣を纏う。

 

 術衣となった制服の上着が瑠璃ごと身体を包み込む。

 

「ぐはあっっ」

 

「きゃあああっ」

 

 強かに打ち据えられ、また壁を突き破って家の外に放り出され、地面を転がる。

 

「くそ……っ」

 

 全身の骨身に染みる様な痛みを感じながら起き上がろうとして、手が何が軟らかい物を掴んだ。

 

「んん――?」

 

 異変に気付いて起き上がろうとして着いた腕を、下を見る。

 

「あっ――」

 

 まるでお約束の様に地面に瑠璃を押し倒す様な体勢だった。

 

 そして手に感じる軟らかい物は、これまたお約束の如く、小さな手でも余りある大きさのたわわなものがそこにあった。

 

「うわっ、いや、えっと、ごっ」

 

「っっっ――――!!!!」

 

 ようやく理解が追い付いたらしい彼女も、瞬間一瞬で真っ赤になって、羞恥心から潤み出す瞳。

 

 悪気はなくとも一切言い逃れは出来なかった。

 

「マスター!!」

 

「こなクソっ」

 

「っ、きゃあっ」

 

 再び瑠璃を抱きすくめながら地面を転がった。

 

 今度はヘマをしないように考えて腕を着いて、未だ動く敵を見る。

 

 切り離された筈の触手が蠢いて、しかも触手から植物が芽を出す様に細い触手を生やしていく。

 

 自分達を襲っていたのはその枝分かれをした触手だった。

 

「どうなっているのです? 倒したのではないのですか!?」

 

「あれはクトゥルーの一部。切り離された事で独自の意思で動き始めた。あれはもうクトゥルーの落とし仔です」

 

「落とし仔か。また厄介な」

 

 落とし仔とはいえ、邪神の一部。

 

 並大抵の事では倒せないだろう。

 

 しかも落とし仔はその身体を巨大化させていく。破壊音を立てて、呪われた家を粉砕し、巨大化を続けていく。

 

 並大抵の手段で倒せないのならば、並大抵ではない手段で倒せば良いだけのことだ。

 

「クロハ!」

 

「イエス、マスター」

 

 剣指を作り、虚空に描くは招喚陣。

 

 真紅に輝く魔法陣を描き、クロウはその手に刃金の剣を執る為の聖句を口にする。しようとして、止められた。

 

「ダメです、お兄様! また鬼械神で戦ったら――」

 

 鬼械神で戦うことは多大な精神力を必要とする。

 

 師であるシュリュズベリィ博士から休息を取る様に言われているのならば、それはそれほどクロウは消耗しているということだ。

 

 ともすれば、ここで無理をさせてしまうわけにはいかない。

 

 万が一はクロウは覇道鋼造に頼ろうとしていた。

 

 なら今回くらい、祖父に頼っても罰はないはずだ。

 

「それは万が一の時の事だし。それに、目の前に倒すべき邪悪が居るのに放って置く事なんて出来ない」

 

「どうして――」

 

「それは…」

 

 どうしてなんて考えたこともない。それが当たり前になりつつある生活を送っているからかもしれない。

 

 でも、きっと、それだけじゃない。

 

「契約だから……かな」

 

「契約?」

 

 それは魔を断つ剣を執る人間として、血濡れの刃との契約だからだろう。

 

「討つべき邪悪がそこに在る限り、退きはしない。負けはしない。必ず勝つ。勝ち続けなければ救えない。それが聖約だから」

 

 だから戦う。戦い続ける。この世界を護る為、邪悪を尽く討ち滅ぼす為。

 

 斬魔の意思を込め、獅子の咆哮の如く、高らかに聖句を読み上げる! 

 

戦友(とも)よ。我が戦友よ。我は汝が名を高らかに謳う。世界最強の聖句と共に!」

 

 光がクロウを包み込み、天上に向かってその光は打ち上げられた。

 

 打ち上げられた光は、虚空の空に巨大な魔方陣を描きあげた。

 

 何も無いはずの虚空に、たった今、途方も無い質量の気配が生じた。

 

 そこに有り得べかざる物質が、存在する無限小の可能性。限りなく『0』に近い確率が集約され、完全なる『1』を実現する。

 

 巨大な何かが、強大な力を秘めた何かが、今、顕現しようとしていた。

 

 空間が圧倒的質量に弾き飛ばされ、粉砕した。

 

 急激な気圧の変動が、疾風となり稲妻を伴って吹き荒れる。

 

 虚空に飛翔する、圧倒的なその威容。

 

 刃金を纏い、人間の為にその力を振るう巨人。

 

 罪と血で穢れようと、正しき怒りを失わぬ無垢なる剣よ。

 

「虚空の空より来たりて、切なる願いを胸に、我は明日への路を切り開く――!!」

 

 聲高らかに紡がれし聖句は世界を超えてその剣を顕界させる。

 

「汝、血濡れし刃――()()()()()()!!」

 

 赤い招喚陣が虚空に現れ、その中より出でし機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)

 

 紅く、血の色に染まる鋼鉄の巨人。機械仕掛けのその(むくろ)を、闇が覆い尽くしている。

 

 魔導書の肩を抱く魔術師。

 

 魔術師の身体を抱く魔導書。

 

 主従の身体が紅い光に包み込まれてコックピットへと昇って行く。

 

 その胸が開き、操縦席が現れ、術者と本は互いの席に収まった。

 

 紅の機神の眼に光が灯る。血に濡れ、罪に濡れようとも、その心は邪悪を滅する魔を断つ剣。

 

 魔の属性に堕ちようとも、その本質は変わらない。その魂に刻まれた魔を断つ荒唐無稽の暗黒神話を打ち倒す御伽噺は確かに存在しているのだから。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 デモンベイン・クロックのコックピットの中で、クロウはクトゥルーの落とし仔と対峙する。

 

 感じる気配はダゴンとは比較にならない。

 

 神気の質はより純度が高く、水妖の気も桁違いだ。

 

 落とし仔とはいえ旧支配者の身体の一部だったものだ。

 

 身を襲うプレッシャーも相当なものだ。膝を着きそうになるのを堪えているので精一杯だ。

 

「くぅ……、あ、ぁぁ……」

 

 それはコックピットに連れてきた瑠璃も同じだった。

 

「切り離された落とし仔とはいえ。元々はクトゥルーそのもの。不完全だっなダゴン等とは比べ物になりません。神気に呑み込まれない様に注意してください」

 

「あぁ…っ」

 

 下唇を咬み切った痛みで己の意識を保つ。

 

 既に巨大化と変異を終えたクトゥルーの落とし仔がモニターに映る。

 

 小さな触手が今では50mを超える程の肉塊になっている。

 

 肉塊から伸びる夥しい数の細い触手がまるで体毛の様に生えてその身体を覆っている。触手の先端はまるで蛇の口のように割れて牙を生やしている。

 

 そして肉塊の中腹に一つ目が生まれる。

 

 クトゥルーの落とし仔――。

 

 クトゥルーに仕える奉仕眷族の中でも強大な力を誇る存在である。

 

 その名の通り、クトゥルーから産み落とされた仔であり、いわば小さなクトゥルーそのものといえる存在である。

 

 その力は、他のダゴンやヒュドラといった奉仕眷属などとは比較にならない存在なのだ。

 

 その妖しく黄色に光る一つ目が、デモンベイン・クロックを見据える。

 

 一瞬後退りしそうになるのを気合いで耐え抜く。

 

 凄まじい危機感が心臓を締め上げる。

 

「か、はぐっ、ぁぁ……」

 

「ぐぅぅぅっ」

 

「っ、なんと禍々しい邪気――」

 

 ただ対峙しているだけで魂が磨り潰されてしまいそうな程だった。

 

「っ、第四の結印は『旧き印(エルダー・サイン)』。脅威と敵意を祓い、我を守護するもの也!」

 

 神気に冒されるコックピットの中、五芒星が神気を幾分か和らげた。

 

「瑠璃さん!?」

 

「わたくしにも、意地がありますっ」

 

 旧き印によって幾分か持ち直した瑠璃は、震える足で立ち上がりながらも真っ直ぐ無の前の邪悪を見据える。

 

 それを見れば自分も這いつくばっているわけには行かない。

 

 今度はしっかりと目の前の邪悪と対峙する。

 

「クロハ!」

 

「イエス、マスター」

 

 周囲の景色にノイズが走る。

 

 脚部から紫電が迸る。それの意味する所はもつ語るべくものはない。

 

 時空間歪曲エネルギーを爆裂させ、デモンベイン・クロックは飛び上がる。

 

 その眼下を触手が通り過ぎる。

 

 そのまま空中で宙返りしつつ、上昇のベクトルを降下へ変える。

 

 そのまま飛び蹴りの体勢になって重力を味方につける。

 

「ティマイオス、クリティアス、解放!」

 

「アトランティス・ストライク!」

 

 時空間歪曲エネルギーを纏った必殺の蹴りを落とし仔に叩き込む。

 

 しかし、クトゥルーの落とし仔は時空間歪曲エネルギーが炸裂する瞬間、緑色の霧となって消えてしまった。

 

「消えた!?」

 

「また厄介なっ」

 

 クトゥルーはその身を霧に変えることも出来る。その能力が仔である落とし仔に備わっていても不思議ではない。

 

 イブン=ガズイの粉薬があれば、その実体を固定化出来るだろうが。あいにくと手持ちにはなかった。

 

「負担が掛かりますが、それでも良ければ」

 

「任せる」

 

「で、でもっ」

 

 負担など眼中にないと言わんばかりに即断するクロウに、瑠璃は口を挟む。しかしクロウを止める言葉を持ち合わせていない。

 

「大丈夫だ。これくらいでヘコたれてなんかいられない」

 

 そう、この程度で膝を着いている様では真の邪神には到底太刀打ち出来ない。旧支配者は更に強大な存在なのだから。

 

「っ、後方6時!!」

 

「なにっ!?」

 

 クロハの警告に慌てて振り向けば、実体化した落とし仔がその触手をデモンベイン・クロックに向けて伸ばしていた。

 

「があああああっっ」

 

「きゃあああっ」

 

「っぐ」

 

 夥しい数の触手を束ね、太くなった触手はさながら竜の顎の様に大きな口を開けてデモンベイン・クロックの胴体に噛みついた。

 

 ミシミシと異音が装甲越しに響いてくる。

 

「術式構成完了、マスター!」

 

 頭を駆け巡る術式。それはこの状況を打破するには最も効率的で効果も大きい物だと理解が及ぶ前には既に術式に魔力を通して発動させる。自らの魔導書の選択に疑う余地はない。

 

「――力を、与えよ!」

 

 猛る光が邪悪を退ける。

 

 汚穢なる濃霧を、落とし仔の竜の顎を蒸発させながら生じた光は、急速に膨張。

 

 光度を増し、地上に小型の太陽を爆誕させた。

 

 それは、大気を震わせ白く染めていく白い闇。

 

 退いた『霧』は光に触れるのを恐れる様に、その周囲を漂う。

 

 ネクロノミコンに記された焼滅呪法によって空間ごと、『霧』となった落とし仔を灼き祓う。

 

 そして何処からともなく現れた、高層ビルに匹敵する程の巨大な偃月刀。

 

 その数は六。

 

 地面に突き刺さった偃月刀は互いに内包する呪力で星を描く。

 

 それは旧き印。五芒星の輝き。

 

 デモンベイン・クロックの周囲一帯の『霧』ごとすべてを包み込む。

 

 結界内の『霧』は激しく荒れ狂う。

 

 逃げられないとわかって、『霧』は再び実体を結んだ。

 

 しかし焼滅呪法を受けてその身体は幾分か熔けだしていた。

 

 光が収まり、デモンベイン・クロックは落とし仔と再び対峙する。

 

 その手にバルザイの偃月刀を構える。

 

 襲い来る触手を断ち切る。

 

 しかし夥しい数の触手をいくら斬った所で埒が明かない。

 

 一振りで対処が追いつかなければ二振りに増やした。

 

 二刀流で切り払い。剣閃は煌めきとなって五芒星を描き、破邪の印が触手の猛攻を受け止める。

 

「魔刃鍛造――連続詠唱!」

 

「力を与えよ、力を与えよ、力を与えよ、力を与えよ、力を――与えよ!」

 

 デモンベイン・クロックの周りに浮かび上がる炎の中から偃月刀が顕れる。

 

「超攻勢防御結界!!」

 

 デモンベイン・クロックを取り囲み、十の魔刃が顕現する。

 

「霊験灼かなる刃よ! 我に仇なす諸悪を尽く殺戮せしめん……()け!」

 

 デモンベイン・クロックを取り囲む十の魔刃は、自らの意思を持つかの如く跳ね上がり、襲い来る触手を斬り棄てていく。

 

 そして四方八方から落とし仔の身体を貫き、その身を固定する。

 

「久遠の虚無へと還れ!」

 

 その固定された落とし仔に向かって、渾身の呪力を込めた二刀の魔刃を振り抜く。

 

 十字に断ち斬られた落とし仔は、しかし二重の魔刃の結界によって逃れることは叶わず、呪力を込められた斬撃を浴びた身はその呪力によって焼滅していった。

 

 必滅奥義:魔刃結界――。

 

 対象を固定化する為とはいえ、レムリア・インパクトの様に機械的な必滅兵装ではなく、魔術的な奥義の負担は無視できる程ではなかった。

 

 堪らずクロウは膝を着いてしまう。

 

「お兄様!」

 

 その身体を瑠璃が支えた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ。これが、鬼械神の、奥義…、か」

 

 息も絶え絶え。魔力も大半を使い果たしてしまうほどの大技。

 

 今までに無い負担は抗い難い疲労感をクロウに感じさせた。

 

「お兄様?」

 

 気付けばクロウは寝息を立てていた。

 

「大分魔力を消耗しましたから、疲れて眠ってしまった様です」

 

「そうですか」

 

 少しは役に立てたのだろうか。

 

 それでも、戦っているクロウを見るのは2度目であり、しかし戦った後に場所も気にしないで眠ってしまうのは初めてで、それほど無理をしたのだろうと考えてしまう。

 

「取り敢えずミスカトニック大学に連絡をしてください。魔導書の回収と、破壊したとはいえ、レンのガラスの処分もしなければなりません」

 

「そうですわね。わかりました」

 

 戦えない自分に出来ることは、戦い以外の事の雑事の処理だ。今はまだ。

 

 クロハの提言に沿って瑠璃は的確に事後処理を消化した。

 

 気付けば朝を迎えていた。

 

 朝日に照らされる真紅の機械神。

 

 その胸の上で横たわる兄を想う。

 

 邪悪は常に世界を冒そうとしている。

 

 そんな邪悪を前にして戦える人間は数多くない。何故ならそれは彼等は宇宙的な邪悪であり、人が抗える存在ではないからだ。

 

 しかしそんな邪悪を確かに憎む正義も存在する。

 

 自分がそうである様に、祖父がそうである様に、兄がそうである様に。

 

 今はまだ、戦うには、抗うには未熟者であるのならばせめて彼等を支える者となろう。

 

 自らの想いを彼等に託そう。

 

 彼等が静かに眠れる様に戦うのが今の自分の戦いなのだと瑠璃は自らに言い聞かせた。

 

 

 

 

to be continued…


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