ハルクと別れたメディは当初の目的地であった酒場を訪れた。そこはまだ早い時間であるにもかかわらず大勢の人で賑わっていた。その中には、メディと同じく勇者アルスの出陣式の後に立ち寄っている者も多いようである。
まだ式の熱が冷めきっていないのか、そこここから勇者という単語が聞こえてくる。
メディはカウンター席に空席を見つけるとそこに腰を下ろす。
すると、客の一人に酌をしていたカウンター内の女性が彼に気づいて声を掛けて来た。
「あら、随分と可愛らしいお客さんね。今日はどうしたのかしら? お酒はまだ早いんじゃないかしら?」
「ボク、一応成人しているので大丈夫ですよ……実はあるものを探してまして。何か情報が得られないかと思ってここへ来ました」
「へえ、あなたついてるわよ。この私、ルイーダの酒場を選ぶなんて。冒険者の集会所ともいわれるここを、どうやって知ったのかしら?」
「船乗りの2人にここを教えてもらったんです」
そう言って彼は書いてもらった紹介状を見せた。
それを見たルイーダの目が驚きに染まる。
しかし、メディの容姿を見て納得がいったようだった。
「あ! なんだ、貴方、フルードたちの紹介できたのね! それなら最初に言ってよね、サービスしておくわよ!」
「ありがとうございます」
どうやら、あの二人の気遣いは役に立ったようだった。
手紙を読んだルイーダの口調は砕けたものへと変化した。
それに加え、先ほどまでよりも興味を持った視線をメディへと注いでいる。
「それで、あなたは何を探しているの?」
「ボクが探しているものは……『賢者の石』です」
「賢者の石? ごめんね、私は聞いたことがないわ」
ルイーダの返答を聞いて、メディは肩を落とす。
それを見たルイーダはにっこりと笑みを浮かべる。
「私は知らないけど、あの子なら知ってるかもね」
「……あの子?」
疑問符を浮かべるメディに、ルイーダは四人掛けのテーブル席を一人で占領している少女を指さす。
「ほら! あそこで一人飲んでいる子がいるでしょ? リアって言う子なんだけど凄く物知りでね――」
「ありがとうございます!」
話を聞き終わらないうちにメディは彼女の元へと近寄って行った。
自信満々に話し出すルイーダは彼がもう離れたことに遅れて気づいた。
「ただ、少し捻くれた子だから……ってもういないし!?」
――メディの行動力にルイーダは驚きを隠せなかった。
ルイーダの指し示したリアという女性。
透き通るような綺麗な赤い髪をした彼女は、肘をつきながら一人で佇んでいる。
その傍らにはジョッキ一杯に注がれたエールが置かれている。
テーブルの上には既に空の酒瓶が散乱している。
「すみません」
メディが声をかけると、彼女は徐に振り向く。
美しい光を放つ宝玉のような双眸。右目は海のように青く、左目は炎のように赤い。その不思議な力をもった両の瞳にメディは暫し心を奪われる。
彼の様子を意にも介さない彼女は、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「は? アタシに何か用かしら、オカマ野郎さん?」
「オ、オカマ野郎?」
「あら、違ったのかしら? 男なのに女の子みたいな容姿だからてっきりそっち系なのかと」
「ち、違うよ! ……まあ、この容姿を利用することはあるけど」
「なんだ、詐欺師のカス野郎だったのね。間違えてごめんなさい?」
いきなり浴びせられる罵倒の嵐に、メディは戸惑いを隠せない。
(な、なんなんだ、この失礼な人は。こんな人が本当に賢者の石のある場所を知ってるのか?)
しかし、可能性が少しでもあるのならば、それをみすみす逃すわけにはいかない。
苛立ちを抑え、メディは笑顔を強引に作り出す。
その様子を見て、彼女はつまらなそうにあくびをする。
「ふわあ……それで? さっさと要件を話しなさい。何も口説きに来たわけじゃないんでしょ?」
この人、わかっててわざと煽ってきたのか。
というか、話を聞こうとしなかったのはどっちだ。
そう思いながらも、メディは率直に目的を話した。
「……すみません。ルイーダさんから、あなたなら賢者の石について知っているのではないかと言われまして」
「賢者の石、か。まさか
「本当ですか!?」
その言葉を聞いて、メディの顔が目に見えて明るくなる。
何もてがかりがなかったところに一気に取っ掛かりが見つかったのだ、無理もない。
しかし、女性はそれを嘲るように笑った。
「あら、何を喜んでいるのかしら? 誰も教えるだなんて言ってないわよ?」
「……何をすればいいんですか?」
「話が早くて助かるわね。物分かりがいいのは嫌いじゃないわ」
ふと彼女はメディの背負った3本の杖に視線を移した。
「アンタのそれ、1つ1つに魔法の力が込められているわね……見たところベギラマ、ラリホー、マホトーンってところかしら」
「見ただけで、そこまでわかるのですか」
彼女の洞察に純粋に驚くメディ。
見ただけで魔道具の力を見抜くことができる者に彼は今までに出会ったことがなかった。
そもそも、魔道具の有用性の一つが、見ただけではその効果がわからないという点にあるのだ。
優秀な魔法使いでもなければ、魔道具であることにすら気づかないだろう。
それを、彼女は込められている魔法の種類まで一瞬にして見破った。
どういうからくりだ。
メディは背にうすら寒いものを感じた。
そんな彼の様子に気を払うこともなく、彼女は続ける。
「ええ、朝飯前よ……でも、魔法使いでもないのにそんなに多く集めるだなんてね。見たところ、使うためだけに集めてるわけってじゃないんでしょ?」
「そうですね、ボクはこう見えて収集家なんです」
「なるほどね、賢者の石もコレクションの一つにしたいってわけか」
彼女の言葉に、メディは頷く。
それを見て、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。
「それなら上出来ね。収集家ってくらいだからもの探しは得意なんでしょう?」
「そうですね、人並み以上には得意だという自信はあります」
彼には、これまでにいくつもの魔道具を集めてきた経験がある。
背中の杖も彼が集めた魔道具である。
そんな彼は、自分の能力にもある程度の自信があるのだった。
「よし、なら決まりね。アタシの探し物を手伝ってくれたら、貴方の探し物にも協力してあげるわ」
「リアさんの探し物とは?」
「『悟りの書』、名前くらいは耳にしたことがあるんじゃないかしら?」
『悟りの書』
彼はその言葉に聞き覚えがあった。
というよりも、その存在は有名すぎる。
むしろ知らない人のほうが少ないのではないか言うほどだ。
古の時代、人類の知とも呼ばれる伝説の大賢者が存在していたという。
その者が生前に書き記したとされる叡智の結晶――それこそが『悟りの書』とされている。
しかし――
「――実在、しているんですか?」
「馬鹿ね、そうでなければ。今こうしてアンタと話していないわ。それくらい考えなさい」
「それは……そうですね。でも、申し訳ありませんが、ボクは何も知りませんよ?」
しかし、彼女は笑みを崩さない。
その表情は、まるで『そんなことは知ってるわ』とでも言っているようだった。
「心配いらないわ。大体の見当はついてるから」
「そうですか」
「それで? アンタはこの話に乗るの? 乗らないの?」
メディの意思を確認するリア。
彼の答えは既に決まり切っていた。
「――当然、乗ります」
「よし、いい返事ね。それじゃ、明日早速出発ね! そういえばアンタ、泊まるところは決まってるのかしら?」
「いえ、まだですが」
「正気? 今日なんかどこも満席よ? 野宿でもするつもりなの?」
彼女の意見はもっともだ。
今この街には勇者の旅立ちを見送ろうとする人が大勢滞在している。
それが意味するのはどこの宿屋も埋まっているということだ。
メディは完全に失念していた。
そもそも彼はフルードとボアから聞くまで、勇者のことなど何も知らないでこの街に来たのだから、仕方のないことだろう。
そのメディの様子を見て、リアは彼の状況を理解した。
「そんなことだろうとは思ったわ。アタシの世話になってるところがあるわ。そこなら、どうにかしてくれるはずよ」
「それは、ありがたいですけど、いいんですか?」
「変な心配するんじゃないわよ。明日から一緒に行動するんだから、寝不足で倒れられても困るのよ」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず、今日の寝床の心配をする必要はなくなったメディであった。
安心すると、脇へと置いていた疑問を口にする。
「そういえば、リアさんは何者なんですか?」
「アタシ? どう見たって僧侶でしょうが」
メディはそれを聞いて苦笑する。
(どう見たって僧侶には見えないのですが)
彼は改めて彼女を眺める。
テーブルに乗る酒瓶については一先ず置いておくとしよう。
しかし、それにしても、彼女の服装のどこにも僧侶の要素は見当たらない。
まず聖職者の象徴であろう十字架は衣服のどこにも存在しない。
代わりに、彼女が身に纏っているのはフードの付いた黒いマントに動きやすそうな皮のドレス。いずれも、何の変哲もない旅人の服装にしか見えない。
加えて彼女自身の勝気な表情も相まって、僧侶という雰囲気は全く感じられない。
怪訝そうに自分を見る彼の視線に気づいたリアは「ん!」と自らの右耳を指さす。
そこには、青い水晶でできた十字架のピアスがつけられていた。
「ほら、どう見たって僧侶でしょうが」
そうドヤ顔で言い放つ彼女からは信仰心などはかけらも感じられない。
しかし、僧侶の用いる呪文――一般には神聖魔法とも呼ばれる――は信仰心に応じて力が増幅するといわれている。
見たところ、彼女の信仰心はあまり篤くはなさそうだ。
メディは新たに浮かび上がった疑問を口にする。
「リアさん、一つ聞いてもいいですか?」
「何よ?」
「あなたが使える神聖魔法を教えてもらってもいいですか?」
「そんなの、決まってるじゃない――」
その先に続く言葉は、メディの予測通りだった。
世の中、嫌な予感ほどよく的中するものである。
「ホイミ、よ!」
(オンリーワン、ですか)
――堂々と言い放つ彼女の姿に、メディは言葉を失った。