染岡の必殺技取得特訓に付き合い、あれから数十分後。喉が渇いたという雷門メンバーの声を聞いて、柊はコンビニへと飲み物の買い出しに行っていた。
最近では、すっかり春が開け、夏の兆しが見れるようになってきており、運動をしていれば汗で服が張り付いてくる。ポカポカ陽気とは言い難い今、万が一熱中症にでもかかれば、それは発展途上の雷門にとって大きなダメージになりうるだろう。予測して避けられる危機ならば事前に対応しておかなくてはいけない。特に染岡の必殺技完成まではあとほんの一歩なのだ。
是非ともこんなところで雷門メンバーにダウンしてもらわぬよう、買い物袋一杯につまったスポーツ飲料をぶら下げて歩いていると、ちょうど後ろから来た一台の黒の高級車が柊の横で停止した。
黒い車といえば柊にとって最近ではいい思い出が無かった。帝国学園の関係者に誘拐に似たやり方で黒の高級車に詰め込まれた出来事は数日たった今でも昨日の事のように覚えている。それゆえに、目の前にそんな高級車が止まれば自然と体を身構えてしまった。
「初めまして。貴女が不破柊さんですね」
「そうですが、どちら様でしょうか?」
赤茶髪の長い髪をした女の子、一言でいうならばいかにもお嬢様らしい子が窓から顔を出して話しかけてきた。
車内に見える彼女が身に付けているのは雷門中の制服。帝国学園のような真っ黒なものではない事から、とりあえずは変な相手では無いと柊は警戒を解く。
「雷門中学理事長、雷門総一郎の娘の雷門夏未です。サッカー部のことで指導者である貴方に一言伝えておきたいことがあって来ました」
「――! り、り、理事長の娘さん!? 私のことをご存じだったのですか!?」
「何を驚いているんですか? サッカー部の指導者という話なら帝国と戦う以前から知っています。円堂君があれだけ日中騒いでいれば嫌でも耳に入ってきますよ」
確かに一応、冬海卓という教員と会っている以上は彼を通して学校の上の人達に名前を覚えられていてもおかしくはない。円堂がサッカー魂を炸裂させて騒いでいるというのならば尚更だ。しかし、まさか雷門中には数える程しか行っていないというのに、一度も顔を合わせていない人に自分の顔を当てられるとは柊は思ってもいなかったのだ。
夏未は柊に真剣な瞳を送ると、続け様にこう口にした。
「お願いと言っても頼むのは一つだけです。――豪炎寺修也。彼にサッカー選手として進む道を教えてあげてください」
「……? 豪炎寺修也……帝国から一点をもぎ取った彼をですか?」
柊は腑に落ちないとばかりに彼女へと聞き返した。確か豪炎寺はもうサッカーをやらないと口にしていたのだ。帝国戦で活躍した際にも「もうこれっきりだ」と口にしてユニフォームを脱いでいったのをハッキリと覚えている。才能があり、雷門メンバーも彼を必要としているのはよく分かる。しかし、本人がやらないと言っているのに無理やりさせるというのは如何ほどか。円堂だってそう考えて勧誘したい気持ちを自重しているのに、今更自分が出て行った所で何になると柊は思った。
「不破さん、貴女だから伝えておきましょう。彼がサッカーを辞めた理由を」
「豪炎寺君がサッカーを辞めた理由?」
夏未は口にした。
豪炎寺修也の輝かしいサッカー人生の凍結。その理由は約一年前に、木戸川清修中と帝国学園の試合が行われた日から始まったのだと。
豪炎寺修也の妹、豪炎寺夕香。兄のサッカーをする姿を追いかけていた彼女は、兄が出場する帝国との試合当日に交通事故に遭った。不幸中の幸いによって、一命はとりとめたものの、彼女は今もなお昏睡状態。稲妻総合病院に入院したまま、もう一年も目を開けてはいないという。この悲劇によって豪炎寺修也の日常はガラリと変化した。自分がサッカーさえやっていなければ妹はこんな目には合わなかった。全ては自分の責任だ、だからサッカーはもうできない……と。それっきり豪炎寺はサッカーをやらなくなった。妹へしたことを償うために。
話を聞いた柊は、ここでようやく豪炎寺が病院に通っている理由を知ることとなった。
「なるほど、彼にはそんな過去があったんですね」
「ええ、だから貴女にお願いします。貴女なら彼の気持ちを
理解できる人間ですから。その言葉を聞いて「ムムッ?」と柊は唸り声を上げる。
「なぜ私が彼を理解できると? 私は彼のように親族が事故に遭ったことなんてありませんよ」
「ええ、それは存じています。ですが貴女のご友人の中には、彼と同じ境遇に陥った人物がいたでしょう? 多分自分でも今、豪炎寺君がその人と重なっているのではないでしょうか」
夏未の言葉に対し、一体そんな情報をどこから掘り出してきたのかと呆れた表情を向ける。帝国学園といい、雷門中の生徒といい、なぜこうも自分のことに詳しいのだろうか。
「……なるほど。私のことも調べられている訳ですか。……どうも最近過去を掘り返してくる人間が周りに多い。まぁ別にやるなとは言いませんが、プライベートに関してはわきまえてくださいよ?」
「申し訳ありません。豪炎寺君のことを調べるついでに不破さんのことも調べさせてもらったのですが、お気に触ったようなら謝ります」
頭を下げてくる夏未に対して柊は腰に手を当てながら困った表情で見つめ返す。そして一つ「ふぅ」と息を吐くと、夏未の顔を上げさせてどうしても確認しておかなくてはいけないことを問い出した。
「豪炎寺君はサッカーをやりたいという気持ちは残っているんですね?」
「はい、少なからず私にはそう見えています」
夏未の即答が耳へ届くと、柊は吹っ切れたように鼻で笑った。
「――分かりました。彼がサッカーをしたいというならば背中を押してあげましょう。妹さんの言葉を代弁できるかは分かりませんけどね」
◆ ◆ ◆
豪炎寺修也は河川敷で練習に励むサッカー部を眺めながら悩んでいた。
――サッカーを辞めることが妹さんへの償いになるとでも? 勘違いも甚だしいわね。アナタに一番サッカーをしてほしい人は誰なの?
つい先程すれ違った雷門夏未という女。その彼女が口にした言葉が頭の中で何度もリピートされ、その度に豪炎寺は葛藤していた。
彼女の言う通り俺はサッカーをやっていてもいいのだろうか。夕香はそれを望んでいるのだろうか。妹は悲惨な目に遭って今もなお暗闇を彷徨っているというのに、その間兄である俺が一人でサッカーを楽しんでいる。そんな光景を夕香はどう見る? 分からない。受け入れて理解してくれるのだろうか。償いになるのだろうか。
夏未の言葉を聞いてサッカーと向き合う事は出来たものの、あと一歩を踏み出すことが豪炎寺は出来ないでいた。
「――そんな険しい顔をしていると男前が台無しだ。彼女にでもフラれたかい?」
「――! お前は!」
一言「やぁ、また会ったね少年」という声が耳に入ると同時に、見覚えのある顔が豪炎寺の視界に映った。もうこれで話すのは4回目となる柊に対し、豪炎寺は冷めた目を向けると、彼女はビニール袋一杯のスポーツドリンクを置いて横へと寄って来た。
よほど自分が険しい顔をしていたのか。心配そうにスポーツドリンクを一つ渡してくるが、生憎今はそんなものを飲む気にはなれず断ってしまう。それっきり彼女は隣で橋の手すりに体を預けると黙り込んでしまった。
若干気まずい時間が流れていく。こういう時は何か話すべきなのだろうか。それとも黙って離れるべきなのだろうか。そう考えている内に、なぜこの女はここに来たんだと疑問が沸いてきた。
豪炎寺はだんだんと頭が痛くなってくる。ただでさえ今悩んでいたところだと言うのに、この女がここに来た途端に何を考えているか分からないものだから、どうすればいいものなのか分からない。
困った表情でいる豪炎寺だったが、最初に口を開いたのは柊だった。
「私が以前病院でした話を憶えているかな? 私の友人の妹が交通事故に遭ったという話なんだけども」
咄嗟に振られた話の内容に豪炎寺は顔を向けた。その反応に対して肯定してくれたのだと受け取ると柊は話を続ける。
「君の前で悪いけれども、そのことで少し独り言を吐きたくなった」
聞きたければ聞け。興味が無ければ聞き流せ。そう彼女から視線が送られる。すると豪炎寺は彼女が見せる姿勢に対して、自分も向き合い話を聞くという答えを取った。
これから柊が溢すであろう独り言は、以前病院でした時にはぐらかされて聞きそびれた内容だろう。もしかすると、これから彼女が話すこと次第で自分が今どういう行動をとるのが正解なのか、それが分かるかもしれない。そんな期待が豪炎寺にはあった。
「私の友達は妹が大事故に遭ってからはまるで死人のようだった。同じ野球をしていても彼だけは本当に生きているのかいないのか分からないほどに生気が無かった。怪我はしても痛くないとも言うし、喜ぶという感情すらも忘れていたのだったかな」
豪炎寺の目には「あぁ、なんて自分らしくないことを話しているんだ」という柊の表情が映った。まるで掘り返したくも無い思い出を嫌嫌引っ張り出すような感じ。少なからず積極的には口を開きたくはないというのはすぐに分かる程だった。だが、それでも彼女は独り言という名の昔話を続ける。
「俺の責任で妹が。俺が野球なんてしていなければ。――何度その言葉を兄は繰り返していただろうか。死の淵を彷徨っている妹にその声が届いているとも知らずに」
本当に馬鹿みたいな奴だった。兄が情けなくてどうするんだと言いたいくらいに。柊がそう続けて喋ると一度だけ目を合わせてきたような気がした。
「妹が描いた一枚の絵。そういえば、あれが見つかったのが運命の分かれ道だった。――確か絵のタイトルは『野球をしている兄貴はアタシのヒーローだ』だったかな」
今の言葉に豪炎寺はふと夕香が笑う姿を思い出した。
——お兄ちゃん頑張ってね! 凄いシュートを打って活躍するところを見せなきゃダメだよ!!
試合日に駆けつけてくれる妹の姿。それはいつも無邪気に笑っており、負ければ同じように悔しがり、点を入れて勝利した時には誰よりも喜んでくれていた。たとえ選手じゃなくても、妹はもはや大きな後ろ盾として存在し、いつも一緒に戦ってくれていた。
豪炎寺は今感じた。自分がサッカーを辞めると言った事は、むしろ妹の気持ちを踏みにじっていることだ。サッカーをしないことは償いでも何でもない。むしろサッカーをしていることが、今も闇の中で戦っている妹に対しての最大の報いだと。
「――ねぇ、豪炎寺君。妹さんの気持ちは君が一番よく知っている。だから、君が本当に後悔しない選択をして。私から言えることはそれだけだよ」
柊がようやくここで豪炎寺に対して振り返ると、優しすぎるとも言っていい口調でそう述べた。
するとその姿に豪炎寺は自然と口から言葉が出てきた。それは数日前にした時にはぐらかされた質問。今なら彼女は答えてくれるのではないか。
「――その兄妹はどうなったんだ?」
『それ以上は話したくはない。私にも感情があるからね』前回はそう言われて結局分からずじまいだった質問だ。おそらくは彼女にとっては、今までの話している雰囲気からも穿り返したくはない記憶なのだろう。もしかすると彼女の話す昔話の結末は、その一枚の絵を最期に、兄と妹はもう二度と会えることのない最悪なものであるとも考えられる。だが、それでも豪炎寺は今ここで聞いておかなくてはいけないものだと判断した。先程彼女が言ってきた後悔をしない選択をするために。
柊は小さく笑った。そして再び豪炎寺を見つめる。
「事故に遭った妹さんは目を覚まして今は2人で暮らしているよ」
ふと発せられた言葉に、豪炎寺は胸の内で引っ掛かっていたものが取れて消えたように感じた。予想していた最悪な展開では無かったのだ。良かったと思うと、ようやくここで自分の中で決心がつく。
——俺はやはりサッカーをやるべきだ。
そう思いながら胸の内が晴れた様子で柊を見ると、彼女は豪炎寺の決心に気付いたのか満面の笑みを見せる。でもその直後に顔を背けて溜息を吐いたかと思えば、今度はしかめっ面に表情が変わり始めた。
「もう話しちゃったからこの際言うけど、兄の方なんて妹が目を覚ました途端に、更に野球が上手くなって私を追い越していった。おかげでポジションを奪われるは、打順はガラリと変わるは、本当に頭に来たよ」
「――! じゃあ感情があるから話したくないというものは……」
「ああ、それはもちろん私が思い出すたびに今話した友達に嫉妬してしまうからだよ。だから話したくなかったんだ。――まったく本当にいい教科書だったさ。事故以来立ち止まってたかと思いきや、一枚の絵を見つけた途端にこれだけ伸びるんだから何があるのか分からないね」
あぁ、ヤダ、ヤダ。そんな表情をしながら肩をすぼめると、今度は豪炎寺のもとへ寄って先程断られたスポーツドリンクを握らせてきた。
ヒンヤリしていて気持ちがいい。そんな快感が浸っているといつの間にか柊は袋を片手に背を向けて歩き出していた。一瞬彼女が振り返ったかと思えばウインクを一回。そんな仕草をしてくる彼女を止まって見ていると、同時にペットボトルにサインペンで書かれた文字が目に入る。
『Welcome to the Raimon Soccer Club!!』
筆記体で小奇麗に書かれた字。それを見た豪炎寺は口角を上げてフッと笑った。
◆ ◆ ◆
「――帰って来たか不破! ちょっと見ていてほしいんだ。何だか俺の必殺技が完成しそうなんだ!」
「それは楽しみだ。でも染岡君、夢中になるのは構わないが水分補給も忘れては駄目だぞ。――他の皆もね」
手にぶら下げてきたスポーツドリンクを皆に見せると、水中に投げ込まれた餌を食べに来る鯉のように全員が駆け寄ってきた。どうやら予想していた通り、休憩なしで続けて練習をしていたようだ。
休憩を一度挟み、いち早く水分補給を終えた染岡はサッカーボールを手に円堂と共にゴール前へと向かう。その様子に、他の皆以上に二人はどこか気合が入っている。もう必殺技の完成は目と鼻の先なのだろう。二人に触発されるように柊も歓声を見届けようとついて行くと、数分後に実戦練習が行われた。
「来い染岡! 今のお前の全力シュートを打ってみろ!」
円堂が染岡に喝を入れると染岡が吠える。
明らかに今までのシュート態勢の時とは雰囲気が違い、何か大きなエネルギーが高まっていく。
「これが俺の必殺シュートだ!!」
エネルギーが一気に解放されると、直後に視界に映ったのはドラゴンだった。それも獰猛で、ゴールネットを揺らす姿はまさに獲物を狩る青竜。ファイアトルネードが無双の槍というならば、彼の必殺技は岩をも砕くライフルと表現するべきだろう。一目見ても分かる程に強烈な必殺技が今誕生した。
「や、やった! うおおおおぉぉぉぁぁ!!! 完成したぞ! これが俺の必殺技だ!!」
天高くに拳を上げてガッツポーズを染岡がとると、それに感銘を受けた雷門イレブンが集まっていく。円堂をはじめとして皆に飲まれていく染岡の表情にはもう不安の色はない。これでしばらく彼は大丈夫だろう。
柊は腕を組みながら口角を上げていると、その姿に気が付いた染岡は照れくさそうに親指を立てる。
「壁を乗り越えた時の喜びか。青春とはいいものだな」
染岡のグッドサインに対してピースサインを笑顔付きで送り返すと、珍しく染岡は赤面を見せてきた。貴重な光景に思わず写真でも撮っておきたいところだがスマホの充電がほぼ無いというのが実に惜しい。
ハイテンションになったメンバーは必殺技に名前を付けようと騒ぎ始めたのはそのすぐ後だ。中学生らしい、なんちゃらクラッシュだの、なんちゃらアタックだの色々な案が出る中、つけられた必殺技名は”ドラゴンクラッシュ”。染岡らしい必殺技名の雷門の武器が一つ完成した瞬間だった。
——そして朗報はこれでまだ終わらない。
河川敷にやって来た一つの影。決心ができた彼も先程見せていた曇った表情ではなく、サッカーをやりたいという表情で歩み寄ってくる。
「――豪炎寺!」
円堂の声につられて、彼の存在に気付いた部員たちが彼の名前を呼ぶ。
豪炎寺は閉じていた目をゆっくりと開けると、その純粋な瞳で円堂、いやその場にいる全員に告げる。
「――俺、やるよ。サッカー」
その一言でその場にいる染岡と柊を除いたメンバーが再び再点火したように騒ぎ出した。まるでパズルのピースが一つはまり、その度に喜ぶ子供達とでも例えるべきか。でもそれは決して馬鹿に出来ないものであり、雷門イレブンにとっては高みへ進むための大きな一歩になる瞬間であった。
Welcome to the Raimon Soccer Club.
この文字をちょっと変えると……
Welcome to the family, son.
『お前も「家族」だ!』(ファミパン)