練習試合開始直前、そこでトラブルが一つ起きた。
ウォーミングアップをしていた帝国学園による挑発の
試合前から溢れる不穏な空気。誰もが円堂のように「燃えてきた!」などと言えるようなメンタルは持ち合わせていないのは当然のこと。不安というのは柊も含め、雷門メンバーは誰しもが抱き始めていた。
「円堂君、不破さん、マズいですよ。このまま向こうのチームを待たせるわけにはいきません!」
「う……分かりました冬海先生。ちょっと皆で探してきます。柊さん、直ぐに戻るから待っていてくれ!」
一向に戻ってくる気配の無い壁山を探しに円堂達は校舎へと潜っていく。その様子を見ながら柊は最悪な状況だなと軽く舌打ちをすることになった。
「数日ぶりだなタクシーのお姉さん。いや、不破柊」
ベンチで足を組みながら座っている柊に向けられる言葉。見上げれば視界に入るのは赤いマントと、青いゴーグルをトレードマークとした顔。目の前に再び現れた彼の名前は帝国学園キャプテン鬼道有人だ。彼らが自分のことを散々調べてくれたように、柊も帝国学園の情報を調べ無い訳がない。真っ先に覚えた名前だ。
「鬼道有人君か。一体何の用だ?」
「ほう、俺の名前を知ってくれていたとはな。まあいい、俺がお前に話しかけたという事は、何が言いたいかもう分かっているだろう?」
「帝国学園の指導者になれという話か?」
「話が早くて助かるな」
柊は数日前に指導者としてスカウトされたことを思い出した。あの帝国が元野球選手に対して帝国学園のサッカー指導者として仕えてくれと言ってきたことを。柊は腕を組むと「ふ~む」と喉を唸らせた。
率直な意見としては、言いたいことは山程あった。柊も帝国とは過去に色々と因縁もあり関係が無い訳でもない。しかし7年だ、7年という長い間を空けて今になって何を言ってくるんだというのが柊の最も言いたいことだった。なぜサッカー部を育てろというのか。野球部を育てろというならばまだ分からなくも無い話だが、そこが柊は理解できない。おそらく帝国のことだ、何かよからぬことでも考えているのは何となく察しはつく。
柊は鬼道の顔を見上げると鼻で笑って見せた。相手は謎だらけの訳の分からぬ集団だ。加えて柊には過去の出来事もある。返事は深く考えるまでも無く既に決まっていた。
「私は帝国学園のお偉いさん達の事は大嫌いなんだ。悪いがあそこで高みの見物をしている”影山総帥”に言っておいてくれ。”お前のような奴のスカウトなんて誰が受けるか、バ~カ”とな」
グラウンドを見下ろすかのように高い位置で椅子に座っている男。帝国学園総帥、影山零治に向けて柊は”あっかんべー”と小馬鹿にしたように舌を出した。すると、その様子が向こうからも見えていたのか、高みの見物を決め込んでいた影山本人が、ほんの一瞬だけ僅かに口元を歪ませたのが柊の視界に映る。
下から馬鹿にされる気分はどうだろうか。どこまで偉そうにするつもりか分からないが、同じ土俵に降りてこないなんて言い度胸である。先程からずっと気に食わないと柊は思っていたのだ。だからあの男が表情を少し変えた事でケラケラと柊は笑わずにはいられない。
一方でそれを見ていた鬼道も少し驚いたようなしぐさを見せるが、すぐにいつものように低い声で言った。
「なら仕方がない。力づくでも君がこっちに協力すると気になってくれるようプランを立てよう。総帥の機嫌を損なわせる訳にはいかんのでな」
まるで俺は総帥の命令なら何でも実行するサッカーマシーン。そう表現しているとも受け取れる言葉に、笑みをつくっていた柊の表情が崩れていく。それに続いて今度は不機嫌そうな表情が鬼道へ向けられることになった。
「ふん、君達も機嫌取りを行う人間か。だから帝国は嫌いなんだ」
「何とでも言え。――楽しみにしておけ、この試合地獄を見せてやる。今回は欲しいデータが沢山あるのでな、せいぜい逃げ出さないように頑張ってくれよ」
じっと視線を向けてくるゴーグルの中の瞳がどんな色をしているのかは分からない。笑いの色なのか、それても馬鹿にしたことで怒った色なのか。はたまた機械のように無機質な何の感情も無い色なのか。彼を見ているだけでも、試合開始直前という空気がピリピリとした静電気のような感触となって皮膚を刺してくる。僅かばかりの時間ではあったが、鬼道は先程の柊のように鼻を鳴らすと、赤いマントを翻し不気味な微笑を浮かべながらチームのもとへ戻っていった。
最初は温かく心地よいと感じていた風が一気に冷たくなったかと感じれば、次は生ぬるいような気持ち悪ささえ感じるのは錯覚か。この試合は絶対奴らの思うようにしてたまるか。肉食恐竜が獲物を捕らえて噛み殺す、そんな心境が燃え上がるのを柊は感じずにはいられなかった。
試合開始数分前。ようやく円堂達が戻ってきたことでいよいよゲームが開始される。彼ら全員が緊張の様子を見せる中、柊も同じように心臓を高鳴らせていた。なにせ廃部という未来が残っているのだ。それに以前鉄塔の下で交わした円堂との約束も忘れてはいない。
「――おや、これは! 貴女が噂の雷門イレブン指導者さんですか?!」
「――あわわっ、何だ!?」
「アハハ、驚かせてすみません。随分怖い表情をしていたので取材をしたくなっちゃいました! 私、新聞部の音無春奈といいます」
ずっと試合開始ばかりに意識を取られていた矢先に突如の取材。あまりに予期していなかったことから、音無春奈と名乗った少女に柊は驚きと戸惑いの表情を見せ付けることになった。
「ぶっちゃけ、この試合勝てると思いますか!? マネージャーの木野さんは勝てる自信はないと言っていましたが、皆を見ていると勝つかもしれない気がするとも言っていました。指導者から見て何かありませんか?」
「え!? う~ん、そうだな……」
キラキラと目を輝かせながら質問してくる春奈。それに苦笑いで返しながら、参ったなという表情で考え込む柊。しかし少しだけ黙り込むと、柊は顔を雷門イレブンに向けたまま口を開いた。
「――翼を持つ者は、雛鳥の頃から大空に立ち向かっていくことが宿命付けられている。私は翼の動かし方は教えた。飛ぶ前に獲物に狩られるか、それとも飛んで未来を手にするかは、彼ら次第だ」
「うわぁ! 何だかカッコイイ!! ということは彼らには翼があるのですか!?」
「もちろんあるとも。あれだけサッカーを愛している少年がいるんだ、雷門イレブンに翼が無い訳がない」
これは名言ですよとメモ帳にペンを走らせる春奈に再び苦笑いを見せると、いよいよキックオフの瞬間が視界に飛び込んでくる。ホイッスルの音が大きく鳴り響き、試合開始だ。
◆ ◆ ◆
『雷門中vs帝国学園! 試合が始まって優勢にいるのは、なんと我が雷門中学だ!! 実況である私、将棋部所属の角馬圭太もこんな展開は予想していなかった! 強いぞ雷門イレブン、頑張れ雷門イレブン!』
実況がテンション高く吠えるように雷門の出だしは順調だった。最初のボール支配率は圧倒的に雷門が上、相手の動きにもしかと反応出来ていた。相手がリズムを変えてこようものなら、こっちはリズムを順応させ、簡単に奪われまいと常にボールをキープできている。
「へっ、ちょろいもんだぜ。不破の特訓メニューってのはこの弱点を補うものだったんだな! ゴールまで一気に行かせてもらうぜ」
染岡を始めとし、あの”弱点くすぐりリズム運動”を受けていたメンバー達の運動能力が上昇していることは見て分かる程に明確なものだった。相手の動きが見える、反応できる、動ける。それは明らかに自信をもって言えることであり、プレーをしている本人たちも実感できるものだった。
緩急の変化に順応するというのはスポーツでは必須だ。雷門メンバーは特にそこが弱かったものだから、少しでも能力が向上したと感じることが出来た時点で、それは大きなモチベーション上昇力となる。沸き上がった闘志は爆発力となり、ペースをつくり、勝利の扉をこじ開ける合鍵となる。
「行け、染岡! シュートだ!」
「おおッ!! くらいやがれ!!!」
円堂がかけた声と同時に染岡の渾身の一撃が帝国ゴールに向かって放たれる。コースは悪くない、むしろ絶好のラインを描いている。これを止めることはそう簡単には無理だ。この瞬間、雷門メンバーは誰しもが一点が入ったと心を躍らせた。――しかし、現実というものはいつも予想外のことを突きつけてくる。
バシン、という音が鳴ったかと思えば帝国のGKはいとも簡単にボールへと触れ、汗一つかかずに余裕の表情を見せながらキャッチして見せたのだ。
『ああっ! 惜しい! 帝国キーパーのナイスセーブで雷門得点ならず!!』
ベンチにいる柊たちを含めて、雷門メンバーが落胆する。「あと少しだったのに」と試合を見ていたギャラリーを含め、大勢の人が声を上げる。一方でシュートを打った染岡とベンチで様子を見ていた柊は「あれを止めるのか」と顔を歪めることになった。
簡単には点は取れない。一筋縄ではいかないと柊が痛感したところで、いよいよ帝国メンバーの顔つきが変わる。
「驚いた。思っていた以上に順応してきたな。寄せ集めの烏合の衆がこれだけの動きが出来るようになるとは。不破柊、やはり面白い。ますます欲しくなった」
「鬼道、遊びはこれぐらいにしておくべきだ。まだまだデータを集めなくてはいけない、奴を引きずり出すのを忘れるな」
「分かっているとも源田。見せてやるとしようか帝国のサッカーを。――やれ、お前達」
グラウンド内の雰囲気が一気にガラリと変わることにいち早く柊が感ずく。生き物で例えるならば檻の中で鎖につながれていた猛獣達が一斉に野へ解放された感覚。自然界で言うなら、雨雲が大きさを変えて積乱雲を形づくり始めたような感覚。それほどのような急激な雰囲気の変化が見えない形となって、柊の五感を揺さぶりをかける。
明らかに何かが変わった。一体何が起きたんだ。そう疑惑が浮かんだ直後に、柊は息を呑むこととなった。大きく形を変えるゴールネットに、吹き飛ぶ円堂の姿。それが柊の視界に飛び込んで来たのだ。
『――ゴールッ!! 帝国学園先制! 一体何が起きたのか!? 雷門イレブン誰一人として一歩も動けないまま得点を許してしまったー!!』
「……噓!?」
目の前で起こった光景に雷門側は誰もが目を見開いた。
元々帝国は無敗を誇る有名な学校。力の差はあって当然だと柊も重々承知だった。だが、それでも今のはおかしすぎた。相手ボールとなった途端に数秒でゴールが決まる。そんなことを誰が予想できようか。未だに理解が追い付かない柊の頭の中で幾度となく今の相手ゴールがリピートされる。
戦力差があまりにも違いすぎたのだ。予想をはるかに凌ぐほどに。
再びゲームが再開すれば帝国は赤子の手を捻るようにボールを奪い、いとも容易くゴールを奪っていく。その様子はまさに一方的な弱い者いじめと言っても過言では無い。
「――――く……そんな……」
柊が顔を歪めている間にまた一点。成す術がないまま雷門イレブンは蹂躙されていく。既にスコアボードは二桁へと突入。十点という大差をつけられたところでようやく前半終了のホイッスルが鳴った。
疲弊して士気が急激に低下している雷門イレブン。柊は唇を噛みしめる。ものの見事にやられたと。
最初の優勢に見えていた時は帝国にとってはただの様子見でしかなったのだ。実力なんてものはほんの氷山の一角程度しか見せていない。つまり彼らがしていたことは精神的戦略、最初は雷門イレブンに少しでも希望を持たせて、その後内に秘めていた実力差を見せつけ絶望に浸らせる。いわゆる”舐めプ”と言うやつだ。これのおかげで雷門イレブンの精神は一目見て分かる程にガタガタだ。
「まだ前半が終わったばかりだろう! みんな顔を上げろ!」
「まだやるんスか、キャプテン? やるまでも無いっスよ、皆もう走れないッス」
「何を言っているんだ壁山! 勝利の女神がどっちに微笑むかなんて最後までやらなきゃ分からないだろう!? そうだろう、みんな!!」
一人闘志が残っている円堂が全員に向けて声を上げるが、それに賛同して立ち上がる者はいない。
円堂が言っていることはもっともだ。そのことは誰もが理解はしている。だが、こんな現実を見せつけられているのだ。まだ逆転の可能性があるとしても、それは途方も無く程遠い。
まだ燃え尽きてはいない、試合は終わってはいない、勝敗はついていない。とはいえこの状況をどうやって塗り替えるか。柊は円堂の気持ちを無駄にはしたくなかった。たとえ負けて廃部になるとしてもこんな形での廃部なんかは絶対に納得出来る訳がない。せめて最後に何かできないかと必死になって思考を巡らせた。
どうすれば向こうに一泡吹かせられる? どうすれば流れを変えられる? どうすれば勝利の女神に振り向いてもらえる?
だが、いくら考えようにも柊にはそのイメージがつけ難かった。練習時間、それがもう少し時間があればと後悔しても始まらない。もはや自分が指導者としていかに不甲斐ないことかと、柊は己の無力さに握り拳を作るしかなかった。
そして、後半戦は間もなく幕を開けた。
——翼を持つ者は、雛鳥の頃から大空に立ち向かっていくことが宿命付けられている。
かのナイスガイが発した言葉をお借りしました。さぁ、君はこれが誰が言ったものか分かるかな?