一花さんの浴衣姿、最高でしたね。
すっかり日も暮れ、辺りに夜の帳が下りるなか、中野一花は車の後部座席のドアを開け、外に降り立った。途端に冷たい空気にさらされ、その寒さに一瞬顔をしかめるが、すぐに笑顔をつくるとドアを閉じ、運転席に顔を向ける。すると窓が開き、いつも通り家まで送迎をしてくれた事務所の社長が顔を覗かせた。
「一花ちゃん、今日はお疲れ様。今日も最高だったよ。このままいけばスターになる日は近いね」
「アハハ、大げさですよ社長。私なんかまだまだです」
「いやいや、今日の演技は完璧だったよ。それを証拠に皆、褒めてたじゃないか、私も感心したよ……おっと、これ以上寒空の下に引き留めてたら、未来のスターが風邪引いちゃうな。じゃあお休み、しっかり休んでね」
「はい、ありがとうございます。社長もお気をつけて」
そう言って、一花は社長が車を発進するのを見送る。そして車が視界から見えなくなったのを確認すると、マンションに入る為、踵を返した。
(う~ん、さすがに疲れたなぁ……だけど無事に撮影終わってよかった)
今回の役は、主人公の男性に片想いする女子生徒役。残念ながら主役クラスではないが、そこそこ出番もセリフもある役であり、一花としても次に繋げる為、一段と気合いをいれてやらねばと思い、何度も練習をして臨んだ。
そんな甲斐があったのか撮影は上手くいった。相手の俳優役には本当に告白されたみたいだと言って驚かれ、監督には恋する乙女そのものだったと絶賛された。
「あんなに褒められるなんて思わなかったなぁ……恋する乙女だなんて……フフフ……私の演技力も上手くなってきたのかも」
思わずニヤける一花。次はもっと大きな役がもらえるかもしれない。そうなればもっとお給料も増えるだろうし、以前から考えていた計画にもまた一歩近づく。
(もう少し余裕ができたら、どこかのアパートに部屋を借りて一人暮らしをしよう。そうすればもっとフータローくんと二人きりの時間が過ごせるもんね)
彼との関係は誰にも話していない。
もし義父が知ったらなんと言うだろうか。何も言わないような気もする、だがもしも「家庭教師としてあるまじきことだ」なんて怒り、彼を辞めさせたりしたら大変なことになってしまう。
例え彼が家庭教師を辞めたとしても、会えなくなるわけではない。だが彼と一緒にいる時間は確実に減るだろう。給料の割には拘束時間が短い家庭教師とは違い、新しく始めるバイトは確実に今より時給が安くなる、そうなれば今と同じくらい稼ぐ為には、それなりに時間がとられてしまう。
休日もほとんど会えなくなるかもしれない。通学路もクラスも違う彼との接点など放課後の勉強会ぐらいしかない。それすらも無くなってしまうと考えたら……そんなリスクも犯せるわけがなかった。それに、
(私とフータローくんだけの秘密っていうのも、何か悪くないし♪)
自分の心の中だけに秘めている計画を思い浮かべながら、マンションへと入る一花。無意識の内に鼻唄を歌ってしまうほどに、その表情は楽しげなものであった。
(アパート借りたらどうしよっかなぁ……気をつけないとすぐ部屋が汚部屋になっちゃうだろうし、食事はスーパーとかでお惣菜とか売ってるからそれほど心配はないけど……)
暗証番号を入力し、マンションのエントランスのドアを開ける。すると外の冷たさとは正反対の空気が流れ込んでくる。今の一花の気持ちを表すような、暖かな空気。
(けどやっぱり、たまには私の手料理でフータローくんに喜んでもらいたいし……今度二乃に教えてもらおっかなぁ……ってあれは……!?)
目の前にいたのは、自分と同じ高校の制服を身に纏い、エレベーターを待つ一人の少女。自分と同じ顔、同じ背丈の五つ子の妹。それは──
○
「二乃」
「!? キャァァァッッ!!!……って、な、何だ、一花か。もう、驚かさないでよ」
「ごめんごめん、つい、ね、アハハハ」
中野二乃は突然後ろから肩を掴まれ、耳もとに声をかけられた驚きで悲鳴を上げた。すぐに振り返り、相手を睨み付けるも、そこにいたのは自分と同じ五つ子であり、唯一自分が姉と呼ぶ少女、中野一花。変質者でなかったことに安心し、驚かせた相手に抗議するも、一花は両手を合わせ軽く謝るのみ。
全く、と腕を組み一花を睨む。すると一花が自分とは違い、私服であることに気づいた。そういえば、今日は映画の撮影だとかで学校を休むと言っていた。今、仕事から帰ってきたのだろうか。
「一花は今仕事帰りなの?」
「うん、そうだよ。二乃もバイト帰りなんでしょ?」
「まあね。ちょっと前に終わって、今帰ってきたとこよ」
色々あって疲れたわ、と思わず声が出る。そんな疲れた様子の二乃を見て、一花が労うように声をかける。
「遅くまでご苦労様。帰り寒かったでしょ?」
「……あー……そんなに寒くなかったわよ」
「へー凄いね、二乃。私、社長に車で送ってもらったんだけど、車から降りた瞬間、すごく寒く感じたよー」
二乃って寒がりじゃなかったっけ?と首を傾げる一花に対し、二乃は誤魔化すように笑う。言える筈がない、フータローにコートを貸してもらったから、いや違う、アイツと一緒にいたから寒さなんて感じなかったなんて。
チン、とエレベーターの到着を告げる音がして扉が開く。先に乗り込む一花を見て後から二乃も続いた。押すのは最上階であるボタン。自分達だけが利用する階。
「それで一花、仕事はどうだったの?」
「うん、ばっちりだったよ。色んな人に褒められたし、我ながら上手く言ったと思う」
「へー良かったじゃない。上映されたらまた見に行かなくちゃ……また途中で死ぬ役じゃあないでしょうね?」
「あははは、違うよー。今回のは恋愛モノだからそんなことにはならないよ」
詳しいことは言えないけどね、と言う一花を見ながら二乃は考える。恋愛モノ……それなら楽しみだ。また五月と行ってもいいかもしれない。いやそれよりも、フータローと一緒に行くというのはどうだろうか。
(二人で映画を見に出かける……しかもそれが恋愛モノなんて、凄くデートっぽいかも!)
思いついた考えに、思わず口元がニヤけてしまう。そんな二乃に気づいた様子もなく、今度は一花が二乃に聞いてくる。
「二乃はバイトどうだったの?もう慣れた?」
「ええ、余裕よ。私が作ったケーキ、店長にも褒められたし……まあ、今日はちょっと色々あって大変だったんだけど」
「? 何があったの?」
「あー……今日シフト入る予定の人が一人、急遽来られなくなっちゃって、ね」
「え!? それって、二乃一人になっちゃったってこと? 」
大丈夫だったの、と心配そうにする一花。それに対し二乃は平気よと返し、躊躇いつつも、少し弾んだ口調で続ける。
「それに、アイツが代わりにきたから」
「……?……アイツって………!…もしかして、フータローくんが代わりに来たの!?」
「ええ、そうよ。何でもアイツしか代わりに入れる人いなかったらしくて……まあ、今日の様子なら私一人で何とかなったけどね」
店長ももっと私を信頼して欲しいわ、と肩を竦める二乃。だが、そう言った二乃の顔は喜びに満ちたものだった。そう、目の前にいる一花の目から見てもわかるほどに。
「……もしかして二乃、フータローくんに送ってもらったの?」
「え!? ま、まあね。私はいいって言ったんだけど、アイツがどうしてもって言うから仕方なくね」
「…………そうなんだ」
一花の声が低くなり、二乃を見る眼差しが鋭くなる。だが二乃は気づかない。嬉しそうな顔で、声で、風太郎と一緒に帰ってきた時のことを話す。
「それでね、アイツ、コート持ってたんだけど、そのコートがえらく高級品でね。まあ、中々似合ってたわ。アイツにしてはいいセンスしてるわよね」
「…………当然だよ」
「え、何か言った?」
「……ううん、何でもない。それで?」
「そう? まあ、高級品だけあって防寒性も流石よね。おかげで寒い思いしないですんだし」
「……?……!!?……着たの?二乃が、あのコートを!?」
「アイツが無理矢理着させてきたのよ。私は別に寒くないって言ってるのにさ…………アイツも意外と紳士的よね」
はっきりと覚えている、あの時の暖かさを。風太郎の手が肩に触れた感触を。その時のことを思い出す二乃の姿は、正に恋する乙女そのもので。
だから気づかない。
一花の手が強く握りしめられたことを。
二乃を見る目が変わったことを。
その眼差しは、間違っても姉妹を、妹を見るような目ではない。
それはまるで──
「それでね、アイツったら「ねぇ、二乃」私に……って、何よ一花」
「二乃のバイト先ってそんなに忙しいの?」
「……え? な、なによいきなり」
突然の一花の言葉に戸惑う二乃。それを無視して一花は続ける。
「だってほら、今日みたいにいきなりフータローくんが呼び出されるなんてこと、よくあるのかなって」
「……まあ、今日は平日だったし、スタッフの数も少なくしてただけで、普段は十分足りてるわよ」
「そっか。じゃあ、フータローくんが辞めても平気だね」
チン、と音が鳴る。エレベーターが着いたようだ。そこは、このマンションの最上階。そう、自分達が住まう階、自分達だけが住まう部屋。
だからこそ、ここには誰もこない。今、この場には二人っきり。
二乃は一瞬、何を言われたのかわからず呆然としていたが、やがて我に返ると一花に詰め寄る。
「な、何言ってるのよ! 確かに十分って言ったけど、それでアイツが辞めても平気なんてことには」
「でもまた今日みたいなことあるかもしれないんだよね?それって、私達にとってもフータローくんにとってもあんまり良いことじゃないんじゃないかな?」
「…………え?」
「だってほら、今日みたいに家庭教師がない日ならいいけど。でももし家庭教師当日にそんなことがあったら、勉強教えてもらうことできなくなっちゃうよ?」
「そ、それは」
「そんな事が続いたらどうなると思う?私達の成績も下がっちゃうかもしれないし、そうなったらお義父さん、今度こそフータローくんを家庭教師、辞めさせちゃうかもしれないよ?」
そうなったら困るでしょ?と、一花はまるで大人が聞き分けのない子供を諭すかのような口調で話す。対して、二乃も何か反論しようと口を開く。だが、
「で、でもアイツが辞めたら、そ、その……」
「ん?何?何か困るの?」
「え、えっと、あの……そ、そうよ、アイツ自身が困るじゃない!だってアイツ、お金が必要だからバイトしてるわけだし、バイト辞めたりなんてしたらお金に困っちゃうじゃない!!」
「うん、そうだね。私もそう思う」
二乃の言葉にあっさりと同意する一花。二乃はその予想外の反応に面食らうも、ならばと続ける。
「だったら──」
「だからね、私、考えたんだ」
「……何をよ?」
「お義父さんにお願いしてみようと思って。フータローくんのお給料、どうかもっと上げてください、って」
「…………え?」
「そうしたら全て解決じゃない?フータローくんはケーキ屋のバイト辞めることができて、私達に勉強教えることに集中できるし、お給料も変わらず貰える。私達も教えてもらう時間が増えたら、もっと成績も上がる。そうしたら、お義父さんのフータローくんに対する評価ももっともっと上がる。ね? お得なことだらけでしょ?」
そう言ってニッコリと微笑む一花。その表情は、小さな子供が良いことを思い付いたといわんばかりの無邪気なもので、だからこそ二乃は言い返すことができなかった。二乃自身納得もしていた。その方がフータローにとってもいいことである、と。頭では分かっていた、だが気持ちまでは──納得できる筈がない。
とっくにエレベーターは着いている。だが二人は動かない。一花は表面上は静かに、穏やかな表情で二乃を見つめ、二乃もまたしっかりと一花の顔を、目を合わせ対峙する。
そんな静寂に包まれた空間の時間を動かしたのは、一人の少女の声。
「あーっ!二人とも、やっと帰ってきた!!」
「……四葉」
「っ!」
玄関のドアが開き、顔を覗かせるのは五つ子の四女、中野四葉。四葉は少し怒った様子で二人に近寄ってくる。
「二人とも遅いよー。もうすぐ着くって連絡してきたのに、全然帰ってこないから心配したよー」
「アハハ、ゴメンね四葉。たまたま二乃とマンションの玄関で鉢合わせたから、お喋りしちゃった………………ね、二乃」
「…………ええ、そうね。ごめんなさい、四葉」
「もー二人ともしょうがないんだから。それに謝る相手が違うよ。私じゃなくて、五月に謝ったほうがいいよ。お腹グーグー鳴らして、すっごい気が立ってるんだから」
まるで飢えたライオンさんだよ、と溜息をつく四葉。そんな四葉を見て一花が格好を崩す。二乃もまた息を吐く。水を飲みたいと思った、喉が渇いてしょうがない。
「二人とも早く早く! ご飯なくなっちゃうよー」
四葉が手招きをして二乃達を促す。それに応じるように一花がようやくエレベーターの外に出る。そして二乃の方を振り返った。
「ほら、行こう、二乃。これ以上待たせたら、五月ちゃんにお夕飯、全部食べられちゃう」
「……そうね」
目の前にいるのは同じ五つ子の姉妹。いつだって私達は一緒にいた。年齢を重ねても、それぞれ髪型が変わっても本質は変わっていなかった。
「それと…………さっきの話はまた今度、ね」
「……ええ」
だけど、今、初めて心から思う。目の前にいる姉のことがわからない、と。自分と、自分達と同じようで、何かが違ってしまったのではないかと、そんな事を思った。
「……ねぇ、一花」
「ん、? 何、二乃」
「……さっきの話、本当にそれだけなのよね」
「? 当たり前だよ、他に何があるの?」
私達の中で、何かが変わった音が聞こえた気がした。
次回は、三玖回(オアシス回)。
三玖がとにかく頑張るお話し。
『五つ子の三女は、クールな外見とは裏腹に頑張り屋さんな女の子である。』