商業区の中でも外壁に近く、観光区からも職人区からも離れた場所。公的機関の目が届かない完全な裏世界。大都市の闇。昼間だというのに何故か薄暗く、道行く人々もどこか陰気な雰囲気を放っている。
そんな場所の一角にある七階建ての大きな建物、表向きは人材派遣を商いとしているが、裏では人身売買の総元締をしている裏組織フリートホーフの本拠地である。いつもは、静かで不気味な雰囲気を放っているフリートホーフの本拠地だが、今は、もの音一つどころか、命の気配すらない、いつもとは毛色が違う不気味さを放っていた。
その内部は凄惨たるありさまだ。内部はほとんど破壊され、中にいた構成員のほとんどは体のどこかを折られるか、貫かれるか、ひしゃげた状態で死んでおり、生きている者も重傷を負った状態で縛られて隅に纏められている。
その本拠地の中で破壊を免れている場所があった。最上階のフリートホーフの頭、ハンセンの部屋だ。もっとも、そのハンセンは鎖でグルグル巻きにされた状態で気絶している。
「ふむ、やはりと言うべきか、何というべきか……こういう組織に貴族の後ろ盾があるのは当然か……」
その室内で、無駄に豪奢な机に座りながら何かの資料を捲っているのは神羅だ。彼が手にしているのはフリートホーフのこれまでの人身売買に関する資料、そしてこれだけの組織を維持するだけの金の流れを示したものだ。
「さて……ミュウとやらの子の居場所は伝え終わり、施設もほとんど破壊した。後はこいつらだが……一々潰して回るのはあまりにも面倒だし、してやる道理もない……ふん、気に食わんが、奴らに任せるのが効率がいいか。それに、奴らの膿だ。ならば奴らが始末をつけるのが道理というもの」
そう言うと神羅は資料を宝物庫に全てしまい込み、ハンセンを担ぎ上げると、部屋を出ていく。そして隅に纏められている生きている者達もまとめて担ぎ上げると、そのまま建物から出る。
そして建物を見上げながら右の人差し指を向け、少しの間集中するように目を細め、それをピッと振り下ろす。
瞬間、七階建ての建物が上から押しつぶされるようにあっという間に押しつぶされる。けたたましい轟音を立てながら、しかし周囲に破片をまき散らすことなく、破壊の余波をまき散らすことなく、まるでプレス機で缶を押し潰すように建物は消失した。それが終わった後、残っていたのは瓦礫すら残らず押しつぶされた更地だけだった。
それを見た神羅はふむ、と自分の右手に目をやり、軽く眉を顰める。
「やはりいくら適性があっても、魔法は慣れんなぁ……戻った時も使えんし、あまりあてにしないほうがいいかもな……しかし、そうなると、別の戦法を編み出さなくては……」
今の神羅は魔法がそれなりに使える。便利なものだし、活用だってする。だが、いざと言う時、自分はきっとこれを使わない。使おうとすればいやでも隙ができる事が分かっているから。どれほど便利でも、使いこなせない道具ならば、むしろ使わないほうがいいと言う事だ。だが、せっかくの魔力だ。出来れば活用したい。ではどうするか……
そう考えた神羅の脳裏に、ふとその光景が浮かぶ。前世で、あいつと協力してやっと倒した鋼の宿敵。あいつの手足は確か………
「……確かに有効そうだし、出来そうだが………くそ。よりにもよってあいつか……いや、贅沢は言えんか……だがしかし……」
そう呟きながら神羅はハンセン他数名のフリートホーフの幹部を担ぎなおし、軽く跳躍、周囲の建物の屋根に着地すると、そのままギルドに向かって走り出す。
フューレンの一角にある美術館があるのだが、その日、そこでは非合法な裏オークションが開催されていた。その会場は今、異様な雰囲気に包まれていた。会場の客はおよそ百人ほどでその誰もが奇妙な仮面をつけている。このオークションは決して表沙汰に出来るものでは無い。そんなオークションを利用していると周りに知られる事は周囲に弱みを握られる事と同義だ。だからこそ、誰もが声を出すのは必要最小限にとどめ、物音一つ立てずに、ただ目当ての商品が出てくるたびに番号札を静かに上げるだけ。しかし、普段は静寂に包まれているオークション会場だが、その商品が出てきた時僅かにざわついた。
出てきたのは二メートル四方の水槽に入れられたエメラルドグリーンの髪をした海人族の幼女だ。その者こそ、今ハジメたちが取り戻そうとしている幼女、ミュウである。
彼女は衣服は剥ぎ取られ、裸で水槽の隅で膝を抱えて縮こまっている。海人族は水中でも呼吸出来るので、本物の海人族であると証明するために入れられているのだろう。そして一度逃げ出したせいか、今度は手足に金属製の枷をはめられ酷く痛々しい光景だ。
多くの視線に晒され怯えるミュウを尻目に競りはものすごい勢いで進んでいく。この様子では値段もかなりの物になるだろう
ざわつく会場に、ますます縮こまるミュウは、その手に持っていたハジメの眼帯をギュッと握り締めた。ハジメと別れる際、ミュウが奪った物だ。ちなみに現在のハジメは予備の眼帯を着けている。
そのハジメの眼帯が、ミュウの小さな拠り所だった。母親と引き離され、辛く長い旅を強いられ、暗く澱んだ牢屋に入れられて、汚水に身を浸し、必死に逃げて、もうダメだと思ったその時、温かいものに包まれた。何だかいい匂いがすると目を覚ますと、目の前には片目に黒い布を付けた白髪の少年がいる。驚いてジッと見つめていると、何故か逸らしてなるものかとでも言うように、相手も見つめ返してきた。ミュウも、何だか意地になって同じように見つめ返していると、鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いに気が逸れる。
その後は聞かれるままに名前を答え、次に綺麗な紅い光が迸ったかと思うと、温かいお湯に入れられ、少年に似た、しかし、少し青みがかった白髪のウサミミお姉さんのシアと金髪のお姉さんのユエに体を丸洗いされた、温かなお風呂も優しく洗ってくれる感触もとても気持ちよくて気がつけばシアとユエをお姉ちゃんと呼び完全に気を許していた。
膝の上に抱っこされ、分けてもらった串焼きを食べていると、いつの間にかいなくなっていたハジメと名乗る少年が帰ってきた。最初こそ少し警戒していたのだが、可愛らしい服を着せてもらい、温かい風を吹かせながら髪を梳かれているうちに気持ちよくなってすっかり警戒心も消えてしまった。
だから、保安署というところに預けられてお別れしなければならないと聞かされた時には、とてもとても悲しかった。母親と引き離され、ずっと孤独と恐怖に耐えてきたミュウにとって、遠く離れた場所で出会った優しいお兄ちゃんとお姉ちゃん達と離れ、再び一人になることは耐え難かったのだ。
故に、ミュウは全力で抗議した。ハジメの髪を引っ張ったり、頬を何度も叩き、終いにはハジメの眼帯を取ったりもした。しかし、ミュウが一緒にいたかったお兄ちゃんとお姉ちゃん達は、結局、ミュウを置いて行ってしまった。
(お姉ちゃん……お兄ちゃん……)
ミュウが心の中でそう呟いた時、オークションの司会をしていた男が更に値段を吊り上げようとミュウを泳がせるべく、水槽を蹴り付ける。その衝撃にミュウは更に縮こまり、動かなくなる。
すると、男は今度は係りの人間に棒を持ってこさせる。今度はそれで直接突こうとしているようだ。
「全く、辛気臭いガキですね。人間様の手を煩わせるんじゃありませんよ。半端者の能無しごときが」
男が脚立に乗って上からミュウ目掛けて棒を突き下ろそうとし、ミュウが身を固くした瞬間、
「それはこっちのセリフだくそったれ」
天井からハジメが舞い降り、司会の男に蹴りを叩きこみ、その体を吹き飛ばす。
そのまま着地すると、義手で水槽を殴りつけてガラスを破壊する。
「ひゃう!」
流れ出る水の勢いでミュウは外に放り出されるが、ハジメが優しく抱き留める。
「よぉ、ミュウ。お前会うたびにびしょ濡れだな?」
「……お兄ちゃん?」
「ああ、そうだ。お前に髪を引っ張られ、引っ掻かれ、眼帯を奪われたハジメ兄ちゃんだ」
ハジメの言葉にミュウは瞳を潤ませ、
「お兄ちゃん!」
ハジメの首元に抱き着いて嗚咽を漏らす。ハジメは彼女をなだめるように背中を優しく叩き、手早く毛布でくるんでやる。
その二人を取り囲むように黒服を着た男たちがハジメとミュウを取り囲む。客達はどうせ逃げられるはずがないとでも思っているのか、ざわついているが、逃げ出そうとはしない。
「おい、クソガキ。フリートホーフに手を出すとは相当頭が悪いようだな。その商品を今すぐ返すなら、苦しませずに殺してやるぞ?」
「テンプレだなぁ……まあいい。ミュウ、ちょっとの間耳を塞いで、目を閉じていろ」
その言葉にミュウは不思議そうにしながらも、素直に両手で耳を塞いで目をつむり、ハジメの胸元に顔を埋める。
「てめぇ、何無視してんだ、アァ!?」
完全に無視された男が吠えた瞬間、ハジメのドンナーが男の頭を吹き飛ばす。
その場の全員が呆けたように目を丸くし、男が倒れるのを呆然と見つめる。
その隙にハジメは更に連続で発砲し、彼らが正気を取り戻すまでに、都合11人を撃ち抜く。
ここに来てようやく客たちは悲鳴を上げながら我先にと出口に殺到し始める。
だが、ハジメはそいつらを追うつもりは無い。追う必要がないと言ったほうが正しいか。
「逃げたところで、逃げられねぇよ」
そう言うとハジメはドンナーをホルスターにしまい、混乱と恐怖に慄く黒服たちを後目に空力でホールの天井まで跳び上がり、事前に開けておいた穴から地上に躍り出て、そのままさらに上空に駆け上がる。
「ユエ、避難は完了。そっちもいいならやっちまえ」
『ん』
その瞬間、少し離れた空に突然蒼い炎龍が4体出現する。ユエが新たに開発した魔法、蒼龍だ。以前作成してお蔵入りとなった雷龍だが、あれは雷が偽王のイメージと結びついているがゆえに偽王のようになってしまった。ならば炎ならば大丈夫だろうと雷龍の構想を元に蒼天を使って編み出されたのが蒼龍だ。
全てを灰燼に帰す龍はそれぞれ別の方角に向かって突き進み、取り残していたフリートホーフの重要拠点に喰らい付く。
瞬間、凄まじい轟音と爆炎が轟くが、それは周囲の関係のない建物は被害を及ぼさず、拠点のみを焼き尽くす。
それを確認したハジメはそのまま地上に降り立ち、ミュウにもういいぞ、と声をかける。
ミュウは目を瞬かせながら周囲を見渡し、
「もう大丈夫だ。怖い人たちはみんな俺がやっつけたからな」
「……本当?」
「ああ、本当だ。兄ちゃんは嘘はつかないからな」
かつて自分に向けられた言葉をそのまま口にするのは少々恥ずかしくもあるが、我慢してハジメはミュウの頭を撫でる。
ミュウが思わず目を細めていると、
「うまくいったようだな……ふむ、その子がミュウか」
「兄貴!」
その声にミュウが顔を向けてみると、そこにはハジメに似た顔立ちだが、ずっと大きな体に長い髪をした男がこちらに歩いてきた。その威圧感にミュウが怯えるようにハジメに捕まる腕に力を籠め、不安げに視線を彷徨わせる。
「兄貴……ミュウが怖がってるぞ……」
「む、すまんすまん」
そう言うと神羅はすっと身をかがめてミュウと視線を合わせる。
「初めましてだな。我は南雲神羅。ハジメの兄だ」
「?……お兄ちゃんのお兄ちゃん……?」
「うむ、そうなるな……ミュウ。よく頑張ったな」
そう言って神羅は穏やかに微笑みながら優しくその頭を撫でる。
それに伴い、ミュウは緊張の糸が解けたのか、大粒の涙を流しはじめ、そのまま盛大に泣き始める。
神羅は嫌がったりせず、ミュウをなだめる。その手際にハジメは兄貴には敵わないなぁ、と苦笑を浮かべた。
「倒壊した建物十七棟、半壊した建物三十四棟、消滅した建物十三棟、死亡が確認されたフリートホーフの構成員五十四名、再起不能四十四名、重傷二十八名、行方不明者百三名……これはまた随分と派手にやってくれたね」
「ボス含めた幹部連中はちゃんと引き渡した。依頼はしっかりこなしたし、住民に被害は出していないはずだが?それに、重要そうな書類もちゃんと回収して提出しただろ?」
冒険者ギルドの応接室で、報告書片手にジト目でハジメを睨むイルワだったが、ハジメはその視線を正面から見据え反論する。ミュウはユエとシアとティオが離れたところでお菓子を食べさせており、イルワの前にいるのはハジメと神羅だ。
「しかし、オークションの客をみんな捕まえて教会に引き渡したのは流石に聞いてないんだけど?」
そう言ってイルワは神羅を睨むが、神羅は腕を組み、
「だが、奴らを罰するなら、それぐらいしなければなるまい?教会は気に食わんが狂信な所は使いようがある。それに、奴らの汚点だ。奴らに拭かせるのが道理だろう?」
ミュウ救出時、神羅はオークションにいた客の大半を会場から逃げ出したところで捕まえており、その後、彼らを人身売買の証拠書類の一部と共に匿名で教会に押し付けていたのだ。
あの場所にいた連中はほとんどが貴族やそれに準ずる連中。ならばたとえ保安署が捕らえたところでコネだのなんだので釈放されかねない。だが、あの狂信者共ならば神の教えを愚弄した奴らを決して許しはしないだろう。まあ、中には生臭坊主もいるかもしれないがそこまで面倒は見切れない。
イルワははあ、と深いため息を漏らす。
「まぁ、やりすぎ感は否めないけど、私達も裏組織に関しては手を焼いていたからね……今回の件は正直助かったといえば助かったとも言える。彼等は明確な証拠を残さず、表向きはまっとうな商売をしているし、仮に違法な現場を検挙してもトカゲの尻尾切りでね……はっきりいって彼等の根絶なんて夢物語というのが現状だった……ただ、これで裏世界の均衡が大きく崩れたからね……はぁ、保安局と連携して冒険者も色々大変になりそうだよ」
「まぁ、元々、其の辺はフューレンの行政が何とかするところだろ。今回は、たまたま身内にまで手を出されそうだったから、反撃したまでだし……」
「唯の反撃で、フューレンにおける裏世界三大組織の一つを半日で殲滅かい?洒落にならないね………しかし、こうなると君のランク、今のままという訳にはいかないな……」
イルワの言葉にハジメは首を傾げる。
「当然だよ。緊急だったとはいえ正式な依頼だったから正当に評価しないといけないし、誰にも不可能だと思われていた事を成し遂げたんだ。これで金にしなかったら、やっかみ以前にギルドが公正に評価を行わないと思われるからね」
「それもそうか………だったら、そのまま俺たちの名前を使ったらどうだ?見せしめもかねて派手にやったし、それに支部長お抱えの金だって事にすれば相当抑止力になるんじゃないか?」
「おや、いいのかい?それは確かに助かるけど……」
「まあ、これぐらいはな。後ろ盾にもなってくれるんだし」
「分かった。それじゃあ遠慮なく使わせてもらうよ……さて、それで、そちらのミュウ君についてだけど……」
そのタイミングで神羅はユエ達に声をかけ、彼女たちはソファに座る。ミュウは不安そうにハジメ達を見渡している。また彼らから引き離されるのではないかと不安そうだ。
「こちらで預かって正規の手続きでエリセンに送還するか、君たちに預けて依頼と言う形で送還してもらうか……どちらにする?」
「ふむ、安全を考えればそちらに預けるべきだが……」
神羅が腕を組みながらそう言うと、ミュウはびくりと肩を震わせ、涙目で神羅を見やる。だが、そんなもので神羅は動じない。たとえ一時悲しませることになろうと、それは楽しい思い出で癒してやれる。だが、死ねばそれすらもできない。
「神羅さん……私、絶対、この子を守って見せます。だから一緒に……お願いします」
「神羅………」
シアとユエが固い決意を宿して神羅を見つめる。ティオは判断を任せるように沈黙したまま3人を見つめている。あるいは、ほとんど何もしていなかった自分に、意見を言う権利はないと思っているか。
「……兄貴。俺としても、このままはい、さよならはない。ここまで情を抱かせたなら、最後まで責任を果たしたい。それに、安全と言う点なら、むしろ俺達と一緒のほうがいいんじゃないか?」
ハジメの言葉に神羅はほう?と眉を動かす。
「怪獣と遭遇した時、冒険者だと、手も足も出ず、そのままやられる可能性が高い。でも、俺達なら、最悪誰かがミュウを連れて逃げることができる。違うか?」
もちろん、そんな未来は絶対に良しとしない。何が何でも覆して見せる。
そんな気概を感じたのか神羅は無言でハジメを見つめ、
「………分かった。確かにそうかもしれん。イルワ。こちらで彼女を送り届ける事にする」
「神羅さん!」
「お兄ちゃん!ありがとう!」
ユエ達は目を輝かせ、ミュウも笑顔を浮かべる。
「悪いな、兄貴」
「気にするな。ただ大迷宮はどうする?確か道中に……」
「その大迷宮の近くにアンカジって言う国があったから、そこのギルドに一時預ける」
「うむ、それならいいだろう」
神羅が頷くの見て、ハジメはふう、と息を吐き、ミュウに視線を向ける。
「それじゃあ、ミュウ。しばらく一緒だな」
「うん、お兄ちゃん!」
ミュウが満面の笑みでハジメを見上げながらそう言うと、ハジメの口元が一瞬ひくついた後、すぐさま緩み、優しくも嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「おお、あんな表情のハジメさん、初めて見ました」
「ああ、あいつ、今までは立場としては末っ子だったから……」
「……なるほど。お兄ちゃんと言う立場に憧れがあった、と」
その後、イルワとの話し合いを終え、宿に戻った彼らは出立の準備を整えた翌日、野暮用として水族館に展示されていたリーマンと呼ばれる人面魚(ライセン大迷宮脱出時、シアが見たと証言していた念話で喋れる人面魚。デート中にハジメと意気投合したらしい)を今回の件の報酬で買い取り、川に逃がしてやったりもしながら、彼らは旅を再開させた。