「グレードアトラスター、艦回頭!撤退を開始しました!」
「何?撤退だと?」小野寺は驚愕して聞き返す。「偽装ではないのか?」
「全速でカルトアルパスから遠ざかっています。偽装ではありません」
「・・・」小野寺は沈黙した。その表情には怒気が漲っていた。
怒りを隠さぬ小野寺を見て、副長が困惑気味に切り出す。
「艦長、敵は我々と戦っても勝ち目がないと悟り撤退するのでしょう。
これでカルトアルパスは守られました。喜ばしいことではありませんか?」
「連中が勝ち目を見出すとすれば、接近してのゼロ距離砲撃しかない。
当然そう来ると思っていたが、まさか背中を見せて一目散に遁走するとはな。
武人の風上にも置けぬ連中だ」
「グレードアトラスターは、かの帝国にとっては虎の子らしいですからな。
喪失を恐れた、いわゆる艦隊保全主義という奴でしょう」
「それにしても不思議だ。これだけの事をしておきながらなぜ逃げられると思ったのか。
連中は我々が何もせず見過ごすとでも思っているのか」
「我々は攻撃に対する反撃しかしていませんから、逃げれば追撃しないと踏んだのでしょう」
「一昔前の我々ならそれも通用したかもしれんがな。とんだ見込み違いだ」
小野寺は、グレードアトラスターを敵ながら心のどこかでリスペクトしていた。
大和の生き写しのような外観がそうさせたのかもしれない。
沈めるには惜しい、潔く敗北を認め正々堂々と降伏するのであれば、
これを受け入れて艦と乗員の命を救う・・・そんなシナリオをひそかに描いていた。
しかし、小賢しい撤退を見てそんな気持ちは綺麗さっぱりと消え去った。
不意に、通信員の声がCICに響いた。
「司令部より回答あり!”武器使用の緩和を許可する。全兵装使用自由。”以上です!」
CICに歓声が上がった。
「よし、対艦ミサイル発射用意!目標はグレードアトラスター!」
小野寺は指示を出しながら、凶悪な微笑みを浮かべていた。
(貴様らの間抜けな行動をあの世で後悔するがいい。
一瞬だが、グラ・バルカス帝国海軍の栄光を夢見る時間ぐらいはあるだろう)
「艦長、やはり撤退すべきではありません。
今からでも遅くない、反転して敵を攻撃するべきです」
副長がラクスタルに訴える。
「貴官の気持ちはわかる。私とてできるものならそうしたい。
しかし、いずれにせよ手遅れだろう。そもそもこの戦争自体が・・・」
ラクスタルがそこまで言ったとき、監視員が叫んだ。
「敵艦、ロケット弾を発射!本艦に向かってきます!」
「何だと!」シエリアが驚愕の叫び声を挙げた。
「そんな・・・そんな馬鹿な・・・日本が攻撃してくるなんて・・・」
「回避しろ!面舵一杯!」航海長が叫ぶ。
しかし、満載排水量72,800tの巨体はそう簡単に針路を変えられない。
「おのれ・・日本め・・何が平和憲法だ!話が違うではないか!
我々を油断させて戦争に引きずり込むとは、この卑怯者がああ・・ぐあっ?」
叫び続けるシエリアの横っ面を、副長が渾身の力で張り倒した。
シエリアは吹っ飛び床に倒れた。
「な・・な・・な・・・」
ショックのあまりシエリアは言葉が出ない。
親にすら叩かれたことはなく、甘やかされて育てられた彼女にとって、
屈強な軍人からいきなり殴られることなど想像もしていなかった。
「この馬鹿女が!貴様のせいで、貴様のせいで我々は・・」
「よせ」鬼の形相でシエリアを罵倒する副長を、ラクスタルが制止する。
「彼女に責任はない、彼女の妄言を受け入れ作戦を決定した私の責任だ」
ようやく舵が効き、艦は右に回頭する。しかし、
「ロケット弾、追いかけてきます!回避できません!」
監視員の悲痛な報告に、艦橋の全員が凍り付く。
「やはり誘導弾か、まあそうだろうな」ラクスタルは呟き、静かに口を開いた。
「諸君、見ての通り敵は次元の違う力を持っている。我々がかなう相手ではない。
生還の可能性は低い。しかし、どんな状況でも最後まで諦めずに戦うのが帝国軍人だ。
主砲、副砲、高角砲、全ての砲を使ってロケット弾を迎撃せよ」
直後、グレードアトラスターの甲板が炎と黒煙に包まれた。
使える砲を総動員して張られた弾幕は、一見鉄壁のように見えた。
しかし、海面スレスレを亜音速で巡行し、突入時にはマッハ3まで加速する対艦ミサイルを、
回避運動しながら迎撃するのは、いかに練度の高い砲兵でも不可能だった。
「艦長、無念です」副長が唇を噛みしめる。
「どうせ倒れるなら前向きに倒れたかった。背中を斬られるとは末代までの恥です」
「それも国が存続していればの話だ。国が滅びれば恥と思う者もいなくなるからな。
このまま戦争を続ければ、祖国は間違いなく日本に滅ぼされるだろう
我々の犠牲を教訓に、政府が方針を変えてくれることを祈るだけだ」
その時、ミサイルが不意に右に向きを変えた。
一瞬、回避に成功したかと思ったのもつかの間、ミサイルは再び左に変針し、
グレードアトラスター目がけて一直線に突っ込んできた。
全ては、着弾時の破壊力を最大化するためプログラミングされた挙動だった。
「ロケット弾、着弾します!」
「総員、何かにつかまれ!」ラクスタルが最後の指示を出す。
正気を失い床に這いつくばっているシエリア以外の全員が、手近の物を掴んだ。
ミサイルは、艦橋のほぼ真下、艦中央部の舷側に着弾した。
強大な運動エネルギーが分厚い装甲を易々と食い破り、艦内に突入し炸裂した。
シエリアは床に横たわっていた。
衝撃波によって、彼女がいた艦橋は原型を留めず破壊されていた。
天井が崩れ落ち、圧死しても全くおかしくない状況だったが、
天井と壁と床の間に僅かな生存空間が生じ、そこにはまり込んでいた彼女は、
重傷を負いながら奇跡的に致命傷は免れていた。
「あ・・あ・・」うわ言のように声を絞り出す彼女は、
自分と壁の間に柔らかい物があることに気付き、それを見た。
艦長のラクスタルだった。
彼は衝撃で壁に打ち付けられ絶命し、割れた頭部から脳漿を飛び散らせていた。
「ひやあああああ」シエリアは絶叫した。
「誰か、誰か、助けて!誰か!」
だが返事はなかった。彼女は艦橋で唯一の生存者だった。
「嫌だ・・私は軍人じゃない・・外交官だ・・こんなところで死にたくない・・
死ぬのは嫌だ・・怖い・・こわい・・」
泣きながら呟く彼女を、弾薬庫への誘爆による二度目の衝撃波が襲った。
シエリアの意識はそこで途切れた。
「グレードアトラスター、轟沈します!」
監視員が報告するまでもなく、CICのモニターには敵の壮絶な最期が映し出されていた。
艦は中央部から真っ二つに割れ、艦首と艦尾を上にして急速に沈んでいった。
グレードアトラスターが完全に水中に没し、海は静けさを取り戻した。
全員が無言でモニターを凝視していたが、小野寺が沈黙を破った。
「さて、アンタレスの生き残りはもう帰還したか?」
「はい、既に全機が母艦に収容され、護衛艦と共にグラ・パルカスに向けて航行中です」
「連中にも仲間のところに行ってもらおうか。対艦ミサイル発射用意」
「艦長、お待ちください」副長が口を挟んだ。
「無警告の攻撃は政治的に面倒なことになりませんか?
せめて降伏勧告を行ってはいかがでしょうか」
「必要ない」小野寺は冷たい口調で返した。
「我が国とグラ・パスカス帝国は、事実上戦争状態にある。
戦争中の敵を攻撃するのにいちいち警告してやるお人よしはいない。
1隻でも多くの敵艦を沈め、1人でも多くの敵兵を殺し、敵の戦力を減殺する。
これがこの世界の戦争における正義だ」
副長は沈黙せざるを得なかった。
小野寺が最後の命令を発した。
「対艦ミサイル発射!目標は敵空母機動部隊!」
8基の対艦ミサイルが、300km彼方の敵に向けて発射された。
十数分後、敵艦を示す8つの輝点はCICのレーダーから消滅し、
空母機動部隊はグレードアトラスターと同じ運命を辿った。
違いがあるとすれば、乗員達が日本からの攻撃と気付かずに、
訳のわからぬままに逝ったことぐらいであった。
かくして、カルトアルパス沖海戦は終結した。
この時点で、日本を敵に回したグラ・パルカス帝国の敗北は決定的だったが、
政治による解決の道が閉ざされたわけではなかった。
しかし、時をほぼ同じくして発生した事件が、帝国の運命を根底から覆すことになる。
そのことを知るものは、今はまだ誰もいなかった。