「私は石となり、彼女に寄り添う」
はじめ、私は彼が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「どういう……ことでしょうか……?」
「私が所有する魔導書の中に、己を石と化す魔法の記載があった。これを用いて私自身を石とし、そして彼女に寄り添うつもりだ」
困惑する私のあまりに稚拙な質問にも、彼は明快に、そして淀みなく答えた。その様は、いつもの彼のように明晰で、そして美しく見えた。
彼は、人間にしては珍しく、強大な魔力で数多の魔法を行使する魔法使いだった。私達ですら使用に困難を極める難度の高い古の魔法すら、彼は使いこなすことが出来た。
だが、私達から見れば優秀な人間であったとしても、それがそのまま人間の間での評価に繋がることはなく……彼は人間界では異端として迫害されていたそうだ。彼が私達の村に逃げるように迷い込んだのは、今から2年ほど前のことだ。
彼はこの村で一命をとりとめたあと、自身を助けた一人の女性に対し、恋心を抱いた。私達の村の女性の中でも特に美しいその女性レオノーラは、私の友人でもあった。
そう。私の想い人は、私の友人を慕った。私ではなく。
彼はレオノーラに自身の想いを幾度となく打ち明けたのだが、レオノーラが彼に対し、心を開くことはなかった。その度に彼は、共通の友人である私に、そのことを嘆き、なぜ自分ではダメなのか……と途方に暮れていた。
見かねた私は、一度レオノーラに問い正したことがあった。レオノーラは少しだけ頬を染め、しかしどこか困ったような素振りで言い辛そうに、こう答えていた。
――私たちと彼では、命の長さが違いすぎる
もし私が彼を愛してしまえば、彼が世を去るその時、
どれだけの悲しみに包まれるかわからない
私は、それが怖い
私たちに比べ、人間の寿命はとても短い。もし自分が彼を愛してしまえば、彼は確実に自分よりも先に寿命を迎え、そして世を去る。
愛する者に取り残され、その後の長い年月を彼に恋い焦がれながら一人で生きていく……同じく彼を愛する私にも、その辛さは、痛いほどよく分かった。
そのことを彼に伝え、彼にレオノーラへの理解を促したその翌日のことだった。彼が『石となり、彼女に寄り添う』と言ったのは。
「正気なのですか?」
「正気だ。キミは私が気が触れたとでも思うのか」
「石なのですよ? 愛するレオノーラと睦み合うことも、言葉をかわすことも、抱きしめることも出来ず、ただひんやりと、レオノーラに寄り添うしか出来ないのですよ?」
「構わない。彼女が私を所持し、そして幸せを感じてくれさえすれば……悠久の時を彼女と共に過ごすことができれば、それ以上私は何もいらない」
そうして翌日。私の制止を聞かず、彼は私の目の前で、自らに魔法をかけた。
――このことを彼女に伝え、そして私を彼女の元に運んでほしい
その言葉を最後に、彼は、物言わぬ青く澄んだ美しい宝石へと、その身を変えた。
私は彼の最期の願いを叶えるため、宝石となった彼をその手に、レオノーラの元へと足を運んだのだが……
――そんな姿になった彼を、愛することなど出来ない
そんな宝石などいらない。その姿を見る度、辛くなるだけだ
そう言って、彼女はその宝石を……変わり果てた姿となった彼のことを拒絶した。レオノーラがその言葉を発した瞬間、美しい形だった彼は、ほんの少しだけ、まるで陽の光に当てられた氷のように、トロリと溶けた。
彼の宝石を持ち帰り、彼が残した魔導書を開く。そこには、彼が使った魔法の詳細が書かれていた。青く輝く彼の姿は、彼の純粋な心と冷静で深い知識の象徴。磨かれた宝石のように整った形状は、彼が研鑽を積み、己を極限まで高めた証……彼は彼ゆえに、このような美しい宝石となったのだと思うと、私は涙が止まらなかった。
彼がレオノーラに拒絶されたときに少しだけ溶けたのは、彼自身の愛を否定されたから。
魔法を使用した者は、その瞬間抱いていた強い気持ちを宿した石となる。レオノーラのことをただ愛していた彼は、その気持ちを抱いて宝石となった。その気持ちを否定され拒絶されたとき、石は少しだけ溶けるそうだ。
宝石となってまでレオノーラに寄り添うという強い気持ちを拒絶された彼は、今どのような気持ちで、静かに沈黙を守り通しているのだろう。溶けた彼の身が、私には、彼の涙に思えて仕方がなかった。
私は彼を手に取り、指でそっと、彼の身に触れた。
「私が、レオノーラの代わりにあなたに寄り添います」
私は彼の所有者となることを決めた。宝石に姿を変えてまでレオノーラに寄り添い、彼女を幸せにしようとしただけの彼が、レオノーラに拒絶され打ち捨てられたとしたら……彼女に拒絶されたという記憶を抱え、永遠に続く時間を過ごさなくてはならないとしたら、彼があまりにも不憫すぎる。むなしすぎる。
ならば、私が彼に寄り添い、そして共に永遠の時を過ごそう。もはや彼が私を認識しているかどうかはわからない。意識があるかどうかすらもわからない。だが、愛する人に拒絶された彼と永遠の時を過ごすのは、彼に振り向かれなかった私。そんないびつな関係も、悪くない。
「レオノーラじゃなく、私でごめんなさい。でも私もまた、あなたを愛して、そして拒絶すらされなかった者ですから」
彼が作ったランタンの明かりに照らされ、彼の青い身体が、少しだけ輝きを増したように見えた。
彼の所有者となる決心をして、一体何年の月日が経ったのだろう。私はその後あの森を離れ、極東のこの地で、小さなお店を開いて生活をしている。レオノーラとはもう何百年も会ってない。時代が代わり、彼女ももう生きてはいないのかもしれない。
今日、店に久々に客が訪れた。彼の宝石に興味を抱いたその客は、私にその宝石のいわれを問い、私もそれに答えた。
……もっとも、私には嘘しかつけなかったが。
あの魔導書には、こう書かれていた。
――その石の所有者となった者は、一つだけ不都合を抱える
その不都合というのが、『嘘しか言えなくなる』というものだと言うことを知るのは、ずっと後になってからのことだった。彼は誠実で頭の回転が早く、何よりも事実と結果を重視する人だった。その彼が宝石となった今、持ち主が嘘しかつけなくなるというのは、ずいぶんと皮肉なものだと、気付いた時には思ったものだ。
……そう。嘘なのだ。あの客に伝えたことは、すべて嘘なのだ。
でも。
「……久々にあなたたちの話が出来ましたね」
彼の存在を誰かに話すことが出来たという喜びが、じんわりと胸に広がった。あの客と共に堪能した紅茶の残りを静かに飲み干す。すでに熱を失った紅茶は、私の口にとても優しい。
彼の魔法が未だ残るランタンの輝きが増した。彼自身の色とは正反対の、明るく暖かいランタンの魔法の炎が、彼の涙をキラリと輝かせていた。
終わり。