「.....今回は誰も来ないか」
クリームヒルトは冥界の玉座に座りながらそう呟いた。彼女は現実世界では就寝している。冥界の玉座は夜のみ開放されるように設定しているのだ。
彼女が就寝し、冥界の王であるクリームヒルトの魂が玉座に到着することで阿頼耶を通してあらゆる可能性の繋がりが発生するのだ。
「無論、死を越えたいと願う者が出ないに越したことはないが....」
それが彼女にとって最大の理想であるものの、やはりこの世界でもそれがまかり通るほど甘くはなかった。
怪人に限らず、やはり人間でも死を越えて生をやり直したいと願う者がこの玉座に現れることも稀にある。無論、素直に引き返す者や、クリームヒルトと戦闘をして途中で引き返す者がほとんどだ。
「....そろそろ戻るか。」
今まで訪れてきた者たちを思い出し、そろそろ現実の世界に戻ろうとした時だった。どこからか海の香りが漂ってきた。いや....それだけではない。
「....海に変わった。」
ふと気がつくと、辺り一面が海へと変貌していた。海水は波打ち跳ねた水が衣服を濡らす。そして上空からは強烈な日差しが差し込む。
「あらぁ、貴女が冥界の王様かしら?」
「なるほど、お前が今回の来訪者か。」
海面をパシャパシャと歩きながら、緑の巨体をした魚人が現れた。その大きさはクリームヒルトを優に上回り、まるで剣山のような鋭い牙が生えていた。
「その通りだ、私がこの冥界を統治している。」
「ふふふ....だったら話が早いわ。私は深海王、さっそくだけどこの世界は私が支配させてもらうわ。」
「ほう、それは死を越えるためか?」
「まあ結果的にそうなるわねぇ、死を越えるなんてどーでもいいけど。」
「....つまり、それは目的ではないと?」
「そうね....だってほら、冥界を海で満たすなんて、ロマンチックだと思わない?」
深海王不敵な笑みを浮かべながらそう宣した。そしてクリームヒルトは思い返す。過去に独裁者の人間が何人かここに訪れたことはあるが、それでも全員現実へ帰還することを望んでいた。しかし、冥界そのものを乗っ取るなんて発想をしたのは、深海王が初めてだ。
「良いだろう、その理想を果たしたいというのならば、私を倒してみせよ。」
「ええ、言われなくとも....ね!」
そう叫びながら深海王はまるで砲撃のような鉄拳を放った。それに対してクリームヒルトも拳に力を込めて真っ直ぐと放つ。
「ぐっ....ガァッ!」
結果、クリームヒルトのパワーが勝ち、深海王の腕を粉砕した。腕の地肉が砕け、足元の海面が血色に染まる。しかし....
「.....やっぱ貴女、あの男に似てるわね。けど、拳の方を見てごらんなさい。」
「これは....」
クリームヒルトは自身の拳を見ると、赤く腫れ上がり、血が所々から垂れていた。そして、何をされたのか理解した。
「なるほど、腕の中に毒針を仕込んでいたのか。」
「その通り、オニダルマオコゼオコゼの毒よ。フツーの人間だったら毒を注入されただけで死ぬんだけど、貴女は身体が丈夫なのねぇ。」
そう言いながらも深海王は海水を吸収し、一瞬で腕を蘇生させる。いや、むしろ身体が少しだけ肥大化していた。
「さあ、まだまだ深海の恐ろしさはこんなものじゃあないわよ。死にたくないなら、降参しときなさいな。」
「いいや、むしろ興味が湧いた。お前のその力が生前のものかは知らないが、存分に披露しろ、その海の力を。」
「ふふふ、後悔するんじゃないわよォ!」
深海王は、今度は海面へ潜ったかと思うと海水を身に纏いながら猛スピードでクリームヒルトへと突進した。
基本的に水は、ホースレベルの放水ならば呼吸困難や体温の低下という点を除けば人体に与える影響はあまり強くはないだろう。しかし速度の出た水流は単純に威力が高い。例えば水上オートバイから出る水流は人体を破壊できる威力があるのだ。
「その身体、打ち砕いてあげるわ!」
「.....」
激しい水流を身に纏う深海王に対し、クリームヒルトは静謐な雰囲気で回復した手で剣を抜き、そして指揮棒のように下から上へと剣を振り上げた。瞬間、衝撃波が扇状に広がり海水を吹き飛ばした。無論、深海王も衝撃波によってダメージを負う。
「ガァァァッ!?」
「今度は回復の隙を与えん。」
すかさずクリームヒルトは海面を疾走し、深海王の懐へと潜り込んで腹部に剣を突き刺す。そしてそのまま胴体を斬り払おうとした、その時だった。
「ようやく来てくれたわね。」
「....っ」
深海王はその血だらけの巨碗でクリームヒルトを逃がさんとしっかりと掴む。そしてなんと、信じられないことに深海王は「帯電」をしていたのだ。
「貴様、まさか....」
「電気ウナギを遥かに上回る電圧、味わってみなさい。」
その時、まるで雷が落ちたかのような電気が弾ける音が炸裂した。電気ウナギは、基本的に獲物を仕留める時には600ボルトほどの電圧を放出する。しかし深海王の電圧は10万ボルトに匹敵し、更に今のクリームヒルトはかなり濡れている状態ため電流が非常に流れやすい状態になっている。例え丈夫な戦士だろうとこれを喰らえばひとたまりもないだろう。
「_______」
「ふふ、うふふふふふふ!!」
クリームヒルトは声にならない叫びをあげていた。それに対して深海王はまるで愉悦のような笑みを浮かべながら放電を続ける。そして、グッタリと黒焦げになったクリームヒルトを見て、不敵な笑みを浮かべる。
「うふふ....まさか私の放電をくらって原型を保ってるなんて思ってもいなかったわ。けど、貴女の役目もここまで....さようなら、冥界の王様。少しは楽しめたわ。」
そう言い放ち、まるでゴミを捨てるかのように海面へと放り投げた。しかしその時、突如彼女の体から謎の光がクリームヒルトの身体から放たれる。
「っ!?」
「....ああ、少し予想外だが驚いたよ深海の主よ。実際に喰らってみると、単純な痺れや痛みだけでなく、電圧によって血液も沸騰するのだな。」
「貴女....あれだけの電撃を喰らって生きてるなんて....」
「電撃を喰らうのは初めてだった。故に意識は失いそうだったが....気力を出して治癒はできたがな。」
「....っ....っ!」
電撃で黒焦げとなっていたクリームヒルトの肉体がまるで時間を巻き戻したかのように元に戻っていく。それを見て深海王は憤怒し、怒りのあまり口から血が滴り落ちる。
「おいおい、口の中が切れてるぞ。」
「もう絶対ィィィィッッ!許さなァァァァァイ!!!」
あまりに呑気なことをいうクリームヒルトに怒りの頂点を超え、深海王は大量の海水を飲み込んだ。そしてそれをクリームヒルトに向かって放出する。
「消え去りなさいっ!
深海王の口から放出された海水は、奇妙なことに白く美しい色をしていた。それまるであらゆる存在を浄化するような潮水で、これを受けたものは消滅してしまいそうなほどだった。
「....面白い。」
それを見てクリームヒルトは笑みを浮かべ、剣に死の概念を纏わせる。そして目の前に迫ってくる放水に向かって全力で剣を振り下ろした。
それはまるで、モーセの海割りのように海水が水平線まで届かんと両断される。それに深海王もそれに巻き込まれて肉体が四散して吹き飛んだ。
「.....何よこれ、デタラメすぎるじゃない。」
「....」
深海王が倒されたことで、徐々に海の異世界が消失しようとしていた。クリームヒルトは何も言わずに剣を納めて、異世界が消失するのを黙って待っていた。
「.....貴女、ずっとそれを続けるの?」
その時、不意に動けないはずの深海王が一言疑問を投げてきた。その声が聞こえたのか、クリームヒルトの視線が背後の深海王と僅かにぶつかる。
「....貴女も知ってる通り、怪人に限らず人間だって興味のために考えを改める生き物。生き物は死んだ後に.....やっぱ死んだことを取り消したいなんて考えることなんて当たり前のことなのよ。どんな生き物だって生きてる実感を優先したがるもの....」
「.....」
「それでも....貴女はそれを続けるつもり?まあ....良いわ、もう疲れたし、楽になれる場所で、貴女のそれを遠くから見守ってあげるわ.....ふふふ、ふふふふふふ.....」
そう不敵な笑みを浮かべながら深海王は玉座から消滅していった。海の異界も消え、さっきまで濡れていた衣服がまるで嘘だったかのように乾いてた。
「....それでも私は、私の真理を貫き通すだけだ。死は一度きりだからこそ、人間をやめた怪人であろうとも死から逃れるための魔道へと堕とさない。」
そう言葉を残して、クリームヒルトは冥界から去って再び現実へと戻っていった。