リーガル・ゲイ   作:ケツマン=コレット

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前編

「何と耐えがたい日常なのでしょうか。彼女はその奴隷のような生活を1年間も耐えたのです。たった一年などではありません。365日。時間にして8760時間、それはあまりにも長すぎる。こんなことがあっていいのでしょうか」

 また始まった。

 東京地方裁判所。証言台に立つ原告の周りを歩きながら、オペラ歌手を思わせる身振り手振りで弁護を語る田所を見て、同じ原告の共同代理人である宇月はそう思った。

 裁判も最終に差し迫り、勝訴を確信したときにかならずといっていいほど上映される演劇だ。そんなことをする必要は全くない。しかし、自分の勝利を詠い、相手の被告人や代理人のことを上から目線でなじることが、どうしても楽しくてやめられないのだろう。

 そんなメチャクチャなことをする人間が宇月の雇い主、上司だというのだから笑えた物じゃない。

 田所は弁護士であればだれもが聞いたことがある名だった。

 受けた依頼は必ず勝訴へ導く、法廷の魔術師――だが、その実態は……

 

 誇張された証言や証拠。

 

「その際に、あなたはメスブタと罵られた。そうですよね」

 綺麗に化粧を整えた原告は「はい」と頷いた。

その様子にしいたげられたものの哀愁はない。

「さらにですよ、この写真を見てください」

 田所はA4サイズの拡大された写真を手に取り、裁判官に見せつける。「これはガッツポーズ淫夢君という名の原告が大切にしていたガラスの置物です。見てください、原型をとどめず粉々になっています。これは被告人がその怒り狂ったときに投げつけられたものです」

「ちょっと待ってください」

 被告の代理人が手を上げて立ち上がる。「確かにそれを割った時に被告人は感情が不安定な状態でした。しかし、それは投げつけたのではなく体を捻った拍子に、腕に当たっただけで、それにメスブタと言った覚えも――」

「記憶にないなどという政治家のようなくだらない言い訳はやめたまえ」

 田所はそう相手代理人の言葉を遮った。「言ったほうは覚えていなくても、言われたほうは覚えている。よくある話ですよねぇ」

 

 買収された証言者。

 

「はい、確かに喧嘩のような声が聞えていました」

 隣のアパートに住んでいたという20代の男は、証言台に立ちそう語った。

「どれぐらいの大きさでしたか」

 田所が質問する。

「それはもう、ハッキリと耳に聞こえるぐらいでした」

「このように、近隣の住民の耳にも入る程に原告への罵りは酷いものでした。日常的に言葉でのDVが行われていたことは明らかでしょう。以上です」

 田所の質疑応答が終わると、次は相手代理人の番になる。

「あなたは声が聞えたとおっしゃいましたが、それはどれほどの頻度でしょうか」

「えーっと、ほとんど毎日」

「本当ですか」

 被告代理人は目線を鋭くして問う。「確かに言葉を荒げたことが何度かあったと、被疑者は認めていますが、喧嘩の度にそうなった覚えはないともおっしゃっています。そうなるあなたの発言と少々食い違う部分がありますが……これはどういうことでしょうか」

「えっと、いやぁ」

 証人の男が目をきょろきょろと動かし、明らかな挙動不審になると「裁判長」と田所が手を上げて立ちあがる。

「証人はこういった場所が初めてで、少し緊張しているようです。そのような状態では正常な応答は不可能です。ですから質問する際には――」

 田所は男の方に一瞬、目を合わせると、素早く人差し指と親指をこする、札をはじくジェスチャーをした後、指を二本立てた。「威圧感をあたえないようしていただきたい」

「質疑応答は、証人に配慮するように」

 裁判官が静かにそういい、代理人が再度質問を投げようとしたとき、

「確かに、この耳ではっきりと聞きました!」

 先ほどの狼狽は嘘かのように、男はきっぱりとそう答えた。

「あ……いや、ほ、本当ですか。毎日ですよ」

 突然のことに代理人は戸惑いながら、再度そう聞く。

「はい、毎日です」

「ですが、それでは被告人の発言と整合性が」

「確かに、毎日ではないのかもしれません」

 田所が立ち上がってそういうと、証人の隣まで歩いていくと証言台に両手を置いた。「しかし証人は、ここではお答えすることができませんが、あるどうしようもない理由にてほぼ毎日、24時間家にいる状態でして。事あるごとに隣の家から喧嘩の声を耳にしたら、それは強く印象に残るものです。そうですよねぇ」

 田所が発言を促すと「はい!」と男は背をそって返事をした。

「集中を乱されることも多かったでしょう?」

 苦虫をかみつぶしたような顔をする被告代理人を横目に、田所は質問を重ねる。

「はい!」

「とても不快に思ったのでは?」

「はい!」

「そうなると、毎日のように聞こえたと思ってもおかしくはないし、日常的に暴言があったのは確か……ですよね」

「はい!」

 

 裁判長の調査も欠かさない。

 

「彼女は一人娘でした。故郷の青森から一人で上京し、仕事をしていくうちに被告人と出会いました。両親の愛を一心に受け継いだ彼女は、そのもらった愛情の分、自分の夫を、子供を愛そうと誓っていました……しかし、それは叶いませんでいた。なぜなら、その夫は愛を受けるに値しない、昭和の男尊女卑を人型に固めたような、自分勝手極まりない人間だったからです」

 宇月は隣にある田所の机に広げられたファイルを覗く。

 どこで調べたのか、あったのは幼稚園児時代にまでさかのぼった裁判長の経歴だ。

 そこにはこう記載されている。

 一人娘あり。すでに自立しているが、女の一人暮らしを心配し、月に何度も連絡を入れている。そして、出身は青森。

「意義あり」

 被告代理人は手を上げて立ち上がる。「本件とは関係のない話です」

「関係がない!?」

 田所はわざとらしく驚いて見せる。「いったいどこが関係ないというのですか」

「これはDVの有無についての裁判です。原告が過去どのような経緯で今に至るかは、関連性がありません」

「そんなことはありません。この話は原告がどれほど心を痛めたのかを理解するたには不可欠な話です。裁判長」

 田所が判断を促すと「意義を却下します」と裁判長は答えた。

 その顔には、公平中立であるべき裁判官にあるまじき、原告に感情移入した険しい表情が微かに見えた。

「なっ」

 驚く被告代理人を、にんまりとした顔で田所は見下ろす。

「では、話の続きをさせていただきます」

 

 そして……迫真の話術。

 

「原告は日々、被告人に尽くしてきました。被告の心に少しでも善の心があるというのなら、きっといつかは変わってくれると信じて。しかし、それは叶いませんでした。人間は簡単には変わらない。だから人に成り代わり法で裁くのです。自らの過ちをその身に刻ませるのです。そして、救うのです。苦しみの中、必死に耐えた彼女のような人間を。もし、彼女が救われないというのなら、そんな法律は必要ない……違いますか?」

 田所が訴えかけるように問うと、裁判官は口をつぐみながら小さく首を縦に振った。

「本件において、原告が被告人からのDV被害があったのは明確であり、なおかつ、心優しき彼女が受けた苦痛は言葉では言い表せないほどのものであったことは、説明する間でもないでしょう。被告人のアクシード株式会社、幹部という社会的地位も加味するところ、初期の我々の請求、慰謝料二億円は妥当であると言えます。しかしながら、原告は親の教えである、常に相手に優しく有れという精神から、そこまでの金額をいただくのはしのびないと、そこにかなりの減額を加えた1億9190万円は、非常にキリが良く、彼女の精神的苦痛に見合い、被告人に最大限考慮した、最も適正に近い金額であるってハッキリ――」

 田所は被告代理人へ勝ち誇った表情を向けると、手を口に持っていき、鼻の下を人差し指で擦った。「……分かんだね」

 

 勝訴のためならどんな汚い手だって使う。

 魔術師……いや、法廷の野獣。

 最強最悪の弁護士。

 それが、田所浩二。

 

 

「フンフン、フフ~ン」

 鼻唄交じりに軽くスキップしながら裁判所を出て行く田所の背中姿を、宇月は疲弊した様子でため息交じりに眺めていた、すると、

「なにをしている多少ブサイク」

 それに気づいた田所が、足を止めてくるりと踵を返す。「さっさと下北沢に帰るぞ」

「ちょ、顔で人のことを呼ばないでくださいよ。田所先生」

 反論しながらも、宇月は田所の隣まで足早に歩いていった。

「多少ブサイクな人間に多少ブサイクと言ってなにが悪い」

 田所は人差し指を立て、それを宇月の顔に差した。「それにだ、勝訴して慰謝料をがっぽり手に入れたというのに何だその顔は。美人ならそれでも花になるが、君はそうではない。容姿レベルが低い自覚があるなら少しは笑顔でも振りまいたらどうだ。これならマリモッコリのストラップでもぶら下げていた方がまだましだ」

 まくしたてるような田所の嫌味に、宇月はぐっと口をへの字に曲げた。

 どうしてこうも、つらつらと人の悪口をいえるんだ。

「笑えるものも笑えませんよ。あんなメチャクチャな裁判、心から勝ったと思えません」

「ほう、それはどうして」

「あんな証拠、嘘まみれじゃないですか」

「なにが嘘だというんだ。私は原告の証言通りに証拠を提出したまでだ」

「証人だって、話はめちゃくちゃだし。最初にきいたときには、部屋に居たら声が少し聞こえてきたって話だったじゃないですか。お金まであげて。あれは買収に当たりますよ」

「解釈の仕方は人それぞれだ。富士山を、その辺の裏山と比べて大きいと解釈する人間もいれば、エベレストと比べて小さいと解釈する人間もいる。確かに声は小さかったのかもしれないが、証人の耳にはハッキリと聞こえていたのだ。それに、私は決して大きな声だとはいっていない。あくまで、ハッキリと聞こえた、といったまでだ。それを裁判官はどう受け取ったかは知らないが。あと、証人には饅頭しか送っていない。一応、感謝のしるしとしてもう二箱送るつもりだが」

「なら、原告の出身は青森じゃありません。普通に東京生まれ東京育ち。両親とも疎遠です」

「彼女は何度か青森を訪れていてね。青森は第二の故郷だと思っているそうだ。疎遠だとしても、心ではつながっている。家族とはそういうものだ」

「裁判長の調査だって――」

「裁判長のご機嫌をとってなにが悪い」

 田所はピンと指を立てて言った。「我々弁護士の仕事は依頼人の勝訴のために全力を尽くすことだ。汚い手だろうが何だろうがな。自らの正義の元に綺麗事だけを抜かして生きていけるのは、日曜日の朝の幼児向け番組の中だけだ」

 その勢いに押されるも、

「そんなことありません」

 宇月は負けじと反論する。「過去の歴史は、ちゃんと正義を貫いて勝った人たちがたくさんいます」

「正義を貫いて勝ったんじゃない、勝った者が自らを正義として歴史を組み立てるのだ。成功すれば勇猛な革命家、失敗すれば愚かなテロリストと呼ばれているだけの話。それが違うというなら、その正義の名のもとに裁判で勝って見せろ。まあ――」

 田所は宇月に顔を近づけ「一度も勝ったことがないクソザコ美大落ち弁護士には無理だろうけどね~~~~」とより目をしながら、舌を出してベロベロと左右に動かした。

 宇月はぎゅっと歯を食いしばった。

 そう、田所のいう通り、宇月はこれまでを通した2年の弁護士生活の中で、一人で勝訴を勝ち取ったことがないのだ。

 ちなみに美大も落ちてる。指定校推薦の。

「くだらないことをいってないでさっさと戻るぞ、まだまだ仕事がたっぷりあるんだからな。はあ~~、常勝不敗の人気弁護士は忙しいなぁ~~」

 そう言ってタクシー乗り場へとスキップしていく田所の背中を、口を尖らせ、納得のいかない表情で睨みつけながらも、宇月はついていくのだった。

 

 

 田所法律事務所は下北沢の一等地にある弁護士事務所だ。

 在籍するのは田所と宇月だが、弁護活動を行うのは基本的に田所のみである。

 宇月が任せられるのは、田所が弁護を行う際の書類整備や申請など、その他全般における雑用係。それを一人でおこなっている。

 時刻はお昼。事務所の事務スペースとなっている大きなリビングルームで、ノートパソコンを前に、おおよそ一人でやるような量ではない仕事を、朝から黙々とこなしていた。

 なぜ宇月がここで働くこととなったのか。

 事は1年前のことだ。指定校推薦を受けながらも美術大学を落ちた宇月は、その反動か日夜勉強に励み司法試験を一発合格。一年間の研修を経て見事弁護士となった。

 しかしながら、やはり指定校推薦を落ちた人間、トントン拍子はここまでとなる。

 クッキー☆弁護士事務所に所属し様々な弁護を行ったがことごとく敗訴。弁護士界隈では、クッキー☆に簡単に勝てる多少ブスがいる、と噂されるほどだった。

 おかげで依頼される仕事もなくなり悩んでいたところ、田所法律事務所が事務員、いわば雑用係を求めているという話を聞いた。

 絶対に勝訴を勝ち取る、不敗神話を持つ最強の弁護士。

 そんな男の元で働ければ、弁護士としてレベルアップできるのではないか――そう思ったのも最初だけだった。

 田所の元で働き始めてすぐに見えた、その犯罪ギリギリのやり方は見るに堪えるものではなく、ましてや真似しようとも思えなかった。

 田所自身の人間性も最悪だった。依頼人のためなどとほざきながら、考えているのは金のことばかり。口を開けば嫌味を言われ、体臭も口もウンコ臭いし、顔にあるイボがキショイし、目線がいやらしいし、ブスだし、COWCOWの多田に似てるし、トイレに入ると排せつ音がめちゃくちゃデカくて不愉快極まりない。あと臭い。

 こんな事務所すぐにやめてやろう。そう思ってはいたのだが、宇月はいまでもこうして田所法律事務所に在籍していた。

 なぜか。それは田所が勝訴を勝ち取る確かな力を持っていたからだ。

 それは弁護士にとってなくてはならないスキルであり、宇月にはこれっぽっちもないものだった。

 もちろん、あんな汚いやり方をするつもりは毛頭ない。しかし、その実力を間近で見ることによりきっと弁護士としてランクアップできるはずだ……そう思っているのだが――

 突然、宇月はガクッと首を下げてうなだれる。

 さすがに、こんな犯罪まがいのことを見させられ、しかも、不本意とはいえその片棒を担いでいると心が痛む。

 連日残業続でたまった疲れに、罪悪感のようなものがどっとのしかかると、重いため息を宇月は落とした。

 すると、どこからかほのかな甘みのある、花のような香りが周りを漂うと、ノートパソコンの横に皿に乗ったテーカップが運ばれた。

「お疲れもようですね」

 顔を上げると、横には事務所の使用人であるスーツ姿の新庄が、笑みを浮かべて立っていた。「こちら私特製も紅茶でございます。よろしければどうぞ。お口に合うかどうかは分かりまれんが」

「ありがとうございます」

 礼を言い、カップを口に運ぶと、透き通るような甘みと共に上品な香りが口いっぱいに広がっていき、吐息と共に体から力が抜けていく。

「お気に召したようれ」

 その様子を見て、新庄がそう言うと宇月はうなずいた。

「はい、とっても。どうやったらこんな紅茶を?」

「昔、イギリス王室で、専属でお茶を出しておりもした。その時み」

「お、王室……」

 宇月は言葉を詰まらせる。「すごいですね」

「昔も話れす」

 新庄は宇月が事務所にくる前からいた使用人だ。

 家事から雑務まですべて完璧にこなし、それでいて常に謙虚で、その過去には謎がおおい。

 歳はそこまで離れてはいない。顔から察するに大きく離れていても一回り程のはずだが、同じヒト科の生物とは思えないほどに、まるで非の打ち所がない、完璧な人間だった……舌が364度ねじれているのか? というほど滑舌が悪いことを除いては。

「はあーーー、今日もいい天気だったぁ!」

 屋上から、サングラスにブーメランパンツ姿で全身をオイルでテカテカに光らせた田所が、日課である日光浴から降りてきた。「お、これはアールグレイの香り」

「いえ、アッサムれございます」

 即座に新庄に訂正される。

「お、そうか。いや私もどっちか迷ったんだ、アッサムかアールグレイか。二択を外してしまったな。二択を。それより、私はシャワーを浴びるから、あがったら同じものを」

「かしこもりました」

 新庄が深々とお辞儀をすると、るんるんと口ずさみながら、スキップで田所はシャワーへと向かった。

「新庄さん」

 宇月は田所が行ったのを確認してから聞いた。「あんな人の下で働いてて、嫌にならないんですか」

「まったく。田所様は素晴らしいお方れす」

 そう答えると同時、部屋の隅にある電話が鳴ると新庄が受話器を手に取り耳に当てる。「はい、こちら田所法律事務所……ああ、申し訳ありもせん、いま田所は手が離せない――」

「問題ないぞ、新庄君!」

 突然、シャワールームから田所が出てくると、宇月はキャっと声を出して、両手で顔を覆った。

 バスルームに入る直前だったのか、田所は全裸だった。その状態のまま、下半身を隠す素振りもなく新庄の近くまで歩くと、受話器を受け取る。

「ただいま変わりました。高所得者専門弁護士、田所法律事務所の田所浩二でございます」

「……これでも嫌にならないんですか」

 田所を視界に入れないようにしながら、宇月は新庄にそう問うと、新庄はニコッと笑った。

「ハハ、もう慣れもした」

 

 

「実は、社員に不当解雇で訴えられていまして」

 応接室で机を挟み、田所と宇月を前にそう語るのは竹之内という男だ。大手広告代理店、便通の部長の立場にあり、今回の告訴担当になったらしい。

 堀が深く、渋い顔立ちをしており、困ったように眉を寄せるとそれはさらに濃く見える。

「ほう、不当解雇ですか。いったいどんな理由で解雇されたのですか」

 田所は質問する。

「理由は色々で、まあ何というか……社内秩序のためだ」

「社内秩序?」

 宇月はその言葉に引っかかった。「それはいったいどういう意味ですか」

「話せば長くなるんだが。僕はその訴えた社員の、元上司でね。最初に彼――いや、彼女はカミングアウトをしたんだ。自分は男が好きであると」

「は?……お、男が好き?」

 話の意図がつかめず、宇月は小首をかしげる。「えっと……女性だったってことですか」

「いや、男性なんだよ」

「ゲイ、ということですね」

 田所がそう答える。「言い方を変えればホモ。もしくはトランスジェンダーか」

「詳しくは僕も知りませんが、とにかく男性が好きであると、突然社内にいって回っていたんです」

「それが解雇理由ですか」

 宇月が聞くと、竹之内は首を横に振った。

「いや、それだけじゃない。彼女は急に、自分を女性として扱うよう要求した挙句……その服装も……スカートを履いて」

「お言葉ですが、服装は個人の自由です、男性がスカートをはいてはいけないという法律はありません」

「キミは見てないからそんなことが言えるんだ」

 宇月の反論に、竹之内は声を荒げたが、すぐに首を振って「いや、申し訳ない」と謝罪する。「少し取り乱した。説明すると、その……彼女はすごく筋骨隆々でね。そんな男に女装、しかもパンツが見えるギリギリみたいなミニスカをされると……こちらとしても不愉快にならざるをえない」

 そう言われると、宇月も竹之内の気持ちがわかるような気がしたが、やはり服装の自由は守られるべきだろうとも思ってしまう。

「別に女装をとやかくいう気はないんだ。ただ、それを間近で見る我々の気持ちにもなってほしいということだ。男性社員達は露骨にやりにくそうにしているし、提案を却下すると、私がホモだからですか、となんと返していいのか分からない反論してきたり……とにかく、細かいところ言ってあげるときりがないんだ。これ以上、彼女を社内に置いていたら、確実に他の社員たちに影響がでるのは避けられないし、社の損失になる」

「しかしですよ、その社員がカミングアウトする前は、特に問題はなかったんですよね」

 宇月が言うと、竹之内は口に手を当てて「まあ……そうだな」と言いにくそうに答えた。

「それなら、その社員の方としっかりと――」

「話は分かりました」

 宇月の話の途中、田所がそれを遮る。「報酬はどれぐらいを考えておられますか」

「成功報酬で8億1000万円」

「受けましょう」

 田所は即答する。「今日から動かさせていただきます。新庄君、お客様がお帰りだ」

「ありがとう。では、失礼する」

 新庄の案内を受け、さっさと帰っていく竹之内を、宇月は納得のいかない様子で見つめていると、

「なにをしている」

 田所がぶっきらぼうに言った。「さっさと仕事にかかれ」

 部屋を出て行く田所に「分かってますよ」と宇月も後から続くが、

「でも、この問題は原告側に正義があるというか」

 と不満を漏らした。

「なに?」

 リビングに差し掛かると、田所は踵を返して宇月と向かい合わせた。「いったいなにが悪いというんだ」

「いってたじゃないですか、カミングアウトする前は特に問題がなかったって。しっかり話し合いをすれば、衝突も避けられていたのかもしれない。これじゃあ、まるで原告がホモだからクビにするようです」

「ホモをクビにしてなにが悪い」

 田所の口から出た強烈な一言に、宇月はぎょっとする。

「い、いや何をいってるんですか。LGBTってご存知ないんですか、最近よく聞く」

「ああ知ってるさ。原爆Tシャツを愛用している韓国のアイドルグループだろ、確か」

「ぜんっっっぜん違いますよ。レズ、ゲイ、バイ、トランジュジェンダーの頭文字を並べたもの。いわゆる、性的少数派の方々を差す言葉です。過去、これまで人類は彼らを腫物のように扱い、封じ込めてきました。現代ではそれも薄まりましたが、まったくなくなっているとは言えません。それをなくすために近年では――」

「あああああ、もういい」

 田所は面倒くさそうに吐き捨てた。「説明が長い。話の要点を短く語ってくれ」

「これは明らかに性的少数派、ホモの方に対する差別です。差別は悪です、許されません」

「確かに差別は、いまの時代においては悪とされている。だが今回の件は差別ではない。単なる経営方針だ」

「はあ? どういう意味ですか」

「新庄さん、紅茶を」

 竹ノ内を送り出し、戻ってきた新庄に、田所は命令してリビングの椅子に腰かける。「そのままの意味だ。便通の方針として、同性愛者の社員は必要ないからクビにしたというだけだ」

「それは明らかな差別じゃないですか」

「なら土木作業員には筋肉モリモリで、フェロモンバリバリのエロエロな男しかいない理由はなんだ」

「エロエロかどうかは知りませんけど……そりゃ、そういう方が就職に行くからですよ」

「その通りだ。だが、それともう一つある。会社がそういう人材を中心的に取っているんだ。もし、ヒョロヒョロの脂肪も筋肉もエロスも何一つない人間が面接にいっても、すぐに落とされるだろう、彼には仕事はできないと判断されるからだ。それも差別というのか?」

「いや、それは」

 口ごもる宇月に、田所はさらに詰め寄る。

「日本には世界大学ランキングにおいて、114年間一位の座に居続けてる大学があるな。そう、立教大学だ。日本の大企業は頭のいい彼らを中心的に就職させる。これも差別か? 女性ばかりを雇用するアパレル会社は、プログラマーの知識を有する人間ばかりを雇用するシステム会社は、ホモばかりを雇用するホモビ会社は、すべて差別というのか? 違う、これらは会社の経営方針だ。会社は自らがほしい、有意義であり利益を上げると思える人材だけを雇用し在中させる、これは何らおかしいことはない、ただの区別であり資本主義が生み出した競争形態だ」

「それは能力によって採用されているだけでしょう」

「いいか、クビになった社員は自分の性的指向を表面に出して、周りに悪影響を及ぼしている。これも能力の一つだ、悪い方のな」

 新庄が紅茶を机に置くと、田所は小指をピンと立てながらカップを手に取って、優雅に香りを楽しんでから一口飲んだ。

「そんなのめちゃくちゃですよ」

 余裕のある田所とは対照的に、宇月は声をあげて反論する。「性的指向は変えられるものではありません。ちゃんと話し合いをして、同性愛者でも快適に働けるようにするべきです」

「日本の――いや、世界ほとんどの企業で働く人間は、男が多くを占めている。なぜか? 女には出産があり、子供を産んだら家庭に入りたいと思う人間も多いからだ。さらには生理があり精神的に不安定な時期が多い。それがないうえに、体力も多い男が採用されるのは世の常だ。それと同じ、ホモ社員が周りに悪影響を及ぼすなら、それがない同じ能力を持つノンケ社員を採用した、話し合いも対策もしないで済むぶん効率がいい。そもそも、その社員が最初から自分の性的指向を先に話しておけば、こんなことにはなっていなかった」

「いや……でも」

 何とか反論しようとするが、言葉がでず宇月は悔しそうに口をとがらせる。

「でももへったくれもない、さっさと仕事にかかれ美大落ち」

 田所は言い放ち、また優雅に紅茶を楽しんでいたが、宇月はその場を動こうとしない。

 悔しさのあまり、そのまま仕事をする気になれなかった。

 何とかギャフンと言わせられないものか、そう思って立ち尽くしていると、

「なんだ、まだ言いたいことがあるのか」

 田所がそう聞いてきた。

 どこか、この男の弱点を――考えた末、

「先生だってホモじゃないですか!」

 出てきたのはそんな言葉だった。「自分が同じことやられたときに、そんなことが言えるんですか!」

 田所は、どう見ても言動や見た目がホモのそれだった。どうしてかひた隠しにするが。

「は、いや、なにを言ってるんだ」

 当然、田所は否定するも、小さく揺れるカップが動揺を表している。「いいか、前から何回もいっているがな、オレはホモじゃない、ノンケだノンケ。あ~あ、どこかにいい女居ないかなぁ。おっぱいの大きい」

 でた。いつものノンケアピールだ。

 これでごまかせていると思っているのだろうか。

「無理ですよ、そんなんじゃごまかせません。先生は筋金入りのドホモじゃないですか。海水パンツ姿の男性が載ってる雑誌いつも読んでるし。それにさっきも、土木作業員のことをフェロモンたっぷりのエロエロとか、どう考えてもそっちの人の考え方ですよ」

「いや、オレ体焼いて鍛えてるから。そう言うの読んでるだけだし。土木作業員も、友達がそんな感じでいってたのが出ただけだし」

 追い詰められすぎて、なぜか田所の口調が生意気な若者のようになる。「別に、男とかすきじゃねーし。ちょっと前まで女と付き合ってたし」

「付き合ってた? それはいつ頃ですか」

 田所はスーっと、謎の息を吐く音とともに思案するように首をかしげると、

「こっ――去年ですね」

 そう答えた。

「いま、こっ、て言いましたよね、こっ、て。今年っていおうとしましたよね。嘘だから今年か去年かどっち言おうか迷ったんでしょ。それとも何ですか? 新年のカウントダウン中に別れ話でも切り出されたんですか? 除夜の鐘が鳴ると同時に別れでもしたんですか? どうなんですかぁ?」

「うるさーーーい!」 

 宇月の詰問に、田所は声を荒げる。「いつでもいいだろうが、前の女の話なんて! だいたい貴様は、いまだに年齢=彼氏いない歴の処女だろうが! そんなやつに言われたくないね」

「関係ないでしょ! それと、私を勝手に年齢=彼氏いない歴と決めつけないでください」

「決めつけじゃない、客観的に判断をもとに言っているんだ。多少ブサイクで笑い方が、デュフフ、とかいうオタクそのものの女に彼氏がいるわけがないだろうが!」

「先生だって! ブサイクで、目線がねっとりしてて、顔にきっしょいイボのある男なんて、女はおろか、男からだって相手にされたことなんでしょうね!」

「男には興味ないっていってるだろ! それとなぁ、私みたいな筋肉があって、色黒で、男らしい男っていうのはな、そっちの方面では結構人気があるんだよ」

「へぇ、じゃあ男はいたんですね」

「ホモじゃないっていってるだろ! さっさと仕事にかかれ、この指定校推薦美大落ちニコニコ大百科自演多少ブサイク底辺ネットボイスコの処女が!」

「はいはいはい、やりますよ~。ホモ上司の頼みですからね」

「ホモじゃないって――」

 そそくさと出て行く宇月を見て、田所は言葉を止めて、ぶつくさ何かを言いながら紅茶を口に運ぼうとしたとき、

「早く彼氏ができるといいですね」

 不意に、音もなく戻ってきた宇月がそう呟くと、フブっっと口に入っていたものを勢いよく吐きだし、机にぶちまけられた。

 田所はゆっくりと、鬼となった形相を宇月に向け、大声で叫んだ。

「さっさと行けーー! 美大落ちぃ!!」

 

 

 二日後、原告の代理人となった相手弁護士と連絡を取り、二人でやってきたのはcoot総合法律事務所のオフィスビルの前だった。

 日本最大手の弁護士事務所であり、弁護士の所属人数は810人とぶっちぎりだ。

 19階まであるオフィスビルも一棟丸々cootの物で、その高さと財力に圧巻された――のもずいぶん昔の話。もう何度もここにきている宇月は、最初の頃に感じていた威圧感もほとんどないといっても過言ではなかった。

 そんなことよりも、ここに呼ばれたということは――。

「あの人でしょうね」

 白を基調とした芸術的にも思えるcootビル内を歩き、エレベータに乗った宇月がそう呟くと、

「ま、だろうな」

 田所が特別興味もなさそうにそう返す。

「先生、薬は飲みましたか。こういう外出中の大事な時に限って、いつも催すんですから」

「大丈夫だ」

 田所が言うと同時、チンポン♪とチャイムが鳴り、エレベータを出て廊下を歩いていく。「今日は大丈夫な気がする」

「気がするって、なんの根拠もない憶測じゃないですか。先生、ご自分ではご存じないでしょうけど、大をした後すっごい臭いんですからね。もう吐きそうなほどに」

「根拠はある。今日は朝から快便で、しかも久しくみる固形物だった。体調もここ数年で一番の良さで、その勢いで19㎞もランニングで走って、日光を浴び、汗を大量に流した。その後にシャワーを浴びて、淫スカグラムで流行っていた体にいいスムージーも飲んで、もう完璧の状態だ。体内に異物はひとかけらも残っていない。それとな、排便後の私が強烈にウンコ臭いというのは、貴様の誇張表げごぉ……ぐぅ」

 突然、田所は体をくの字に曲げ、腹を押さえる。「かぁ……は、腹が」

「ほら、だから言ったじゃないですか」

「や、やかましい。こんなものは……結果論だろ」

 額に大量の脂汗をかきながら、田所は反論する。

「過去の出来事から簡単に推察できた事でしょ」

「黙れ美大落ち……クソ、先にいっておけ、私は後から行く」

 内またで尻を両手で押さえながら、トイレに向かう田所をため息と共に見送ると、宇月は一人待ち合わせの部屋へと向かった――だが。

「あれ」

 廊下の真ん中に立ち止まり、宇月はきょろきょろと周りを見る。「待ち合わせの部屋、どこだったっけ」

 まさかのド忘れである。

 coot事務所ビルは一フロアだけでもいくつも部署や部屋があり、どこをどう行けばいいかわからない。

 とりあえず、近場の人間に話を聞くも、他の弁護士がする待ち合わせ場所を知ってる人間がいるわけもなく。

 とにかくフロアの上の階や下の階を行ったり来たりして、目的地らしき場所についたのはそこから20分も経った後だった。

 待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。

 恐る恐る「失礼しま~す」とゆっくりドアを開けると、最大で20人は座れるであろう、高級そうな会議室の場に見知った男二人が座っていた。

「申し訳ありません……あの、ちょっと迷子になっていまして」

 宇月が頭を下げてそう言うと、左側に座る男、木村が袖をまくって、その手首につけられたロレセックスの時計を一瞥する。

「15分……どうやればそんなに迷えるんだ」

「いやぁ、cootさんのビルはホント大きくて」

「キミは何度もこのビルに来ているだろ。この部屋を使うのも何度目か。どんなポンコツ頭を備えれば迷えるんだ。ある種の才能だな」

 田所に負けず劣らず、すさまじい口ぶりだった。

 木村はcoot事務所、若手弁護士のホープであり、若く宇月と同じほどの年齢でありながら、受ける仕事はすべて勝訴している――田所が相手でなかった場合のみだが。

 宇月も何度か顔を合わせていた。相手代理人がcoot事務所から出る場合、確実に木村が出てくるからだ。

 木村以外の弁護士が田所と戦いたくないという理由もあるのだろうが、詳しくは知らないが、木村は田所に対して因縁めいたものをもっているようだった。

 田所とは数年前から数え切れないほど法廷で戦っており、その都度、苦い思いをしているようだ。

 そして、その隣に座るのが三浦という坊主の男だ。

 こんなこと言ってはあれだが、池沼だ。宇月が入ってきたというのに、まったく目もくれず、都内が一望できる窓の外を口を開けて眺めている。

 理由は分からないが木村が代理人になると、かならず三浦が共同代理人になり、法廷に座っている。

 見たところなんの役にも立ってないし、態度から察するに木村の意思で隣に座らせているわけでもなさそうだった。代わりにテディベアでも座らせていた方が、よっぽど有意義じゃないのかと思える人だ。

「まあ、そちらに座ってください」

 木村に前の席を勧められ、腰掛けると「ところで、ステロイドハゲは?」とすぐに田所のことを尋ねられた。

「ああ、先生なら20分ほど前にお手洗いに。たぶん、もうちょっとかかるかと」

「またか……奴はトイレを自分の部屋か何かと勘違いしていないか。まったく、とんでもない弁護士コンビだ」

「も、申し訳ありません」

 宇月しょんぼりしながら謝ると、ガチャリと部屋の後ろのドアが開き、振り向くと田所が立っていた。「あ、先生。やっとお手洗い……から……え?」

 宇月は思わず言葉を失い、田所の全身を上から下に何度も往復して見る。

 その服装は先ほど別れたときとは打って変わり、赤い水玉のシャツに、白いスカートを履いてきた。

「おい、なにを勘違いしている」

 頭がクエスチョンマークで埋まり、破裂しそうになると、木村がそう声をかけた。

「え? か、勘違いって……えっと、彼は先生で」

「違う、奴じゃない。ちょっと到着が遅れてな。紹介する。この方は今回の原告である、鈴木福子さんだ」

 すずき……ふくこ……?

 宇月の空っぽになった頭の中に、その名前が何度か反響すると、

「えええええええ!!」

 次の瞬間には、宇月の叫び声がcootビル全体を揺らしていた。

「やかましい!」

 木村が怒鳴ると、宇月の叫び声はピタッと止まる。「ふざけた声出しやがって。威力業務妨害で訴えるぞ」

「いや、だって」

「気持ちは分からないでもないが驚きすぎだ。まったく、どうやれば人間からあんな音量が出るんだ」

 木村は立ちあがり、鈴木に軽く頭を下げ「申し訳ありません、鈴木様。ご迷惑をおかけしました。こちらにおかけ下さい」と隣の席を勧める。

 はい、と戸惑いながらも返事をして席に座ると、宇月は簡単に自己紹介をする。

「初めまして、便通の代理人の宇月幸成と申します。大声を出してしまい、本当に申し訳ありません。あなたの顔が、私の共同代理人である田所と酷似していたもので」

「そうだったんですか。それは偶然ですね」

 鈴木がそう答えると、宇月は口をぎゅっと閉ざしながら仰天する。

 声も聞き訳が付かないほど同じものだ。

 もしかして兄弟? いや、だとすればあまりにもDNAが濃すぎるだろう。

 そんなことを考えていると、

「失礼!」

 突然、ドアが開かれ、勢いよく田所が入ってきた。「少し遅れました、田所浩二です。頭の悪い助手を先によこしてしまい、心から謝罪申し上げます。先ほどはどうやら小さな地震があったようでおどろきましたねぇ。まあそれはさておき、告訴の準備をどうぞ、私たちは請求も和解案も受けるつもりは全くございませんので、よろしくお願いします」

 宣戦布告のようにそう言いながら、流れるように宇月の隣に座り足を組むと鈴木と顔を合わせた。「ほう、そこのブサ――じゃなくて、特徴的な顔の方が今回の原告ですか」

 宇月はその発言を聞き、怪訝そうに田所の横顔を見る。

 いま明らかにブサイクと言いかけたが、失礼である以前にどの顔がいっているのだろうか。

 というか、うり二つであることに気づいていないのか。

「貴様のことだから、そんなことだと思ったが、請求ぐらいは聞いといた方がいいじゃないか。先に知っておいた方が負けたときのショックが小さくて済む」

 木村が挑発を交えて言った。

「どうせ棄却されるだろうが、せっかく考えてきたんだ、聞くだけ聞いてやろう」

 鋭い目つきの木村の額に、青筋が一つ浮かぶと、拳を口に当て喉を鳴らし、請求を読み上げる。

「請求は、性的趣向による差別があったことを認めること、元上司竹之内を中心として、便通の主要な人間を集めて原告に謝罪をすること、性的少数派が働きやすくなるよう改革を進めること……そして、様々な精神的苦痛による損害賠償893億円を支払うこと」

 その金額に宇月は度肝を抜かれた。

 あり得ない請求額だ、認められるはずがない。

「ハハハ、めちゃくちゃな請求だな」

 驚く素振りなく、田所は笑って言った。「そんな額はまかり通らないぞ。ホモビデオのガバガバ裁判を見すぎじゃないのか。あれはフィクションだぞ」

「こちらとしては原告の苦痛に見合った額だと判断している。それにだ、そちらは悪名高い大手広告会社、便通。社員を馬車馬のごとく働かせて、ずいぶんとため込んでいるじゃないか。この告訴が明るみに出たとき、この金額でも世論はこちらに肩入れしてくれるだろう。そうなった時、裁判官はどう判断を下すだろうな」

 裁判長にもよるが、世論に寄せた判決を下す人もいる。

 満額が通るとは夢にも思わないが、もしかしたらもしかすると、近い金額を請求されるかもしれない。

「私は君の心配をしているんだよ、木村君」

 一切の動揺もなく、田所は語った。

「なに?」

「こんなめちゃくちゃな金額を提示しておいて、負けたとなったらとんだ赤っ恥じゃないか。これ以上、キミのことを傷つけたくないんだ。しまいには自殺してしまうんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしてるんだ」

「心配してもらって、どうもありがとう」

 木村は冷静を装って感謝を述べるも、その目は血走り、いまにも光線を出してきそうだった。「だが負けるのはお前だ。本件はどう考えてもそちらに非がある」

「それを決めるのは裁判官だ」

「判決を仰ぐまでもない!」

 木村は手を机に着き、体を前に出すと田所を睨みつけた。「次に床を舐めるのは貴様だ、田所」

「生憎だが、私はキミと違ってユカちゃんとはどうも相性が悪くてね。なかなか、向こうが寄ってきてくれないんだ。たまには熱い抱擁を交わしてみたいものだ」

「その願い、叶えてやるよ」

 そう言って、木村は立ち上がった。「すぐにな……。鈴木さん、行きましょう」

 木村は鈴木を連れて部屋を出ようとしたが、いまだにボーっと外を眺めている三浦に気づき「なにをしている、早く来い!」と叫ぶと、はっとした三浦はのろのろと立ち上がり、三人は部屋を後にした。

「まったく、客人より先に出るとは」

 田所は不満を漏らして部屋を出ると、宇月も後に続く。

「そりゃ、先生の態度じゃもてなされるわけないでしょ」

「それにしても、不細工な原告だったな」

 エレベータに乗るなり、田所はそう言った。「あんなのが女装してるんだ、辞めさせられて当然だ」

 宇月はまた、エレベータの出入口の方を向く田所の顔を不思議そうに見つめる。

 やはり、この人は気づいていないようだ。鏡で見る顔は左右が逆になり、写真などとはかなり違って見えるというが、もはや分身しているのかというレベルで似ているというのに気づけないものか。

「服装は個人の自由ですし、それにあの方の顔は先生とほぼ同じ顔ですよ」

「ハハハハハ! 突然なにを言うか。頭だけじゃなく目もおかしくなったか」

「いや本気です、声も完全に一緒でした。先生、生き別れた兄弟とかいませんでしたか」

「バカな冗談はやめろ、こっちまでバカが移りそうだ」

 その言葉にムカっときた宇月はカバンからスマートフォンを取り出し、自撮りモードにして田所の顔に向ける。

「ほら見てください」

「しつこいな、いったいどこが似てええええええええええええ!!」

 

 

 ニュースです。

 便通が不当解雇によって訴えられました。

 2ヶ月ほど前に解雇となった社員が、自らが性的少数派であったために解雇されたと主張し、便通を告訴しました。

 便通側は『そのような事実はない』と否定しており、近々、口頭弁論が開かれる予定で、注目が集まっています。

 続いてのニュースです。

 先日、coot法律相談事務所の窓ガラスが、突然起きた爆音とともに全て破損した事件において、警察は爆弾が使われた可能性があるとみて、捜査を開始しています。

 ニュースを終わります。

 次は、朝の人気コーナー『おすすめ♪ホモビ♡』です。

 

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