第二回口頭弁論の当日。
東京地方裁判所の前では、ごった返すほどの報道機関や野次馬たちによって埋め尽くされていた。
便通の告訴、さらに最近流行りのLGBT問題ともなると、さすがに注目度も高い。
裁判において第一回口頭弁論は、原告被告の請求を確認する簡単なもので、本人もほとんどの場合で欠席し、代理人だけで済まされることがほとんどである。
本当に戦いとなるのは、この第二回からだ。
法廷には、判長席を前としたとき、右に奥から田所、宇月の被告代理人の二人と竹之内が、左に木村、三浦の原告代理人と鈴木が座る。
鈴木は前見たときとは違い、スーツ姿だ。レディースの。
傍聴席は満員になっており、報道関係者であろうメモを手にするスーツの者が多く見える。
裁判官がやってくると、法廷内は異様な緊張感に包まれる。その後、裁判官主催で挨拶が行われ、開廷の号令がかけられると、知で知を洗う戦いの火ぶたが切って落とされた。
「あなたは、今日から約2年前、1919年の4月から、今年の1月まで、大手広告会社の便通に勤務していましたね」
木村が証言台に立つ、鈴木にそう問いかけると「はい」と頷いた。
「しかし、その翌月から今日にいたるまで、職に就いていませんね。いったいなぜですか」
「解雇にあったからです」
「どういった理由で」
「理由は告げられませんでした。ただ、明日から辞めてほしいと。当時の上司である竹ノ内さんに、何度も問いただしたのですが」
そう言って、鈴木がちらりと竹之内に目を向けると、竹之内はバツの悪そうに視線を逸らす。
「ご自身を客観視して、勤務態度などで解雇の理由になるようなことはありましたか」
木村が問うと、鈴木は首を横に振る。
「いいえ」
「では、勤務態度とは別で、解雇理由に何か心当たりになることは?」
「それは……私がホモで女装の趣味があるからだと思います」
鈴木がそう言うと、静かな法廷内にピリッとした緊張感が走る。
「なるほど。あなたが自らの性的指向を告白したのはいつごろでしょうか」
「昨年の7月頃だと思います」
「その際に、上司や周りはどんな反応を示しましたか」
「その、言いづらいんですが……まるで私を、さけているようでした」
「そんなことはない」
鈴木の言い分に、竹之内はとっさに反論する。「キミの要求は、可能な限り叶えたはずだ」
「被告人は発言を慎んでください」
裁判長に注意を促されると、竹之内は不満気に口を閉ざした。
「さけているとは、主にどういったことで」
木村は質疑を続ける。
「はい、いつもは仕事中でも、日常のことや、細かい確認作業など、空き時間に挟むことは普通にありましたが、それが一切なくなり、挨拶や、仕事による事務的なこと以外では言葉を交わさなくなりました」
「まるで腫物ですね。それは、大きなストレスになったのではないですか」
「はい」
「他には?」
「周りの社員が、私を見てこそこそと悪口をいってる様子を見たり。飲みの席の誘いなんかも、私だけなくなったり……それに……竹ノ内さんに、転職を勧められたりもしました」
竹之内は何かをいいたそうに体を前に出していたが、ぎゅっと歯を食いしばって耐えた。
「転職ですか? それはどういった言葉で」
「私は、ある広告の仕事を任されたときに、どこにも不備やおかしな点は見当たらないのに、これはダメだと却下されたんです。そのときに、今までたまってたうっぷんから、私がホモだからダメなんですか、と聞いたんです。そしたら、そんなこと言うぐらいなら、転職したらどうだ。キミにはもっとふさわしい企業があるだろう……って」
また、騒めきだす傍聴席。
『うわぁ……これはパワハラですねたまげたなぁ』
『人間の屑がこの野郎』
『なにがやめろだ、お前がやめろよ(棒読み)』
「静粛に」
裁判長が静かに、それでいて重々しく言葉を発すると、声はピタリと止んだ。
「それを受けて、あなたはどういった気持ちになりましたか」
「とても悲しい気持ちになりました」
「お辞めにはならなかったんですか」
「そう思った時期もありました。ですけど、昔から便通は憧れの企業で、親や友人たちも就職が決まったときはすごく祝ってくれて」
「辞めたくはなかった」
「はい、まじめに仕事していれば、いずれは変わっていくんじゃないかと思って」
「その結果、無理やり辞めさせられたと」
木村がそう言うと、鈴木は神妙な面持ちで頷いた。「その、いまのお気持ちを聞かせてもらえますか」
「はい。私は、男性が好きで、女性の恰好をしたいです。それは誰にも阻害される権利も、ましてやそれを理由に仕事を辞めさせる権利もないはずです。私はすべての性的指向の人間が、誰にも邪魔されることなく、幸せになれる社会を望みます」
「ありがとうございます」
木村は礼を言うと、裁判官の方を向いた。「以上です」
木村が席に戻っていくのを確認した後「被告代理人は――」と裁判長が田所たちに質問の有無について聞こうとすると、
「あなたは無視されたといいましたが、それは本当に彼らが嫌がらせを目的としたものでしょうか」
田所はすぐさま立ち上がり、まくしたてるように鈴木にそう問いかける。
「え?」
鈴木は困惑しつつも「いや、そうだと思います」と答える。
「いいですか、嫌がらせ目的、というのはあなたに対して嫌な思いをさせようという意図があったという意味です。ただホモであるとカミングアウトしただけのあなたに、そんなことをする理由は何ですか」
「それは……気持ち悪かったんじゃないでしょうか。ともかく、無視されたのは事実です」
鈴木の返答に、ハッハッハ、と田所は作ったように笑って見せる。
「何をいうんですか、気持ち悪いから無視するなんて小中学生じゃないんですから。あなたの周りは社会人たちですよ、そんなことを理由に集団が一斉にあなたを無視するなんて自然ではない。ではなぜそんなことになったのか、答えは明白です、ただ単に触れにくかっただけです」
田所は手を後ろに、鈴木の周りを歩きながら、時に傍聴席に語り掛けるように続ける。「ある日突然、もし同じ場所で働いていた同僚が、男性好きだとカミングアウトし、女性のように扱うようにといい、女装してきたなら、我々ノンケは、はたして何と声をかけるでしょうか。答えは無です。そんな人間に、今まで通りに普通に会話をすることなんて不可能です」
傍聴席では、声は出さずとも賛同するように頷くものが多い。
「あなたと話をしなくなった社員は、無視したわけではなく、ただただ、あなたの強烈な変化に困惑していただけなのです。それは決しておかしなことではなく、ごく普通のことだとではないでしょうか。当然、飲み会なんかにも誘われるわけがありません。それと、あなたは悪口をいってる姿を見たと証言しましたが、それはちゃんと耳にしたんですか」
「耳にはしてませんが、男性社員二人が遠くの方でこそこそと話しながら、私の方をチラチラと見ていたんです。あれは明からに、私をバカにしていたと思います」
「でも実際に聞いたわけではない」
田所が確認すると、
「そうですけど」
鈴木は少し怒りを滲ませて答える。「でも二人でチラチラ見ながら小声で話すなんて、悪口以外あり得ないじゃないですか」
「いいえ、あり得まず。もう一度言いますが、あなたは突然、強烈に変化した。そうなると立ち話のネタにもなります。感想を述べあっていたのかもしれないし、もしかしたら今後どう対応すべきかを議論していたのかもしれない。そんなときにあなたが視界に入ったのなら、そりゃチラチラもみますよね」
「でも、一度や二度じゃないんです。何度もそんな様子を目撃しました」
「当たり前です。こんな話、社内でもちきりになるに決まっているじゃありませんか」
「それは……たしかに、そうかもしれませんけど」
鈴木の声は、後半になるにつれどんどんと萎んでいく。
「あなたはご自分の影響力を分かってらっしゃらないようだ。被告代表である竹ノ内さんの件だってそうです。確かにパワハラのようにも思えますが、竹ノ内さんの心中を察してみてください。あなたのカミングアウトで、職場は大きく混乱したでしょう。今までできていたことができなくなったこともあったでしょう。部下を管理する者としては、この上ないストレスになります。部下はたくさんいます、あなたばっかりに時間を割いてる暇もありません。そんなとき、混乱の大本であるあなたの仕事が、水準を満たしてないと判断して却下したら、私がホモだからですか、という例をだすと面倒くさい女の――私と仕事、どっちが大事なの」田所はぶりっこのように、両手を胸の前で合わせ、裏声でそう言った。「なーんて、どう返答していいのかわからない面倒なことをいわれたときには、苛立ちもピークになり、強く当たってしまうんじゃないでしょうか」
鈴木は何もいわず、下の方に目線をやっている。
何もいわないところを見るに、田所の言葉を否定はしていない。
「いいですか、あなたは性的少数派です。我々はあなた方に対してなんの知識も持っていないに等しい。どう接するべきなのか何一つわかりません。あなたは職場で強いストレスを感じたといいましたが、それは周りの同僚も同じなのです。私は同性愛者ですとカミングアウトしてから、あなたはちゃんと細かく、どうしてほしいか、どうするべきかを、ちゃんと話しましたか?」
「いえ」
「それは問題の当人である、あなた自らが率先して行うべきではなかったのでしょうか」
鈴木は逡巡の間の後、
「確かに……説明が足りなかった部分も、あったのかもしれません」
そう答えた。
それを聞くと田所は「以上です」と席に戻っていった。
「私はあくまで、彼の勤務態度や成績などを加味し、客観的に解雇に足ると判断して決定を下したまでです」
次に証言台に立ったのは、人事担当取締役である大坊だった。
「大坊さん、あなたから見たとき、原告はどういった社員でしたか」
田所は聞いた。
「平々凡々。大体のことをそつなくこなしますが、秀でた部分はありませんでいた」
「なるほど。では解雇理由は」
「勤務態度です。彼が性的指向を公にしてからは、少し横暴が過ぎる部分がありました」
「原告が同性愛者である事が、解雇の原因になっていましたか」
「間接的に見れば、そうなるかもしれませんが、一番の原因は、彼が同性愛者であることではなく、彼自身の勤務態度からなるものです。最初は様子を見ていましたが、周りからの苦情の報告もあり、あまりにも目に余るものでしたので」
「同性愛者に対して偏見は全くないと」
「はい」
大坊がしっかりと答えたのを確認し「以上です」と田所が席に戻ると、すぐに木村が手を上げた。
裁判長が名前を呼び、木村が右手に資料を持ち、席を立つ。
「大坊さん、あなたは成績に関しては平々凡々とおっしゃっていましたが、資料によりますと原告の仕事はすべてにおいてそつなくこなし、大きなミスも起こしていない。社内評価においてもゆっくりと上がって言っています。これは平凡とするのは難しいのではないですか」
木村の問いに、大坊は大企業のエリート意識が噴き出したかのように、鼻で笑って見せる。
「あなたは便通という企業をよくご存じでない。我が社は日本の大企業です。世界がこぞって欲しがる立教生が大量にやってくる。彼よりも優秀な人間が、大量にね。この成績では平凡と言わざるをえない。社内競争もはげしいのですよ、便通は」
「本当にそうでしょうか。私はこの資料を見ても、どうも彼女が平凡であるとは思えません。むしろ優秀にも思えます。大坊さんの同性愛者に対する私情が挟まれたとしか、思えないんですよ。やはり、偏見をお持ちではないんですか」
「いえ、私には同性愛者に対して偏見はありません。それに、私は仕事に私情は挟まない主義です。感情論を抜きにして、彼を解雇に足ると判断したまでです」
大坊が強めにそう答えると「そうですか」と木村は自席に戻り、また別の資料を手に取って大坊の隣に立つ。「生理休暇取るぐらいなら、会社辞めろよ、かっこ笑い」
木村が独り言のようにそう言うと、大坊の目がかっと開かれた。
「そ、それは」
「はい、あなたがよく利用されてるインターネットカフェ、ウロボロスの、パソコンからネット掲示板19chに建てられた、スレッドの名前です。これに心当たりは」
「意義あり」
とっさに、宇月が手を上げて立ち上がる。「これは証人の個人的趣味です。本件とは関係がありません」
「裁判長」
木村もすぐに弁明する。「これは証人の思想がいかに偏見に満ちているかを確かめるのに、重要な尋問です」
「意義を却下します」
宇月の意見が却下されると「再度申し上げます、こちらに心当たりは」ともう一度、木村は聞いた。
「いや……ありませんねぇ」
そう答えるも、大坊の視線はすさまじい速さで、右へ左へと動く。「確かに、ウロボロスは何度か利用したことはありますが、ただネットサーフィンをしていただけです」
「ほう、それなら家でもできるのでは。こういった履歴を残さないために、利用したのではありませんか」
「ネットカフェの個室が好きなんですよ、心が落ち着く。ただ、あの空間に居たいというだけで利用することもありますし、個室は別の人間も利用する、私がやったとは断定できないはずだ」
「なるほど。あなたがいつも使っている個室の番号、覚えてらっしゃいますか」
木村の問いかけに、大坊はびくっと肩を揺らし「いやぁ、どうでしょう」となんとも言えない言葉で否定すると、
「893号室です」
木村が間髪入れず言う。「ウロボロスの店員であるマジメ君が答えてくれました。ちなみに、先々週、あなたはここを利用していますね。ちゃんと監視カメラで確認しています」
「あ、ああ、思い出しました。その日は非常に疲れていて、個室に入ったものの、そのままボーっとしていて、特にパソコンは利用していないはずです」
「なるほど、あなたが利用する前の人間が、この個室を利用したと」
「その通りです」
「ほう、それはー……おかしいですねぇ」
木村はわざとらしく、思案するような間を見せ「この日のこの個室は、あなた以外、利用されてないんですが」と付け加えた。
大坊はぐっと息を詰まらせた。
「そ、そんなはずが」
「いいえ、事実です。我々はネットカフェ、ウロボロスの店長に協力いただき、その日、893号室だけ利用不可にしていました、あなた以外は。ちなみに、過去の履歴は事前に全消去し、あなたの利用後すぐに履歴を確認しました。その際に、立てたであろうスレッド。そして、19chに投稿したレスがこれです。顔が40点、体100点のセフレがほしい。東京大学とかいう一生二番手大学、だぶりゅうだぶりゅうだぶりゅう。マンカスども、またまた男様に物申す。ホモとか絶滅すればいいのに」
大坊の顔から、血の気がさっと引いていき、目はうつろになり、どこでもない少し下の虚空を見つめている。
「これらは確実に貴方がたてたスレッドです。ちなみに、最後のスレッドにはこんなレスを残しています。職場の部下がホモだった。ほんとに気持ちが悪い。同じ職場に――」
「やめろ!」
木村の言葉を、大坊は叫び声でかき消し、証言台に両手を着いた。「頼む……もうやめてくれ」
「では、ちゃんと事実のみを答えてください。それと、確かあなたには、一人息子がいらっしゃいましたね」
木村がそう言うと、うなだれていた大坊の体がピクっと動き、頭を上げて木村と顔を合わせ、黙ってうなずいた。
「しかし、数年前に恋人を連れてきた。それも男の。パートナーシップ契約を結び、岡山で幸せに暮らしているらしいですが、貴方はずっと反対していたらしいですね。いまでも、そのことは変わらないのではありませんか」
「はい」
か細い声で、大坊は答えたが、その時の感情が舞い戻ったのか、微かに怒りに震えていた。
「なら、いまその胸の内をさらけ出してください。さあ、あなたは同性愛者に対して、何とお考えなのですか」
大坊は、すっと息を吸ったかと思うと、
「彼らは、現代社会のガン細胞です!」
胸を張り、声高らかに宣言した。「男同士? 女同士? そんなものは認められない! 明らかに生物としておかしな行為だ! 見るだけで吐き気がする……子供も産めない生産性のない彼らに、社会に居場所はない!」
しんと、法廷が静まり返ると、木村は冷静に口を開く。
「えー、これは証人個人の考え方の問題であり、否定しませんが、私は少し前時代的な考え方だと思います。尋問は以上です」
「やっぱりお強いですね、木村さんは」
口頭弁論が終わり、田所と二人で裁判所の廊下を歩く宇月はそう言った。
田所と常に仕事を共にしているので、宇月は木村が過去に勝っている姿を見たことがない。
しかし、さすがcoot若手のホープ。やはり一筋縄ではいかない。
「奴は確かに、他の弁護士よりは強い」
田所は柄にもなく、木村の実力を認める。「だが、圧倒的に私の方が強い、だからあいつは私に勝てないんだ、今までも、そしてこれからも。次は何をする」
「えっと」
宇月はバックから手帳を取り出して開く。「原告の後輩に当たる社員が2名、昨年に辞めていたので、その方々に話を聞きに行く予定です」
「よーし、絶対にあいつらの不利になる証言を聞きだすぞ、たとえワイロを渡してでも」
「それは犯罪です」
証言台で人事部取締役の方が、こんなことをおっしゃっていたそうです。多田野さんはどう思われますか。
はい、やっぱりこういった考え方は良くないですよね。一人一人、その方が一番幸せな生き方というものがありますから――
喫茶店の壁に取り付けられたテレビでは、野球選手を引退してから大人気コメンテーターとなった多田野が、アナウンサーから質問を受けて、それに返していた。
「いえ、特に問題なんかはありませんでした」
多田野がコメントを続ける中、そう答えたのは田所の元後輩である遠野という男だった。
学生時代水泳をしていたらしいが、体は細く、緊張しているのか目線をきょろきょろと動かしていた。
「本当にそうですか」
そんな遠野に、田所は容赦なく質問をぶつけていく。「例えば、すぐ感情的になるとか、自らの失態をキミに擦り付けたりだとか」
「いやぁ……そんなことは」
「何だっていいんですよ。何度も経験した話でなくても、ちょっと嫌な気持ちになった時の話をお聞きしたい」
「そう言われましても」
ふと眉を寄せて首をかしげる遠野を見て、宇月は、彼は返答に困っていると言うより、なにかにおびえているような印象を受けた。そんな時――
――あんなん、めちゃくちゃですやん!
不意に、テレビの音量が上がったかと錯覚するほどに、ニュースに出演するコメンテーターが叫ぶと、全員の目がテレビへ向いた。
関西出身の有名料理人、カーリーだ。彼もまた人気コメンテーターの一人。
――ホモやレズが気持ち悪いって、ええ年した大人がなにをゆうとるっちゅう話ですわ。誰好きになろうが、本人の自由でしょ。ほんまに、便通も、その弁護士もどんな神経しとんねん。
不本意であるとはいえ、まさにその弁護士である宇月の胸に、その言葉はグサッと突き刺さった。
と同時に、遠野の思考もまた理解する。
カーリーの意見は、全日本とは言わないが、多くの日本人の本意だろう。
遠野もまた同じかもしれないし、何より田所の味方をするということは、大多数の人間を敵に回すということだ。
おびえるのも無理はない。下手なことを答えれば、マスコミにさらされ、ひどい攻撃を受ける可能性だってある。
それを危惧してなのか、何も情報は得られないだろうと、話し合いを早々に終わらせ、宇月達が帰ろうとしたとき、
「あの」
遠野は立ち上がり、宇月たちを呼び止めた。
しかし、すぐに要件はいわず、思案の間を少し挟むと「僕の意見とか、特に法廷で言わないですよね」と確認をしてきた。
もちろん、そんなことはないと伝えるが、この様子ではもう一人の元後輩の証言にも、期待することはできないだろう。
「完全に全国民の敵ですね」
喫茶店を出て宇月がそう言ったが、田所から返事はなく、なにか考え事をすように黙りこくっていた。
「ん、先生?」
宇月が呼ぶと、田所はハッとした様子で「なんだ」と答えた。
「いや、ただ完全に周りが敵だらけだなと思って。何か考え事されてましたか?」
「少しだけな。敵だらけといっても、どうせ裁判に勝てば手のひらを返す。心配せずとも我々には弾はまだある。このまま蜂の巣にしてくれるわ」
「裁判長、こちらの写真をご覧ください」
第三回となった口頭弁論は、田所のその言葉で口火が切られた。
宇月によって運ばれたのは4つの縦に長い、車輪のついたボードだ。そこには、女装した鈴木の等身大の写真が貼られてあった。
それが並ぶと、裁判官の顔はあからさまに引きつる。
極限まで短いミニスカ。胸元が開いた、ピチピチのボンテージスーツ。背中が開き、脇が丸見えのタートルネック。極めつけは、ほとんど局部しか隠れていないメッシュの服装。
竹之内の情報をもとに、田所が嫌々ながらもこれらを着て、撮影した写真だ
どれもこれも、一目で変質者だとわかるものだった。
宇月は、悪いことをしているなと思いながらも、そのボードを回して傍聴席にも見えるようにすると、悲鳴にも似た声が上がる。
『ヴォエ』
『ちょまて、こんなブスええん?』
『ヤメロォ! ナイスゥ!』
「せ、静粛に!」
カンカン、と裁判官が、せかし気味に木槌を叩いた。
「これらの服装は原告が出勤する際に、実際に自ら身に着けていたものです。正直に申し上げまして、出勤する服装としては不適切であり、不愉快極まりないものであります。彼女の解雇における十分な要素の一つだと思います。以上」
「感性とは人それぞれです」
木村は立ち上がり、落ち着き払ってそう語る。「確かに、これらを気色が悪いと感じる人もいるでしょう。ですが、それはそう感じ取った人間の問題であり、彼女は何ら犯罪に抵触はしていません」
「何をおっしゃるか、こんなものは公然猥褻罪同然です」
その田所の言葉に、
「なら罪に問うてはいかがですか」
と木村も挑発めいて返す。
「あくまで同然と言ったまでで、罪には問えません。ですが不適切であることは事実だ」
「不適切かそうでないか。そんな個人の感情によって変わる曖昧なもので、彼女の服装の自由を妨げる権利はありません」
「実際に障害が出ているんです。同じ職場にこのような人間がいたときに、あなたは今まで通り同じ仕事ができますか」
「憶測の話は答えかねますが、私は通勤するには問題ないと思います。それに、原告は服装に対しては一度も注意されたことがないと、おっしゃっています」
「当然です。社会人であれば、こんなもの自主的に控えるべきだ」
「それが企業の横暴だといっている」
木村は強く言葉を貸した。「たとえどのように罵られようと、彼女はこの服装が好きで、この服装を着たいのです。それを阻止しようとするのは、人権の1つ、自由の侵害に他ならない……それは許されざる行為だと思います。以上です」
次に宇月が持ってきたボードに貼られてあったのは、日本カメラメーカー、キャノン砲が制作した、宣伝用ポスターだ。
一人の女性が、マフラーをなびかせながら、夕焼けに向けったカメラを構えている。
「こちらはカメラメーカーである、キャノン砲の宣伝ポスターです。しかし、このポスターは去年のある時から、新型カメラを発売するにあたり、新しいものへと変える計画がありました。その際に便通にデザインを依頼。元社員である原告が所属するチームが担当し、新しいポスターを作りました。それがこちらです」
宇月がボードに貼られてあるポスターの隣に、もう一枚同じ大きさのものを張り付ける。
そこにうつされていたのは、こちら側に対し、カメラを向けるガチムチの金髪アメリカ人。それもブーメランパンツ一丁の姿でだ。
その股間はかなりもっこりしており、明らかにそっちの趣向が見える。
「見てくださいよこれ、カメラの宣伝ポスターとは思えませんよ。ポスターを見る人間にカメラを向けるガチムチアメリカ人レスラー。どう見ても原告の趣味丸出しで、便通の評判を落とす行為であるといえます」
「しかしながら、それはチームで行った案件ですよね」
木村は質問を飛ばす。「しかも主導していたのは原告ではない」
「確かにその通りですが、その中でチームリーダーを除いたときの一番年長が原告でした。それに、自らの性的少数派であることを利用し、意見をゴリ押したと思われます」
「意見をゴリ押したというよりは、そのリーダーの方も原告の意見に納得して、こちらの作品を提出されたのでは。確かに、カメラ広告にしては不自然かもしれませんが、その仕事を依頼したキャノン砲サイドは、男らしく、斬新なものにしてくれと依頼していたようですが、事実、斬新かつ男らしさを感じます」
「斬新? 男らしい? 奇奇怪怪でホモホモしいの間違いでしょう」
「それはあなたが芸術というものを理解してないからだ。斬新さというものは、無恥な人間には奇奇怪怪に映りますからね」
「それはこっちのセリフだ。奇抜なものを、とりあえず斬新と言っておけば通ぶれるとでも思っているのですか。あなたのような人間が、クソみたいな落書きや意味不明な現代オブジェを高値で取引されるのでしょうね」
「ここで代理人である私とあなたの美的センスについて争っていても仕方ないでしょう」
木村は立ち上がり、手に持っている資料を裁判官に見せるよう掲げる。「こちらは、そのキャノン砲の新型カメラの売り上げです。ポスターが出てからというもの、右肩上がりになっています」
「事実、このポスターによって売り上げはあがった。しかし、それはあまりのもホモホモしいあまり、インターネットで話題になったからだ。結果、それはホモの人間を中心に売れ行きを伸ばしましたが、すぐにネットの一部ではホモカメラとよばれ、一気に売り上げはさがった」
「発売後、時間がたち目新しさがなくなれば、売り上げが落ちるのは当たり前です。今はスマートフォンにも高性能なカメラが付いていますから、それも影響しているでしょう。原告の趣味が入っていたのかもしれませんが、依頼内容を遵守し、売り上げを伸ばすという宣伝ポスターの目的は果たされています」
「その一時的な売り上げで、便通やキャノン砲は企業イメージを損なった」
「損なう? いったい何を損なったというのですか。男性向け広告、女性向け広告があるのなら、同性愛者向け広告があっていいはずだ」
「そんな少数に向けた広告がどこにあるというのですか。結果として、男性購入者を減らしている以上、このポスターは失敗だ」
「それは貴様の個人的な意見だろう。アンケートによれば、男性購入者は増えている」
「当たり前だろ! 買ってるのは、みーんなホモだからな」
「そんなものは言いがかりだ!」
二人の議論がほぼ言い合いになってきたところで、裁判官が木槌を叩き「二人とも落ち着きなさい」と諭され、肩で息をする二人は口を閉ざした。
「ともかく」
木村はゆっくりとした口調で言った。「そのポスターは、決しておかしなものではありません……以上です」
田所と木村、二人の対決は、ほぼ五分と言っていいが、宇月の見立てではやや田所がリードしているといったところだった。
このままいけば、田所が勝利する。しかし――
「うーん」
口頭弁論を終え、事務所に帰った宇月はリビングで一人、首をかしげてうなった。
「お疲れ様です」
ねぎらいの言葉をかけ、新庄は紅茶を宇月の前に置く。「そもご様子ですと、かなり押され気味ですか」
「ありがとうございます。いえ、裁判には勝ちそうなんですけど……これに勝ってしまうと、何というか、あまりにも同性愛者の方がかわいそうというか……平等じゃないっていうか」
「平等? フッ」
人を小ばかにしたように笑う声が聞え、顔を向けると、田所が窓際に置かれたソファーに腰掛けていた。
目線は外に向けられており、その表情はうかない。
「なにが面白んですか」
宇月が食って掛かると、
「やはりお前はアホの美大落ちだな」
田所は、目線はそのままに、面倒くさそうに答える。「平等なんてどこにもありはしない。そんなものは幻想だ」
「意味が分かりません。確かに、世の中には不平等と思える部分はまだまだありますが、過去の人々は努力と団結で不平等と立ち向かい、さまざまな平等を勝ち取ってきました」
「またその話か、くだらん。それはそいつら勝者が考える平等だろう」
「いいえ、みんなが考える真の平等です。だからこそ強い力で団結できたんです」
「そのみんなが考える真の平等が、脳みそメルヘンの幻想だといっている。例えばだ、子供、青年、老人の三人がいたとしよう。パンが三つあったとして、どう分ければ平等になる」
「何ですかその例え話は。簡単なことです、ちょうど人数分あるですから、一人に一つずつ分け与えればいいんです」
「ほう、そうか。だが、子供は体が小さく、青年や老人と違いパン一つでお腹がいっぱいになる。これでは相対的に見て子供が一番、得をしているんじゃないか」
「ああ、そうですね。じゃあ、子供のパンを半分にして、それを青年と老人で分ける。0.5、1.25、1.25、と分ければ」
「おいおい、ちょっと待て。この中で一番の労働者は青年だ。青年の量が、体が弱り労働力の低くなった老人と同じというのは、おかしいんじゃないか」
そう言われれば、確かにそうだ。
「じゃあ、子供の半分を、そのまま青年に渡して」
「いえいえ、お待ちになってください」
不意に、新庄も話に入ってくる。「ご老人は、きっとこれもでに子供と青年、お二人を養ってきもした。ならば、ご老人にも少し得があってもいいのでは」
「え、ええ? ええっと」
頭の中がこんがらがってくると、田所はさらに追撃をかける。
「いやいや、新庄君ちょっと考えてみてくれ。子供は青年や老人よりも生き、未来がある。先行投資として、彼に一番パンを上げるべきではないか」
「確かに、おっしゃる通りかむしれもせん」
「ん? ちょっとまて、いくら働こうが生きようが、人間は一人一人平等に扱うべきかもしれない」
「なるほど。そうとも考えられもすね」
「てゅわああああああああああああ」
脳みそが処理限界に達した宇月は、頭に手を添えて叫んだ。
「ほれみたことか。絶対的平等、相対的平等、論理的平等。平等というだけでも色々あるうえ、細かく突き詰めていけば、人間の数だけ平等というものは存在する。全員が納得する真の平等などあるわけがない。現に日本という国は、平等の名のもとに不平等に我々、高所得者から税収を徴収している。あるのは平等という名の少数派を黙殺した多数派の横暴か、権力者の暴力だけだ」
宇月は言い返したかったが、自分の頭では何をいっても無駄だと悟り、しゅんと口をとがらせて肩を落とした。
すると、いまだに田所が窓の外を見て、浮かない顔をしているのを不思議に思う。
いつもなら、言い負かした後も、美大落ちだの多少ブサイクだのと死体蹴りをかましてくるはずなのに。
「どうしたんですか、先生。うかない顔して……便秘ですか」
「先生は最近、便通がよろしいですが」
すかさず新庄が説明に入った。
「え、じゃあなんでそんな顔してるんですか」
「私が便秘以外で悩まないとでも思っているのか。まったく」
田所は、ふうっとため息を吐くと「裁判のことだ」そう言った。
「裁判? いや、そんな悩むようなことありましたか。私から見てですが、優勢のように思えましたけど」
「実際、いまのところ優勢だ。だが、木村の考えが気になる」
宇月はこれまでの裁判をさかのぼり、考えてみたが特におかしいところはない気がした。
「なにがそんなに気になるんですか」
「被告代表の竹ノ内が、まだ尋問を受けていない」
あっと、思わず宇月は声を出した。
確かに、元上司というかなり近い関係であった、竹之内の尋問がまだ行われていなかった。
「でもですよ、それって尋問することが特にないからじゃないですか」
宇月はそう問うも「いや、それはない」と田所は否定する。
「接点が多い以上、尋問しようと思えばいくらでもできるはずだ」
「いやぁ、それならそれでとっくに尋問を行っているはずでしょう」
「確かにそうだが」
田所はそう言って黙る。
「考えすぎじゃないですか。先生らしくもない」
楽観的にそう答える宇月に、いつものように毒づく様子もなく、田所ただじっと空を見上げていた。
普通に考えてはありえない、きっと杞憂に終わるだろうと考えていたが、宇月のその考えとは裏腹に、次回の口頭弁論で田所の不安は現実のものとなった。