ダンジョンに鎧武がいるのは間違ってるだろうか 作:福宮タツヒサ
月明かりが幻想的に見えるその夜景は、いつもと違っていた。酒場の灯火が辺りを照らし賑わいに満ちているはずなのに、その日はどこの酒場も臨時休業の看板がぶら下がっている。
まるで、これから起こる災害に警戒しているかのように、ひっそりとした夜だった。
不吉を漂わせる被災地——【ソーマ・ファミリア】のホーム内——で、神でさえ予測できなかった
——
「——神ソーマだな」
「何者だ……?」
不気味なほど薄暗い部屋——【ソーマ・ファミリア】の主神が所有する酒蔵——にずっと閉じこもっていた男神ソーマは、億劫な表情のまま来訪者に顔を向ける。
襲撃者は全身がローブで覆い隠され素顔が見えないが、全身から溢れ出る殺気が丸わかりだった。
「あんたがいると困る者が多い。この下界から消えてもらう」
来訪者はソーマを狙った襲撃者。ロクに面倒を見なかった無責任な神に憎悪を抱いた者の一人。
何やら外が騒々しいとようやく気づき始める。
しかし、知ったことではない。【ファミリア】内で抗争が起ころうとも、趣味である酒造りの邪魔をしない限り、
「……くだらない。この
酒造りの邪魔になる、ソーマは重い腰を上げて神意を放った。普段はやる気など全く見せないが、こういう時に限って
神意の瘴気に当てられた襲撃者はその場から動けなくなってしまう。それを確認したソーマは興味なさそうに踵を返す………………だが、
「……………そうやって、あんたはいつも趣味ばっかりだな………ふざけるな!!」
ソーマの足が止まった。
まさか、あり得ない……と疑いながら襲撃者の方へ振り返ると、懐からナイフを取り出す襲撃者の姿があった。
神意に当てられているはずなのに……動いている。
「あんたは、自分が造った酒で酔っ払う奴を叱るわけでもなく、ただ黙って自分の趣味に没頭するばかり。おまけに身勝手過ぎる団員の暴走を止めようとしなかった………あんたの作った酒のせいで、あんたの身勝手さのせいでパパは死んだ!
酒に溺れる下等な存在、本気になった神に逆らえないはずなのに……? その気になれば
「もう私には何もない! これも全部ッ、あんたのせいだぁあああああ!!」
「ッ———がは!?」
目の前の出来事が信じられず呆然と突っ立っていると、飛びかかってきた襲撃者に押し出され壁に叩きつけられる。
背と胸に衝撃が走ったのを感じ、ソーマは自分の胸にナイフの刀身が刺し込まれているのを目にした。
力任せでナイフの刀身が引き抜かれたと同時に、
「っ……痛い、痛いっ……嘘だ、こんなことが……嘘だ……!」
泣き言を漏らすソーマは、今まで味わったこともない苦痛に顔を歪めながら身を捩る。
その眼前で、襲撃者はナイフを頭上に掲げた。
天界でも感じたこともない感情に陥り、顔面が蒼白に染まるソーマ。
「……や…やめ………!」
「はぁ……はぁッ……あぁあああああああああああああーーーーー!!!」
振り下ろされたナイフは狙いを定め、男神の脳天を真っ二つにする。
額からブシャァアアア!! と大量の血が噴出し、身体に襲ってくる激痛と恐怖に支配される。と同時に、天空に巨大な光の柱が立ち昇り、無数の光に包まれた
下界から追放される最中「痛い、痛い……」「眷属なんて、作らなければ良かった」「こんな痛い目に遭うのなら、一人の方が……」と譫言を口にする。
最期まで自分のことしか頭にない、
『——ま、まさか! そんな馬鹿なぁあああああッ!?
神を連れ去った無数の光が空に吸い込まれ部屋に一人で佇んでいると、驚愕に満ちた声と喧しい騒音が外から聞こえる。
部屋の窓から外を眺めると、団長と思しき眼鏡の男が信じられない形相で光の柱を見ていた。男の周囲には武器を持っている団員の五十以上が群がり、神が天界へ送還されていく様を静かに眺めていた。
光が消え去った途端、取り囲んでいた団員の誰もがお構いなしに団長への殺意を募らせる。所詮、
『ま、待てッ!! 私はこの街で出回る全ての神酒の主導権を握っているんだ! この私を傷つけばギルドが黙って……げごぁッ!?』
団長——ザニスの説得も虚しく、一人の団員が怒号と共にザニスの顔面を棍棒で殴り黙らせる。潰れたヒキガエルのような声を上げながらザニスは眼鏡を壊され鼻の骨格を歪められてしまう。
しかし暴行は止まらず、崩壊した水溜めのように怒り狂った団員達が一斉に押し寄せた。
『うるせぇんだよ、このインチキ眼鏡が!! 今までよくもコキ使ってくれたな!!』
『ぐぁッ! こ、この無能共が! 今までこの私がお前達を纏めてやったことを忘れたのか……ごぺぇッ!?』
『な〜にが纏めてやった、だ!? 散々利用した挙句、俺達を騙しやがって! 神酒どころか水の一滴だってくれなかったじゃねえか!? もう我慢できねぇんだよ、神酒を出しやがれ、クソ眼鏡!!』
『く、来るなぁ!? この私に近寄るな! 薄汚い身の程知らずが……べぇッ!!? あ、あがッ…!』
『殺せ! こんな奴、殺しちまえ!!』
『そうだそうだ! そんなクズ、ぶっ殺して神酒を奪え!!』
『神酒を独占しているコイツを殺っちまえッ!!』
『神酒を!! 神酒を!! 神酒を!! 神酒を!! 神酒を!! 神酒を!! 神酒を!!!』
『がぱぁぁぁッ!! ……や……やべでぇええええええええええええッ!!?』
骨や臓器を粉砕され、髪を引き千切られ、全ての歯をへし折られても、怒りに呑まれた団員は殴る力を緩めようとしない。ザニスが意識を手放そうとしても殴られて無理に叩き起こされる。全身の骨格が軋み出し、激痛と恐怖で涙ながらに発した悲鳴も、団員達の神経を逆撫でする行為に変換されるだけだ。
「【ソーマ・ファミリア】の終わり、ね……」
狂気に満ちた光景を眺めていた襲撃者は、自分が涙を流していることに気づく。
喉から込み上げてくるものを押し込められず、口角が自然と上へ釣り上がる。
「くふふ………あはははははははははははははッ!!」
小言を呟いた襲撃者——少女は次の瞬間、声を上げて笑い出した。
仇といっても過言ではない元凶の一人が悲惨な目に遭っているのだ。気持ち良くないはずがない。
「パパのかたきはうったよ! わたし、パパをころしたソーマに、ふくしゅうできたよ! ほめてくれるよね? よくやったね、って、あたまをなでてくれるよね? ねぇ、パパぁ! パパぁッ!!? ……アハハはは、アハハははははは!! わたしはイイこ、わたしはイイこ、わたしはイイこだもんねー!? あはははははははははははははははははははははははは、あはははははははははははははははははははははっははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!」
少女の口から狂った笑い声が止まらない。溢れ出る涙を拭かないまま、誰もいない部屋の中で踊るように狂喜する。
外で鳴り止まない
その日、空に浮かび上がった白い月はとても美しく、これまでになく妖しい光で狂乱の光景を照らし続けていく。
▲
——【ソーマ・ファミリア】の内部崩壊——
後にギルドからの要請で【ガネーシャ・ファミリア】による素行調査が行われる。
内部抗争に巻き込まれた
尚、今回の襲撃とは関連性がなく、確かな物的証拠もないが……近辺で【
△
「……え? 【ソーマ・ファミリア】が、内部崩壊?」
「ああ、そうらしい」
早朝から突然のことで、リリは固まってしまう。
幸祐達が地上へ帰還してから数日間、リリは幸祐達が住んでいる協会に匿ってもらった。その間、どうすれば【ソーマ・ファミリア】から抜け出すことができるか幸祐は考えてくれたのだ。
だがこれ以上、恩人の手を煩わせたくない。酒欲しさに【ソーマ・ファミリア】の襲撃で幸祐達に迷惑をかけたくなかった。何より幸祐の優しさに浸る度に、一度彼を騙した罪悪感で辛くなってしまう。
リリは今日の早朝、二度と自分と関わらないように幸祐達に忠告した後に、ホームから出ていく決意をした。
よって……唐突な朗報を幸祐から聞かされて目が点になってしまうのは当然だ。
「ちょ、ちょっと待ってください、コースケ様! ほ、崩壊……崩壊って、どういうことですか!?」
「俺も聞いたばかりだけどな。あるギルド職員に話を聞いたら……その【ファミリア】の団長が満身創痍の姿で発見されたらしい」
対処に追われていたあるギルド職員——エイナから聞いた話によると、神酒の欲しさに我慢できなくなった団員達による
如何にLv.2の
捜査の過程でザニスに様々な不正事実が発覚したが、怪我人を牢屋に閉じ込めることもできず入院という名目で捕縛し、退院後は然るべき処置が降ることが決定している。数人がかりで暴行を受けたことで心的障害があることも加え、ザニスは冒険者として活動する猶予を摘み取られた。
同じく捜査で【ファミリア】内の殺人未遂や強盗など、過去に越権行為を犯した団員達の犯行も暴かれ、元団員達は、冒険者復帰はもちろん普通の生活を送ることすら難しい。
念のため幸祐は、元団員だった『リリルカ・アーデ』のことを確認した結果……そのような少女の名は【ソーマ・ファミリア】に存在しない……という知らせを聞き安堵した。
「【ファミリア】がないなら脱退金も払う必要もない。いない者と思われているから罪にも問われない……つまり、お前は自由ってことだ」
「そう、ですか………何だか実感が湧きませんね」
事件の全て、【ソーマ・ファミリア】崩壊の概要を能天気に話す幸祐に対し、リリは恨みがましい視線を送りたくなる。昨夜から抱いていた決心を返してほしいと思った。
嬉しいはずなのに、どこか不自由さを感じてしまう。
突然のことで当惑の感情が勝っていた。
念願だった【ソーマ・ファミリア】からの脱退ができたとはいえ、この先どうすれば良いのか全く分からない。いざ自由を勝ち取っても、リリは不自由な暮らしに慣れ過ぎている。
「あ〜……これは俺の勝手な提案だけど、俺達のところに来るか?」
「えっ?」
「前にも言ったけど、俺の【ファミリア】は新生したばっかりで、団長と副団長を入れても団員が二人だけでな……お前が良かったら、どうだ?」
怒涛の展開で混乱しているリリに遠慮しながら掲げた突拍子もない提案。
リリの事情も知っているし、受け入れてくれるとは思うが……何故か二人は、敵意とは違った意思をリリに向けていた。ベルは何やら対抗意識を燃やしており、ヘスティアに至っては親を取られた子猫のように威嚇していた。
状況が把握できず、リリに大丈夫か尋ねたが「女には負けられない戦いがあるのです」と、二人に劣らずリリも対抗意識を燃やしていた。
……話は逸れたが、幸祐の提案を聞いたリリは難色を浮かべている。
「……リリは、サポーターですよ? 荷物運びや化かすことしか取り柄がない、役立たずなんですよ?」
「それを言うなら俺だって、
そう言いながら
「どうしてっ……他の誰かじゃなく、リリを必要とするのですか? 同情なら結構ですよ。自力で探せば、いくらでも居座る場所は見つかりますから。それにリリは………」
「——お前が必要だからだ」
リリの眼が見開いた。
その先に続く「貴方の隣にいる資格がありません」という言い分を遮られてしまい、そのまま幸祐の本音を聞かされる。
「うちの団長はまだダンジョンの知識に疎くてな。俺も副団長として頑張っているけど、やっぱり先人の知識が必要っていうか……冒険者のあれこれを享受してほしい。その、経験者というか、その手のプロにな」
幸祐の正直な発言にリリはおかしな人と思ってしまう。
第一印象はお人好し。
次に意地汚くて図々しい。
その次に——“お人好しなヒーロー”
「それにな、俺達に迷惑がかかると思ってしまうのは、お前が優しい証拠だ。そんなお前だからこそ、俺達のところに来て欲しいと思っている」
結論……やはり、どこかズレた少年だった。
役立たずのサポーターの
この少年の常識外れな言動はまるで神様、それこそ
「だからさ、俺達の
人生で一番言われてほしかった言葉を、堂々と眼前でいわれる。しかも意中の相手に、だ。
「……良いん、ですか? リリが皆様の、コースケ様の隣にいても」
「まぁ、お前の人生だ。お前が心の底から笑顔になれるように、好きに決めれば良い……ただ、“様”付けは止めてくれよ?」
「俺は好きじゃないから」と告白する幸祐。その歯痒そうな表情にリリは思わずクスッと笑みを漏らす。
『サポーター風情が冒険者と対等の立場なんて身分違いだ』という、どこかの
(本当に、今まで会った冒険者の中で……
以前そんな偽善者に命令されるのが嫌いで仕方なかったはずなのに、幸祐に言われると心の奥底から嬉しいと感じる自分がいる。神酒の時よりも支配されたことに苦笑するしかない。
………もう迷いはない、リリの答えは一つだ。
「はい! リリルカ・アーデは誠心誠意、貴方の【ファミリア】貢献に努力します。これからお世話になりますね、コースケ
もう暗い表情を負った少女はいない。
堂々と太陽の暖かい光を浴びることができる、
△
「………気に食わねぇな。嗚呼、全く気に食わねぇ」
鬱憤を晴らすため惨殺された大量の下級モンスターが地面に転がっている階層、散らばった魔石の中心で独り言を漏らす男がいた。身長を優に百八十
リヴィラの街から離れた荒地で、男は“あの現場”を目撃していた。
経験値も能力差も圧倒的に足りない蒼髪の小僧が、赤髪の襲撃者を追い払った光景。
あの光景を思い出す度に、生き血を彷彿とさせる赤黒い眼がギラつく。
「期待の
頭の
主神や団員には「用事ができた」と告げただけで相手にせず、不気味な赤い槍を備えて単独でダンジョンへ赴く……懐に仕舞った黒い物体と、
「力を得たからって調子に乗りやがって。テメェの化けの皮、剥がしてやるよぉ」
愉快そうに、それは団員から見ても恐ろしく暴虐に満ちた形相で、身も心も