みゆき♡ダークネス 作:烏滸底オコ
秀知院学園の生徒会室では、今日も役員たちが仕事に励んでいた。
「やっと仕事の終わりが見えてきましたね」
書類の束をとんとんと整えながら、長いソファの右寄りに座った四宮かぐやが口を開いた。そして心の中でこう続ける。
(そろそろ仕掛けたいところですが……会長は大丈夫なのでしょうか?)
恋愛頭脳戦──。
副会長のかぐやが目論んでいるのは、その勝負で会長の白銀御行に完勝すること。具体的には、白銀に告白させることである。
白銀もまた、かぐやに告白させようと考えている。ゆえに二人は幾度となく「こうどなずのうせん」を繰り広げてきた。
そして今。
いつもなら
(この部屋に着くまでのわずかな距離ですら、何度も
事前の仕込みが無駄になるのは残念だが、ここはむしろ方針を変更して。会長の健康を気遣って良妻賢母の資質を見せつけておくべきかもしれない。
そこまで考察を進めたところで。
(って、誰が妻よ!)
かぐやは勝手に自爆した。
「ああ。今日は少し手間取ったな……む。インクが切れたか」
かぐやと同じソファの左側に腰を下ろして書類にサインを続けていた白銀は、万年筆を置いてゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、膝がかくんと折れて白銀の身体が右に傾いていく。
「なっ!?」
「えっ?」
「ほえっ?」
白銀の声とかぐやの声と、何の悩みもなさそうなぽわぽわした声が重なって。
気が付けば白銀はソファの上で四つん這いになって、かぐやを押し倒していた。
(くそっ。今日の俺は何なんだ。体調には何の問題もないのに、なぜかやたらと転けそうになる。他の生徒に見られているところでは醜態を晒すまいと気を付けていたのに、ここでは気が緩んだか)
内心で舌打ちをした白銀は、おそるおそる状況を確認していく。
自分の両膝がかぐやの左足を挟み込んでいる。あるいは、左膝でかぐやの両足を押し広げていると言ったほうが適切だろうか。
二人の上半身はソファの右奥に向けて斜めに伸びているが、両肘をついた瞬間に力を込めたので身体は密着していない。かぐやの左頬に触れている手のひらだけが唯一の例外だ。
とはいえ、つい目と鼻の先には、かぐやの顔が。
(ちょちょちょっと落ち着け俺。これってどう見てもセクハラだよな。すぐにでも離れるべきだが、あまり慌てすぎると……)
『あらあら。こんな程度でうろたえるなんて、会長は意外と
白銀の想像の中で、かぐやの声が響き渡る。
『お可愛いこと』
駄目だ。この展開だけは避けなければ!
白銀は必死に心を落ち着けて、かぐやの頬に触れていた右手をそっと持ち上げて。
(四宮の肌って、すべすべとかぷるぷるってレベルじゃないぞ。なにこの手触り。それに至近距離で見る四宮がお可愛すぎて……ああ、やばい。表情が緩まないように頬に力を入れないと。あれ、俺は何をしようとしてたんだっけ?)
第三者から見れば白銀は鬼の形相で、押し倒したかぐやに向けて右手を振り上げている体勢だ。
だが当人は雑念で頭がいっぱいだし、押し倒された側のかぐやは。
(かか会長が人前でこんなに露骨な行動に出るなんて! まだ明るい時間帯ですし、私はそんなに安い女じゃ……あ、意外とまつ毛が長いんだ)
あまりに意外な状況に頭が追いつかず、思考が退化していた。
「ピピー。会長もかぐやさんも落ち着いて下さい。転んだだけって分かってますから、ゆっくり離れて下さいね」
状況を動かしたのは、対面のソファに座っていた藤原千花だった。この生徒会では発足初期から書記を務めている。
どこからともなく笛を取り出して注意を促した藤原は、ひとまず白銀を元の場所に座らせた。
「でも会長、今日はどうしたんですか?」
「そうですね。もしかすると体調が悪いのではないかと、私も気になっていたのですが」
藤原の発言に便乗しながらも、かぐやは間近で見た白銀の顔を何度も思い返しては内心で身悶えている。
「ああ……体調は問題ないのだが、なぜか足元が覚束なくてな」
「無理しちゃ駄目ですよ。会長、今夜はちゃんと寝て下さいね」
(無理っ! さっきの四宮を思い出すだけで絶対に寝付けない自信があるぞ)
なんてことを藤原に言えるわけもなく。
仕方がないので白銀は、今朝からの怪現象を二人に打ち明けることにした。
「それが、昨夜は眠りが深かったのか少し早めに目が覚めてな。軽く水を飲んでから目覚ましが鳴るまで
首を傾げながら白銀が話し始めると、二人は適度に相鎚を打ちながら聞き役に回った。
「覚えているのは変な夢だったって印象と。それから『みーゆーきー』って呼びかけられたことぐらいか。起きた時には気にしてなかったんだが」
とはいえ二人には言えないこともある。
(何となくだけど、夢に出てきたのは四宮っぽい気がするんだよな。あと"IQ3"って思った記憶があるんだが……四宮が幼児化なんてするわけないしなぁ)
白銀は少し先と遠い未来のフラグを立てた。
藤原にちらりと視線を向けると、首をこてんと傾けながら、にこぱーっとした表情で応えてくれる。
(少しオカルトじみているが、四宮の姿と藤原書記の口調で警告を与えられたと考えるのが妥当か?)
ひとまずその結論で納得して、白銀は話を続ける。
「最初に違和感を感じたのは、目覚ましを止めて妹に声を掛けた時だったな。それから何度か転けそうになっては踏み止まっていたんだが、圭ちゃんがお弁当を入れ忘れたまま出て行こうとしたから……」
「したから?」
口ごもった白銀を促す二人。
「慌てて椅子から立ち上がったら足がもつれて、気が付いたら……」
「気が付いたら?」
再び二人に促されて、白銀は少し顔を赤くしながら。
「圭ちゃんに腕枕しながら、もう片方の手で頭を撫でていてな」
ドン引きされるかもと身構えていた白銀だが、二人は表情を崩して頷いてくれた。
(会長ってやっぱり兄妹仲がいいんですね)
(つまり会長が両手で踏ん張っていなければ、さっきも腕枕になった可能性が?)
にやけている理由はまるで違うのだが、それはともかくとして。
不意に藤原が、はっと表情を改めた。
「か、会長……私、原因が分かりました!」
「なっ!? それは本当か、藤原書記?」
驚きながらも藤原に期待の目を向ける白銀。
先程が腕枕の最後のチャンスだったかと唇を噛みしめるかぐや。
そんな二人に真剣な表情を向けた藤原は、こう断言した。
「ええ。これは……ダークネス化、ですね」
「ダークネス化?」と二人の声が重なった。
「転んだ時になぜか女の子に抱き付いてしまったり、ひどい時には服を脱がしたり肌に直接触ったり、無意識にセクハラをしちゃうんです。ラブ探偵なら常識ですが、会長もかぐやさんも、こういうことには詳しくないんですね」
大きな胸を強調してえへんと威張る藤原だが、二人がそれを知らなかったのは事実だ。ぐぬぬと悔しさを堪えていると。
「いえ。ダークネス化って、そういう意味じゃないですよ」
秀知院学園が誇る生徒会。そこに選ばれし第四のメンバー石上優が。
「あ、石上くんも居たのですね」
「机の後ろでずっと隠れて聞いてたの? 石上くん、ちょっと……きもいかも」
今まさに満を持して、ディスられていた。
とはいえ石上はデータ処理のエキスパートである。その能力を見込まれて会計に抜擢されただけあって、間違った情報は断じて見過ごせない性格だった。
「藤原先輩が言ったセクハラ行動って、単なる主人公の属性ですよ。ダークネス化は別のキャラの話なんですけど……もしかして藤原先輩、よく知らないのにあんなドヤ顔で解説してたんですか?」
石上の言葉が藤原を抉る。
「そもそも、これって漫画の話なんですけど。藤原先輩って、現実とフィクションを混同しちゃうタイプですか? 高校生にもなって! しかも、えっちぃ漫画と!」
暴言の銃口が藤原を捉えて離さない。
知ったかぶりがバレてぷるぷる震えていた藤原は、俯いたままかぐやに近づいて。
「かぐやさん。私ペスの散歩があるので先に帰ります。これ、うちの方針で使えないので良かったら。あと、これもどうぞ。じゃあ……」
抑揚のない声でそう告げると、静かに部屋から出て行った。
「石上会計。間違いを指摘してくれたのは助かったが、藤原書記も悪気があったわけではないだろう。時にはブレーキを踏むことも覚えたほうがいい」
何とも言えない雰囲気をものともせず、白銀は生徒会長として先輩として、石上に注意を与えた。
恩人でもあり今や年上の友人とも言える白銀の忠告に、石上が素直に頷いていると。
「ところで、石上くんは先程『えっちぃ漫画』と言っていましたね。男の人って、やはりそうしたものを読むものなんですね」
続けてかぐやも、部屋の空気を改善しようと口を開いた。
えっちな男性にも寛容だと白銀にアピールしているつもりのかぐやだが。にこやかな笑顔を浮かべているつもりなのに、先程の余韻が残っているからか表情が歪んでいる。
「あ、はい。もう読みません。家にあるやつは今すぐ捨ててきます……会長、漫画のついでに我が身も処分したくなってきたので帰ります」
「お、おう。でも死ぬなよ」
にやりと口の端を持ち上げながら鋭い眼光で射すくめられて。
それをかぐやの警告と受け取った石上はぶるぶると震えながら白銀に下校の許可を求めると、部屋から出て行った。
後に残ったのは白銀とかぐや。そしてかぐやの手には、藤原から託されたものが握られていた。
本日の勝敗:藤原と石上の負け。(誕生日おめでとう!)
石上はしばらく恐怖が抜け切らず、仕事を持ち帰る日が増えた。
白銀はかぐやを押し倒して頬に触れた。
白銀の【ラッキースケベ】がLv.2→Lv.3に上がった。
なお、のちの【ルーティーン封じ】である。