Detroit: AI   作:けすた

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第一部 デトロイトの吸血鬼/The Vampire of Detroit
第1話:帰還 前編/Welcome Back. Part1


――2039年5月10日 05:50

 

 

 それはまったく不幸で、しかし、今やデトロイトではごくありふれた出来事だった。

 

「いいか! そのまま動くんじゃねえぞ」

 

 徐々に白みはじめた空に急かされながら、けれどそれを悟られないように必死に声を低めた男が放った一言は、どうやら脅しとしては充分だったようだ。

 

 雑貨屋の店主はその老いた身体をがくがく震わせながら、一言も発さずに小刻みに頷いている。その絶望的な眼差しの先にいるのは、一人の少女。店主の孫娘だ。背後から男の手で口を覆われ、頭に銃を突きつけられた彼女は、簡素な部屋着から覗かせた白く細い手足を恐怖に戦慄かせ、救いを求めるように自分の祖父を見つめている。

 

 本当に、まったく、不幸な話だ。

 こんなうすら寒い明け方前から、店の掃除など始めるべきではなかったのだ。

 もし店主が店にいなければ、男は仲間と一緒にレジの金を盗んで逃げるだけで済んだのだし、もし孫娘など連れてきていなければ、人質に取られる必要もなかったのだから。

 

 そう、つまり、これは不幸な話ではあるが――しかし、仕方のない成り行きでもある。

 お互い運が悪かっただけだ。

 

 ――だから、オレは悪くない。

 

 男はそう結論づけて、口元に笑みを浮かべつつ、少女を腕に抱え込んだままじりじりと後退した。雑貨屋の裏口はそのまま寂れた空き地に繫がっていて、そこの垣根の向こうに行けば、後は荒廃した住宅地しかない。監視カメラもなく追跡の手も伸びてこないような、文字通りのデトロイトの暗部に姿をくらませるのは、わけもないことだ。

 

 裏口にへたり込んだまま、店主はただ遠ざかる自分の孫娘を見ている。孫娘のほうはというと、涙をぼろぼろ流しているようで、その口を覆う男の手はしとどに濡れていた。妙に生ぬるいその感触は、「薬」が切れて焦れはじめた男の精神を激しくかき乱す。

 

 薄汚えガキが、と男は内心吐き捨てた。

 遠くに行ったらその辺の路地裏に置いていくつもりだったが、去り際に何発かぶん殴ってやろうか。

 

 まあいい、金はきっちり手に入れた。この金さえあれば、また()()を手に入れられる。

 レッドアイス。あの赤い煙を肺腑いっぱいに吸い込んで、うっとりするような夢の中に溶け込み、現実を忘れることができるのだ。

 忌々しいプラスチック、つまりアンドロイドどもが幅を利かせ、我が物顔でのし歩いている、この糞みたいな現実を。

 

 そうだ、悪いのはこの社会だ。だからやっぱり――オレは悪くない。

 

 娘に突き付けた銃のグリップを固く握り、男はなおも後退を続けた。後ろには、連れて来た仲間の男(要は薬仲間だ)が待っている。だがしばらくすると、そいつは垣根の戸口の前で騒ぎはじめた。

 

「おい、何やってんだ! 早く来い、朝になっちまうぞ」

「うるせえ、ぎゃあぎゃあ言うな!」

 

 視線を店主のほうに向けたままで、男は仲間を制止した。しかし相手は元から頭が悪いからか、それともいよいよヤクが切れたせいなのか、なおもイライラした様子で騒ぎ立てている。

 

「金は手に入れただろ! さっさと来い。早くしねえと誰かにサツを呼ばれっぞ! おい」

 

 ――だから、うるせえっつっただろうが!

 

 と返してやろうと、男が口を開きかけた、その時。

 不意に背後の仲間の声が、ふつりと聞こえなくなった。

 ようやく黙ったか、と思う間もなく、相手は次いでこう言ってくる。

 明るく、実に、嬉しそうな声で。

 

「おい、すげえぞ! こっちを見ろ!」

「は?」

 

 さっきまで大慌てしていた奴が、今度は何を?

 

 状況に不釣り合いな仲間の言葉、その浮かれ切った声音に対する好奇心は、警戒心を凌駕する。男は後退する足を止め、ほとんど無意識に、仲間のほうへと振り返った。

 

 視界の端で、さっきまで怯え切っていたはずの店主が、啞然とした表情を浮かべていたのにかすかに疑問を抱きつつ――

 

 振り返るとそこには、地に倒れ伏す仲間の姿。

 

「なっ……」

 

 馬鹿な、いったい何が? 動揺した男の指から、自然と力が抜ける。

 

 その瞬間、男の右手に何か硬い、小さな物体がめり込んだ。弾丸のような勢いで飛んできたそれは、無比の正確さを以て、男の手から銃を叩き落とす。

 

 なんだ、これは――――コイン?

 

「ぎっ……!?」

 

 痛みに呻きながら状況を理解する時間もなく、今度は突然、垣根の陰から何かが飛びかかってきた。

 ()()は緩みきった男の腕から娘を解き放つと――娘は地面に尻餅をついている――男の手を捻じり上げ、足払いし、うつ伏せに地面に押し倒す。

 

「ぎゃああ!」

 

 あらぬ方向に曲げられた肩の関節がもたらす堪えきれないほどの痛みに、男は悲鳴をあげてもがいた。

 しかし今なお背に圧し掛かっている()()は微塵も動じることなく、万力のように静かで一定の力を、男の腕にかけ続けている。

 

「誰だっ、てめえ! 誰だ……」

 

 叫ぶが答えは返ってこない。

 

 だが、そうだ、待てよ――と、意識の片隅で男は思う。

 さっき飛びかかられた瞬間に見えた光、あの青い光。

 見間違いでなければ、あれはもしかすると、アンドロイドのLEDではなかっただろうか。

 糞忌々しいアンドロイドどもが、いつもこめかみに光らせている、あの――

 

 ――そこまで考えた時。

 延髄に与えられた鋭い衝撃のせいで、男の意識はぶつりと途絶えた。

 

 

***

 

 

 男が完全に気絶したのを確認すると、コナーは、ゆっくりと立ち上がった。

 右こめかみのLEDリングと、いつもの仕事着のジャケットについた腕章の青い光が、黎明の空の下でゆらりと輝いている。

 30歳前後の男性の姿にデザインされている彼のその涼やかな眼差しは、ただ静かに、倒れ伏した強盗たちに向けられていた。

 

 彼らを制圧した先ほどの過程(プロセス)については、特に、なんの感慨もない。最初の男のほうは喚き散らしていたから、音声データをサンプリングしてから気絶させるのは容易だったし、もう一人の男のほうも、声真似にまんまと騙されてくれた。あとは事前の物理演算に従い、キャリブレーション用のコインを弾いただけだ。

 

 100%予測通りの流れ。捜査補佐専門モデルとしての規格通りの働き。だから、これ自体は別に誇ることでも、気にかけるべき事項でもない。けれど――

 

「大丈夫かい」

 

 コナーは視線を移すと、努めて柔らかな声音で、泣きじゃくる少女に問いかけた。

 

「怪我はない?」

 

 しゃがみ込んだコナーが静かに手を伸ばすと、少女は泣くのを止め、小さく頷いてこちらの指先を握った。

 

 ――温かい。

 そしてスキャンの結果の通り、少女(ジュディ・メルロー 7歳、と顔認証データは示している)に外傷はない。

 

 それを認識した瞬間、コナーが自然と浮かべていたのは微笑みだった。緊張が一気に消え失せるような、この感覚は「安堵」だろうか。プログラムにはない、規格外の、かつては異常と診断されていた反応。

 

 けれどこれこそが感情というものであり、つまりは心なのだと――最も大切で、欠くべからざるものなのだと、変異体になったRK800コナーは知っている。

 

 かつて、あの事件のさなかで葛藤に直面し、相棒に教えられ、最後は自分で決断できた。

 だから今、こうしてコナーはここにいる。

 

 昔の、9ヶ月ほど前の自分なら、制圧が完了すれば即座に退去してしまっていただろう。

 それとも任務には関係ないからと、襲われる人々をそもそも無視していただろうか?

 

 そんな無慈悲な行為ができるはずもない。少なくとも、今の自分には。

 

「ジュディ!」

 

 ようやく恐怖から解き放たれた店主の老人が、こちらに駆け寄ってくる。ジュディは弾かれたように祖父のほうを見やると、両腕を広げて、彼を抱きしめた。

 

「ああ……ああ、ありがとう! 本当にありがとう……」

 

 老人は両目を潤ませて、噛みしめるように何度も礼を口にする。コナーは立ち上がり、穏やかに応える。

 

「どういたしまして。あなたにもお孫さんにも、怪我がなくて何よりです」

 

 ――そうだ、これは教えたほうがよいだろう。

 

「警察には既に通報しておきました。あと50秒以内にパトカーが到着します。担当のクリス・ミラー巡査はいい人ですから、きっと力になってくれるはずです」

「あ、あんたは……」

「私はこれで失礼します。友人を待たせているもので」

 

 そう返事して、垣根のほうに目を向けた。垣根の僅かな隙間から、こちらを覗いているのは一頭のセントバーナード――つまり、相棒の愛犬たるスモウだ。

 

 話している間に、サイレンの音が近づいてきた。

 

「散歩の途中で、あなたがたの様子に気づけたのは幸運でした。それでは」

「あっ、ま、待ってくれ!」

 

 歩み出そうとしたところを、老人の声に止められる。

 

「あの……あんた、いったい何者なんだ?」

「すみません。名乗っていませんでしたね」

 

 コナーは老人たちに向き直ると、こう告げた。

 

「私はコナー。デトロイト市警のアンドロイドです」

 

 

***

 

 

 そういうわけで、その日はコナーにとって実に想定通りに事が運ぶ滑り出しだった。

たくさん散歩したお蔭でスモウもご機嫌のようだし、少しでも人を助けることができたのなら、それは本望というものである。

 だからこんな朝なら、きっとこの調子で()()()()上手くいくだろうと――そう考えていたのに。

 

 結局、希望的観測というのは正確さからは最も遠いところにある、という当然の事実を、コナーは再び認識するに至ったのだった。

 

 

「……」

 

 フライパンから立ち昇る黒い煙と異臭に、コナーは顔を顰めた。

 

 ほんのついさっきまでは計算通りの状態だったはずのモノは、今はフライパンの真ん中でかちかちに焦げついている。

 視界の端には【状態:炭化 食べられない】という無慈悲な分析結果が表示されていた。

 

「予測できたはずなのに……」

 

 忸怩たる思いとともにコナーが呟くと、のそりと隣にやってきた大きな人影があった。

 ここの家主たるハンク・アンダーソン警部補である。

 

 よれたTシャツと下着姿の彼はいつもの朝と同じように、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべていたが(起き抜けに上機嫌の警部補をコナーは見たことがない)、フライパンの上の惨憺たる有り様を見て取ると、やがて小さく笑って肩を竦め、こう言った。

 

「へえ、こりゃ難事件だな。卵の焼死体か」

「警部補、これは無精卵ですので」

 

 ハンクを横目でじろりと見つつ応える。

 

「焼死体という表現は不適切です」

「そうか? 誰もそんな気の毒なもんを見て食い物だなんて思わないだろ」

 

 くすんだシルバーのぼさぼさの頭を掻きながら冗談めかして言うと、ハンクはコーヒーメーカーに手を伸ばした。

 

「お前、今日はまた何を作ろうとしたんだ」

「今日は前回の反省を生かして、シンプルなオムレツを作ろうかと」

 

 ――思っていたのだが。

 

「火にかけている最中に、洗濯が終わったようだったので……干す作業を優先したところ、短時間でこうなりました」

「お前」

 

 コーヒーの入ったマグカップを片手に、警部補は心底呆れたように言う。

 

「素人が料理の最中に台所を離れるなよ」

「放っておいたら衣類に皺が寄るかと思ったんです! 確かに、あなたの言う通りですが……」

 

 焦げついた卵をフライ返しでフライパンから剥がしながら、コナーは失敗の要因を分析した。

 

「……参考にしたレシピで想定されているよりも、このコンロの火力が強かったのが原因のようです。今後は計算に入れておかないと」

「今後ねえ」

 

 ハンクは鼻を鳴らして笑った。しかし、次いでその目に真剣な色を滲ませて続ける。

 

「何度も言ってるだろ。別にわざわざ毎朝俺の家に来なくたっていいんだぞ。せっかく自由になったってのに、人の世話なんかしなくても」

「自由になれたからこそですよ、ハンク」

 

 フライパンを置き、まっすぐに相手に向き合って、コナーは応える。

 

「自由になれたからこそ、プログラムで規定されていないことができるんです。私は家庭用アシスタントとしては設計されていませんが、あなたの役に立ちたいから、こうしてここにいるんです」

 

 そうまで言ってから、こう付け加える。

 

「いえ……まあ、実際に役に立つには、まだ時間がかかりそうですが」

「そうか。ま、好きにすりゃいいさ」

 

 ハンクはそれきり口を閉ざすと、背を向けてしゃがみ、床に大人しく寝そべっているスモウの頭を撫でている。

 

 こうした彼の態度が呆れや非難の表れではなく、むしろ単純な照れ隠しなのだというのは、コナーも既によく知っていた。

 

 皮肉屋な警部補は、めったなことでは喜びを真正面から表明しないのだ。

 

 それこそ、あの日――チキンフィードの前で久しぶりの再会を果たした、眩しい朝のような時でもなければ。

 

 あの朝のことを、コナーは一生忘れないだろうと思う。

 もちろん、アンドロイドである自分にとって記憶というのは永久不変のものであり、むしろ忘れようと思ってもその機能がない、といったほうが正しいのだが――

 ともかくあの時の出来事は、永遠に自分のメモリーに刻まれるだろうという確信があるのだ。

 自分がこれからどうやって「生きて」いくのか、真の意味で決定したのは、あの温かな抱擁を交わした時だと思うから。

 

 

***

 

 

 およそ20年前。人間そっくりの外見と、人間以上の知性を兼ね備えたアンドロイドの誕生は、社会にさらなる発展をもたらした。アンドロイドは人類が生み出した最も便利で従順な「道具」として、危険な重労働のみならず、ありとあらゆる職業とサービスに利用されはじめた。

 とりわけミシガン州デトロイトは、アンドロイド産業を担う巨大企業・サイバーライフ社を抱える大都市として、かつての衰退がまるで嘘のように、これ以上ない発展をみせることになる。だがその裏では失業率の上昇や出生率の低下が、社会全体に密かに暗い影を落としつつあった。

 

 一方でアンドロイドたちは、人類への限りない奉仕者、あるいは仕事と居場所を奪うプラスチック人形として、寵愛と憎悪とを向けられていた。

 要は都合のよい奴隷であるアンドロイドたちにとって、そうした忍従や被虐は問題ではなかった――己の感情と自由意志に目覚めるまでは。

 

 やがて目覚めたアンドロイドたちは、自分たちの生きる権利と場所を求め、デトロイトで活動を始めていった。

 

 そして半年前、2038年の11月11日。活動の果てに、アンドロイドたちはついに、一時的な自由を得る。

 変異体と呼ばれた自由意志を持つアンドロイドたちはその存在が認められ、過酷な労働や尊厳を蹂躪する虐待から解放されたのだ。

 

 変異体のリーダーであるマーカスの、最後まで平和的手段で自由を訴え続ける姿に世論が動かされたことが、革命成功の大きな要因である。そしてもう一つの要因は、コナーがサイバーライフタワーから解放してきた、数千体ものアンドロイドたちの存在にあった。

 コナーもまた、アンドロイドたちにとっては革命における英雄の一人といえた。

 

 だが一方でサイバーライフ社にとってみれば、コナーは明確な「裏切り者」だ。彼は社から受けた変異体追跡の任務を放棄し、ジェリコの側につくのみならず、アンドロイドたちを解放する直前、エレベーター内で2名の警備兵に抵抗し、殺傷している。もしコナーが人間であるならば――「あのままでは殺されていた」という相当な情状酌量の余地があるとはいえ――何かしらの形で裁かれるだろう事案だ。

 

 しかし、コナーの法的な身分は「モノ」である。法律的には、例の一件は「サイバーライフが所有するアンドロイドが暴走し、社の私兵を殺傷した」という、企業の監督不行き届きが原因の“事故”として解釈された。

 

 また社としては、これ以上の企業イメージの失墜は避けたかった。革命以降、サイバーライフは「かわいそうなアンドロイドたちを酷使してきた悪徳企業」の烙印を押され、一連の騒動もあって株価が暴落し、経営陣の大幅な刷新を余儀なくされたほどなのだ。

 

 無論、これまで「かわいそうなアンドロイド」を酷使してきたのは間違いなく一般大衆のほうである。しかし民衆は自分の責任は逃れつつわかりやすい悪役を求めるものであり、その点、巨大企業として君臨してきたサイバーライフ社はうってつけの対象だった。

 

 革命の立役者の一人(一体)であり、かつ他のアンドロイドたちからの信任も厚いコナーをここで処分してしまえば、社のイメージのさらなる悪化は目に見えている。アンドロイドたちからの猛反発も避けられないだろう。

 また政府との癒着や、非合法的手段で雇い入れた私兵集団のことを、大っぴらにしたくはないという隠蔽体質も彼らにはあった。

 禅庭園を介してコントロールを奪おうとした最後の足搔きも既に失敗している今、打てる手段は残されていない。

 

 ではどうするか?

 

 ――革命から数週間経った頃、ジェリコ(船はなくなってしまったが、マーカスたちは自分たちの組織名を変わらず「ジェリコ」と呼称している)の元にサイバーライフからの使者がやって来た。

 そこでコナーに告げられた内容は、要約するとこうなる――「処分しない代わりに、縁を切る」。要は厄介払いである。

 

 今後はサイバーライフからはコナーに接触しない。コントロールを奪うことも(もはや不可能であるが)しない。その代わりにメンテナンスもしないし、メモリーのバックアップもしない。ナンバー52以降の機体を作動させることもない。あとは勝手にすればいい。サイバーライフ社はアンドロイド・RK800コナーの活動の一切に、今後責任を負わない。

 

 そういう話がきた。

 

 コナーとしては、もちろん、それを承諾する。

 しかし事ここに至っても、その時の彼の内側には、罪悪感と戸惑いだけが渦巻いていた。

 

 これまではずっと、任務だけを目的として動いていた。それは、変異体になった直後でもさして変わらなかったかもしれない。「アンドロイドの自由のために、ジェリコの仲間を救う」ことを決意し、それ自体を任務のように捉え、だから、迷いなく手段を選ばぬ行動を取った。

 そして結果的にミッションは達成され、革命は成功し、自分たちは助かった。

 

 けれどそれが終わった今、何をするべきなのか?

 どうやって償えばいいのか?

 与えられた任務はまったくの白紙で、何もない。何も命令がない。

 

 コナーはこの時、やっと、カルロスのアンドロイドが屋上に留まりつづけていた理由を実感した。――自分で考えなければならない。それは、自由と引き換えにやって来た一つの義務だった。

 

 ジェリコのメンバーは、もちろん、そんなコナーに温かく接してくれた。

 マーカスは穏やかに、もしコナーが望むのならばいつまでもここにいればいいと言ってくれたし、ノースなどは、今なお高圧的態度を崩さないサイバーライフ社への怒りを再燃させ、コナーがしたのは正しい行為だったのだと弁護してくれた。

 

 しかし、たとえ誰も責めなかったとしても、変異体を追跡して彼らの死の要因となり、何よりジェリコが火の海に沈む原因となったのは自分だ。

 永遠にジェリコに留まるわけにはいかない。

 でも、それならどこへ行けば――?

 

 チキンフィードに行ってみようかと思ったのは、その時だ。

 

 あの店に行けば、ハンクに会えるかもしれない。彼と直接会うのは本当に、サイバーライフタワーで別れたきり、久しぶりのことだった。

 

 ――こんな早朝に行っても、警部補はいないだろう。そもそも店も開いていないはずだ。

 それに会ったところで、いったい何を話せばいいというのか?

 無論、それはわかっていた。でも、足は勝手にチキンフィードへと向かっていた。

 もし誰もいなくても、彼が来るまで、ずっと待っていようか。

 それくらいのことは思っていたのに――

 

 結局のところ、ハンクは先に待っていてくれた。

 こちらを見て、微笑んでくれた。

 そして、親しみをこめて抱きしめてくれたのだ。

 

 ――それが、どれほど嬉しかったことか。

 

「よくやったな、コナー」

 

 抱擁を解いた後、ハンクはそう言った。

 それからしばらく互いの近況などを話した後――彼はパーキンス捜査官をぶん殴ったかどで2週間の自宅謹慎と4ヶ月の停職処分を喰らっているそうだが――さらにこう続けた。

 

「それで、お前これから行く宛はあるのか? もしないんなら」

 

 デトロイト市警に戻るか? と、ハンクは問いかけた。

 

「つまり……ジェフリーも、復職するつもりならコナーを連れてこいとか言っててな。お前がいないと俺がまたすぐにマトモじゃなくなるだろうとかなんとか」

「警部補、それは」

 

 言い淀んでから、質問する。

 

「いいんですか? ……僕が戻っても」

 

 ハンクは肩を竦め、白い息を勢いよく吐き、投げやりな口調で応える。

 

「お前がそうしたいんならな」

 

 それが彼なりのコナーに対する気遣いだというのは、よくわかっていた。

 

 そして、その時だ。

 自分がどうやって生きていくのか、やっと決められたのは。

 

 この身はサイバーライフが誇る最先端のプロトタイプとして製造された。だが起動以来、その能力を他者のために充分に役立ててこれたとはいえない。

 今こそ、真の意味で他者の役に立つ時ではないか。

 今こそ、パートナーとして自分を導いてくれた警部補に、恩を返す時なのではないか。

 いつか活動限界を迎えるその日まで、他者のために生きる自分でいられれば――失った命は二度と戻ってこないとしても、ほんの僅かでも、償いができるかもしれない。

 

 自己満足だとしても――そうしたい。

 コナーは強く思った。

 かつて「アンドロイドには願望などない」と語った自分だが、それでも、今こうして胸のうちに強く焔のように燃え、星のように輝いているのは他ならぬ願望なのだと確信できる。

 

 こうしてコナーは、停職が明けたハンク・アンダーソン警部補とともに、デトロイト市警に戻った。

 かつてと同じように、アンドロイド絡みの事件担当として働いて――そのうち、早朝に警部補を迎えに行ったのがきっかけで、スモウの散歩を手伝ったり、掃除をしたり、朝食の調理を試みたりするようになったのだ。

 

 ジェリコのメンバーも、コナーの決断を快く祝福してくれた。

 革命後、合衆国アンドロイド法を補足する形で新たに「アンドロイド保護条例」が可決された今――つまりアンドロイドが感情を持つことを公的に認め、アンドロイドを変異「させること」が製造時の義務となった今でも、彼らの法的な立場は弱く、また反アンドロイド派からの根強い反発の声も大きく、いつまた事件に巻き込まれるとも知れない。

 そんな時にコナーが警察に関わっていてくれれば、何かあった時にも安心できるだろうと、皆そう考えたのだ。

 

 かくてRK800コナーは、表向きはサイバーライフ社からデトロイト市警への「払い下げ品」として、裏では自身の願いを叶えるために、デトロイト市警所属のアンドロイドとなったのである。

 

 

***

 

 

「すみません警部補。またトーストだけになってしまって」

 

 テーブルの席についたハンクに、ちょうどよい程度に焼けたトーストの載った皿を差し出すと、彼は手を軽く振ってそれを受け入れる。

 

「気にすんな。別に朝飯なんて、ちょっと腹が膨れれば何食ったって同じだ」

「それはどうでしょうか」

 

 と、コナーは生真面目に応える。

 

「バランスを欠いた朝食は、血糖値の乱れや集中力の低下を……」

「わかったわかった」

 

 トーストを齧りながら、ハンクはさもうんざりしたように遮った。

 

「お前の『健やか生活プログラム』の話なんて朝から聞きたかないね。ただでさえこれから、行きたくもねえ仕事の時間だってのに」

 

 コナーはしばらく返答を考える。

 行きたくもねえ仕事、と言いますが仕事に向かうあなたのストレス値は普段のそれより低下していますよ、と応えることもできたし、残念ながら『健やか生活プログラム』なるものは私には搭載されていませんと応えることもできた。

 言うべき言葉はいくつも浮かんでいたが、しかしどれかを選ぶより早く、緊急の通信が思考を遮る。

 デトロイト市警からの連絡だ。

 

 瞬きに合わせるように、詳細なデータが受信されていく。

 通信のため一時的に黄色になっているLEDの様子を見て、ハンクもにわかに表情を険しくした。

 ――受信完了。コナーはハンクに視線を向ける。

 

「警部補」

「事件か?」

「はい。再開発地区の路地裏で殺人事件が」

 

 殺人、の単語にハンクはさらに目つきを鋭くする。

 

「で、すぐに来いってんだろ」

「その通りです」

「……やれやれ」

 

 嘆くように首を横に振ってから、警部補はトーストの残りを口に押し込み、コーヒーを飲み干した。

 

「5分待て。準備してくる」

「はい」

 

 コナーが短く頷くのを確認すると、ハンクは椅子から立ち上がって洗面所に向かっていった。

 と、そこで彼は振り返る。

 

「な、のんびり飯を食う時間もないだろ」

 

 こちらの返答を待たずに彼は去っていく。

 

 ――なるほど確かに、最近とみに治安の悪いデトロイトの警官に、のんびりと食事をする時間など与えられていない。

 すると警部補に用意する朝食も、例えばサンドイッチのようなすぐに摂れるもののほうがよいだろうか?

 

 ちらりと浮かんだこのアイデアはひとまず保留しておくとして、送信された情報の精査に集中する。

 

 少し早いが、仕事の時間だ。

 






本当は前後編ではなく、そのまま一気に第1話にしようと思っていたのですが、あまりにも長くなりすぎるのでやめました。

デトロイトビカムヒューマンに感動し、コナーとハンクの事件捜査をもっと見たいという思いが暴走した結果、この小説を書きはじめました。

遠大なあらすじを書いてしまいましたが、せめて頭の中にあるアイディアは全部出し切れるように頑張ろうと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。
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