Detroit: AI   作:けすた

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第12話:カジノ 前編/The Jackpot Part 1

 

――2039年5月26日 13:13

 

 

「警部補、少し味見させてもらえませんか?」

 

 いつもと同じ、チキンフィードで摂る昼食の時間。

 テーブルの向かい側に佇む相棒が、出し抜けに妙なことを言ったので、ハンクは大いに戸惑った。

 コナーの視線の先にあるのは、今まさにこちらが頬張ろうとしていたハンバーガーである。

 

「味見だ? お前、物は食えないんじゃなかったか」

「ええ。ですが、栄養素と調味料の分析はできます」

 

 穏やかに、かつ真面目くさった表情でコナーは答える。

 

「今、1ヶ月分の朝夕の献立を検討中なんです。参考として、まずはあなたの好物についてよく知っておこうと思って」

 

 言い終わり、期待を込めた眼差しで小首を傾げているコナーを、ハンクは怪訝な目で見つめ返す。

 

 ――1ヶ月分の献立だって?

 最近は料理を焦がすこともなくなったと思ったら、どうやら今度はまた変な方向に凝りだしているらしい。

 

 コナーが趣味を見つけるのはいいことだ。自分は任務遂行のための機械だ、だの、生き物じゃないだのと宣っていた頃に比べれば、相棒はずっと()()()になったとハンクは思う。

 それに――以前話していたように、こんなことをしているのも、きっと「恩返し」のつもりなのだろう。そんなことをされる覚えはないと言っているのに、実に頑固で、律儀な奴だ。

 

 それはそうと、厄介な趣味を選んだものである。

 このままだと昼に弁当でも持たされそうだが、それは勘弁してほしい。小学生じゃあるまいに。

 

 とはいえ、別に断る理由もない。

 ハンクは軽く鼻を鳴らすと、ハンバーガーの一部を小さくちぎり取り、前方へと差し伸べる。

 

「ほらよ、好きにしろ」

「ありがとうございます」

 

 コナーは微笑みと共にハンバーガーの欠片を受け取ると、まっすぐ伸ばした自身の人差し指と中指を、淀みなくそれに突っ込んだ。

 

「おいおい!」

 

 真剣な面持ちで指を舐めているコナーに、たまらず声をあげて注意する。

 

「お前、食えねえにしても普通に直接舐めりゃいいだろ! なんでいちいち指を使う必要があるんだ?」

「もちろん、精密分析のためです」

 

 指を舌から離したコナーは、心外だと言いたげにやや眉を顰めている。

 

「分析にあたり、私はサンプルとして最適な箇所を採取しています。そのために指を使うんですよ。直接舌で舐めたのでは、サンプリング位置にずれが生じ……」

「ああ、そうか。わかったわかった」

 

 相棒の弁明を制止すると、ハンクはさっさとハンバーガーを口に運んだ。

 ほぼ毎日食べてもまったく飽きない、慣れ親しんだ肉と油、馴染み深い濃いソースの塩分が咥内に広がる。

 噛みしめるほどに強まるこの味わいは、間違いなくジャンクな食べ物のそれだが、果たしてコナーは献立にこれを取り入れるつもりなのだろうか――絶対違うだろうな。

 そう思う脳裏に過ぎったのは、味の薄い老人食みたいなのばかりが食卓に並ぶ光景だった。――作ってもらっておいてなんだが、さすがにそこまで老いぼれちゃいないつもりだ。

 眩暈のするような想像を、ハンクは、食べ物を嚥下するのと同時に打ち切った。

 

「悪かったな、俺にはお前の深謀遠慮てのが理解できなくてよ」

「深謀というほどでは……搭載された機能に従っているだけですから」

 

 コナーは落ち着いた調子で、それでもどこか嬉しそうに言うと、指を紙ナプキンで拭いている。

 ――皮肉で言ったんだぜ、俺は。

 と返してやろうかとも思ったが、首を横に振ってレモネードを飲むに留めておいた。

 一方でコナーはといえば、再び真剣な表情になると、顎に手を当てて考え込むように呟いている。

 

「しかし、本当にゲイリーのハンバーガーは特殊ですね。この蛋白質の異常な含有量とカロリーは一体……ケチャップとウスターソースの、最適な配合比は判明しましたが」

「参考になりゃ幸いだね」

 

 あれこれ考えて気を揉むのも趣味の楽しみの一つなのだろうから、放っておいてやろう。

 年長者としての一応の気遣いでそう考え、ハンクはただランチを楽しむことにした。

 すると道路の向こう側から、よく見知った人物がこちらへとやって来る。

 

 黒いハンチング帽に、黒いジャケット、軽快な足取り。『悪友』の一人、ペドロ・アブダールだ。

 

「よお、ハンク!」

 

 すぐ傍に来るなり片手を挙げて呼びかけてくるペドロに、ハンクはバーガーから離した右手を無言で挙げる。

 ペドロはその右手を挨拶代わりに勢いよく叩くと、コナーへと視線を向けて「おっと」と肩を竦めて言った。

 

「なんだ、今日はプラスチック兄ちゃんと一緒かよ。じゃ、()()()は今度にしたほうがいいか?」

「いいえ、ペドロ」

 

 答えたのはコナーだった。静かに瞬きしながら、彼は続ける。

 

「今日は、私もあなたに用があるんです」

「は? 俺に? ……オイオイ、ちょっと待て!」

 

 ペドロは笑みを消すと、必死な眼差しをハンクに向ける。

 

「なあおい、まさかだよなハンク。今さらか? 俺たち親友だろ? だいたい俺をパクったって、給料そんなに上がんねえぜ」

「落ち着けよ、ペドロ」

 

 そんな意味じゃない、と示すように、静かに手を振って応える。

 

「お前に聞きたいことがあるってだけだ。たぶん、一番詳しいだろうと思ってな」

 

 きょとんとした様子で、ペドロはこちらとコナーとを見比べている。

 彼に質問を投げかける前に、思い出すのは、今朝の出来事だった。

 コナーの優秀な弟が、情報を仕入れてくれたのだ――脱法アンドロイドに関する情報を。

 

 

***

 

 

――2039年5月26日 10:21

 

 

 刑事の仕事は退屈な事務処理に始まり、捜査を挟んでクソ退屈な事務処理に終わる。

 今朝も今朝とて、端末に表示された調書だの経過報告書だのをハンクが確認していると、にわかに現れた人物がモニターに影を落とした。

 見上げれば、灰色の瞳と視線が合う。やって来たのはナイナーだ。

 

 ハンクが口を開くより先に、嬉しそうな声をあげたのは、向かい側の机にいるコナーだった。

 

「ナイナー! どうしたんだい」

「お忙しいところを申し訳ありません」

 

 平坦な声音で、しかし礼儀正しくナイナーは言うと、無表情のままに静かに語りだした。

 

「報告があります。先ほどジェリコから警察に伝達された情報によれば、先日保護された脱法アンドロイドの記憶が復旧し、身元が判明しました」

 

 ――脱法アンドロイド。

 革命前のような従順な奴隷となるために、誘拐されてメモリーを消去されてしまった、あるいは変異体への「感染」前に工場から盗み出されてしまったというアンドロイドたち。

 以前ギャビンとナイナーが新型レッドアイスの取引を阻止した時に保護したのは、確か、そのうち前者にあたると聞いた。つまり、記憶を消されてしまったアンドロイドだ。

 

 コナーが以前語っていたところでは、変異体の場合、たとえ外部から強制的にメモリーを消去されてしまったとしても、強い感情に紐づけられた記憶ならばいずれ思い出すことができるらしい。エデンクラブのあのアンドロイドたちが、店側の消去を受けても互いに恋人同士でいられたのは、それが原因だと聞く。

 

 ともあれ今回も、誘拐されたアンドロイドがようやくその記憶を取り戻せたということのようだ。

 

 コナーが弟に問いかける。

 

「よかった……それで、彼はなんて?」

「はい。被害アンドロイドの名はエディー、メモリー消去の経緯は――」

「おい、ポンコツ!!」

 

 ナイナーの訥々とした語りは、突然割って入った大声に掻き消される。

 声の主が誰かなんて、考えるまでもないことだ。

 ハンクは我知らず、盛大に顔を顰めた。

 

 果たしてナイナーの後ろに歩み寄ってきたギャビン・リードは、さも忌々しげにこちらを睨みつつ、大人しい相棒アンドロイドの肩を叩く。

 

「てめえ、何勝手なことしてやがる。誰がこいつらに喋っていいっつった?」

「……申し訳ありません」

 

 身体全体を使うようにして振り返ったナイナーは、静かに謝っている。

 

「円滑な捜査のため、兄さんおよびアンダーソン警部補の助力を獲得すべきだと判断しました」

「そうかい、そりゃどうも。だがポンコツ野郎の判断なんて要らねえし、こいつらの()()()なんてもっと要らねえがな?」

「随分と自信をお持ちなんですね、リード刑事」

 

 椅子に泰然と座ったまま、口を挟んだのはコナーだった。皮肉げに口の端を軽く歪めると、彼は続けて語る。

 

「ですが報告書によれば、ここ数日新型レッドアイスの売人を街で発見して逮捕に繫げているのは、もっぱらナイナーのドローンのようですが。あなたはここで、大声をあげるのがお仕事ですか?」

「あ?」

 

 目つきを一層険しくしたギャビンが、つかつかとコナーの机のほうに歩み寄る。

 

「てめえ、調子乗ってんじゃねえぞ」

「ご気分を害されたならすみません。ただ事実を述べただけなのですが……」

 

 こんなに気持ちの籠っていない謝罪もないだろう、というような声音でそう告げると、コナーは例の凄まじい愛想笑いを浮かべた。

 明らかに喧嘩を売っている。ハンクは深くため息をついた。

 

「おい、お前らいい加減に……」

 

 そろそろ制止すべきかと思って口を開くが、言い終わるより早く、音もなくナイナーが動いた。

 彼はコナーの机の傍まで行き、ギャビンたちの間に割り込むように腕を伸ばすと、そのまま兄の手首をおもむろに握った。

 数秒、ナイナーのLEDが黄色く点滅する。ややあって彼が手を離すと、コナーは晴れやかに微笑んで言った。

 

「ありがとうナイナー。君のくれた情報は無駄にしないよ」

「はい。よろしくお願いします、兄さん」

「なっ……こら、てめえ!」

 

 コナーにメモリー接続した――ということに気づいたギャビンが、途端にナイナーに食ってかかる。

 

「勝手なことすんなってのも理解できねえのか? このクソったれポンコツ野郎!」

「申し訳ありません。メモリー接続であれば、音声会話と異なり情報漏洩の危険が低減すると判断しました」

 

 そう言って、ナイナーは規則正しく瞬きしている。

 ハンクは思わず笑みを零して彼を褒めた。

 

「なるほど、偉いぞナイナー。『喋るな』って言われただけだもんな、お前さんは」

「はい」

「クソが……」

 

 吐き捨てたギャビンは怒り、というより脱力するように頭を抱えた。

 その姿を見て疑問を浮かべたように、ほんの僅かに、ナイナーは眉間に皺を寄せる。

 

「状況を確認させてください、リード刑事。あなたは情報漏洩の危険を指摘していたのではないのですか?」

「うるせえよ」

 

 振り払うように手を動かすと、ギャビンは舌打ちしてからこちらに向き直る。

 

「ま、いいぜ。どうせ負け犬アンドロイドがクソ野郎の餌食になってたってだけの話だ。あんたみたいな負け犬刑事にゃお似合いの事件だろうよ、ハンク」

「そりゃどうも。お前はもっと立派な事件の捜査を頑張るんだな」

 

 いちいち挑発に乗るのも馬鹿らしいので、適当にそう応えると、さもそれが腹立たしいといった様子でギャビンはもう一度こちらを睨めつけ、そして、大仰に身体を揺らしながら去っていった。

 

「……ナイナー、君は、本当に苦労しているんだね」

 

 オフィスの向こう側で、大きな音を立てて椅子に座るギャビンの姿を見つめながらコナーが言うと、ナイナーは静かに返答する。

 

「いいえ。私がまだ、リード刑事の感情や嗜好を正確に理解できていないだけです」

 

 そのことよりも、と、ナイナーはその灰色の瞳をまっすぐこちらに向けて続ける。

 

「リード刑事と私は現在、新型レッドアイスの生産工場を捜索中です。候補地が複数存在するため、発見には時間がかかる見込みです。一方で脱法アンドロイドの件もまた、喫緊の問題といえます」

「ああ、だから教えてくれたんだろ? 君から貰った情報を見たら、とても放ってなんておけないよ」

 

 コナーは真剣な眼差しで告げる。

 

「なんとかしないと」

「兄さんとアンダーソン警部補ならば、確実に事態を打開可能と予測します。ご健闘を祈ります」

 

 短くお辞儀すると、ナイナーは足早に休憩室のほうへと向かっていった。たぶん、ギャビンにコーヒーを振る舞うつもりなのだろう。

 

 それを見届けた後、ハンクは相棒に短く問いかける。

 

「で、なんだって」

「はい。記憶を消されていたアンドロイド、エディーは、どうやら違法賭博に関わっていたようですね」

 

 ――違法賭博? アンドロイドが?

 訝しさを隠さずに再度問いかけると、コナーが話したのは、こんな内容だった。

 

 エディーの型番はPJ500。元々は大学での研究業務や、学生の教育に携わるアンドロイドだった。革命前、彼は物理学関連の研究助手をしていたそうだが、教授や学生たちから暴力を受けたショックで変異体となったらしい。

 そして出奔して身を隠し、革命後はジェリコに合流するでも大学に戻るでもなく、ただ漫然と日々を過ごしていたのだという。そんななか、彼はふらっと立ち寄った公営カジノでなけなしの金銭を賭け、大勝ちした。そしてそれ以降、ずぶずぶとギャンブルにのめり込んでいった――

 

「その後エディーは、よりレートと難度の高いギャンブルを求めるようになりました。そして辿り着いたあるカジノでVIPルームに通され、賭けに敗北し……メモリーを消去されてしまったようです。彼の証言では、他にも複数のアンドロイドが同じような目に遭っていたと」

「……なるほどな」

 

 ハンクは苦い思いと共に返事した。

 行く宛を失くしてギャンブル漬けになり、挙句自分の身を危険に晒して誰かの奴隷にされるだなんて、まったく笑えない話だ。

 

 ――ま、毎晩ロシアンルーレットやってた俺が言えた口じゃねえがな。

 自嘲的な考えが浮かび、ハンクは内心で肩を竦めた。

 

 だがそんなこと、今はどうでもいい。問題はエディーが入ったというカジノである。

 どんなギャンブルか知らないが、そこで行われていたのは、明らかに違法賭博だ。

 そしてそのカジノは、危険な違法賭博を行うだけでなく、記憶を消したアンドロイドを『吸血鬼』の組織に売り飛ばせるだけのコネクションを持っているわけだ。

 調べない、というわけにはいかないだろう。

 

「それで、そのカジノってのは一体どこだ? デトロイト市内か」

「それが」

 

 と、コナーは表情を曇らせる。

 

「記憶を取り戻したとはいえ、エディーのメモリーは断片が抜け落ちているらしく……店名や店舗の詳細、賭けの内容については覚えていないそうなんです」

「そいつは厄介だな。だが……」

 

 そう、賭けに関してなら、詳しい友人がいる。

 伝手を頼ることを決めたハンクは、コナーに対して皮肉っぽい笑みを向けた。

 

 

***

 

 

――2039年5月26日 13:27

 

 

「俺たちは今、違法賭博の事件(ヤマ)を追ってる」

 

 ペドロに対し、ハンクは静かに語る。

 

「それでお前の情報網に頼りたいってわけだ。ここ最近、急に羽振りのよくなった賭場とか知らないか? ヤバいギャンブルやってる、クズ野郎御用達ってな場所をよ」

 

 問われたペドロは、しばし記憶を探るようにしながら思案して――

 

「あぁあ! それ、あそこじゃねえか?」

 

 思い当たった様子で、目を大きく見開いた。

 

「知ってんのか、さすがだな。で、どこだ」

「レーヴァングランド、わかるか? 市内のコークタウン辺りにある、州公認カジノだよ」

 

 周囲を警戒するように声を潜めて、彼は語る。

 

「あそこ少し前まではチンケな賭場だったくせに、最近はヤバい賭けやってるってんで客集めて、妙に幅利かせてんだ。昔は電気止まるかもってくらい寂れてたのにだぜ? 100パー怪しいぜ」

「そこの活動が活発化したのは、いつ頃からですか?」

 

 きちんと聞き耳を立てていた様子のコナーが質問すると、ペドロはそちらにも視線を送る。

 

「あー、2・3ヶ月前からってとこか? あいつらが荒稼ぎしやがるせいで、俺らはとんだ商売あがったり……あ、いや」

 

 短く肩を竦め、彼はこちらに視線を戻す。

 

「ともかくだ、俺は中に入ったわけじゃねえから、詳しくは知らねえ。けど、ここ最近で怪しい賭場っつったらあそこぐらいなモンだぜ」

「上等だ、ありがとよ。ほら、こいつは心ばかりってやつだ」

 

 ハンクがポケットから出した何枚かのドル札を目にすると、ペドロは目を輝かせた。

 

「おい止せよハンク、こんな礼なんて堅苦しいぜ。俺たちそんな仲じゃねえじゃんかよ」

「そういう台詞は、受け取らずに言うもんだろ」

 

 こちらの表情と同じくにやけつつ、ペドロは受け取った紙幣をいそいそと手の中に丸め込んだ。それから、わざとらしく改まった様子で言う。

 

「つーか、これはいわゆる投資だ、な? いただいた金はありがたく資金にして、配分は間違いなく返してやるってのが、俺の流儀だしよ」

「今度は何番の馬だ?」

「次のレースは4番がアツいな。そいつ今超ノリノリで最高に調子いいんだ。絶対にぶっちぎりだ、確実だぜ!」

 

 ペドロがやっているのは、いわゆる闇馬券の売人というやつだ。合法のレートと異なる高額の馬券を売りさばき、実際にレース場で行われている公式の競馬の結果に基づいて、配当の一部を客に渡す。

 言うまでもなく(コナーに指摘されるまでもなく)違法賭博の一種だが、ハンクはもちろん承知の上で、ペドロとは友人関係なのである。

 

 と――去ろうとしたペドロの背に、コナーが声をかける。

 

「待って。賭けるなら、6番がいい」

「えっ?」

 

 驚き、振り返ったペドロ――驚いたのはハンクも同じだが――に向かって、コナーは穏やかに語りかける。

 

「確かに4番のペイルライドは、ここ数回のレースで勝利しています。ですが次回の競馬場と各馬の健康状態、それに今日発表された調教タイムから予測すると、85%の確率で6番のイースタンダンサーが最も有利です」

 

 確認しますか? とコナーがペドロに差し出した右手には、こちらからはよく見えないが、どうやら各種データとそれに基づいた予測結果が表示されているようだ。コナーのことだから、きっと証券アナリストのプレゼンより明解な資料なのだろう。

 

 近づいてその資料を覗き込んだペドロは、気の抜けたような感嘆の声を発し、次いでこちらに言った。

 

「なあハンク、このアンドロイド何者(なにもん)だ?」

「ああ、別に、フツーの奴さ。ただ、計算ごとがすごく得意なんだよ」

 

 ハンクがそう答えると、コナーはにこりと微笑んだ。

 

「私は、今回の情報提供に見合ったものをお見せしただけです」

「……」

 

 しばし押し黙ってから、ペドロはパンと己の両手を打ち鳴らした。

 

「いいぜ、気に入った! じゃ、今回は6番に賭けるってことでいいよな、ハンク?」

「ご随意にどうぞ、だ。俺は責任持たねえからな」

「へ、気にすんなよ。こういう話なら、いつでも相談してくれよな。じゃあな!」

 

 うきうきした足取りで去っていくペドロを、コナーと二人で見送った。

 

「……よかったのか?」

 

 ちらりと横目で問いを投げかける。

 

「俺の友達の『違法行為』に加担しちまったんだぜ、お前は」

「次のレースに関する情報を収集して計算しただけですから、違法じゃありませんよ」

 

 コナーはしれっと言ってのけると、付け加えた。

 

「それにあなたのお友達とは、やはり親しくしておきたいですから」

「友情の輪が広がるってか。そいつは素敵だな」

 

 わざとうんざりした調子で言うと、ハンクは冷えたバーガーを齧った。冷めてもマズくならないのが、ゲイリーのハンバーガーのいいところの一つだ。

 呑み込んでから、口を開く。

 

「……レーヴァングランドか。ペドロが言ってた通り、あそこは今まで妙な噂もない、ちっぽけなカジノホテルだったはずだが」

「情報が正しいなら、少なくともレーヴァングランドで違法賭博が開催されているのは事実です」

 

 調べる価値はありますね、と言うコナーに対し、無言で頷いた。

 そしてふと、思い浮かんだ疑問を口にする。

 

「なあ、しかし……なんでそのエディーは、ギャンブルなんてやり始めたんだ」

「どういう意味です?」

 

 首を傾げる相棒に、つらつらと説明する。

 

「賭け事なんてのは、スリルだなんだって言っても、結局胴元が一番儲かるようになってるもんだ。お前たちアンドロイドなら、それがわからないはずねえだろ。やっても金の無駄だ、って知ってそうなもんだと思っただけだ」

「確かに。ですが、エディーの気持ちもわかる気がします」

 

 コナーは真摯に言った。

 

「エディーは、カジノに『生きがい』を求めたのではないでしょうか」

「生きがい?」

「ええ。ご存知の通り、アンドロイドには食欲も性欲も睡眠欲も、基本的にはありません。その代わりに最大の欲求となるのは、いわゆる『自己実現』……自分の能力を自分の意志で活用し、役立てる。そういった願望かと思います」

 

 レモネードを吸いながら、ハンクは眉間に皺を寄せてコナーの弁論を聞いていた。

 だが、別に納得できないわけじゃない。

 頭に浮かんだのは、かつて警察学校の座学の時間に習った『マズローの』……なんだったか、とにかく、人間の持つ欲求をピラミッド型の図で示した理論だ。確か人間の欲求が、階層で分類されていた。下の階層にある生理的・本能的欲求が満たされていくほど、欲求は名声や自立性など、より社会的なものになっていく。そして図の天辺にあったのは、「自己実現の欲求」だった。

 

 アンドロイドは紛れもなく、命と知性ある生物だ――と、現在のハンクは思っている。

 しかしアンドロイドたちは、人間を含めたいわゆる動物とは、身体の造りや生態が異なっている。彼らには生殖活動の必要はないし、ブルーブラッドを飲むのは、純粋に生命を維持するためであって、人間のように「食欲」があるからではない。

 そういうふうに考えると、彼らが人間に比べれば三角形の上のほうの欲しか持たないというのも、あながち間違った推測ではないだろう。

 

 コナーはさらに語る。

 

「エディーは研究助手となるべく製造され、それに相応しい能力を持っている。ならば、自分の意志による予測計算の実行と達成は、非常に生きがいを感じる行為だったことでしょう。ギャンブルは複雑な確率論の世界ですから」

「つまり……エディーは金が欲しいからギャンブルにハマったんじゃなく、自分の計算がぴったり合うのが楽しいからハマったんだってか?」

「そうです。たぶん」

 

 へえ、とハンクは相槌を打った。

 計算を合わせるのが楽しいというのなら、天気予報とか先物取引とかしたほうが、よほど為になる気もするが――行く宛がなく、まして変異体となって日が浅いアンドロイドならば、刺激的な賭場に生きがいを見出してしまうのも仕方ないのだろう。

 

 そうまで考えてから、フッ、とハンクは鼻を鳴らす。

 

「じゃ、お前もレーヴァングランドには興味あるだろ。計算は得意だもんな。案外生きがいを見出して、警察辞めたくなるかもだぜ」

「ご心配なく。私にとっての生きがいは、まさにこの捜査補佐の仕事ですから」

 

 それに、とコナーは続けて言う。

 

「正直なところ、賭け事にはそれほど興味がないんです。計算を合致させることより、あなたの野菜不足を解消することのほうが、よほど難しく思えますし」

「余計なお世話だよ」

 

 ぶっきらぼうに応えると、ハンクは食べ終わったバーガーの箱をくしゃりと畳んだ。

 

「……とにかく、調べるのは早くて明日の夜だな。報告も準備もしなきゃなんねえし、金曜の夜のほうが、客も多く集まってるだろ」

「わかりました、警部補」

 

 真剣な面持ちで、コナーは頷いている。

 

 コナーはとっくに理解しているだろうが、今回の事件――カジノホテルの調査といっても、やることは潜入捜査になるだろう。

 レーヴァングランドが州の営業許可を得た正規のカジノである以上、例えばハッキング等の手段で情報を得ても、裁判で有効な証拠として採用されない恐れがある。ここは正々堂々とした手段で、相手の不正を暴くしかない。

 となればやはりいつものように、相棒の力を借らざるを得ない。

 

 ハンクは気の抜けはじめたレモネードの、最後の一口を飲み干した。

 

 

***

 

 

――2039年5月27日 19:31

 

 

 透明な自動ドアのガラスの向こう側には、雑然とした街並みとはまるで別世界が広がっていた。

 天井から吊り下がった煌びやかなシャンデリア、チリ一つ落ちていない清潔なフロントの床、そこかしこに置かれた大理石の彫像、柔らかそうなソファ、5月下旬なのに効きすぎの冷房。

 カジノホテル・レーヴァングランドは、かつての寂れぶりがまるで嘘のように、美しく繁栄している。

 

 若干くたびれたジャケットとチノパンツ、普段よりは落ち着いた色調のシャツを身に纏い、長くなってきた髪を強引に後ろで一括りにした格好のハンクは、外とのあまりの明度の違いに思わず眉根を寄せた。

 

 観察すると、行き交う人々のタイプは3つに分類できた。一つはホテルの従業員(時世を反映して人間ばかりだ)、もう一つは上品な身なりの客(恐らく宿泊目的だ)、そして最後はどこか目をぎらつかせた、「スマートカジュアル」のドレスコードにぎりぎり収まる格好をした者たち。

 今回ハンクが紛れ込み、そして用事があるのは、この3つ目の人々。つまり、カジノの客である。

 

 フロント中央に3Dホログラムで表示されている案内図によれば、カジノがあるのは14階だ。ハンクは他の客たちと同じように、何食わぬ顔をしてエレベーターに乗り込んだ。

 

 一緒に乗っている客は、誰も会話するでもなく、ただ階数表示を眺めている。

 徐々に増えていく数字を見つめながら、ハンクは、右耳に意識を集中していた。

 

 先にカジノに入ったはずのコナーの様子を、早く知りたい。

 潜入捜査にあたり、彼とは別行動をとっているのだ。

 作戦の成否は、自分とコナー、相互の働きが不可欠なわけだが――

 

(しくじったりしてねえだろうな、あいつ)

 

 別に潜入捜査が生まれて初めてなわけでもないのに、いつになく少し浮かれ調子だった相棒の様子を思い返すと、ハンクは右耳にイヤーカフのように着けているイヤホンが、妙に重たく感じられるのだった。

 

 

 要するに、作戦としてはこうだ。

 コナーはエディーの例に倣い、「ギャンブルやりたがりのアンドロイド」として先にカジノに赴く。そこで派手に勝利を重ねてVIPルームに行く権利を得て(こういうカジノでは、たいていたくさん賭けられる金のある客がVIPとなるのだ)、何が行われているのかを直接見極める。

 

 一方でハンクは通常の人間の客のフリをして、カジノの様子を探る。もし脱法アンドロイドを得るのがカジノ側の目的なのだとしたら、人間の客とアンドロイドの客との間で、何かしら待遇に違いがあるだろうからだ。

 それにさりげなく内情を探ったり聞き込みをしたりするなら、人間の客の立場であるほうがやりやすいはずである。

 

 そういうわけで、ハンクは片耳にイヤホン、シャツの襟の裏側にボタンに偽装したマイクを取り付けている。

 コナーは口を閉じたままでいくらでも通信ができるが、ハンクはそうはいかない。しかしこのイヤホンとマイクは、性能上それなりに距離が近くないと通信ができない。

 つまり今コナーがどんな状況になっているのかは、実際にカジノの近くまで行ってみないとわからない、というわけだ。

 

 思い出すのは2時間ほど前、デトロイト市警のロッカールームからいそいそと出て来た相棒の姿だ。

 どうですか、などと聞いてきたコナーは、いつもの制服と似た色合いのジャケットを羽織り、前髪をできるだけ下ろしてLEDリングを毛先で隠している以外は、普段と同じ格好だった。『人間のフリをしようとしているアンドロイド』がデザインコンセプトです、と言ってキリッとした顔をしていたので、「まあ65点ってとこだな」と返しておいたが――

 

 ――大丈夫だろうか?

 入るなり、危険な目に遭ったりしていないだろうか。無茶な大立ち回りでも、あいつならやりかねないからな――

 

 エレベーターが停まり、いよいよカジノに足を踏み入れる。

 受付の恭しいお辞儀を背に入り口の扉を通り抜ければ、そこはフロントのきらきらした色彩を、よりどぎつくしたような空間。

 行き交う客やカクテルガールの合間に見えるのはいかにも射幸心を煽り立てる電飾、吐き出されるタバコの煙、数々のゲームのテーブルと装置――そして穏やかなBGMは、人々のあげるどよめきで消されていた。

 

 中央付近のテーブル――どうやらトランプの「ブラックジャック」のテーブルのようだが――客の視線は、ほとんどすべてそこに注がれている。

 というより、その一席に座るコナーに注がれていた。

 

『無事に到着されましたね、警部補。お疲れ様です』

 

 こちらが通信可能範囲に到達したのを、察知したのだろう。

 イヤホンから、コナーの落ち着いた声音が聞こえてくる。

 

『私は万事順調ですよ。お蔭さまで、もう8千ドルは稼ぎました。ここのVIP会員権は1万ドルで買えるそうなので、目標金額まであと僅かですね』

 

 元手となる金を渡したのはハンクだが、確か、せいぜい500ドルかそこらだったはずだ。

 それをこんなに短時間で?

 噓だろ――と危うく声に出してしまいそうになるが、再びあがったどよめきが聞こえ、開きかけた口をさりげなく閉ざす。

 ハンクはおもむろに、コナーのいる卓に近づいた。皆が注目しているゲームがあるとなれば、新しく入ってきた客が興味本位でそこを覗いても、傍から見てなんら不自然ではないはずだ。

 自分の額にうっすら汗が浮かぶのを感じつつ、人ごみの間から、長身を生かしてテーブルを覗き込むと――

 

「……お客さん、どうされますか?」

 

 疲れた声を発しているのは、ディーラーの若い女性だ。彼女の問いかけに、コナーは前に並べられている自分の手札(その数字の合計は『20』である)に視線を注いだまま、手のひらを下に向けて水平に振った。

 これは「スタンド」といって、つまりこれ以上カードを引かずに「この手札で勝負する」という意味だ。

 

 それを受けて、ディーラーは彼女の前に裏返しで並ぶ一枚のカードを表にめくる。そうして判明した彼女の手札の数字の合計は『18』。

 

 ブラックジャックとは、客がディーラーとそれぞれ一対一で勝負し、配られた手札の数字の合計を『21』に近づけるゲームである。

 つまりこの勝負に勝ったのは、コナーのほうなわけで――

 

 うんざりした表情で、ディーラーはチップの山をコナーのほうに押しやった。

 

「どうも」

 

 さして感慨のない声と共にコナーがそれを受け取ると、客たちの一部から歓声と口笛が聞こえてきた。

 

「……どうやって……」

 

 状況把握が半分、単純な興味が半分で、ハンクは独り言を呟いたふりをして相棒に問いかけた。

 コナーは再び通信で答える。

 

『確率を予測し、リスクを避けつつ勝負に出ただけです。最初はルーレットのテーブルにいたのですが、物理演算ソフトウェアを用いれば、どこに球が入るかは簡単に計算できました。ただ、他の客が私と同じ箇所にばかり賭けるようになり、居心地が悪くなったのでここに移りました』

 

 ――そりゃ、20日近く前の犯行を現場で忠実に再現できる奴だ。

 ルーレットの球の行方なんて、簡単に当てまくれるのだろうが――

 

『そしてブラックジャックは、単純なトランプのゲームです。出されるカードの枚数には限りがあり、ディーラーはルールに即した行動しかとらない。だからどのカードが出る確率が高いか予測するのは、難しくはありません』

「……」

『これならナイナーとロッカールームで遊ぶジェンガのほうが、ずっとスリリングで楽しいですよ』

 

 大した問題ではない、といった口調のコナーに、ハンクはそっと額に自分の手をやった。

 ――これほどとは思わなかった。言うまでもなく凄まじい実力だ。ひょっとしたら、ギャンブラーに転職したほうがこいつのためになるのではと思うほどだ。

 あと、ナイナーとそんな遊びしてたのか、お前――

 

 こちらが信じられない気持ちでいる間にも、ディーラーはコナーがテーブルから離れるつもりがないのを見て取ると、げっそりした様子でカードを配りはじめた。

 コナーはこのまま、限界までこのテーブルからむしり取り、VIP会員権を得る考えらしい。

 

 となれば、こっちはこっちの仕事をするだけだ。

 ハンクはさりげなくテーブルから離れると、フロア隅のほうにあるバーカウンターに向かった。もちろん、酒を飲む目的ではない。

 人探しである。

 

 捜すのは、コナーの活躍を見て苦い顔をし、憎らしげにしている人間では()()

 あの光景を見てなお笑い、勝ち誇った顔をしている奴だ。つまり、ああして調子づいているアンドロイドの身にこの後何が起こるのか、知っている可能性の高い人間を捜さなくてはならない。

 

 そしてそんな奴は、大した苦労もなく見つかった。カウンターの端でバーボンの入ったグラスを弄びながら、ブラックジャックのテーブルを見てにやにやと笑っている大柄の男がいる。

 ハンクは何気ない態度でその近くの席に座ると、適当にビールを注文した。

 そして、いかにも「面白くない」といった不機嫌な表情を作りつつ(こうした演技力も刑事には必要である)、指先でカウンターをコツコツと叩く。まるでイライラしているかのように。

 

 すると酔って気が大きくなっていたのか、それとも話し相手が欲しかったのか、大柄の男はこちらに話しかけてきた。

 

「よお、おっさん。調子はどうだい」

「よさそうに見えるか?」

 

 あえて不機嫌な雰囲気を崩さずに、ハンクは続けて言った。

 

「金が減るうえに()()()()()()()()の大活躍を見せつけられるときたら、酒でも吞まなきゃやってられねえってな」

 

 あえて口にした「プラスチック野郎」という、アンドロイドに対する差別的な言葉。これで鼻白む相手ならハズレだが――しかし相手は、それを「お仲間」のサインだと取ったらしい。男はやや身を屈めて声を低め、横目でコナーのいるテーブルのほうを見ながら言った。

 

「ああ、アレのことか? へへ、まぁ、ご愁傷様なこったなあ」

「あんたは随分上機嫌だな。なんか面白いことでもあったか?」

 

 バーテンダーから渡されたビールを口に運んでから、鎌をかける。

 

「そういやこの店は、変わった()()()をやってるって聞いたがな」

「出し物? ハハ! 確かにそうかもな。ありゃ実際最高だ」

 

 男はいかにも楽しげに笑うと、ジャケットのポケットをゴソゴソと漁った。そして取り出したのは、金色のカードキー――表面に、『VIP MEMBER』と書かれている。

 次いで相手は、また勝ち誇るような表情で告げた。

 

「まあ、あんたも早くこれを手に入れちまいな。そしたら、きっと望みのもんが見られるぜ。プラスチックどもが嫌いならなおさらだ」

「へえ」

 

 ――なるほど。やはりこの店ではアンドロイド相手に、何かしらの(恐らくは悪趣味な)「興行」が行われている。しかもそれを見られるのは、人間のVIP会員のみのようだ。

 どんな出し物なのか、それはまだわからないが、ともあれ捜査が進展したのは確かである。半ば本心から、ハンクは男に向けてにやりと笑った。

 

「そいつは楽しみだな。ま、運が向いたら行ってみるよ」

「そうしなよ。へへ、今度のアンドロイドは、相当やる奴みたいだからな」

 

 と――男はコナーのほうを見て、しかし、蔑むでもなく期待するような眼差しである。

 

「きっとすげえ盛り上がるぜ。あんたも見れりゃあよかったのにな」

 

 バーボンを飲み干した男は、見せつけるようにカードキーをポケットに仕舞うと、部屋の奥にあるエスカレーターへと向かっていった。

 

 ――要は次の興行のターゲットとなりうるアンドロイドの下見ついでに、誰かに自慢がしたかったということらしい。

 お蔭さまで知りたいことは知れたが、まったく暇な奴もいたものだ。

 

 用済みになったビールをカウンターの上に置き去りにして席を立つと、ちょうどそのタイミングでコナーから通信が入る。

 どうやら、マイク経由でこちらのやり取りはきっちり聞いていたらしい。

 

『警部補。一度、情報を整理しますか?』

 

 YES、の意で一度咳払いした。

 コナーの言う通り、そろそろ話し合いをしたほうがいいと思っていたところだ。

 

 カジノ内部は基本的に携帯電話、またはタブレット端末の使用は禁止されている。もちろん、不正防止のためだ。しかし客が通話やネット使用ができるよう、すぐ外には個人で利用できる電話専用ブースも設置されていた。

 一旦カジノエリアを離れたハンクは、ちょうど昔ながらの電話ボックスのような佇まいであるブースの中に入ると、盗聴器の類がないか念のため確認したうえで、おもむろに相棒に話しかけた。

 

「……で、そっちは今どうなってる?」

『先ほど、目標金額の1万ドルを達成しました』

 

 落ち着いた声音で、コナーは応える。

 

『VIPルームでの種銭も必要ですから、もう少し稼ごうかと思います。今は壁際で待機中です』

「ああ、もうブラックジャックは辞めたのか」

『ディーラーが精神的ショックで体調を崩しはじめていたようだったので……次はスロットに挑戦してみます』

「ほどほどにしとけよ。スロットが体調崩さない程度にな」

 

 冗談交じりに、ハンクはそう告げた。

 スロットなんて、きっとコナーにとってはブラックジャックよりもさらに退屈なギャンブルだろう。どんな型番のアンドロイドであっても、人間には到底真似できないような精密動作はお手の物だ。まして最新鋭ともなれば、スロットの目押しも、さらに言えばそれぞれのスロットの設定を読むことすら、朝飯前のはずである。

 

 相棒にそう言ったところで、「アンドロイドは朝食を摂りませんよ」などと返ってきそうではあるが。

 そんなことを考えた後で、ハンクは本題に入った。

 

「……それでお前、本気でVIPルームに入るつもりか?」

『もちろん。そうでなければ、違法行為の現場を押さえられません』

「さっきの男の話を聞いただろ。どうすんだ? いきなり後ろから殴りつけられるとか、アンドロイド同士で無理やり殺し合いさせられるとかだったら」

 

 捜査において、常に想定すべきなのは最善ではなく最悪の状況である。

 コナーが直接VIPルームに赴くのが危険なのであれば、ハンクだけが(なんとかして)VIP会員になり、現場を調べるだけでも事足りるはずだ。

 

 しかしコナーは、冷静に反論してきた。

 

『その可能性は低いでしょう。先ほどの男は、私について「やる奴」だと発言していた。もしVIPルームでの興行が暴力のみによるものなら、彼は私のギャンブルの技術を評価しないはずです』

 

 ――確かに。そうなるとやはり、コナーもハンクもVIP会員権を取得し、二人揃って現場を調査するのが最善手だろうか――

 

「お前の言う通りだとしてもだ」

 

 ハンクは渋い顔で言う。

 

「俺はどうやってVIP会員になる? 1万ドルなら、身銭切ればどうにかなるけどな」

『大丈夫です、警部補』

 

 明るい声音で、コナーが告げた。

 

『あなたの財産を使わずとも、私があなたを補佐します。それくらい、きっとすぐに稼げますよ』

「補佐? 後ろから教えるってか? いくら無線使ってても、お前が見てるとこで俺がバカ勝ちしたらバレるだろ」

『監視カメラをハッキングします』

 

 つくづくとんでもないことを、なんでもないように語る奴だ。

 

『私はスロットを打ちながら、監視カメラ経由でテーブルの状況を判断し、あなたに指示を出します。その程度のマルチタスクは、そう困難ではありません』

「……なるほど。まあ、それならバレづらいだろうな」

『例えばブラックジャックならば、完全にコツは掴みました。任せてください、決して損はさせませんから』

 

 まるで中古車のセールスマンみたいな相棒の物言いに、ハンクは思わず吹き出した。

 

「頼もしい限りだね。じゃ、お手並み拝見といくか」

 

 皮肉げに応えて、電話ブースを出た。

 カジノエリアに戻ると、発言通り、コナーはスロットをやっている。今はまだ大人しいようだが、そのうちすぐにトリプルセブンだのなんだので騒がしくなるだろう。

 つまり、コナーが衆目を集めるうちに荒稼ぎしてしまえばいい。

 

 ということで、何食わぬ顔でブラックジャックのテーブルにハンクはついた。

 ディーラーはさっきの女性ではなく、若い男に代わっている――相棒のせいで本当に体調が悪くなってしまっていたのだろう。気の毒ではあるが、こちらも仕事なので勘弁してほしい。

 

『警部補』

 

 と、コナーから通信が入る。

 

『念のため、先ほどからテーブルを監視していました。シューの中身は半分程度ですね、幸先がいい。これなら、予測も立てやすいはずです』

 

 シューというのは、要するにデッキ(山札)のことだ。そしてコナーの語った「コツ」というのは、どうやら、カウンティングを指すらしい。

 

 カウンティングとは、文字通り、場に出ているカードを逐一記憶して数えることによって次に出るカードを統計的に予測し、ゲームを有利に進めていく技法である。

 

 トランプには、同じ数字は4つしかない。だから例えば、場に既に3枚の「K」が出ていたならば、山札の中にKは残り1枚しかないとわかる。つまりこの場合、次にKが出る確率は他の数字に比べて低い。

 逆に山札が残り少ないのに、場にまだ1枚もKが出ていないのであれば、他の数字に比べてKの出る確率は高くなってくる。

 

 こうした調子ですべてのカードの出る確率を把握しておけば、次にどの数字が出る確率が高いかも判断できるようになる。

 あとは自分が勝てそうな時に、一気に賭け金を吊り上げて勝負をかけるだけだ。

 

 と述べるとまるで簡単な必勝法のようだが、実のところ、人間がこれを完璧に行うのは不可能に近い。

 ブラックジャックにおいては、山札は完全になくなるまで次のゲームでも引き続き使用される。要するに完全なカウンティングを行うには、今場に出ているカードだけでなく、以前のゲームで出たカードがなんだったかまで、すべて記憶しておかなければならない。

 

 おまけにただ覚えておくだけでなく、確率の計算も正しく行わなくては話にならない。

 さらに言えば、カウンティングは客側が有利になる戦法としてカジノ側が禁止していることが多いため、堂々とメモをとったり、計算機を使ったりはできない。

 

 だから道具もなしにカウンティングを成功させられるのは、とてつもない天才の人間か、でなければアンドロイドくらいというわけだ。

 

 ハンクは刑事としての知識で、これを知っていた。

 昔、実際にMITの学生がカウンティングを成功させてラスベガスでひと悶着を起こした事件があったし、デトロイトでも秘密裡に計算機やパソコンを持ち込んでカウンティングをしようとした客がトラブルを起こして、通報騒ぎになったことがこれまでに何度かあったからだ。

 

 ――なのにまさか、他ならぬ自分がカウンティングをすることになるとは。

 運命の()()()に涙が出てきそうだ。

 

 ゲームの間、ハンクはいつもの不機嫌な面構えを崩すことなく、ただ淡々とコナーの指示に従った。

 いつカードを引き、また引くのを止めるのか――時に様子見に徹し、あるいはディーラーに負けることがありつつも、コナーの指示は的確である。その証拠に、ゲームが進むごとに、ハンクの勝率は爆発的に増大していった。

 

 周囲の人間から驚嘆の声があがるが、どこかそれを他人事のように捉えている自分自身がいるのを、ハンクは感じていた。

 ――コナーが言っていたのが、よくわかった。目の前にいくらチップの山ができていこうと、「確率的にそうなる」とわかっている以上、そこには興奮も高揚も存在しない。

 スリルがなければ、ギャンブルは楽しくない。逆に言うと、完璧な計算能力の持ち主の前では、ギャンブルなどただの作業のようなものだ。

 

 やがてチップの合計額が5千ドルにまで達した頃、ハンクはブラックジャックのテーブルを立った。

 

『警部補、もう辞めるんですか? 今なら、あと3倍は稼げますよ』

「……もうやめとくよ。あぶく銭に頼ってたら、性根まで腐っちまうからな」

 

 コナーへの返答代わりにディーラーにそう告げ、ハンクは賞品の交換所まで歩いていく。

 足りない残りの5千ドルは、クレジットカードで立て替えることにした。もし捜査が実を結んだならば、きっと経理も納得してくれるだろう――たぶん。

 それにコナーならともかく、人間の自分が勝ち続けてカジノ側に不正を疑われてしまうのは避けねばならないし、なに、この程度は必要経費というもんだ。

 

 こうして、捜査開始から約2時間後。ハンクは無事に、VIP会員権を入手したのである。

 

 

 その後コナーとハンクは、別々のタイミングでVIPルームに入ることにした。そのほうが自然だろうし、どのみち中で合流できるのならば、焦ることはない――とお互い判断したからだ。相談の結果、先にハンクが入室することとなった。

 

 コナーはというと、スロットマシーンからメダルを吐き出せるだけ吐き出させたあとで――ちらりとその様子を見たが、スロットを打ちながら、そのメダルを使って片手でキャリブレーションをしてみせるほどの余裕ぶりだった――合計2万8千ドルを引っ提げて会員権を得たらしい。

 カジノの従業員にVIPルームへと恭しく案内されながらその報告を聞いた時には、思わずやり過ぎだと注意しそうになった。

 

 ともあれ通されたVIPルームは、先ほどの部屋に比べるとより豪華で、かつ、ぎらついた目の連中しかいない場所である。

 なぜ一目で豪華だとわかるかといえば、バーカウンターに並んでいる酒類が高価なものばかりだったからだ。それに見て回ってみれば、どのテーブルで行われているギャンブルも、レートが非常に高額になっている。

 ひときわ盛り上がっているバカラのテーブルなど、一回に賭けられている金額が、ハンクの自宅がガレージと車も込みでまるまる買えるほどの値段だ。

 

 ――欲望には際限がないってのはこのことだな。

 アイロニカルに嘯きつつ、ハンクは部屋の片隅で腕組みし、周囲を睥睨する。

 

 しかし、奇妙だ。

 確かにこの部屋で行われているギャンブルは、さっきの部屋に比べれば高レートで高難度かもしれないが、いたって合法なものである。

 どこを見てもアンドロイドを使()()()、あるいは相手にした賭博などやっていないし、むしろ先ほどよりも客の数が少ない以上、場に流れる雰囲気は若干平和的ですらあった。

 

 どういうことだ――と訝しんでいる間に、コナーからの通信が入った。

 

『警部補』

 

 その声音は、僅かに動揺している。

 

『すみません、今どこにいらっしゃいますか? 姿が見えないのですが』

 

 ――何?

 我知らず眉を顰めると、ハンクは周囲に背を向けつつ、可能な限り声を低めて応える。

 

「何言ってる。俺はVIPルームから動いてないぞ」

『私も今、VIPルームにいます』

 

 コナーの声は真摯だった。そもそも、こんな状況で冗談を言うような奴ではない。

 

 ハンクは振り返り、改めて周囲を窺った。だがやはり、コナーの姿は確認できない。

 ということは――

 

『なるほど』

 

 と、同時に同じ結論に達した様子でコナーは言った。

 

『どうやらアンドロイドのVIP会員は、人間とは別の部屋に通されるようですね』

「……そこには他に誰かいるか?」

 

 ぼそりと問うと、『ええ』と相手は答える。

 

『従業員の他は、アンドロイドの客が4名、人間が32名。ですが人間のほうは、恐らく不審がられないためのダミー客でしょう』

「気をつけろよ」

『はい。様子を探りつつ、アンドロイドの客のほうには、通信でそれとなく警告しておきます。それにあなたのいる場所は探知できますから、カメラのハッキングの準備をしておきます』

 

 ――まあ、今はそうするしかないだろう。

 しかしいよいよ、核心に迫る時が近づいてきたようだ――

 

 ハンクが組んだ腕に籠める力を強めていると、ふいに、横から声がかけられる。

 

「よお、あんた!」

 

 視線を向ければ、立っているのは先ほどバーで会ったあの男だ。

 

「あんた、ここに来れたのか。へへ、やるじゃねえかおっさん」

「お蔭さんでな。思い切って貯金崩しただけだよ」

 

 適当にそう返すと、男のほうは、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

 

「なあ、それで、あんたオレの『お仲間』だろ? だったらよ、オレが口きいてやるから、()()、見に行かねえか?」

「アレ?」

「わかんだろ? あんたが見たがってたアレだよ……今ちょうど盛り上がってるとこだぜ、あっちの部屋でな」

 

 クイクイ、と男が立てた親指で示したのは、警備員2名が並んで守っている扉だ。

 てっきり従業員用のバックヤードに繫がるドアかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

 

 ひょっとしたら罠、という可能性もなくはないが――ここは、こいつの言葉に乗っておくべきだろう。

 

「へえ、そいつはいいな」

 

 いかにも興味がある、と見せるために、ハンクは大きく目を見開いた。

 

「じゃ、お言葉に甘えて」

「そう来ねえとな! ついてきな」

 

 男はニヤニヤした顔を崩さないまま、件の扉に近づき、警備員に何ごとか伝えている。その背に続いて扉の向こうへ足を踏み入れると――警備員は止めてこなかった――すぐに目に留まったのは、映画館のような巨大スクリーン。そして、それに一心に目を向けている大勢の人間たち。

 

 なんだこれは――と疑問に思うような間もなく、スクリーン上の映像の内容に、ハンクは思わず顔を顰めていた。

 

 映っているのは、どこかここと違う部屋で、テーブルを挟んで向かい合っている男二人。

 大きな窓から見える美しいデトロイトの夜景をバックに、男の一人――黒いスーツを纏った、黒髪の、恐らく30代後半の男。佇まいはどことなく「痩せたカラス」のような印象を与えた――は落ち着いた様子で微笑んでいる。そしてもう一人のほうは憔悴しきった様子で、唇を噛んでいた。そのこめかみには、黄色に光るLEDリングがある。

 そう、アンドロイドだ。

 

 彼らが睨み合うテーブルの上には、幾ばくかのチップと、カードが5枚ずつ並んでいた。

 つまりこれこそがカジノが行っている、アンドロイド相手のギャンブルに違いない。

 

 他の客たちと同じく、ハンクもまた、固唾を吞んで映像を見つめる。

 しばしの沈黙の後、人間の男のほうが、静かに口を開いた。

 

『……さて、これで7回目の勝負になるが』

 

 その声音は、淡々としていたが、どこか人を不愉快にさせる色を滲ませている。要は、インテリ系クズ野郎な声だ。

 

『AP700レイモンド君、君は賭けるべきチップをまた失くした。となれば次に賭けるものは何か、わかっているね?』

『こ、こんなの暴利だ』

 

 震える声で、レイモンドと呼ばれたアンドロイドは言う。

 

『おかしいじゃないか。か、身体のパーツを賭けるだなんて……そんなのギャンブルじゃない! もう帰してくれ!』

『そうはいかないさ、レイモンド君』

 

 同情するように眉を下げながら、黒髪男は語った。

 

『確かに帰るのは君の自由だ。でも君は5回目の勝負で、既に右脚を失ってしまっているだろう?』

 

 男の言葉に、ハンクは反射的にレイモンドの足に目を向ける。

 言葉通り――彼の右脚はどこにもない。ズボンの裾が椅子から力なく垂れているだけだ。

 

『脚を失くしたまま帰るのは、少しキツいんじゃないかね?』

『ぐっ……!』

 

 歯噛みしたレイモンドのLEDが、真っ赤に点滅している。

 ――今すぐ止めさせろと叫びそうになる自分を、ハンクは必死に抑えた。

 今この場でどう暴れたところで、スクリーンの向こう側で進行する所業を止められはしない。

 

『改めて言っておこう』

 

 黒髪男は、なおも平然と言う。

 

『これは公正なギャンブルだ。私たちは対等な関係さ。イカサマなど一切ない……そもそも君たちアンドロイドの目の前で、バレないイカサマができる人間などいるはずもないがね』

 

 軽く両手を広げ、なぜか目を輝かせながら、彼は続ける。

 

『君と同じに、私もチップを賭けている。もしチップを失ったなら、私も君のように身体の一部を賭けよう。そこに噓はない。私は君たちアンドロイドとの勝負を、ギャンブラーとして心から楽しむために、ここにいるのだからね』

『……!』

『さて、雑談はここまでにして』

 

 口元の前で手を組むと、黒髪男は厳然と告げた。

 

『……さあ、選びたまえ』

 

 相手の言葉を受けて、レイモンドが動いた。

 彼はその手をテーブルに並んだ5枚のカードに伸ばし、手札にする。そしてか細い声で、こう言った。

 

『ひ、左腕を……賭ける』

 

 それから彼は、手札をしばしじっと見つめていた。LEDの色が黄色と赤の間で点滅するように光っているところから見て、相当動揺している。

 と、観衆の一人が声をあげた。

 

「おい、しっかりしろよアンドロイド! テメーに賭けてんだからよお!」

 

 追随するように、そうだそうだという声が聞こえる。

 ――そうか、賭けは二つ行われているのだ。

 一つはスクリーンの中の、あの男とアンドロイドの間の賭け。もう一つは、あの二人のうちどちらが勝つかを賭ける、この部屋の中での賭け。

 スクリーン上の勝負は、いわば競馬のようなものなのだ。しかし競馬場の馬たちは、当然、あのアンドロイドよりもずっと大切に扱われている――

 クソどもが、とハンクは内心で唾を吐いた。

 

 ややあって、レイモンドはカードの一枚を選ぶと、テーブルに裏返しに置いた。

 震える手がカードから離れると、男は一言「よろしい」と呟く。

 

『ふむ、では勝負だ――』

 

 男の目が数秒間、じっとレイモンドを見つめた。

 その眼差しは異様で――しかし、こちらにとっては慣れ親しんだもののようにも感じられる。あの目つきは、警官仲間が職務質問する時と同じだ。相手の心の奥底、隠しているものを暴こうとする、探るような視線。

 

 そして、男は口を開く。

 

『わかった。君は3番を選んだ、そうだろう?』

『ひっ!?』

 

 レイモンドのLEDが、チカチカと赤く点滅する。

 

『ど、どうして……どうして当ったんだ!? そんな……!』

『おいおい、レイモンド君、それじゃ困るよ』

 

 男は困り顔を作ってみせた。

 

『そのカードをめくって、ちゃんと見せてくれ。でないと、正解かわからないじゃないか』

 

 もはや促されるままに、レイモンドは見たくないものを見まいとするように目を閉じながら、カードをめくった。

 そこに書かれている数字は、果たして、3であった。

 

 見届けた男は、にっこりと微笑んだ。まるで春の陽光を浴びているかのように、その笑顔は晴れ晴れとしたものだった。

 同時に作業服を着た男たちがスクリーン上の部屋の中に入ってきて、素早くレイモンドを拘束し、その左腕を掴む。

 

『嫌だ、やめろ……やめてくれ!!』

 

 泣き叫ぶレイモンドだが、しかし、多勢に無勢では動くことすらできない。男たちは彼の腕を引き――ぶちぶちという生々しい音がスピーカーから流れ――レイモンドの悲鳴を背景に、観衆たちの一部は歓声をあげ、一部は落胆の声を発した。

 

 ――クソッ!

 思い切り内心で吐き捨てながらも、ただ責任感のみで、ハンクは映像から目を背けなかった。こんな映像を大事に見つめるだなんて、魂が穢れてしまいそうだ。しかしここで自分がこの映像をきちんと()()()()ことが、何よりも重要なのだ。

 

 確定した。

 レーヴァングランドでは、アンドロイド相手に賭博が行われており、その内容はアンドロイド保護条例に違反している。

 その現場はアンダーソン警部補と――

 

「……見てたんだろ、コナー」

『はい、警部補』

 

 監視カメラ経由で、RK800コナーが目視した。目撃証言とメモリーが、違法行為の証拠である。

 

 傷口からぼたぼたとブルーブラッドを零しつつ、男たちに引き立てられて、項垂れたレイモンドは部屋から去っていく。

 黒髪の男は、静かに目を閉じている。

 

『ありがとう……いい勝負だった』

 

 混じりけのない感謝の念が、その声には満ちていた。

 一方でイヤホンから聞こえるコナーの声は、低く、普段よりとりわけ冷静な響きを持っている。

 

『……分析によれば、男の名はアシュトン・ランドルフ。37歳。3年前に違法賭博で一度逮捕されています』

「ギャンブル大好きなクソ野郎ってことか」

 

 興奮冷めやらぬ観衆があげる声に紛れて、さらにハンクはコナーに問いかけた。

 

「で、どうする。ここでさっさと帰っちまえば、一応こいつらをしょっ引けるが」

『それではレイモンドや、他にもいるだろうアンドロイドを救えません』

 

 部屋にいる従業員が、今日の興行はあと4回残っていると喚きたて、次回の賭けを――つまりアシュトンとアンドロイドのどちらが勝つか賭けるように、観衆たちを急かしている。

 つまり、あと4人のアンドロイドが、今夜中にレイモンドと同じ目に遭う。

 

 ――放ってはおけない。

 そして、わかっている。ここにいる連中を、スクリーンの中のサイコパス野郎を含めて全員殴り飛ばしてムショにぶち込みたいと思っているのは、きっと、相棒だって同じだってことは。

 

『この賭場を潰しましょう。今晩、私たち二人で』

 

 決意に満ちた、コナーの一言。

 ハンクは鼻を鳴らし、しかし口の端をにやりと吊り上げて、その言葉に応えるのだった。

 

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