Detroit: AI   作:けすた

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第13話:カジノ 後編/The Jackpot Part2

 

――2039年5月27日 22:07

 

 

 カジノホテル・レーヴァングランドの片隅にある一部屋。非合法的“興行”の現場は、今なお冷めやらぬ狂気じみた熱気に満ちている。

 今は閉ざされた扉だけが映るスクリーンに向かって吠え立てている者たち、配当金を受け取ろうと従業員に我先に群がっている者たち――そんな連中の喚き声は、ハンクにとって、コナーと秘密裡に相談するにちょうどよいものだった。

 

 決意に満ちた、頼もしい相棒の言葉に笑みを浮かべたのも束の間。

 襟の裏に仕込んだマイクに向かい、ハンクは声を低めて語りかける。

 

「……だが、ここにいるアンドロイドたちを助けるっつっても」

 

 先ほどあのスクリーンの向こうの扉の奥へと引き立てられていったアンドロイド・レイモンドの、痛ましい姿を頭に浮かべて続けた。

 

「まずは居場所を探さねえとな。さっきの映像じゃ、アシュトンて野郎がいるのは相当上の階みたいだったが」

『警部補、それは誤りです』

 

 コナーが冷静に応えた。

 

『確かに先ほど、アシュトンとレイモンドが戦っている部屋からは夜景が見えていました。しかし、あれは実際の風景ではあり得ません』

「なんだって?」

『ギルモアホテルですよ』

 

 キャピタルパークの近くについ最近完成し、オープンしたばかりのホテルの名だ。

 それになんの関係が? と訝しむ間もなく、コナーはさらに説明する。

 

『先ほどの夜景で確認できたギルモアホテルには、建造中のシートが掛かっていました。それにガラス越しの風景だったにしては、光の反射率がおかしい。つまりあの夜景は過去の映像で、窓のように見えていたのは壁に掛かったディスプレイなんです』

「居場所をごまかすために、映像を流していただけってか? 手が込んでやがる」

 

 相棒の言葉を受けて、さっきの映像に映っていた「夜景」を思い出そうとしてみるが、人間の記憶力ではどうもうまくはいかなかった。しかし、こういった類の事柄でコナーが間違えるはずはない。すると、彼らの実際の居場所は――

 

「……なら、捜すのは地下だな」

 

 ハンクは確信をもって口にした。

 

「いくらクズ野郎どもにもてはやされてようが、これは非合法の賭場だ。パーツを取られた血まみれのアンドロイドを引っ張ってる最中に、カタギの客に出くわしたくはないだろ」

 

 このホテルには合法的ギャンブルをしに来ているだけの客もいるし、宿泊目的の客もいる。そんな一般客にうっかり出くわさないように隠れて興行を行うなら、その現場は隔離のしやすい「最上階のスイートルーム」か、または客の寄り付かない地下のいずれかだ。

 そしてわざわざ夜景の映像を使ってまで居場所を偽装しているのであれば、隠れているのは上ではなく、下。

 ゆえに、捜すべきは地下。

 

 そうした推論を元にハンクは語ったのだが、優秀なアンドロイド刑事には、その辺りを改めて説明する必要はやはりなかったらしい。

 

『ええ、私もそう思います』

 

 コナーは真摯にそう応えると、続けて言った。

 

『では警部補、ひとまず地下で落ち合いましょう。事前に確認したこのホテルの見取り図では、地下3階に電気室がありましたね』

「おいおい」

 

 だんだん客たちの熱狂が収まってきた。

 それにあわせてさらに声を低めつつ、ハンクは問いかける。

 

「お前、『潰す』ってそういう意味で言ってたのか? いきなり何するつもりだよ」

『この14階と、地下を停電させます。混乱させるだけでいい……その間に被害者のアンドロイドを助けだして、裏口から脱出させるんです』

 

 確かに、コナーの実力ならそれくらいわけないだろう。それにこれ以上アンドロイドの被害を出さず、かつホテルの連中も逃げ出さないうちに一網打尽にするというのなら、悪くはない手立てではある。

 しかし、なんとも強引な方法だ。もっとスマートなやり方もありそうなものだが、あいにく立案するための時間は残っていない。

 

 だからハンクは、こう答えるに留めた。

 

「そいつはなんとも、ハードボイルドだな。付き合うには骨が折れそうだ」

『ご冗談を。あなたに比べれば、私なんてまだまだですよ』

 

 ――利いた風な口をきくようになったもんだ。

 諦めと皮肉と了承の入り混じった短い笑いをこちらが零すと、その意味はきちんと相手に伝わったらしい。

 コナーは『それでは』と短く告げると、一旦通信をオフにした。

 いよいよ作戦行動開始、というわけだ。

 

 一瞬だけ鋭い一瞥をスクリーンに投げかけた後、ハンクは踵を返して出口に向かう。

 扉を守る警備員に「小便だよ」と声をかけると、VIPカードを提示するように求められた。入る時には確認しなかったのに、カジノを出る時だけ厳重というのは、恐らくこの闇賭博を露見させないためだろう。

 お前の身元をこちらは把握しているのだから、この興行については外で公言するな――という脅しである。

 

 しかし元より、このカードに登録してある身分は嘘っぱちだ。何度か新聞だの雑誌だののメディアに名が載っている“有名人”のハンク・アンダーソンだとバレるわけにはいかない、という以前に、潜入捜査する刑事なら誰しも、偽の身分の一つや二つは用意しているものだ。

 だからいくら警備員にカードを確認されようが、()()()()()()という話である。

 ハンクは堂々と正面からカジノのエリアを出ると、1階へと向かうエレベーターに乗った。

 

 移動しながら考えるのは、被害アンドロイドたちのことだ。

 最初にギャビンたちが遭遇して保護したアンドロイド・エディーは、メモリーを奪われて『吸血鬼』の組織の使い走りにさせられていた。一方で先ほどのレイモンドは、少しずつパーツをむしられるという凄惨な目に遭っていた。

 両者の待遇が違うのは、アシュトンの発言から察するに、アンドロイドたちがあの賭けでチップを失った時に選択を迫られるからだろう。パーツを賭けるのか、それともメモリーを賭けるのか。

 

 アンドロイドたちが何を選ぶにしても、賭場の元締めにとってみれば「売り飛ばせる従順な奴隷」、もしくは「新鮮なブルーブラッドとスペアパーツ」が手に入るのだから、まさにぼろいビジネスといったところか。

 いったいどんな方法で、アシュトンがアンドロイドたちを出し抜き、賭けに勝利しているのかはわからないが――ともかく、被害者たちを救出しなくては。

 

 そうだ、アンドロイドといえばコナーも気がかりだ。と、ハンクは僅かに歯噛みした。

 人間のVIP会員である自分は、こうして苦もなくエレベーターにまで到達できた。だがアンドロイドのVIP会員たちはどうなのか?

 そもそも人間とは別室に隔離されていた状況を鑑みても、もしかしたらあそこから外に出ることはできなくされているのかもしれない。それでもなんとかする自信があるからこそ、相棒はああして作戦を提案してきたのだろうが……心配なものは心配である。

 

 思ううちに、一階に到達した。

 電気室だの空調機開室だのが並んでいる場所は、当然ながら客は入ってはいけないことになっている。しかしながらスタッフたちが日常的に行き来する必要がある以上、業務を円滑にするためなのか、警備はまったく厳重とは言えないものだった。

 時間帯もあって、ホテルの廊下にはほとんど人影もない。ラウンジ端のソファに座り、地下へ続く扉をそれとなく監視していたハンクは、やがて人目が完全に離れたタイミングを見出した。

 素早く扉に接近し――鍵は案の定かかっていない――音を立てないように開いて身体を滑り込ませる。

 

 そうして慎重に扉を閉めた。ここから先は時間の勝負だ。

 誰かが今の自分の姿を監視カメラで見ていたとしたら、警備員がすっ飛んでくるのはそう遠い話ではない。

 

 進むのは薄暗く狭く、コンクリートが打ちっ放しの廊下。表の煌びやかな雰囲気とは真逆の、冷たく灰色で硬質的な印象を与える光景がひたすら続いている。まるであのカジノを運営している連中の性根のような色だ、とハンクは内心眉を顰めた。

 

 そして廊下の突き当りにあったこれまた冷たい色の階段を下り、地下3階へと到達した頃――

 廊下の反対側からこちらに歩み寄ってくる人影を察知し、急いで身を隠そうとすると。

 

「私です、警部補」

 

 保安灯の明かりの下にひょっこり現れたのは、薄く微笑みを湛えたコナーだった。

 我知らず息を吐いてから相手の姿を確認するが、どうやら相棒は立派なことに、怪我一つしていないようだ。無事だったらしい。

 そう思いながらコナーの、そのあいも変わらずの間抜け面を見ると、急に胸のつかえが取れたような、けれどむず痒いような、妙な感覚を覚えてしまう。

 ハンクは途端に決まりの悪い心地になった。――なんでこんなにほっとしなけりゃならないんだ、この俺が。

 

「……たく、お前かよ」

 

 バツが悪い気持ちを乗せて、ぶっきらぼうにハンクは応える。

 

「藪から棒に飛び出てきやがって。どうやら、部屋は上手いこと抜け出せたらしいな」

「はい、お蔭さまで。VIPルームにいた他のアンドロイドたちも、無事にホテルを出たようですね」

 

 そう語りながら確信ある足取りで廊下を進むコナーに、後ろからついて行く――どうやらこの先に電気室があるらしい。

 彼は続けて言った。

 

「先ほどは、幸い廊下を清掃中の掃除ロボットがいたので……気の毒ですが、ハッキングして騒ぎを起こしてもらいました。その隙に、非常階段でここまで下りてきたんです」

 

 マーカスから聞いた手法です、とコナーは付け加えた。

 なるほど、ジェリコのメンバーでストラトフォードタワーに潜入した時の話だろうか?

 

「お前にも悪い友達がいたもんだ」

 

 皮肉を込めてこちらが言うと、相手は僅かに振り返って、口の端をちょっと歪める。

 

「ええ、あなたに倣うようにしているんです」

 

 ――なんだそりゃ、俺のせいだってのか?

 告げようとした言葉は、しかし、口から出す前に呑み込むことになった。ご丁寧に『電気室』と掲示されたドア――すなわち目的地に到達したからだ。

 横の壁に設置されたタッチパネルに、スキンを解除した手でコナーが無造作に触れると、なんの抵抗もなく扉は開いた。

 

 中の明かりが自動で点く。果たしてそこには配電盤だの変圧器だの、ホテルの電力の中枢を担う機械が並んでいた。

 しかし当然、残念ながらハンクにはそれらの弄り方はさっぱりだ。

 一方でコナーはというと、いつものように両の手のひらを擦り合わせながら分電盤らしきものに近づき、しげしげと観察している。

 

「……古い型ですが、問題ありません。警部補、2分だけください。後は私がやります」

「ああ、見張りは任せな」

 

 電気室の隅に置かれていたドライバーだのの工具を手にしたコナーは、ハンクの返事を受けてすぐに素早く作業を始めた。

 相棒が何をやらかしているのかはさっぱりだが、こっちの仕事は単純である。

 要はコナーの仕事(ゴト)が終わるまで、誰もこの部屋に入れなければいいわけだ。

 しかし――これまで一応培ってきたつもりの、刑事としての勘が告げている。

 こういう手の抜けない仕事ほど、邪魔が入ってくるものなのだと。

 

 そしてその直感は、忌々しいことに正しかったらしい。

 ハンクが一旦電気室の外に出ると、30秒ほど経った頃、廊下の向こうに懐中電灯の光が見えた。警備員がやって来たのだ――定期的に物音がしていることから考えて、ご丁寧に一室ずつ扉を開けて確認しているようだ。つまり、放っておけば電気室の企みがバレてしまう。

 

 ――ほれ見ろ、俺の人生はこんなんばっかさ。

 胸の内に自嘲を浮かべると、ハンクはわざとその光に向かって歩いていく。実にたどたどしく、具体的に言えば、《酔っ払いそのもの》といった足取りで。

 

「な……」

 

 光に照らされたこちらの姿を見た警備員の男が誰何の声をあげるより先に、ハンクは能う限りの胴間声をあげた。

 

「おい! ふざけんなこの野郎、ここはどこだ!?」

「はっ? ちょっと、ここに客は立ち入り禁止で……」

「はあ!? 俺は客だぞ、どこに入ろうが俺の勝手だろうが」

 

 ハンクは警備員に掴みかかる――ふりをして、相手が手にする懐中電灯のスイッチを切る。

 

「おい、何すんだこの酔っ払い!」

「うるせえ、てめえこそ勝手にビカビカ人を照らしてんじゃねえ!」

 

 夜のデトロイトの街に先のない酔っ払いはそれこそ20年前から掃いて捨てるほどいたし、何よりつい数ヶ月前までは自分自身もそういう人間だった。

 つまり聞く耳持たない酔いどれの物真似なんて、簡単にできるのである。

 こちらを制圧しようとする警備員の手を、喚きながら躱して時間を稼いでいると――恐らく数えていればきっちり2分以内だったのだろう、突然音もなく保安灯がすべて消える。

 

「えっ!?」

 

 予測できない事態に、警備員は驚いている。

 それと同時に、イヤホンからコナーの声が聞こえた。

 

『警部補、後ろの階段です。行きましょう』

「あいよ」

 

 慌てる警備員の男が再び懐中電灯のスイッチを入れるより早く、可能な限りの全速力でハンクは身を翻し、コナーの元へと駆けた。

 

 上へ続く階段のところに、コナーのLEDの青い光がぼんやりと見えている。

 辿り着き、不覚にも痛む脇腹を摩った。ああ、トシは取りたくないものだ。

 

「警部補、お疲れ様です。素晴らしい名演技でしたね」

「ま、普段から欠かさず()()してたからな」

 

 たぶん純粋に褒めているのだろう相棒に対し、息切れを整えつつそう嘯いた。

 

「お前は知らないだろうが、半年前に床に転がってたのも全部演技だったんだぜ」

「……なるほど?」

「なんだよその返事は」

 

 軽口を叩きながらも、上へ急ぐ足は二人とも止めない。

 

「ところでお前、行く宛はあるんだろうな」

「ええ。停電のお蔭でジャミングが解除されたようで、レイモンドたちの『声』がよく聞こえるようになりました」

 

 アンドロイド同士の通信のことを言っているのだろう、コナーは今度も確かな歩みで地下2階の廊下へこちらを導く。

 そしてある扉の前にやって来ると――それは他にずらりと並んでいる扉と同じ、鉄製のなんの変哲もないものだったが――響き渡るというほど大声でもなく、さりとて小声でもない鋭い声音で、部屋の内側へと呼びかける。

 

「すまない、少し待っててくれ」

 

 言うなりコナーはポケットから何か(暗くて見えないがたぶん針金だろう)を取り出し、ドアノブに突っ込んでかちゃかちゃと弄った。なるほど最新鋭のアンドロイド相手には、電子錠だろうが物理錠だろうが意味はないらしい。

 数秒の後にピッキングされたドアは、抵抗もなく大きく開く。

 

 するとその中にいるのは、アンドロイドたちが8名ほど――部屋が暗闇で満ちている現状ではLEDの光しか見えないが、数えて8つの輪をハンクの目は捉えた。どれも黄色や赤の光だが。

 

「き、君たちは……」

 

 声を発したのは、恐らくレイモンドだろう。コナーは電気室から持ってきていたらしい懐中電灯をこちらに渡すと、素早く声の主に近づいた。

 

「安心して、助けに来たんだ。一緒にここから抜け出そう」

「本当か? ああ、ありがとう……まさかこんなことになるなんて……」

 

 涙声のレイモンドにコナーが肩を貸す間に、ハンクは懐中電灯をつける。

 白く丸い光が照らしだしたのは、果たして、憔悴しきったアンドロイドたちである。

 そのうちには男性型の者も女性型の者もいたが、狭い部屋の冷たい床の上で、誰しも身体のいずれかのパーツを失って蹲っているか、またはどこかぼうっと中空を見上げている。

 

 ――ひでえことしやがる。

 あの闇賭場の狂騒を、そしてアシュトンのイカれぶりを思い出し、ハンクは再び憤りを覚えた。

 

 見たところ、足のパーツを奪われているのはレイモンド一人のようだった。

 レイモンドに肩を貸したまま、コナーがアンドロイドたちについて来るように告げると、相手は無言のままに頷く。彼らは怯えた目つきのままではあるがすっくと立ち上がり、あるいは(恐らくメモリーを奪われたからだろう)ぼんやりしている者の手は誰かが引くようにして、決死の逃亡をはかる。

 

「行こう」

 

 コナーの声に合わせるように、アンドロイドたちとハンクは動きはじめた。

 従業員用の小さい出入り口が、1階の裏側にあるのは確認済みだ。そこから逃走し、その後で市警に連絡してやれば今回の捕り物は終わり。クズ野郎どもの楽しい宴もあえなく閉会、という算段である。

 

 さっき下にいた警備員が、事態に気づいてここまでやって来ると厄介だ。

 停電のお蔭で混乱しているからだろう、至って順調に来られたが、最後まで気は抜けない。

 皆と共に階段を上りながら、注意深く周囲を警戒して――

 

 ――待て。

 

 と、ハンクの勘が再び騒ぎ出した。

 確かに停電は大きな混乱を招いたことだろう。

 それにカジノと地下が同時に停電になれば、まず計画的な窃盗事件や不正が疑われるカジノのほうに警備の注目は向くし、まさか直々にアンドロイドたちを救出に来た奴がいるだなんて、すぐに気づかれることはまずない――はずだ。

 

 しかしだからといって、なぜさっきあの監禁部屋の前には、警備の者が()()()いなかったのか?

 中のアンドロイドたちが暴れ出す可能性だってある以上、普通なら、誰か立たせておいておかしくない。

 なのにどうして鍵のかかったドアだけがあるだけで、まったく警戒されていなかったのか。

 責任者が脳内お花畑の適当人間だったのか、あるいはむしろ――わざと、こうさせられているのだとしたら?

 

 だが懸念がハンクの脳裏を過ぎるうちに、見えてきたのは出口である。“Employees Only”と書かれた扉は、誰かが塞ぐでもなく静かにそこに佇んでいる。

 

「も、もうすぐ外だ!」

 

 隣で必死の形相で階段を上っていた、男性型アンドロイドが感極まった声を発している。

 

 ――そう、じきに彼らはまた自由になれる。

 だからどうか、もうつまらねえ邪魔立てなんて起きないでくれよ。俺の勘なんて、外れたほうがいい時ばっかりなんだ。

 

 頭の中でハンクは、誰にともなく願った。

 そして今回ばかりは、その()()に願いが通じたのであろうか。

 コナーが開いたそのドアの向こうには、夜のデトロイトの街並みが広がっている。裏路地に向いた出口だからか人の行き来はまばらで、車もそれほど通っていないが、さすがにこんな街中で、堂々と騒ぎを起こせる馬鹿はいないだろう。

 

「いいかい、ここを出たらすぐにジェリコの事務所に行くんだ」

 

 スキンを解除した手でレイモンドの手首を握り――要は近くにある事務所の場所を教えているのだろう、コナーは真剣な眼差しで同類たちに告げている。

 

「君たちには今度証言を頼むだろうけど、それはまた後の話だ。まずはすぐに傷とメモリーの修復を受けないと」

「ああ、そうするよ。コナー」

 

 別のアンドロイドに肩を借りながら、レイモンドは力強く頷く。

 

「本当にありがとう……恩に着る」

「いいんだ。さあ、行って!」

 

 コナーに促されたレイモンドは、こちらにも黙礼すると、仲間たちと共に扉の向こうへ移動していった。8人のアンドロイドたちはそのまま、道の向こうへと消えていく――

 

「よし」

 

 小さく息を吐いてから、ハンクは傍らの相棒に言った。

 

「うまく逃げられたな、あいつら」

「ええ、そのようですね。私たちはこのまま待機して、市警の……」

 

 コナーの柔らかな視線がこちらに向けられ、しかし。

 瞬間、そのLEDが黄色に変化する。

 

「ハンク!」

 

 動揺と共に警告を発した相棒の鋭い眼差しが見つめているのは、こちらではなくその背後。

 残念なことに、その正体にハンク自身が気づけたのは、後頭部に金属的なものを突きつけられたその時だった。

 

「ちっ……!」

 

 ハンクは舌打ちして、頭を動かさないようにしながら視線だけ後ろへ向ける。

 それを見越したように、背後に立っている奴――人の頭に銃口を突きつけているクズ野郎は、嬉しそうに声を発した。

 

「いやあ……お見事だよ、お客様」

 

 その声には聞き覚えがある。

 

「申し訳ないが、そのドアを閉めてくれ。人に見られて邪魔されたくないんだ、この時を」

 

穏やかながら、人を不愉快にさせる声音――この前聞いたばかりの――

 

「アシュトン・ランドルフ」

 

 LEDの光を青色に戻し、しかし険しい眼差しはそのままに、コナーは相手の名を呼ぶ。

 その手はドアを閉めた。理由は明白、ハンク・アンダーソンの頭に風穴を空けないためだ。

 

「……わかっていますか? あなたの行動は合理的じゃない。我々が今晩ここを捜査しているのは、市警も把握済みです。たとえ私たちを殺しても、状況は変わりませんよ」

「もちろんわかっているとも、そう、アンドロイド刑事君」

 

 アシュトンの声音は、不気味なほどに上ずっていた。

 

「正直なところ、君たちがこのカジノを怪しんだ段階で、私たちはもうチェックメイトさ。そう……この賭場の支配人は私なのだがね」

 

 銃口は淀みなく突きつけつつ、彼はふふん、と息を漏らした。

 

「君たちの活躍によりここはいずれ徹底的に捜査され、私たち自身は組織にトカゲの尻尾切りをされる。それはもう覆しようのない未来だ。だが……その前に」

 

 アシュトンの視線が向けられたのだろう。眉を顰めるコナーに対して、クズ支配人は意気揚々と言ってのけた。

 

「どうしても、君という素晴らしいアンドロイドと一騎打ちでギャンブルがしたくなった。それでこうして、人質と時間を頂戴しているというわけさ」

「私と……?」

 

 何を言っているのかわからない、という表情でコナーはアシュトンを見ている。

 ――もしかして、という考えを胸に、ハンクは静かに口を開いた。

 

「それで最初から、目ぇつけてたってことか?」

「ほう?」

 

 興味深そうに相槌を打つアシュトンに、続けて述べる。

 

「馬鹿勝ちするコナー(こいつ)と戦いたくて、ずっと監視させてたんだろ。そのうちこいつが賭場からいなくなって、その後停電騒ぎがあった。それでてめえは仕事もほっぽり出して、こうしてノコノコやって来たってわけだ」

 

 アンドロイドたちの監禁部屋に警備が誰もいなかった理由も、今ならわかる。

 すべてはこの状況を作るためだったのだ。

 ハンクを人質にして、コナーに勝負を持ちかけられるこの状況を。

 

「ご名答だ! なるほど、やはり素晴らしいアンドロイドには素晴らしい仲間がいるものだね」

 

 果たして浮き浮きした口調で、クズ野郎は語る。

 

「そうさ、私はコナー君と勝負がしたいんだ。人間相手じゃもう私の飢えは満たせない。だから実益を兼ねて、私はこの賭場を今の形に発展させた。だけど普通のアンドロイドじゃ刺激が足りない、もっと欲しい! 君との勝負なら、満たされそうなんだ」

「……」

 

 無言のままに、コナーはますます眉間に皺を寄せた。

 

「理解できない。あなたは難敵とのギャンブルで刺激を得るためだけに、私たちを脅迫していると?」

「そうとも。どうせ終わりが来るのなら、せめて精一杯好きなことをしてから終わらせたいんだ。()()()()なんだよ」

 

 もはや昂ぶりを抑えようともせずに、アシュトンは朗々と言ってのける。

 

「それに床の上で最後にどうのたうち回ろうと、それは切られた尻尾の勝手だ。人生ってそういうもんだろう、違うかい?」

 

 たくさんのアンドロイドたちにあんな惨い真似をしておいて、それを意にも介さず『生きがい』だと? 人生だと――?

 

「この腐れサイコパス野郎。イカれてやがる」

 

 ハンクの吐き捨てた一言に、相手は気分を害した様子もない。

 

「お褒めに預かり恐縮ですよ、刑事さん」

 

 アシュトンがそう応える間に、背後の気配が足音と共に増える。

 どうやらやって来た配下どもに銃を任せたらしい、アシュトンはゆっくりとハンクの横を通り抜け、コナーの近くに歩み寄った。

 

 コナーが凄まじく冷たい目つきだというのにまったく身動きもできていないのは、やれやれ、こっちに向いた銃口はよほど揺るぎないもののようだ。

 

 ――クソ、これで2回目か? コナーの前で下手打つのは。

 人生で何度も人質係にされるだなんて警部補返上モンだ、クソッたれ。

 

 胸の内でそう独り言ちてから、ハンクはコナーに視線を送った。

 無茶な真似すんな、という意味を籠めたつもりだったのだが、相棒は途端に眉を曇らせる。

 

「すみません、警部補。予測できたはずなのに……」

「気にすんな。要はお前が、そこのクソッたれギャンブル狂を堂々とブチのめしてやりゃいいだけだ」

 

 ここに来て、アシュトンが噓をついているということもあるまい。

 自分たち二人を始末したいというのなら、とっくにやっているはずだからだ。

 つまり奴は本気で、コナーと勝負がしたいから人質を取っている。

 ならば相手のお望み通りにしているうちは、状況は悪化しないだろう。

 

 読みが正しい証拠に、ハンクの言葉を聞いたアシュトンは、その痩せたカラスのような身を震わせて笑っている。

 

「そう、その通り。ギャンブルで()()()()()()()のなら、私も心置きなく豚箱送りになるというものさ」

「……いいでしょう」

 

 コナーは決意に満ちた目をまっすぐに相手に向けて、おもむろに告げた。

 

「勝負を受けましょう、アシュトン。ただし、勝てるなんて思わないことだ」

「ああ!」

 

 アシュトンの瞳が輝いた。まるでクリスマスの朝、望みのプレゼントがツリーの下に置かれているのに気づいた子どもみたいに。

 

「もちろん、もちろんだともコナー! ああ、信じられない。この私が、ついに最新鋭のアンドロイドと勝負できるだなんて!!」

 

 これは素晴らしい一戦になるぞ、などとブツブツ言いながら、アシュトンは足早に去っていく。階段を下りる音が聞こえるから、どうやら、やはり例の(レイモンドと勝負していた)部屋は地下にあったようだ。

 コナーもまた、その後ろについて行った。そうせざるを得ない、変わらずハンクの後頭部には、クズの配下が銃を突きつけているからだ。

 

「心配いりません、警部補」

 

 すれ違いざまに、コナーはきっぱりと告げた。

 

「必ず勝ちます」

「ああ、心配してねえから安心しな」

 

 そう応えて笑ってやると、相棒はほんの少しだけ、ほっとしたような表情になる。

 

 ――そうとも、これは本心だ。

 あのギャンブル大好きド腐れ変態野郎がどんなクソみたいな手を使ってきたとしても、たった一人でサイバーライフと戦って勝った、こいつが負けるはずがない。

 だからこうして人の括った後ろ髪を取っ手みたいに引っ張ってられるのも今のうちだ、クズ野郎ども。

 

 きっぱりそう言ってやろうかとも思ったが、それじゃあまりに惨めすぎるので、ハンクは無言を貫いた。

 まったく情けないもんだ、何もできずに引っ立てられるだけだなんて!

 

 ギャビンの野郎がここにいなくてよかったと、ハンクは少し思うのだった。

 

 

***

 

 

――2039年5月27日 22:59

 

 

 張り詰めた空気。静かすぎて、逆に耳鳴りがしそうだ。

 テーブルを挟んで座り、睨み合うコナーとアシュトンの姿を、ハンクは部屋の隅に置かれた椅子から見つめていた。

 その頭には、当然未だ銃口が向けられている。隣にアシュトンの部下が一人、用心深く立っているのだ。

 しかしここに来ると、もはや自分自身の命よりも、これから行われる勝負のほうが気がかりである。

 

 壁に掛けられたディスプレイ(コナーが言っていた通りだ)には、相変わらずデトロイトの過去の夜景が映し出されていた。

 そしてもしかしたらこの勝負の光景も、今まさにあのVIPルームの片隅の小部屋で中継されているのかもしれない。――停電から復旧しているなら、の話だが。

 まあこの地下に電気が来ているのだから、きっとあっちも復旧していることだろう。

 

 そう考えているうちに、部屋に入ってきた従業員の男が、恭しくテーブルにカードとチップの山を置いていく。

 カードはそれぞれに5枚ずつ、チップは恐らくさっきまでコナーが稼いでいた分と思われる。

 つまりどうやら、これからここで行われる勝負は――以前見たものと同じのようだ。

 

「さて」

 

 ややあってから、先に口を開いたのはアシュトンのほうだった。

 

「先ほどの私とレイモンド君との勝負を見ていたのなら、既にご存知かもしれないが……ここで一応、改めてルールを説明しておこう」

 

 無言で応えるコナーの態度を気にするでもなく、相手は続けて語る。

 

「といっても、何も複雑じゃない。そのカードには、1から5までの数字が一枚ずつ書かれている。『親』は好きなカードを一枚選んで伏せる。『子』は親が選んだ数字を推理して当てる。今回は長く勝負したいから、親と子の役目は一回ずつで交代だ。どうだい、簡単だろう」

「親の賭け金は」

 

 コナーが冷静な声音で尋ねた。

 

「いくらですか? 上限や下限は」

「ないよ、コナー君。好きな額を賭けていい。子はそれと同額を賭けることになる。数字を当てたら賭け金は子が総取り、外したら親が総取り。ただし、そのチップがなくなったら次に賭けてもらうのは身体の部品かメモリーだ。もちろん」

 

 アシュトンは口の端を吊り上げ、陰鬱な笑みを浮かべる。

 

「私もそうする。つまり、人間である私の記憶を抜くことはできないから、この場合は腕や足だね。大丈夫、止血処置はできるとも。このカジノの医療スタッフは優秀でね」

「……なるほど」

 

 悪趣味な相手の発言には、取り合わないようにしているらしい。まったく興味のなさそうな声を漏らすと、コナーは配られたカードを精査する。

 しばらくして、カードやテーブルに不正な細工が施されていないのをチェックできたのだろう、彼はまた口を開いた。

 

「もう一つ、確認したいことが」

「何かな?」

「ルールは、本当にそれだけですか?」

 

 まっすぐにアシュトンをその目で捉えて、コナーは問うた。

 

「後付けであなたに有利なルールが追加されるといったようなことは……」

「ないとも! それだけはまったくない」

 

 両手を広げておどけるように、しかし眼差しだけはごく真剣に、アシュトンは答えた。

 

「だって、君、そんなことをしたってつまらないだろう! 勝つと知ってる勝負になんの面白さがある? それは君にだってわかるはずさ。上のカジノはつまらなかっただろう、君も……」

「残念ですが」

 

 相手の長話を制止するように、突き放すようにコナーは口を挟む。

 

「これから勝負がどうなろうと、私にとってつまらないものであるのは変わりませんよ」

「言ってくれる。いいね」

 

 アシュトンはワクワクを抑えきれない様子で、肘をついて口の前で諸手を組んだ。

 

「そう来なくては。さて、では第一回戦といくかい? 最初の親は誰が? 君か? 好きなほうをどうぞ」

「では、私が親を」

 

 コナーは至って静かにそう言うと、チップの山の一つを前方へ押し出した(賭けたのだ)。そして、目の前のカード5枚を手に取る。

 まさに()()()なまでに落ち着いた、熟練ともいえるポーカーフェイスで、彼は手札をじっと見つめていた。

 その面持ちからは、いかなる感情であろうと読み取れそうにない。

 

 かたやアシュトンはというと、彼はコナーからなんの返事もないにもかかわらず、一人でペラペラと言葉を重ねていた。

 

「このギャンブルは、日本で『手本引』と呼ばれているゲームを私なりにアレンジしたものでね。一部では賭博の華とか、極致だとか言って讃えているそうだよ。ところで、なんの数字を選ぶつもりかね?」

「……」

 

 やはり返事も相槌もないのだが、変態野郎には関係ないようだ。

 

「まあ端を選ぶということで、1か5というのは妥当だね。逆に真ん中ならやはり3かな、どうだい? まあなんにせよ、一枚しか選べないのだからね。よく考えることだよ。時間制限は特にないしね」

「お気遣いなく」

 

 ぴしゃりと言って、コナーはカードを一枚伏せて置いた。

 

「選びました」

「了解! ふむ、では勝負だ――」

 

 告げるなり、アシュトンの目つきが変わる。

 彼の目は、ハンクからでもよく見えた。あの眼差しは、やはり、レイモンドとの勝負の時と同じだ。相手の心の奥底を暴こうと、探ろうとする視線。

 相棒はというと、その視線から逃げるでもなく、正面から受け止めている。

 

 やがて、アシュトンが口を開いた。

 

「わかった、君は2番を選んだ。どうだい?」

「!」

 

 コナーの目が、僅かに見開かれる。

 

 ――おいまさか、噓だろ……!

 ハンクの驚きも束の間、コナーが手を伸ばし、伏せていたカードを表にして持ち上げた。

 その手の中にある札に書かれているのは――『2』。

 

「やった!」

 

 アシュトンは喜びを表明した。まるで贔屓のチームがスリーポイントシュートを決めたような晴れ晴れとした笑顔を浮かべつつ、コナーが賭けたチップの山を回収している。

 

「どうだいコナー君、私もやるものだろ? ハハハハ、ここで負けたら恥ずかしいからね!」

「ええ、そうでしょうね」

 

 一方でコナーはというと、実に落ち着いたものだ。というよりも、あの表情は「得心がいった」というほうが正しいかもしれない。

 青いLEDの光をくるくると回転させた後、彼は続けて言葉を発する。

 

「なるほど、行動心理学の応用ですか。あなたが凄腕のギャンブラーなのは、認めざるを得ないようです」

「おお……! よくわかってくれたね、君が初めてだよ!」

 

 感嘆の声を発したのは、アシュトンだった。彼の目が爛々と輝く。

 取り残されているのはこっちだけだ。

 

「なあおい、ちょっと待て」

 

 銃を気にしながらではあるが、ハンクは相棒に問いかけた。

 

「そりゃどういう意味だ? そいつは心理学でお前の心を読んだってのか」

「簡単な話ですよ、警部補」

 

 アシュトンの態度から、会話してもハンクに危害は加えられないと判断したのだろう。

 コナーは冷静に説明してくれた。

 

「彼は先ほど無駄話に見せかけて、私の行動を制限してきたんです。あえて自分から1か5、3などと数字の話を出して煽ることで、私にそれ()()()数字を選ばせるようにした……」

「そう、変異体だからこそ引っかかってくれる技だ! 人間と同じようにね」

 

 アシュトンが輝かしい笑みのままで話に割って入る。

 

「ただの機械が相手なら、選ばれる数字はただの確率論。ダイスの目を当てるのと変わりない。しかし心を持った相手なら、話は別ということさ!」

「……なるほどな」

 

 ハンクは理解した。

 要は人間心理を突くというのが、アシュトンの戦法なのだ。人間――否、心を持つ者ならば誰しも、賭けの相手が直接口に出して予想してきた数字をそのまま賭けるというのは避ける傾向がある。まして(本人がどう思っているかは知らないが)プライドの高いコナーなら猶更だ。

 

 すると今回、アシュトンが事前に1、5、3の数字を口に出してきた段階で、コナーが選ぶだろう数字は2か4に限定される。

 後はこのゲームを何度もアンドロイド相手に繰り返しているアシュトンだ、コナーが選ぶのが2なのか4なのかは、視線の動きや態度を観察すれば判断できる――そういうことなのだろう。

 

 おまけに大抵の変異体というのは、まだ感情に目覚めて日が浅い。レイモンドがそうだったように、一度こうして当てられてしまえば動揺してしまい、感情が露わになり、さらなる悪循環に陥っていく。

 たとえ優れた技術があろうと、感情を制御できなければ、どうにもならない。

 その点でいえば、人間も変異体も違いはないのだ。

 ――というこちらの推論を裏付けるように、アシュトンは高らかに宣言するように言ってのける。

 

「他を懸絶する計算能力を持ちながら、人間と同じ心を持つ! そんな君と、私は勝負したかったんだよ」

 

 その声音はもはやラブコールのようだ。だが当然、相棒はそれに応じない。

 

「私たちに感情があることを認めるという点で、あなたは世の20%の人々よりも賢明です、アシュトン」

 

 コナーのブラウンの瞳から放たれる光は、どこまでも冷たいものを帯びていた。彼は2番のカードを回収すると、他のカードと纏めてシャッフルし、手元に戻す。

 

「ですが、まだ勝負は始まったばかり。興奮するのには少し早いのでは?」

「ハハハハ、その通りだね!」

 

 アシュトンもまた動じてはいない。彼は今コナーから奪ったチップの山に加えて、足元から持ち上げた自分のチップの山を無造作にテーブルに載せて押しやった。

 

「では、次は私が親の番だ。ふむ……どれを選ぼうかな」

 

 わざともったいぶるように、彼は自分の手札をじろじろと見まわしている。

 コナーは冷静にそれを観察しているようだった。

 そして十数秒の後、アシュトンは一枚のカードを場に伏せる。

 

「よし! じゃあ、これにしよう」

「わかりました」

 

 淡々と、とりたてて感慨もない声でコナーは言う。

 

「あなたが選んだのは5番。でしょ?」

「……!」

 

 アシュトンの頬が紅潮する――気色悪い。

 彼は喜びに震える手でカードをめくった。こちらにも見えるように掲げられた札に印刷されているのは、まさに「5番」。

 

「おお……」

 

 こちらもまた、コナーに感心して無意識のうちに声を発してしまった。

 それに合わせるように、相棒はなおも静かな態度で語る。

 

「視線の動き、ストレス値の変動、カードを選ぶまでの所要時間を計算すれば、90%以上の確率で数字は的中できます。あなたが私の行動を読んでいる間、私もあなたの行動を読んでいたんですよ。アシュトン」

 

 その瞳は、声音と同じように力強い輝きを帯びている。

 

「推理と尋問、それに交渉は、私に標準装備された専門的機能です。あなたに負けるつもりは一切ありませんので、どうかご安心ください」

「素敵だ!!」

 

 アシュトンも負けじと目を輝かせている。

 

「君こそまさに得がたい好敵手だ! 君のようなアンドロイドと戦いたくて、私はギャンブラーになったんだ!」

「ケッ」

 

 思わず発したこちらの呟きを、アシュトンは意にも介さない。

 しかしだからこそ、この男は気持ち悪い。

 

 コナーみたいな奴と戦いたかった、だって? だったら勝手に、もっと平和な方法を選べばいい。これまで多くのアンドロイドたちを虐げ、怯えさせ、自由を奪ってきたのは、今日この日のための土台に過ぎなかったのだとでも?

 だとしたらやはり、こいつは最低のクズ野郎だ。心底唾棄すべきサイコパスだ。

 自分の楽しみを追求するためなら誰がどこで犠牲になろうと気にしない、連続快楽殺人鬼じみたクソったれだ!

 

 ――しかし情けないのは、今ここにいる自分自身だ。

 クソ野郎がのさばっているというのに、相棒に任せるばかりで、事態を見守ることしかできていない。

 本当にみっともない話だ。なんのためのバッジだ?

 

 内心で臍を噛みながら、ハンクは腕組みして推移を見守った。見守るしかなかった。

 鬼才と天才同士の戦いに、所詮、良く言って秀才レベルでは何もできないのである。

 そして――

 

 

 結局、そのまま勝負は1時間以上に及んだ。しかも、完全な膠着状態である。

 というのも、コナーもアシュトンも互いに譲らず、相手のカードを確実に当て続けたからだ。

 

 アシュトンは優れた技量でコナーの考えを当てていった。彼の話術にコナーが引っかかることはもはやないはずだったが、しかし感情の反応というのは分かち難く身体に反映されるものであり、それを当てるのはアシュトンにとって容易なことのようだった。

 

 一方でコナーもまた、アシュトンの心理を見事に暴き立てていく。一流のギャンブラーは自分の心拍数や呼吸までも制御して勝負に挑めると聞くが、それでも限度というものがあるらしい。痛快なまでに淡々と、相棒は相手の数字を当て続けた。

 

 こうなると疲労を感じないぶん、アンドロイドであるコナーが有利のようにも思えてくる。だがアシュトンはこの状況に焦るどころか、勝負を重ねるごとにますます興奮した表情になっていた。

 お望み通りの()()()勝負のお蔭で、アドレナリンだのドーパミンだのがドパドパ放出されているのだろう。もしかすると、人質がいるせいでコナーのほうが精神的負担は大きいかもしれない。

 

 今、親の手番はコナーに回ってきた。

 彼は変わらずの落ち着いた顔つきで、手札をじっと見つめている。そうして――数秒ほど経った頃。

 

「提案があります」

 

 コナーはアシュトンに、短く告げた。興味深そうに相手が尋ねる。

 

「なんだね?」

「このまま互いにチップを賭けて戦い続けても、一向に勝負はつきません。膠着状態は変わらず、無為に時間が過ぎていくだけ……ならば、どうでしょう」

 

 冷静な瞳をひたとアシュトンに向けて、コナーは言う。

 

「一気に賭け金をレイズして、今回で決着をつけるというのは」

「ほう?」

「今は私が親……もしあなたが私の選んだ数字を当てられなければ、アシュトン、私はあなたに『属する組織との取引の全記録』および『知り得る限りの内容の正確な証言』を要求します」

 

 なんだと――と漏らしそうになる言葉を、慌てて引っ込めた。

 それはつまり、完全に勝負を終わらせるだけでなく、アシュトンを捜査に協力させるつもりだということだ。だがさっきの話では、「親と子は同額を賭ける」ルールになっている。

 だからこの場合、コナーが賭けるものも――

 

「ハハハハ、うん、それは実に興味を惹かれるね!」

 

 果たしてアシュトンが言う。

 

「だが親である君は何を賭けるんだ? もし私が数字を当てたら、君は何をくれるのかな」

「もちろん、それに見合ったものですよ」

 

 そう言って、コナーがその左手を置いたのは――彼自身の胸だった。

 

「私は()()()、およびデータベース内のすべての情報を賭けます」

「……ほう!」

「おいコナー、何言ってんだ!」

 

 たまらずにハンクは叫ぶ。隣の従業員が驚いたように銃を突きつけているが、それに構っている場合ではない。

 

「お前自身だと!? そんなモン賭けちまってもし負けたら……!」

「心配いらないと言ったでしょう、警部補」

 

 コナーはこちらに視線を向ける。その目は微笑んでいた。

 

「大丈夫。あなたがそこにいる限り、私は決して負けませんから」

「……?」

 

 あまりにも確信に満ちた、その一言。つい呆気にとられ、気勢をそがれてしまう。

 一方でコナーは軽くウインクしてくると(ずいぶんな余裕だ)、今度はアシュトンに語りかける。

 

「ご存知かもしれませんが……私はRK800、捜査補佐専門モデルとして開発された最新鋭のプロトタイプです。私の機体にはサイバーライフが2037年以来で新規に獲得した23もの特許技術が使用されています。つまり、ちょっとした財産以上の価値がありますよ」

「……なるほどねえ」

 

 アシュトンはゆっくり、何度も瞬きをした。

 その頬は再び興奮で紅潮し、指先が喜びで震え出している。

 

「まあ、私としては君自身の機体やメモリーにとても興味があるわけじゃない。だがしかし、組織にはいい土産になるだろうし……君がそこまで言うということは、何か作戦があるというわけだ?」

「さあ、それはどうでしょう」

 

 コナーのとぼけた返事に、アシュトンはハハハと短く笑う。

 

「わかってるよ。私にとって、君の策を暴き勝利するのは、何をも上回る魅力的な未来さ! いいだろう、その賭けに乗ろう。もし君が勝ったら、私はコナー君の望み通りにするとも」

「あなたが勝てば、私はあなたの属する組織のものです。まあ、そうはならないでしょうが」

 

 ――賭け金の取り決めが成立した。今回の勝負ですべてが決まる。

 ハンクには、当然、コナーがどんな策を講じたのかまったくわからない。自分がいる限り負けない、などと言われても、どういう意味かさっぱり理解不能だ。

 しかし相棒が、なんの勝算もなく賭けに打って出るはずはない。

 だからただ信じて、ここにいるしかないのだ。

 

 コナーは今、再び自分の手札を見つめている。そしてLEDの青い光をくるくるさせた後、おもむろに手札を一纏めにし、軽くシャッフルした。それから、また手札を広げて眺めている。

 

 アシュトンはというと、さっきまでの多弁が噓のように何も言わなかった。

 彼は相手の一挙手一投足をすべて見逃すまいとするように、無言のままじっとコナーを観察している。

 

 やがて、コナーは――口元に薄く笑みを湛えると――カードを一枚選び、テーブルに伏せて置いた。

 

「選びました」

 

 淡々と言うと、アシュトンが応える。

 

「いいね! では、当てさせてもらおう……」

 

 そうして、彼は意気揚々と例の眼差しで、コナーの瞳を覗き込み――

 

「……?」

 

 やがて、その表情が初めて凍りついた。

 

「……ん? これはどういうことだ?」

 

 独り言のように、アシュトンはぶつぶつと口にする。

 

「どうして……何も……見えてこない?」

 

 ――見えない、だと?

 意外な一言に、ハンクはコナーに、次いでアシュトンのほうに視線を送った。

 アシュトンはこれまでと同じように、探る目つきでコナーを見ている。だがどうやら、どうしたことか――彼の考えを、何も読めないようだ。

 かたやコナーは、微笑んだまま平然としている。

 

「……コナー君」

 

 アシュトンは、口の端を吊り上げながら負けじと問いを発した。

 

「ここ一番の大勝負だ、君はきっとこれまでと思考ロジックを変えてきたに違いない。そうだろ?」

「ええ、その通りです」

「これまで君が選んだ数字は、2、5、1、3、4ときて1だった。均等にすべての数字を選んできて、それで端の1を選んだ次の回だ……君なら今度は、端ではない数字を選びそうなものだが?」

「そうかもしれませんね」

 

 コナーはなおも淡々としている。

 だがその返答に、アシュトンの表情はさらに固いものになった。

 

 これまでのアシュトンの経験では、2の5だのと数字を語りかけられた時、どんな相手でも、何かしらの反応があったのだろう。

 嘘をつくにせよ、あるいは真実を隠そうとするにせよ、例えば自分が選んだ数字を相手が口にしたならば、どこかで――瞬きが増えるとか、身体を強張らせるとか、何かを見せていたに違いない。

 

 しかし今、コナーはまったく動じていない。

 これまでの勝負でもそうだったが、今回は特に――まるで何も感じていないみたいに。

 

「困ったぞ……困ったぞ!」

 

 しばらくしてアシュトンは頭を抱えた。だがその表情は、恐怖するでもなく、嬉しそうに歪んでいる。

 

「どうしよう! このアシュトン・ランドルフが、何も相手の心を読めないだなんて……ああ!」

 

 と、にわかに彼の視線がこちらを向いた。

 

「そうか! もしかしてコナー、君は相棒に頼ったのかな?」

 

 ――は?

 と戸惑うこちらを置いて、クソギャンブラーはにこにことしている。

 

「相棒の刑事さんと相談して、何か対策をしたんだろう? 例えば彼に数字を選ばせて、こっそり通信して教えてもらうとか? どうだい?」

「仮にそのような行為をしたとして」

 

 否定も肯定もせず、相棒は説くように言った。

 

「それはルール違反にはなりませんね? あなたが提示したルールには、私一人で戦えという規定はありませんでしたよ」

「ハハハハ、もちろんだとも! しかし意外だな……何をしたのかな」

 

 そう発して、アシュトンは今度は例の目つきでじっとこっちを見つめてくる。

 ――やっぱり気色悪い。

 それにコナーの奴は何を言っているんだろう。こちらは本当に、ただの人質として、黙って椅子に座っていただけだ。通信なんてまったくしてない。

 そもそもコナーがなんの数字を選んだのかだって、ここからはちょうど見えないようになっているのだ。

 

 だが――ここでこちらを疑わせるのが、きっとコナーの作戦の一部なのだろう。

 ならば、やるべきことは決まっている。

 

 ハンクはわざと鼻を鳴らすと、腕を組んで泰然と言い放った。

 

「残念だったなサイコパス野郎、俺の相棒の作戦勝ちだ」

「……おや、困ったね刑事さん。あなたも何が起きてるのかご存知ないようだ?」

 

 ――バレてやがる。

 

「はっ、なんとでも言いやがれ。わからないのはてめえもだろうが」

「ああ……そうさ。それは、その通りだね」

 

 意外とあっさり屈すると、アシュトンはこちらから視線を逸らして正面に向き直った。彼の指がコツコツとテーブルを叩いている――だがなおも、コナーにはまったく動じた様子がなかった。

 そして数分が経った頃。観念したように、アシュトンは天を仰いだ。

 

「……わかった。降参さ! こんなのは初めてだ、()()()()()()に頼らなきゃいけないなんてね! でも確率は5分の1だ、当たるかもしれない。そうだろ?」

「ええ、その通りですね。どうぞ」

 

 軽く手で促すようにしながら、コナーは首を傾げている。

 その彼に向かって、アシュトンは告げた。

 

「『4番』……君が選んだのは4番。私はそれに賭ける」

「わかりました」

 

 相棒の表情は、依然動かぬままだ。彼はアシュトンの選択になんの反応も見せぬまま、伏せていたカードに手を伸ばした。

 そしてコナーはゆっくりと、それをめくっていく。

 

 ――ごくり、と意図せず自分の喉が鳴った。

 アシュトンも、また隣に立つ従業員の男も、めくられていくカードが示す数字を確認しようと身を乗り出している。

 

 そうして、コナーが示したカードには――

 『1番』の数字が書かれていた。

 

 コナーの勝ちだ。

 

「ああ!」

 

 アシュトンが、尻餅をつくように音を立てて椅子に戻った。

 その表情には驚愕と、そして、限りない歓喜とが刻まれている。

 

 一方で、従業員のほうは途端に取り乱した様子になった。銃を突きつけるのも忘れて、そいつはアシュトンに食ってかかっている。

 

「そんなっ、支配人! 負けるなんて……」

 

 何ごとか文句を言おうとしたようだが、しかし、何を言いたいのかなんて全部わかってる。

 

「寝てろ」

「ぐふっ……!?」

 

 ハンクの伸び上がるような拳が、従業員の腹部を直撃した。取り落としそうになっている銃を奪い取ると、ハンクはそれを倒れ伏した男の頭に突きつけつつ椅子を立った。

 

「仕事に集中してねえからこういう目に遭うんだぜ、覚えときな」

 

 何も言えずにのびている男を一瞥した後、ハンクはコナーに目を向けた。

 コナーは――しげしげと、自分の選んだカードを見つめている。

 

「……運がいい」

 

 勝者の第一声はそれだった。

 

「1番。嫌いではない数字ですが、まさか4番ではないかと冷や冷やしましたよ」

()()()()だと?」

 

 ――まさか。

 懸念を胸に、ハンクは問いかける。

 

「お前、もしかして……どの数字を選んだのか、自分でもわかってなかったのか?」

「はい」

 

 こくりと、コナーは短く頷いた。

 応じてアシュトンがまた身を乗り出て叫ぶように言う。

 

「なんだって!? 信じられない……でもコナー、君は確かにさっき、そのカードを見て選んでいたじゃないか!」

「お教えしますが、アンドロイドは視界を遮るのに瞼を閉じる必要はないんですよ。視覚プロセッサの機能を任意でオフにすればいいんです。そして視覚がオフの状態でも、カードを選んでテーブルに伏せるくらいの動きは簡単にできます」

 

 自分自身の目を指しつつ、コナーはきっぱりと言い放つ。

 

「だからいくら私の考えを読もうとしたところで、無駄だったんですよ。私自身も知らなかったんですから」

「ハハ……!」

 

 アシュトンが深々と椅子に座った。

 限りない歓喜をなおも表情に刻み込んだまま。

 

「信じられない……無限の演算能力を持つアンドロイドが……最後はただの運に頼るだなんて!」

「計算の不可能な状況で、あなたが言う『刺激』というものの存在は、確かに感じることができました」

 

 と――そこでコナーはどこか冷ややかな目つきになると、アシュトンに続けて言う。

 

「ですがこんな行為、所詮は遊びです。本物の苦悩に満ちた、命を削る行為に比べれば……この程度は」

「……?」

 

 ――何を言っているんだ?

 と、訝しむ間もなく。やがてドタバタと誰かが廊下の外を駆けるような音が聞こえてきた直後、開け放たれたドアから踏み込んできたのは、懐かしのデトロイト市警の警察官たちだった。

 

 勝負が決し、ハンクが人質状態から解放された瞬間、コナーが呼んだ応援が今やって来たのだ。

 椅子に深く腰掛けたままのアシュトンは、なんの抵抗もせずに自分を取り囲む警官たちを受け入れている。

 

 こうして――カジノホテル・レーヴァングランドの闇稼業は潰されたのだった。

 

 

***

 

 

――2039年5月28日 00:24

 

 

「ああ、日付が変わっちまったじゃねえか、クソ」

 

 ホテルのすぐ外の路上。ひっきりなしにやってくるパトカーに、カジノの従業員と闇賭場の客たちが次々と乗せられていくのを少し離れた場所で見守りながら、ハンクは思い切り不快感を表明した。

 

「まったく、こんなに長丁場になるなんてな。しかもほとんど何もせずに座ってたなんて、笑い話にもならねえ」

「いえ……お疲れ様です、警部補」

 

 どういうわけか控えめに、傍らのコナーが応じてくる。

 

「あなたに怪我がなくてよかった。危険な状況にしてしまい、本当にすみませんでした」

「後ろ取られた俺が悪かったんだよ。それよりお前、よくあんなことやったな」

 

 きょとんとするコナーに、補足して言う。

 

「目を瞑って選ぶなんて……アシュトンのクズ野郎も言ってたが、たいしたクソ度胸だぜ」

「それは……その点もすみませんでした」

 

 コナーは、沈痛な面持ちで目を伏せた。

 

「本来であれば、より確実性の高い作戦を立てるべきでしたが……あれ以外に思いつかなくて」

「別に、責めちゃいねえよ。お前に任せたのは俺だしな」

 

 こちらは本心で言っているのだが、しかし、コナーは「いいえ」と口にした。

 

「捜査の現場で運に頼るなど、あってはならない事態です。ですがあの時の私は……この程度はなんでもない、というような気持ちになっていて」

「何?」

「つまり、アシュトンに言った通りですよ」

 

 どう言えばいいのかわからない、といった口調で、珍しく口ごもりながらコナーは続ける。

 

「あなたが毎晩行っていた、ロシアンルーレットに比べれば……私自身を運に任せるくらい、どうということはない。自分の命を削っていた、あなたの苦悩を思えば……こんなものはただのお遊びに過ぎない、と」

「……」

 

 ――そうか。

 それで「あなたがそこにいる限り負けない」なんて言っていたのか、こいつは。

 

 こちらの無言を、どう捉えたのだろうか。

 コナーははっとした表情になってから、視線を彷徨わせつつ弁明するように語る。

 

「その、すみません。あの晩も私は、まだ何もわかっていなくて……あなたに対して『運がいい』などと。どんな気持ちなのか理解しようともせず、窓を割って入ったばかりかずけずけと質問までして……それに今も……」

「おいおい、落ち着けよ」

 

 それ以上はとても聞いてられねえから黙ってろ。

 そう告げることもできず、ハンクはコナーに背を向けた。

 

 

 ――そんな大したもんじゃない。

 俺はただ、毎晩自分の将来を塗り潰そうとしていただけだ。

 死ぬこともできず、生きることもできなかった。

 だからいつか銃弾が自分に止めを刺してくれるのを願って、何度も引き金を引いていただけだ。

 みっともない野郎の、クソみたいな藻掻きだ。

 

 だからコナー、もしあの時お前が「こんな遊びやめろ」なんて説教したとしても、きっと俺は聞き入れなかっただろうな。

 むしろお前がただ――ずけずけと踏み込んできただけだったからこそ。

 

 

「……」

 

 そんなことを正直に言うなんて、とてもできない。

 ただ振り返った先にいたコナーがひどく不安げな顔をしていたので(きっと怒っているのだと思ってるのだろう)、ハンクはこう語るに留めておいた。

 

「……ま、毎晩やることじゃねえよな。心臓に悪いぜ」

「!」

 

 コナーは、にこりと微笑んだ。

 

「ええ、そうですね。警部補」

 

 安心したような相棒に向かって、フンと鼻を鳴らしてやった。

 すると道路のほうから、警官が一人こちらにやって来る。クリスだ。

 

「警部補、ちょっとすみません!」

「どうした」

「アシュトン・ランドルフが、あなたとコナーに話があるそうです。まだ払っていない、だとかなんとか……」

 

 こちらと同じく、困惑した表情のクリス。

 だが今まさにパトカーに乗せられようとしている、手錠を嵌められたアシュトンの近くにコナーと共に行くと、疑問はすぐに氷解した。

 

「コナー、素晴らしい勝負をありがとう」

 

 実に晴れ晴れとした表情で、アシュトンは告げた。

 

「この後君と話すにしても、取り調べにはしばらく時間がかかるだろう。私はギャンブルの支払いはすぐに済ませたい性質でね。今のうちに一つ教えておくよ……」

 

 パスワードは『子守歌』だ。と、アシュトンは言った。

 

「私と君が戦った部屋の隣に、業務で使っていた端末がある。そこを探ってみるといい」

「わかりました、アシュトン」

 

 コナーは頷く。

 

「後の“支払い”は、署でお願いします」

「ああ、もちろん」

 

 アシュトンは、クズではあるが、一応彼なりの矜持は持ち合わせているのだろう。

 潔く頷き返して警官に従うと、最後に、ぽつりと呟いた。

 

「まあ、私には充分時間がある。ギャンブラーでいてよかったよ。クスリに手を出さずに済んだからね……」

 

 ――クスリ?

 レッドアイスのことだろうか。

 

 だが今のアシュトンには、それ以上何か言うつもりはないらしい。

 彼はパトカーに乗せられ、去っていった。

 

 

 そして、その数分後。

 タレコミ通りに薄暗い事務室の端末を探り、パスワードを入力すると、そこに表示されたのは吸血鬼の組織とカジノホテルとの取引の記録だった。

 それによれば、この数ヶ月でカジノホテルから『出荷』されたアンドロイドは16人。

 うち8人は記録の末尾に「供物」と記載されていて――コナーによれば、最初に吸血鬼の事件が発覚した時に落ちていた34人分のブルーブラッドのうち、4人のデータと合致するという。

 つまり「供物」とは吸血鬼への捧げもの。もしくは、レッドアイス精製用の素材に回されてしまったアンドロイドのことだろう。

 

「そして残りの4人は、あの事件の後新たに犠牲になったのでしょう。もっと早くここを見つけられていれば……」

 

 後悔する気持ちはわかるが、沈んでばかりもいられない。

 あとの8人のデータに、不可解な記述があったからだ。

 

 記録によれば8人のアンドロイドのうち、5人は「A」と記載された場所。そして3人は、「狩場」と呼称される場所へ送られているとわかった。

 

「『A』は何かの頭文字か暗号だろうな。だが、狩場ってのはなんだ?」

「現段階ではなんとも……これ以上のデータは、抽出はできますが高度に暗号化されています」

 

 スキンを解除した手で端末からデータを吸い出したのだろう、コナーは険しい表情で言った。

 

「私とナイナー、それに市警の端末とを一部並列化して解読作業にあたります。すぐというわけにはいきませんが、10日もあれば読めるようになるかと」

「ああ、頼むぞ。手がかりはできたが、これだけじゃ吸血鬼がどこにいるんだかわからねえからな」

 

 賭場に囚われたアンドロイドは救った。

 吸血鬼についての情報は一部手に入れた。

 しかし未だ、事件の全容すら把握できないままだ。

 今はただ、暗号の解読が完了するまで待つしかない。

 

 1時間後、ハンクはコナーと共にレーヴァングランドを後にした。

 夜も更け、生温い風だけが不穏な空気を掻き交ぜていた。

 

 

***

 

 

――2039年5月28日 14:21

 

 

「ほらよ、ハンク。いつものだ」

「ああ、ありがとよ」

 

 いつもと同じ、チキンフィードでの遅めの昼の時間。

 これまたいつもと同じハンバーガーとXLサイズのレモネードを受け取ったハンクは、後ろに立つコナーがなぜか動こうとしないのに気がついた。

 

「おい、お前何やってんだ?」

「いえ。ゲイリーがどのようにそのバーガーを作っているのか、工程を観察したいのですが……」

「やめとけ、迷惑だろうが」

「悪いけど企業秘密だぜ、アンドロイド刑事!」

 

 ゲイリーは仕事の邪魔だとばかりに、しっしっと手でコナーを追いやった。

 不承不承といった様子で、コナーはこちらと同じくテーブルに移動する。

 ――まったく、毎度のことながら妙なことに拘る奴だ。

 

 すると最初の一口にありつく前に、今度は道の向こうから現れた人影があった。

 黒いハンチング帽に黒いジャケット。

 

「おう、ペドロか」

「よお、ハンク……」

 

 差し出した手をパンと叩いた彼は、しかし、妙に元気がない。

 

「どうした? なんか、トラブルでもあったのかよ」

「いや、別にそんなんじゃねえ。ただよお……なあプラスチック兄ちゃん、見たかあのレースの結果!」

「レース……?」

 

 不審げな顔を浮かべたコナーは、だがその後瞬時に表情を変えた。

 まるで信じられない出来事が起きたみたいに――

 たぶん、ネットで競馬の結果を検索したのだろうが。

 

「……そんな!」

「だろぉ!? いや、あんたのせいじゃねえ。あんなん誰も予想できねえ、最悪の展開だぜ」

 

 塞ぎ込むコナー、そして肩を竦めるペドロ。

 ついて行けないのはハンクだけである。

 

「おいおい、何があったってんだ? 競馬がどうかしたか」

「イースタンダンサーの奴、景気よく突っ走って……この兄ちゃんの言ってた通り、最初はもう必勝ってムードだったんだよ。でも第3コーナー曲がったところで、なんと急に鳥の群れだぜ」

「鳥ぃ?」

 

 こちらの問いかけに、ああ、とペドロはため息をついた。

 その言葉に合わせて、コナーが深刻な面持ちのまま応える。

 

「イースタンダンサーの目の前を、突然やってきた鳥の群れが通過したんです。動揺したイースタンダンサーは、騎手を振り落として暴走し……」

「なのにレースはやり直しにならねえんだぜ! おかしいと思わねえか、ハンク?」

「はあ、なるほど」

 

 やっと事態が呑み込めた。

 ハンクは安心して、ハンバーガーを口にする。

 

「そりゃ、残念だったな。だが結果は結果だろ、でなきゃギャンブルにならねえ」

「あんたの言う通りだけどよお……」

 

 まったく納得できない、といった態度でペドロは唇を尖らせている。

 すると――

 

「ペドロ」

 

 ややあって顔を上げたコナーは、限りなく真剣な顔をしていた。

 

「心配いりません。今回の分析はデータが足りなかった……次の競馬は、必ず当ててみせます」

「おおっ!」

 

 途端にパッと明るい表情になるペドロ。しかし聞いているこっちは耳を疑うばかりだ。

 ――当ててみせるだって?

 

「おいコナー! お前何ムキになってんだ、やめろ!」

「ムキになどなっていません。ただ、これは僕の演算機能に対する挑戦です! 競馬場周辺の環境情報と気象予測を統合すれば、次こそは90%以上の確率で……」

「だから、それが『ムキになってる』ってんだろ」

 

 喜んで手を叩いているペドロの横で必死に呼びかけるのだが、頑固者はどうしても聞き入れようとしない。

 確率計算はスリルがないとかなんとか言ってたくせに、まったく困ったパートナーもいたものだ。

 

 結局この後、コナーを諦めさせるのに、ハンクは優に23分の時間を要したのであった。

 

(カジノ/The Jackpot 終わり)

 






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