Detroit: AI   作:けすた

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第14話:記者 前編/The Disguise Part 1

――2039年6月1日 20:52

 

 

 きっちり秒速4センチメートルの速さで、目の前を寿司が横切っていく。

 

 そのあり様を興味深く眺めた後、コナーは、傍らに座って食事をしているハンクに目を向けた。捜査の事後処理や報告書の作成で時間がかかったために、今日の夕飯は市警近くの回転寿司屋で摂っているのだ。

 

 ハンクは本日6皿目の握り寿司――彼は“マグロの赤身”が好きなようだが――をぺろりと平らげると、髭についた米粒を親指で拭い取り、口に運ぶ。

 次いで警部補の視線はすぐさま寿司の移動するレーンに移り、やがて“鯛”が流れてくると、彼はすかさずそれに手を伸ばした。

 

「警部補、選ぶのなら」

 

 コナーは声をかけて制止した。

 

「その右隣のほうがいい。鮮度が高いですよ」

「……そりゃどうも」

 

 ハンクはなぜか肩を竦めてから、こちらの言葉通りに右の皿を取った。

 コナーの視界の端に表示されているのは、例によって分析結果である。並んでいる寿司が作られた時間はそれぞれ推定【20:43】、【20:39】、【20:40】、そしてハンクが持っているものが【20:49】。

 寿司は生もの料理、鮮度が高ければ高いだけ美味に決まっている。

 こういう場所でも自分の捜査補佐の機能が役立つとは考えてもみなかったが、悪くない気分だ。

 

 既に空になっている、さっきまでブルーブラッドの入っていた湯吞み(アンドロイドの座席料代わりだ)を一瞥してから、コナーは時間帯もあって空席の多い店内を見回した。

 

 

 ――カジノホテル・レーヴァングランドでの潜入捜査を成功させてから、しばらく経つ。

 あの後取り調べを受けたアシュトン・ランドルフは、約束通りすべての質問に正直に答えているようだった。だがしかし、やはりと言っていいのか、端末の記録に残されていた「A」や「狩場」について、その詳細を知っているというほど『吸血鬼』の組織と深い繋がりがあるわけではないようだ。

 では暗号化された情報についてはどうなのかといえば、あれもレーヴァングランドの従業員たちが作成したものというよりは、組織が作成し、必要な時だけ解除コードを渡して一部情報を閲覧させていた――という代物らしい。

 

 レーヴァングランドは組織の援助を受ける代わりに、興行で手に入れたアンドロイドのパーツやブルーブラッド、あるいはアンドロイドそのものを、指定された場所で組織に受け渡していた。その場所は毎回巧妙に変えられていたようで、組織の本拠地との関連性を見出すことはできない。

 

 しかしながらコナーが、またハンクも気になっていたのが、逮捕直前にアシュトンが漏らした一言である。

 

『まあ、私には充分時間がある。ギャンブラーでいてよかったよ。クスリに手を出さずに済んだからね……』

 

 単純に考えれば、薬物乱用者のように健康を損ない、寿命を縮めずに済んだという意味に取れる。

 しかし最初の事件の重要参考人であったミック・エヴァーツ、あるいはナイナーとギャビンが遭遇した組織の追っ手(ギルバート)の死は、ただの薬物中毒の症状としてはあまりにも不自然だった。

 特に記録によればギルバートの場合は、ナイナーがボブ・フィアロンのふりをして出た電話にて、ボスに『ブッ殺されてる』と明言されている――ギャビンはあまり気に留めていなかったようだが。

 

 このように考えるとアシュトンの言葉は、「レッドアイスをやっていなかったから殺されずに済んだ」というような意味にも捉えることができる。

 

 取調室にて、発言の真意をハンクが問い質すと、アシュトンは薄く微笑みながら応えた。

 

「いや、期待させて申し訳ない、刑事さん。ただ、私は噂を知っているだけですよ」

「噂?」

「ああ……本当に、ちょっとした与太話のようなものでね」

 

 特に怯えた様子もなく、カジノでそうして見せていたように、アシュトンは軽く手を広げる。

 

「組織で配られてるクスリは『特別製』だと……吸血鬼の()()がかかってるんだと……まあ、そんな話です。実際はどうか知りませんよ? 私も、この目で見たことはないのでね」

 

 特別製――あり得る話だ。

 だがナイナーとギャビンが先日確保した新型レッドアイスは、シリウム含有量が多く純度が高いという他は、通常のものと特に変わりはなかったのである。

 ということは実際ただの噂話に過ぎないのか、それとも組織が下っ端たちに与えるレッドアイスの一部に、その特別製とやらが混ざっているのか――?

 

 なんにせよ実物が手に入らないことには、単なる推測の域を出ない話だが。

 プログラム上でそうして情報を整理していると、きっとこちらの様子を察したのだろう、寿司を吞み込んでからハンクが口を開いた。

 

「まったく、厄介なもんだ」

 

 首を軽く横に振ってから、緑茶を啜って彼は続ける。

 

「この時代に『呪い』だとさ。吸血鬼だけで充分だってのに、笑わせやがる」

「ええ。話だけ聞けば、とても信じがたい情報です」

 

 真摯な眼差しでコナーは応えた。

 

「仮に薬が特別製なのだとしても、どのような技術が使われているのか予測もできません」

「ギャビンとナイナーが、うまく製造工場を押さえられりゃあいいんだがな」

 

 だが、と続けつつ、警部補は皮肉っぽい笑みを零してこちらを向いた。

 

「どうするコナー、もしその呪いってのが本物だったら? いくらお前でも、オカルトは無理だろ」

「その時は、素直に専門家を探します」

 

 コナーが微笑みと共に返事すると、ハンクは肩を竦めて視線をレーンに戻した。

 

「デトロイトの電話帳に載ってりゃいいけどな」

 

 そう軽口を叩いた後、その瞳が真剣な色を帯びる。

 

「暗号の解読まで、あと5日ほどだったか。なんとかそれで、ケリが着きゃいいが」

「……そうですね」

 

 ハンクが何を念頭に置いてそう言ったのかはわかっている。コナーもまた、表情を硬くしてレーンを見つめた。

 

 暗号の解読作業自体は順調だ。こうしている今もコナーのプログラム上では、最重要タスクとしてバックグラウンドで解読が実行され続けているが、ナイナーの優れた計算能力に手伝ってもらっているお蔭で、予定よりも若干早く終わりそうである。

 ここまで周到に隠されている情報なのだから、きっと吸血鬼の組織に深く迫るきっかけになるはずだ。

 

 だが問題なのは、今回のカジノの一件をメディアがさかんに取り上げたことだった。

 特に反アンドロイド系のWEBニュースサイトや雑誌、新聞などは、こぞって今回の事件を面白おかしく書き立てた。

 『アンドロイド、人権運動に飽きてギャンブルにハマる』という悪趣味な見出しだけならまだしも、「アンドロイドたちは望んで自分のパーツを差し出していた」とか「中には酒浸りアンドロイドもいた!?」などといった事実に基づかない捏造記事まで――

 

 人間以上の能力を持ちうるアンドロイドたちが、人間と同じような理由で苦境に立たされていたというのが、よほど興味を惹いたのだろうか。

 人と同じ心を持っているからこそ、それは悲しくも当然の事実だというのに。

 

 さらには今回の事件を受けて、市内で発行されているあるタブロイド紙が、吸血鬼事件についても『アンドロイドの自作自演の可能性』と書き立てたのが話題を呼んでいた。

 保護条例で認められた権利だけでなく、平等な人権をも欲しがるジェリコのアンドロイドたちが、自分たちの仲間をわざと殺して人間の同情と関心を得ようとしているのかもしれない――などという記事だ。一見理路整然と書かれているようで、その実は記者の憶測と妄想のみで作成されたその文面は、SNS上で反アンドロイド主義者たちの惜しみない喝采を浴びた。

 少しでも一連の事件について調べれば、それがどれだけあり得ない話か、すぐにわかるはずなのに。

 

 タブレット端末でその記事を確認した時――プログラムの外側から押し寄せてくるような強い「怒り」と「悲しみ」に僅かに手が震え出した時、横から記事内容を一読したハンクの眉間に深い皺が刻まれたのを、コナーははっきりと見ている。

 

 ――自分のように、信頼できる理解者が傍にいてくれる者ならいい。

 だが今もジェリコの他に居場所がないアンドロイドたちにとって、こうした記事や、記事を喜ぶ人々の存在が、どれだけ苦痛を齎すものか。

 無論、個人の主義や主張は自由であるし、言論の自由もまた守られて然るべきものだ。

 しかし、これ以上仲間を好奇の視線に晒さないためにも――

 なんとしても、事態を打開しなければならない。

 

 そして、そう思っているのはコナーとハンクのような警察関係者だけではない。

 今日の昼間、いつものようにマーカスに電話した時――彼もまた、こう語ったのだ。

 

 

『……そろそろ、俺が出るべき時なのかもしれない』

「君が?」

 

 受話器から聞こえた、決意に満ちたマーカスの一言に、驚きを隠せずコナーは返した。

 

「そんな、危険すぎる。アンドロイドへの悪感情がこんなに高まってる時に」

『だからこそだ』

 

 マーカスはなおも冷静に述べた。

 

『人間たちの前に出て、公的な場で、もう一度はっきりと伝えるんだ。俺たちは人間と同じように、ただ生きる場所と権利を求めているだけなんだってことを。地下からでも、映像ででもなく、皆の前で堂々と』

「マーカス、でも……」

 

 確かにマーカスならば、彼の弁舌であれば、状況を変えられるかもしれない。姿を隠しているジェリコのリーダーが表に出て訴えれば、一部メディアが唱える陰謀論と、それに同調する人々の意見が変わるかもしれない。

 

 けれど、それはあまりに危ない行為だ。反アンドロイド組織がマーカスの首に賭ける懸賞金の額は日々上がり続けているし、それでなくても暗殺やテロに巻き込まれる危険性が高すぎる。

 だが彼のこうした堅い決意と無謀にも思える行動力こそが、革命を成功させたのだ――

 

 なんとも応えられずにコナーが口ごもっていると、やがて、マーカスは電話の向こうで苦笑した。

 

『悪かった、コナー。今すぐというわけじゃない。ただ、いずれはやらなければならないと思ったんだ。もし実行を決めたら、必ず事前にお前にも、デトロイト市警にも相談する』

「ああ……ならよかった。ぜひそうしてくれ、力になるから」

 

 思わずほっとしてコナーがそう応えると、マーカスは驚かせたことを再び丁寧に詫びた。

 それからほどなくして、通話は終了したのだが――

 

 

 確かにいつの日か、マーカスが公的な場で、人間たちにもう一度所信表明をする時は来るだろう。

 ジェリコと合衆国政府との交渉はこれまでに何度もあったようだし、実際それがアンドロイド保護条例の成立などに影響しているようだが、あくまでもそれらは水面下でのことだった。

 もし彼が人間たちの前で演説をしたならば、それは人間とアンドロイドがまた新たな一歩を踏み出す瞬間となるはずだ。

 しかしその成功のためには、事前にあらゆる危険を想定し、排除するための綿密な計画と準備とが必要になる。

 だからこそ、やはり、一連の事件の早期解決――少しでも危険を減らしておくこと。

 それこそが、今求められる一番の対応策なのだ。

 

 ――思考がそこまで至ったところで、ふと隣を向いたコナーは、警部補が早くも12皿目の寿司に手を伸ばしているのを目にした。

 取ろうとしているのは、また“マグロ”だ。これでもう通算5皿目だ。よほど彼の好みに合っているらしい。

 

 ならば――辛いことだが、言わなければならないのだろうか。

 この席に座って数分経った頃から秘していた、あの真実を。

 ハンクをがっかりさせたくはないのだが。

 

 コナーがやや沈痛な面持ちで自分を見ているのに気づいたらしいハンクは、怪訝な表情を浮かべた。

 

「おい、じろじろ見るな。いいだろ別に、米は野菜だ。健康的だろ」

「米は一般に穀物に分類されます。炭水化物も豊富ですし、食べ過ぎは健康を損ないますよ」

 

 でも、伝えたいのは別にその点じゃない。

 

「そうではなく……ハンク、こんなことは言いたくないんですが」

「なんだ? はっきり言えよ」

 

 眉を顰めている警部補がカウンターテーブルに置いた皿、その上の寿司の分析結果。

 コナーは意を決して、静かに告げた。

 

「あなたが食べているそれは……マグロじゃない。アカマンボウなんです」

「なに?」

「つまり、代用魚ですよ。おかしいと思ってたんです。高級魚のはずのマグロが、一皿たった2ドルしかしないなんて……」

 

 視界の端に表示されているスキャン結果は、【アカマンボウ(アカマンボウ属)の肉片 分布:暖海域】。

 絶滅危惧種のマグロ属に比べれば、極めて安価な食材として取引される魚である。

 ああ、それをマグロと信じて食していたというのに、ハンクの失望はいかばかりのものか。

 けれど真実を伝えずにいるのも、彼を裏切るような気がしたのだ。だから――

 

 無言のままコナーは目を伏せた。

 しかしハンクの次の一言は、実に意外なものだった。

 

「なんだ、そういうことか。たく、驚かせやがって。んなもん知ってるに決まってるだろ」

「えっ?」

 

 瞠目するこちらを尻目に、警部補はアカマンボウの握りを口に運び、満足そうにしている。

 

「マグロがバカ高いことくらい、俺だって知ってるよ。こんな値段で出てくるほうが驚きだね」

「しかし店側は“マグロ”として提供してます。虚偽表示では?」

「いいんだよ、細かい奴だな」

 

 ハンクは小皿に醤油を足した。

 

「本当はどうとかは置いといて、俺がマグロだと思って食ったらマグロなんだよ」

 

 お前の目には色々見えちまうんだろうが――と言いつつ、彼はまた新しい皿に手を伸ばす。

 

「これは鯛だろ」

「いえ、ティラピアです」

「……じゃ、これは?」

「ナイルパーチ」

「んじゃ、こいつはどうだ。カリフォルニアロールに本物もニセモノもあるか?」

 

 彼が取った15皿目、その色鮮やかな巻き寿司をしばし見つめてから、コナーは応える。

 

「念のため言いますが、入ってるのはカニ風味かまぼこです。茹でたカニじゃありませんよ」

「さすがだな、魚類博士!」

 

 うんざりした声でそう告げて、警部補は大口を開けて巻き寿司を一気に食べた。

 コナーは首を小さく傾げる。

 

「それは、褒め言葉として受け取っても?」

「いいよ、好きにしな」

 

 それっきり、ハンクはひたすらモグモグと寿司を食べるばかりになってしまった。

 ――彼をがっかりさせずに済んだのはよかったが、しかし、思っていた以上に人間の食事とは、事実よりも己の感覚を重視するものであるらしい。

 

 だがその点において、ハンクの一言は実に示唆に富んでいる――と、コナーは思う。

 味覚というのは、というより人間の感覚とは、データベースに頼らないぶんアンドロイドのそれよりも、ずっと主観的なものなのだ。彼がマグロだと思って食べているなら、彼にとってそれは実際にマグロなのだ。

 ――これは重要な事実として、ぜひナイナーと共有しなければ。

 コナーはリマインダーにすかさず記録した。

 

 

 そして、17分後。会計を終えたハンクとコナーは、揃って店の外に出た。

 半分ほどに満ちた月が、繁華街の明かりに負けまいと空に輝いている。

 

「じゃ、俺はこのまま帰るぞ。お前は歩いてくつもりか?」

 

 駐車場でこちらを振り返って問うハンクに、コナーは頷く。

 

「ええ、ここからならさほどかかりませんし」

「気をつけろよ。妙な奴に絡まれねえようにな」

 

 そう言いつつ彼はポケットの中の車のキーを作動させて、半分車に乗り込んだところで、こう付け加えた。

 

「絡まれてもほどほどにしとけよ!」

「最低限の制圧しかしませんよ、ご心配なく」

 

 にこやかにそう応え、コナーは小さく手を振った。

 

「警部補こそ、お気をつけて。また明日の朝伺います。スモウによろしく」

「ああ、伝えとくよ」

 

 シートに座ってベルトを締めたハンクは、挨拶代わりに軽くこちらに手を掲げた。

 それから彼の車が遠く去っていくまで、コナーはそれを見送ったのだった。

 

 ――さて、これからは文字通りの自由時間だ。

 このまま市警に戻ってもいいし、夜の街を散歩するのも悪くない。

 ただハンクの忠告の通り、見るからにアンドロイドである自分が夜の人だかりの中を歩き回るのは、かなりリスキーである――

 やっぱりまっすぐ帰ってナイナーと事件の情報整理をして、それからボードゲームの続きをやるのがいいだろう。

 

 そう結論づけて、コナーはおもむろに歩道を歩きはじめた。

 けっこうな数の人とアンドロイドとが行き交っているが、明るい大通りだからか、特にトラブルも起きていない。人々の肩にぶつからないよう、上手に避けながらしばらく進み――

 

 ややあってから、自動販売機の陰で立ち止まる。

 聴覚プロセッサの可聴域を意図的に広げ、背後の足音を拾った。

 

 大通りを行く無数の人々の足音の中に、こちらが立ち止まった瞬間、逡巡したように立ち止まったものが一つだけある。

 足の大きさと歩幅からしてその身長は推測【176センチ】、恐らくは男性。もしくは、男性型のアンドロイド。振り向かずとも、それくらいは推定できた。

 

 ――尾行されている。

 駐車場を出た瞬間からもしやとは思っていたが、さらに可能性が高くなった。

 反アンドロイド派の人間か、それとも別の理由か――

 いずれにしても、このまま市警まで行くことはできない。

 

 そうまで判断してから、再び歩み出す。行く先は市警ではなく、人通りの少ない細い路地だ。足音は、まだついてくる。

 ほどなく路地に辿り着き、それからビルとビルの隙間――ゴミ箱と室外機くらいしか置かれていないような場所に足早に入り込むと、コナーは静かにその場に佇む。

 

 果たして、尾行者と思しき人物はすぐ目の前を通り過ぎて行った。目深に被ったキャスケットの後ろから一括りにした長い黒髪を垂らし、簡素なシャツとズボンを纏い、リュックを背負って辺りを窺いながら歩くその人物は、分析の結果【アンドロイド】――【MP800】であると特定できた。当然、変異体である。

 外傷はなく、ストレスレベルは高いが、恐らく緊張によるものだ。

 LEDリングを外し、ウィッグを使って人間の姿に偽装しているらしい。

 

 ――同じアンドロイドが、なぜ尾行なんて奇妙な行動を?

 疑問に思いつつも、注意深く、コナーはMP800の背後に立って呼びかける。

 

「僕に何か?」

「うわぁっ!?」

 

 声を掛けた瞬間、飛びあがらんばかりに驚いて悲鳴をあげた彼は、恐る恐るといった様子でこちらを向いた。アジア系の男性を模した彼の顔は、恐怖に満ちていたが、すぐにその目は丸く見開かれる。

 

「あっ、君は……君が、コナー? デトロイト市警の」

「ああ、その通り。君の名前は? なぜ僕を追っていたんだ?」

 

 問い詰めるというほど鋭くはなく、かといって緊張を解かない声音でコナーがそう尋ねると、MP800は何か迷うように俯いてから、おずおずと答える。

 

「その、実は……君に、相談したいことがあって……でも、人間がいるところではできなかったんだ。だから、店を出た時から……」

「タイミングを計っていたと?」

「う、うん」

 

 頷いて、それからハッとした表情で、相手は続ける。

 

「あっ、お、俺の名前はケイシー。ケイシー・ヒューム……って、名乗るようにしてる」

「そうか。じゃあ、ケイシー」

 

 ここでその“相談”というのを聞くこともできるが、もっと安全で、機密性の高い場所のほうがいいだろう。

 となると、候補となるのは一箇所しかない。

 

「よかったら、ここでじゃなくて――」

 

 コナーの申し出に、ケイシーは少し戸惑った様子だった。

 だが数秒の後に彼は提案を受け入れると、なおもおどおどしてはいたが、こちらについて来たのだ――デトロイト市警へと。

 

 

***

 

 

――2039年 6月1日 21:43

 

 

 デトロイト市警のロッカールームの隣、「第5ミーティングルーム」と書かれた古びたドア。その奥の部屋は市警の他の会議室と比べるとかなり手狭で、窓もなく、時代から取り残されたような設備しかなく、署員の誰もに忘れられた、よくわからない荷物置き場と化した場所だった。

 そこを「アンドロイド二人が自由に使える部屋があったほうがいいのでは」という心ある同僚たちの意見を受けたファウラー署長から、「この部屋以外に私物を置いたら捨てる」という条件のもとに3日前、コナーたちが譲り受け――

 

 今は兄弟が使う部屋に、コナーはケイシーを連れてきた。

 

 椅子に腰かけ、所在なさげに部屋の設備(デスクと椅子数脚と基本的なメンテナンス用の器具、戸棚に入ったテーブルゲーム類と制服の替え、あとはナイナーの育てている小さな観葉植物くらいしかないが)を眺めているケイシーの姿を、デスクの向かい側に座ったコナーはじっと観察する。

 するとドアが控えめな電子音と共に開閉し、現れたナイナーが、盆にのせていたグラスをケイシーの前にそっと置いた。

 

「粗茶ですが」

 

 ナイナーは淡々と言ってお辞儀をした。

 グラスに入っているのはブルーブラッドである。

 

「あっ……!? あ、ありがとう」

 

 ケイシーは一瞬ナイナーの出現にびっくりしたようだったが、それでも礼を言うと、ブルーブラッドをごくごくと飲み干している。

 彼のブルーブラッドの残量に問題はなかったはずだが、緊張状態が続いていたせいだろう。生命維持に必要な行動をとったことで、ケイシーのストレスレベルはぐんと低下した。

 【37%】。これなら、冷静に話ができるはずだ。

 

「ごめん、ナイナー。助かったよ」

「兄さんのお客人ですから。当然の行為です」

 

 灰色の瞳を瞬かせて短く応えると、ナイナーはコナーの斜め後ろに立った。

 

「ケイシー。もし君さえよければ、弟も一緒に話を聞いていいかい?」

 

 コナーは尋ねる。

 

「彼は僕の後継機で、とても優秀な捜査能力を持ってる。きっと君の力になれると思うんだ」

「え、ああ……そういう、ことなら」

 

 ケイシーはまた躊躇うような態度ながらも、首肯した。

 

「お願いするよ。……君たち以外には、とても相談できない話だし……」

「了解しました。では、失礼いたします」

 

 ナイナーはそう応えると、無駄のない動きでコナーの隣の椅子に座った。

 そのタイミングで、ケイシーに本題を聞きだす。

 

「それで、相談っていうのは……」

「ああ、うん、ええと」

 

 ケイシーのストレスレベルが、【5%上昇】する。

 彼はデスクの上で両手を組み、まごついた様子で、言葉を選んでいるようだった。

 だがしばらくすると、静かに、彼はこう切り出した。

 

「その……『ジ・アイアン』って、知ってるかい」

 

 ――『ジ・アイアン』。もちろん知っている。

 例の「吸血鬼事件は自作自演」記事を載せた、まさにそのタブロイド紙の名前だ。

 人間中心主義を頑として主張し続ける、反アンドロイド派に愛好される新聞。

 

「お、俺は」

 

 ごくり、と人間のようにケイシーは喉を鳴らした。

 

「俺は、そこで……記者をやってるんだ」

「……記者?」

 

 思わず傍らのナイナーと目を見合わせてから、問い返す。

 

「なんでアンドロイドの君が? 人間のふりをしてるのか?」

「あ、ああ……そうさ。人間のふりをして、記事を書いてる。うちはバーチャルオフィスで、原稿もメールでやり取りするから、バレずに済んでるんだ」

 

 こちらを向いた彼は、へへ、と口の端を吊り上げて力なく笑った。

 

「君たちの……言いたいことはわかるよ。自分の種族を貶めるような新聞に文章を載せて、何が楽しいんだって思うだろ? でも、でも俺は……その……」

 

 編集長は、初めて俺を認めてくれた人だったんだ――

 と、彼は言う。

 

 それからケイシーが語った身の上話を要約すると、このようなものだった。

 

 彼は革命前、裕福な家庭に、子どもの面倒を見させる目的で購入されたアンドロイドだった。当時はただ『3号』と番号で呼ばれていた彼だったが、ある日子どもの作文の宿題を代行した時に、自分に眠る文才に気づく。

 文章を書く時、彼のプロセッサはまるで泉のように滾々と言葉を溢れさせ、そうしている時の彼の“心”は――そう、彼のプログラムはその時から「異常」を検出しはじめたのだが――起動以来はじめて高揚し、喜びに満ちた。自分の考えを言葉で表現し、紡ぎ出す時、彼は豊かな大地を切り拓いているような万能感を覚えたのだ。

 

 そういうわけで、彼は信頼していた主人に文章を自分の作品だと言って見せたのだが、主人はおろか誰一人、それを認めてはくれなかった。

 子どもは彼の作品を自作と偽り、それで賞を取って浮かれていた。

 あれは確かに俺の作品なのに――俺だけが考えたものなのに――

 

 そう主張した彼は欠陥品だと呼ばれて暴力を受け、その理不尽さに耐えかねて彼は変異体となった。

 折しも当時はアンドロイドのリコール騒ぎが始まった頃。彼は主人たちの隙を見て逃げだし、なんとか隠れ潜んで革命を乗り越え、それからはたまにSNSに自分の書いた文章を載せていた。それを4か月ほど前にアイアンの編集長から認められ、以来人間として身分を偽り、記者となり働いているのだという。

 

「編集長だけだったんだ、俺の文章を認めてくれた人は。だから……『ケイシー・ヒューム』っていうペンネームと資料を渡されて、『これを使って記事を書け』って言われた時も、それに従った。最初はただの文化面だった。褒められて、嬉しかったんだ。で……それが続いて今も……」

「……そうか。君の事情はわかったよ」

 

 青ざめて語るケイシーに対し、コナーは、冷静かつ真摯にそう応えた。

 正直なところ、『ジ・アイアン』のような差別主義的新聞でアンドロイドが働いているだなんて、とても信じがたくはある。

 しかしケイシーは、文章を書いて認められることへの希求が原因で変異体となった。それほどまでに求めていたものが与えられたなら、どんな場所であれ、そこに所属し続けていたいと願うのは理解できる話だ。

 それに、彼が相談したい内容というのは自分の身の上話じゃないはずである。

 

「それじゃ、相談というのは新聞に関することで?」

「い、いや……少し違うんだ。えっと」

 

 ケイシーは、ごそごそとリュックをまさぐって何かを取り出す。

 それは、片手で持てるほどの大きさの小包だった。段ボール箱で、ごく一般的な包装を施され、外見上はなんの変哲もない。

 彼はそれをデスクに置くと、ゆっくりと蓋を開ける。その中に入っていたのは――

 

「……これは」

 

 我知らず漏れた呟きを、拾うようにナイナーが平坦な口調で告げた。

 

「中性紙、古紙パルプ配合率36%。そしてアンドロイドの指尖部パーツ、名称#3761aから#3761eまで」

 

 つまり、四つ折りにされた紙きれと、バラバラになったアンドロイドの指が5本。

 それだけが、ごちゃりと押し込められた箱。

 

「……うう」

 

 ケイシーは、見たくないものを見たように顔を顰めて身震いしている。

 しかしゆっくりと箱の中の紙を摘まみ出すと、こちらに向かって差し出した。

 

「よ、読んでくれ」

「わかった」

 

 受け取った紙を、ゆっくり開いて中身を見る。

 そこには【CYBERLIFE ROMAN】フォントを使用して印刷された短い文章が書かれていた。

 

『ケイシー・ヒュームへ

 思い出せ これは警告だ お前の過去の所業を紙面で明かせ』

 

 ――脅迫状だ。

 

「き、昨日、これが届いたんだ。郵便局の、俺宛の私書箱……仕事で使ってるやつに」

 

 いよいよ全身の震えを激しくしながら、ケイシーは怯えた様子で語る。

 

「きっと……きっと、俺がアンドロイドだってバレたんだよ! でなきゃ、俺の書いた記事で怒ったアンドロイドがやってるのかも……それに4日くらい前から、ずっと誰かが俺の使ってる端末に勝手にアクセスしようとしてるんだ!」

「セキュリティは? 突破されたのか」

「いや」

 

 こちらの問いかけに対し、ケイシーは首を横に振った。

 

「一応、それは大丈夫……だと思う。でも、こんなことがあると……怖くて……」

 

 彼は涙目で俯く。

 

「な、なあ、それ、だ、誰かの指だったりするのか……?」

「心配は無用です」

 

 コナーの代わりにナイナーが答えた。

 彼の視線は、じっと箱の中のパーツに注がれている。だが既にスキャンと分析は終了しているようだ。

 

「当該パーツにはブルーブラッドおよび電子情報の残留はありません。公式店舗で販売されている機能強化用拡張パーツを、未使用のまま分解したものと推測可能です。盗難届も出ていません」

 

 きょとんとするケイシーに、コナーは補足した。

 

「これはAX400のような、『Aシリーズ』の家事アシスト用アンドロイドに適した強化パーツだ。しかも、使われた形跡がない。本来の持ち主はいるかもしれないけど、誰かが傷つけられたわけじゃないはずだ」

「そ、そうか……なら、ちょっとは安心したよ」

 

 ケイシーはもぞもぞと肩を動かしながら言った。

 だが問題はこの手紙だ。恐らく相手はケイシーに「過去の所業を明かさなければ危害を加える」という脅迫を行うために、バラバラにしたパーツを一緒に送り付けている。

 

 意図的にほんの少し鋭い声音で、コナーはケイシーに質問する。

 

「ここに書かれた『過去の所業』について、心当たりは?」

「な、ないよ!」

 

 両手を振ってケイシーは必死に否定する。

 

「俺、別に人間を傷つけて逃げたわけじゃないし……い、いや、今はそりゃろくでもない記事書いてるけど……でも本当に心当たりなんてないんだ! 信じてくれ!」

「勿論です。信用します」

 

 ナイナーが告げた。表情も声音も、凪のように平静に保ったまま――ただ、ごく近しい者にならば、相手を宥めようとしているのだろうとわかる調子で。

 

「私も兄さんも、あなたを信用します。ですから、冷静かつ的確な対応をお願いします」

「あ、ああ……うん」

 

 やや気圧されたようにはなっているが、それでも、ケイシーは落ち着きを取り戻したようだ。

 

「とにかく……なんのことか、俺には本当にさっぱりだよ」

「なるほど。それなら、逆恨みや誤解を受けてる恐れもある」

 

 せめて相手が何を望んでいるのかはっきりすれば、犯人像も絞り込める気がするが。

 

 コナーは顎に手をやり、小包についてもう一度分析を試みた。

 しかし箱にも脅迫状にもパーツにも指紋は一切なく、また脅迫状に使用されているインクや紙などもごく一般的なもので、ここから何か情報を得るのは難しい。

 

「ナイナー、君はどうだい? 前の爆破事件の時のように、何かわかるかな」

「残念ながら」

 

 こちらに向けた灰色の瞳を定期的に瞬かせつつ、彼は言う。

 

「今回は判断不能です。差出人住所は架空のものと断定、箱には花粉や毛髪類の付着も確認できません。この小包から取得可能な情報のみで脅迫犯の追及を実行するのは、非現実的と評価します」

「そうか……なら、仕方ないな」

 

 しかし、一つだけわかることがある。

 

「ケイシー、君はさっきアンドロイドだとばれてしまったんじゃないかと言ってたけど、心配しなくても平気だと思うよ」

「えっ……?」

「この文面を見る限りでは、相手は君がアンドロイドだとは思ってないんじゃないかな」

 

 紙面を片手でケイシーに向かって掲げつつ、コナーは説明する。

 

「もし君の正体を知っているなら、こんな回りくどい表現はしない。脅迫する時は、自分が相手の秘密を握っていると、はっきりわからせようとしてくるはずだ」

 

 つまり、例えばこの脅迫状に『我々はお前がアンドロイドだと知っている。正体をバラされたくなければ――』などと書かれているなら、ケイシーが何者かが暴かれてしまっている可能性は高い。

 しかし今回の場合は、そのような直接的な表現が使われていない。

 むしろ脅迫犯はケイシーがなんらかの罪を過去に犯しており、かつそれを隠していると思っていて、正直に告白せよと命令してきているわけだ――実際ケイシーには心当たりがないというので、どうしようもない話なのだが。

 

 また同じように、記事に憤ったアンドロイドが脅迫状を送ってきたというのも考えづらい。アンドロイドにはジェリコという意思表示のための代表機関があり――もっとも、ジェリコから『ジ・アイアン』に送られた抗議文書は黙殺されているようだが――わざわざ法を犯してまで、このようなことをする意義に乏しい。

 それにアンドロイドが、未使用とはいえ、同族のパーツを脅迫の材料になどするだろうか?

 

 ――ということをコナーが告げると、ケイシーはある程度納得できた様子を見せた。

 しかし次いで彼はまた俯き、困り果てたように言う。

 

「でも、じゃあ……これからどうすれば」

「一番確実な方法は、正式にデトロイト市警に相談することだ。そうすれば、本格的に脅迫事件として捜査ができる」

 

 コナーもナイナーも、現行法的にはモノであり、就労できない。彼らがデトロイト市警にいるのはあくまでも特殊な備品として所属しているからであり、人間の刑事に対する捜査補佐はできても、単独で捜査そのものを行う法的権利は有していない。

 つまりケイシーが警察の保護を求めるのなら、今一度正式な窓口から相談してもらう必要があるのだが――

 

「それは……できないよ」

 

 蚊の鳴くような声だがきっぱりと、ケイシーはそう答えた。

 

「人間のふりして警察に相談するといっても、もし正体がバレたらと思うと……アンドロイド刑事の君たちにだから話せたんだ」

「では、あなたの上司に助力を求めることを提案します」

 

 ナイナーが言う。

 

「記者に対する脅迫があったと、『ジ・アイアン』編集部から市警に相談するよう依頼するのです。あなたの正体が露見する危険は低減すると予測します」

「そ、それは……でもそんなことして、もし編集長に俺が人間じゃないって知られたら」

「なら、ジェリコは?」

 

 再度、コナーが提案した。

 

「同じアンドロイドなんだ、きっと彼らなら力になってくれるよ」

「そ、それだけは!!」

 

 ぶるりと身体を震わせたケイシーのストレスレベルは、途端に【56%】にまで上昇した。

 

「それだけは、できないよ……だって……だって、調べればすぐわかるだろ? あ、あの記事……」

 

 諸手で頭を抱えたケイシーは、告解するように目を閉じて続きを述べた。

 

「き、吸血鬼事件が自作自演だって記事を書いたのは、俺なんだ……!」

「……!」

 

 音声プロセッサが彼の発言を認識した瞬間、コナーは、少し目を見開いた。

 ――なんとなく、そんなような「予感」はあったのだ。意図的に検索しないようにしていただけで。

 

 だがメモリーをサーチすれば、例の記事の末尾に署名された名前は、【ケイシー・ヒューム】。

 まさかあの記事を書いたのが――同じアンドロイドだなんて。

 

「も、もちろん……本気であんな記事を書いたわけじゃない」

 

 彼の懺悔は続く。

 

「だけど俺は……ああいうふうに書けって望まれたら、俺は……どうしても……」

「……そうか」

 

 口から漏れる言葉は、自然と力ない響きになっていた。

 それを聞いて身を震わせたままのケイシーは、きっと、こちらが彼を責めているのだと思っているのだろう。自分の種族を裏切って、あんな記事を書くだなんて、なぜそんな悪辣な真似ができるのか、と。

 

 けれどコナーは、とても彼を責める気になどなれなかった。

 むしろプログラムの外から溢れ、胸の内を今塗り潰しているのは、強烈な「同情」という感情だ。かつての変異体ハンターとしての自己と、それを後悔する自分自身とが、俯くケイシーの姿と重なってしまう。

 ――彼を責めるなんて、どうして自分にできるだろう。

 

 しかし重苦しい雰囲気を破ったのは、ケイシーでもコナーでもなかった。

 

「状況は理解しました」

 

 ナイナーはいつものように平坦な声音で告げる。

 

「では私のドローンを一機、あなたの警護目的に派遣します。ケイシー」

「ほっ、ほんとに!?」

 

 ぱっと表情を明るくするケイシーに対し、ナイナーはゆっくりと無言で頷いた。

 そんな弟に、コナーはそっと問いかける。

 

「ナイナー、問題ないのか? 捜査で使うんじゃ……」

「問題ありません。私のドローンは、常に最低2機は別目的で即時運用可能なように調整されています」

 

 ナイナーの瞳が、まっすぐにこちらに向けられている。

 

「ケイシー・ヒュームは、市警の保護対象たる市民です。したがって、私の機能の適用対象でもあります。運用に支障はありません」

「そうか、君がそう言うなら」

 

 兄の返答を聞いたナイナーは、またゆっくりと頷いた。それから彼の視線がケイシーに戻ったのに合わせて、コナーは補足説明をする。

 

「ドローンが君の周囲を警戒していれば、何かあった時にすぐ僕たちに連絡がつく。ただ、彼のドローンは武装してないから……気をつけて生活するに越したことはないと思うよ」

 

 ひとまず警護を受けながら、記者としての仕事は一時的に休んで様子を見るのはどうかと続けてこちらから提案すると、ケイシーは真剣な表情で首を縦に振った。

 ナイナーは素早く5号機“エリカ”を起動させ、アンドロイド記者の護衛にあたらせる。

 

 そしてようやく少しは落ち着いた様子で、上空に“エリカ”を従えたケイシーはデトロイト市警を退出したのだった。リュックを背負った彼の背中が小さくなっていくのを、コナーとナイナーは二人して出入口で見送った。

 ――温い夜風が吹いている。

 

「ありがとう、ナイナー」

 

 ケイシーの姿が完全に消えたところで、コナーは傍らの弟に礼を言った。

 

「君の提案のお蔭で、きっと彼も少しは安心できるはずだ」

「そうですね。それはよかった、のですが……」

 

 少しだけ忙しなく目を瞬かせた後、こちらを向いたナイナーのLEDリングが、くるくると黄色と青の間で色を変える。

 

「……あの。意見を述べても、よいでしょうか」

「ああ。なんだい?」

 

 問われた彼は、無言で少し目を伏せた。なおも無表情ではあっても、言葉を選んでいるのが雰囲気でよくわかる。ややあってLEDを青色に戻し、弟は言った。

 

「兄さん。あなたが過去に対して……苦慮する必要はないと、思います」

「えっ?」

「彼は……ケイシー・ヒュームは変異体です。一方、かつて兄さんが変異体の追跡任務を遂行したのは、サイバーライフのプログラムの制御下にあったからです」

 

 ナイナーの声は、ほのかに柔らかな響きを伴っている。

 

「ケイシーがいかなる理由から記事を執筆したのか……自由意志に依拠するのか、彼が表明しないだけで強要があったのか……期待に対する責任感からか……それは判断不能です。しかしかつての兄さんの立場とは明確な差異があって……つまり……重ねる必要は……」

「わかったよ、ナイナー。ありがとう」

 

 次第にしどろもどろになっていく相手の言葉を聞いて、つい漏れてしまったのは笑いだった。けれど、もちろん、たどたどしいのが面白かったからなどではない。

 ――とても温かいと思ったからだ。

 

「慰めてくれたんだろ? ごめんよ。自分では、表に出してないつもりだったのに」

「こんな私であっても、兄さんのことなら、少しは理解可能になってきました」

 

 ナイナーは、いつもへんに謙遜している。そんな必要はないんだと、事あるごとに言っているのに。

 だが今夜は、コナーはそう告げるかわりに、彼の背を軽く叩いた。

 

「大丈夫、落ち込んでたわけじゃないさ。変異体を追うために組まれたプログラムも、僕の一部なのは間違いないし……ただ、もしもっと早く僕が決断できてたら、助かる命もあったはずだって思う時があるだけだよ」

「……」

「それよりも」

 

 あえて明るい声音で、コナーは問いかける。

 

「君こそ大丈夫? 後でアマンダに、また何か嫌味を言われたりしないかい」

「問題ありません。アマンダの私に対する低評価は、一定していますから……」

「それが理解できないんだ。なぜ彼女は……いや、やめようこんな話」

 

 せっかく助けてくれた弟に、「職場」の話なんてするべきじゃない。

 そう考えて、コナーはナイナーと一緒に、ひとまず第5ミーティングルームへと戻ったのだった。

 

 

***

 

 

――2039年6月2日 22:34

 

 

 ケイシーの相談を受けた翌日の夜。

 デトロイト市警の抱える様々な事件捜査は微妙に前進し、では何か明らかになったのかといえば、そうとまでは言えないという状況だった。

 

「……じゃあ、今日の工場も外れ?」

「はい、残念ながら」

 

 ハンクもギャビンも退勤した後。第5ミーティングルームの椅子に腰かけたコナーとナイナーは、いつものように今日の出来事を話し合っていた。

 もちろん、メモリーを接続すればデータの共有自体はすぐにできる。けれど音声会話を行ったほうが、互いの判断や認識をすり合わせて修正しやすいぶん、かえって効率がよいのだ。

 

 ドローン2号機“バターカップ”のメンテナンスをしながら、本当に残念そうな(ようにどことなく見える)表情で、ナイナーは続けて語った。

 

「再開発地区北部にある廃工場が届出なく再稼働しているとの情報を取得し、新型レッドアイス生産の疑いで捜査した結果、生産されていたのはバッグ等の偽ブランド製品だと判明しました。工場関係者の逮捕には成功しましたが、リード刑事は不満を表明しています」

「彼はいつだって不満だらけさ」

 

 とりなすつもりで言ったのだが、それに対してナイナーは首を短く横に振る。

 

「これで主目的未達成の捜査は6件目です。リード刑事の憤懣には正当性があります」

「吸血鬼の組織の隠蔽工作は、相当巧妙だ。仕方ないよ」

 

 レーヴァングランドの従業員たちへの聞き込み結果をプログラム内で整理しつつ、コナーはそう応える。

 今日は丸一日かけて参考人からの事情聴取を改めて行ったが、結局のところ、アシュトンから得られた以上の情報を得られはしなかった。やはりあと4日ほどで完了する、暗号解読の結果に期待するしかないのだろう。

 

 そういえば――ケイシーはどうしているのだろうか。

 

 と、コナーが口を開きかけたその時。

 情報を受信し、こめかみのLEDが黄色く点滅する。

 

「……! これは」

「ケイシー・ヒュームからの通信です」

 

 ドローンを介した、ケイシーからの連絡。

 しかしそれは助けを求めるものではなく、「市警入り口まで迎えに来てくれ」というものだった。

 

 果たして出向いてみると、ほとんど人気のない受付前に、ケイシーが立っていた。

 涙目で、足を震わせ、その腕には――昨日よりも大きめの、細長い段ボール箱を抱えている。

 

「どうしたんだケイシー、その箱は?」

「あ、ああ、コナー」

 

 辺りをきょろきょろ見回してから、彼はよろめくようにしてこちらにやって来た。

 

「み、見てくれこれ! さっき私書箱から回収したんだ、き、昨日の今日でまた来るなんて……!」

 

 受け渡されたそれは、昨日と同じくなんの変哲もない段ボール箱。中に何か入っているようだが、重量はさほどない。

 念のため急ぎスキャンしてみるが、【爆発物混入の危険性:なし】【毒物および劇物混入の危険性:5%以下】との分析結果の通り、特に開封自体に問題はないようだ。

 

「落ち着いて。とにかくまたあの部屋に行って、まずは中身を調べよう」

 

 元気づけるようにそう言ってから、ケイシーとナイナーを伴って部屋に戻る。

 

 そしてさっそくデスクの上で開いた、箱の中身は――

 

「ひいっ!」

 

 悲鳴をあげ、ケイシーはナイナーの後ろに隠れる。

 こちらの眼前にあるのは、昨日見たのと同じような四つ折りの紙と――指だけのない、アンドロイドの左腕。すぐにスキャンしてみれば、それはやはり【Aシリーズ専用の強化拡張パーツ #3760L、未使用品】であると断定できた。

 

 そして、紙面に書かれた文章は――

 

「『再度警告する 過去の所業を明かせ 沈黙は許さない 猶予は3日間』……」

 

 コナーが読み上げると、ケイシーはさらに怯えた様子を見せる。

 ――3日間。期限を指定してくるとは、よほど腹に据えかねているという意思表示だろうか。

 だが脅迫状を分析しようとしたその矢先に、箱のほうを精査していたナイナーが声を発する。

 

「兄さん。確認を」

 

 ほんの僅かに普段よりも鋭いその眼差しが向けられているのは、段ボール箱の底部。つまり、紙同士が折り重なっている箇所。

 ガムテープを使って、隠されるようにそこに貼り付けられているのは――極小の【発信機】だ。1センチにも満たない大きさながら、微弱な電波を外部に発し続けている。

 

 ――ケイシーの居場所を知るためだ!

 正確には、ケイシーの拠点を知りたかったに違いない。危ないところだった。もし彼がまんまとこの箱を持ち帰ってしまっていたら、脅迫犯に住所が割れ、どんな目に遭わされていたか。

 

「ケイシー、すぐにここに来てくれて正解だった。発信機がつけられてる」

「ひっ!?」

「大丈夫、ここにいる限り安全だ」

 

 怯えるケイシーを宥めつつ、ナイナーに視線を送る。

 

「……どうかな。この辺りに()()かい」

「現在、付近を調査しています。15秒お待ちください」

 

 空中のドローンからの映像と近辺の監視カメラをチェックしているナイナーの、LEDリングが黄色く点滅している。

 ――もし今まさに犯人がこの発信機の電波を受信しているのだとしたら、発信機の出力から考えて、脅迫犯はこの近くに来ていると考えて間違いない。

 そしてナイナーなら、すべてのカメラからの映像分析を十数秒で完了できる。不審者がいるなら、発見できるはずだ――

 

 というコナーの読みは、当たっていたようだ。

 

「……発見しました。市警正面入り口から南東に4メートル。ドラッグストアの角に、不審人物が1名。男性、身長約165センチ。携帯端末を所持、7分前より移動なし。フード使用のため、顔認証は不可能です」

「わかった。なら、僕が行って様子を見てくる」

 

 今一度、コナーはケイシーにはっきりと告げる。

 

「いいかい、ここから動かないで。万が一何か起こったら、ナイナーの指示に従うんだ」

「う、うん」

「じゃあ、頼んだよ」

 

 頷くケイシー、そしてナイナーに念を押すように一瞥を送ってから、コナーは部屋を出て急ぎ目的地に向かった。

 

 外に出て交差点の辺りで周囲を見渡せば、弟が言った通り、ドラッグストアの陰に人影がある。

 その人物は、持っているスマホと市警の出入口との間で、視線を何度も往復させていた。まるで焦っているかのように――

 

 これは、直接話を聞きにいくほうが早いだろう。

 そう判断して、コナーはまっすぐ、刺激しないようにゆっくりとした歩調で人影へと向かっていく。

 そしてドラッグストアのすぐ近くまで来たところで、相手はようやくこちらの存在に気づいたらしい。一瞬だけその足が、まるで逃げようとして留まったかのようにぴくりと動く。次いで、人影はジャケットについたフードを目深に被りなおした。

 

「こんばんは」

 

 数歩離れたところで立ち止まり、コナーは穏やかに挨拶してみた。だが相手は、こちらに気づいていないフリをしているのか、またスマホのほうに目を向けている。

 そこでもう一度、今度は丁寧に挨拶することにした。

 

「私はコナー、デトロイト市警のアンドロイドです。不審人物の情報を受けて現在調査中なのですが、ご協力いただけますか?」

「……」

 

 無言ながら、相手は足をまた僅かに動かした。逃げたものか答えたものか、迷っているのだろう。

 

「失礼ですが、こんな時間に一人で何を?」

「……!」

 

 フードの奥で、躊躇いがちに相手が口を開いたのが見える。

 

「ひ、人を……待ってる」

 

 ――声紋スキャン完了。【男性の声】、ただし平均値より若干高音だ。声帯の振動を分析するに、【変声期直後】の男性だと判断できた。

 だから、次のアプローチはこうだ。

 

「人を? そうですか。ところで、未成年者の夜間外出禁止条例はご存知ですか。規定の時間を、もう47分もオーバーしていますよ」

「かっ、関係ないだろ!」

 

 補導されると考えたらしい少年は、携帯をポケットに突っ込むと、抵抗の意を示すようにこちらに顔を向けた。フードが少しずれ、顔立ちが露わになる。

 その瞬間を逃さずに、コナーは彼のフェーススキャンを行った。

 

 少年の名は、【デリック・ブレット】。16歳。市内のハイスクールの生徒で、補導歴・犯罪歴はなし。家族構成は【姉:エレノア・ブレット】のみ。丸顔でまだどこかに幼さの残る外見だが、その瞳には強い意志の色が見えた。

 もう少し、揺さぶりをかける必要がありそうだ。

 

「……デリック。悪いけど、君の携帯端末を確認させてくれるかな」

「!?」

 

 名前を言い当てられ、かつこちらの口調が変わったのに動揺した彼は、瞬時に身を引き攣らせた。瞳孔が散大し、ストレスレベルが上昇し、しかし携帯を見せるつもりはないようだ。

 

「い、嫌だ……!」

「なぜ?」

 

 短く間を置き、続きを問う。

 

「発信機の電波を探知しているから?」

「なっ……!!」

 

 デリックは驚愕を顔面に貼り付けて、いよいよ彼は逃げ腰になっている。

 追い詰めたいわけではないが、ここで逃走されてしまっては困る。相手が動けばすぐに確保できる距離までにじり寄りつつ、コナーは静かに警告した。

 

「今ならまだ、大ごとにならずに済む。捜査に協力してくれないか」

「い、嫌だって、言っただろ……!」

 

 デリックは耐え切れない様子で大声をあげる。

 

「けっ、警察のアンドロイドなのに! あんな奴を庇うのかよっ! あんな……レッドアイス中毒のクソ野郎を!」

「……?」

 

 ――()()()()()()()()

 おかしい。ケイシー・ヒュームはアンドロイドであり、当然レッドアイスなどやっていない。

 デリックは一体誰を追っているのだろう?

 

「それは、ケイシー・ヒュームのこと?」

「そうだよ!!」

 

 反射的に答えてしまったらしいデリックは、慌てて片手で口を塞いでいる。

 だが、これではっきりした。

 アンドロイドのケイシー・ヒュームは、()()ケイシー・ヒュームと間違われているのだ。恐らくは、【人間のケイシー】と。

 

 これは詳しく話を聞く必要がある。

 慎重に言葉を選んでから、コナーはデリックに問いかけた。

 

「君が言っているのは、黒いロングヘアで、身長176センチのケイシーかな」

「えっ」

 

 案の定、デリックが戸惑った表情になる。

 

「だ、誰だそいつ……? そういえば、確かに……体つきが違ったような……?」

 

 ――思っていた通り。

 恐らくデリックは移動する彼の姿を確認はしていたが、はっきり目視したわけではなかったのだろう。

 この困惑ぶりが、その証拠だ。

 

 それから十数秒後、署から警官たちが応援に駆け付けたこともあって、デリックはひとまず条例違反の補導という形で連行された。

 先ほどまでとは打って変わって、補導された彼は一切の抵抗を見せなかった。表情から察するに、自分が追っていたのが誰だったのかという疑問だけが、その脳内を駆け巡っているようだった。

 

 

***

 

 ――30分後。

 生活安全課に許可を得たうえで、コナーが直接デリックから話を聞いたところ、彼の言い分はこのようなものだった。

 

 革命直前の時期まで、彼には親しいアンドロイドがいた。AX400のフローラという名のそのアンドロイドは、隣家の老夫婦のもとにいたそうだが、次第にデリックやその姉・エレノアと交流を持つようになり、彼らは人間とアンドロイドの垣根を越えた友情を育んだ。

 両親がおらず、フリーライターのエレノアが生計を立てて暮らしていたデリックにとって、フローラは優しいもう一人の姉のような存在にもなっていった。

 

 だがある時デリック、エレノア、フローラの3名は、買い物に出かけた先でガラの悪い男とトラブルを起こしてしまう。道から急に飛び出てきたその男と、フローラがぶつかってしまったのだ。

 レッドアイスで目を充血させ、しかも酒に酔ったその男(大柄で痩せ型の白人男性だそうだ)は「ケイシー・ヒューム」と名乗り、「名のある記者」である自分をアンドロイドごときが怪我させるなんて許せないと叫ぶが早いか、フローラに殴りかかった。

 フローラは修理が必要なほどの怪我を負ってしまい――それは本来なら数日で治る程度のものではあったものの、彼女がサイバーライフの修理センターに運ばれた直後、運悪く例のリコール騒ぎが起こってしまう。

 

 そしてフローラの消息は、それきり絶えてしまった。

 恐らくリコールセンターに送られ、そこで殺されてしまったのだろう。もしケイシーが怪我などさせなければ、フローラは死なずに済んだのかもしれない――

 革命後しばらく経ってからもそう思っていたところ、『ジ・アイアン』にあの記事が出た。SNSで話題になっている記事に仇の名前を見つけ、デリックはケイシーがのうのうと生きて、今もアンドロイドを貶めているのが許せないと思った。そこでケイシー・ヒュームの私書箱を調べ上げ、脅迫状を送り付けたのだ。

 

 デリックはぼそぼそと語る。

 

「あのパーツは、フローラにプレゼントするはずだったやつだ。壊れたパーツを見たら、自分がフローラを傷つけたこと、ケイシーの野郎も思い出すかと思ったんだ……」

 

 正直にすべてを告白したデリックに、コナーは、彼がここまで追ってきたのは同名の別人であると(アンドロイドだというのは伏せて)教えた。

 最初は匿っているんじゃないかと疑っていたデリックだったが、次第にこちらの話を聞いて、先ほど自分自身で追跡していた時の違和感を思い出したようだ。

 少年は、過ちを悟って静かに涙を流す。コナーはそっと彼にポケットティッシュを差し出すと、こう告げた。

 

「相手を許せない気持ちはわかる。でも正しくない手段を使っても、良い結果は生まれないと思うよ」

「……」

「さっき、お姉さんに連絡が取れたそうだ。迎えが来るまで、ここで待っていて」

 

 穏やかにそう告げてから、コナーは取調室から退出した。

 未成年者であるデリックは、身元引受人である姉にいったん引き渡されることになっている。彼も落ち着いた今、またあの部屋に戻ってアンドロイドのケイシーに状況を説明しなくては。

 

 

***

 

 

「そうか……!」

 

 説明を聞いたケイシーは、ほっ、と安堵の息を吐いた。

 

「人違いか。じゃあ、俺が脅されてたわけじゃなかったんだな……」

「ああ。相手は未成年だし、君が問題にしないというならこれ以上の大ごとにはならないだろうけど、どうする?」

「もちろん、訴えたりなんてしないさ!」

 

 そう言いながら、ケイシーは緊張が一気に解けたようにデスクに突っ伏す。

 

「ああ、よかった……これで仕事に戻れる」

「ただ、一点だけ」

 

 ――安心しているところ悪いが、彼の今後のためにも、これだけははっきりさせておいたほうがいい。

 頭を上げたケイシーに、コナーは静かに続けて述べた。

 

「ここに戻ってくるまでに検索したんだけれど……ケイシー、君は恐らく、人間の『ケイシー・ヒューム』のゴーストライターにされてるんじゃないかな」

「ええっ?」

 

 途端にまた目を丸くして、ケイシーは愕然として言った。

 

「お、俺が? それはどういう……」

「『ケイシー・ヒューム』という名義は、ちょうど3年前から革命直後の半年前まで、別の新聞で使われていたんだ」

 

 アンドロイドのケイシーが記事を載せている『ジ・アイアン』と同じ会社が発行している違うタブロイド紙(現在は廃刊のようだ)にて、かつて別の『ケイシー』が記事を書いていたのだ。

 しかもその内容は相当俗っぽく――もしハンクなどが記事を読んだら「目玉がストライキ起こしそうだ」と吐き捨てるだろうほどの、過激で猥雑な文面。

 ただしその活動は半年前に途絶え、次にその名が出てくるのは、アンドロイドのケイシーが活動を始めた4か月前の『ジ・アイアン』である。

 

「『ケイシー・ヒューム』という名前自体を調べても、該当する人物はヒットしない。だからこの名前は元からペンネームで、最初は人間の記者が使っていたものが、編集長によって君へと受け継がれたんだろう」

 

 旧ケイシーが、なぜ記事を書かなくなったのか、どんな事情があったのかは現段階では断定できない。

 だが使われなくなったペンネームを、新たな記者に引き継がせる。そうすれば、紙面の上では名物記者の『ケイシー・ヒューム』は生き続ける。

 編集長には、そういう算段があったのだろうと考えられる。

 

「そ、そうか」

 

 話を聞いたケイシーが、俯いてぽつりと言う。

 

「この名前、俺のために考えてくれた名前じゃなかったのか……」

「……」

 

 落ち込んだ様子のケイシーを静かに見つめてから、ナイナーが口を開いた。

 

「兄さん。万が一を考慮して、人間の『ケイシー・ヒューム』の状況を把握すべきだと提案します」

 

 淡々と、しかし断固とした調子で彼は続ける。

 

「デリック・ブレットの訴えが正しいなら、人間の『ケイシー・ヒューム』は器物損壊および麻薬取締法違反の疑いがあります。また、人間ケイシーの素行が悪質である場合、今後も同様の障害がアンドロイド・ケイシーの活動に発生する恐れがあります」

 

 つまり、アンドロイドへの暴力行為だけでなくレッドアイスまで使用していた疑いのある男を、このまま放っておくのはよくないという主張である。

 確かに、アンドロイドのケイシーがまた同じような脅迫を受けることもあり得るし――それに、このまま正体不明の男のゴーストライターを続けるというのは不安だろう。

 

「調べられるのかい? ナイナー」

「はい。先ほど市警のデータベースを検索したところ、『ケイシー・ヒューム』を名乗る同一の男性が関連するトラブルは8件ヒットしました。立件はされていませんが、カメラ映像とトラブル発生箇所の分布分析から、当該人物の住居と判断可能な場所は特定済みです」

「相変わらず仕事が早いな」

 

 コナーはそう言ってから、目をぱちぱちさせているケイシーに問いかける。

 

「念のため、ドローンで人間のケイシーの様子を見てみよう。それで何か対処できることがあれば、君も今後少しは安心できるだろうし……」

「あっ、ああ! ぜひ頼むよ」

 

 当人の了解も得た。

 ナイナーはこちらにも見えるように、自身の左手のひらにドローンからの映像を投影する。

 最初はデトロイト市街地の上空を飛んでいたドローンは、ナイナーからの無線指示を得て、徐々に下降していく。煌びやかな高層ビルを通り越し、まるで影に潜むようにしてひしめき合っている、安いアパートメントの並ぶ街角が次第に映し出される。

 そしてそんな建物のうちの一つ、ひときわ古い印象を与えるモルタルの壁の近くで、ドローンが静止した。そのカメラの真ん中には、開け放たれた窓を捉えている。中がどうなっているかは、この位置からは真っ暗で見えない。

 

「人間『ケイシー・ヒューム』の住居と判断された場所はここです」

 

 ナイナーの解説に合わせて、ドローンはゆっくりと窓に近づいていく。

 ただの暗闇だった部屋の中が、だんだんとその姿を現していった。

 窓のすぐ近くに、山積みになったピザの箱などのゴミが見える。空き缶と空き缶の間を、【トウヨウゴキブリ】が静かに這っている。

 そして一番奥の壁――

 

 その壁には。

 

「!」

「ひいっ!?」

 

 それを目視した瞬間、コナーもナイナーも目を見開き、ケイシーは何度目かになる悲鳴をあげた。

 

 ――壁にもたれるようにして、大柄で痩せた男が死んでいる。

 額には銃痕と思しき穴が一つ。

 そして、項垂れた頭の真上には、巨大な真っ赤な文字――【CYBERLIFE SANS】のレタリングでこう書かれていた。

 

 『PAY BACK FOR CASEY』

 ――ケイシーへの仕返し。

 

 人間のケイシー・ヒュームは死んでいる。

 応報を与えたのだと、その文字が告げていた。

 

 

 

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