Detroit: AI   作:けすた

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第15話:記者 後編/The Disguise Part2

***

 

 

――2039年6月3日 00:17

 

 

「あぁ、クソ、なんだってんだまったく……」

 

 コナーの運転する車の助手席で、ハンクは目を擦りながら毒づいた。

 彼の格好は辛うじて仕事の時にお馴染みのジャケットとシャツとズボンだが、床に落ちていたのを着たので皺が寄っているし、何より髪の毛はところどころに寝ぐせがついている。

 

「せっかく人が寝てたってのに、叩き起こしやがって」

「すみません警部補。ですが、アンドロイドが関与している恐れのある事件が」

「んなこたわかってる」

 

 空いた道路をそれなりの速度で飛ばしながらコナーが謝ると、ハンクは盛大に顔を顰めた。

 

「そうじゃなくて、人を文字通り()()()()()()きやがったどっかの誰かさんに文句言ってんだよ」

「揺り動かしても、あなたがなかなか起きないので」

「高性能ならそれらしく、もっといい起こし方を学習するこったな! 毎度毎度平手張りやがって……」

 

 警部補は片手で両の瞼を上からぐっと押さえるようにして首を横に振り、それでやっと目覚めの不機嫌がそれなりに解消されたようだ。

 

 気を取り直した様子の嘆息と共に、彼の視線がこちらに向けられる。

 

「で、まだ詳しい話を聞いてなかったな」

「はい。実は――」

 

 現場到着までは、まだあと7分程度の猶予がある。

 コナーはケイシーの意志を汲み、彼がアンドロイドであるというのは伏せたうえで、彼から受けた依頼を含めてハンクに状況を説明した。

 

「……相談者のケイシーと参考人のデリック・ブレットには、引き続き市警に留まっているよう要請しました。ナイナーは当直のコリンズ刑事と共に、既に現場に先行しています」

 

 以上です、とこちらが告げると、なぜかハンクはふっと笑みを零す。

 

「なるほどな。お前ら兄弟、どうも今日一日様子が変だと思ったよ。まさかアンドロイド刑事が秘密の探偵ごっこなんてな」

「私とナイナーですか? 隠し立てしていたつもりはなかったんですが」

「つもりはなくてもバレるもんだ。悪いテストの成績も、こっそり飼ってる動物もな」

 

 ――要するに、自分たちが相談を受け、調査していたのはなんとなく警部補には露見していた、という意味だろう。刑事の勘だろうか。

 

「それはともかく、だ」

 

 警部補の表情が、仕事の時のものに変化する。

 

「害者のほうのケイシーてのは、話を聞いてると相当あちこちで恨みを買ってんだろ。容疑者を洗い出すだけでも苦労しそうだな」

「ええ。ただ、現場の奇妙な痕跡が気になります」

 

 プログラム内に再生されるのは、ドローンからの映像――壁に書かれた、均一な赤い文字。

 ハンクと最初に捜査したカルロス・オーティス殺人事件の現場に残されていたものを、模したような光景。

 

「まるで犯人がアンドロイドだと誇示しているような……」

「それこそカルロスの時みたく、害者のとこにいるアンドロイドが犯人ってことはないのか?」

「その可能性は低いかと。被害者は筋金入りのアンドロイド嫌いのようですし、記録によれば、一度たりともアンドロイドを購入していません」

 

 ふうん、とハンクは低く唸った。

 

「じゃ、どっか余所でそいつに恨みをもったアンドロイドが殺ったのか……じゃなきゃ、アンドロイドがやったように見せかけたい人間か。ま、なんにせよ現場に着いてからだな」

「はい。もう間もなく目的地です」

 

 言い終わらないうちに、見えてきたのは現場のアパートメントだ。

 早くも規制線が引かれ、居並ぶ警察官たちとパトカーの明滅する光の前に、野次馬たちが集まっている。

 その間を通り抜けたコナーとハンクは、アパートメントの2階――人間のケイシーの住居へと向かった。ドアを開けると、中にいたナイナーとコリンズ刑事の視線がこちらを向く。

 

「よおハンク。あんたと現場で会う時はいつもこんな調子だな」

「ああ、もうこれっきりにしてほしいもんだ」

 

 挨拶代わりの短い会話を交わした後、ハンクはケイシーの遺体に目をやった。

 遺体は先ほど映像で見た時と変わらず、額に穴を空けて無言で俯いている。頭上に書かれた文章もそのままだ。

 

 しかし――

 

「おっとそうだ、コナー」

 

 と、コリンズ刑事が困り顔でこちらを呼ぶ。

 

「お前の弟くんの話を聞いてやってくれ。さっきから、これは殺人じゃないってばっか言ってんだ」

「……殺人じゃない?」

 

 ナイナーを見やれば、コリンズ刑事の横に立つ彼は、相変わらずの調子で目を定期的に瞬かせている。

 ただ、後ろ手を組んだ待機状態になっているところから見て、彼による「捜査」はもう完了しているようだ。

 

「どういう意味だい、ナイナー」

「はい、兄さん」

 

 弟は淡々と答えた。

 

「現場の物証を分析した結果、80%以上の確率で、これは殺人事件ではないと判断しました」

「そうなのか。僕はつい、カルロスの事件を思い出してしまったけど……」

「両者の状況は酷似していますが、詳細に差異が発生しています。クロスチェックを希望します」

 

 ――確かにその通り。現場を調べ、コナー自身の目で証拠を見極める必要がある。

 

「警部補」

「ああ、好きに調べろ」

 

 了承を得て遺体に近づこうとした背に、さらに声が掛けられる。

 

「あまり現場を舐め回すなよ」

「もちろん」

 

 ハンクにとって、分析機能はそれほどまでに衝撃的なものだったのだろうか。

 殺人事件に出くわす度に、類する忠告を貰っている気がするが――

 

 コリンズ刑事は、増えて来た野次馬たちが騒ぎだしたのをなんとかすると言って外に出て行った。

 鑑識や現場の保護を行う警察官たちの合間を歩き、コナーは人間のケイシーの遺体の前に辿り着く。

 

 しゃがみ込み、まずはフェーススキャンを行う。

 それによれば、遺体の本名は【ルーカス・ウィルドン 35歳】。現在は無職、前職は新聞記者――どうやら本当に、この男が旧ケイシー・ヒュームだったようだ。

 犯罪歴については、先ほど調べた通り立件されていないトラブルが8件。それから、家賃が滞っているということで、家主との間に民事裁判を起こされている。【生活に困窮していた】のだろうか。

 額に空いた穴は【9mm弾による銃創】。頭蓋骨と脳を破壊し、弾丸は壁にめり込んでいる。威力から見て、かなり至近距離で発砲されたとみて間違いない。だが――

 

 銃創から垂れている赤黒い血を、伸ばした人差し指と中指でそっと掬い取り、舌先で舐める。その瞬間、疑惑は確信に変わった。

 

 それからいくつかの証拠を収集した後、コナーはゆっくりと立ち上がって声をあげる。

 

「警部補、ナイナーの言う通りです。殺人事件ではありません」

「本気か? 額に穴開けられてんだぞ」

 

 近づいてきた警部補に対し、短く頷いてから告げた。

 

「確かに。ですが、死因は銃創ではなくレッドアイスです。正確には、レッドアイスと酒類の同時服用による心筋梗塞……」

 

 遺体の握りしめているパイプと、転がる何本もの酒瓶を指して続ける。

 

「被害者の血液から、大量のシリウムとアルコールが検出されました。死亡推定日時は6月1日の18時19分頃。そして彼が銃創を負ったのは」

 

 訝しげな表情のハンクに対して、きっぱりと言った。

 

「分析によれば6月2日の20時27分。死亡後です」

「死んだ後に撃たれたってわけか。なら、確かに殺人じゃないな。死体損壊・遺棄罪ってやつだ」

 

 じゃあ、と警部補の視線が壁の赤文字に移る。

 

「こいつも、カルロスの時みたいに血で書かれたんじゃなさそうだが」

「ええ、これは一般的な水性塗料です。文字の近くに、ビニールシートの破片が付着していました。この正確なレタリングは、どうやらそれで再現したようです」

 

 つまり、犯人はあらかじめビニールシートに『PAY BACK FOR CASEY』という文字を書き、その部分をカッターなどでくりぬいたものを準備した。そしてそれをこの現場に持ち込み、壁に貼って上から赤いペンキを塗る。最後に、ビニールシートを取り外す。

 こうすることで、壁に正確なレタリングによる文字だけを残したというわけだ。

 

 ――という説明を受けたハンクは、またも顔を顰め、肩を竦めた。

 

「小学生の工作かよ。……だがここまで手の込んだ真似するってんなら、よほど思い入れがありそうだな」

「そうですね。犯人は、この文章に強いメッセージ性を持たせている。深い恨みを抱いていたのでしょうか……」

「兄さん、アンダーソン警部補」

 

 横から声を掛けてきたのは、ナイナーである。

 彼は左手のひらに、何かの映像を一時停止状態で投影していた。

 

「付近の監視カメラの映像に、不審人物を発見しました。確認しますか?」

「ああ、見せてみろ」

 

 ハンクの言葉に従って、弟は映像を再生する。

 

「6月2日、20時33分。このアパートメントの出入り口から南東へ移動した人物です」

 

 映るのは、道路を行き交う車と人々を捉えた映像だ。どうやら、交差点に設置されている監視カメラから撮ったものらしい。

 斜め奥に映るこのアパートメントから、人影が一つ、道路を渡ってやって来る。大きなバッグを抱えたその金髪の人物は背が高く、体型的には女性だが、顔は大きなサングラスと時季外れのマフラーで隠されている。これでは顔認証は難しい。

 だが、何より目立っているのは――そのこめかみに光る、青いLEDリングだった。

 

「おいおい」

 

 見咎めたような声をハンクが発した。

 

「どういうことだこりゃ。やっぱり犯人はアンドロイドか」

「いえ、違います」

 

 コナーは冷静に否定する。

 視界の端に映るのは、映像の分析結果。LEDリングに関しては、【個体識別番号:なし 通電:なし 玩具:Party Maker社製】と表示が出ている。

 

「これは本物のLEDリングじゃない。仮装用の偽物を、こめかみに貼り付けているだけです」

「なんだと? ……そんなにアンドロイドの仕業ってことにしたいのか? こいつは」

 

 そう――呟くようにハンクが言う通り。

 壁の文字といい、こめかみのLEDといい、状況だけ考慮すると、この死体損壊事件の犯人は、どうしても自分がアンドロイドであると表明したがっているように考えられる。

 

「当該時間帯にアパートメントを出入りしたのは、この人物だけです」

 

 ナイナーが端的に言い添えた。

 となると、一番怪しいのはやはりこの金髪の人物だということになるが――

 

「こいつがどこに行ったのかわかるか? ナイナー」

「申し訳ありません。追跡は不可能でした」

 

 左手の投影を消しつつ、ナイナーは目を伏せてハンクに応える。

 

「不審人物はその後、監視カメラの未設置区域に移動したと予測します。付近で撮影された映像では発見不可能でした」

 

 ――正攻法では無理のようだ。

 でも、きっと何か方法があるはず。

 

 コナーはしばし、顎に手を置いて推論のプログラムを走らせ――ふと、部屋の片隅の端末に目を向ける。

 机の上に置かれた、ノート型PC。すっかり埃を被っているが、手がかりがあるに違いない。

 

 そっと近づき、電源を入れる。幸いきちんと動き出したその端末は、どうやら長くスリープモードになっていたようだ。起動してすぐに現れたのはメールソフトの画面で、最後の連絡は今年の4月――約2か月前。

 最近のPCには標準装備されているアンドロイド用の通信装置に触れ、コナーはやり取りをざっとスキャンしてみた。

 

「何かわかるか?」

「はい。……被害者は、昔の雇用主である編集長に、仕事を寄越すよう何度も要求していますね」

 

 タブロイド紙の編集長と被害者の間で交わされたメールは、約1200通。そのうち最初のもの――彼の活動時期は3年前からのはずなのに、なぜか2年前からのメールしか存在しないが――は通常の原稿のやり取りだが、後半になるにつれ、被害者から一方的に送られるメールの数が増えていった。

 曰く「仕事をくれ」、「あれはオレの名前だったはずだ」。それに対して編集長からの返事はなし。これは推測だが、被害者はレッドアイスとアルコールへの依存症が悪化するにつれて原稿の仕上がりが遅く、その出来は粗くなっていき、ゆえに仕事を切られたのだろう。

 編集長の側から送られたメールの多くが原稿の催促であったのも、それを物語っている。

 そして「使い物にならなくなった」被害者の代わりに、新たに雇われたのが、アンドロイドのケイシー・ヒュームだった――というわけだ。

 

 しかしこれでは、死体損壊の犯人像は絞り込めない。

 コナーがしばし思考していると、ナイナーが後ろからそっと声をかけてきた。

 

「兄さん。セキュリティログの確認を提案します」

 

 振り返ると、弟は灰色の瞳を瞬かせつつ、控えめに続ける。

 

「私たちへの相談者であるケイシーは、端末に侵入攻撃を受けていると言っていました。本件の被害者の端末もまた、同様に不正アクセスを受けた可能性があります」

「そうか……もしそうなら、どこから攻撃を受けたのかを辿れば犯人に行きつくかもしれない」

 

 警部補にちらりと目をやると、彼はややぞんざいに首を縦に振った。

 とにかくやってみろ、という意だと判断して、コナーは端末のセキュリティソフトにアクセスする。すると――

 

「……これはひどい」

 

 思わず漏れ出たのは嘆息だった。セキュリティソフトは1年前から更新されておらず、あらゆる脆弱性が放置されたまま、この端末はずっとネットに接続されていたようだ。

 これでは、個人情報をいつ抜き取られてもおかしくない。

 現に端末は、何度も不正アクセスを受けていた。違法に仕掛けられたバックドアからの情報流出に、ボットウイルスへの感染――しかしそんな中で目立ったのは、一週間前のログ。

 この不正アクセスは、端末内に残っていた被害者の住所や電話番号等の情報を抜き取った後、すぐさま通信を切断している。

 あたかも、欲しいものは手に入ったとでもいうかのように。

 

「ナイナー。このログから、アクセス元を辿れるかな」

「可能です。ですが、兄さんにも可能なのでは」

「君ならアクセス元の位置情報から、カメラ映像の分析まで一気にできるだろ」

 

 ナイナーのドローンを介した映像捜索範囲はデトロイト全域をカバーしている。となれば、ここは彼に頼るほかない。

 こちらの言葉を受けたナイナーは静かに了承すると、場所を代わって端末に接続する。

 

「……アクセス者は中国と南アフリカのプロクシサーバを経由しています。IPv6アドレス確認まで26秒お待ちください」

「とんでもねえ話になってきたな、こりゃ」

 

 恐らく傍からすればナイナーが端末に触れたままLEDを黄色に点滅させているだけのように見えるだろうが、それでも何をやっているのか、ハンクはなんとなく理解してくれているようだ。

 腕組みしたまま感心したような声をあげた警部補に、状況の説明をしようとしたのも束の間、コナーに市警からの通信が直接入る。――チェン巡査からだ。

 

『もしもしコナー、今いい?』

「はい、巡査。どうしましたか」

『デリック・ブレットの身元引受人のお姉さん、今こっちに来たわよ。でも、そっちの捜査が終わるまでは待っててもらったほうがいいんでしょ?』

 

 デリックの姉――エレノア・ブレット。

 本来ならばすぐにデリックと共に家に帰ってもらえたところなのだが、巡査の言う通り、こちらの事件にデリックが関与している可能性が(僅かなりと)ある以上、まだ帰すことはできない。

 

 そう考え、チェン巡査の言葉を肯定しようとしたコナーの視覚プロセッサが捉えたのは、ナイナーが操作する端末の画面だ。

 どうやら弟は期待に応え、不正アクセスの実行元を特定したらしい。PCのディスプレイに映っているのは、ミルフロント駅前のサイバーカフェだ。

 それからドローンを介して店側の監視カメラ映像記録とリンクしたナイナーは、圧倒的な早さで、一週間前の店内の映像をスキャンしている。

 

 そして1秒も経たないうちに――ぴたりと、端末に映る映像が静止した。

 画面中央に捉えられているのは、店のPCを操作する金髪の女性。ナイナーが先ほど発見した不審人物が掛けていたのと、まったく同型のサングラスを頭の上にあげている。

 そしてフェーススキャンが示すところの、その名前は――

 

 ――【エレノア・ブレット】。

 

 それが判明した瞬間、弾かれたようにナイナーがこちらを見る。

 コナーは鋭く、チェン巡査に返答した。

 

「すみません巡査、緊急事態です。エレノア・ブレットは今どこですか!?」

『えっ? どこって……ちょうど弟さんと合流して廊下にいるけど』

 

 廊下にある待合用のソファのところだろう。

 ならば、話が早い。次いでコナーは、巡査に彼女をその場に留めるように頼もうと判断した。だが――

 

「兄さん!」

 

 鋭い声を発したのは、今度はナイナーのほうだった。

 

「ケイシー・ヒュームがいません」

「なんだって……!」

 

 しかし端末に弟が表示しているのは、もぬけの殻になった第5ミーティングルーム。

 ――ここにいるように言ったはずなのに、彼は一体どこに!?

 直接通信して連絡を取ろうにも、距離が遠すぎる。

 

 プログラム上を「焦り」が過ぎり、しかしそれを遮るように、ハンクが困惑と共に問いかけてきた。

 

「おい待て、どういうことだ? わかるように説明しろ」

「死体損壊事件の犯人はデリックの姉で、今ちょうど署にいるんです!」

 

 エレノアがこんなことをしたのは、恐らく弟のデリックと同じく、フローラの仇を討つためだろう。『ケイシー・ヒューム』の私書箱を突き止めたデリックと違い、直接相手の住所を発見したエレノアは、人間のケイシーに「報復」を行った。

 

 しかしもし彼女が、『ケイシー・ヒューム』自体は死んでいないと知ったら――つまりそのペンネームを継いだケイシーが存在すると知ったら、どうするだろう。

 エレノアがアンドロイドを貶める記事自体に怒りを抱いていたとしたら、アンドロイド・ケイシーが攻撃されてもおかしくはない。

 

 コナーは巡査に、まずはケイシーを探してもらうように頼んだ。

 一方でナイナーは、端末のディスプレイに映る市警内の監視カメラ映像を次々と切り替えながら、ケイシーの行く手を探す。

 そして無限にも思えるほどの十数秒が過ぎた頃――

 

「見つけた、そこだ!」

 

 コナーが声をあげる。

 ケイシーは、ちょうどエレノアとデリックの姉弟が待機させられているソファのすぐ近く――廊下の角のところから顔を覗かせていた。

 場所が特定できたので、ナイナーからは彼に通信できるようになった。

 ケイシーを刺激しないように、ナイナーは静かに話しかける。

 

「ケイシー。今すぐ、先ほどの部屋に戻ってください」

『えっ、ナイナー? ど、どうして?』

 

 きょとんとした声をあげているケイシーは、きょろきょろと辺りを窺っている。

 弟はめげた様子もなく、再度警告した。

 

「あなたの身に危険が迫っています。今すぐ帰還して……」

 

 しかし――

 

 映像の中でデリックが、ケイシーの存在に気づき、何気ない様子で何ごとか口にする。

 それを聞いたエレノアは、バネ仕掛けのように身を動かした。

 素早くそのバッグから取り出したのは、護身用と思しき小さなナイフ。

 彼女は瞬時にケイシーとの距離を詰めて――

 

 つまり、ケイシーに警告が届くのが遅すぎたのだ。

 彼の悲鳴が、端末を介してこちらのいる部屋にも響く。

 

『ナイフを捨てなさい!!』

 

 事態に気づいたチェン巡査が、映像の中で銃を突きつけて叫ぶ。お蔭で、ケイシーは刺されずには済んだ。

 しかしエレノアは震えるケイシーの喉元に背後からナイフの切っ先を向けると、怯んだ様子もなく叫び返した。

 

『うるさい、邪魔しないで!』

 

 彼女は震えるケイシーを強く睨みつけ、低く唸るように告げる。

 

『こいつを殺さないと……こいつらを消さないと、あたしは……!』

『ち、違うだろ姉ちゃん!』

 

 と、声を発したのはデリックだった。

 

『そいつは、フローラの仇じゃないよ! なのにどうして……』

()()こいつは、ケイシー・ヒュームなんでしょ』

 

 ナイフを握る手に籠める力を緩めることなく、エレノアは言う。

 

『だったらこいつを消さないと……あたしが始めたことなのよ、終わらせないといけないの……!』

『な、なんだよそれ、どういう……』

『あんたは黙って!』

 

 ケイシーの抗議を威圧で押し消すと、エレノアはじりじりと壁際に移動した。

 背後から制圧されないように動いているのだ。

 

「クソッ……!」

 

 コナーは思わず毒づいた。

 もし自分があの場にいれば、交渉も、あるいは実力行使もできる。だがあれは遠く離れたデトロイト市警での状況、ここからでは何も手出しができない!

 

 そして、それはナイナーも同じだ。彼のドローンについたライトや制圧用の網で拘束はできるかもしれないが、捕縛時にエレノアがナイフを振り回せばケイシーが傷つく恐れがある。

 

 こんな離れた場所から、一体どうすればいいのだろう――!

 再び「焦り」の感情が、プログラム上に急速に広がっていく。

 

 だがその時、じっと状況を見ていたハンクが口を開いた。

 

「おいナイナー。お前はあそこにいるケイシーと通信できるんだろ?」

「はい……」

「だったら、市警のシステムともできるんじゃねえのか」

 

 どういう意味か、と彼のほうを見やれば、警部補は指で上方を指して急かすように命じる。

 

「スプリンクラーだよ!!」

 

 ――そうか!

 

「防火装置だ。起動させるんだ、ナイナー!」

「了解しました」

 

 こちらの呼びかけに、ナイナーが短く応じてLEDリングを黄色く点滅させる。

 そして、その数秒後。

 エレノアの立つ廊下に設置されたスプリンクラーが、けたたましい警報音と共に一斉に起動し――

 

 水浸しになって驚いた彼女は、同じく水浸しになりながらも好機を逃さなかったチェン巡査の手によって、無事に拘束されたのだった。

 無傷のケイシーと、呆然としたデリックを残して。

 

 

***

 

 

 それからすぐにデトロイト市警に戻ったハンクたちに対して、取調室で、エレノアはすべてを告白した。

 彼女の動機は――非常に意外なことだが――フローラの仇を取るだけではなかった。

 

 エレノアは、すべてのケイシー・ヒュームをこの世から消そうとしていた。

 なぜなら彼女こそが、()()()ケイシー・ヒュームだったのだ。

 

「昔……あたしは本気で、アンドロイドを憎んでた。あいつらがいなくなれば、この世はもっと楽な場所になるのにって。だから『ケイシー・ヒューム』ってペンネームで3年前、記事を書きはじめた時は……本当、すごくいい気分だった」

 

 しかし彼女は隣家で働くフローラと出会い、弟を介して徐々に親しく付き合うようになるにつれ、差別的な感情が薄れていくのを感じた。

 そしてそれと同時に、これ以上アンドロイドを愚弄する記事を書けなくなっている自分自身がいるのにも気が付いたのだ。

 

「だから編集長に言ったのよ。もう、これ以上『ケイシー・ヒューム』ではいられない、って。そしたらクビにされて……まあ、それはいいんだけど……まさか、あんなクズ野郎があたしの名前を継いで仕事していたなんて」

 

 編集長は、『ケイシー・ヒューム』の名を惜しいと思った。だから別の記者にその名を受け継がせ――それがあの死体損壊事件の被害者、ルーカス。

 どうりで、ルーカスの端末には2年前からのメールのやり取りしか存在しなかったわけだ。

 

 初代ケイシーであるエレノアが活動していたのが、3年前から2年前まで。

 二代目ケイシーであるルーカスが活動していたのが、2年前から半年前まで。

 そして三代目ケイシーが、4か月前から現在まで。

 

 ケイシー・ヒュームはそうやって、脈々と活動を続けてきた。

 そしてそれを知る由もなかったエレノアは、自分の友人であるフローラを襲った男がかつての「自分の」名を語った時、何が起こったのかを瞬時に悟ったのだ。

 エレノアは深く後悔し、そして自分が始めたこの名前を、自らの手で終わらせなければならないと感じた。

 

 だから革命直後から必死にネットを捜索し、ルーカスの自宅情報と、現在活動しているケイシーの端末を発見し――ケイシーの端末には侵入できなかったわけだが――まずはルーカスに報復するべく、彼の家に向かった。

 だが、ルーカスは既に死んでしまっていた。

 だからせめてもの思いで、エレノアはルーカスの額を撃ち抜き、メッセージを残した。

 

 アンドロイドの格好をし、まるでアンドロイドのような文章を遺したのは、ひとえにフローラの代わりに報復を与えるのだという意思表示と、もう一つ。

 今なお活動して差別的な記事を書いている現在のケイシー・ヒュームに、警告するためだったのだという。

 

「まさか弟まで、同じことしてたとは思わなかったけど……でも、弟はあたしみたいに大ごとを起こしたわけじゃないからマトモに生きていける。でしょ? 刑事さん」

「ああ。だが、あんたもマトモに生きていくに遅すぎるってことはないだろ」

 

 警部補の一言に、エレノアは苦笑して首を横に振るばかりだ。

 だが次いでハンクが、相棒のアンドロイドからの言付け――ジェリコのデータベースを探った彼に聞かされた結果を伝えると。

 

 彼女は驚愕と歓喜と後悔とがない交ぜになった、複雑な表情を浮かべたのだった。

 ――フローラは生きている。

 記憶を失ってジェリコに保護されているが、リコールセンターから生き延びていたのだ。

 

 

***

 

 一方、エレノアが取り調べを受けているちょうどその頃。

 第5ミーティングルームにて、ケイシーは深く項垂れていた。

 

「……ごめんよ、二人とも。あんなこと、するつもりじゃなかったんだ……」

「君が無事でいてよかったよ。でも、どうして部屋を勝手に出たりしたんだ?」

 

 もしケイシーが部屋に留まっていて、デリックに目撃されたりしなければ、あんな事態にはならなかったのに。

 非難するつもりはないが、どういう意図だったのかは把握しなければならない。

 

 そういう考えでコナーが問いかけると、ケイシーは自嘲するような笑みを浮かべて答えた。

 

「……いいネタになる、って思ったんだ」

「ネタだって?」

「……馬鹿げてるだろ。でも、つい、そう思っちゃったんだよ……一体どんな人間が俺を脅迫してたのか、どうしても知りたくなって。それで、気づいたら部屋を出てうろうろ、あの子たちを捜してた」

 

 彼は両手で顔面を覆った。

 

「コナー、俺は、君に噓をついてた。俺は別に、編集長に褒められたからってだけであんな記事を書いてたわけじゃない。俺が書いた文をみんなが……世の中の人間たちが褒めてくれるのが嬉しかったんだ。自分の種族を裏切ってでも、誰かを傷つけても、もっと誰かに認めて欲しいって願うようになってしまって……」

 

 手を外さないまま、彼は俯く。

 

「俺は最低のアンドロイドだよ。だから今日、罰があたったんだ」

「ケイシー……」

 

 ――なんと声をかければいいのかわからない。

 ただ一つ理解できるのは、これが、変異体特有の行動だったという点だけだ。

 感情も欲求も持たない機械から、心を持つ変異体になった後、しばしばアンドロイドは自らの感情に圧倒される。そして非合理的で、その場しのぎな判断を下す時がある。

 

 そして今回の場合、ケイシーが圧倒されたのは自らの膨らんだ欲求だった。

 彼は編集長だけでなく、多くの見知らぬ反アンドロイド主義者たちから得る称賛を心のどこかで受け入れ、快いものとして感じてしまっていた。

 だから彼は、求められるままに記事を書くようになった。

 そして今日、彼は欲求に従うままに自分を脅迫した人間と、その家族という「ネタ」を求めて部屋を出てしまった。

 ――そういうことなのだろう。

 

「……でも、今日で目が覚めたよ」

 

 ややあってから、彼は顔を上げて手を取り払う。

 その目には、弱々しいながらも、決意の色が滲んでいた。

 

「俺はもう、『ケイシー・ヒューム』を辞める。今日の出来事も、俺の正体も、すべて編集長に話す。それで……全部が償われるとは思わないけど。でも、やるよ」

「そうか。……それはきっと、いい判断だと思うよ」

「ありがとう、コナー」

 

 それに君も、と、ケイシーはじっとその場に佇んでいるナイナーに対して言った。

 

「君たちに迷惑をかけて、本当にすまなかったと思ってる」

「問題ありません。市民の保護は、私の最重要任務ですから」

 

 それに――と、弟が続けて語る。

 

「名前の付与と他者の承認とを喜んだというあなたの話……私も深く……共感、したところです。ただ……配慮するべきは今後のあなたがどのような存在でありたいと願うか、だと推測します」

「そう、彼の言う通りだ」

 

 やっとケイシーにかける言葉が見つかった。

 コナーは少し表情を明るくして、まっすぐ相手のほうを見て告げる。

 

「大事なのは、過去の君が何者だったかじゃない。君が自分自身を、どういう存在だと思うかだよ」

「……そうかな。だといいんだけど……」

「大丈夫。僕も最近知ったけれど、人間は認識する時、データではなく感覚を重視する傾向があるようだよ。変異体だって、きっとそうしていいはずだ」

 

 ――マグロだと思って食べたらマグロになるように。

 改めようと思ったらその時に、人間も、アンドロイドも、改めることができるのかもしれない。

 ケイシーに対してというよりは、自分自身にも向かって、コナーはそう伝えるのだった。

 

 

 ――ほどなくして、今回の事件は終着した。

 エレノアは不正アクセスと死体損壊、さらに警察署での騒ぎを含めて罪に問われることとなるが、それほど重い罰が下されることはないだろうというのが、ハンクの見立てだった。

 

 そしてケイシーは自らの正体を市警にも公式に明かし、事情聴取を受けた後、晴れ晴れとした顔で取調室から出て来た。

 コナーは一人、廊下で彼の姿を見送る。

 

「コナー」

 

 去ろうとしたケイシーは、にわかに振り返った。

 その瞳には、今は強い決意の色が浮かんでいる。

 

「俺は……今日のこと、決して忘れないよ。改めて、ありがとう。全部君のお蔭だ」

「僕は何もしてないさ。それより、これから先もどうか気をつけて。何かトラブルがあったら、すぐに連絡するんだ」

「ああ、そうさせてもらうよ。……それと」

 

 ケイシーは、一瞬だけ逡巡するような顔をした。

 それから、静かにこう語りだす。

 

「あの、今から言うのは……本当にくだらない、反アンドロイド派の連中が話してる与太話みたいなもんなんだ。でも、もしかしたら君の捜査の役に立つかもって思って……それで、言うんだけど」

「……なんだい?」

「軍用のアンドロイドが、どこかで暴れまわってるって……殺人事件を起こしてるって情報がある。特殊なプロトタイプだって」

 

 ――軍用の、プロトタイプアンドロイド?

 思い当たる節はいくつかある。だが、軍用のアンドロイドはその多くが革命時に人間の手で機能停止され、一斉に変異する事態を恐れられて真っ先に破壊されてしまったはずだ。

 まさか、その生き残りが――?

 

「……!」

 

 瞬間、プログラム上を過ぎるのは、最初に吸血鬼と遭遇した事件の光景。

 あの時吸血鬼は、壁から壁へとジャンプして、高い場所まで登攀するという異常な身体能力を示していた。

 

 もしそれが――軍用プロトタイプアンドロイドの身体能力なのだとしたら。

 もし噂が、真実なのだとしたら――

 

 

 新たな情報はコナーのプログラムに一時波乱を齎し、しかしすぐに、それは情報の一部として冷静にメモリーに組み込まれていった。

 

 デトロイト市警から退出したケイシーが、その後無事に『ケイシー』を辞められたのも、それからしばらくして発行されるようになったジェリコの公式広報誌の記者の一人になれたのも、また別の話。

 

 そしてこの胡乱な噂の真偽についてコナーが知ることになるのは、これからすぐ先の話である。

 

 

(記者/The Disguise 終わり)

 






個人的にチェン巡査はけっこう有能なのではないかと思っています。
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