Detroit: AI   作:けすた

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第19話:激突 前編/The Invisible Part 1

――2039年6月6日 14:35

 

 

「チッ」

 

 舌打ち一つ。

 ギャビンは目の前を遮る、外れかけのベニヤ板を引っ張って強引に取った。

 

「邪魔なんだよ、クソが」

「リード刑事」

 

 横にいるポンコツアンドロイドが、歩は止めないままこちらを見て言う。

 

「施設内の物品への不用意な接触は危険です。罠、ないし警報装置への接続の可能性が」

「ああ、そうですか」

 

 歩きながらベニヤ板をそこらに放り投げると、ギャビンはわざと驚いたような表情で返事した。

 

「罠ね。そりゃ大したモンだ、怖い怖い」

「……」

 

 非難するでもなく、ポンコツ備品は黙って視線を前に向けた。その見つめる先、そしてこちらの後方には、ドローンがそれぞれ1機ずつ、駆動音も立てずに静かに浮遊してついてきている。

 何かあった時の護衛のため、ということらしいが、果たして役に立つものか――

 

 ハンクとコナーたちと別れ、スカーレットオアシスの探索を始めて十数分。

 どこまで歩いても続くごみごみした視界の悪い光景に、ギャビンはそろそろうんざりしてきた頃合いだった。

 

 互いに隠れて撃ち合えるように作られた細い通路と壁は、わざとらしいほどに薄汚れており、かえってこれが紛い物の戦場であることをはっきり示しているかのようだ。

 地面には土。広いドームのはずなのに、埃っぽい空気が満ちていてどこか息苦しい。

 これなら、かつてガキの頃の自分がうろつき回っていた廃墟のほうが、見た目も衛生的にもだいぶマシだ――と、ギャビンは心の中でボヤく。

 

 ――まったく、ようやく新型レッドアイスの工場を拝めるかと思っていたのに、よりにもよってこんな“大人の遊び場”だったとは。

 ギャビンは、自分の運命を忌々しく思った。

 吸血鬼を必ず仕留めると心に決めたあの日から、もう2週間経つ。

 なのに昨日は取り逃がしてしまったし、今日はこのありさまだ。

 こんな調子で、相手の尻尾を掴めなどするのか――

 膨れ上がっていた功名心は、このところの空振り続きで見事に萎えてしまっている。

 

「クソが」

 

 内心に溜まった鬱屈を表現するように、ギャビンはもう一度吐き捨てた。

 一方で、いつものように背筋を伸ばしたまま隣を歩いていた備品野郎はといえば、少し進んだところで「やはり」と呟き、勝手に歩を止める。

 

「あ? 何やってんだお前」

「リード刑事」

 

 灰色の瞳をいつものように無表情に瞬かせながら、平坦な声音でアンドロイドは言った。

 

「推測通り……当該施設では、通常と異なる遊技が実施されていたようです」

「は?」

「確認を願います」

 

 そう言って相手が突き出してきた左の手のひらには、昨日廃工場で見せてきた時と同じように、こいつの視界がスクリーンとして映し出されている。

 訝しげな顔をした自分の顔が個人情報と一緒に映っているのには相変わらず辟易するが、問題はそこじゃない。

 

 この「戦場」の壁、地面、そしてさっき投げ捨てて通路の隅に転がしたベニヤ板。

 そのほとんどに【揮発したブルーブラッドの痕跡:推定147日前】だの、【ヘモグロビン反応:29日21時間33分前】だの――

 つまり、アンドロイドと人間が血を流した痕跡が残っているのだ。

 そこかしこに、無作為に。まるで、吹き飛ばして撒き散らしたかのように――

 

「……ハッ」

 

 異様な状況を前に、あえてギャビンは鼻で嗤ってみせる。

 

「大人の“戦場ごっこ”てのは、そんなに過激なのかよ」

「『ごっこ』という表現は、正確性をやや欠如しています」

 

 なおも左手を突き出したまま、例によって回りくどい話し方で、ポンコツは言った。

 

「ここで実行されていたのは、紛れもない殺傷行為です。飛散した血液、および壁面と地面の一部に残留した弾痕により判断可能です」

「は……?」

 

 ――殺傷行為? と疑問交じりの声音を発したギャビンに対し、備品は無言のままゆっくり頷くと、スクリーンの映像を切り替えた。

 

「視界範囲内で最新の、19日前の光景を再現します」

 

 それは、どうやらこいつに搭載された物理シミュレーションソフトウェア……だったかの画面らしい。

 自分たちが今立っている場所に、単純なシルエットで表現された人型が佇んでいる。その手には、拳銃が握られていた。

 画面下部に表示されたバーの上の時間表示が動くと、その人型がぬるりと動きだす。

 人型は、自分の前方にいる「何か」に向かって、必死に銃を撃っていた。

 しかし2、3発撃ったところで、当たらないと踏んだのか、踵を返して逃走をはかる。だが「何か」はそれを許さなかったらしい。背を向けて走り出した人型の足を、「何か」が放ったらしい銃弾が掠める。たまらず地面に膝をつき、動けなくなった人型は、助けを請うように後ろを振り返り――

 

 しかし、その頭部は無惨にも銃弾で撃ち抜かれた。

 一面に、赤い飛沫が飛び散って消える。

 人型はその場にくずおれ、そして――再現が終わる。

 

「……殺人(コロシ)じゃねえか」

 

 呟いた自分の声は、我知らず低く、重い響きだった。

 それに応じるように、ポンコツはまた無言で頷く。

 

「これと同様の殺人が、現在確認しただけで19件、施設内で発生した可能性があります。アンドロイドに対する殺傷行為を含めれば、26件です。またドローンで確認したところ、10メートル前方に実銃と思しき銃火器類が大量に放置されています。当局に未登録の、違法物品です」

「人は?」

 

 短く問うこちらに、黙って瞬きするばかりの備品に軽くイラつきながら、ギャビンはさらに言葉を重ねた。

 

「その銃だのの持ち主のクソったれは、マジで近くにいねえのかって聞いてんだよ」

 

 この施設に潜入前にも潜入後にもさんざん、しばらくここに人の出入りはないと聞かされていた。だが、昨日のようにこちらには見えないところにわんさか潜んでいるということだってありうる。

 そして、二日連続でゴロツキどもとドンパチなんてごめんだ。

 しかしアンドロイドは、静かに答える。

 

「人影はやはり皆無です、リード刑事。ドローンを3機ずつ、施設の外部と内部に周回させていますが、我々以外の人間およびアンドロイドは確認できません」

「そうかよ。じゃあ、銃置いてトンズラこきやがったってか。腰抜けが」

 

 そのぶん、こちらの仕事が早く済むなら越したことはないが。

 

「ドローンを介した映像では、詳細な分析は不可能です。ですが放置された銃火器類、およびその周辺を捜索すれば、新規情報を獲得できる確率は80%を超過します。迅速な移動を推奨します」

「てめえに言われなくても行くんだよ」

 

 ケッ、とこちらが言い放つ間に、備品は左手のスクリーンを元に戻していた。

 

 とにかくその大量の銃器とやらの場所まで行って手がかりを探り――それが終わったら、今やっているように、ポンコツを連れてドーム内をくまなくチェックする。

 やれるのはその繰り返しといったところか。

 

「あぁ、つまんねえ」

 

 ギャビンは心からの嘆息を吐いた。

 ポンコツはこちらを見つめていたが、何を言い返すでもなく、再び静かに歩きだしている。こいつの足音しか、辺りからは聞こえない。

 

 仕方ねえか、と誰にともなく胸の内で呟き、備品の横をついて歩く。

 いかにこのドームがクソったれの殺人現場だとしても、そして仮にそれが自分の手柄になるとしても、この胸の内の鬱屈は晴れはしない。

 こっちをコケにしてきやがった『吸血鬼』野郎と、その組織に「礼儀」を教えてやるその時まで、このイライラとした気分が消え去りはしないのだ――

 

 普段内省というものをほとんど行わないはずのギャビン・リードの意識は、事程左様に、この目の前の現場から離れていた。

 要はそれくらい、余裕綽々な気分でいたということである。

 この時は――まだ。

 

 

***

 

 

――2039年6月6日 14:42

 

 

 ふいに、視界が晴れる。

 あれからしばらく歩いたギャビンたちが、ごみごみした路地を模していたと思しき場所の端に出てみると、そこには意外な光景があった。

 

 まるで東欧のどこかの国の広場のよう――と言えばいいのだろうか。

 今は止まっているが噴水のようなものを中心として、灰色の石畳がご丁寧に、円形に敷かれている。書き割りの街並みが半壊した状態で並び、戦時下の街を疑似的に再現していた。

 ちょうど広場の反対側には、さっきまで歩いていたのと同じような路地がまた見える。

 

 そして周辺には、さっきポンコツ備品が言っていた通り、妙にデカくてゴツい銃が散乱していた。サブマシンガンやアサルトライフル、それにわざわざ運び込まれたらしい軍用トラック(カーキ色に塗られた立派なアメリカ製だ!)に設えられた電動式ガトリングガン――確か、ミニガンとか呼ぶものだったか。

 

 アンドロイドの“分析”とやらに頼るまでもなく、肉眼でわかる。これらはここに放置されてから、それほど月日が経っていない。ぴかぴかに整備されている、というわけではないが、恐らく今撃てば普通に使えるだろうというくらいには整った状態になっている。

 

「ヘッ、素人がこんな場所でコソコソ軍人ごっこかよ。カスが」

 

 近くに転がっている銃の一つを無造作に蹴り飛ばしつつ、ギャビンは鼻で嗤った。

 それから、斜め後ろに立っている備品のほうに目を向ける。

 職務にご熱心なポンコツ野郎なら、そろそろここで何があったかわかっている頃だろうと思ったのだが――

 

「……あぁ?」

 

 見れば、備品はただ、その場にぽつんと立ち尽くしていた。

 そのLEDリングは赤と黄色の間で点滅し、異常事態が起きているのを示している。

 灰色の瞳は噴水の近くの一点を捉えたままでじっと見開かれ、その表情は、いつも以上に強張っていた。

 まるで、何か――恐ろしいものでも目撃したかのように。

 

「おい」

 

 短く呼びかけても、こちらを見もしない。

 

「おい、ポンコツ!!」

 

 ギャビンが素早く近寄り、その肩を掴んでグイッと自分のほうを向かせると、ようやく備品の目はこちらを向き、ぱちぱちと何度か瞬きした。

 

「……あ」

 

 薄く開かれた口元から漏れた声は、普段と同じく平坦な印象ながら、なぜだか蚊の鳴くような音のように、ギャビンの耳に届いた。

 

「リード刑事……」

「てめえ、俺を無視するとはいい度胸してんじゃねえか」

 

 苛立ちのままに、ギャビンは言った。

 ――もちろん、決して心配しているわけではない。

 

「おら、さっさと説明しろ。この銃の持ち主はどこだ? ここで何があったんだ、最新鋭なら役に立ってみせろよ」

「……それは」

 

 黄色で安定していたLEDが、またちらちらと赤色との間を行き来している。

 よほど何か「ショッキングな」出来事でもあったというのか、それともこんな場所で故障でもしたのか?

 無駄だと知りつつ揶揄してやろうかとギャビンが口を開きかけた時、ポンコツは、その灰色の瞳を床に伏せつつ、また左手のスクリーンをこちらに突き出した。

 

「……確認を、願います」

 

 重苦しく――いかにも、胸を痛ませているかのように。

 備品が告げるのと同時に、スクリーン上にさっきと同様の、ソフトウェアによる再現結果が流れはじめた。

 

 映っているのは、今度は複数の人型だ。

 大人の男に見えるのが3人、女のようなのが2人――小さな、恐らく子どものようなのが1人。合計6人は、両手を挙げた状態のまま立たされていた。

 ちょうどさっきポンコツが視線を留めていた、あの噴水近くの場所に、である。

 

 単純なシルエットで表現されているから、そいつらが何を言っているのかはわからない。

 だが彼らは、自分たちの前方にいる誰かに向かって、必死に何ごとか訴えているようだった。けれど数秒後――

 

「は……」

 

 我知らず、ギャビンの口から息が漏れる。

 無情にも放たれた銃弾が、一人の男の頭を吹き飛ばした――飛び散った血は青色だった。

 

 そのまま次々と撃ち込まれる弾丸は、一発につき一人ずつ、アンドロイドたちの命を奪っていく。

 無抵抗なものも、恐怖に怯えたものも、分け隔てなく無慈悲に。

 やがて残された女型アンドロイドの一人が、子どもを庇うように前に出た。けれどそれより早く、弾が子どもの眉間を撃ち貫いていた。

 青い血を流し、仰向けに倒れた子ども型アンドロイド。庇おうとしていた女型アンドロイドは、よろけるようにそれに駆け寄った。そのまま、子どもに縋りついて泣き崩れる。しかしその後頭部もまた、正確無比な銃弾に撃ち抜かれ――

 

 びくびくと震えていたその機体の動きは、5秒もしないうちに停止する。

 

 やがて6人全員が、ただのスクラップになった。そこへ視界外から、青色のシルエットで表現された何者かが、迷いない足取りで「それら」に近づいていく。

 何者かは、腕についた細長いホースのようなものを伸ばすと、倒れているアンドロイドの一人の胸に突き刺した。

 

 ――“吸血”だ。

 思わず顔を顰めながら、ギャビンは内心で独り言ちた。

 とすると、この青色シルエットの野郎が吸血鬼か。

 

 まるで車にガソリンを入れるように手慣れた動作で、吸血鬼は順繰りに、次々に、アンドロイドたちのブルーブラッドを抜き取っていく。

 そしてそれが終わると、ホースを元の長さに戻し、吸血鬼は悠々と去っていった。

 倒れた彼らに対しなんの感情もないように。

 まるで、当然の仕事をしただけだとでもいうように――

 

 再現映像は、ちょうどそこで停止する。

 

「以上が」

 

 低く、淡々と告げる備品野郎のLEDは、黄色と青の間で点滅していた。

 

「現在より、15日と7時間2分前の状況の再現です」

「……」

 

 ギャビンは無言のまま、さっきの再現の現場である石畳の床に視線を移した。

 そこには今は、もう何もない。飛び散ったはずのブルーブラッドはとっくに蒸発してしまっているし、アンドロイドたちの遺体、否、スクラップでさえも、掃除されてしまったらしくここにありはしなかった。

 だがこのポンコツアンドロイドの再現が正しいなら(忌々しいがこいつの機能が正確なのは認めるところだ)、ここでさっきの、あの胸糞の悪くなるような殺戮が行われたのは事実だということになる。

 

「……ハッ」

 

 不愉快な気持ちを消し飛ばすために、ギャビンは、またいつものように汚い言葉を放とうと低く笑った。

 ぶち(こわ)されたアンドロイドたちを、そいつらをぶち殺した吸血鬼を、あのガキの形をした機械と女型の機械の姿を、滑稽だと笑ってスッキリしてやろうと思った。

 

 けれど、続きの言葉が出てこない。

 代わりに胸の中にぐるぐると渦巻くのは、ますます強まる“不愉快さ”だった。

 

 今までは、どんな現場でも笑い飛ばしてやってきた。

 家主に返り討ちにされた強盗を、勝手にくたばった薬中野郎を、性風俗店で変異体に絞め殺された変態おやじを、ギャビンはこれまで嗤ってきた。馬鹿な奴らだ、と。

 7ヶ月前、アンドロイドどもが自由を求めて行進し、無抵抗のまま殺されていった時にだって、待機していた署のテレビ越しに嘯いてやれたのだ。

 機械の分際で、一丁前に自由だ権利だと騒ぐからこうなるんだ、と。

 

 でも今は――

 作業の一環のように殺されていったアンドロイドたちの姿が、子どもに縋りついたあのアンドロイドの姿が、目玉の裏に貼りついたようにちらついて消えない。

 なぜだ。

 いや、違う。

 ――不愉快だ。ああ、気分が悪い。

 

 だからギャビンは代わりに、いつになく、ポンコツの癖に“動揺”しているらしい備品野郎を笑ってやることに決めた。

 

「お仲間が死んでったのがそんなにショックかよ。ここじゃさっきみてえなコロシばっか二十何件も起きてたって平気で言ってたのはどこのどなた様でしたかね。あぁ?」

「…………」

 

 ポンコツは、また目を見開いて口を噤んだ。

 相変わらず無表情のその面持ちにあって、しかしその瞳だけは、何よりも戸惑いの色を濃くしていた。

 樹脂だのなんだので作られたその瞳孔が、拡大したままじっとこちらを向いている。

 

「……わかりません」

 

 やがて漏れたのは、震えた声だった。震えた、弱々しい、怯えたような声。

 

「は?」

「わかり、ません。私は……」

 

 自分を落ち着かせようとするように、備品はスクリーンを消した左手を、自身の胸の上に置いた。

 次いで視線をさっきの石畳の床に向け、震えた声のまま、アンドロイドは続けて語る。

 

「そうです、リード刑事の発言は妥当です。この施設では同じような殺人と殺傷行為が、合計27件発生していて……先ほどの行為もその内の一件に過ぎず……でも」

 

 ポンコツは俯いた。

 

「でも、こんな……アンドロイドが一時的とはいえ自由を得たと判断される現在においても未だ……無抵抗の人々を残虐に……血液を強奪する行為があれほどまでに、おぞましい、ものだとは……認識していなくて……それで機体が、誤動作を……」

「あーあ、そうかよ」

 

 長くたどたどしい独白を聞いているうちに、幾分冷静になってきた。

 いかにも呆れたといった様子で片方の耳の穴をほじりながら、ギャビンは(自身の胸中にあったあの不愉快さに目を向けるのを止めて)ポンコツ備品野郎の態度を評価する。

 

「はっきり言えよ、あてられて気分悪くなっちまったんだろうが。さすが最新機器様は、随分と繊細なこって」

「……あてられ、て……?」

 

 初めて聞いた言葉だとでも言いたげに、備品は目をぱちぱちしている。

 しかしこいつの態度は、要するに、警察学校から上がりたての警官が現場で死体を見てゲロを吐くのと同じやつだ。

 つまり新人(ニュービー)にありがちな、“心の弱い”姿勢の表れというやつだ。

 馬鹿馬鹿しい。サイバーライフも、どうせ新型のロボット刑事を作るんなら、もっと落ち着いた性格の奴にすればよかったんだ。現場で動揺してフリーズする機械が役に立つか?

 素人でもわかることができないなんて、やっぱりサイバーライフってのは無能なクソ企業で確定だろう。

 

 すっかり気分が元通りになったギャビンの前で、ポンコツのLEDライトはやがて、徐々に青一色に戻っていく。

 

「……理解しました。“あてられる”とは……すなわち、共感。なるほど、しかし……事件現場でこれほど強烈に作用したのは、今回が初めて、でした」

「そうかよクソッたれ。だからなんだってんだ」

「いいえ」

 

 姿勢を普段と同じ、しゃんと伸ばしたものに戻すと、備品はおもむろに語った。

 

「私の感傷は、捜査とは無関係です。しかし……私自身の感情が、機体の動作に支障を発生させたという結論には、単独では到達不可能でした。感謝します、リード刑事」

「あーどういたしまして」

 

 棒読みにそう応え、ギャビンは耳をほじっていた指を抜き、その先端をふっと吹いた。

 

「それよかとっとと仕事しろや。吸血鬼野郎はどこに消えたんだ?」

「……」

 

 ポンコツは無言で頷き、ゆっくりと視線を周囲に巡らしている。

 

 ギャビンの見たところでは、転がっている銃器以外に、それらしい手がかりは見当たらない。

 そしてもしこちらの見立て通り、吸血鬼が軍事用のアンドロイドならば、当然銃に指紋は残っていないだろうから、普通の手段による捜査はそこで詰んでしまう。

 運よく地面に足跡でも残っていればまだ何かわかるかもしれないが、ここは石畳だ。

 そうなってくると、アンドロイド刑事様の素晴らしい捜査能力が、少しは役に立てばよいのだが。

 

 そんなことを考えていると、ふいに、備品野郎のLEDリングが黄色にちらついた。

 また何かビビってやがるのかと一瞬思ったが、違う。これは、ドローンと通信している時の点滅だ。

 

 ややあってから、果たして、ポンコツはポンコツなりに緊迫した調子で言った。

 

「リード刑事、緊急事態です。7号機・ガーベラが、ここから12メートル前方に生存者を発見しました。人間です」

「生存者だあ?」

 

 思わず怪訝な声をあげる。

 

「てめえ、さっきまで俺たち以外に誰もいないとか言ってただろうが」

「はい……突如として出現した理由は不明です。しかしガーベラの報告によれば、重篤な外傷を負っている状況です。緊急対応が必要だと判断します」

「チッ」

 

 苛立ったギャビンは、ポケットに諸手を突っ込んで舌打ちした。

 本来なら喜ばしいことだ、生存者がいるというのは――尋問ができるのだから。

 しかしどうにも、そいつが突然現れたというのが気に食わない。

 このポンコツ備品はポンコツとはいえ優秀なはずだから、人間のボンクラみたく“見落としてました”なんてのは考えられない。

 ということは――

 

 鼻の古傷が、ビリビリと鈍い痛みを訴えている。

 何よりも腹立たしいのは、今の状況のせいで、あのクソ忌々しいハンク・アンダーソンのミーティングルームでの発言が、いよいよ真に迫ったもののように思えてきてしまったことだ。

 ――「ヤな予感がしやがる」だって?

 てめえと同意見だなんて死んでもゴメンだね、クソったれ。

 

「リード刑事」

「うるせえ、クソが」

 

 一言吐き捨てて、ギャビンはポンコツに顎で「連れてけ」と示す。

 応じてポンコツはこくりと頷き――しかし、歩き出す前にちらりと、広場の片隅に視線を向けた。

 

「Cirsium vulgare」

 

 耳慣れない言葉を、アンドロイドは呟いた。

 

「……あ?」

「アメリカオニアザミです」

 

 視線の先に目を向ければ、その言葉通り、紫色のトゲトゲした小さい花が、地面に咲いている。

 石畳がちょうどめくれ、土が丸出しになっているところに数輪、身を寄せ合うように。

 

「それがどうかしたってか」

「いいえ。ただ」

 

 言うが早いか踵を返し――しかしぎりぎりまで視線はアザミの花に向けたまま、ポンコツ備品は続けて言った。

 

「こんな場所にも、咲くものなのですね。無数の死への弔辞の、ように……」

「ハッ!」

 

 ギャビンは心から鼻で嗤った。なんて“詩的”! だいいち、このクソッたれポンコツが現場で余計な口を叩くなんて前代未聞である。

 きっとこいつの自称・兄貴であるクソ型落ちコナーが聞いたら泣いて喜ぶことだろう。

 弟の感受性が成長してどう、だとか。まったく色んな意味でおめでたい話だ、クソが。

 

 しかし備品野郎はそれきり口を閉ざすと、その7号機とやらが待機しているらしい場所めがけて駆けはじめた。

 追従するドローン2機に負けないように、ギャビンもそれに続いて走り出す。

 ――鼻筋の傷は未だにビリビリした痛みを放っている。

 しかしそれにかかずらっている暇はない。

 

 しばらく走って――広場の先、さっきと同じような埃っぽい街並みが安っぽく再現された場所に入る。

 ベニヤ板だので作られた路地を駆け、何度か角を曲がり、やってきた先は。

 

「……場所はここです」

 

 ポンコツが言う。

 そこは、ちょうど行き止まりのようになっていた。

 ベニヤと石壁で三方を塞がれたその場所の、広さは数メートル四方といったところか。

 剥き出しになった土の上には、さっきのようにアザミの花が咲いているということもなく、つまり、何もない。

 そう、何も――その“生存者”とやらも。宙に浮いているはずの7号機すらも、ない。

 

「おい!」

 

 すかさず、ギャビンは備品野郎に抗議した。

 

「誰もいねえじゃねえか、クソが! だいたいてめえのドローンはどうした」

「…………」

 

 ポンコツは前方を向いたまま何も言わないが、その眉間には僅かに皺が刻まれている。

 不可解だ、と言いたいのだろう。

 

「……?」

「なに首傾げてやがる。てめえのドローン、飼い主同様ポンコツだってか?」

 

 ハッ、と肩を竦めると、ギャビンは念のため、突き当りの奥まで歩み寄った。

 ぽんぽんと地面を何度か踏みしめてみるが、やはり、この下に何か埋まっているというのでもない。

 上を向いても、何かあるわけでも、いるわけでもない。

 

「想定の範囲外です」

 

 弁明するように、というよりは自分の疑問を呟いたように、備品は言った。

 

「ガーベラの位置情報が取得不可能になりました。それに送付された映像では明白に、現在のリード刑事の所在地に、推定四十代の男性が昏倒していたはずです」

「ほお、四十代の男性ねえ」

 

 わざとおどけた調子で言うと、ギャビンは思い切り身を屈め、地面を見やった。

 

「まあ、世の中ってのは不思議だからな? 突然空気みたいに消えちまう男がいたって」

 

 おかしくはねえだろうなあ――

 と、続けて言ってやるつもりだったのだが。

 

「リード刑事!!」

 

 突如、ポンコツが大声をあげた。

 次いでその足が強く地面を蹴り、一瞬で距離を詰めたアンドロイドは、振り回した腕で思い切りこちらを突き飛ばす!

 

「げふっ!」

 

 肘が腹にクリーンヒットした。

 1メートルほど飛ばされ、図らずも尻から着地したギャビンは、ゲホゲホと幾度か咳き込んでから、何しやがると叫んでやろうと顔をあげる。

 だが――

 

「……!」

 

 吐き出そうとした言葉は、瞬時に引っ込んだ。

 こちらを守ろうとするように、前に立ちはだかるポンコツ野郎の背中――

 その向こう、さっきまで自分が立っていた地面に、()()()()()()()()()

 

 ぎざぎざした刃、半月状のその形。

 刃渡り15センチ程度の、そう、いわゆるコンバットナイフというやつだろう。

 「だろう」というのには理由がある。そのナイフが、よく()()()()のだ。

 光の角度のせいか、僅かに確認できる銀色の刀身は、柄も含めてそのほとんどが背景の石壁と同化していて――

 つまり透明になっていて、よく見えない。

 

 ――馬鹿な。

 

 ギャビンは、啞然としてそれを見つめた。

 透明なナイフ? 見えない武器? そんなものが実在するってのか、この世界に。

 

 いや、それよりも。

 位置的に考えて、もしあのままぼうっと立っていたら、あのナイフはこのギャビン・リードの脳天を貫いていただろう。

 その凶器のクソったれな持ち主は一体、どこに?

 

 素早く立ちあがり、拳銃を抜いたギャビンは、視線を巡らせる。

 だが、どうやらナイフの主は、まだ得物を握ったままだったようだ。

 

 地面に突き立っていたナイフが、ゆっくりと上に移動していく。

 いや、独りでに上がっているのではない。よく見れば柄の部分に、手のような何かが見える、ような気がする。そうだ、地面には二つしっかりと、大きな足跡がついている――

 

 そこに、誰かがいるのだ。

 透明な、見えない誰かが。

 

「クソが……!」

 

 緊急事態を前に、心臓が早鐘を打ちはじめる。

 恐怖ではない、臨戦態勢によるものだ。

 鼻筋の傷がいよいよズキズキと痛みだす中、しっかと教本通りに銃を構え、ギャビンは誰何した。

 

「てめえ、何モンだ! いきなり人の(タマ)狙うとは、いい度胸だなクソったれ!」

 

 だが相手は、何も言わない。

 そのまま回収したナイフをどこかに仕舞うと――ナイフは刀身も含めてまったく見えなくなった――地面の上の足跡が、形を変えた。

 それら足跡の先端は、こちらを向いている。

 

 ――飛び掛かってくるつもりか。

 身構えるギャビン、そして備品野郎の前で、透明なそいつはどうやら、ゆっくりと片腕を広げたらしい。

 

 なぜわかったかというと、小さく青白い火花をあげる透明な何かが、下から横方向へゆっくりと、弧を描くように移動していったからだ。つまり相手は、大きく広げた片腕の先に、その何かを持っているということになる。

 やがて音もなく、だんだんと、その何かの姿が見えてくる。

 波が引くように、透明な部分の色が変わっていき、現れたのは――

 

 ひしゃげたプロペラを無様に回している、白と黒の機体。

 ぐしゃぐしゃに潰された、ドローンの姿だった。

 

「ガーベラが……!」

 

 ポンコツ野郎が、息を吞むような音と共に言った。

 ギャビンもまた、あまりの事態に一瞬だけ混乱しそうになり、しかし、これまでに培ってきた経験と生への執着心が意識を引き戻す。

 

 ――これで状況はハッキリした。

 自分たちはあの「透明な奴」にハメられたのだ。

 どんな手段かは知らないが、あの野郎は姿を消すことができる。

 そして透明な状態でこの施設内に身を潜めたまま、ドローン7号機を捕獲し、ハッキングして――

 生存者がいるという偽の映像を送り、自分たちをここにおびき寄せた。

 この逃げ場のない、行き止まりの場所で、俺たちを始末するために。

 

 そんなことができる奴なんて――最新鋭のアンドロイド刑事をドローンごと騙せる奴なんて、思い当たるのは一人しかいない。

 吸血鬼だ。軍用プロトタイプのアンドロイドだという、糞野郎だ。

 

 ――クソが。ともう一度、ギャビンは内心で吐き捨てる。

 透明な敵だと? ガキの頃に観た、なんてタイトルだったか――夜遅くのケーブルテレビの映画に出て来た、宇宙人じゃあるまいし。

 

 それでもなお、ギャビンは緩まずに銃口を相手に向け続ける。

 相手、といっても無論――こちらの目には、石壁があるようにしか見えないのだが。

 怯むとはすなわち、コケにされるという意味だ。

 そんなの、このギャビン・リードに許容できるはずもない。

 ビビったまま生きるくらいなら、抵抗して死んだほうがマシである。

 

 だから銃を向けたまま、声をあげた。

 

「ナイフを捨てて手を挙げろ! 姿を見せろ、クソが! 調子こいてんじゃ……」

「リード刑事、伏せて!」

 

 備品が鋭い声をあげ、前方へ駆けだす。

 ほぼ反射的にギャビンが身を屈めると、その頭上を、さっきの壊されたドローンの残骸が飛んでいく。投げつけやがったのだ、あの野郎!

 そしてほとんど間を置かずに聞こえたのは、低く大きく、連続した発砲音。そうだ、いつだったかSWATの訓練を見学させられた時に聞いた、アサルトライフルの銃声だ。

 

 ――透明なナイフの次は、透明な機関銃かよ!

 内心で毒づく一方で、意識の冷静な部分が、ここには身を守れるような遮蔽物がないと警告している。

 しかしあの銃弾が自分を狙うという事態は、少なくとも今は、心配する必要がないようだ。吸血鬼は、先にアンドロイド刑事を始末するのに決めたらしい。

 

 ちらりと上げた視線の先で、備品野郎が銃弾の雨の中を、かいくぐるように前へと走っている。

 ここまでついて来ていた2機のドローンを、昨日と同じく盾のように変形させて、身体へのダメージを最低限にしているのだ。

 それでも、何発か食らったその身体には細かい傷がついている。頬のところを弾が掠めた直後、人間のような皮膚の色が剥がれ、アンドロイド特有の白い肌がじわりと見えているのが、いやにはっきりと見えた。

 

 そうだ、昨日のチンピラどもが使っていたのは、せいぜいハンドガンくらいなものだった。

 あの吸血鬼が軍用なら、それこそ、軍隊でしか使われないような武器でも山ほど持っているのでは――

 

「チッ」

 

 自分の胸の内に沸いた危惧と懸念が腹立たしくて、ギャビンは腹ばいになったまま、舌打ちと共に果敢に銃を構え直した。

 とはいえ透明吸血鬼が文字通り透明な今、ポンコツを援護したくても、どこを狙えばいいかわからない。

 歯噛みしながら、事態を見極めようとしている間に――

 

「……!」

 

 銃弾をものともせずに接近した備品野郎が、右手のスキンを解除したのが目に映る。

 あいつは、吸血鬼を破壊しようとしているのではない。変異させようとしているのだ――ミーティングルームで、こちらが忠告してやった通りに。

 

 確かに相手が脱法アンドロイドなら、それが最善手だ。仮にクソったれの変異体が凶暴化して暴れているのだとしても、コナーの奴の言葉が正しいなら、メモリー接続して交渉し、大人しくさせることだってできるかもしれない。

 だが問題は――単純な話だ――どちらにしても、相手に()()()()()()()()()()ことだ!

 相手は好きなだけバンバン銃を撃てるが、ポンコツ備品は丸腰なうえに、相手に接近戦を挑まなければならないのである。

 

 そんなハンデがあるか、と、苛立った気持ちになるのも束の間。

 ドローンたちを脇に下がらせたポンコツ備品の右手が、まっすぐに前へと突き出される。

 ベテランボクサーの一撃もかくやという速度で放たれた拳は、しかし空を切った。

 だがどうやら、備品の目には相手のだいたいの動きが見えるらしい。

 腹の辺りを覆っているその左手の甲が、前方から迫ってきた力をぎしぎしとガードしている。吸血鬼がこちらの腹部(たぶんシリウムポンプ調整器だ)を狙ったのを、すかさず防御したのだろう。

 

「……!!」

 

 備品野郎は何も言わない。だがその灰色の瞳は、これまでに見たことがないほどに鋭い光を放っていた。

 そしてそのまま、蹴りを放つ。相手の脚を狙ったそれは、今度は直撃した。その隙に一発、二発、三発、素早い拳が吸血鬼を捕えようと動く。しかしいずれもがまた空を切り、おまけにその合間を縫って、吸血鬼の一撃――たぶん肘だ――が、備品の顎を打ち上げた。

 

「ッ!」

 

 ついギャビンは息を吞んだ。

 だが人間なら当然痛みで不可能なことでも、痛みを感じないアンドロイドにならできるらしい。

 備品は顎を上に向けたまま、吸血鬼の肘と手首を両手で掴み、そのまま体重をかけ、前のめりに地面に叩き伏せた。

 組み伏せて大人しくさせ、そのまま“目覚めさせる”つもり――だったのだろうが――

 

「!!」

 

 体勢を立て直した備品が目を見開く間に、バキバキゴキと部品同士が乱暴にぶつかり合うような異様な音が鳴り響き、その手が振りほどかれる。

 

(自分の関節を外しやがったのか!)

 

 こちらが啞然とする間もなく、不意を衝かれて腹に重たい蹴りを食らったらしいポンコツが、僅かにたたらを踏んで後ずさる。

 その隙に吸血鬼は短く低い足音を残して――どうやら――その場からいなくなったらしい。

 

「……跳躍して退避されました」

 

 大してダメージは受けていない様子のポンコツ備品は、それでも身構えたまま、周囲を鋭く窺っている。

 

「逃げたのか?」

「いえ、一時的な退却です。30秒以内に再度襲撃してくる確率は77%」

 

 淡々と言うと、ちらりと、備品の瞳がこちらを向いた。

 

「リード刑事、端的に述べます。相手は光学迷彩を使用しています」

「光学……!?」

 

 思わずオウム返しに呟きながら、脳裏をよぎったのは、いつぞや見たニュースの映像だ。

 物体の表面に特殊な処理を施すことで、光の屈折率を変化させ、透明なように見せかけるんだったか。詳しいことは忘れたが、最新技術だったのは覚えている。なるほど軍用アンドロイドなら、潜入だの暗殺だののために、そういう技術が使われることだってあるのだろう。

 

 昨日、トラックから逃げ出した吸血鬼をすぐに見失ってしまったのも、奴が光学迷彩で逃げ回っていたせいに違いない。

 

「アシンメトリックマテリアルと、アンドロイドの流体皮膚技術の応用です」

 

 言うだけ言って、アンドロイド刑事はまた周囲を探る目つきになる。

 

「市警への応援要請と、拳銃による自衛を願います。被疑アンドロイドは、極めて危険な戦闘能力を保持しています」

「てめえの命令なんざ誰が聞くか」

 

 というより、言われなくても応援を呼ぼうと思っていたところだ。

 などと内心で毒づきつつ、ギャビンは端末を取り出そうとして――

 

「! おい!!」

 

 警告を発する。

 石壁のほうから地面の上に、備品野郎に向かって、足跡がどんどん近づいてきている!

 

 しかしアンドロイドはといえば、それには先に気づいていたようだ。

 言葉もなくそちらへ向き直ると、再び、右手を前に左手を奥に構えた応戦の姿勢を取っている。

 

 再びアンドロイド同士がぶつかり合う音が響く中、身を起こしたギャビンは、すかさずポケットから端末を取り出した。

 仕事用の端末だ、ワンタップで市警に直で連絡が取れるようになっている――はず、なのだが。

 

「は!?」

 

 画面上部に表示された【圏外】の字が信じられずに、ギャビンは目を剥いた。

 圏外? いくらここがゴミ山の中だからって、そんなはずはない。

 ――待てよ、奴はドローンのハッキングまでやらかしていた。

 となればここを圏外にすることくらい、できたっておかしくは――

 

 恐ろしい結論にギャビンが達した時、耳に届いたのは、何か軽くて高い、「キン」という音だった。

 瓶の栓を抜いた時のような、金属同士を擦り合わせたような、小さい音。

 

 ――鼻筋の痛みが、最高潮に達する。

 凄まじい悪寒と共に、音のほうに向けた目に映ったのは、何か透明な丸いものが、中空をくるくると回転しながら飛んでくる様子だった。

 さっきのナイフと同じように、見えはしないが、僅かな光の反射でそこに何か「ある」と確信できる。

 それは完全な球体、ではない。

 少しひしゃげ、でこぼこしていて――そうだ。あの形状とあの音。

 まさかあれは――()()()

 

 まずい。

 

 明確なイメージとして頭に浮かび上がったのは、見るも無残な姿にされた自分の死体だ。

 手榴弾の威力なんてものを、身をもって知った経験などもちろんないが、あれ一発で人体なんて、簡単に吹き飛ばせるはずだ――

 

 咄嗟に(それが役に立つかは知らないが)ギャビンは後ずさろうとした。

 だがそんな動きを許さない速さで、透明な手榴弾がこちらに迫ってくる。

 

「リード刑事!!」

 

 その時――

 ギャビンは、確かに目撃した。

 それまで吸血鬼と取っ組み合っていたポンコツが、灰色の瞳を大きく開いて、こちらを見据えて――

 同時にそのLEDが黄色く光り、脇を飛んでいたドローン2機が、眼前に飛来したのを。

 

 三角形を3つ組み合わせたような白と黒の盾が、ギャビンの視界を覆う。

 次の瞬間、文字通りの爆発音が鳴り響いた。

 どおん、という低い音が床を、天井を揺らしている。

 

「ぐっ……!?」

 

 鼓膜を激しく揺さぶられるのと同時に、すさまじい熱風が襲ってくる。

 火薬による火と熱。

 だがそのほとんどは、ドローンたちによって防がれてこちらまでは来ない。

 せいぜい足先が軽く炙られかけた程度で済んだ。

 そう、自分は。

 だが、あいつは――!

 

「っおい……!」

 

 呼ばわった声に、返事はない。

 その代わりに見えたのは――

 白い煙をあげた何かが、視界の端に吹き飛ばされていく光景だった。

 どさり、という重たい音が聞こえてくる。

 

「……!」

 

 胸の内に、色々な感情がない交ぜになる。そのそれぞれに名前を付けている時間などない。

 ギャビンは歯噛みし、次の瞬間、脱兎のごとく駆け出していた。

 

 

 そして――

 動くもののいなくなった先ほどの路地の地面に、新たについた足跡が二つ。

 透明であるそれは、その場に立ったまま光学迷彩スキンを解除し、徐々に自分の姿を顕わにしていく。

 モスグリーン色の装甲、フルフェイスマスク、そして背中のタンクと腕に備えつけられた吸い込み口。

 

 吸血鬼は、悠然と周囲を見渡した。

 地面にはさっきハッキングしてから破壊したドローンが1機、それから熱風に煽られて機能停止しているドローンが2機。

 抵抗してきたデトロイト市警のアンドロイドは、吹き飛んでいって姿が見えないが、手榴弾の爆風をもろに浴びて平気でいられる機械などあるはずもない――と、吸血鬼を()()()()()()()()

 それよりも問題は、いなくなった刑事のほうだ。

 爆風に吸血鬼自身まで巻き込まれる危険を避けるために距離を取っていたが、それが仇となって逃がしてしまったらしい。

 

 ――【>命令受諾】

 ――【殺害優先順位:変更】

 

 マインドパレスに表示された命令に従い、吸血鬼は素早く移動をはじめる。

 残った人間の刑事を殺す。可能な限り速やかに、静かに。

 地下にいる奴らの仲間を、事務室に閉じ込めている間に。

 アサルトライフルの弾は、もう撃ち尽くしてしまった。

 だがナイフ一本があれば、人間一人殺すのには充分である。

 与えられた任務の遂行。その希求だけが、吸血鬼の思考を埋め尽くしていた。

 

 

 

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