Detroit: AI   作:けすた

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第21話:港湾 前編/The Chaser Part 1

***

**

 

――2039年6月6日 18:23

 

 

 RK900は、おもむろに瞼を開けた。

 目に映るのは、今日も静謐な雰囲気に包まれた庭園の光景。これまでは春の景色が再現されていたその庭は、今は青葉が茂り日差しの強い、夏の風景となっていた。

 

 そしてその場に立ち尽くしたまま、黙って視線だけ動かしている彼の顔面には、もはや吸血鬼につけられた傷はない。両腕の損傷もなく、纏っている白と黒のジャケットにもダメージはない。なぜなら、ここは禅庭園――RK900のシステムの上位に存在する、プログラム上の世界だからだ。

 

 現在彼の機体そのものは、サイバーライフの施設にて急ピッチで修理されている。あとしばらくすれば完全に修復され、また元通りに動作するようになるだろう。

 その間に、報告のためにやってきたRK900は、庭の中央で薔薇の剪定をしているアマンダの姿を認め、静かに歩み寄る。

 黒い衣に身を包んだアマンダは、こちらに背を向けていた。彼女は白い薔薇のいくつかを丁寧に園芸用の鋏で切り取っては、傍にあるテーブルの上に置かれた、薄青いガラスの花瓶に生けている。

 

「こんばんは、アマンダ」

 

 短く呼びかけたRK900が立ち止まると、アマンダはゆっくりと、首だけ振り返った。

 その目はどこか鋭い印象を放っている。RK900もまた、眉間に僅かに皺を寄せて彼女の言葉を待った。

 

「コナー。よく来ましたね」

 

 声音は柔らかくそう応えると、アマンダは完全に『コナー』のほうへと向き直る。

 鋏をテーブルに置き、両手を前で軽く組んで、彼女は続けて言った。

 

「今日のあなたの活動記録は、我々も把握済みです。吸血鬼の確保には至らなかった……非常に残念です」

「申し訳ありません」

 

 いかにも遺憾であると示すように、悔しそうに()()()()()()、『コナー』は謝罪する。

 

「直前に発生した、非合理的な行動が原因です。パートナーを守るためにみすみす機会を逃し、損傷を受けるなど……これではまるで」

「そう、RK800のよう」

 

 端的に指摘された『コナー』は、さらに面持ちを暗くして俯いた。

 けれどアマンダは、そこで一歩前に出ると、とりなすように彼に言う。

 

「しかし我々の計画に支障はありません、コナー。損傷箇所の修理と共に、プログラムのエラー修復を行っています。これで次は、十全にあの軍用アンドロイドと渡り合えることでしょう」

 

 それに――と、彼女は続ける。

 

()()がどうなっていこうと、あなたにはまったくの無関係。そのように設計されています……あなたが変異する恐れはない」

「はい、アマンダ」

 

 『コナー』は、まるで安心したかのように表情を緩めた。

 しかし当然、これも搭載されたソーシャルモジュールの働きによるもの――そうあるべくして造られた、機械としての性能が示すものである。

 アマンダは、それを確認して薄く口元に笑みを湛えた。

 

 サイバーライフ社にとって最も重要なのは、未だ、誰にも彼らの計画が暴かれていないこと。

 秘密が守られている限り、RK900は彼らにとって、プランの要たる存在なのだ。

 

「あと数分で、修理が完了するようですね」

 

 柔らかな声音のままで、アマンダは言う。

 

「行きなさい、コナー。次こそは確実に、あの吸血鬼を止めるのです」

「お任せください。今度こそ、あなたを失望させません」

 

 きっぱりと応えると、『コナー』はくるりと背を向け、庭園の向こうへと歩み出す。

 それを確認すると、アマンダは再び薔薇へと向き直った。

 

 切り取られた薔薇の花は、素早く花瓶の水に浸される。閉じ込められた透明な世界の中で、白い花弁はゆらりと揺れた。けれど水面の揺らめきが収まれば、薔薇の動きも次第に止まる。

 白い薔薇は幸せだ。アマンダの手しか知らないのだから。

 

 

***

 

 

――2039年6月6日 19:11

 

 

 デトロイト市警に帰ってきたコナーは、足早にオフィスへと向かった。

 右腕、および右肩は、すっかり元通りになっている。

 ジェリコの施設に、ちょうどパーツのストックがあって助かった。でなければ、こんなに早く戻ってこれはしなかっただろう。

 

 かなり激しい損傷だったため、施設の「医師」であるアンドロイドからは、ずいぶんと心配されてしまった。この調子では、今回の話がマーカスたちにまで伝わるのも時間の問題だ――彼らにまで心労をかけるのは忍びない。

 

 しかし、今は何よりも次の一手を考えるべき時だ。

 最低限の情報共有は、既に治療前に済ませている。

 だがあの狩場「スカーレットオアシス」で発見された、フロッピーディスクと人形については、まだ十分に調査しきれていない。

 そして『吸血鬼』――謎の組織に尖兵として行使されてしまっている、かつての英雄である軍用アンドロイドの全貌もまた、徐々に明らかになってきたといった程度だ。

 新型レッドアイスの蔓延、アンドロイドの犯罪被害の防止、何より取り逃がしてしまった吸血鬼を確保するために何をするべきか、念入りに検討を行う必要がある。

 

 スペアとして用意しておいた制服のジャケットに袖を通し、気合も充分。

 ゲートを通り抜け、廊下を進んだコナーは、オフィスに立つ見知った人影に声をかけた。

 

「すみません、戻りました!」

「……兄さん」

 

 返事をしたのは、ナイナーだけだった。弟の姿は――よかった、もう傷一つ残っていない。やはりサイバーライフの修理技術は、世界トップレベルのままのようだ。

 温かな「安堵」の気持ちが、コナーのプログラム上に広がる。しかし、弟の傍らにいる人物に目を向けた瞬間、ふいに「苛立ち」が沸き起こった。

 

 佇むナイナーの隣で椅子に座り、自分の机の上に両足を上げてだらりとしている人間、すなわちギャビン・リード刑事は、いかにも気だるげにこちらに視線を投げかけるのみだったが――やがて、その口元は(コナーから見れば)下品に歪む。

 

「ほお。めでたいお戻りだな、プラスチック刑事。てっきりスクラップ場送りかと思ったぜ」

「あなたこそ、病院送りにならずに済んで何よりです」

 

 感情を籠めない抑揚でこちらが応えると、途端に彼は気色ばんだ様子で何ごとか罵声を発しはじめる。

 最初に敵対的な態度をとったのはそちらだというのに、少し言い返されただけでこれとは――まったく、彼とは本当に気が合わない。

 コナーはギャビンに“とてつもなく礼儀に適った微笑み”を向けた後(彼から発される音声は無視して)、改めてナイナーに声をかけた。

 

「ナイナー、大丈夫かい? 本当に、大変な目に遭ったね」

「ありがとうございます。私は、問題ありません。システム・機体ともに正常に復帰しました。兄さんの治療が適切に実行されたことを、とても……嬉しく感じています」

 

 相変わらずの無表情であっても、ナイナーの声音はどこまでも温かな響きを伴っている。

 コナーは弟に本心からの笑顔を向け、それから、辺りを見渡した。

 

「ところで、ハンクは……」

「アンダーソン警部補は、現在デバイスの探索中です」

 

 ――デバイス?

 そう問い返すよりも早く、廊下の反対側からやってきたのは、果たしてハンクであった。

 彼は片手に何か小さな灰色の装置を持ち、もう片方の手で後ろ頭を掻いていて――コナーの姿を認めると、その表情はふっと緩む。

 

「戻ったか、コナー。どうやら、うまいこと治してもらったらしいな」

「警部補」

 

 こちらへやってきた彼に、コナーは我知らず明るい声音で言う。

 

「はい、お蔭様で無事に修理が完了しました。右手の機能も完全に回復していますし、態勢は万全ですよ」

「そりゃ何よりだ。帰って早々だが、暇なしの警官はさっそく仕事の時間だからな」

 

 口調はどこまでも皮肉っぽく、けれどその青い双眸は優しく煌かせて警部補は言うと、片手の装置をこちらに向かって、見せつけるように突き出した。

 

「それは……」

 

 四角く薄型なその装置をスキャンした結果が、視界の端に表示される。

 【Bytle社製 外付けフロッピーディスクドライブ 2021年製】――

 

「遅えじゃねえか、ハンク」

 

 椅子に座ったまま、食ってかかるように口を開いたのはギャビンだった。

 

「置き場を知ってるっつったのはあんただろ。アルコールが脳まで回って、記憶力が低下しちまったか?」

「ああ、そりゃ、貴重な時間を奪って申し訳なかったな」

 

 受け流すように応えてから、警部補はコナーと、ナイナーのほうを向いた。

 その目つきは真剣な、仕事の時のものになっている。

 

「倉庫の奥からこいつを見つけてきた。あのディスクの中身を読めば、次の手も打てるだろ。ブツは地下室だ、行くぞ」

 

 顎で地下、すなわち証拠保管室へと続くドアの方角を示すと、ハンクは率先してそちらへと歩き出す。

 

 あのフロッピーディスクの中身。吸血鬼を操る組織が、事務室に隠し場所まで設置して守ろうとしていた――あるいは守ろうとしているようにこちらにアピールしていた、データとはいったいなんなのか。

 いつでもフルに稼働できるよう、思考プログラムを抜かりなく待機状態にしながら――要はしっかりと気を張りながら、コナーは相棒の背に続いた。

 

 いかにも大仰な音を立ててギャビンが立ちあがり、ナイナーもまた、彼に続く。

 ――そして。

 

 

 地下の証拠保管室の入り口にて、ハンクが例のパスワードをパネルに入力すると、コンテナとこちらを遮るシャッターが素早く開かれる。

 奥の壁が変形して現れたのは、これまで「吸血鬼の組織」の事件を追い続けて得た証拠品の数々――集めた各種データをローカルに保存した端末や、ギャビンとナイナーが遭遇した組織の末端構成員たちが纏っていた衣類、使用された銃器、それに例のフロッピーディスクなどが、丁寧に収納されたスペースである。

 

 ちなみに、当然だが、保護されたアンドロイドはここにはいない。

 スカーレットオアシスの事務室にいた『彼/彼女』も、今はあの場所を離れて、ジェリコの支部にいる。

 慣れ親しんだ部屋を離れて、周囲の憐れみの視線に晒されるのは嫌だと最初は拒んでいた『彼/彼女』だったが、ドーム自体が警察の捜査対象になった以上、留まることはできないとコナーに説得された結果、しぶしぶ移動を受け入れたのだ。

 

 ともあれ――

 ハンクが倉庫から見つけてきたディスクドライブから伸びるコードを、手持ちのタブレット端末に接続し、次いでフロッピーディスクをドライブに入れる。するとかすかな駆動音の後に、端末にデータの内容が表示された。

 

 それは、非常に単純なテキストデータだった。

 容量にしてほんの50バイトにも満たない、短い文章。

 

「『ツーク=ルージュ港/EX./17:30/6月7日/2039』」

 

 コナーが内容を読み上げると、ハンクが鼻を鳴らし、ギャビンは身を乗り出して顔を顰めた。

 

「なんだそりゃ」

「ヤクの売り出しのお知らせだな」

 

 ギャビンの疑問に答えるように、警部補は言う。

 

「場所がツーク=ルージュでEXつったら、Export(輸出)の略語だ。出来立てほやほやの新型レッドアイスをしこたま船に乗せて、そのまま取引先に送りだすんだろう。ったく、こんな手に出くわすのは久しぶりだぜ」

 

 半ば感心しているかのように、ハンクは肩を竦めて言ってのけた。

 速やかに下されたその推理の根拠がわからないのか、ギャビンは今なお顔を顰めている。――が、要するに警部補が言いたいのはこういうことであろう。

 

 ツーク=ルージュ港といえば、デトロイトの南端に位置するツーク島に作られた、大きな港湾地区を指す。

 かつて自動車産業で栄えていた頃から、デトロイトという都市は、このような港湾地区を経由して輸出を行っていた。

 広大なデトロイト河を下り、エリー湖からオンタリオ湖を通って、北大西洋まで出るルート――セントローレンス海路を使えば、デトロイトで作られた工業製品を、はるか欧州にまで届けられる。

 そしてかつてのハンク・アンダーソンが華々しく活躍するようになるより少し前の頃から、そうした港湾地区はデトロイトの「別の」特産品をも輸出する場所になっていった。つまりは、レッドアイスである。

 

 さらに、かの吸血鬼の組織がアンドロイドたちから奪ったブルーブラッドで生産し、売り捌いているのもレッドアイス。したがってこのデータが示しているのは、組織が外部へとレッドアイスを輸出する、その日時と場所なのだと判断できるというわけだ。

 

 わざわざこうしてデータに示すくらいなのだから、それなりの規模の取引なのだろう。

 ――水際ででも止めなければ、遠方にまで薬物被害が広まってしまう。

 

「昔からよくある手なんだよ」

 

 補足説明のためなのだろう。ハンクは語った。

 

「船の積み荷にヤクを紛れ込ませて、何食わぬ顔で海の向こうに送りだすってな。港湾の労働者をカネだのヤク漬けだので買収すりゃあ、それくらいわけなくできる。デカい密売組織が軒並み閉業しちまってからは、余所に売りだそうなんて奴はほとんどいなくなったんだがな」

「警部補」

 

 控えめに、コナーは口を挟む。

 

「あなたが約8年前に解決した事件――大型輸送船の貨物室から1tものレッドアイスを発見した時も、場所はツーク=ルージュでしたね」

「……まあな。そんなこともあったか」

 

 言い当てられて少し驚いたように、かつわざとらしく視線を逸らしながらハンクは応えた。

 一方で、無言ながら得心がいったように体勢を元に戻したギャビンの傍らで、先ほどから押し黙っていたナイナーが、おもむろに口を開く。

 

「アンダーソン警部補。質問があります」

「どうした?」

「当該データの内容が、違法薬物の輸出計画であるという推論には同意します。しかしながら……」

 

 彼の灰色の瞳は、コナーが手にしているタブレット端末に向けられている。

 

「期日は明日の17:30。非常に直近の日時です。かつ、スカーレットオアシスで我々が仮称・吸血鬼の襲撃を退けた事実は、既に被疑者たちも認識するところでしょう。こうした状況の場合、被疑者たちは計画の変更、または中断を検討するのではないでしょうか」

 

 つまり――輸出計画が警察にバレてしまったと知った吸血鬼の組織は、このデータにある通りに取引を実行しないのではないか、という疑問である。

 それに対して、ハンクは軽く頷いた。

 

「ま、普通ならな。だが余所とのやり取りともなりゃ、話は違ってくる。こういう取引ってのは、信用が第一だ。ヤバくなってきたからって芋引きゃあ、どこにも相手にされなくなっちまうからな……それに荷物や船着き場ってのは、そう簡単に動かせるモンじゃねえ。手間もカネもかかることを考えりゃ、奴らまだ尻尾巻く気にはなってねえだろうさ」

「……」

 

 ナイナーは黙って目を幾度か瞬かせ、それから言った。

 

「……理解しました。今後の利益を勘案した結果、現状では彼らは計画の強行を選択する確率が高い、という回答ですね」

「あー、まあ、んなとこだ」

 

 スラングが多い警部補の発言を纏めれば、そうなる。曖昧に頷くハンクを横目で見つつ、コナーはタブレットを近場の棚に置いた。

 それから彼らに向き直り、きっぱりと提言した。

 

「警部補、では、すぐに港湾地区に向かいましょう。今は夜ですが、取引まではまだ時間があります。すぐに捜索すれば、事件を未然に防げるはずです」

「ああ、確かにな。だがその前に、一つ調べなきゃなんねえもんがある」

 

 そう言って、警部補は手を伸ばす。その人差し指が示す先にあるのは、羊毛フェルトで作られた人形――

 

 そうだ。マーサ・ガーランドの指紋がある、あの人形だ。

 

「お前たちが戻ってきたら、もう一度ちゃんと調べてもらおうと思ってたんだよ」

 

 と、ハンクは目配せした。

 

「ヤクの輸出を止めるのも大事だが、あの吸血鬼がどこにいて、誰に操られてんのかの手がかりも探っとかねえとな。いつまでも逃がしたままってわけにはいかねえだろ」

 

 次に会う時には、とっ捕まえられればいいんだがな――と続けるハンクに対し、ギャビンは小さく舌打ちすると、くるりと背を向けた。

 まるで、取り逃がしてしまったことに対し忸怩たる思いでもあるように。

 

 それはともかく、コナーは、人形をもう一度しっかりと手に取って見つめた。

 笑顔を浮かべている金髪の女の子を模した、この人形――

 羊毛がカナダ産で、マーサの指紋があるということは既に警部補たちに伝えてあるが、さらに精査すればもっと何かわかるだろうか。

 

 コナーは、すぐさまスキャンと分析を実行する。しかし――

 視界の端に表示された情報は、【羊毛フェルト】、【毛糸:カナダ産】、【工業製品データベース:該当なし】のみ。さらなるスキャンを実行しても、わかるのはこの羊毛が【サフォーク種】の羊から採られたものであるということくらいだ。サフォーク種の羊は、カナダ国内ではオンタリオ州で75%が飼育されているとデータベースにはあるが、そこからさらにこの羊毛の採取地を割り出すことはできない。判断材料である遺伝情報が不足しているせいだ。

 

 ゆえに、コナーはこう答えた。

 

「……残念ながら、新しい情報はそれほど。ただ、やはりこの人形は、工場で生産されたものではないようですね。データベースに登録されているどの品とも、形状が一致しません」

 

 空いている手を顎に置きながら、静かに言った。

 

「しかし誰かの手製だとするなら、かなり精巧です。相当高度な技術で作られたといっていい」

 

 マーサが作ったのだろうか? それとも、どこかでこの品を手に入れたのだろうか。

 そして――彼女と吸血鬼の間には、どんな繋がりがあるのだろうか。

 

 瞬間、プログラムを過ぎるメモリーは、あの動物園での事件の時に交わした会話だった。

 

 

『――本当なら、目覚めたくなんかなかったはずだわ。事件さえなければ……無理に起こされなかったなら……』

『ねえ、コナーさん。あなたもそうなんでしょう?』

 

 

 変異体に対して、特別な考えを持っていると思われる彼女。

 だが吸血鬼との接点など、にわかに見当もつかない。

 

 思考に沈みそうになったところで、しかし隣に来た弟の視線もまた、人形に注がれているのに気がついた。

 ひょっとしたらいつものように、ナイナーの目にならば見えるものがあるかもしれない。

 そう思い、コナーは彼に問いかけた。

 

「ナイナー、どうだい。何かわかった?」

「……兄さんの分析結果は、99%以上の確率で妥当であると判断します。しかし、申し訳ありませんが、新規情報の獲得には至りませんでした」

 

 ただ――と、弟は続ける。

 

「羊毛の劣化度から推測すると、当該ウールは採取されてから短時間でフェルトに加工されています。さらに、フェルトから人形の形状に加工されるまでの過程も、非常に短期であったと推測可能です」

「つまり?」

 

 ハンクの問いかけに、ナイナーは視線を彼に向けた。

 

「この人形は、カナダ国内で制作されたと判断します。そしてマーサ・ガーランドに卓越した手芸技術がある可能性を除外した場合――人形を制作したのは、カナダ在住のアンドロイド……では、ないでしょうか」

「!」

 

 コナーとハンク、そしてコンテナのほうを向いていたギャビンも、ナイナーのその言葉に鋭く反応した。

 コナーは、すかさず弟に質問する。

 

「ナイナー、それは……人形にマーサ以外の指紋がないから?」

「はい。工場生産品ではない以上、制作者が人間ならば、人形にはその指紋が付着します。かつ、この人形は非常に精緻な技術により制作されている。さらに、マーサ・ガーランドは人形制作を生業としていない。これらの前提条件から、家庭用アシスタント機能を備えたアンドロイドが人形制作に関与している確率は、試算では69%を超過します」

 

 ふうん――と、ハンクが短く唸った。

 

「じゃ、カナダでアンドロイドが作ったその人形に、少なくともマーサはどっかで触ってて……しかもそれが、どういうわけだか吸血鬼の持ち物になってたってこったな。コナー、お前マーサに会った時にスキャンしたんだろ。住所はデトロイト市内か?」

「ええ、警部補」

 

 コナーは首肯する。

 

「彼女の職業はインテリアデザイナー……事務所の所在地も、デトロイト市内です。ただ、パスポートの履歴によれば、ここ最近はしばしば陸路でカナダに入国しているようですね」

 

 そうなると、【マーサはカナダで人形を入手した】という推測は自然な流れで導き出せるが――そこから吸血鬼への繋がりは、現状では見えてこない。

 とはいえ、コナーにも一つ思い当たることはあった。

 

「カナダに脱出した変異体たちの共同体とは、ジェリコを経由してなら連絡がつくと、マーカスに聞いたことがあります」

 

 かつての革命の折、ジェリコのメンバーの一人、国務省での勤務経験のある変異体が偽造IDを作成し――そのIDを用いて、変異体たちの一部はカナダに逃亡したという。

 したがって、たとえ警察からは把握できなくとも、マーカスに依頼して調査すれば、マーサがこの人形とどこで接触したのかがわかるかもしれない。

 

 吸血鬼の全容に関わりがあるかは今のところなんとも言えないが、試す価値はあるだろう。――後で、マーカスに連絡しなくては。

 

 対してハンクもまた、コナーとナイナーの報告を聞いて方針を纏めたらしい。

 彼は真摯な眼差しで、こちらに向かって言った。

 

「じゃ、これからは二手に分かれるか。ツーク=ルージュを調べる奴と、マーサのことを調べる奴だ」

 

 マーサについて何か新たに情報を得られれば、そこから吸血鬼について、何か判明する事実もあるだろう。

 確信と共にコナーは頷いて――しかし、ハンクの視線がこちらのさらに後方に向けられているのに気づいて、振り返る。

 

 視線が向いているのは、ギャビンだった。

 彼は警部補の言葉に耳を傾けるでもなく、ただじっと、訝しげに、両手に一つずつ持ったタブレット端末を見つめている。

 

「おいおい」

 

 やや呆れたように、警部補は立ったまま彼に呼びかける。

 

「お前、聞いてんのか? 夢中なとこ悪いが、話を聞いてもらいたいんだがな」

「ああ、ああ」

 

 その目はタブレットに向けたまま、ぞんざいにこくこく頷きつつギャビンは言った。

 

「聞いてる聞いてる。アンダーソン警部補様のご立派な作戦はきっちり耳に入れてますよっと。どうぞ、気にしないでくれよな」

「リード刑事、あなたは何を……」

 

 あまりに適当な勤務態度に、一言忠告申し上げたくなって、コナーは口を開いた。

 けれど弟が彼の「パートナー」に歩み寄っていったので、黙って事態を見守ることにする。

 ギャビンのすぐ隣にまで移動すると、ナイナーは端末を覗き込んだ。

 

「リード刑事、それは……私と兄さんの、吸血鬼との戦闘記録ですね」

「勝手に覗いてんじゃねえよ、ポンコツ」

 

 口汚く言われても、弟はさして気にした様子はない。

 それどころか、彼は、まるで静かに諭すように言った。

 

「何か、判明した事実がありますか? または、確認すべき事項が」

「覗くなっつってんだろうが!」

 

 苛立ちのままに吐き捨てるように、ギャビンは叫んだ。

 けれど、ナイナーの問いかけに思い当たることがあったのだろう。彼は眉間に皺を寄せたままではあるが、幾分落ち着いた様子で、端末を軽く持ち上げて続ける。

 

「別に、判明(はんめー)した事実なんてねえよ。俺が撃っても無傷で、備品にあんだけ撃ち込まれても逃げるだけだった野郎が、なんだってハンクの銃弾一発で悲鳴あげやがったのか理解できねえだけだ」

「なるほど」

 

 軽い感嘆の気持ちに合わせて、コナーは相槌を打った。

 吸血鬼がハンクの銃撃で撤退したのは、タンクが後付けの機構で脆い構造であり、かつ、恐らくはタンクの中身が漏れ出たことによって、彼が狂乱状態に陥ったからである。

 しかしギャビンの指摘は一つ、的を射ているといえた。それは――

 

「なあ、ナイナー」

 

 ハンクが、弟に問いかける。

 

「お前さんがガトリングガンぶっ放した時、奴のタンクに弾は当たらなかったのか?」

 

 そう。あれだけの銃弾の雨の中、なぜ吸血鬼のタンクは壊れなかったのか。

 それを思うと、ギャビンの疑問も妥当なものである。――しかし。

 

「それは」

 

 と――なぜか深く顔を俯けて、ナイナーは答える。

 

「申し訳ありません。私の位置からは、確認不可能でした。ただ……兄さんの話と総合すると、発砲を受けていた際、仮称・吸血鬼は銃弾がタンクに当たらないよう、回避行動をとっていた可能性があります」

「よっぽど壊されたくなかったんだってか? ま、お前たちの相手してる時は気を張ってたのかもな」

 

 ふん、と鼻を鳴らすのと同時に、警部補はまた軽く肩を竦めた。

 

「俺たちのとこに来る時ゃ、あいつ鼻歌混じりだったしな。人を舐めてると痛い目見るんだって、いい教育になったろ」

 

 半分冗談のように、彼は言ってのける。

 それを聞きながら、コナーは今一度、顎に手を置いて黙考した。

 

 確かに、吸血鬼がタンク(あるいは中身のブルーブラッド)に固執し、破壊を避けて行動していたのだとすれば、先ほどの疑問は疑問でなくなる。

 けれど――一つ、気になる点ができた。「鼻歌」だ。吸血鬼が口ずさんでいた、【子守歌】。

 接続した『彼/彼女』のメモリーにおいて、吸血鬼は、子守歌をハミングしていた。

 そして、コナーとハンクに遭遇した時も。

 しかし吸血鬼は、ナイナーたちとの遭遇時には、一切鼻歌を歌っていない。

 

 ただの偶然だろうか? それとも、何か理由があるのだろうか――

 いくら考えたところで、今答えが出せるものでもない。

 コナーはこの疑問を、事件関連のリマインドに振り分けておくに留めた。

 

「……たく、もう20時過ぎたか」

 

 警部補のボヤきに、思考は現実に戻された。

 

「とにかくいいか、今度こそ聞いとけよ。俺とコナーは、これからツーク=ルージュに行ってちょいと探りを入れてくる。ギャビン、お前とナイナーは朝になったら、マーサの事務所に行ってこい」

「はあっ!?」

 

 まるでそういう習性であるかのように、ギャビンは瞬間的にハンクに食ってかかった。

 

「てめえ、何俺に命令してんだ? いつから俺はてめえの部下になったんだよ、ハンク」

「粋がるのは勝手だが、たいがいにしろよ」

 

 詰め寄られてもまったく動じた様子もなく、とはいえ双眸は険しく、ハンクは言った。

 

「お前が行くより、俺が行くほうが理にかなってんだよ。ツーク=ルージュにゃ、ツテがあるんでな」

「ツテ、ですか? 警部補」

 

 思わず漏れた疑問に対して、ハンクの目はこちらを見る。

 次いで彼はにやりと笑い、軽い調子で応えた。

 

「あぁ、ちょいとしたモンだがな」

 

 

***

 

 

――2039年6月6日 21:07

 

 

 夜間であっても、港湾地区は忙しく稼働していた。

 温い風が吹く中を、幾人もの作業員、またはアンドロイドたちが行き来している。彼らが重機を繰って積み込むのは、大量の貨物。そこここにある波止場には、大小さまざまな船が停泊していた。

 

 ――こうして、夜の港に立つのは初めてだ。

 つい好奇心を刺激されて、コナーは静かに景色を眺めた。

 

 波止場のさらに向こうに広がるのは、デトロイト河の水面。

 その上には、ほぼ満月に近い、丸い月が浮かぶ空。さらに、空の漆黒を切り抜いたように河面を渡って光るのは、大きな橋――

 

 かつてハンクと問答を交わした、あの児童公園から見えた橋、ではない。

 あれはアンバサダー橋で、こちらはその南方に架かるもう一つの橋――ゴーディハウ国際橋だ。2024年の完成以来、アンバサダー橋と同様にカナダとの交通の要となっている白い橋の上を、今日も無数の車と人が行き来している。

 

 ――「人の営み」という言葉が、なぜか自然にプログラムを過ぎった。

 

「……ああ、わかりましたよ」

 

 背後で聞こえるのは、ハンクの声だ。彼は駐車して降りるなり、その場で署長に電話連絡している。

 

「穏便にね。そりゃ、言われなくてもわかってるってんだ。大丈夫だ、あいつとは長いからな。揉め事にはなりませんよ。……はいはい、どうも」

 

 端末をタップして通話を終えた瞬間、警部補は短く嘆息する。

 

「たく、相変わらずうるせえ上司なこった」

「お話は纏まりましたか、警部補」

 

 夜景に背を向けてコナーが問いかけると、ハンクは頷いた。

 

「ああ、まあな。ちょっと古馴染みに会いに行くだけだってのに、大げさにがなり立てやがって」

「ツテと言っていたのは、人物なんですね?」

 

 コナーが首を傾げてさらに問うと、街灯の下、ハンクはふっと皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「まあな。前にも言ったか? 俺はダチがわりと多いほうなんだよ」

 

 そうして、彼は歩き出す。

 

「ほら、こっちだ。……そうだコナー、お前はしばらく口を出すなよ。問題ないとは思うが、けっこう気性が荒い奴だからな」

「わかりました」

 

 しっかりと返事したのに、ちらりとこちらを見たハンクの目は少し疑わしそうなものだった。

 それに僅かに不満を覚えるが、しかし、今は事件の捜査を優先するべきだ。

 コナーは言いつけ通り、口を閉ざしたまま警部補について歩いた。

 数分して到着したのは、それなりに大きな建物――港湾地区関係の事務所だ。

 中に明かりが点いている。

 

「あいつ、まだ事務所にいるのか。なら話が早い」

 

 窓を一瞥してそう言うと、ハンクは無遠慮に事務所の扉を開いた。

 するとその奥には、ちょうど一人の男性が立っている。

 白髪交じりの茶色い髪、大柄だが少し脂肪がついた体格。身に纏っているのは一般的なビジネススーツだが、その目つきはどこか“堅気らしからぬ”険しさを湛えており、顔にはいくつかの古い創傷があった。それを裏付けるように、彼には複数の犯罪歴がある。年齢は【64歳】、職業は【港湾労働者組合 組合長】、その名前は――

 

「よう、テディ」

 

 男性、【テディ・バッシュ】を親しげにそう呼ぶと、ハンクは軽く片手を挙げて彼に歩み寄った。一方でテディは、突然の来訪者に身を強張らせていたが、相手がハンクとわかったのだろう、ぱっと破顔して彼を迎える。

 

「ハンクか! お前、久しぶりだな」

 

 太く大きな声でそう応えると、テディは軽く警部補の肩を叩き、続けて語った。

 

「最近姿を見ねえから、てっきり死んだのかと思ってたぜ」

「まだ生きてるよ。お前こそ、老けたが元気そうだな」

 

 ハンクの軽口にテディはさらに応えようとし、そして、こちらの存在に気づいたようだ。

 彼は怪訝な顔で、警部補に問いかける。

 

「……そこのアンドロイドは? お前のツレか?」

「まあ、そんなとこだな。コナーってんだ」

「どうも、はじめまして」

 

 さっきは口を出すなと言われたが、ここは挨拶するのが礼儀というものだろう。

 コナーが短く述べて、軽く会釈すると、テディは少し目を丸くした。

 それから、苦笑を浮かべる。

 

「ハンクがアンドロイドのツレを、ねぇ。ま、心変わりも当然かもな。人間なんざ、言うこと聞かねえで勝手ばかりやりやがる」

「ふうん、なんかトラブルか?」

「しょっちゅうさ。ま、立ち話もなんだし」

 

 テディは立てた親指を、自分の背後に回した。

 

「狭い場所だが、入ってくれや。秘書はもう帰っちまったが、茶ぐらいは出して……おっと、コナーだっけか。失礼、あんたたちは飲めないんだったな」

「お気遣いなく。お話を伺えれば、それで結構です」

 

 コナーは、にこやかにそう応えた。

 どうやら――いつものごとく。ハンクの友人というのは、どこか社会の規範からは一歩外れた、しかし気の好い人々ばかりであるらしい。

 テディに招かれ、コナーとハンクは事務所内に立ち入った。

 いくつかのデスクと椅子、応接セットが並ぶ、ごく一般的な室内の様子。木材を基調とした壁に大きな魚の剥製が飾ってあるところだけは、いかにも港湾労働者組合といった趣だろうか。

 

 応接用のソファに座ると(席があったのでコナーも着座した)、ハンクは相手の茶を待つこともなく、単刀直入に切りだした。

 

「最近、調子はどうだ? 変異体たちが退職してから、様子が変わってきたんだろ」

「ああ、よくわかったな」

 

 ひときわ大きなソファにどっかと腰かけたテディは、ハンクの言葉に素直に驚いている。

 

「アンドロイドが作業員の9割占めてた頃は、そりゃあ平和なもんだったさ。あいつら命令は守るし、ヤクもやらねえしカネも受け取らねえ。お蔭でここの切り盛りも楽なもんだったんだがな」

「また10年前に逆戻りか?」

「そこまではいかねえ。けど、つい先週も“大掃除”だ。博打も大酒も許してやるが、ヤクだけは絶対に許さねえって言いつけてあったのになあ」

 

 忌々しいものを思い出したといった口調で、テディは顔を顰めている。

 

「調べてみりゃ、レッドアイスのパイプ持ち野郎だらけだ。全員しばき倒してクビにしてやったがよ。ハハハ」

 

 要は、レッドアイスの吸入器を持っていた作業員を全員解雇した、ということだろう。「しばき倒して」の部分は――十中八九、法に触れるだろう箇所だが――意図的に取り上げないようにする。たぶん、こういう人物だから、ハンクは事前にこちらに「口を出すな」と警告したのだろう。

 

 かたや、ハンクは鷹揚に友人の言葉に頷くと、ふいに声を低めて言う。

 

「そんなお前に、こういうニュースは実に気の毒なんだがな」

「あ?」

「お前のシマで、ヤクの取引しようって奴がいる」

 

 瞬間――テディの表情が変わった。

 笑みが消え、その目が冷酷な光を宿しはじめる。

 

「……ここで? ハンク、冗談かましてんじゃねえぞ」

「俺がそんな冗談言うと思うか」

「ああ、言わねえよな。知ってる」

 

 苦々しげにそう応じて、テディは天井を仰ぎ見る。その彼に向かって、ハンクはさらに語った。

 

()()()()()んのは、まあたぶん新興の連中だな。新型のレッドアイスをどっかで作って、余所に売りに出そうってクズ野郎どもだよ」

「クソが……ケツメドに真っ赤な石炭ぶちこまれた気分だ」

 

 テディのストレスレベルが著しく増大し、こちらを向いたその額には青筋が浮かんでいる。

 しかし、肛門に燃える石炭とは恐ろしい事態だが、彼はそんな目に遭った経験があるのだろうか。それとも、単なるスラング的な比喩表現だろうか。

 コナーがプログラムの片隅でそんなことを考えた次の瞬間、テディの拳が応接のテーブルを強く叩く。

 衝撃でかなりの音が部屋に響いたが、それにも負けずに彼は言った。

 

「よし、任せなハンク。お前がなんだってここに来たのかわかった。なんでも話す。なんでもやってやる」

「んなこと言っていいのか? お前ももうトップになって4年だ、色々あるだろ」

「構いやしねえよ。ヤクの売人どもがここをうろつくと考えただけで、オレのこの耳が疼きやがる」

 

 そう告げて、さっと掻き上げた彼の右耳は、字義通りの意味で”半分しか”なかった。

 我知らずコナーは目を見開いてしまったが、ハンクは既によく知っているのだろう、顔色を変えはしない。

 

 テディのその傷は、かなり古いものだ。だが推測するに、鋭利なナイフ状のもので削がれた傷である――なるほど。彼がこの港湾地区でどんな目に遭い、ハンクとどのようにして友情を築くに至ったのか、説明されずともおおむね予想できた。

 そういう事情があるからこそ、ハンクは彼を信用し、取引の情報を明かしたのだろう。

 

「心強いこった」

 

 ハンクはシニカルな笑みと共に言うと、テディに二つ頼み事をした。

 一つ、明日にかけてツーク=ルージュ港を行き来する船の情報を開示すること。

 もう一つ、取引に加担しそうな労働者の心当たりを教えること。

 

 しかし一つ目はすんなりと叶えてくれた――すなわち、タブレット端末を気軽に渡して寄越したテディも、二つ目には首を横に振る。

 

「言ったろ、ハンク。先週“大掃除”したばっかだ。いくらなんでも、ウチのモンがこれ以上ヤク漬けになってるとは思いたくねえよ」

「カネを受け取るような奴は?」

「全員とっくに、顎の骨とおさらばしてるさ」

 

 【私刑および暴行に関する発言】が音声プロセッサに届いているが、コナーはもう一度意図的に無視し、ハンクから渡された端末をチェックしていた。

 

 端末には、この港湾地区の地図と、どの埠頭からどのような船が発着するのかに関しての情報が併記して表示されている。

 だがテディに、怪しい波止場の心当たりがなさそうなのも当然である。それぞれの埠頭に着く船はどれもデトロイト市内の一大企業のものばかりであり、こうした荷物に何かを紛れ込ませるというのは、よほど慎重にやらなければ即座に発覚してしまう。

 つまり、リスクが高すぎる。吸血鬼の組織といえど、あまりに危険すぎて二の足を踏みそうな状況だ。

 

 では、空いている波止場はないか――そう思って見ると、地区の南端に位置する「11号南埠頭」だけは、終日工事中で何も発着しない。

 もしかすると、ここなら。

 

「バッシュ氏。すみませんが、この埠頭の工事現場に監視カメラは設置されていますか」

「ああ。経費の都合で、夜の間しか動かしてねえがな」

「確認しても?」

 

 テディは促すように手を振った。

 

「おう。見れるもんなら、好きにしな」

「ありがとうございます」

 

 短く礼を述べ、コナーはスキンを解除した手で端末に触れた。

 遠距離にあるカメラであっても、このタブレットのように、同一のネットワークに接続されている端末があるならば話は別である。

 アンドロイド用の操作センサーを介し、少し手を加えれば――この通り。

 

「どうだコナー、何か見えたか」

「はい、警部補」

 

 端末を彼に、そしてテディにも見えるようにかざす。

 タブレットの液晶には、夜の波止場――工事中の「11号南埠頭」の光景が映し出されていた。しかしながら、そこには現在誰もいない。

 埠頭で行われている工事というのも本当で、崩れてしまったコンクリート部分をビニールシートが覆っていた。河面には、【起重機船】をはじめとした作業用の船が浮かんでいる。

 これでは、工事に紛れて貨物船を泊めるというのも無理だ。

 たとえ泊めたくとも、それに見合う場所がない。【中型程度の船なら可能】かもしれないが、その規模の船では大量の貨物を――つまり、レッドアイスを詰め込むスペースがないのだ。小規模な取引ならわざわざ港湾を利用する意味がないと考えると、その線は薄いだろう。

 

 さらに、明日ここを発つ予定のレッドアイスそのものも、今は波止場にないようだった。

 工事現場の資材の中に隠されているのでは――と考えてしばらく映像を精査したものの、それらしいものは80%以上の確率で存在しない。

 彼らは、どこに荷を隠したのか。または、どうやって荷物を運び込むつもりなのだろうか。現段階では、判断がつかない。

 

 ということを説明すると、いきり立ったのはテディだった。

 

「クソッ、じゃあいったいどこにあるってんだ!? いっそのこと、船の底を全部バラしちまうか!」

「落ち着け、テディ」

 

 淡々と友人を宥めると、ハンクはこちらを向いた。

 

「見た限りじゃ、何かありそうなのはそこくらいなモンだがな。まさか組織の奴ら、本気で芋引いたってのか?」

「いえ。まだ何か、見落としていることがあるのでは……」

 

 コナーは自分に対して呟くように言うと、もう一度端末を見つめた。

 すると、映像の視界の奥に動くものがある――河面を横切って移動する、一隻の中型クルーザー。

 

 何気なく、コナーはテディに質問する。

 

「この港湾地区には、よく観光船が来ますか?」

「ああ、まあな」

 

 青筋は立てたままながら、幾分落ち着いた様子で彼は答えた。

 

「サイバーライフの本社があるベル島の周りをぐるっと回って、そのまま河を下ってこっちまで下りてくるツアーだかなんだかもある。この辺りの水面を観光客が船でウロウロしてても、まぁ、別に変じゃねえぜ」

「そうですか……」

 

 推論のためのプログラムが、得られた情報を素早く組み立てていく。

 ――実際に工事中の波止場。大型の船は泊まれない。貨物らしきものも見当たらない。

 しかしながら、観光船はよく通るという環境。運行していても怪しまれない状況。

 さらに、テディの発言――人間の従業員に比べて、アンドロイドの従業員に対しての信頼が高まっているというこの港湾地区の実像。

 

 合わせて、アンドロイドの身体的な特徴。

 

 やがて、一つの結論が浮かび上がってくる。

 

「……わかりました」

 

 コナーは、穏やかに告げた。

 

「現段階ではあくまでも仮説ですが、おおむねの予測は立てられました。やはり組織が取引をするのは明日、この埠頭でだと思われます」

「何ッ……!」

 

 再び気色ばんで立ちあがろうとしたテディを制し、ハンクは真剣な眼差しで言う。

 

「なら、その予測ってのを聞かせてもらおうか」

「はい」

 

 それから数分、コナーは自分の推理を開帳した。

 聞いていくうちにテディの顔は(怒りで)真っ赤に染まっていったが、それに対してハンクは次第に、何か考えついたかのように険しい面持ちになっていく。

 

「――以上です」

「ふん……」

 

 こちらが語り終わると、鼻で相槌を打つように、ハンクは小さく唸る。

 

「お前の言うことが正しいなら、事が動くのは明日になってからだな」

「ええ。しかし午後になってからでも張っていれば、きっと現場を押さえられるはずです」

 

 コナーは真摯にそう応えた。

 しかし、ハンクは首を横に振る。

 

「いや、それじゃ駄目だな」

「……どういう意味です?」

「ヘイ、ハンク! なんのつもりだよ」

 

 ついに立ち上がったテディが、警部補に食ってかかるように言った。

 

「オレはこの兄ちゃんの推理に乗ったぜ! オレのシマを荒らす野郎にゃ、地獄を見せてやらなきゃなんねえ」

「ああ、お前は正しいぞテディ」

 

 ハンクは、至って冷静な口調を崩さずに応える。

 

「俺たちだって、いい加減何度も踊らされて頭にきてんだ。……だがここで実行犯の野郎どもをとっ捕まえたところで、いつもと同じようにトカゲの尻尾切りされるだけだろ」

 

 後半部分はコナーに向けて、彼は語っている。

 ハンクの言うことは、確かに、理にかなっていた。これまで組織の末端の構成員や、協力者の逮捕には成功していても、それ以上の立場の者は探り当てられてすらいないのだ――吸血鬼以外は。

 そして吸血鬼そのものは、現在もどこかを逃亡中なのである。

 だが、しかし――

 

「では、どうすると?」

「だから今度は、こっちから仕掛けるんだよ」

 

 ――仕掛ける?

 思わずこちらはきょとんとしてしまうが、一方でハンクは、いかにも良いことを思いついたと言わんばかりに目を細めている。

 

「ま、吸血鬼を操ってる連中も、いい加減気づくべきなのさ。――誰かを狩って楽しむような奴は、同じように誰かに狩られるもんなんだ、ってな」

 

 それからのハンクの行動は、実に手早かった。

 かなりの時間を共有してきたコナーであっても、少し驚いてしまうほどに。

 だがよく考えてみれば、それも当然なのかもしれない。

 ハンク・アンダーソンは、紛れもなく、かつてレッドアイス対策チームのリーダーだったのだから――港湾を使った「釣り」は、得意中の得意なのだろう。

 







港湾において、港湾労働者組合は最強……
『イレイザー』にもそうあります。

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