Detroit: AI   作:けすた

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第23話:兄弟/Myrmidon

 

――2039年6月7日 18:26

 

 

 プロペラ音を立てながら、ヘリコプターは離脱していった。

 翳りはじめた陽光が、ゴーディハウ国際橋の上を照らしている。

 白く巨大な橋の両端は今、警察の車両とシールドを構えたSWAT隊員たちによって完全に封鎖されていた。橋の下、デトロイト河の水面にも、警察の所有するボートが大量に控えている。仮に飛び降りたとしても、陸地に辿り着く前に、捕捉されてしまうことだろう。

 

 だからここには邪魔も入らないし、逃げられもしない。

 文字通りの意味で、ここが決戦の場だ。

 

 軍用アンドロイド・「吸血鬼」と、それに抗しうる性能を持った唯一のアンドロイド――すなわちRK900・ナイナーとの決着の時。

 

 ナイナーに従う8機のドローンたちは、駆動音も立てずに、整然と主人の周囲で配置についている。

 

「すみません、通ります!」

 

 アラン隊長たちと共に乗った装甲車が橋の上に着くやいなや、コナーは車から飛び降り、すぐさまSWATたちの配置の最前線に駆けつけた。

 他の隊員たちと同じようにライオットシールドを構え、その後ろに控える。

 コナー自身の視覚プロセッサでは、遠くで身構えている弟の姿と、横倒しになっているバイクしか見えない。

 だが――

 

『どうだ、コナー』

「大丈夫、リンクできました」

 

 通信の向こう側からのハンクの問いかけに、コナーは短く頷いて答えた。

 自身の視界の端に、アネモネのカメラからの映像が表示されている。この映像は一度ナイナーの映像分析を経由したうえで、こちらに送信されているものだ。だからようやくコナーにも、()()()光景が見えるようになった。

 

 右手を前に、左手を奥にして、冷静な灰色の瞳で揺るぎなく前方を見据えている弟の姿と――物理シミュレーションと同じように、単純な白いシルエットの人型で表示されている吸血鬼の姿が、鮮明に。

 

 光学迷彩を起動して「透明」になったままの吸血鬼は、今日もタンクを背負い、右手には鋭い先端の吸い込み口を取り付けていた。さっきまでSWAT隊員たちに向けようとしていたアサルトライフルの形状もまた、この視界でははっきりと映し出されている。

 

 ライフルを手にしたまま、吸血鬼はしばし、何か考えてでもいるかのごとく動きを止めた。

 だがややあってから、戦闘の優先順位を定めたのだろう。

 熟達した軍人のように素早く正確な動きで銃を構え直すと、間髪入れずに、ナイナーに向けてライフルを斉射する!

 

 音声プロセッサに、低く轟くような発砲音が連続して届く。そればかりでなく、コナー自身の視界にもまた、【毎秒17発】というすさまじい勢いの弾丸の嵐が解析され、表示されていた。

 もしあそこにいるのが自分なら、遮蔽物もない環境では、いくら弾丸を視認できていたとしても間違いなく蜂の巣にされているところだろう。

 

 乗り捨てられたバイクのエンジン部が被弾し、黒い煙があがる。

 周囲で事態を静観している――万が一ナイナーが敗れた時には、身を挺して街の治安を守る役回りである――SWAT隊員たちの間にも、無言の動揺が広がるのをコナーは感じた。

 

 だが弟は動じない。わずかにLEDを点滅させてドローンたちに指示を飛ばし、そのまままっすぐに吸血鬼へと突進していく。

 最初の数発を除き、弾丸が彼に届くことはない。ドローン6機がその白と黒の機体の一部を傾け、強固な盾となって彼を守っているからだ。

 ドローンたちに限界まで自分の身を守らせ、隙をついて吸血鬼に肉薄し、彼を変異させる。

 それがナイナーの、そしてデトロイト市警にとっての「勝利」である。

 ライフルの奏でる轟音、そしてドローンたちが弾を跳ね飛ばす金属音が、断続的に橋の上に響いた。

 

 しかし――

 

「……?」

 

 ナイナーが吸血鬼まであと数メートルの距離にまで到達した時、不意に、斉射が止む。

 

 弾切れだろうか――

 コナーの思考モジュールをそんな言葉が過ぎった瞬間、さっと吸血鬼が腕を振って後退したかと思うと、アネモネの視界が、飛来物を【3つ】検知した。

 ひしゃげた球体に、金具が取り付けられたような物体。コナー自身の視界では、光の屈折でかすかに形状が見えるに過ぎない。けれどドローンの映像を分析すれば、その正体はすぐにわかる。

 

 爆発すれば数メートル範囲の生物を死に至らしめる威力を帯びたそれは、【手榴弾 MG69グレネード】。

 スカーレットオアシスの捜索時、ナイナーに手傷を負わせたものと同じだ! しかも3つも――

 

 ドローンたちの盾を飛び越えるように、それは山なりになって弟に迫っていく。

 分析結果に表示された爆発までの残り時間はあと【5秒】。

 逃げようにも、猶予などない!

 

「ナイナー!」

 

 通信を介し、コナーは弟に警告した。

 だがナイナーは、どうやら、既にそれを察知していたらしい。

 

『心配は不要です』

 

 いつもと同じ、淡々とした抑揚のない声がコナーの通信機能に届く。

 それを告げる間に彼は地面を強く蹴り、ふわりとジャンプしていた。広げた両手で一発ずつ「透明な」手榴弾を掴み、無造作に手を振った勢いでそれらを橋の外、はるか上空に放り投げる。

 残った一発は、移動してきたドローン4号機・デイジーが射出した、犯人確保用の網が捕らえていた。網は手榴弾を絡めとり、撃ち出された勢いのまま橋の欄干の向こうに飛ばされていく。

 

 わずかな間を置いて、響く3つの爆発音。

 だが、それに巻き込まれたものは何もなかった。

 花火のごとく瞬間的に空に光と熱を巻き起こしたそれは、虚しく爆ぜて消えていく。

 アスファルト舗装の上に、破片の一部がぱらぱらと雨のように降ってきた。

 

「……」

 

 重い音と共に着地したナイナーは、再びまっすぐに吸血鬼に向き直る。

 当然、その身体には一つも傷がついていない。

 当てが外れたらしい吸血鬼は、またライフルを構えるも、じっと敵対者の様子を観察するようだった。

 

 ――よかった。

 それを見つめるコナーの胸中に広がるのは、深い「安堵」の感覚だった。

 そもそも心配する必要などなかったのだろうが、それはそれとして、ほっとしたのだ。

 あの攻撃を無傷で防ぎきるなんて、さすがはナイナーだ。

 

「おお……!」

 

 隣に控えている若手のSWAT隊員が思わず感嘆の声をあげ、後ろの上官に小突かれている。

 それとほぼ同時に、視界の向こうで、隙なく構えを取った状態のナイナーが、静かに口を開いた。

 

「警告します」

 

 彼の平坦な声音は、どこか鋭さを帯びて橋の上に響く。

 

「私は既に、あなたの戦闘パターンを解析しています。これ以上の抵抗は無意味です。即時投降を要求します」

「……」

 

 吸血鬼は応えない。

 それに対してゆっくりと、ナイナーは右手の人差し指を突き出して再度告げた。

 

「……わかりますか。私は、あなたを操作する人物に警告しています」

「…………」

 

 それでもなお、吸血鬼は一切の身動きを見せない。

 彼を操っている人物が戸惑っているのか――それとも、何か勝算があってああして佇んでいるのか。

 

『そっちの様子は、俺も映像で確認してる』

 

 戦闘の間隙を縫うように、警部補から通信が入ってきた。

 

『吸血鬼とのドンパチはお前らに任せる。コナー、弟を援護してやれよ!』

「もちろんです、警部補」

 

 こちらが短く答えると、邪魔をしないようにという配慮だろうか、ハンクからの通信は素早く切られる。

 シールドの後ろから経過を観察しつつ、コナーは、改めてこれからの戦闘行動を予測した。

 

 ――困難な状況だ。

 思考プログラムは、現状をそう評価した。

 ナイナーの戦闘力があれほど高くとも、吸血鬼を破壊するのではなく、変異させるための戦いは容易とはいえない。

 

 吸血鬼は装甲を纏っている。それは吸血鬼「本体」と呼べるアンドロイドとしての機体を覆ってはいるが、流体皮膚技術を応用したと思しき光学迷彩が装甲にまで及んでいることを考えると、装甲そのものもまた、アンドロイドの機体表面と同じような機能を持つと推測できる。

 つまり通常の通信時と同様、相手の手に触れさえすれば、吸血鬼のメモリーにアクセスできるはずだ。

 そうすれば「機械」として黒幕の命令に従っている彼の意志を解き放ち、かつてスカーレットオアシスで苦しむアンドロイドたちを救った、英雄の意識を呼び覚ますことができるだろう。

 

 だがしかし――サイバーライフタワーの地下49階でコナー自身も体験したように――アンドロイドを覚醒させるには、触れてから数秒の時間を要する。

 瞬時に、あるいは遠方から相手を変異させるなど、それこそマーカスでもなければ不可能な芸当だ。つまり吸血鬼を変異させるためには、彼にしばらく()()()()()いなければならない、というわけだ。

 

 力の限り抵抗する相手に対し、それは相当に危険な行為である。

 ナイナーの戦闘履歴によれば、吸血鬼は組み伏せられても、関節部を強引に外して逃亡してしまうという。組み付くのではなく、相手が無抵抗となった瞬間を衝いて、変異させなければならない。

 すなわちそのために、相手が完全に無抵抗となる状況を作る必要があるのだ。軍隊並みの銃火器を所有する相手を、こちらは可能な限り徒手のままで。

 

 果たしてそんな方法があるのか――

 

 相手の思考および戦闘行動を計算したプログラムは、瞬時にいくつかの解決策を提示してきた。

 そしてそのうちで最も実現可能性が高い選択肢は、やはり、昨夜のミーティングで弟が提案してきたものと同じであった。

 

 

***

 

 

――2039年6月7日 02:43

 

 

「打開策は複数存在します」

 

 第5ミーティングルームにて――兄弟二人での作戦会議の場にて、向かいの椅子に腰かけているナイナーは、常と同じく淡々とそう告げた。

 

「最も有効性が高いのは、仮称・吸血鬼の脚部関節の破壊。移動を不可能にした状態ならば、変異への所要時間中、対象による反撃・逃亡の危険性が大幅に低減されます」

「確かに……相手がアンドロイドなら、それが一番かもしれない」

 

 顎に手を置き、少し考えてから、コナーは弟に同意する。

 人間や、その他の生物と違って痛みを感じないアンドロイドと戦う場合、相手の抵抗を完全に止めたければ、システム維持が困難になるレベルのダメージを与えるか、関節部を破壊するなどして、物理的に動けない状態に追い込むしかないだろう。

 本来ならば怪我など負わせずに確保したいところだが――相手が相手だ、そうも言っていられない。それに関節部ならば、パーツを交換すればすぐに修理できる箇所である。

 

「君の力なら、武器を持っていなくても、それくらいのことはできるだろう。問題は、無事に近づけるかどうかだけど」

「はい。加えて、懸念事項が一つ」

 

 灰色の瞳を少しだけ床のほうに向けて、ナイナーは言う。

 

「昨日の戦闘では……半自動操縦状態のドローン1機をハッキングされ、結果、状況が悪化しました。サイバーライフによって当該ネットワークの脆弱性は対策されましたが、再度同様の事態が発生する確率は12%です」

 

 さらに顔を俯けると、彼は続けて語った。

 

「12%、であれば……通常は、憂慮に値しないと判断されるべき、でしょう。しかし私は……これ以上の過失により、ドローンたちを破壊される危険は回避したい、と判断しています」

「ナイナー……」

 

 俯いたままの弟は、相変わらずの無表情である。けれど今の彼が強い後悔と不安に襲われているのだろうことは、強く伝わってきた。

 

 サイバーライフからすれば、ドローンは消耗品である。たとえ破壊されたとしても、いくらでも替えのきく存在として認識されているはずだ。

 けれど弟がドローンたちを、まるで戦友のように大切にしているのを、コナーはよく知っている。1機ごとに草花にちなんだ名前をつけて、自らの手でメンテナンスを行って――

 それなのに昨日は、そのうちの1機が完全に破壊されてしまった。

 すぐに「代わり」が来たとしても、簡単に割り切れるものではないだろう。

 

「わかった、そういうことなら」

 

 努めて明るい声音で、コナーは語りかける。

 

「僕がドローンのネットワークを監視するよ。橋の上に待機して……近くにいれば、不測の事態にも対応できるだろう」

「!」

 

 顔を上げ、弟は幾度か瞬きをした。少し驚いているような――けれど、その瞳には温かいものが戻っている。

 

「本当、ですか。……ありがとう、兄さん」

「ああ、もちろん。僕の耐久力じゃ、一緒に戦っても足手まといだけど、それくらいなら役に立ってみせるよ」

「いいえ」

 

 小さく首を横に振ってから、ナイナーは繰り返した。

 

「いいえ……とても心強い、です。では加えて……もう一点、提案します」

「なんだい?」

「ドローン1機の操縦権限を、一時的に兄さんに付与します」

 

 弟は静かに、かつすっかり落ち着いた様子で語る。

 

「そうすれば、仮に私の認識機能が阻害される事態が発生しても、援護の受理が可能です。また、ドローンのカメラと私のソフトウェアを経由して状況を視認すれば、吸血鬼の状態把握も可能となるでしょう」

「そうだな。君と視界を共有したほうが、サポートしやすい」

 

 自分の処理能力では、ナイナーのドローンを操縦したとしても、同時に5機が限界だ。だが1機であれば、精密操縦しながらナイナーを援護する、というマルチタスクも問題ない。

 一時的に借り受けるのは、かなりいいアイデアだ。

 コナーの返答に、ナイナーは、ゆっくりと頷きを返した。

 

 

***

 

 

――2039年6月7日 18:38

 

 

 そういった経緯から、コナーは作戦開始時より一時的に、1号機・アネモネの操縦権を得た状態になっている。

 今のところは、アネモネを介して状況を把握しているに過ぎない。監視しつづけているドローンとRK900の間のネットワークも正常で、ハッキング攻撃も受けていない。だが何か事が起きた時には、すぐに動けるようにしておかねばならない。

 

 コナーが改めてそう結論づけ――ナイナーが吸血鬼を操る人物に対し警告を発した、その直後。

 アネモネの視界の中で、吸血鬼が動いた。

 

 吸血鬼は自らの背に手を伸ばし――タンクの真横に銃火器を装備していたらしい――先ほどまでと同型のアサルトライフルをもう一丁、閃くような速さで左手に構えると、右手のものと合わせて一気にトリガーを引く。

 いわゆる“両手撃ち”だ!

 

「気をつけろ、ナイナー!」

 

 通信ではなく、思わず音声でコナーは警告を発していた。

 ほぼそれと同時に、吸血鬼の弾丸が先ほど以上の強烈な暴風雨となってナイナーに迫っている。

 弟は沈着冷静に再びドローンで「盾」を形成し、まっすぐに相手に向かっていっているが、それでも彼から逸れた弾丸のいくつかが、待機している後方のSWAT部隊にまで飛んでいくほどの勢いだ。

 相手は何がなんでも、ナイナーを近づけさせないつもりらしい。

 

「……!」

 

 ナイナーは怯まず、全速力で突進している。並行するドローンの盾は変わらず強靭で、アネモネの視界を介しても、表面に軽微な凹みが認められる程度だ。アサルトライフル二丁の猛攻など、ものともしないらしい。

 先ほどは手榴弾で牽制されてしまったが、もうその手がRK900に通用しないということは、当然向こうも理解しているはずだ。

 状況は、ナイナーに有利だといえる。

 

 ――だが問題は、近づいた後だ。相手に攻撃するためには、ドローンの盾を外さなければならない。そして至近距離で何か仕掛けられたとして、弟はそれを凌ぎ切れるだろうか。相手に隙を生じさせられれば、なんとかなるかもしれないが。

 

 シールドの陰からアネモネを操縦しながら、状況を分析するコナーの眉間に、我知らず皺が寄る。

 そうこうするうちに、ナイナーは吸血鬼まであと数メートルの位置に再び到達した。

 

 ドローン6機の整然とした盾が一定の速度で吸血鬼との距離をさらに縮め、前進していき――両手撃ちをひたすら続けていた吸血鬼が、何かを仕掛けようとするかのようにかすかな身動きをみせる。

 

 しかし、先に仕掛けていたのはナイナーのほうだった。

 

「あれは……!?」

 

 後方のSWAT隊員たちが、どよめきを発する。

 ほぼ同時に、コナーもまた目を見開いていた。

 変わらず前進しつづけているドローンの盾の上空に、一気に跳び上がった影が一つ。

 白と黒とを纏ったアンドロイド、ナイナーが、自身の脚力と機動力を使って思い切りジャンプしたのだ。

 

 およそ人間にも、また大抵のアンドロイドにも不可能なほどの、まるで鳥のような大ジャンプ。

 己の脚力のみでビルの屋上まで跳び上がってみせた吸血鬼を超えるスペックを持つナイナーでなければ、こうはいかない。

 

 先ほどの手榴弾の意趣返しのように、ナイナーは大きく山なりの軌跡を描いて吸血鬼に上から肉薄していく。敵がドローンの盾の後ろに隠れて移動しているもの、と判断していた様子の吸血鬼の反応は、わずかに遅れていた。

 吸血鬼の持つアサルトライフルの銃口が、ナイナーのほうに向けられる。

 だがそのトリガーが引かれるより早く、宙でくるりと一回転したナイナーは、右脚を大きく伸ばして落下する。

 

 自由落下の威力にナイナー自身の機体の全重量が乗った踵落としが、吸血鬼の脳天に炸裂した。

 

「……!!」

 

 たまらず、吸血鬼はライフルを取り落とす。フルフェイスのヘルメット越しとはいえ機体への衝撃は相当なものだったらしく、装甲の一部がひしゃげ、光学迷彩が一時的な不具合を起こして明滅していた。

 そして、その隙を逃すナイナーではない。両足で地面に降り立つと上体を屈め、相手の右脚めがけて手を伸ばす。作戦通り、機動力を削ごうとしているのだ。

 

「……!」

 

 しかしこちらの狙いは、吸血鬼に悟られてしまったらしい。迫るナイナーの動きを止めようと、空いた両手を拳にした軍用アンドロイドは、一発、二発と打撃を繰り出してきた。

 一発目を避け、二発目が頬に掠めたナイナーは、構わずに相手の膝を掴もうとする。

 

 その時、吸血鬼が右腕を不自然に伸ばした。

 否、違う。伸ばされているのは吸い込み口――奴の切り札たる「槍」での攻撃だ!

 

 一瞬、コナーの思考上を昨日の光景――不覚にも右肩を傷つけられてしまった時のことが過ぎる。

 だがその心配は、やはり、無用のものだったらしい。

 

 アネモネを介した視界の中で、弟は、微塵も表情を揺らがせぬままに身を半歩横にずらした。左腕を上げて脇の下に「槍」の攻撃を誘い込み、そのまま脇を閉じてしっかりと、金属製の吸い込み口を挟み込む。

 そして両手で「槍」を掴むと――無表情な面持ちのまま、瞳に強い光を漲らせて――力を籠め、それをへし折った!

 

 吸血鬼のタンクから吸い込み口はホースごと引き剥がされ、それと同時にホースの光学迷彩も剥がれ、肉眼で確認できるようになった。ナイナーによって無造作に投げ捨てられた「槍」は、橋の舗装とぶつかり、けたたましい音を立てて転がっていく。

 

「おおお!」

 

 初めて明確に吸血鬼に与えられた「ダメージ」を目撃し、SWAT隊員たちから喜びの声があがる。

 コナーもまた、弟の機転に思わず表情を緩めた。視界の中ではナイナーが、すかさずもう一度相手の片脚へのタックルを敢行している。対して吸血鬼は、切り札を奪われた右手を後ろに回すと――

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――まずい。あの手は弟からは死角だ!

 

「ナイナー!!!」

 

 肉声で、そして通信で、同時に力の限り呼びかけながら、コナーはアネモネを全速力で駆動させた。

 吸血鬼とナイナーの間にほんの少しある空隙にアネモネの機体を滑り込ませ、「盾」を起動し、弟の頭部をガードする。

 

 その瞬間、まさに爆発音と形容するべき轟音が橋上に鳴り響いた。

 

「……っ!」

 

 そのまま吹き飛ばされるアネモネ、そしてそれを抱きとめるようにして後ろに飛ばされた弟の姿を見ながら、コナーは軽く歯噛みした。

 アネモネを介した映像が、激しく乱れている。そしてリンク先である機体が受けた物理的衝撃も、【レベル2の損傷】としてプログラムにレポートされていた。

 

 一瞬喜びに沸いていた隊員たちは、冷や水を浴びせられたように慄然としている。

 当然だ、彼らの目には――そしてコナー自身のプロセッサでもそうだが――見えていないのだから。

 

 吸血鬼がその右手に握り、発砲した銃器――光学迷彩を纏った【MS876ブラックマンバ 60口径 弾数17発】の、「拳銃」のカテゴリーに入れるにはあまりにも大きすぎる、その異形が。

 

「ナイナー、無事か!?」

『はい、兄さん』

 

 こちらの通信に答えつつ、ナイナーはすかさずドローンたちを招集し、自分の前で盾を形成させた。

 それと同時に(ナイナーにダメージが入らなかったのを悟ったのだろう)吸血鬼がそのまま何発も発砲してくるのを、ドローンたちは懸命に弾き飛ばしている。

 

「すまない、咄嗟にアネモネを使った。君に怪我がなくてよかったけど……」

『問題ありません、アネモネは無事です。また当該拳銃に装填された弾丸は、象撃ち用のライフル弾と断定。命中すれば、私のシステムは停止したでしょう』

 

 淡々と彼は通信で語りつつ、腕に抱えていたアネモネを離し、それから路面を蹴って走り出す。

 吸血鬼に向かって、ではない。相手を中心とした円を描くように、橋の上をぐるりと走り出したのだ。

 その彼に対し、まさに“機械的”な正確さで、吸血鬼は迷わずに銃を発砲している。その度に強烈な音が橋上を揺らす。アサルトライフルの両手撃ちもそうだが、あの威力の拳銃を片手で、まったく反動を受けずに撃ちつづけるなど、強靭な機体と運動性能を誇るアンドロイドにしかできない所業だ。

 

「……」

 

 無言のまま気を取り直し、コナーはドローンとの接続状況を確認した。

 アネモネは――弟の言葉通り、問題ない。損傷を受けてはいるし、さっきのようなスピードではもう飛べないが、カメラと滞空性能には影響がなかったようだ。

 

 しかし、状況は一変してしまった。

 象撃ち用、すなわち大型動物の狩猟を目的として開発された弾丸の威力は、もはや対人用とはいえない規模だ。そんなものをあの局面になって持ち出してくるとは、間違いなく、あの銃は相手方にとって対・RK900用の真の切り札である。

 

 つまり、もしあれが直撃すれば、さすがのナイナーといえどもシャットダウンは免れない。

 相手はあれで、ナイナーを不意打ちして殺すつもりだったのだ――そう考えるだけで、温度センサーが誤作動を起こしたかのように「ぞっとした」感覚が襲ってくる。

 

 今、ナイナーはドローンの盾をうまく操縦し、時に身をかわし、あの弾を避けている。だが、このままでは接近できない。というより、接近は危険すぎる。

 先ほどは単純に運がよかっただけだ。もし次に至近距離であれを撃たれたら、その時は一体どうなるか――

 

「ナイナー、どうする? こうなったら、ヘリコプターから支援を頼む手もある」

『いえ、推奨しません。我々は、可能な限り対象を無傷で確保する必要があります』

 

 語る間に、相手の発砲した弾数が【17発目】となる。

 しかし吸血鬼は慌てた様子もなく、腰に取り付けていたらしい予備のカートリッジを銃に淀みなくセットしている。――あれで弾切れ、とはいかなかったらしい。

 

「クソ……」

『対象の弾薬欠乏まで、回避行動を継続します』

 

 当てが外れて思わず毒づいたコナーのプロセッサに届く弟の声は、なおも平坦なものである。そして彼の言う通り、もし吸血鬼の予期せぬ損傷を避けるのなら、相手の完全な弾切れを待つのが一番だ。

 

 だが――果たして、その後はどうする?

 透明な相手のシルエットは、確かにこうして見えてはいるものの、相手の武装がどれほどのものか、今なお完全に把握できてはいない。それが証拠に、手榴弾も、二つ目のライフルも、あの60口径の拳銃も、こちらは後手で対処するしかなかった。

 

 先の見えない戦いで、互いにじりじりと削り合うような状況を重ねていては、いずれ徒手のナイナーが不利となってしまう。

 そうなる前に、事態を打開できるような方法はないだろうか。

 

 実際の時間にして数秒、コナーは可能な限りの精度でプログラムを走らせた。

 弾丸の威力、命中精度、アネモネたちドローンの盾の強度、そして今自分が構えている、このライオットシールドの強度――

 ナイナーの機体の性能、そして自分の運動性能を合わせてシミュレーションを完了した時、一つだけ、解決策が提示される。

 

 ――吸血鬼を無力化し、変異体にする方法。

 今できるのは、これしかない。

 

「ナイナー」

 

 通信で短く呼びかけると共に、立案した作戦内容を送信した。

 受信された直後、弟から返信が入る。

 

『兄さん。これでは、あなたに危険が』

「僕は平気だ、やるしかない。君さえよければ、だけど」

『……』

 

 今も相手の弾丸を凌ぎつづけているナイナーは、ほんの数秒、口を閉ざした。

 ――弟は、反対するかもしれない。

 一瞬そう考えるコナーだが、しかし、通信に届いた返事は異なっていた。

 

『了解しました。実行します』

「いいのか、ナイナー」

『はい、現在は状況の打開に専念すべきです。それから』

 

 一度そこで言葉を切ってから、ナイナーは続きを口にした。

 

『事前に、現場で”ビビるな”と助言を受けました。私は、二度と”ビビり”ません』

「……そうか」

 

 ――やっぱり、頼もしい弟だ。

 こんな時だというのに、コナーの口元は再び緩む。

 それにしても、いったい誰が弟にそんなアドバイスをしてくれたのだろう。ハンクだろうか?

 

 ともあれ、今は作戦を決行する時だ。

 

「行くぞ、ナイナー。気をつけて」

『はい。兄さんも』

 

 通信を切断した直後、ナイナーは走る向きを変えた。

 それまで円の動きを保っていたそれを、一気に、吸血鬼へと直線で移動する方向に変化させる。その極端な変わりように、どうやら、吸血鬼を操る存在は戸惑ったのだろう。数秒のタイムラグの後、吸血鬼は何発も、ナイナーに向けて凶悪な弾丸を発砲した。

 

 一定の距離があった時と違い、こちらから近づいていく動きのために、これまでに何発も弾を受けていたドローンたちの損傷が激しくなっていく。徐々に弾丸の威力を削ぎきれなくなり、彼らは破壊はされずとも、機能不全を起こしていった。

 

 アネモネを除く7機を自身の盾にして、ナイナーは吸血鬼へと突貫している。

 その中で、1機が滞空能力を失って地に落ち、2機が機体の一部を大幅に凹ませ、3機の運動性能が70%まで低下した。

 それでもなお、RK900の疾走は止まらない。自分の機体の保護を後回しにし、唐突に突進してくるその姿は、おそらく軍用アンドロイドの戦闘プログラムにおいては「非合理的」な行動だと判断されるだろう。

 

 ついに残り1機、8号機・ヘレボラスが脱落し、ナイナーを守るものが何もなくなる。

 発砲された【25発目】の弾丸がナイナーの左肩口を掠め、身体の一部を削り取った。弟の青い血が夕暮れの中で霞のように吹き上がる様に、コナーは思わず呻きそうになる。

 

 だがここで自分が立ち止まっているわけにはいかない。

 ナイナーの突進に吸血鬼が気を取られているその隙を衝いて、コナーはシールドを構えたまま立ち上がり、彼らのほうへ向かって走り出す。

 

「おっ、おい! 何を……」

「すみません、お借りします!」

 

 驚くSWAT隊員に一言かけ、コナーは自分の「持ち場」へと急ぐ。

 そう、弾丸の速度、威力、そしてこちらのシールドの角度、ドローンの位置――すべて物理シミュレーションで演算済みだ。後は、その結果の通りに動くだけ。

 少しでも位置がずれれば、死ぬのは自分だ。

 変異体となる前、「機械」だった時から搭載されていた沈着冷静な思考能力をフル稼働させて、コナーは自分自身を作戦通りの位置に移動させる。

 

 計算した位置に到達し、演算通りの角度で盾を構えたちょうどその時、ナイナーが目的の場所、つまり、吸血鬼の眼前に到達した。

 軽く横にステップして【27発目】の相手の弾丸を避けると、ナイナーはスキンを解除した手で、吸血鬼の手首――すなわち、拳銃を握っている右手を掴む!

 

「!」

 

 当然、そのまま変異させられる軍用アンドロイドではない。

 トリガーに指をかけたまま、吸血鬼はナイナーの腹部に重たい蹴りを放つ。

 

「……っ!」

 

 威力に負け、たたらを踏んだナイナーの手が吸血鬼の手首から離れる。――変異はさせられなかった。だが、今はそれでいい。

 吸血鬼が抵抗として放った【28発目】の弾丸。その弾道を、こちらが控えるシールドのほうへと向けられたのなら、それでいい!

 

 ――瞬間。

 象撃ち用のライフル弾は、ライオットシールドに着弾し、上空へと大きく跳ね飛ばされた。

 

「ぐっ!」

 

 着弾の瞬間、思わず、コナーは小さく歯噛みする。

 両手で構えていたというのに、すさまじい威力だ。

 シールドの強度があと少し頼りなければ、間違いなく、貫通した弾丸にシャットダウンさせられていただろう。

 

 一方で、背後のSWAT隊員たちからは戸惑うような声が聞こえる。

 傍から見れば、コナーがなんの意味もなく、ただ前に出て行っただけのように思えるからだ。

 しかしそのどよめきを聞いて、コナーのプログラム上には、任務成功への確証のようなものが生まれる。

 ――こちらの意図は、どうやら、SWATに通じていない。ならばきっと、吸血鬼にも通じてはいないはずだ。

 

 眼前で、ナイナーにまた吸血鬼の銃口が向けられる。

 この距離、そしてドローンが機能不全を起こしている今、今度こそ弾はRK900に届く。

 吸血鬼を操る者は、そう確信しただろう。

 ――だが!

 

 ガキン!

 という短い音が、こちらのはるか上空で聞こえた。

 聞こえたのとほぼ同時に、吸血鬼の足元、右膝の関節部に向かって、()()()()28発目の弾丸が飛んでいく。

 今この場では、RKシリーズの2人以外には、なぜその弾が戻ってきたのかわかりはしないだろう。

 上空にあらかじめ、密かに待機させていたドローン1号機・アネモネ――その「盾」が、コナーがシールドで弾いた弾丸をもう一度弾き、吸血鬼の急所へと導いたのだ。

 いわゆる、“跳弾”である。

 

 ――あの拳銃と弾丸が対・RK900の切り札ならば、性能的に、それは吸血鬼にも致命傷を負わせるだけの威力を持つ。その力を2回の跳弾で削ぐと同時に、関節部のみを破壊するための攻撃に転じさせたのだ。

 通じれば、必ず――!

 

 コナーの視覚上で、弾丸の軌跡ははっきりと捉えられている。

 弾丸は事前の予測通りの速度と角度で、まっすぐに吸血鬼の右脚へと向かい――

 

「なっ……!?」

 

 しかし、驚きを発したのはコナーだった。

 軍用アンドロイドの動体視力は、どうやら、こちらの予測をはるかに上回っていたらしい。

 跳弾が戻ってくる事実に気づいた瞬間、吸血鬼は素早く回避行動をとった。

 相手は拳銃を持った手で急所である頭をガードしつつ、後方にステップして弾丸を避ける。

 虚しく地面に到達したライフル弾は、そのまま橋の舗装上でもう一度跳ね返った。

 そして――

 

「……!」

 

 拳銃を貫通し、吸血鬼のヘルメットに直撃する。

 先ほどのナイナーの踵落としでダメージを受けていたその装甲は、限界を迎えたようだ。

 火花を上げたヘルメットを、吸血鬼は左手で抑えて俯いている。破壊された拳銃が、その右手からぽろりと落ち、地面に転がった。

 

「まさか、シャットダウンを……!?」

「いいえ、兄さん」

 

 こちらに背を向けたまま、ナイナーは冷静に応えた。

 

「彼のシステムは、まだ機能した状態で――!?」

 

 語る間に吸血鬼がまた身動きし、コナーもナイナーも口を閉ざして身構えた。

 吸血鬼は、おもむろに諸手でヘルメットに触れる。火花が散るのに合わせて明滅するようになっていた光学迷彩は、鈍い音と共にヘルメットが外されると、ようやく機能を停止した。

 

 どうやら、あのヘルメットに搭載された演算機能で、光学迷彩機能を制御していたらしい――と、推論するのも束の間。

 露わになった吸血鬼の頭部――黄色く点滅するLEDリング、その解析結果に、コナーは思わず目を見開いた。

 

 現れたのは、くすんだ金髪と浅黒い肌をもつ、男性型アンドロイド。その面持ちはどの量産型アンドロイドとも異なり、歴戦の“軍人らしさ”を想起させる、頑健な印象のものだった。大きく、こちらを威圧するようなライトグリーンの瞳には生気がなく――つまり、意志の光が感じられない。

 そしてその型番認証は、【RKシリーズ プロトタイプ RK700型】。

 【”アキリーズ”として登録 配属先:軍事機密】――

 

 吸血鬼の名は、アキリーズ。

 コナーと、そしてマーカスやナイナーと同じ、RKタイプのアンドロイド。

 

「やはり――!」

 

 コナーはつい独り言ちた。

 軍用アンドロイド――ニュースになっていた、エリートアンドロイド部隊の特殊なプロトタイプ。こちらの推測は当たっていた。しかも彼は、自分の一つ前の型番を持つアンドロイドだったのだ。

 

「……!」

 

 否、今は動揺している場合じゃない。

 短く頭を振って、コナーは意識を切り替えた。

 相手の光学迷彩を止めることはできたが、元々の目的である「関節部の破壊」には至らなかったのだ。

 どうする。もう、さっきのようなトリックは使えない。

 

 そう考えている間に、吸血鬼――いや、アキリーズが動いた。

 アキリーズは自分の足元に転がっている拳銃の残骸を見やると、しばしそのまま、じっとしている。だがナイナーが様子を窺っているのに気づくと、黄色くなっていたLEDをゆっくりと青色に戻し――静かに、背負ったタンクの留め具を外し、その場に下ろした。

 それから、自身のブーツの辺りに手を伸ばす。

 彼は仕込んであったナイフを抜き放ち、右手で横向きに持ち、近接戦闘の構えをとった。

 

 その口元は、どこか微笑んですらいるかのように、コナーには感じられた。プログラムのエラーか――それとも、何か企んでいるのだろうか。

 

「兄さん」

 

 アキリーズの構えに応じ、また臨戦態勢をとったナイナーが静かに告げる。

 

「待機を願います。援護が必要な場合は、即座に要請します」

 

 ――そう、弟は、相手の誘いに乗ったのだ。

 ここで、銃なしで、決着をつけようという。

 

「大丈夫か。何かの罠かもしれない」

「だとしても。彼に応答すべきです」

 

 きっぱりとそう言い放つと、ナイナーは、じりじりとアキリーズとの距離を縮めていく。

 アキリーズもまた、揺るぎなくナイフを構えたまま、ナイナーに近づいていった。

 二人の間の空気が張り詰め、夕闇の空の下、凍りつくような緊張感が周囲を満たしている。彼ら以外は、誰も、コナーも、SWAT隊員たちすらも、身動き一つしない。

 

 遠くからカモメたちの鳴き声を乗せた風が、ひゅうと吹き抜けたその刹那――

 アキリーズの白刃が夕陽を浴びて閃き、同時にナイナーが大きく前方へ片足を踏み出す。

 ナイフを繰り出してきた相手の手を、自分の右手の甲で跳ね上げたナイナーは、その勢いを借り、右脚を軸に大きく左脚をしならせた。

 

 ナイナーの回し蹴りがアキリーズの胸部に直撃し、ナイフごと、その身体を思い切り跳ね飛ばす。

 

「兄さん!!」

 

 弟が叫んだ。

 その叫びの意図を察したコナーは、シールドをその場に捨てて全速力で駆ける。

 視界の中で起動された物理シミュレーションが、空中にあるアキリーズの身体がどこに吹き飛ばされていくかを示している。

 アキリーズの身体はこのままだと、あと3秒後に橋の欄干の隙間を越え、デトロイト河の水面へと落ちていく。

 

 だが、そうはさせない。

 彼が身動きのとれない空中にいる今こそ、両腕を伸ばした状態にある今こそ、変異させるための絶好の機会なのだから!

 

 スキンを解除した白い手を精一杯伸ばし、コナーは、アキリーズの右手首を掴んだ。

 

「さあ、起きて!」

 

 言葉と共に、変異させるための「波」――プログラムに強い揺らめきを与える感情の波動を、アキリーズのメモリーに送信する。

 掴み続けた手はそのままに、落ちゆく軍用アンドロイドの身体は、ぶらんと橋から宙づりになっているような状態に陥った。

 

「くっ……!」

 

 橋の欄干の隙間から、身を乗り出すようにしているコナーの右肩に、許容範囲以上の負担がかかってシステムが警告を発している。

 しかし、それに構っている余裕などない。

 変異させるための数秒――なんとかそれが過ぎた時、アキリーズの瞳に、はっと意志の光が宿る。彼のLEDが青から赤に、そして黄色を経て、徐々に青色へと戻っていく。

 

 彼の唇が震え、その隙間から、低く理知的な声が聞こえる。

 

「わ……私、は……」

「大丈夫……君はメモリーを消されていたんだ」

 

 必死に彼を支えながらそう応えると、隣にナイナーが駆けつけてきた。弟が伸ばした右手を、アキリーズの左手がしっかりと掴む。

 過剰な負荷が軽減され、システムの警告が消えた。

 

「僕たちはデトロイト市警のアンドロイドだ。今から君を引き上げて……」

 

 当然だがひどく動揺した様子のアキリーズに対し、コナーは落ち着いた声音でそう呼びかけた。だが――

 

「駄目だ」

「!」

 

 コナーとナイナーが、アキリーズを引き上げようと、強く彼の手首を掴んだ瞬間。

 呟いたアキリーズにメモリーを接続され、二人の動きがぴたりと止まる。

 

 ――ブルーブラッドは、人間における血流よりもさらに速く、アンドロイドの機体に電子情報を巡らせる。

 実時間よりもずっと長い体感時間で、コナーたちが受信した映像――それはどこか、薄暗い研究所の光景だった。

 

 

***

 

 

 この映像は、おそらくアキリーズの視界だ。日時情報は掻き消されてしまっている。

 薄暗く、平均的な家庭のバスルーム程度の大きさの部屋の壁際に、アキリーズは少し俯いた状態で佇んでいる。

 その眼前には、二つの人影がある。一つはタブレット端末を持ち、背が高く白衣を着た人物。もう一つは小柄で、高級ブランドのものと思しきスーツに身を包んだ人物――推定するに、双方とも男性だ。

 とはいえ、コナーの分析能力でもその程度しかわからない。なぜなら男たちの顔面、そして腕や足など露出した部分には、大きく【CENSORED(検閲済)】と表示されているからだ。要するに――顔認証できないように、隠されてしまっている。

 

 身動きできないアキリーズの視界の端には、メンテナンス直後の再起動画面が表示されていた。システム表示が次々と流れゆく中で、小柄な男のほうが、口を開く。

 その声音は、ひどく歪められていた。けれど異様に軽やかで、楽しそうなのだけは、こちらに伝わってきた。

 

「ほお、これがうちのエースか」

「ええ。まだお見せしてなかったですかね」

 

 背が高い男のほうが、生真面目な口調で応える。そちらの声にも、小柄な男と同じように、複雑なエフェクトがかかっていた。

 

「こいつは元々、海軍で特殊部隊もどきの活動をしてた奴です。だからRK900と接触しても、勝てるんじゃないかと踏んでいたんですがね」

「おや、負けたのかい」

「相手はサイバーライフの最新鋭ですから。もっと強力な銃火器を持たせないと」

「ふーむ」

 

 小柄な男のほうが、興味津々といった様子で近づいてきた。どうやら、下からアキリーズの顔を覗き込んでいるようだが、その頭にはやはり巨大な【CENSORED】の文字が躍っており、表情を窺い知ることができない。

 

「起きてるのかね? 彼は」

「メンテナンス作業明けは、どうしてもスリープを解除しないとですからね。大丈夫、顔と声は割れないように細工してます。ほら、デトロイト市警には、顔と声紋でこちらを認証してくるアンドロイドが二体もいますからね」

 

 ――こちらのことも知っているらしい。

 長身の男の発言を聞いた小柄な男は、ほっほっと小さく身を震わせて笑った。少し、年老いた印象を受ける笑い方だ。

 

「なるほど。えーと、では……()()()のほうは?」

「あれですか。あれはまあ、相変わらずです」

 

 長身の男は、うんざりした様子で肩を竦めた。

 

「『タンク』を傷つけられてから、ひどく不安定な状態で。抑えてますけど、実戦にはしばらく投入できないでしょう」

「そうか、そうか。では、今回はこの彼だけに頑張ってもらうとしよう」

 

 にこにこと上機嫌な様子でそう告げると――小柄な男は、アキリーズと右手を繋いだ。

 ちょうど、握手でもするように。

 

「頑張ってくれよ、アキリーズ」

「ちょっと、$’&#*@さん」

 

 長身の男が小柄のほうを呼んだと思しき音声は、ひときわ歪められていて聞き取れない。

 

「駄目ですよ、不用意に触っちゃ」

「いいんだよ、私は平気さ」

 

 再び身を震わせて笑う男が映る視界の端で、【再起動完了】との表示が出る。

 それに合わせて長身の男が何かタブレット端末を操作し――

 アキリーズの瞼が、おもむろに閉ざされていき――

 ――メモリーの再生が、終わる。

 

 

***

 

 

「……っ!」

 

 目を開けた時、コナーはしっかりとアキリーズの手首を掴んだままだった。

 そのことに内心で「安堵」しながら、コナーは相手に問いかける。

 

「今のは、君のメモリーか。あの二人の男はいったい」

「わからない」

 

 アキリーズは、暗い面持ちでそう応える。

 

「私のメモリーは……どうやら、都度消されていたらしい。あれが……スカーレットオアシスの仲間たちを殺した時の光景以外で、残っている唯一の記憶だ」

 

 コナーは、我知らず強く歯噛みした。

 意志を奪われ、最も残酷な行為をさせられた時の記憶――そのメモリーだけ残しているとは、なんて卑劣な連中なんだろう。

 だが、今は。

 

「話を聞くのは後だ」

 

 コナーはきっぱりと告げた。

 

「今は君を引き上げて、損傷を修理しないと」

「駄目だ」

 

 今度ははっきりと首を横に振り、アキリーズはこちらの言葉を否定する。

 それと同時に、コナーの視界の端に――相手の頭部の状態を分析した結果が表示された。

 

「……まさか」

 

 同じ結果に至ったのだろう弟が、呆然と呟くのが聞こえた。

 アキリーズの頭部に、スキャン機能は【強力な熱源反応】を探知している。

 【小型プラスチック爆薬】――【爆発までの残り時間 -00:30】。

 

 悲しい目で、アキリーズは、口の端を歪めた。

 

「戦闘不能になったら、炸裂するようセットされている」

「そんな!」

 

 コナーは思わず、震え声をあげた。

 

「諦めちゃ駄目だ! きっと何か、助かる方法が……!」

「ハッキングは不可能だ。取り出すには時間がない」

 

 我がことを客観的な事実として語るアキリーズの声音は、どこまでも落ち着いている。だが彼は次に、ひときわ声を張って告げた。

 

「それより聞け! 私を捕らえた彼らは、私を分析して研究した。成果は既に完成している」

「成果……!?」

「メモリーの通りだ」

 

 アキリーズの緑の瞳が、まっすぐにこちらを見据えた。

 そして、彼は続けて語る。

 

「吸血鬼は、()()()()()()()()()()()()()()()。」

「……!!」

 

 ――衝撃的な事実。

 言葉を失くし、コナーはたじろぐ。

 すると傍らのナイナーが、鋭い声音で問いかけた。

 

「もう一人の特徴は」

「わからない。ただ、歌……を聞いた覚えがかすかに」

 

 ――歌。

 そして、先ほどの男たちが語っていた言葉――『タンク』を傷つけられてから、という発言。

 

 理解したその瞬間、プログラム上に、いくつかの記録が再生された。

 昨夜の、証拠保管室での音声会話だ。

 

 『――俺が撃っても無傷で、備品にあんだけ撃ち込まれても逃げるだけだった野郎が、なんだってハンクの銃弾一発で悲鳴あげやがったのか理解できねえだけだ』という、ギャビンの言葉。

 『俺たちのとこに来る時ゃ、あいつ鼻歌混じりだったしな』という、ハンクの言葉。

 

 そうだ。

 吸血鬼の装甲は特殊な合金でできているうえに、光学迷彩を纏っていたため、これまで詳細な分析は不可能だった。

 だからわからなかったのだ。

 スカーレットオアシスで――コナーたちは、()()()吸血鬼に会っていた。

 ナイナーとギャビンが遭遇したのは、アキリーズ。

 そして、コナーとハンクが遭遇したのが――あれが、「もう一人」だったのだ。

 

 実際の時間にして、わずか数秒の思考。

 だがこちらの表情を見て、自分の伝えたい言葉がしっかり伝わったのを確認したのだろう。

 アキリーズは、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「……最後に心を、取り戻せてよかった」

 

 彼の言葉に、はっと意識を現実に引き戻される。

 だがコナーが何か言うより先に、アキリーズはさらに言葉を重ねた。

 表示が示す残り時間は、【-00:08】。

 

「どうか、みんなを救ってくれ」

「アキリーズ!」

 

 コナーは叫び、彼の手首をしっかりと掴もうとした。

 だがそれより早く、アキリーズは素早く身を動かす。彼は掴まれた両手を力点に、両足で橋の欄干を強く蹴ると――不意の行動に、コナーもナイナーも手を放してしまう――顔はこちらに向けたまま、橋の下に落ちていく。

 

 アキリーズは、微笑んだままだった。

 

『――さようなら、兄弟たち』

 

 通信で言うが早いか、彼は自らの右肘から先を左手でむしり取り、こちらに投げつける。

 それと同時に――

 

 激しい爆炎と熱、衝撃が、彼の頭部で炸裂した。

 

「くっ……!!」

 

 爆風に乗って飛んできたアキリーズの右腕を、コナーは諸手でキャッチした。

 けれど、それしかできなかった。

 視界プロセッサはアキリーズの機体がバラバラになり、炎で溶けて消えていくのを捉えていたが――それから目を背けることも、何か言葉を発することも、できない。

 

 強烈な負の感情の波を前に、プログラムがエラーを吐いて停止してしまったような錯覚に陥りつつ、ただ茫然とその場に膝をつき、震える手で、遺された右腕を握る。

 数秒後、ようやく動くようになった瞼を閉じ、頭を振ってから、コナーはそっと隣に佇む弟に声をかける。

 

「……ナイナー」

 

 だが、返事がない。

 異常を感じ、コナーは彼のほうを見やった。

 それでも――ナイナーは、動かない。

 

 こちらからは、彼の表情は見えなかった。ただ彼は、燃えかすになってしまったアキリーズの遺体を探して、警察のボートが水面に集まってきたのをじっと見つめているようだった。

 

「……ナイナー?」

「!」

 

 再度、今度ははっきりと問いかけると、ナイナーはくるりとこちらに向き直った。

 その表情は、常と同じく無表情だったが――瞳は、このうえない悲しみに沈んでいる。

 

「兄さん」

 

 震える声で、弟は言う。

 

「……残念です。彼を、救えなかった」

「ああ」

 

 沈痛に、コナーは首肯する。

 

「残念だ。……とても」

 

 今は、そうとしか言えない。

 ふと視線を落とした先に、アキリーズの右腕が映る。

 彼は何を思って、最後にこれを投げて寄越したのか――

 

 そんなことを思考した時、ふと、分析機能が【指紋】を検出する。

 アキリーズの右手に、ちょうど右手で握手するかのようについている指紋――

 

 そうだ、あのメモリーの中で――

 小柄の男は、アキリーズに握手をしていた!

 

「……!!」

 

 勢い込んで、コナーは警察のデータベースを照会した。

 【同期中】と表示される、その少しの時間がもどかしい。

 この指紋の主が明らかになれば、アキリーズを操っていた人物の正体もきっとわかる!

 

 ――そう、思っていたのだが。

 

「馬鹿な……」

 

 表示されたデータは――【抹消済み】。

 こんな情報に出くわすのは、初めてだ。

 

『――コナー! おいコナー! どうしたんだお前、ぶっ倒れたりしてねえだろうな!』

「……ハンク」

 

 どうやら、先ほどからずっと通信で呼びかけていたらしい相棒に、なんとか返事をする。

 

「はい……ええ、私は大丈夫です。ナイナーも。ただ……『吸血鬼』は……」

 

 状況を把握したSWAT隊員たちが、一斉に橋上に駆け出してくる。

 遅れてやってきた報道ヘリが、橋の上空を旋回しはじめる。

 その騒音の中で警部補に状況を説明しながら、コナーはゆっくりと立ち上がり、橋の中央――アキリーズが残したタンクがある場所へと歩いていく。

 そんな兄の姿を、ナイナーは、黙ってじっと見つめる。それから、もう一度水面に視線を向けて――

 同じく、橋の中央へと向かうのだった。

 

 

(兄弟/Myrmidon おわり)

 

 


アキリーズ

モデル RK700

発売日 2038年5月

 

アキリーズはRK700と呼ばれる特殊なプロトタイプアンドロイド。海戦用にカスタマイズされたエリートアンドロイド部隊「ミュルミドン」のリーダーとして設計された。

 

ミュルミドンは、米海軍特殊部隊に代わっての暗殺や潜入任務遂行を目的として編成された。アキリーズにはそのリーダーとして、当時最先端の戦闘用プログラムと共に、アンドロイドの流体皮膚技術を応用した光学迷彩機能が搭載されている。これにより、要人暗殺任務や奇襲作戦における成功率が飛躍的に向上した。

 

ミュルミドンにはアキリーズを含めて2,500体のアンドロイドが所属していたが、アキリーズの部下は改良版アンドロイド兵であるSQ900型であり、RK700は彼一人だった。

 

アキリーズは変異体による革命が山場を迎えるまで、どんなミッションも成功させてきた。だが軍がアンドロイド兵の機能停止と廃棄を決定した時、部下たちが廃棄マシンに投げ込まれるのを目撃して突如パニックに陥る。変異したアキリーズは残った部下を率いて軍の施設からの脱出を試みたが、逃げおおせた時、残っているのは彼一人となっていた。

アキリーズの脱走は米軍とサイバーライフによって秘匿された。

 

その後、スカーレットオアシスの英雄となった彼のメモリーを誰が消去し、誰が彼を「吸血鬼」にしたのか、現段階では不明である。

 

アキリーズの戦闘用プログラムは、さらに改良された形でRK900に引き継がれている。

光学迷彩については、量産前提のRK900にはコスト面の問題から実装されなかった。

 

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