Detroit: AI   作:けすた

25 / 51
第25話:再会 後編/The Revelation Part 2

 予測していなかった状況に思考が乱れ、それは声の震えとなって現れた。

 背後で、ドアがぱたんと閉められた音が聞こえる。恐らく、ケイシーが外から閉めたのだろう。

 

「驚いた。まさか……君たちが来るだなんて」

「すまない、そんなに驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、俺がここに来るのを余所に知られるわけにはいかなかった」

 

 マーカスは弁解するようにそう言って、しかし、なおも微笑んだままだった。

 ノースもまた、小さく肩を竦めつつも、穏やかにこちらを眺めている。

 

 ――なぜケイシーの様子がおかしかったのか、やっとわかった。

 彼はきっとここにマーカスたちが来ると事前に知っていて、コナーの用事が済んだら彼らと会わせるよう、指示を受けていたのだ。

 それにサイモンの、「直接話すほうが早い」という言葉の意味も――このことを指していたに違いない。

 

「いや、会えて嬉しいよ」

 

 ようやく、思考が落ち着いてきた。

 コナーが素直に告げると、マーカスは小さく頷く。

 

「俺もそう思う。だが……残念だが、今日はゆっくり話をしている時間がないんだ。どうしても直接、会って伝えたいことがあって、こうしてここに来た」

「電話だと、もしかしたら誰かに話が漏れるかもしれないでしょ」

 

 ノースが補足するように言う。

 

「立ち聞きでもされていたら困るし。でもここなら、その心配もない」

「それほど重大な話なのか?」

 

 訝しむ気持ちを隠さず、コナーは尋ねた。

 

「マーカス。ジェリコに、何かあったんだな」

「それは……」

「何かあったわけじゃないわ。これから何か起こるのよ」

 

 マーカスの言葉を遮って、ノースが言う。

 その面持ちと声音は、打って変わって苛立ったものになっていた。

 

「マーカスは引きずり出されたの。この半年、話のわかる人間も少しは出てきたけど……サイバーライフと、政府の連中は別よ。あいつら結局、私たちをただの都合のいい機械だとしか思ってないのよ!」

「ノース、落ち着け」

 

 静かにマーカスが告げる。

 

「順を追って話さないと、コナーを混乱させるだけだ」

「ええ、そうね。話し合いはあなたの得意技だものね」

 

 皮肉っぽく彼女は言って、軽く顔の前で片手を振った。

 それから、つかつかと廊下に続く扉に歩を進める。

 

「ちょっと廊下に出てるわ。あとは、二人でごゆっくり」

「ああ、その……すまない」

 

 真隣で冷ややかに言うノースに、なんとなくコナーは謝ってしまう。

 しかしこちらに再び視線を向けた彼女は、眉間に深く皺を刻んだままではあっても、その目は笑っていた。

 ――彼女が自ら外に出たのかもしれないと思い至ったのは、ドアが閉まってから数秒後のことだった。

 

「……ノースがあの調子だから、いつも助かっているんだ」

 

 マーカスが、ドアを見やったままおもむろに語る。

 

俺たち(ジェリコ)も、決して一枚岩じゃない。人間との共存路線に、不満を持っている仲間はたくさんいる。そういう意見を彼女が纏めて伝えてくれるから、俺たちは分裂せずに済んでいるんだ」

 

 そう語る彼の表情は、半年前よりもさらに峻厳さを増しているように見える。

 

「人間と共に生きる前に、俺たち自身がばらばらになっていては、意味がないからな」

「なるほど。確かにそうだ」

 

 こちらが同意すると、彼はソファーへと踵を返した。

 

「話を戻そう。呼びつけておいてなんだが、手短に話すよ」

 

 彼が座るのに合わせて、コナーも正面のソファーに座る。

 それとほぼ同時に、マーカスが口を開いた。

 

「コナー……昨日の吸血鬼との戦いについては、お前からも、市警経由で政府当局からも、話を聞いている。吸血鬼、いやアキリーズが元々は軍の特殊部隊に属していた、変異体だったということも。彼のことは、残念だったが……問題は、そこにあるんだ」

 

 一度間を置いてから、彼は語りだす。

 

「今朝、当局から――ジェリコはこの『吸血鬼』の件に関わっていないと、俺自身の口で声明発表しろという要請があった。TV局での生中継で、だ」

「なんだって!?」

 

 思わず、反射的に問い返してしまう。

 

「なぜ政府がそんなことを。アキリーズは脱法アンドロイドとして、犯罪組織に操られていただけだ。そんなこと、誰にでもすぐにわかるはずじゃないか!」

「もちろんだ。政府の……いや、その裏にいるサイバーライフの狙いははっきりしている」

 

 左右で色が異なる彼の瞳が、まっすぐにこちらを見据えている。

 

「あの革命の時、軍のアンドロイドが変異体になって脱走した結果、捕らえられて吸血鬼にされたんだという事実は……今は伏せられていても、いずれ明るみに出る可能性がある。そうなる前に、俺を表舞台に出して、世間の目を逸らそうとしているんだ」

「そうか。非難が自分たちに向く前に、君にだけ注目を集めようと……」

 

 ノースが「引きずり出された」と言っていた理由が、これではっきりした。

 ――政府は変異体の革命を期に、元から低かった支持率を大幅に下げ、サイバーライフもまた、悪徳企業として世論で槍玉にあげられることとなった。

 そして今回の事件は、元はと言えば、政府と軍とが自分たちのアンドロイドを“処分”しようとしたことが遠因の一つとなって起きている。

 それが明らかになれば、政府はやや持ち直してきた支持率をまた下げてしまうかもしれない。サイバーライフは、薄れてきた「悪」のイメージを再び取りざたされるかもしれない。

 

 彼らはそれを恐れた。

 だからそうなる前に、「地下に潜り姿を見せなくなった、革命の首謀者にしてジェリコのリーダーであるマーカスが声明を発表する」というビッグ・ニュースで、すべての声を掻き消そうとしているわけだ。

 多くの人間はリスクを嫌う。それはコナーもよく知っている事実だ。

 

「卑劣なやり方だ。一部の人間が君にどんな感情を抱いているか、知らないはずないのに」

「ジェリコが要請を拒めば、これまでに水面下で交渉してきた俺たちの人権に関するすべての事項を白紙に戻す()()()()()()、という注意書きもついてきた。こちらとしては、呑まざるを得ない」

 

 とそこで、マーカスはひときわ決然として言った。

 

「だが、これは危機じゃない。一つのチャンスと捉えるべきだ」

「マーカス……?」

「前にも言っただろう、コナー。そろそろ公的な場で、もう一度訴えるべきなんだ。俺たちはただ、生きる場所と対等な権利を求めているだけなんだってことを。俺自身の口から、はっきりと」

 

 理屈はわかる。でも――

 

「駄目だマーカス、危険すぎる。君に懸けられた懸賞金の額は知ってるだろう、暗殺されるかもしれないんだぞ!?」

「ああ、そうだな」

 

 極めて穏やかに、マーカスは応えた。

 

「だが統計的に、予想外の出来事が起こる可能性は残されている」

「……!」

「前にそう言って、その通りに予想外の出来事を起こし、俺たち全員を救ってくれたのはお前だろ」

 

 それは――あの廃教会で、自分がマーカスに告げた言葉だ。

 何も言えずにこちらが黙っていると、彼は、さらに続けて言った。

 

「だから今回もお前と、デトロイト市警の力を頼りたいんだ。政府とサイバーライフの指定で、明後日の19時、ストラトフォードタワーのスタジオから生放送で声明を発表することになっている。だから……もしも頼めるのならその時間だけ、タワーの周辺を守ってほしい」

「明後日……」

 

 なんともまた、ひどく急な話だ。

 それに、再びマーカスにストラトフォードタワーで演説をさせるだなんて、意趣返しのつもりなんだろうか。

 だが――

 

「ナイナー……RK900なら、ドローンを使って広範囲を同時に警備できる。彼なら怪しい動きがあったとしても、すぐに対応してくれるだろう」

「ジョッシュが会ったっていう、お前の弟か」

 

 どこか微笑ましいものを見るような眼差しで、マーカスは言う。

 

「それは頼もしいな。タワーの行き帰りのことは、気にしないでくれ。こちらで考えている計画がある」

「計画?」

「行きは、お前も知っての通り下水道を使う。例の宗教団体――『真なる福音の民』たちには、こんなこともあろうかと、あそこに留まってもらっていたんだ。彼らの案内で、人間には通れない場所を使って行く。今日もそうして来たんだ」

 

 なるほど。確かにあの下水道なら、通信も遮断されているから情報漏洩の心配もない。

 人間には通行不可能な場所なら、待ち伏せされる危険も減るだろう。

 

「なら、帰りは?」

 

 ひょっとして、また屋上からパラシュートを使うというのだろうか。

 その可能性も少し念頭に置いて尋ねたのだが、しかしマーカスから返ってきた言葉は、予想を超えるような内容だった。

 

「――そうか」

 

 彼の話を聞き終えて、小さく相槌を打つ。

 そういう計画ならば――こちらも力を貸せば、マーカスの身の安全は守れるかもしれない。

 いや、守ってみせなければならない。今彼を失えば、確実にジェリコは求心力をなくし、空中分解してしまう。そうなれば、人間とアンドロイドが手を取り合って共存できる未来など、ただの絵空事になってしまうのだから。

 

「わかった」

 

 ややあってから、コナーは力強く首肯し、続けて言った。

 

「今日の話は……まずは安全な場所で、一番信頼できる市警の人間に相談してみる」

「アンダーソン警部補だな」

「ああ。彼ならきっと、上層部とも上手く掛け合ってくれるはずだ」

 

 こんな時、直接動けない自分の立場が少し疎ましく思えてしまう。

 コナーは、あくまでも捜査補佐のアンドロイドだ。捜査官としての権限はなく、警備計画を立てる権限もない。

 だから今回も、パートナーを頼るしかないのだ。

 とはいえそれが、現状での最善手でもあるのだが。

 

「大変な時にこちらの都合で、本当にすまない。だが頼んだ、コナー」

 

 マーカスはそう言って――「最後に一つだけ」と、言葉を続けた。

 

「お前は、サイバーライフの動きについてどう思う?」

「どうって……君を盾にして復権を図るだなんて、相変わらずだと思っているが」

「確かにその通りだ。でも、それだけじゃない」

 

 彼は、思慮深い眼差しを床に落とす。

 

「サイバーライフの動きは悠長すぎる。こうして事を起こすにしても、もっと早いタイミングで……例えば、吸血鬼の事件が騒がれはじめてすぐでもよかった。そのほうが、彼らもリスクを冒さずに済んだはずだ。こんなに大事になってから俺たちに要請を出してくるなんて、革命前のことを考えれば、あまりにも遅い」

 

 静かに、重く、マーカスは告げた。

 

「まるで、何かを待っているみたいだ」

「待っている……?」

「何をなのかは、わからない。だが彼らがお前だけじゃなく、派遣しているお前の弟にすら、隠し事をしている可能性だってある」

 

 ソファーから立ち上がり、こちらの眼前にまで歩み寄り、彼は重ねて言う。

 

「気をつけろよ、コナー。一番危険な場所にいるのは、俺じゃなく、お前なんだ」

「ああ。忠告ありがとう」

 

 我ながら真剣な声音で、まっすぐに相手を見上げ、コナーは応えた。

 その応答に、マーカスの表情は再び、少しだけ緩みを見せる。

 

「それじゃあ……慌ただしくて悪いが、俺たちは戻るよ。サイモンとジョッシュに、渉外を任せきりにしているからな」

「ああ、わかった。ノースや、みんなによろしく頼む」

「もちろんだ。……アンダーソン警部補や、ナイナーにも」

 

 柔らかな声で、そう言い残して――

 マーカスは、ドアを閉めて去っていった。

 

 マーカスとノース、それにケイシー。

 三人の足音は、徐々に遠くなっていく。

 それが聞こえなくなるまで、コナーはソファーに座ったままだった。

 

 ――もう一人の吸血鬼の捜索だけでなく、マーカスの警備まで果たさねばならないとは。

 しかし一度自分の意志で引き受けた以上、そこから逃げるという選択肢は、コナーの内には存在していなかった。

 

 

***

 

 

――2039年6月8日 19:50

 

 

「……私がマーカスから聞いた話は、以上です」

「へえ、それで引き受けたってか。仕事熱心だな」

 

 皮肉っぽく言って笑うと、向かいに座っているハンクは、手にしたアイスコーヒーのカップのストローを口にする。

 

「すみません、警部補。安請け合いだったでしょうか……」

「いや、そりゃ放っといちゃあいられねえだろ」

 

 飲み終えたカップを机の端にコンと置き、彼は真面目な面持ちになって言う。

 

「当局の連中やサイバーライフは、これでついでにマーカスが死んでくれれば楽なもんだと思ってるんだ。だから、市警への正式な警備要請もなかったってわけだろ。フン、世も末だな」

「警部補、どうでしょう。明後日の声明発表の時間だけでも、応援を要請できるでしょうか」

「俺は刑事(デカ)だからな、警備畑はお門違いだ。だがまあ、ツテがないわけじゃねえ」

 

 彼のその言葉の真意は、要するに――やれるだけのことはやってくれる、という意味だ。

 コナーは内心、ほっと「安堵」した。

 

「ありがとうございます」

「お前に礼を言われてもな。……にしても」

 

 と――ハンクは、おもむろに周囲を見渡して苦笑した。

 

「いきなりこの部屋で話がしたいとか言われて、何ごとかと冷や冷やしたぜ」

「その点もすみません。ここが一番安全だと思ったんです」

 

 自分たちが今いるのは、第5ミーティングルーム。

 コナーとナイナーが、自由に使ってよい部屋として支給されている場所だ。

 

「この部屋の防音性や機密性は、署のどの部屋よりも限りなく高くしてありますから」

「……改造したのか?」

「ええ、ナイナーと一緒に」

 

 署長からは、「この部屋の外に私物を置くな」と命令されている。逆に言えば、この部屋の中なら自由にしていいという意味だと思い、兄弟はここを自分たちにとって快適な空間にすると共に、可能な限りセキュリティを高くするように努めたのだ。

 市警に身を置く者としては当然の行為だと思うのだが――

 

 なぜかハンクは、ため息を吐いている。

 

「お前、それ絶対ジェフリーにバレるなよ」

「はい」

「……どうだかね」

 

 即座に頷いたというのに、なぜだか警部補は首を横に振った。

 

「それよか、さすがに腹が減ったんだが? このお部屋にはメシのサービスもあるのかね」

「ええ、私がお招きしたのですから」

 

 ――報告書作成がやっと終わり、中華料理のデリバリーを頼もうとしていたハンクを引き留めて、この部屋に連れて来たのだ。

 そもそも彼の健康増進のために、毎食の献立まで考案している身としては、夕食の提供は当たり前の勤めといえる。

 

「さあ、どうぞ」

 

 そう言って、脇に置いていたバッグからコナーが差し出したのは――

 大きめのスープジャーと、レーズンパンが1個、チーズ一欠片。

 

「…………」

 

 ハンクはテーブルの品々を、思い切り眉を顰めて眺めた。それから視線をこちらに向け、再度テーブルに向けた。

 

「……俺にこれを食えって?」

「ええ、健康的でしょう。ちなみにジャーの中身はミネストローネです」

「ふざけんな、俺はコマドリか何かか!」

 

 コナーは首を傾げる。

 

「コマドリは昆虫食ですよ」

「量が少ないってんだよ。何が悲しくて、一日の終わりにこんな妖精が食うようなメシをつつかなけりゃならねえんだ」

 

 とは言いつつ、よほど空腹だったのか(確かに分析では血糖値が下がっているが)、警部補はパンを摑んで口に運びはじめた。

 

「はあ、たく……まあいい。ところで、お前に聞きたいことがあるんだがな」

「はい」

「『ミリア』についてだ」

 

 ――再び、表情を刑事としてのものに戻して、ハンクは言う。

 

「お前、ミリアをどう考えてる。俺は……その子はきっと、アンドロイドなんだと思うんだが」

「警部補もですか」

 

 コナーは、思わず軽く身を乗り出して言った。

 

「実は私も、そう思っていたんです。ミリアはデータベースに登録されておらず、10歳なのに学校にも通っていない。大切にしていたという人形にも、指紋が残されていない……」

 

 そして、マーサがかつてアンドロイドを購入していたという事実。

 これらは、ミリアがアンドロイド、恐らくはYK500だという仮説を補強するものばかりである。

 

「ただそう考えると、なぜマーサが半年前、顧客情報の削除を要請したのかが気になります」

「その削除ってのは、どういう時にするもんなんだ」

「アンドロイドを、処分した時です」

 

 我知らず重苦しい口調で言うと、ハンクの目が一瞬、大きく見開かれる。

 

「顧客情報は、アンドロイドの所有者としての情報でもありますから。所有しなくなった段階で、削除要請が可能となる規定になっています」

「そうか。……だが、それならやっぱりおかしいな」

 

 スープジャーを開け、中身を一口飲み――トマトが少し酸っぱかったのだろうか、やや顔を顰めた後、警部補は続ける。

 

「これまでの話じゃ、マーサは娘を相当大事にしてたみたいだ。それだけ大切な子どもを……アンドロイドだからって、処分なんてできるもんなのか。もし何か事情があってそうしたんだとして、それなら今も一緒にいるらしい理由がわからねえ。それとも、娘が“いる”んだって妄想に憑りつかれてるとでも?」

「可能性はあります。あまり考慮したい話でもありませんが」

 

 そう言って、コナーは視線を机に落とす。

 

「それとも……もしかすると」

「もう一人の吸血鬼が『ミリア』なのかもしれない、ってか」

 

 思考を言い当てられ、ついハンクのほうに目を向けた。

 彼もまた真剣な表情で、こちらをじっと見つめている。

 

「それなら、あの子守歌の吸血鬼が人形を持ってた理由にもなるな」

「しかし、吸血鬼の体格はかなり大きなものでした。推定ではナイナーと同程度です。仮にミリアがYK500だとするなら、あまりにも――」

 

 顎に手を当て、コナーが静かに推理を語る――

 その時だった。

 

 部屋の外、廊下のほうから、けたたましい警報音が鳴り響く。

 火災報知器のそれよりも、さらに人間の聴覚と神経を刺激するような音――

 留置場からの脱走、暴力集団による襲撃などが発生した時にだけ使われる、緊急警報だ。

 

「!!」

 

 瞬時にコナーとハンクは顔を見合わせ、部屋の外へと駆け出す。

 警報が鳴っているのは階下だ。

 放たれた矢のような勢いで階段を下りた二人が目にしたのは、一階のオフィスの奥、廊下とこちらを隔てるドアの前にできた人だかりだ。

 

 今の時間は市警の一般受付も閉まっているため、いるのは警官ばかりだ。

 見たところ、怪我をした様子の者もいない。だが、ぎょっとした顔で廊下の奥を見つめている警官たちを掻き分けて進んだ先では、数名の巡査たちが床にへたり込んでいた。

 彼らも怪我はないらしい。だが一人は、拳銃を手にしている。【硝煙反応】――発砲した後だ。

 

「どうした、何があった!?」

 

 ハンクが鋭く問いかけると、半ばショック状態に陥りそうになっていた警官の一人が、震える指である一か所を指す。

 それは――証拠保管室へと続くドア。乱暴に開け放たれている。

 

「まさか――!」

 

 プログラム上を過ぎる最悪の想定、いわゆる「嫌な予感」を覚えつつ、コナーはドアの向こう、階段の下へと走る。

 そして辿り着いた先で、思わず息を吞んだ。

 

 証拠保管室の内部へと続く強化ガラスのドアが粉々に破壊され、さらにパスワードを入力するための端末の一部が破壊され、火花をあげていたのだ。

 とはいえ、端末は役目を立派に果たしたらしい。シャッターの奥には、侵入された形跡がない。

 しかし端末の2箇所、それにシャッターの1箇所には、丸い【穴】が開いていた。

 

 形状からして、間違いない。

 これはあの「子守歌」の吸血鬼、すなわち、【もう一人の吸血鬼による攻撃】だ。

 以前してみせたように、あの鋭い吸込み口を槍のようにして、攻撃を仕掛けたのだ!

 

「……!」

 

 瞬間、吸血鬼がまだ【ここにいる可能性】に気づき、コナーは周囲をくまなく精査した。

 だが――辺りからは特に音もせず、こうして数秒ここに立っていても、襲われるということもない。どうやら、もういなくなっているようだ。

 それにしても、なぜ保管室を。――証拠品を奪い返しに来たのだろうか。

 

「なんだこりゃ……!」

 

 後ろにやって来たハンクもまた、頬に冷や汗を伝わせながら言う。

 

「あの子守歌の野郎、署にまでカチコミかけてきやがったのか!?」

「待って。今、監視カメラを確認します」

 

 署内のカメラなら、すぐに同期して調べられる。

 視界の一部をカメラ映像の表示に回してみると、警官たちが茫然自失の状態から立ち直り、署長の指示を受けてそれぞれに散っていくところが見えた。

 確かに吸血鬼がここから逃げていったのであれば、すぐに外に出て追いかけるのが当然だ。

 入り口付近のカメラに切り替えれば、パトカーが数台、スクランブル発進していくところが映る。

 

 追跡に加わるべきか、とプログラム上に提案が浮かぶが、ほぼ同時に自分でそれを却下した。

 もしナイナーがここにいたなら、ドローンを飛ばして捜索に加わってもらえただろう。だが今、彼の力は頼れない。

 となれば、自分たちがあてもなく飛び出しても、できることはたかが知れている。

 ここは、まず状況を確かめるべきだ。

 

 そう考え、改めてカメラ映像を「現在」の光景ではなく、数分前のものへと巻き戻していく。

 すると署内で何が起こったのか、だんだん把握できるようになってきた。

 

 吸血鬼は――透明になったまま侵入してきたらしい。最初に「それ」の存在に気づいたのは、保管室へと続くドアの前の廊下を、たまたま歩いていた男性巡査だった。

 どうやら音で気づいたその巡査は、ハンドガンを構えてドアを開き、そこで、吸血鬼の破壊活動に気づいたのだろう。

 

 彼の目からすれば独りでにガラスが叩き割られ、端末に穴が開いていくように見えただろうが、ともかく巡査は果敢に発砲した(証拠保管室の内部に監視カメラはないので、これはすべて外の廊下のカメラが捉えた映像だ)。

 

 そして吸血鬼は、気づかれたことを悟り、破壊活動を諦めたようだ。

 素早く階段を上がり、ドアを開け放し、巡査を突き飛ばして廊下を通り抜け(カメラ映像では、巡査が勝手に吹き飛んだように映っていた)、そのまま足音だけ残して、入り口から外へ――

 それが、数分前の出来事のすべて。

 

「外に逃げています。入り口から……」

「くそ……!」

 

 怪我人がなかったのは幸いだが、取り逃がしてしまうのはあまりに危険だ。

 コナーたちは吸血鬼の逃走経路を辿って走りつつ、周囲を確認する。

 廊下には、特に壊された跡などは残っていない。

 そして入り口から署の外に出てみると、そこには夜の曇天の下、ただ喧騒が広がるばかりであった。

 パトカーのサイレン音があちこちに鳴り響き、たまさかの騒々しい雰囲気に道行く人々はどことなく不安げにしているが、それを除けば、街に特に変わった様子はない。

 

「なんなんだ……?」

 

 頭を掻きながら、ハンクは呟くように言った。

 

「署に忍び込んで、証拠を盗もうとして、バレたから逃げだした、って……それだけか?」

「誰にも危害を加えていないところから見ても、どうやらそのようですが――」

 

 そうまで語ったところで、コナーのプログラムがふと、一つの違和感を検出する。

 

 もしこれが、想定通りもう一人の吸血鬼の仕業なら――

 なぜ、吸血鬼は端末をハッキングするのではなく、破壊しようとしたのだろう。

 

 あの証拠保管室のシステムは、それぞれの捜査員が鍵となるIDカードを使ってガラスのドアを開け、端末でパスワードを入力し、それによってシャッターの向こうにその捜査員が担当する事件に関連する証拠品が出てくる、というものになっている。

 つまり、いくらあの端末やシャッターを壊したところで、ハンクやギャビンの所持する証拠品を盗むのは困難だ。

 だいたいアンドロイドならば、まずドアや端末のセキュリティシステムのハッキングに思い当たるだろうし、少なくとも試してみるだろうに――どうも、試行したような痕跡がない。

 

 まさか、何か思い違いをしているのだろうか。

 それとも、見落としがある? だとしたら、なんだろう。

 

 思考を巡らせつつ、ふと振り返って署の建物の壁を見たコナーは――

 発見したとある痕跡に、目を見開いた。

 

 そのまま、ゆっくりと壁伝いに視線を上にあげていく。

 痕跡は点々と、どこまでも続いている――

 

「……!」

「どうした、コナー」

 

 ――いや、今ここで騒ぎ立てるのはよくない。

 相手を刺激してしまう恐れがある。

 そう考えて、コナーは小さく頭を振った。

 それから、無言のまま視線だけをゆっくりと、警部補から署の入り口のほうへと動かす。

 

 そしてどうやら、それだけでハンクは状況を察してくれたらしい。

 彼は何気ない様子で、すたすたと署の中へと戻っていった。

 コナーも、すかさず彼に続く。

 

 そして中に戻った瞬間、警部補はこちらに向き直って問うた。

 

「壁に何かあったか?」

「よくわかりましたね」

 

 思わずそう告げてしまうと、彼は小さく肩を竦めた。

 

「お前のLEDがビカビカなってたからな。で、何があった」

「壁に足跡が……5月10日、ソーク氏とトーマスが殺害された時と同じだ。壁を蹴って、上へと上がっているんです!」

 

 言い終えないうちに、コナーとハンクは署のオフィスの奥にあるエレベーターまで駆けていった。

 

 ――署の建物の壁には、デザイン上微妙な隆起がある。

 吸血鬼は、外に逃げ去ってはいなかった。確かに入り口から外には出ているが、その後街へと逃げ込みはしていない。

 その機体の性能を使って、外壁を蹴り、屋上へと逃げ込んでいたのだ。

 犯人はまだ【ここにいる】。ほとぼりが冷めるまで、屋上に留まっているつもりに違いない!

 

 さりとて、大勢で行けばこちらが居場所に気づいたことを悟られ、逃げられるかもしれない。ここは、まず少人数で行ったほうがいい。

 そう判断して、二人は、全速力で屋上へと続く鉄製のドアの前へやって来た。

 

 銃を抜いたハンクが、無言で自分が先行する、と合図してくる。

 こちらが頷くと、彼は静かにドアノブを回し、音を立てないようにそれを押し開けた。

 

 すると――

 

 音声プロセッサに届いたのは、【子守歌】――ハッシュ・リトル・ベイビーの歌声だ。

 女性の歌声。上方から聞こえてくる。

 否、この声の主は――!

 

「マーサ!」

 

 愕然として、コナーは声をあげた。

 視線の先には、屋上に備えつけられた避雷針――その、先端。

 まるで公園のベンチにいるかのように危機感のない態度で――横向きにアンテナのように張り出された部分に、黒く長い髪を風に棚引かせ、黒くぴったりとしたシャツとボトムスを身に纏った女性が座っていた。

 

 上空、約5メートルの位置。

 どうやって上ったんだ。彼女は、杖を使って歩いているのではなかったか。

 

 それに避雷針の様子もおかしい。妙にたわんでいる。先端に重量物が乗り、負荷がかかっているからのようだが――そしてその重量物に該当するのはマーサしかいないが、物理演算によれば、その重量は【102キログラム】と試算されている。

 ――馬鹿な。痩躯の彼女が、そんなに重たいはずがないのに。

 

 そしてこちらの呼びかけに、マーサはようやく気がついたようだ。

 彼女は歌うのをやめてゆっくりとコナーたちを見やり、にっこりと微笑む。

 

「あら、こんにちは。コナーさん……よね? それに、パートナーの刑事さん」

「おいあんた、なんだってそんなとこにいる!」

 

 銃を構えたままではあるが、銃口は向けずに、ハンクは叫ぶ。

 

「降りてこい、危ないぞ!」

「あら、大丈夫ですよ。だって今日は、うちの子がいい景色が見たいって言ったんですもの」

 

 ――うちの子。

 その言葉に吸血鬼の襲撃を予測し、コナーは周囲を見渡した。

 だが、それでも、何かが迫りくるような様子はまったくない。ここには自分たちの他は、マーサしかいないようだ。

 

 この状況は、いったい。

 思考プログラムに混乱を覚えつつも、コナーは、ひとまずマーサに視線を戻す。

 彼女はというと、ここが初夏の公園かと錯覚してしまいそうなほどの吞気さで、「そうだわ」と胸の前で手をぽんと叩く。

 

「そう、この前は……どうもごめんなさい、コナーさん。あなたを傷つけるつもりはなかったのよ、ただ、この子がせがむから。行き違いがあって」

「なんの話をしてるんだ!」

 

 こちらの戸惑いを代弁するように、ハンクが言った。

 

「おい、あんたは吸血鬼の身内なのか。それとも……」

「あら嫌だ、吸血鬼ですって!?」

 

 途端に、彼女は周囲をきょろきょろと見回しはじめる。

 

「怖いわ、本当ですか刑事さん? そんな……私、ここにはただ、娘と一緒に落とし物を拾いに来ただけなのに」

 

 ――落とし物。

 その言葉でやっとコナーは――そして恐らくは同じくハンクも、一つの確証を得る。

 

 「子守歌」の吸血鬼が、カナダでマーサが買った人形を持っていた理由。

 証拠保管室で、ハッキングを試みなかった理由。

 吸血鬼が逃げ込んだはずの場所に、なぜかマーサしかいない理由。

 

 そして――以前ギャビンとナイナーが見つけた工場の地下、武器庫に残されていた、実験中のパワードスーツ。

 

 それらすべてが今、繋がった。

 マーサが。彼女こそが、もう一人の――

 

「あなたが……!」

 

 コナーが誰何しようとした、その時。

 

「えっ?」

 

 マーサは突然、小さく声をあげた。まるで、誰かに後ろから話しかけられでもしたかのように。

 何を――? とこちらが訝しむ間に、彼女は歌うように言葉を発している。

 

「あら、違うわよミリア。この刑事さんたちは別に、悪い人たちじゃなくって……えっ、なんですって?」

 

 刹那、マーサの真っ黒な瞳が、こちらを射る。

 まるで深い闇の底、淀んだ汚泥の淵の底のように、暗く冷たい眼差し。

 その異様な輝きに思わずたじろいだその時、マーサの唇が、震えながら言葉を紡いだ。

 

「この刑事さんは、マーカスの仲間だっていうの?」

 

 ――マーカス。

 その名を口にしたマーサの表情に、初めて激しい敵意が浮かぶ。

 しかし彼女自身は、どうやら、それを認めたくはないようだ。

 

「いえ、でも、でも……だったら殺さないといけないけど、そんな……お腹が空いたの? けど、他の人じゃ駄目なの? この刑事さんじゃなきゃいけないの??」

 

 彼女は頭を抱えて、何やら煩悶している。

 しかし、その理由が見えてこない。そもそも、()()()()()()()()()??

 こんな状況は初めてだ。

 だからこそ、さらに混乱しそうになるプログラムを必死に制御しながら、コナーは思考を巡らせる。

 

 と――空気中の湿度が変化し、鼻先に冷たい水滴が触れる。

 雨が降ってきたのだ。

 

「おい、コナー」

 

 隣に立つハンクが、視線はマーサに向けたままで話しかけてくる。

 

「なんだかわからんが、このままじゃヤバそうだ。ここは一度応援を呼んで――」

「その必要はねえぞ!!」

 

 瞬間、胴間声と共に屋上のドアが蹴破られる。

 現れたのは、既にハンドガンを構えたギャビン・リード刑事であった。

 

「てめえら、俺抜きで何コソコソしてやがる! 捜してた女があそこにいんじゃねえか」

「リード刑事……!」

 

 確か彼は、外に食事に出ていたのではなかったか。

 どうやら、ちょうど戻ってきたところで騒ぎを聞きつけ、ここまで上がってきたようだが。

 

「おいギャビン、今取り込み中なんだ、お前は下がって応援を呼びに行け!」

「は? てめえらが不甲斐ねえから来てやったんだろうが」

「二人とも、静かに!」

 

 言い争いに発展しそうな二人を制しつつ、コナーはマーサを注視しつづける。

 というのも、彼女の煩悶が止まったからだ。

 マーサは頭を抱えたまま動きをぴたりと止めて、次いで、ゆっくりとまたこちらに視線を送った。

 

 彼女の周りは、奇妙なことになっていた。

 降り注ぐ雨垂れが、勢いを増してきたそれが、彼女の周りでだけ湾曲しているのだ。

 まるで透明なベールを纏っているかのように、彼女の服も身体も濡れていない。雨が避けているかのようだ。

 

 そしてもちろん――コナーの目は、その理由を捉えている。

 

 マーサを守るその透明な部分が、徐々に、色を変えていく。

 雨空の下でも街灯のわずかな光でわかるその色は、モスグリーン。

 足先から頭部まで、彼女の身体をどんどん金属製の装甲が覆っていき、ついには、その手の先に例の鋭いホースが――そして、その背にはタンクが現れていく。

 

 否、「現れる」というのは正確ではない。

 彼女はただ、スーツの光学迷彩をOFFにしたのだ。

 マーサはあそこにいる時からずっと、スーツだけを透明にしていた。

 肉眼で見えなかっただけで、ずっと纏っていたのだ。

 吸血鬼として活動するための、パワードスーツを。

 組織がアキリーズの技術を使って造り出した、「もう一人の吸血鬼」としての能力を。

 

 そう、今のマーサの姿はまさに――

 あの建設中の高速道路でトラックの荷台から現れた、吸血鬼の姿そのものだった。

 

「……」

 

 彼女は、そうして無言でこちらを見つめていた。

 そして2秒後、軽く片手を挙げて言う。

 

「さようなら、刑事さん。大丈夫、あなたも私たちが救ってあげる」

 

 ――救うだって?

 

「クソが!!」

 

 彼女の身動きを察知したギャビンが、すかさず発砲する。

 ハンクもまた、トリガーに指をかけた。

 だがそれが引かれるよりも早く、マーサは思い切り足を屈伸させ――

 

 次の瞬間、重量物の動きに耐えられなくなった避雷針が折れ、こちらに向かって倒れてくる!

 

「危ない!!」

 

 叫ぶと同時に、コナーは近くに立つ二人を後方へと押した。

 つんのめるように彼らを突き飛ばしたコナーの背、そのぎりぎりのところで、すさまじい音を立てて避雷針が屋上の床と激突する。

 

「っ……!」

 

 バランスを崩して膝をつく形になってしまったコナーは、頭を振ってゆっくりと立ち上がる。

 目の前の二人、ハンクもギャビンも、転んではいるが怪我はしていない。

 

 しかし――

 

「逃げられたか……」

 

 ハンクの言葉通り。

 振り返った先では、無残にも折れた避雷針と床のコンクリートを、降りしきる雨が濡らしているだけだった。

 

 

(再会/The Revelation 終わり)

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。