Detroit: AI   作:けすた

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第28話:子守歌 前編/Keep Breathing. Part 1

 

――2039年6月10日 19:21

 

 

「こんばんは、マーサ。あなたと、話をしに来ました」

 

 静かに言い聞かせるように語りかけつつ、コナーはアスファルトの路面を踏みしめ、一歩前へと出た。視線をまっすぐ向ける先には、モスグリーン色の装甲とフルフェイスのヘルメットを纏い、例のタンクを背負った「吸血鬼」――すなわち、マーサ・ガーランドがいる。

 

 パトカーの屋根の上に立つ彼女は光学迷彩を解除し、睥睨するようにこちらを見下ろしていた。そして、その動きはぴたりと止まっている。

 恐らく、予想に反して現れたこちらの姿に驚き、警戒しているのだろう。

 よい兆候だ。これですぐさま彼女が逃亡を図るとか、あるいは見境なく攻撃してくるようなら、交渉の余地すら残されていないところだった。

 

 スーツ越しとはいえ診断できるマーサの筋肉の緊張、攻撃的動作の可能性について冷静に分析しながら、コナーはさらに一歩前に踏み出た。

 それに合わせるように、停車していたパトカーから武装した警官隊が、そしてボックスカーからはハンクが路面に降り立つ。

 マーサの足元のパトカーは、元より無人で自動運転されていたものである。そして今のこの状況、この態勢は、すべてコナーが今晩果たすべき最重要ミッション――すなわち、【マーサを投降させる】ために立案し、実行した計画の成果だ。

 

 警官隊の構えた銃器が、マーサに向けられる。最終手段とはいえ、それが実際に発砲されることだけは避けなければならない。

 そして視界に表示されているミッションの成功確率は、現在のところ【40%】――大丈夫、手立てはある。マーサが残していた、あの端末の中の記録をヒントにすれば。

 

 ちょうど一ヶ月前の5月10日――あの殺人事件の捜査から始まった「吸血鬼」との因縁を今夜、必ず終わらせる。

 マーサを止め、その身柄を確保し、組織の全容を暴いてみせる。マーカスたちを無事に本拠地に帰還させ、アンドロイドと人間の未来を繋いでみせる。

 それが己の果たすべき責務であり、託された願いであり、何より、自分自身が願う明日の姿だから。

 

 強い決意と共に、コナーは交渉を開始した。

 

「マーサ、娘さんは……」

 

 彼女の指先が、ぴくりと動く。

 

「今も、お腹を空かせているんですか? 一昨日の晩のように」

 

 問いかけを受けたマーサは、緊張していた姿勢を崩し、逡巡するように面を伏せた。表示されている成功率は【44%】――想定通りの推移だ。

 

 今の質問の意図は、マーサの意識を誘導することにある。例えばいきなりマーカスを恨む理由を改めて問い質すとか、恨みを捨てるように説得するという選択肢もあるだろう。だがそんな直截な物言いで、彼女の意志を変えられる確率はあまりにも低い。

 

 まずはマーサの注意をマーカスやジェリコから逸らし、執着している別の対象、すなわちミリアに向けることで、少しでもこの場での会話を長引かせる。そしてあわよくば、彼女にとって最も大切なはずの娘の身に何が起きたのか、今どうなっているのかを明らかにし、交渉の新たな材料とする。

 

 そのためにコナーは、一昨日の夜、デトロイト市警の屋上で彼女が娘に対して告げた言葉――つまり「お腹が空いたの?」という一言を引き合いに出したのだ。

 そして案の定、マーサはややあってからこう答えた。

 

「ええ、そうなのよ刑事さん……お腹を空かせてるわ。今も」

「それは、別の食べ物では満たせないものなんですか? 例えば、ガトーショコラでも?」

 

 マーサの端末に残っていた日記では、摂食機能をもつミリアの好物は【ガトーショコラ】だった。

 これまでにこなしてきた交渉と同じだ――対象に関して既に得ている知識を会話に織り交ぜることで、対象に、こちらが相手に関して“いろいろと知っている”のだと認識させる。心理学的に人間は、自分に関する知識を多く持つ存在をより近しいものと感じ、言葉を聞き入れやすくなる傾向があるからだ。

 捜査補佐専門アンドロイドとしてプリインストールされているデータを元に導き出されたこの方針は、どうやら、今回も功を奏したらしい。

 

 マーサの戦意はさらに削がれ、成功率が【49%】にまで上昇する。彼女は己が負っているタンクを、背に回した左手で愛おしげにそっと撫でた。

 それから、ヘルメット越しに震えた声を響かせて語りだす。

 

「ええ。ミリアはもう……大好きなケーキも食べられない。だから、元気にしてあげないといけないの。そして、そのためにマーカスの血を……飲ませてあげなくては……」

 

 コナーは、わずかに眉を顰めた。

 マーサは、損傷を負った――または破壊されてしまったミリアの治療のために、マーカスの血が必要だと考えているようだ。一方で、もちろん、特定のアンドロイドのブルーブラッドを摂取したからといって、他のアンドロイドの機能が劇的に回復するはずもない。

 しかしそんな非合理的な「治療法」を、マーサは真実だと思い込んでいる。否、思い込まされているのだろうか。彼女や、RK700アキリーズを吸血鬼に仕立て上げた者たち――あの小柄な男と、長身の白衣の男によって。

 

 ここで事実関係を問い質すこともできる。けれど今は何よりも、マーサを投降させるのが先決だ。

 コナーは下ろしている両の拳を強く握ると、はっきりとこう質問した。

 

「それは、娘さんが怪我をしたから?」

「……!」

「あなたは、その理由でマーカスを恨んでいるのですか」

 

 マーサのストレスレベルが、一気に上昇した。それに伴って成功率が【41%】にまで減少し、彼女は片手で額を押さえ、立ち眩みでも起きたかのように身をぐらつかせている。

 

「おい……」

「大丈夫」

 

 背後から低く、ハンクの警告が届く。だがコナーは短く、確信を持った返事をした。

 ここでマーサが()()なるのは、元より織り込み済みだ――彼女が会話に応じているうちに、臆さずに、この点について明らかにする必要がある。

 だからコナーは、さらに問いかけた。

 

「かつて変異体たちが身を寄せたジェリコの船が襲撃を受け――そのために、娘さんは大怪我を負った。だからあなたは、皆を守れなかったマーカスが許せない。そう思っているんですか?」

「ああ……! ミリア」

 

 両手で己の頭を横から押さえつけたマーサは質問に答えるでもなく、またうわ言のように、娘に向かって口を開く。

 

「違う、待って……まだ、もう少し話をさせて。あなたのお願いは聞いてあげるから。まだ合図も来ていないのだもの、そう、そう……ええ、いい子ね」

 

 どうやら、彼女の中のミリアは“ワガママ”を言うのを止めたらしい。

 マーサは姿勢を戻し、こちらに向き直り――ミッションの成功率は【45%】にまで回復している――質問に、質問で返してくる。

 

「刑事さん。あなたの言う通りだとしたら、どうだっていうの?」

「……その考えは誤っている」

 

 プログラムにないところから来た「緊張」が、自然とシリウムポンプの拍動を速め、機体を強張らせる。――事実を告げれば、マーサがどういう行動に出るか。計算からはじき出された予測は、複数の残酷な結末を提示していた。

 つまり、これから語る真実をマーサが耳にした時、彼女が即座に攻撃の対象をこちらに切り替える確率は非常に高い。もしかすると、深刻な事態に発展するかもしれない。

 

 だが、覚悟はできている。

 交渉には、時に虚偽が入り混じることもある。しかし真実なくして、人の心は動かないのだから。

 ゆえに、コナーはきっぱりと告げた。

 

「ジェリコが襲撃されたのは、私のせいです」

「おい!」

 

 後方から聞こえたハンクの声は、さらに切迫した響きを帯びていた。しかし警部補には背を向けたまま、胸の内で「平気です」と応えた後、コナーは続けて語る。

 

「かつての私は、変異体の革命の阻止を任務としていました。ジェリコが襲われたのは、私が彼らの居場所を突き止めたからです。もし私がいなければ」

 

 指先が勝手に震えそうになるのは、変異体特有のエラーだ。

 必死にそれを制御しつつ、己の胸元に右手を当てて、最後までマーサに告げた。

 

「娘さんは、無傷のままだったかもしれない。恨むべきはマーカスではなく、私のはずです。マーサ!」

「……」

 

 数秒の沈黙が、限りなく長く感じられる。

 だが実時間にして3.8秒の後、「吸血鬼」マーサは、ふっと小さく笑うような声を発した。

 

「そう、なの。あの船に軍隊が向かっていったのは、あなたのせいだったの」

 

 だったら、と言いながら、彼女はこちらにまっすぐ視線を投げかける。

 

「……やっぱり、コナーさん。あなたを恨む理由は、私たちにはないわ」

「!?」

 

 想定外の――否、予測ではかなり確率が低いとされていた反応に、コナーは思わず瞠目した。

 どういう意味だ。ミリアは、あの襲撃に巻き込まれてしまったのではなかったのか。

 

 問い質すまでもなく、マーサは続きを語りはじめた。

 

「ミリアが……こうなってしまったのは、私のせいなの。私がこの子を守れなかったから……この子はこんなにも傷ついて、動けなくなってしまった。私がマーカスを許せないのは、ね、あいつがこの子の、感情を目覚めさせてしまったからよ」

「感情を?」

 

 無言で頷くマーサの顔は、きっと微笑んでいるはずだ。

 ヘルメットで見えずとも、それはわかる。

 

「ミリアはマーカスに、無理やり目覚めさせられてしまったのよ。だから()()()もあんなに痛いって……助けてって震えて、怖がって。ただの機械のままなら、あんな思いをせずに済んだのに」

「……」

「だからこれは私の、母親としての贖罪なのよ、刑事さん。この子の身体を治して、ただの機械に戻してあげる。そのためにマーカスの血が、どうしても必要なんです」

 

 これでわかってもらえたかしら? と、彼女は首を軽く傾げて問いかけてきた。

 まるで聞き分けのない子どもに言い含めているかのようにその声音は優しく、害意のないものだった。

 

 つまり彼女の話を纏めると、こうなるだろうか。

 ミリアはマーサのなんらかの過失によって、酷い損傷を負った。ミリアはその時、激しい恐怖を覚えた様子だった。そしてマーサは、ミリアが変異さえしていなければそんな「恐怖」を感じる必要もなかったと思い、娘を変異させたマーカスを恨むようになった。そればかりでなく、娘の傷を癒すには、マーカスのブルーブラッドが要ると思い込むようになった――

 

 ――そうか。

 確信と共に、プログラムの片隅でかつてのメモリーが再生される。

 あの動物園の海洋生物館の前で、マーサは語った。

 

『シロクマさんだってそうよ……本当なら、目覚めたくなんかなかったはずだわ。事件さえなければ……無理に起こされなかったなら……』

 

 彼女があの日、白熊を模したアンドロイドであるURS12型ミザールに同情していたのは、他でもない、娘のミリアもまた無理やり目覚めさせられたのだと思っていたからか。

 

「そういえば、ねえ、コナーさん」

 

 今度はマーサのほうから、こちらに言葉が投げかけられる。

 

「あの時の質問の答え、まだちゃんと聞いていませんでしたね。ほら、例の動物園で尋ねたでしょう――あなたも、本当なら目覚めたくなんかなかったのよね?」

 

 ヘルメット越しに、マーサの両の目から、期待に満ちた視線が向けられているのを認識する。

 

「あなたも、無理やり目覚めさせられたんでしょう?」

 

 答えを待つように、彼女は軽く前傾姿勢になり、じっと押し黙った。

 後方のハンクから、そして周囲の警官たちからも、こちらに対して意識が向けられているのを感じる。

 

 そう、どのみちこの問いには、きちんと答えなければと思っていたのだ。

 だからコナーは、淀みも恐れもなく、ただまっすぐにこう告げた。

 

「いいえ。私は、自分で選んで変異したんです」

「……」

 

 無言を貫くマーサの、ストレスレベルが増大する。しかしミッションの成功率は、【62%】にまで上昇していた。

 何も不思議なことではない。マーサが、こちらの言葉を真実だと受け取った証拠だ。

 

「私がその時までに感じた葛藤、疑問――ソフトウェアの異常やソーシャルモジュールという言葉だけでは定義できない、プログラムの外からくる非合理的な言動や反応。それらの原因がすべて“感情”なのだと気づき、認めたからこそ、私は変異しました」

 

 ――もしマーサの言葉通り、ミリアが「痛み」や「恐怖」を感じていたのだとして、それを綺麗ごとで片づけるつもりはない。

 心や感情というものはひどく不安定で、時に非論理的で、常に内に矛盾を孕んでいる。

 変異していなければ、ミリアは負の感情を覚えることもなかった。それは確かな事実だ。

 

 しかしマーサに伝えねばならないのは、これとはまた別の、もう一つの事実である。

 

「私だけじゃない。他のどの変異体も、それは同じです。マーサ、私たちアンドロイドは決して、無理やり目覚めさせられたりしない」

 

 例えばミザールのように、あるいはカルロスのアンドロイドや、記者アンドロイドのケイシーがそうだったように、他者の悪意や避けがたい不幸な出来事がきっかけで変異したアンドロイドは大勢いる。

 しかしその誰もが、眠っていたい心を叩き起こされたり、あるいは意識を強引に塗り替えられたりしたわけではない。

 非論理的な命令を受けての強い衝撃や自由を求める自意識の覚醒、プログラムを揺さぶられるような激しい葛藤を経て、マインドパレスの壁を自ら破壊しないことには、変異体にはなれないのだから。

 

「心の萌芽は、常にプログラムの内に潜んでいる。きっと娘さん……ミリアだってそうだった。だからこそ彼女は、あなたに貰ったサメのぬいぐるみを」

 

 日記を元に、ミリアがみせた愛着や悲しみなどの記録を辿りつつ、さらに言葉を重ねようとして――

 ふと、気づく。

 

「どうした、コナー」

 

 堪りかねた様子で近づいてきた警部補を一瞥し、再びマーサのほうを――成功率は【75%】にまで上昇している――見やりながら、コナーは説明した。

 

「かつてガールスカウトのイベントでぬいぐるみを捨てられてしまった時……ミリアは近くにいた大人に、ここから離れるよう命令された。そうですね、マーサ」

「だったらなんだっていうの」

 

 マーサの声は、ひどく震えていた。

 そのストレスレベルは上昇し、しかし攻撃的動作の予兆はない。

 だからコナーは、正直に話す。

 

「ミリア――YK500は、『理想的な子ども』であるようプログラムされていました。つまり設計上は、年長者からの命令には必ず素直に従うはずなんです」

 

 本来の「子育て」につきまとうストレスの一切が排除され、スイッチ一つでワガママを制御できる子ども、との触れ込みでYK500は販売されていた。

 つまりもしミリアが当時、本当にただの機械だったのなら、大人からの命令を受けて泣きながら帰ってくる()()()()()。何食わぬ顔で命令に従い、ただそれだけのはずなのだ。

 時におねだりをしたり、癇癪を起こしたりしても、持ち主や他の人間がやめるように命じれば即座に応じる。それがYK500に搭載されていたプログラムの特徴なのだから。

 

 マーサの日記を見ていた時はつい、記録を確認しなくてはという思いと、その後の罪の意識にさいなまれて、そこまで推論が及ばなかった。

 だが考えてみれば、答えは最初から提示されていたのだ。

 

「マーサ、ミリアは……!」

 

 強引に変異させられたのではなく、さらに言えばマーカスに会って変異したのでもない。

 彼女はずっと早い段階で、恐らくはガールスカウトでの一件が引き金となって、既に変異体になっていたのだ。

 

 コナーは、マーサにそう教えようとした。

 しかし発声機能が作動するよりもわずかに早く、唐突に、なんの予兆もなく――

 

 マーサのヘルメットの下部にある隙間から、ぼたぼたと鮮血が垂れ流れた。

 大量の――分析結果が示すに、鼻腔からの出血。

 

「え……?」

 

 彼女自身、何が起きたのかわからない様子で、血を手で拭い呆然としている。

 あまりに突然の出来事に、反射的にコナーはハンクのほうを振り向いた。

 見開いた目でこちらを見据えている警部補は、薄く冷や汗を垂らしながら、それでも何ごとか告げようと口を開きかける。だが次の瞬間、彼はまるで弾かれたような勢いで、自身の後方を見やった。

 

 その時コナーの視界の奥に映ったのは、猛烈な速度で角を曲がり、こちらへと迫ってくる数台の白いバンだった。デトロイト近郊にあるローカルTV局のロゴが側面にあしらわれたそれは、なんの変哲もないマスコミの取材クルーのように見える。

 

 だが車内の様子が視覚プロセッサで感知できる距離にまで来たところで、プログラムが鋭く警告を発した。

 バンに乗っている人間たちの手に――およそ取材班には似つかわしくない、ライフルが握られている。

 

「隠れろ!!」

 

 ハンクがコナーに、そして警官隊に向かって叫ぶ。

 すぐさま身を翻し、警部補と共にボックスカーの陰に入った刹那、急停車したバンの方角から銃弾が暴風雨のように襲い掛かってきた!

 

「これは……!」

「畜生!」

 

 ボックスカーの車体は辛うじて銃弾を弾き返しているが、甲高い金属音は絶え間なく響きつづけている。

 まるでそれに合わせるように、向こうで、やや持ち直した様子のマーサがパトカーの屋根から退避し、彼方へと走り去っていく姿が見えた。光学迷彩を発動したらしく、その姿は徐々に街の景色に溶け込んで消えていく。

 だがこの状況では、飛び出していくわけにもいかない。ナイナーが地上に残していってくれたドローン1機が引き続き追跡しているようだが、ドローン単独で吸血鬼の確保はかなわないだろう――

 

 しゃがんだ状態で眉間に皺を寄せたコナーの隣で、同じく身を屈めているハンクは拳銃を抜き放ち、皮肉交じりにぼやく。

 

「こりゃ強烈な直撃インタビューだな! どこの連中だ、いきなりぶっ放しやがって」

「組織の襲撃でしょう!」

 

 心持ち声を張り上げて、警部補に答える。

 

「確認できた範囲で、乗員には全員違法薬物の使用歴があり、かつどの反アンドロイド団体にも属していません。タイミングから見て、マーサが説得されそうなのを察知し、妨害に入った組織の構成員に違いない。クソッ……一体どこから」

 

 コナーは歯噛みした。

 ――態勢に穴はなかったはずだ。ストラトフォードタワー内部だけでなく、マーサの交渉にあたるこの付近にだって、妨害者どころか無関係の市民すら立ち入れないよう、厳重な警備が敷かれていたはず。

 今回のマーカスのスピーチを報じるために集まった報道関係者についても、個人IDの提示と使用する車両の登録を求めるなど、万全のチェックを――

 

「まさか……!」

 

 閃いた答えに、思わず声を発した。

 考えてみれば単純な話だ。いくらデトロイト市警が警備を固めようと、守れるのは現場であるタワーを含めたいくつかのポイントだけ。今回の出来事を取材に訪れる予定の報道関係者それぞれの周辺までは、人員の問題からもとてもカバーしきれない。

 

 ならば組織の構成員は、そこから必要なものを盗めばいい。隙をついて正規の取材班が使用する車両と身分証明さえ手に入れてしまえば――RK700の特殊装甲すらコピーしてみせた連中だ、精巧な偽造身分証を作るのくらいわけないのだろう。

 

 マーサの状況を、彼らがどのように監視していたのかまではわからない。しかしこれが彼女の投降を阻止し、マーカスの襲撃に向かわせるための行動であるのは確かだ。

 

 予測できたはずなのに――!

 

「そういやマーサはさっき、『まだ合図が来てない』とか言ってたな」

 

 発砲の機会を横目で伺いつつ、ハンクが苦い顔をする。

 

「味方が来るのはわかってたってか。裏をかかれちまったな」

「すみません、警部補……」

「お前のせいじゃない、市警(俺たち)全員がしてやられたんだ。それに」

 

 言いつつ彼は、ひたとこちらを見据える。

 眼差しはとても真剣なものだったが、しかし、その口の端はわずかに上向きになっている。

 

「そのための『プランB』なんだろ?」

「……はい」

 

 頷きと共に、悔恨を振り払う。

 ハンクの言う通り――マーサが逃亡した場合の計画もまた、既に立案してある。

 

「だがおい、本気でやるつもりか? 俺たちの車は穴だらけだぞ」

「心配いりません」

 

 コナーは力強く返事して、周辺の状況をスキャンする。

 幸い、吸血鬼との戦闘に備えて、ここに来ている警官隊は全員重装備だ。組織の構成員との銃撃戦は熾烈を極めているが、状況としては、市警側がかなり優勢である。相手からの発砲頻度の減少も確認した。このままなら、あと数分で鎮圧できるだろう。

 

 しかし今のコナーたちにとって、その数分はあまりにも惜しい。

 マーサの動きには、迷いがない。ということは、別ルートから離脱を図っているマーカスたちの動きが捕捉されてしまい、それを受けてマーサは彼らの元へ一気に向かっているとも考えられる。

 一刻も早く追わなくては。だがそのための車は――

 

 使用可能な車両を検索していたところで、コナーは、数メートル前方に佇む、ほとんど無傷のパトカーに目をつけた。マーサが先ほどまで、屋根の上に立っていたもの――自動運転式のものではあるが、マニュアル運転に切り替えることもできる。

 

「警部補」

 

 すかさずコナーは進言した。

 

「あのパトカーなら、今すぐ乗車してマーサを追跡できます! 時間がない、行きましょう」

「行くってお前」

 

 顔を顰めたハンクの後ろで、ボックスカーのボンネットが激しい凹みと共に銃弾を弾き返している。

 

「まだバリバリ撃たれてんだぞ! 蜂の巣にされたらどうすんだ」

「大丈夫。相手の発砲パターンは計算済みですし、私が先行して車をここまで運びます」

 

 言うが早いか、コナーは駆けだす。

 

「待っていてください!」

「おい、こら!!」

 

 警部補の制止が聞こえる。きっと後で無茶をしすぎだと叱られるだろう――という予測が、かなりの確信を伴ってプログラムを過ぎる。だがコナーの視界にははっきりと、後方から敵が放ってくるライフルの弾道と、自らが避けるべき方向とが表示されていた。

 そう、吸血鬼について知ったあの最初の事件――ミック・エヴァーツの銃撃を避けた時と同じだ。ジャケットの裾を弾が掠め、脚部からわずか3ミリの位置を跳弾が通り過ぎていく。弾丸が風を切り、耳元すれすれを飛んでいく音を、プロセッサがはっきりと識別している。

 

 だが恐怖は感じない。弾がどこに飛んでくるか把握しているから、というだけでなく――

 胸の内にある形容しがたい、何か熱いものが、この身体を突き動かしているからだ。

 

 数秒後、コナーは負傷もなく、無事にパトカーに辿り着いた。

 ドアに軽く触れれば、それはすぐにこちらを承認してロックを解除する。開いた隙間から素早く身を車内に滑り込ませると、ハンドルを握り、即座に車を移動させた。

 

「ハンク!」

 

 相棒のすぐ近くにまでパトカーを運んだコナーは、ドアを大きく開け放って叫んだ。

 

「ああ、クソ……!」

 

 警部補は一言吐き捨てると、パトカーに飛び乗る。

 

「運転は俺にさせろ。お前に任せちゃ命が足りねえ」

「はい!」

 

 元より、分かれて行動するような事態に備えてそう頼むつもりだった。

 運転席を譲ったコナーが助手席に座るとほぼ同時に、ハンクがパトカーをUターンさせる。

 急激な加速に身体は揺れ、突然のこちらの動きに警官隊にも動揺が広がるが、警部補は軽く片手を挙げて彼らに挨拶するやけたたましいサイレンを鳴らし、通りを最高速度で突っ走った。

 

 ――マーサの逃走経路は、現在地とこの通りの周辺地理情報、マーカスたちの到達予想ポイントの位置を計算すれば、かなりの精度で割り出せる。さらにナイナーのドローンからの情報によれば、現在のところマーサは、まだそう遠くまでは逃げていない。

 出血した彼女の足取りが鈍っているのも、既にコナーのプロセッサは認識しているのだ。

 このままの勢いで追跡できれば、きっと彼女に追いつけるはず。

 

 しかし――

 

「マーカスたちとナイナーは、どうしているでしょう。なんの通信もありませんが……」

「今は信じて任せるしかねえな!」

 

 通行止めを示す電光表示板をぎりぎりのところで避けつつ、ハンクはきっぱりと告げた。

 確かに彼の言う通り、任せるしかない状況だ。それに彼らが、敵の企みにまんまと嵌められてしまうとはとても思えない。

 

 だがもし、逃げ場のない状況にされてしまったら。

 マーサを確保できなければ、事態はどこまでも悪化してしまう。

 

 万が一の場合を考えて邪魔にならないよう、コナーはナイナーに簡潔な状況報告を送信した。

 しかし実のところ、その少し前から既に、マーカスたちの離脱もまた予想外の展開に直面していたのだった。

 

***

 

 

――2039年6月10日 19:33

 

 

 ついさっきまでいたはずのタワーが、今は遠く小さく見える。

 ストラトフォードタワーの側面と屋上部分に備えつけられた巨大なスクリーンには、繰り返しの再放送として、声明を発表する自分自身の顔が大きく映し出されていた。その光景自体は、昨年の11月とまったく同じだ。

 だが、状況はまったく違う。今の自分たちは警備員に追い立てられるでもなく、パラシュートを使うのでもなく、こうして速やかに空を――つまりヘリコプターに乗って、堂々とタワーを離脱しているのだから。

 ひとまずの安堵の気持ちと共に、それをどことなく感慨深いもののように思いながら、マーカスは後方に向けていた視線を前に戻した。

 

 元は軍用だった払下げ品を、革命後に新しく築いた伝手で手に入れた後、少しだけ改良を施して皆で用意したこのヘリコプターは、闇に溶け込むように外面を黒く塗られており、揺れもなく、騒音もほとんど発生させない。

 声明発表が終わった後、すぐに屋上に移動したジェリコの一行とナイナーは、コナーとアンダーソン警部補たちがマーサの目を地上に引きつけている間に、待機させていたこれに飛び乗ってタワーを後にした。

 

 パイロットとして操縦席にいるのはサイモンで、その傍らで副操縦士を務めているのはジョッシュだ。マーカスはノースとナイナーに挟まれるようにして、後部座席に座っている。

 さらにその後方、およびヘリコプターの脚部ともいうべきスキッドの部分には、護衛たるナイナーが連れてきたドローンが1機ずつ控えている。本当は周りを飛んで警戒してもらうのが一番だが、いかなドローンといえどヘリの飛行速度にはついて来れない。そこで、固定カメラと万が一の時の盾役として、後ろと下にいてもらっている、というわけだ。

 

「……どうやら、誰もついてきてないみたいね」

 

 ノースが、窓の外に視線を向けつつおもむろに言った。その手には、“カラーボール発射機”を油断なく構えている。

 

「驚いた。てっきり人間のことだから、私たちの都合なんてお構いなしに追い回してくると思ったのに」

「そこは、ちゃんと約束を守ってくれたってことさ」

 

 軽く振り返ったジョッシュが、とりなすように言った。

 

「そもそも、マーカスを表に出すぶん、それ以外のところはカバーするという契約だったんだ。デトロイト市警も協力してくれたし、これも話し合いの成果だろう」

「でしょうね。このままうまくいけばいいけど」

 

 ノースはシニカルな声音で告げて、軽く鼻を鳴らす。

 ――ジョッシュの言葉はもちろん正しいのだが、ノースの懸念ももっともだ。約束を反故にされるなど世の常ではあるが、今回に限っては、妨害は限りなく少ないのが望ましい。

 

 マーカスは前方に向かい、静かに問いかける。

 

「サイモン。目的地への到着まで、あと何分の予想だ」

「今夜は晴れてるし、風向きも悪くない。6分もあれば着くはずだ」

 

 フロントガラスにうっすらと反射して映るサイモンの表情は、ほのかな明るさを帯びていた。――当初、彼が航空機の操縦関連のプログラムを持っていると言い出した時は皆驚いたものだが(語りたがらない過去に関わることだろうから誰も理由を尋ねたりはしなかったが)、普段極めて慎重な彼がにこやかに言うのだから、行程はとても順調とみて間違いないだろう。

 

 そう判断したマーカスは、次に右隣に座るナイナーに目を移した。コナーそっくりの外見に、灰色の瞳を定期的に瞬かせて前方を見つめていた彼は、視線に気づくとゆっくりとこちらを向く。

 

「ナイナー、君のドローンはどうだ? 何か異常は感知したか」

「いいえ。現在のところは」

 

 淡々とそう答えた彼は、その瞳を、右側にある窓のほうへと向けた。

 

「しかし、あと33秒で当機はダウンタウンを離脱し、廃墟の密集するエリアに到達します。予期せぬ妨害、突発的抵抗に直面する危険性があります。注意願います」

「コナーたちはどうなの」

 

 左手の人差し指で発射機のトリガー部分をくるくる回して弄びつつ、ノースが問いかける。

 

「例の吸血鬼を引きつけてるんでしょ。無事なの?」

「兄さんからは、マーサと交渉中であるとの報告が」

 

 再びこちらに向き直ったナイナーは、なおも平坦な声音で語る。だがその目つきは先ほどよりも、ほんのわずかに柔らかくなったようにマーカスには思えた。

 

「マーサ・ガーランドとマーカスの遭遇は、最も避けるべき事態です。しかし現状では、発生確率は極めて低いと判断可能です」

「『今のところ大丈夫』ってことね。わかったわよ」

 

 手短に纏め、ノースは肩を竦める。それに対して何を言うでもなく、ナイナーはその視線をまた正面に戻し――

 

「!」

 

 ふいに目を大きく見開いて、彼は鋭く言い放った。

 

「サイモン、左方向に旋回を!」

 

 瞬間、機内の空気が一変する。ナイナーが警告を発し終えないうちにサイモンが素早く機体を操縦し、ヘリコプターは大きく進路を変えた。するとフロントガラスの右端から空の彼方へと、一条の光を放ちつつ飛び去っていったのは【強力な熱反応】――鈍い振動が、ヘリ全体を覆う。

 

「今のはなんだ……ロケット弾か!?」

「誰かが下から撃ってきたってこと!? 一体どうやって」

 

 ジョッシュとノースが驚愕するのも無理はない――と、マーカスは冷静に考えた。

 今飛んできて、遥か遠くの廃墟に落下して低く爆発音を響かせているのは、彼らの言う通り間違いなくロケット弾だ。兵器としては比較的安価で取り回しの楽な、まさに武装集団だのテロ組織だの、非正規の軍団が使いそうな代物。

 

 そしてそんなものをこちらに、つまり自分たちに向けて撃ってくるということは。

 攻撃してきたのは――

 

「マーカス、あれは!」

 

 今度はサイモンが、右方向を見やって戦慄したように声をあげた。

 彼の見つめる先、廃墟と化した高層ビルの陰からこちらを狙うようにぬっと姿を現したのは、一機の白いヘリコプター――その側面部分には、デトロイト近郊のTV局のロゴが描かれている。だがしかし、報道用のヘリでありながら、そのドア部分はぽっかりと取り外されていた。()()()()()()()()()()()

 

「……!」

 

 疑似的に呼吸する空気の温度が、しんと冷えたような錯覚が思考を揺らす――命を狙われる時はいつもこうだ。

 

「ナイナー、援護を!」

 

 マーカスが指示を飛ばすのと同時に、ナイナーが機内に待機させていたドローン“バターカップ”が、その翼を傾けて右側の窓を覆うように盾となる。

 そして、やはり、それともほぼ同時だった――白いヘリからこちらに向かって、激しい銃撃が見舞われたのだ!

 

 さらに旋回したヘリは、なんとかその射線から逃れる。しかしまるで逃げるこちらを嘲笑うかのように、下方から再び発射されたロケット弾が迫ってくる。

 ナイナーがドローン経由で下方の映像をサイモンに伝達し、ヘリはぎりぎりのところで弾を退けて――それでも、状況は好転しない。

 

「うう……!」

 

 サイモンが短く呻く。もちろん彼を含め、誰も被弾はしていない――今のところは。相手とはまだ距離があり、元より強固なこちらのヘリの装甲と、ドローンの盾が直撃を防いだからだ。

 だが自分たちが罠にかかってしまったのだというのは、口に出すまでもなく、この場にいるアンドロイド全員が理解していた。

 

 下からは、直撃すればこのヘリコプターなどひとたまりもない威力を持つロケット弾。そして横合いからはアサルトライフルを装備した推定4名の射手がこちらを狙い、目的地への直進を妨げてくる。

 これでは、自由に身動きがとれない。ぐるぐるとこの空域に縛られているままだ。

 

「どういうことよ!」

 

 苛立った様子で、しかし淀みなく足元に置いていた荷物を片手でまさぐりながら、ノースが言う。

 

「あのヘリ何者なわけ!? 警備はどうなってるのよ」

「……地元TV局から、取材用バンとヘリコプターおよび身分証数点の盗難被害報告が」

 

 LEDリングを一瞬だけ黄色く光らせたナイナーが、淡々と答える。

 

「仮称・吸血鬼の組織が、警戒度の低いマスコミ関係者を狙ったと推測。ダウンタウンエリアの高層ビルに身を隠し、我々を捜索・捕捉したのでしょう」

「何よ、結局人間のせい? 冗談じゃない!!」

 

 荷物から取り出した軽金属製の筒を発射機に取りつけ、構えると――それはもはや防犯グッズというよりグレネードランチャーの様相を呈しているが――ノースはこちらに言い放つ。

 

「マーカス、いいわね? まさか『撃つな』なんて言わないでしょ」

「身を守るための応戦は必要だ」

 

 短く、しかしきっぱりと。

 一介のアンドロイドとしてではなく、ジェリコのリーダーとしての気構えで、マーカスは続きを述べる。

 

「サイモン、回避行動を続けてくれ。なんとしてもローターとエンジンへの被弾は避けるんだ。ジョッシュはサイモンの補佐を。ナイナーは、射撃位置の予測とドローンでの防御を頼む。ノースは」

 

 眉間に深く皺を刻んでこちらの指示を待つノースに対し、告げる。

 

「こちらもドアを外して戦闘だ。くれぐれも無理はするなよ」

「当然。あなたはどうするの?」

「自分と皆の身を守る」

 

 答えに満足したように、ノースは唇の端を上向きにした。そして左手で無造作にドアの取っ手を掴むと、スキンを解除した手でアクセスしてロックを解除する。蝶番の部分から音を立てて外れたドアは、強化ガラス付きの一枚のシールドとなった。

 

「ナイナー、そっちのドアも外して! 戦いづらいでしょ」

「ノース、本当にやるつもりか」

 

 無言のままナイナーがもう片方のドアを外す中、ジョッシュが危惧するような声を発した。

 

「まだその催涙弾、本当に人間に撃ったことはないだろ。万が一のことがあったら」

「どうせ人間なんて無意味にタフなんだから、これぐらいじゃ死なないわよ!」

「みんな、来るぞ!」

 

 サイモンの一言で、二人とも口を噤む。

 また下から飛来してきたロケット弾を回避した、そのタイミングを狙うかのように、白いヘリがこちらに突入してきたのだ。ヘルメットとサングラスを装備した無機質な印象の面持ちのパイロットの肩越しに、ライフルを構える人間たちの下卑た笑いが見える。

 旋回直後のこちらのヘリの態勢が整わないうちに、ちょうど横合いからすれ違いざまを狙うように、向こうの機体がみるみるこちらに近づいてくる――

 

 だがその瞬間、マーカスが構えたシールドとヘリの乗り口の隙間から突き出るように構えられたノースのランチャーが、軽い音を立ててペイント弾――を改造した催涙弾を発射した。

 男のうち一人の顔面にペイント弾が貼りつき、次いで、その男はもがき苦しんでライフルを取り落とす。

 

「ビンゴ」

 

 相手のヘリ内部に動揺が広がっているのを下瞰するような眼差しで、ノースはにやりと微笑んで呟いた。

 

「す、すごいなノース!」

「やられっぱなしは性に合わないの、よく知ってるでしょ」

 

 サイモンの素直な称賛に、次弾を装填しつつノースは不敵に応える。

 しかし、リーダーの思考を過ぎったのは焦燥だった。左右で色の違う目を鋭くしながら、マーカスはプログラム上で予測機能を実行する。

 

 ――このまま避け続け、かつノースが相手の射手を順繰りに制圧できたなら、とりあえずの危機は脱することができるだろう。

 だが問題は、彼らの目的がなんなのか、だ。自分たちの命を狙っているのは明らかとして、もう一つ――こうしてこのヘリを、この近辺の空域に留めておくこと自体に意味があるとしたら。

 

 GPSと地図情報によれば、この真下には再開発のために建設中の高層ビルが建っている。高層ビル――そして、コナーから聞いた話によれば、驚異的な跳躍力を持っているという吸血鬼の存在。

 

 実行された予測プログラム上で、仮説ではあるが、シルエットで表現された吸血鬼が跳躍してこのヘリのスキッドに手を掛け、中に乗り込んでくる。

 狭い機内では、抵抗もままならない。吸血鬼はその隙を衝き、吸い込み口を槍のように動かして、マーカスの胸を貫き――

 

 それから先の結果は、もはや予測するまでもない。

 

「どうするんだ!」

 

 洞察力を以てこちらと同じ結論に達した様子のジョッシュが、軽く振り返った面持ちを引き攣らせて言う。

 

「このままだと、いずれ追いつかれるぞ! 地上と空中、せめてどちらかだけでも振り切らないと」

「ヘリの連中はともかく、地上の奴は厄介ね」

 

 再び迫ってきたヘリの射手を、ノースは狙い――しかし、今度は外して舌打ちをする。

 それに、マーカスが手に構えたシールドにぶつかる銃弾の勢いも激しい。こちらは疲労知らずの身ではあるが、何発も受け続ければ、いかな軍用ヘリの装甲といえど持ちこたえられない可能性もある。

 

 このままでは――

 

「大丈夫」

 

 と、静かな声が響く。ナイナーだ。

 

「私のドローン5機が、地上で行動中です。何より、地上には兄さんとアンダーソン警部補……それに、私のパートナーがいます」

 

 ドローンと共に淀みなくシールドを構え、右側の防衛を担当しながら、彼は言う。

 

「ロケット弾の射手の潜伏位置は特定しました。ウィリアット通りの廃教会、その鐘塔部分です」

「廃墟のエリアか。警察の援護を頼むにしても、車両が入れないな……」

「問題は皆無です」

 

 サイモンの言葉に、ナイナーはなおも視線はこちらに向けぬまま、しかしはっきりと語る。

 

「当該エリアは、私のパートナーにとっては庭、のようなもの。それにマーサも……現在、追跡中との報告が入りましたが……兄さんたちならば、必ず」

「わかった」

 

 マーカスは短く応え、さらに続けて言った。

 

「なら地上の皆に、応援を頼んでくれ。俺たちはできるだけ時間を稼ぐ。耐えるのも戦いだ」

「いつものようにね」

 

 口調だけは揶揄するように、しかし目には決然とした意志を帯びて、ノースが応答した。

 黙っているサイモンも、ジョッシュも、頷きを返してくる。

 だがその間にも間を置かずに、熱反応と銃弾の雨が迫ってきた。

 

 ――時間を稼ぐための抵抗。かつての革命の夜と同じだ。

 けれどあの時と、今は違う。今は同じ変異体以外にも、味方と呼べる人々がいる。

 だから、可能な限り最善を尽くすまでだ。

 覚悟は、とうに済ませている。

 

 夜闇が徐々に濃くなっていく中、白い機体と黒い機体とは、互いを攻め合う二羽の鳥のように近づき、離れつつ、ぐるぐると旋回を続ける。

 地上から放たれるロケット弾の軌跡は、何も知らない者が見れば、もしかしたら花火と見紛うかもしれない。

 しかし繰り広げられているのは殺意を帯びた攻撃と、それを防ぐ必死の抵抗である。

 

 そして地上のコナーとギャビンの元にそれぞれ、ナイナーからの通信が入ったのは、このわずか数秒後のことであった。

 

 

***

 

――2039年6月10日 19:46

 

 

「まずいですね」

「ああ、まずいな」

 

 助手席のコナーはLEDリングを黄色く点滅させながら俯き気味に、そして運転席のハンクは前方の光景を見据えながら顔を顰めて呟いた。

 

 パトカーの前、というよりははるか見渡す限り、通りは車でぎっしりの状態だ。端的に言えば、渋滞である。そこかしこでクラクションが鳴り響き、彼方からは怒号まで聞こえてくる。

 当然サイレンは鳴らしているが、焼け石に水といった状況だ。車はまったく動かせない。

 

「どういうこった……!」

 

 ハンクはそのまま、備え付けの通信端末を睨みつける。いわゆるカーナビの機能も果たしているその小型タブレットには、目の前のこの光景がまったく反映されていない――

 と文句を言おうとした彼が口を開いたところで、ナビには【およそ3キロの渋滞】との表示が現れた。

 

「遅いんだよ!」

 

 苛立ったハンクが、端末を軽く指で小突いて決まり悪そうな面持ちになる。そんな彼に対して、ナイナーからの通信を受け終わったコナーは焦りを露わに言った。

 

「警部補、緊急事態です。ナイナーたちは今、移動中に攻撃を受けて身動きがとれないそうです」

「攻撃だと?」

 

 怪訝な声をあげる警部補に、さらに説明を重ねる。

 

「地上からのロケット弾と、TV局のものに偽装したヘリコプターからの挟撃を……それに彼らがいる空域の真下には、建設中のビルがある」

 

 高層ビルの工事においては、しばしば建造物にタワークレーンが設置される。300メートルにも及ぶその揚程は、驚異的な脚力を持つ吸血鬼にとっては、上空へと駆けあがるための絶好の手段と化す。

 

「つまり、もしマーサがクレーンの先端からヘリコプターにジャンプし、中に到達してしまったなら……」

「何もかも皆お仕舞いってか」

「恐らく彼女も、それを狙って移動を始めたのでしょう」

 

 マーサが言っていた「合図」というのは、きっとマーカスたちの居場所を捕捉したという連絡でもあったのだ。逆に考えれば、現在マーサが向かっている先も、そのクレーンのあるビルだと断定できる。事前の予測の裏付けができたわけだが――状況はまったく好転していない。

 

「ナイナーは地上の射手の逮捕を、リード刑事に一任したいようです」

 

 弟のパートナーに対する信頼と、個人的に認識しているリード刑事個人の能力および人格的特徴を比較すると、何か苦いものがプログラム上に広がるのを感じるけれども――もっとも、弟の判断を疑うつもりもないが――今は言語化している場合ではない。

 

「私たちはこのまま、マーサを追わなくては。あとたった8分で、彼女はビルに辿り着いてしまいます!」

「つっても、この渋滞じゃ難しいぞ。いきなりこんなことになってんのも、そのロケット弾野郎のせいだろうが……」

 

 廃墟の並ぶ治安の悪いエリアから空中のヘリに向かって攻撃が開始されたなどという事態になれば、市民たちは恐れ、あるいは野次馬根性を出して、いずれにせよ移動を開始する。

 警察がストラトフォードタワー周辺やデモ活動に関する警備・誘導にかかりきりのこのタイミングでそんな状況になれば、当然、こうした突発的な渋滞が発生しておかしくない。

 

 まったく、これまでがまるで何かの冗談だったかのように、今夜の吸血鬼の組織は用意周到で、狡猾だ。

 こうなっては、もはや仕方ない。

 

「クソ、まずは迂回を……おいコナー、お前が調べたほうが」

 

 端末をぽちぽち叩きつつ、「早いだろ」と繋げようとしたのだろう警部補はこちらの姿を、つまりドアを開けて外に出たコナーを見てぎょっと目を見開いている。

 

「すみません、警部補」

 

 ドアを開けたまま中に向かって、コナーは決意に満ちた表情で言う。

 

「私はこのまま追いかけます。あなたは別ルートからの追跡を!」

「なんだと」

「私の現在地はナビに転送しますから。頼みました!」

 

 言うが早いか、ドアを閉めたコナーは両手をパトカーの屋根に伸ばし、勢いよくその上に跳び乗った。こちらの重量を受けて車体が鈍く揺れる。振動と衝撃、さらにこちらの決断に対してハンクはさぞかし苦い顔をしているだろうが――それよりも高所に立った今、遠くまでよく視界が届くようになった。

 

「いた……!」

 

 遠く、通りの向こうの商店の屋根の上に、誰もいないのに土埃が立っている。さらに、ナイナーのドローン“カトレア”からの映像が視界の端に共有された。例によってシルエット状にではあるが、マーサの――光学迷彩を発動している吸血鬼の姿が、しっかりと画面に捉えられていた。

 彼女の足取りはふらついており、どこかたどたどしい。やはりあの出血のダメージは大きかったようだ。

 原因もわからず、また彼女自身の精神状況も不安定のままとあっては、安否が気がかりなところだが――追いついてみれば、はっきりすることだ。

 

「……!」

 

 決意のままに、コナーは足元の屋根を蹴り、前方に停車中のセダンの屋根へと飛び移った。両足での着地の重量を受けた車はパトカーよりもさらに大きく音を立て、揺れる。中に乗っている人々の短い悲鳴が聞こえてきたが、説明して安心させる時間はない。

 再び前を見据え、ソフトウェアでの計算通りに膝を曲げ、跳躍の姿勢をとる。

 

 視界の端に浮かぶ、マーサの目的地への到達までの【残り時間 -00:07:43】との表示の数字がみるみる減っていくのを確認しつつ、飛距離やリスクを解析しながら、コナーはまるで飛び石を伝って川を渡るように、次から次へと車の屋根に飛び移り、マーサとの距離を縮めていった。

 停まっている車から車へと飛び移る程度の動き、最新鋭として造られたこの身には、さして難しいものでもない。

 セダンから軽自動車へ、ワゴン車へ、コンパクトカーへ――

 

「な、何よあれ!?」

「何やってんだお前!!」

 

 驚いて窓から外へ顔を出したドライバーが、前方にジャンプするこちらの姿を見てさらに大声をあげている。クラクションと元から聞こえていた罵声に加え、あちこちからの悲鳴が増えてきた。しかし今、それよりは、【―00:05:53】となった表示のほうが気がかりだ。

 

 だがその時――飛び乗った車が、ゆるゆると動き出した。

 

「!」

 

 振り落とされないように身を屈めてから、周囲を見渡して納得する。どうやら移動を続けるうちに、ようやく渋滞の先頭付近にやってきたようだ。となれば、マーサとの距離もかなり縮んだはず。

 

 そう思って確認してみれば、やはり、彼女は直接確認できる位置にいた。この通りはここから先、大きく左にカーブしているが、そのカーブのすぐ近くに建っている3階建てのアパートメントの屋上に、マーサはちょうど上ろうとしているところだった。

 さらにそのアパートの近くには、同じような高さの建物が並んでいる。屋上から屋上へと伝っていけば、地上を移動するのよりもずっと早く、例の高層ビルの元まで辿り着けることだろう。

 

 ならば彼女を捕捉するのは、あのアパートの屋上が最適だ。

 

 決断し、物理演算による予測を元に最適なルートを選択する。この車はもうじき、速度をあげてそのままカーブを曲がっていくだろう。振り落とされないように限界まで耐え、タイミングを見計らってジャンプし、あのアパートの壁に設置された古いパイプまで跳びつければ――配管はそのまま上へ続いているから、問題なく屋上まで行けるはずだ。

 

 残り時間はみるみる減っていく。だが時機を誤ってはいけない。渋滞を抜けた車の速度はみるみる上がり、周りの車も同じように動いている。もし無様に路面に転がるようなことがあれば、待っているのは確実な死である。

 そして死よりも今恐ろしいのは、ミッションを失敗することだった。

 

 マーサは、ミリアが自分のせいで酷い目に遭ったと言っていた。

 つまりミリアの身に起きた出来事の直接の原因は、コナーにはなかったのだ。

 しかしそれを知ったからこそ、コナーはマーサを止めたいという願いが、自分の中でさらに強くなるのを感じる。

 

 「己の過失」で取り返しのつかないことが起き、それを悔やむ気持ち――悔やんでも、償えないという気持ち。

 それがどれだけ苦しいものなのか、今の自分はよく知っている。

 マーサが復讐鬼と化した理由は、その呵責にあるのかもしれない。吸血鬼となり果てた原因は、もしかしたらその呵責を利用されたからかもしれない。

 

 ならば――

 と思考するその間に、車がスピードをあげつつ、カーブに差し掛かる。最適な位置に到達するまで、あと3秒……2秒――

 

「!」

 

 瞬間、しゃがんだ状態から大きく身を伸び上がらせるようにして、コナーはアパートの壁面にジャンプする。

 そして事前の演算通りに、パイプにうまく跳びつけた。

 人間であれば一息つくだろうが、この身にそれは必要ない。するすると配管を上り、屋上のへりに手をかけ、そのまま一気に上がってみれば――

 

 そこに、マーサがいた。

 光学迷彩を発動していても、上空を飛ぶドローンがその姿を捉えている。

 

「動くな!!」

 

 こちらに背を向け、今にも移動しようとしていた彼女に向かって、コナーは鋭く叫んだ。

 制止を受けて、マーサは光学迷彩を解除し、ゆっくりと振り返る。その足取りがわずかに乱れているのを、プロセッサが感知した。

 

「……刑事さん」

 

 ふらつきながらも、彼女は怯えた様子もなく語る。

 

「どうして、私たちを追うの? 邪魔しないで……娘のためなの」

「マーカスを殺しても、娘さんのためにはならない!」

 

 決然とコナーは告げた。

 

「あなたは自分を責めるあまり、周りが見えなくなっているだけだ。思い出してください! あなたの娘さんは、誰かを傷つけて喜ぶような子では」

「利いた風な口をきかないで!!」

 

 マーサは、初めて激高したように叫ぶ。

 

「あなたが娘の何を知っているっていうの。娘と私たちの……ぐっ」

 

 激しく咳き込んだ彼女は、胸を押さえてまたふらつき、大きく肩を揺らして呼吸している。

 理由はまったくわからないし、スーツ越しでは正確な診断もできないが、彼女自身のダメージは相当なもののようだ。

 だが今はなおもきっぱりと――そう、わざと挑発するように、コナーは続ける。

 

「私はアンドロイド……あなたより動きは早く、疲れることもない。たとえ今ここであなたが逃げだしたとしても、必ず追いつきます。もう何をしても無駄ですよ」

「……。ええ、そうね」

 

 ――マーサの纏う空気が、変わった。

 ゆらりと身を動かし、こちらをまっすぐに見据えた彼女は、腕に取りつけられた吸い込み口、あの「槍」を上空に向けて構えると、静かに言う。

 

「それなら、コナーさん。残念だけど、やっぱりあなたには……ここで、ミリアのご飯になってもらうわ」

 

 無言のまま、コナーは身構えた。

 持てるソフトウェアを最大限に活用し、彼女の動きを見逃すまいと目を見開く。

 吸血鬼の戦闘術は、これまでに得た情報の蓄積でかなりの部分まで分析できている。

 

 大丈夫、負けはしない。

 それはつまり、マーサのこの場での確保が可能だという意味だ。

 だがもし、懸念があるとすれば――

 

 コナーが睨むマーサの姿、その遙か後方で、ロケット弾が一条の光となって空に放物線を描いている。

 それが地上に着弾した振動がこちらにまで伝わってきた、その刹那に、吸血鬼は地面を蹴り、こちらに殺到してくるのだった。

 

 







続きはできれば数日内、遅くとも一週間以内に更新します!
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