Detroit: AI   作:けすた

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第29話:子守歌 中編/Keep Breathing. Part 2

 

――2039年6月10日 19:51

 

 

 けたたましい無数のクラクションと怒声、近づいたり遠ざかったりを繰り返すいくつものサイレン音、何より何度も大地を揺らしてこちらに響き渡ってくる爆発音が、鼓膜を煩わせる。

 元からおめでたく“賑やか”だった夜が、さらに輪をかけて騒々しくなってしまった。

 

 ――今日は独立記念日でも感謝祭でもねえんだがな。クソが。

 

 イライラした気持ちのままにギャビンはぎりぎりと奥歯を噛みしめ、しかしその歩みはしっかりと、廃墟が占めるエリアへと進んでいく。

 

 すべて計画通りに進んでいた、はずだった。

 ハンクとコナーの野郎どもが吸血鬼を引きつけ、ポンコツ備品はジェリコのアンドロイドと一緒に、空からヘリで離脱する。

 万が一の時のためにストラトフォードタワーのすぐ近くの道路で張っていたギャビンは、ヘリが無事に飛び立ったなら今日はお役御免になる予定だったのだが――

 

 

『リード刑事、緊急事態です』

 

 

 5・6分ほど前、緊急だとかいうくせに相変わらず棒読み口調のポンコツアンドロイドからの連絡を受けたせいで、そうも言っていられなくなってしまった。

 面倒くせえ、といううんざりした気持ちとひりついた緊張――それに吸血鬼確保に向けた野心が齎すほのかな期待を胸に「何やらかしたんだてめえ」と問い返そうとしたその時、遠くから映画のごとき地響きと悲鳴が聞こえてきて、事態を察した。

 

 どうやらアホがロケットランチャーをぶっ放し、地上からヘリを狙っているらしい。

 おまけに備品の話では、わざわざ別のヘリコプターまで用意して、マーカスたちを空で追い回しているのだという。

 

『彼らの目的はマーカスの殺害です。我々を挟撃し、逃走を阻止しています』

 

 車内――アンドロイド刑事の淡々とした声が端末から響いた。

 

『ロケット弾の射手が潜伏する地点の予測は完了しています。リード刑事、あなたの援護を要請します』

「は? なんで俺が」

『予測潜伏地点はウィリアット通りの廃教会、その鐘塔部分です』

 

 声と同時に車載の端末に地図が表示されたが、見るまでもなくギャビンの脳裏を過ぎったのは、20年ほど前までしょっちゅう入り浸っていた「遊び場」の光景だ。

 ウィリアットの、あのいかにも古臭いカトリックの廃教会――神父も信者も姿を消した石造りのその建物は、秘密基地にするにも戦争ごっこをするにもちょうどいい広さだったし、当時から今も鳴らす者のいない鐘の設置された塔は、確かに空中にあるものを狙うにはうってつけの高さだった覚えがある。

 

 あの辺りは、再開発のエリアにも含まれていない。

 となればその周辺の環境は、ギャビンがよく知っているものとさして変わっていない、はずだ。オンボロの建物がそびえる街並みも、壁に空いた抜け道や、隠れ進むにうってつけの細道やなんかも。

 

 ――なるほど。それで俺をわざわざご指名ってわけですか。光栄だね、ポンコツども。

 

『当該区域には、現在警察車両の進入は困難です。しかしあなたなら』

「あーはいはい、わかりましたよ」

 

 備品の言葉をわざとおどけた口調で遮り、ギャビンは「ハッ」と短く笑う。

 

「さすがの人選、痛み入るね。ジェリコのリーダー様を救う人間代表に選出ってワケか」

『リード刑事、私は……』

「いいか、ハッキリさせとくけどな!」

 

 ぼそぼそと何ごとか告げようとしたポンコツの言葉を再び遮ると同時に、全力でアクセルを踏んだ。警察の張った規制線の向こう、大通りにはかなり車が集まっている。素直にウィリアット通りまで向かおうとすれば、間違いなく渋滞とカチ合うだろう。

 だが当然、このギャビン・リードはウスノロではない。

 ここから廃教会に行くルートなんて、何を調べずともいくらでも思いつく。人生の三分の一ほどの時間をあのエリアで過ごした自分にとっては、褒められるまでもない当然のことだ。だから――

 

「俺はてめえらのお有難いリーダー様のために行くわけじゃねえ。ただ」

『はい、理解しています』

 

 告げようとした続きを、端末から届く低い声が掻き消す。

 ポンコツのくせに、ひとのセリフを邪魔しやがった。ポンコツのくせに!

 

『あなた自身の名誉と昇進のため、援護を要請します。リード刑事』

「……」

 

 その声音がどこか、うっすらと“喜んで”いるように聞こえてしまうのに腹が立つ。

 ただの機械が当然持っているはずのない御大層な「感情」を、奴の言葉に見出してしまっている自分自身にも。

 

 しかしギャビンはその苛立ちをすべて「この状況」、つまり人様の迷惑を顧みずにロケット弾を花火のように打ち上げているクソ野郎がいるという事実に向け、それ以上は考えないようにした。

 

「わかってんじゃねえか、ポンコツが」

 

 ハンドルを繰り、車をどんどん裏道へと走らせながら、ギャビンは嘯く。

 

「てめえらのリーダー様がブッ壊されようが、撃ち落されようが知るかよ。せいぜいビビって股から廃液でも垂れ流してるこったな、プラスチックども!」

 

 乱暴にそう言い放ち、自分の言葉に自分一人で笑って、ギャビンは通信をOFFにした。

 

 そう――マーカスがどうなろうが、知ったことではない。奴らの高邁な革命の精神だの、平等な権利だのなんか死ぬほどどうでもいい。

 しかし今夜の警備計画の一端を担う立場上、援護要請を受けて黙っていては、懲戒処分というだけじゃなく、後で署の連中からどれだけナメられることか。

 それに万が一デカブツ備品が壊れてサイバーライフに文句を言われたら、将来の出世の見込みがゼロになる取り決めなのである。乗っているヘリが撃墜されれば、さすがの備品といえどもスクラップになってしまうだろう。

 

 だが逆に、今そのアホなロケット弾野郎を逮捕できれば、手柄は間違いなく自分ただ一人のものとなる。

 そして備品野郎はポンコツだが計算は得意な(と認めてやってもいい)奴だ――奴が予測したというのなら、ほぼ確実にその廃教会に、ロケット弾野郎がいるはずだ。

 

 であれば、やるべきことは決まっている。

 クズ野郎を逮捕して、分別ってモノをわからせてやる。

 ――そうだ、どうしてもマーカスをブッ壊したいのなら、俺に関係のないところでとっととやればいいんだ。それもできずにわざわざ今夜こんな真似をしやがって、手間かけさせた罰にたっぷり痛めつけてやる、クソったれ。

 

 仄暗い考えを重ねてニヤニヤと笑いながら、ギャビンが運転する車は速やかに、廃墟のエリアの南端に着いた。ここから先は車が入れないような細い道が多い。つまり、降りて歩く必要がある。

 

 たった一人での突撃――しかし恐怖などさらさらなく、さながら獲物を狙う豹のごとく豪気かつ堂々とした心持ちで、ギャビンは廃屋の立ち並ぶ街へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 そして、現在。

 

「チッ、相変わらず埃臭え……」

 

 ぼろぼろの壁と壁の隙間にある、わずかなスペース――ホームレスですら住処にしようとしないほど狭く、土埃が滞留している場所を横向きになって通り抜けつつ、ギャビンは独り言ちる。

 

 こんな場所を通っているのは、ひとえにバレないためだ――高い塔の上にいる相手の元に向かうのに、正直にトコトコ歩道を歩いていくのは単なる馬鹿の所業である。上から丸見えの箇所を通っては、敵にこちらの存在を悟らせてしまう。

 

 だいいち記憶によれば、あの鐘塔は最上部まで螺旋階段を上る必要があり、出入り口は一つきりだ。裏からこっそり入るなんて真似ができない以上、こうして見えないようにしながら徐々に近づいていくのが、最善手といえた。

 

 ――断続的にロケット弾が地面に落ち、地響きを立てているところから考えて、どうやらまだプラスチックどもの乗るヘリは無事らしい。だがいつまでもこのままではいられないだろうし、いくら着弾地点が廃墟とはいえ、あまり時間をかければ被害も拡がる。そうしたら後の書類仕事が面倒だ。

 ここは砲を向けられているのとは真反対側のエリアだから、爆発に巻き込まれることはないだろうが、それでもこんなに地面が揺れ、割れずに残っている窓ガラスやなんかがビリビリと音を立てている――

 

 考えながら歩を進めるうちに、ようやく開けた場所に出た。崩れかけた壁をくぐり抜け、とある廃屋の裏庭にあるテラスの下に立ち、ギャビンは胸元にこびりついている埃を忌々しげに手で払い落とした。

 するとふいに、視界の真横に何かがぬっと姿を見せる。

 

「なっ!?」

 

 すかさず銃を抜き放って構えてみればそこにいたのは、というより宙を浮いていたのは、ポンコツ野郎のドローンだった。白と黒に塗られた三角形の羽根の端に、「No.8」との刻印が見える――

 

「確か……ヘレボラス、か?」

 

 思わずぼそりと口に出すと、相手はその場に浮いたまま、ただ下部に設置されたカメラのフォーカスリングだけをキュルキュルと回した。

 その動きに、備品野郎がよくやる(コナーもよくやっている気がする)あの「首傾げ」をなぜか思い出し、イライラしながらギャビンは問いかける。

 

「おいポンコツ、てめえドローン寄越すなら先に言っとけよ」

 

 しかし、プラスチック刑事からの返事はない。

 

「聞こえてんのか!?」

 

 ――やはり返事はない。

 うっすらと決まり悪いような心地がしながら、思い出したのは、いつだったかのポンコツの言葉である。

 

「ドローンは半自動運転できる、だったか」

 

 どうやらポンコツ野郎は、ジェリコのお仲間ともどもお空の上でそれなりの危機的状況にあり――そっちにかかりきりなので、とりあえずドローン一機をこっちに回し、お供につけたということなのだろう。

 ここまで斟酌してやったんだから後でせいぜい感謝しろよ、クソ。

 

「……黙ってついて来い。いいか、邪魔しやがったらブッ壊すからな」

 

 通じているのかいないのかは知らないが、ともかく人差し指を突きつけてドローンに「警告」してやると、ギャビンは再び移動を開始する。するとドローンはいつも通り音も立てず、ひっそりとついて来た。

 

 不良どもが描いたアートとも呼べない落書きが施された壁の隙間、朽ちたベッドとクロゼットが無人の時間の長さを物語る廃屋の寝室、かつては賑わっていたのかもしれない商店跡――

 そんな煤けたような臭いの漂う場所をするりと通り抜け、しばらくして辿り着いたのは、目的地たる廃教会。

 記憶にあるのと、ほぼ変わりない佇まいである。

 

「……」

 

 庭園の枯れ果てた低木の間を走り、教会の壁際にまでやって来て身を寄せてから、ギャビンは鋭い眼差しで辺りを見渡した。

 覚えていた通り、鐘塔はこの教会堂からほど近い場所に、まっすぐに天を貫く白い槍のようにそびえ立っている。その最上部、鐘が吊られた屋根の下には壁がなく、ただ四本の柱が四隅を支えるのみだ。そしてその柱の間から今また一つ、火花が空に軌跡を描いている。

 

 ――見えた! 動く影が見えた、クソ野郎だ。否、人影はもう一つあるから「クソ野郎ども」か。

 ロケットランチャーを携えていい気になっているクズと、もう一人、そいつに弾薬を渡している奴もいるようだ。なるほど、ロケット弾は一発につき2・3キロの重量があるらしいし、それをああして何発も連続して撃つからには、弾運び専用の仲間も要るのだろう。

 そしてランチャーを構えたクズはといえば、“的あて”に失敗したのも気にせず、ヘラヘラと笑っているようだ。風に乗って、かすかに男の声が聞こえてきた。

 

 ゲーム気分か? それにしたって警戒心もなくあんなに吞気にして、やはり吸血鬼の組織の野郎どもは教育が足りていない。

 だが逆に言えば「確保は簡単」、そういうことである。

 

 ニヤリと笑って結論づけ、改めて銃を抜いて構えると、ギャビンは足早に鐘塔へと近づいた。朽ちかけた木製のドアをそっと押し開け、中を覗いてみても、思っていた通り誰もいない。

 ここにいるのは自分と、上階にいる二人のみ。人数的にはこちらが不利だが――

 

 と思いつつ振り返れば、そこにはドローンが浮いている。

 こいつには、半自動運転でもある程度までなら状況を判断して動く機能が備わっているというし――それに確か、網を射出する機能があるはずだ。塔を上り、その機能で一人を押さえている間に、もう一人にこちらが銃を突きつけて降伏させれば、制圧はわけないだろう。

 

 速やかに算段を終え、ギャビンは再び鐘塔の一階部分に視線を向けて、扉の隙間からゆっくりと身を滑り込ませた。最上部までは吹き抜け構造になっている塔の内部は、ただ螺旋状に続く階段があるのみ。

 一歩踏み出すと、積もった砂礫が靴底で擦られてじゃり、と小さな音を立てた。

 これ以上は音を出さないように、しかし可能な限り歩を速め、上へ上へとひたすら階段を昇っていく。

 

 そして、少しだけ息が荒くなりはじめた頃か――ついに、最上階が見えてきた。最上階の床と階段の間を塞ぐ扉はなく、上ればそのまま顔が出るようになっている。

 ギャビンは2秒かけて、呼吸を整えた。そして両手でしっかと銃を構えた状態のまま、勢いよく上階へと駆け上がる。

 

「おらっ、大人しくしろ!!」

 

 顔を出した瞬間に見えた人影に向かって、揺るぎなく銃口を突きつけた。眼前にいるそいつは、タンクトップを着た大柄な黒人の男だ。

 ギャビンが銃を構えているのを見て取ると、そいつは何を言うでもなく持っていたロケットランチャーをおもむろに床に下ろし、ゆるゆると両手を上げる。

 

 だがその時、ギャビンの目に映ったのは青い光――気づいたのだ。男のこめかみには、LEDリングがある。

 それを認識するのと同時に、鼻筋の古傷がずきりと痛みはじめた。

 

 ――なんだ……!?

 本能的なところからくる警告に、思考が激しく脳内を行き交った。

 

 こいつ――銃を突きつけられてるのにこの無表情と無抵抗ぶり、それにLED。間違いない。記憶を消され、働かされている脱法アンドロイドだ。どうやら見たところ、大荷物だのを運ぶのが専門のモデルのようだが。

 しかしさっき下からではわからなかったが、ランチャーを持っていたってことは、こいつがここからヘリを狙ってたのか?

 

 刹那、「否」という言葉が閃く。

 そうとも、絶対にあり得ない。脱法アンドロイドどもは、革命前のアンドロイドと同じだ。軍用モデルか、コナーの野郎のような特殊なモデルでもない限り、銃を持てという命令には従わないはず。まして撃つなんて。

 

 ということは――!

 そうだ、もう一人はどこだ!

 

 時間にして約1秒、考えに至ったギャビンが態勢を整えるよりも先に、背後で猛烈な殺気が膨れ上がる。

 クソが、隠れてやがったか――! と振り返りざまに撃とうとしたその時、こちらを庇ったのは、ドローンの白と黒の盾。

 

「……!」

 

 ガキン! と金属が金属を跳ね返す高い音が耳を劈き、塔の石製の手すり部分に、跳弾がわずかに傷をつける。

 ハッと息を吞みつつも、ギャビンがドローンの盾越しに見上げればそいつは、つまりこちらの背後を銃で狙った奴は、一本の柱の上部にあるわずかな凹みに片手の指を掛けて縋りつき、もう片方の手でマグナムを構えていた。

 要はああして柱に取りつくようにして、上のほうに身を隠し機を伺っていたらしい。曲芸師みたいな野郎だ。年の頃は40代半ばだろうか、赤毛で髭面でガタイがよく、白い肌は脂汗で塗れている。だというのに、その目だけは爛々と輝いてこちらを見据えていた。

 

 ――最高にキモい野郎だ。

 そしてこんな気色悪い曲芸師もどきに、まんまと一杯食わされそうになったという事実にさらに腹が立つ。ドローンがいなければ実際、ブッ殺されていたかもしれない。クソが。

 

「動くな、クソったれ!!」

 

 改めて銃を向け、ギャビンは鋭く怒声を発した。

 

「俺を撃つとは、いい度胸してんじゃねえか。その脂ギトギトの眉間にブチ込まれたくなかったら、とっとと降りて来やがれ!」

「へへへへへへ」

 

 親切な忠告を聞いた男は、口の両端をニッと吊り上げて笑い声を漏らす。

 血走った目、汗、妙なテンション――典型的なレッドアイス中毒患者だ。だが全身から放たれている強烈な殺気と、奇妙な態勢のままだというのに寸分も揺るぎなく片手で銃口をこちらに向け続けているその身のこなしが、こいつがただ者でないことを物語っている。

 

「へへへへ、はは、なんだ。誰が来るかと思ったら、ポリ公が一匹か」

 

 ニヤニヤと侮蔑的に笑いながら、男は続けて言った。

 

「あんなにドタドタ階段を上がってきやがってよぉ。どんなマヌケ野郎かと思ったらよぉ。雑魚くせえ人間の刑事とはな、へへへへへ」

 

 ――階段を上る足音がバレていて、その時から隠れていやがったのか。無駄に勘のいい野郎だ。

 と頭にわずかに残った理性的な部分が考えるが、残る部分は「マヌケ」「雑魚」という語を相手が言い放った時点から、全会一致でこう訴えている。

 

 こいつにぶっ放せ、と。

 

「んだとクソが!!」

 

 ブチ切れたギャビンはすかさず男に発砲した。とはいえさすがに狙うのは奴が柱に縋りついているその手だが、男はというとまるでそれを予期していたかのようにパッと手を離し――こちらの銃弾は虚しく石柱を削る――床に着地するまでの数秒の間に4発、過たずこちらに撃ち込んでくる。

 

 そしてそれら全発を、素早く動いたドローンの盾がすべて遠くの空に弾いた。

 

「チッ……!」

「ひひひはははは!!」

 

 こちらの舌打ちの何が面白いのか、気色の悪い哄笑を夜空に響かせた男は、今度は両手で銃を構え、じりじりと横移動を始めた。

 自然、こちらも男を正面に見据えたまま横に動くので、ギャビンと男とは互いに向き合ったまま、ぐるぐると塔の頂上で牽制しあうような形になる。ドローンもまた、こちらの動きに追随して飛んでいる。

 一方で脱法アンドロイドはといえば、両手を上げたまま中央付近の場所でぼんやりと佇んでいるばかりだ。

 

「へへへへ、へへ、知ってるぞオレは」

 

 誰も何も言わないうちに、べらべらと男は語りはじめる。

 

「デトロイト市警には、へへ、アンドロイドの刑事様たちがいるんだってなあ? オレはてっきりそいつらと遊べるのかと思ったのによ、へへへ、人間相手じゃしょうがねえなあ」

「ああそうかよ。今にそんな軽口も叩けなくなるぜ、おかわいそうにな!」

 

 クソ野郎のクソ舐めくさった戯言に言い返してやりつつも、ギャビンは内心、()()()()()冷や汗が背を伝うのを感じた。

 ――こいつに銃弾をブチ込んでやれるイメージが湧かない。

 

 より正確にいえば、この男に隙が見当たらない。こいつはこんなにもべらべら好き勝手に喋り、ニヤケた面をしているというのに――喧嘩に明け暮れた廃墟での生活、そして約18年の警官生活で培われた獣じみた勘が、鋭い警告を発しつづけている。

 鼻筋の古傷も、さっきからずっと鈍く痛んだままだ。

 

 チンピラでありながら、ロケットランチャーをほぼ一人で扱う技術。そして、あの体格とこの隙の無さ。もしかするとこいつ、元軍人というやつだろうか。

 かつて実働部隊のうちのかなりの人員がアンドロイド兵にとって代わられた、つまりそのタイミングで食いっぱぐれる羽目に陥った、“人間の”軍人の生き残り。

 

 ならばこいつがレッドアイス中毒なだけでなく、吸血鬼の組織の下っ端なんてやっている理由もわかるし――何より、このギャビン・リードに冷や汗を少しでも掻かせる理由になる。クソったれ。

 

 ギャビンの経験上、食い詰め者の元軍人ほど性質の悪いものはない。

 訓練でその身に染みついた鋭さや膂力、戦闘技術を犯罪に転用されれば、例えばそいつがただの酔っ払いであろうと並みの警官では歯が立たなくなるのを、巡査の時代によく思い知らされていたからだ。

 そんな野郎と、こうして思い切り殺意剥き出しで睨み合うことになるとは運が悪い。

 

 このタイミングでドローンに網を発射させるというのも、いいアイデアではない。もしそんなことをすれば、その隙にすかさずこいつは発砲してくるからだ。その弾が当たりでもしたら――

 

「へへへへへ、へっへへ、どうしたよポリ公。オレが怖いのか?」

 

 果たして、向かいの男はそんな口を叩いてくる。

 

「当然だぜ。オレは、よぉ、陸軍の特殊部隊にいたんだぜ? 元グリーンベレーだぜ、なあオイ。アンドロイド刑事におんぶにだっこのクソ雑魚ポリ公が勝てるもんかよ」

「てめえ……!」

「へへへへ、こんなことならお前なんか無視してヘリと遊んでてもよかったなあ? どうせ隅っこで震えてるだけならよ……邪魔もされなかっただろうぜぇ!」

 

 ふいに語気を強めるやいなや、男は哄笑と共にマグナムをぶっ放してきた。

 断続的に何発も、何発も――いったいどれだけ銃弾籠めてやがるんだ? 改造銃か何かか、曲芸師もどきの分際で!!

 

 さすがのギャビンも構えを解いて走って避けるしかないのだが、なにぶんこの場所は狭く、身を隠す場所もない。ドローンがまるで銃弾が止まって見えているかのような正確さで動き、すべての銃弾を弾き飛ばしているものの――いくらこいつが頑丈でも、そういつまでも耐えられるものだろうか。

 

 そう思った視界の端に映ったのは、ゆっくりと床に両膝を突くアンドロイドの姿だった。

 あの脱法アンドロイドだ。見ればその大柄な身体に、いくつも青い風穴が空いている。その足元に、みるみるうちに真っ青な血溜まりができていく――

 無表情なそのこめかみで真っ赤に点滅していたLEDリングの光が、すっと消えた。

 

「は……?」

「へへへはははは!」

 

 男はそれを見て発砲を止め、愉快そうに笑った。

 

「た、たっ、弾運びに連れて来た奴がよぉ、的になっちゃあしょうがねえよなあ。まあデカブツのくせにンなとこに突っ立ってるのが悪いか。代わりの機械なんていくらでもいるしよぉ!」

 

 ははははは、と勝手に一人で嗤っているそいつを見て――

 

「……」

 

 凄まじい勢いで、様々な思考が頭の中を駆け巡るのをギャビンは感じた。

 

 そうとも、そいつはただの機械だ。だからこそ、命令を出されていないからそいつはそこに佇むことしかできず、身を守れなかったわけで――違う。

 

 ああ、あの備品に慣れきっていたせいで忘れていたが、アンドロイドどもはちょっとしたことですぐに壊れる精密機器サマで、撃たれればすぐこうして血を流して――違う。

 

 ここまで連れて来た、曲がりなりにも自分の「道具」である奴を、自分でブッ(こわ)しておいてこの男は()()()()()()()――ああ、クソ、違う!!

 

 今考えるべきなのはこんな言葉じゃない。

 思考を振り払い、削ぎ落とし、ギャビンはただ一つだけを考えるようにした。

 

 ――こいつの、この気持ち悪いニヤケ面を消してやる!

 

 決意すると同時に、脳裏を過ぎった直感に従って、ギャビンはちらりと上方を見やった。

 ()()と、今ここにいるドローン――利用すれば、このド腐れ野郎の裏をかけるに違いない。

 となれば、腹を括って()るしかない!

 

「――“ヘレボラス”!」

 

 大声で、ギャビンはドローンの「名」を呼んだ。しかしそれがドローンの「名」だと知らない男のほうは、ポリ公が唐突に叫んだ言葉の意図がわかりかねて一瞬身動きを止める。

 

 その隙を衝いて、ギャビンは構えた拳銃の銃弾を天井に――吊るされた鐘に向かって3発撃ちだした。鉛玉の直撃を受け、鐘は約数十年ぶりに、鈍く歪んだ音を周囲に響かせる。

 

「ハ……!」

 

 男はポリ公を嗤った。何をとち狂って、鐘なんか撃っているのか。あれで仲間を呼ぶつもりか? 馬鹿げている。見れば、奴をそれまで守っていたドローンもいない。チャンスだ。遊びはここまで、ブッ殺してやれ――

 

 余裕綽々で、トリガーにかけた指を動かそうとしたその時。

 あり得ない方向から飛んできた弾丸が、銃を握る男の手を正確に撃ち抜いた。

 

「ぎっ……!」

 

 次いで足が、脇腹が、飛んできた弾丸に抉られる。致命傷ではない、それでも強烈な「痛み」だけが脳を支配し、それ以外は考えられなくなる――

 

「ぎゃあああああっ!」

 

 ニヤケ面ではいられなくなった男は、銃を取り落とし、そのまま床で悶え苦しんでのたうち回っている。

 

「……ハハッ」

 

 それを見て短く笑いを零したのはギャビンである。

 その頭の横に“ヘレボラス”が音もなく戻ってきて、滞空する。

 

 単純な話だ。鐘に向かって発砲し、鐘が弾いた銃弾をさらにドローンに弾かせて、男にブチ当ててやったのだ。コナーとポンコツ備品が橋の上で吸血鬼相手に大立ち回りした時に、似たようなことをやってのけたのを覚えていただけだ――

 

 それにしても。

 ――あのポンコツのドローンにしては、まあまあ悪くない仕事したじゃねえか。

 そんな言葉も浮かんだが、何か自分らしくないような気分がして、ギャビンは口を噤んだ。それから、豚より汚い悲鳴をあげている男の近くに歩み寄ると傲然と見下ろし、唇の端を吊り上げて言い放つ。

 

「なあオイ、もしもし? 誰がクソ雑魚ポリ公だ? あぁ、クソ雑魚グリーンベレー様がよ!」

 

 言い終えると同時につま先で男の股間を蹴り上げてやると、奴は面白いくらい高い叫び声をあげた。

 

「てめえの立場がわかったか、わかったかってんだこのクソが! そりゃあてめえはプラスチックどもに取って代わられるだろうなあ、仕方ねえよなクソ雑魚だからよ!! 雑魚の分際でこの俺に楯突きやがって、思い知れこのクソが! クソが!! クソが!!!」

 

 語気を強めるのに合わせて、蹴りをさらに何発も入れてやると、途中から男は白目を剥いて何も言わなくなった。

 とはいえ、加減はしている。死んではいない、気絶しただけだ――

 その証拠に、こいつの胸は激しく上下しているし、身体もガクンガクン元気に痙攣している。

 

「……!」

 

 ふいに全身の緊張が解けたような心地がして、ギャビンはその場に座り込んだ。

 見上げた空では、プラスチックどもが乗る黒いヘリと、白いヘリとがぐるぐる追いかけっこに興じている。とはいえ――ロケットランチャーは今、冷たい石の床の上に置かれて、静かに横たわるばかりである。

 

「聞こえてんのか、ポンコツ!」

 

 ドローンに向けて、ギャビンは声をあげた。

 

「もう面倒なんか見ねえからな、クソったれ。後は、てめえらのケツはてめえらで拭きやがれ」

 

 言い終えるのと同時に、ギャビンは、消えた鼻筋の痛みの代わりに、右腕がじんじんと痛むのに気がついた。見ればジャケットの一部が裂け、その下に鮮血の滲む傷ができている。

 

「チッ」

 

 どうやらいつの間にか、弾が掠めていたらしい。――後で、ポンコツ野郎に文句つけてやる。

 

 そうは思いながらも、今は動くことができず、ギャビンはしばしその場で息を整えていた。

 応援のパトカーのサイレンが廃墟のエリアに近づいてきたのは、その数分後のことだった。

 

 

***

 

 

――2039年6月10日 19:54

 

 

「さよなら」

 

 こちらに迫るマーサの腕にとりつけられた、ホースとその吸い込み口――鋭い「槍」の先端が、コナーの胸元めがけてまっすぐに近づいてくる。

 常人であればまず見切れないほどの速度ではあるが、しかし視覚プロセッサは物理シミュレーションソフトウェアの演算を元に、その軌道の予測を表示している。かつ、正確にその形状を認識していた。

 

 本体と同じモスグリーン色に塗装された槍の先端は、今日も鋭い。もしあれに貫かれれば、以前地下室での一戦でそうだったように、プラスチック製のこの身体は簡単に傷つけられ、ひとたまりもないだろう。

 だが思っていた通り、マーサが振るう槍は直線的な動きしかできない。理由は簡単、あれはマーサ自身の腕力や技術で振るわれているものではないからだ。

 

 コナーは右足を軸に、全身を左90度の方向に翻すことで攻撃をいなしつつ、視線をホースを繰り出すマーサの手元、つまり右腕に向ける。

 

 槍を繰り出す瞬間、彼女はちょうど前方にパンチをするように、腕をまっすぐに伸ばしていた。だがその拳の突きの速度と、槍の穂先が繰り出される速度とは明らかに一致していない――槍のほうが、ずっと速い。

 

 なぜか。その答えは、右腕にとりつけられたアームリング状の装置にある。ホースと腕とを固定するその装置からは、槍が繰り出される前後のみ【電磁力】の作用が検出されている。

 つまり吸血鬼の槍はこの装置を経由することで、電磁力により爆発的な推進力を得て、いわば高速で前方に「射出」されているのだ。ちょうど土木工事における杭打機や、油圧ブレーカーと同じような機構である。

 

 したがって槍の動きは、「まっすぐに射出されて、元に戻る」という直線的なものにならざるを得ない。その代わりに、細身のマーサでも武術の達人のごとき速度で繰り出すことが可能になっているわけだ。

 かつて地下室の戦いで、マーサは天井裏から室内のコナーとハンクに向かって苛烈な攻撃を仕掛けてきたが、あれもこの機構の働きあってのものだっただろう。

 

 いずれにせよ、タネが割れてしまえば対処法も決まってくる。残念ながら腕の装置は【ハッキング不可能】ではあるが、攻撃しているマーサ自身の身のこなしは(彼女がダメージを受けているのを考慮しても)戦闘訓練を受けていない一般人レベルのものである。

 それに彼女は、アキリーズのような銃器の類は一切装備していない。武器といえるのは、槍を除けば、せいぜい左足首付近に備えつけられているサバイバルナイフくらいのものである。

 捜査補佐専門モデルとして造られたこの身ならば、問題なく制圧できるはずだ――

 

 わずか1.5秒のうちに分析機能を用いてそこまで判断したコナーは、速やかに、自分の眼前に伸びている槍に向けて両手を伸ばした。

 

「!」

 

 だが、その動きをマーサもまた捉えていたのだろう。彼女は瞬時にその場で後ろに飛び退り、こちらから距離を取る。

 必然、伸びていた槍もそれに従って真後ろに動いてしまう。コナーの諸手は虚しく空を切った。

 

 惜しい――

 そう思いながら、再びマーサに対して向き直る。

 すると彼女は、どこか苛立ちを滲ませた声音で語りだした。

 

「動かないで、刑事さん……! そうすれば、一撃であなたを救ってあげられるのに」

「血を吸われることが“救済”になるとは、到底思えませんね」

 

 冷静に応えつつ、コナーは再びマーサの様子をつぶさに【分析】した。

 彼女は、もはや、まっすぐ立つことすら覚束ないようだった。スーツ越しでもわかるほどにその呼吸は荒いままであるし、本来なら使ったほうが有利なはずの光学迷彩機能も起動していない。

 

 光学迷彩に伴う演算をどうしているのか、という話は昨日ハンクとしたばかりだが――その機能の詳細がどうあれ、あれはマーサが消耗している状態でも容易に使えるものではないらしい。

 

 こうなってくると、マーサ自身の健康状態が気がかりだ。戦闘が長引けば、無意味に彼女を疲弊させてしまう。そしてこれ以上疲弊させてしまえば、マーサの生命に取り返しのつかない事態が起こりかねない。

 

「……」

 

 思考しながら、マーサの後ろに広がる空に目を向けて気づく。例のロケット弾の発射が、止んでいる。ナイナーの言っていた通り彼のパートナーが、つまりギャビンが、射手を確保したのだろうか。

 ならば――マーカスの身に関する懸念事項のうち一つが消えた今、もう一つに対処できるのは、ここにいる自分だけだ。

 マーサのためにも、なんとしても速やかに事態を収拾しなくては。

 

 決意を新たに、コナーは迎撃の姿勢をとった。右手を前に、左手を奥にした基本の構え。ナイナーの行動から学習した体勢だ。

 するとそれに合わせたかのように、マーサは再び槍を射出してきた。今度もまた、こちらの胸元めがけて――

 

「!」

 

 否。

 彼女が繰り出した槍の穂先は、なぜかこちらを大きく逸れ、左1メートル程度の空を切っている。

 

 消耗のせいで、狙いが逸れたのか――という思考が過ぎったその刹那、それが誤りだと理解する。

 マーサは槍を伸ばした状態のまま、右手を大きく振りぬいてきたのだ。

 

「……!」

 

 なるほど。槍の柄の部分でこちらを打ち、体勢を崩したところで素早く二撃目を叩きこむ算段のようだ。

 だがその程度の反撃は――既に予測している。

 

 迫ってくる槍の柄、つまりタンクのホースにあたる部分を、コナーはまず伸ばした左手でしっかと掴んだ。しかし片手では槍の勢いを止められない。掴んだ左手ごと柄がさらに迫ってくるタイミングで、コナーは予備動作なく、思い切り、その場にしゃがみ込む。

 

「な……!?」

 

 マーサから動揺の声が漏れる。

 今や彼女の槍はコナーの左手に掴まれたまま、ちょうど彼の頭上に向かって斜めに伸びるような状態で固定されていた。

 こうなれば当然、マーサはさっきのように槍を元に戻そうとするだろう。

 

 だがもう、そんな猶予は与えない。

 

 しゃがみ込んだまま、コナーはもう片方の手をホースに伸ばして添える。

 そして両膝を折り畳んだ状態から前方に勢いよくジャンプし――両手はホースに添えたままである――両足の裏を鋭く前方へと突き出し、装甲に包まれたマーサの胸部を強烈に蹴り飛ばした!

 

「ぐっ」

 

 堪え切れず、マーサの身体は後方に飛ぶ。もちろんこの程度の攻撃、吸血鬼のスーツの強靭さを考えれば、彼女自身へのダメージはほとんど皆無に等しい。物理的に後ろに押し出されてしまっただけで、大した問題にはならないだろう――

 

 キックの瞬間、コナーがホースを両手で握り、しっかりと固定していなければ。

 

「あっ……!」

 

 事態に気づいたマーサの口から漏れたのは、今度は後悔と驚愕がない交ぜになったような声である。

 しかしコナーのプロセッサがしっかりと捉えているように、状況は彼女にとってはこの上なく不利に、そしてコナーにとっては予測の通りに進行していた。

 

 単純な原理だ。伸びたものを固定された状態で、吸血鬼本体が後ろに吹き飛ばされれば――ホースは、根本から千切れてしまう。

 

 ほんのわずかな青い飛沫を宙に撒き散らしつつ、吸血鬼の槍は今、見事に折られてしまったのだ。

 

「あぁああっ!!」

 

 マーサは、さらに悲痛な叫びをあげた。だが今は意図的にそれに意識を向けないようにしつつ、コナーはその場に立ちあがる。両手で握っていた吸血鬼の槍を後方に投げ捨てると、アパート屋上のアスファルトとぶつかった金属が、からんからんと空虚な音を立てた。

 

「これであなたはもう」

 

 両目に鋭い光を宿して、コナーはおもむろに言った。

 

「誰の血も吸うことができない。吸う必要もない」

 

 こちらの言葉を聞く彼女のストレスレベルは一気に上がり、そして急激に下がっていく。

 視界の端に表示されたままのミッションの成功率が、【75%】の域に達する。

 それに併せるように、さらに決然と言葉を重ねた。

 

「投降してください、マーサ。今ならまだ、あなたは……」

 

 その時。

 

「――っ!」

 

 どくん、とまるで身体の中央から衝撃が突き抜けたかのような勢いで、マーサの身がびくんと動いた。

 

 同時に、さっきまで治まっていたはずの彼女のストレスレベルが、再び急激に上がっていく。彼女自身の意識の変容が理由、というよりは――あたかも、外的な理由で()()()()上げられているかのような勢いだ。

 

「……ミ、ミリア……?」

 

 頭を両手で抱えたマーサが、か細い声で呟く。

 ミッションの成功率が、【52%】に下落した。

 

「ど、どうしてそんなことを言うの? 嫌、駄目よ、あなたと離れ離れになるなんて!」

 

 成功率が、【40%】に下落する。

 まずい――! 一瞬気を吞まれそうになってしまったが、そんな場合ではない。何かするつもりだ!

 

「マーサ!!」

 

 名を呼ぶと同時に、コナーはアスファルトの地面を蹴り、吸血鬼の元へと急いだ。

 そして、彼女と目と鼻の先にまで近づいて気づく――

 

「!」

 

 ――なんだ、この電波は。

 通常、デトロイト市内では使われていないはずの周波数帯域の電波を感知したコナーは、そのあまりに特異なパターンに思わず顔を顰めた。

 

 恐らくこれは、どこかからマーサに向けて行われている通信だ。内容は高度に暗号化され、こちらからは容易に解読できない――そう、ちょうどレーヴァングランドに残されていたデータと同じように。

 だが今可能なのは、一つの推測だ。

 もしかするとこの通信こそが、マーサの言う「ミリア」の正体なのでは――?

 

 彼女を拘束しようとする動きは止めぬままに、コナーがその思考に至った時。

 煩悶していたマーサの動きがぴたりと止まり、次いで、彼女の両手が素早く彼女自身の()()()に向けられる。

 

 同時にスーツの両肩部分に設置されたタンクの留め金が、小さく音を立てて外れ――タンクを諸手で掴んだマーサは、そのままハンマーのごとく、それをこちらに振り下ろしてきた!

 

「くっ!」

 

 瞬時に後退し、直撃を避ける。

 だがスーツの機能によって極端に強化された彼女の膂力は、まさに一撃で壊そうとしたかのような勢いで、タンクを床に叩きつけていた。

 

 眼前にタンクの中身、ブルーブラッドの飛沫が散乱する中、視界の奥に見えたのはこちらに背を向けて逃走するマーサの姿。

 

「待て!!」

 

 ここでマーサを確保すると、心に決めたばかりなのに!

 

 コナーは素早く体勢を立て直し、彼女を追おうと一歩踏み出した。

 だが、わずかに下に向けたその視界に映ったのは――

 

 白く細い、誰かの手。

 

「これは……!?」

 

 そう、まさに手だ。

 へしゃげたタンクにできた隙間からはみ出るように、内から外に向かって、力なく垂れさがっている一本の腕。ブルーブラッドに塗れた――まだ子ども――少女の右腕、のような。

 

 思いもよらぬ状況に、コナーは追おうとしていた足を止めた。分析機能を展開した視界には、次々と情報が表示される。

 

 【右腕のパーツ】【#7629r】【ステータス:動作中】

 【使用可能モデル:YK500】

 【シリアルナンバー:#632 824 117】

 

 ――ミリアの腕だ!

 しかも、そのステータスは動作中である。もしかすると、彼女はまだ生きて――!

 

 となれば、ここに置いていくことはできない。

 手がかりという意味以上に、ミリア自身の安否を確認する意味でも、放置してマーサを追うことはコナーにはできなかった。

 マーサの追跡は、再び“カトレア”が担当してくれている。

 その間に、コナーは素早くタンクの残骸に手を伸ばし、ミリアの腕が突き出ている隙間に手をかけ、機体すべての力を籠めてそれを大きく拡げた。

 

「く……っ!」

 

 常人を大きく超えるほどの膂力は持ち合わせていないコナーにとっては、やや困難な作業だ。しかし両腕に力を入れ、金属板を曲げ広げるのに合わせて、徐々にタンクの中身が見えるようになってくる。

 タンクの中の構造自体は、アキリーズが装備していたものと同じだ。だが、まったく違う点が二つある。一つは、中に相当量のブルーブラッドが溜まっていること。

 そしてもう一つは――

 

「!」

 

 コナーは、自然と瞠目していた。

 ブルーブラッドの水面越しに、右腕を伸ばしたまま頭を垂れてしゃがみ込んでいる少女の姿が見える。薄手のワンピースを纏った、栗色の長い髪の少女だ。

 外傷はない。ステータスは、なおも【動作中】だ。身動きは――していないが。

 

「ミリア!?」

 

 名を呼んでも、反応はない。

 だが間違いない、ミリアはここにいる。きっとタンクの中に、ずっといたのだ。

 だからマーサは、ミリアが共にいるような口ぶりだったのか。以前タンクを撃たれた時、あそこまで悲鳴をあげていたのか――

 

「ミリア、しっかりするんだ!」

 

 呼びかけつつ、自分のジャケットの両袖が濡れるのも厭わずに彼女の腰に手を伸ばし、ブルーブラッド溜まりからゆっくりとその身を引き上げる。

 

 小さな水音と共に、ついに、ミリアの姿ははっきりとコナーの目に映った。

 

 ミリアの姿――想定通り、10歳前後の姿にデザインされた少女。白いワンピースを真っ青に染め、その両目は力なく閉ざされている。

 そしてその鳩尾、すなわち――シリウムポンプ調整器が、本来ある箇所には。

 

「…………!!」

 

 事実を認識したその途端、ミリアの腰を支えて抱き上げる手が、予期せず震えた。

 

 ――こんな。

 こんなことが。

 どうしてこんなことが。

 

 瞬時にコナーの中で膨れ上がったのは、激しい「動揺」と「怒り」、「悲しみ」の気持ちだった。

 だがプログラムに残っている理性的な部分、すなわちアンドロイドとしての冷静さが、変異体特有の感情の奔流をすんでのところで堰き止める。

 思わず叫び出してしまいそうになった自分を必死に制御しつつ、コナーは、彼女の身体を静かにアスファルトの床に寝かせた。

 

 その時、背後から聞こえたのはどたどたとこちらに近づいてくる足音だった。

 間を置かず、天井に設置された金属製のドアが勢いよく開く。

 

「コナー! おい、大丈夫か!」

 

 慣れ親しんだ声に振り返れば、そこにいたのは果たしてアンダーソン警部補である。

 渋滞を抜けてパトカーで追ってきて、下からこのアパートの屋上まで階段を上ってきた様子の彼は、呼吸を整えることもせず、心配そうな眼差しで歩み寄ってきた。

 

「……ハンク」

 

 口から漏れた声は、我ながら小さく、掠れていた。

 

「どうしたんだお前、マーサはいったいどこだ!」

 

 顔を覗き込むような形で相棒を見やったハンクは、次いで、無言のままコナーが視線を戻した床のほうに目を移す。

 

 瞬間、警部補の双眸はこれ以上ないほどに見開かれた。

 ただ一点を捉えた彼の瞳孔は散大し、瞼は瞬きを忘れて、ぴたりと動かなくなる。

 その頬を冷や汗が一筋垂れていくのに合わせて、彼の口は何ごとか告げようとして薄く開き、動きを止め、それから血が出んばかりの強さで、下唇が噛みしめられた。

 

「……畜生」

 

 彼の口からようやく漏れたのは、ここにいない誰かに向けた呪詛の言葉である。

 

「畜生、誰がこんな――こんな惨たらしい真似をよくも! よくもこんな小さな、子どもに……!」

「……」

 

 コナーは、彼の怒りに大きく頷きたかった。搭載されたモジュールの限りを尽くして、彼と同じように、呪詛の言葉を吐きたかった。

 けれどプログラムにないところから押し寄せてくる、この胸の内の怒りと同じほど大きな悲しみがそれを押しとどめる。あたかも相反する命令を受けて機体がフリーズしてしまったかのように、コナーは今、それを実行できなかった。

 

 ただようやくできたのは、ゆっくりと、横たわるミリアに近づくことだった。

 そしてそれと同時に、口を衝いて出たのはとりとめのない言葉だ。

 ソフトウェアの計算を介していない、本当にとりとめのない――己の感情だけに従った言葉。

 

「ハンク、僕は――」

 

 ゆっくりと自分の右手をミリアに伸ばしつつ、語る。

 

「僕はかつてあなたに……去年の11月、あなたに銃を突きつけられた時に言いましたね」

 

 それは、アンバサダー橋の見えるあの公園での出来事。

 

 思い出しつつ、まずコナーは、ミリアの鳩尾に差し込まれたホースを抜き取った。

 そう――吸血鬼・マーサが吸血したブルーブラッドはすべて、まずはミリアの身体に()()溜められる設計になっていたのだ。

 タンク内に溜まっていた血はすべて、彼女の口や目などから溢れて流出したものばかり。

 

 マーサが、ミリアに「ご飯」をあげると言っていた理由は――タンク内のブルーブラッドに常にミリアのものが混ざっていた理由は、ここにあったのだ。ミリアはずっと、タンクの中にいた。吸った血を溜めこみつづけていた。

 

 そして今、抜いたホースの先から、青い血が滴り落ちていく。

 

「『アンドロイドの天国なんて疑わしい』と。……覚えていますか」

「ああ」

 

 絞り出すような相棒の同意の声を受けて、次に、コナーはスキンを解除した手でミリアのこめかみに触れた。彼女のこめかみのLEDリングは、今も青く明滅を繰り返している。

 だがそれは、ミリアが生きていることを示しているのではない。

 

 こうして直接データをやり取りすれば、すぐにわかる――彼女が【2038年11月9日 23:11】に機能を停止して――すなわち、命を落としてしまったことは。

 彼女のステータスが【動作中】なのは、すべて、ブルーブラッドを無理やり流し込まれ、強引にシリウムポンプを稼働させられていたせいだ。死肉に電流を流せば物理的な反応でそれが動くのと同じように、彼女の機体は既に中枢部が停止していながら、ただ虚ろに「活動」させられていたにすぎない。

 

 コナーは無言のままに、YK500としてのミリアの機能にアクセスした。

 こちらが送り込んだ命令を受けて、彼女の機体は【停止】した状態になる。

 LEDリングの光が消え、単なる灰色の輪となった――それを確認して、コナーは、おもむろにジャケットを脱いだ。

 

 唇が、意図せず震える。

 震えを止めたくて、コナーは自分の歯で下唇を噛んだ。

 ――ああ、だからハンクもさっきこうしていたのかと、ようやく気がついた。

 

「僕たちに天国があるのか……そんなものがあるのか、今でもわかりません。でも」

 

 脱いだジャケットを、そっとミリアの遺体に掛ける。

 

「でも今は、せめて」

 

 背後のハンクは、何も言わない。

 

「せめて、この子だけでも……」

 

 言葉の最後は、ひどく震えて意味をなさなくなってしまった。

 嗚咽するでもなく、喚くでもなく、コナーはただ立ち竦んで両の拳を強く握りしめ、じっとミリアの姿を見つめる。

 掛けたジャケットの生地に、彼女をべったりと濡らすブルーブラッドがみるみるうちに染み込んでいく。

 

 無言になり、時折息を漏らすばかりになった自分の肩に、ぽんと暖かいものが触れた。

 横に歩み寄ってきた、ハンクの手だ。

 

「ああ、そうだな」

 

 こちらの肩に手を置いたまま、彼はその青い双眸を細くし、声を荒らげず、ただ静かに同意した。

 面持ちも相まって、まるで祈りを捧げているようにコナーには思えた。

 

「そうだな。お前の言う通りだ、コナー」

 

 普段のような皮肉も、怒りもない。痛烈な悲嘆と、憐憫の情を籠めた言葉を告げて、警部補はミリアのほうを向き、静かに目を閉じた。

 

 それから――

 彼の手が、強くコナーの背を叩く。

 

「!!」

 

 突然の行動に体勢が崩れ、はっとしたコナーは反射的に相棒を見やる。

 するとハンクは、いつもの仕事の時と同じような鋭い眼差しに戻っていた。

 そしてこちらから何か言うのを妨げるような勢いで、口を開く。

 

「ほら、追うぞ!」

「警部補……?」

「マーサを追うんだよ! マーカスたちはまだ逃げ切れてねえんだろ。だったら、マーサが向かうとこも変わってねえはずだ!」

 

 普段と同じ、叱咤するような彼の大声。

 それを認識した途端、ざわついて大きく揺れ動いていた自分の思考が、だんだんと落ち着いていくのを感じる。

 

「……ええ」

 

 頷き、ミリアの遺体を一瞥して軽く頭を振り――それから意図的にいつものように理知的に、コナーは答える。

 

「ナイナーのドローンが引き続き追跡中ですが、予測到達地点は変わっていない。マーサの目的地は、例の高層ビルで間違いありません」

 

 だがマーサの足取りは、今までにも増して重いようだ。

 今から追ったとしても、ヘリに辿り着かれてしまうより前に、充分に追いつけるはず!

 

「行きましょう、警部補。今度こそ、確実に止めてみせます」

「ああ、“今度こそ”はな!」

 

 皮肉げにそう言って、ハンクは率先してドアを開け、階段を下に降りていった。

 その背を追ったコナーは、一度立ち止まり、振り返ってミリアを見つめ――

 

「――どうか、安らかに」

 

 低く、祈りの言葉を呟いた。

 それから、警部補に続いて階段を下りていく。

 

 今日の夜は、風も吹かない。

 屋上に安置されたミリアの亡骸は、まるで静かに眠っているかのように見えた。

 濃い青色の染み込んだジャケットだけが、その眠りを見守っている。

 

 

 ――吸血鬼との最後の対峙の時は、近い。

 








ギリギリ一週間以内更新……!!

赤毛の元軍人さんの台詞はいつの間にか某コマ●ドーリスペクトになっていました。

次回もそう遅くならないうちに更新したいですね。
次こそは第一部最終回です!
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