――2039年5月16日 13:42
デトロイトでは珍しくもない、廃屋のような家が並ぶ寂れた住宅街。
その片隅に、一台の公衆電話がぽつんとある。
20年ほど前には既に時代遅れのものとなりはじめていたそれは、真っ黒だった塗装も今となってはぼろぼろに剥げており、そもそも使えるのかどうかすら怪しい状態にみえる。
人間も、アンドロイドでも、およそ見向きもしないだろう廃墟の一部。
しかし実はこの電話は、この都市の秩序を守る機構の一つだ。
遅めの昼休憩の時間、コナーはチキンフィードで昼食を摂る予定のハンクに断りを入れてから、歩いてその住宅街までやって来た。
何度か角を曲がり、古びた公衆電話のところまでやって来ると、一度慎重に辺りを窺う。
そしてその受話器を上げ、ポケットから取り出したコインを投入し、特定の電話番号を素早くダイヤルする。
短い呼び出し音の後、受話器の向こうから聞こえてくるのは『番号を入力してください』という自動音声。コナーは淀みなく、もう一度別の番号をダイヤルした。
そして再びの呼び出し音。自動音声。番号をダイヤル。これを3回ほど繰り返す。
手間がかかるのは確かだが、これも仕方のない措置だ。それに何回もやっていれば、いずれ手間だとも思わなくなってくる。
いつもやっていることなのだ――
そして何度目かのダイヤルが終わり、少し長めの呼び出し音の後、電話口から届いたのはよく知っている声だった。決然とした意志を感じさせる、しかしどこか温かな男性の声。
『もしもし』
「やあ、マーカス」
コナーが朗らかに挨拶すると、マーカスもまた、ほんの少し柔らかな声音になって返事した。
『コナー。しばらくぶりだな』
「連絡が遅くなってすまない。例の殺人事件について報告があるんだ」
告げてから、あの事件――先週の金曜日に容疑者を逮捕した、路地裏での殺人事件のその後の経緯について、コナーはマーカスに説明した。
そう――この公衆電話は、いわばマーカスとのホットライン。
今やジェリコのリーダーにしてアンドロイドたち全体の指導者であるマーカスと、安全に連絡を取るための手段である。
革命が成功し、アンドロイドたちの自由が認められつつある今、ジェリコのメンバーが一番恐れているのが、リーダーたるマーカスの暗殺だった。
人間たちの歴史にあっても、過去にいったい何人の優れた指導者、政治家たちが、暗殺によって命を失ってきたか。まして反アンドロイド派の団体の一部からは、その首に「懸賞金」まで掛けられているマーカスは、今やその居場所までもがトップシークレットとして扱われるようになっていた。
それは、かつてジェリコの場所が秘匿されていたのとも比べようがないほどに厳重な措置である。ジェリコの支部は数ヶ月前からデトロイト各所に点在しており、そこには常駐の構成員(むろんアンドロイドだ)がいて対応するようになっているが、しかし、そのいずれにもマーカスはいない。
彼はどこか地下深く潜み、そこから各所に指示を出している。
だからコナーも、マーカスが今どこにいるのかは知らない。
それに通常アンドロイド同士の通信で行われるような、無線による連絡も行えない。万が一逆探知され、マーカスの居所を掴まれるのを避けるためだ。
そういうわけで用いられているのが、公衆電話を用いた昔ながらの連絡である。コナーの音声は、いくつかの中継地点を秘密裡に経由してマーカスの元に届けられている。先ほど何度もダイヤルする必要があったのは、そのためだ。
コナーは、アンドロイド絡みの事件が発生した場合、必ずマーカスに連絡するようにしていた。それはジェリコを出る時に、マーカスから頼まれてしていることだった。
もちろん、警察の機密情報をすべて喋ったりはしない。ただアンドロイドの自由と平和のために、ジェリコが把握し、またコナーに把握しておいてほしい事実だけ、お互いに話しておく取り決めになっていた。無論、これはハンクも承知済みである。
そして――
「被疑者……ミック・エヴァーツが、昨日死亡した」
『……そうか』
僅かな動揺を示すように、間を置いて返事したマーカスに、コナーはさらに説明を重ねた。
――あの後、署に送られたミックは、取り調べに対してどこか、終始怯えたような態度をとっていた。
取り調べを担当したのはハンクだが――コナーはミラーガラス越しにそれを見ていた――彼の質問に答える時も、ミックは常に視線をあちこちに巡らせ、まるで何かの襲撃を恐れているかのように、おどおどとしていた。
とりわけその怯えは、質問が例の『吸血鬼』に及んだ時に激しくなった。
吸血鬼が何者なのか知っているのか、という問いに対し、ミックは、全身をびくりと震わせて叫んだ。
「し、知らないっ!!」
次いで言う。
「いや、違う、オレだ! あのアンドロイドの血を抜いてやったのはオレだ。殺しだけじゃない、全部オレがやったんだ」
「へえ、道具もないのにか? そりゃずいぶん器用なんだな」
怯え切っている相手をさらに脅しても取り調べは上手くいかないと判断したのだろう、警部補はわざと声を潜めるようにして言う。
「なあ、お前、ここはデトロイト市警だぞ? お前はもう逮捕されてんだ。何に怯えてるのかは知らないが、こんな場所にまで口封じが来るとでも思ってんのか?」
「う、うう……」
「全部ゲロって楽になっちまえよ。そのほうがお互い気分がいいだろ?」
「ううっ……!」
ミックはその問いかけに、一瞬、口を開きかけ――しかし、俯いてそれ以上は何も答えなかった。
それが、逮捕の翌日の出来事。
そして、昨日。ミックは留置場内という密室で死亡していた。
うつ伏せに、大きく目を見開いた状態で、最期まで怯えた表情で。
死因は急性心不全。レッドアイスの重篤な依存患者であったことを考えれば、それは、『よくあること』ではあった。しかし――
「……医師の事前の診察では、そんな兆候は見られなかった。少なくとも、突然心停止するような状態じゃなかったんだ」
『検死にはお前も参加したのか?』
「ああ。でも分析の結果は、やはり急性心不全だ……採取された血液も調べたけれど、レッドアイスの成分が僅かに残っていた以外は、特に変わった点もない」
したがって、現段階ではこう結論づけるしかない。『ミック・エヴァーツは、薬物中毒により死んだ』と。
だが一方で、ミックは吸血鬼の正体を知っている様子でもあり、なおかつその口止めを恐れているようでもあった。ということは、この心停止の影にも――?
疑うことはできる。とはいえ証拠がなく手段も不明な以上、それは単なる憶測でしかない。
「だから今は、吸血鬼の正体はわからないとしか言いようがない。もう少し手がかりが見つかればいいんだが、それまでは……」
『みんなに警戒するように呼びかけるしかない、ということだな』
マーカスは静かにそう応えてから、続けて言った。
『わかったよ、コナー。ありがとう。こちらでも、何か情報がないか調べてみる』
「ああ、でも、無茶はしないでくれ。君の身に何かあったら、みんなが……」
『心配いらない』
きっぱりと言ってのけた後、彼は穏やかに語る。
『それに、一番危険な目に遭いそうなのはお前だろ。俺のことは構わなくていい。もし何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれ』
「……わかった」
逆に諭されてしまったような気持ちになりながら、コナーは素直にそう返事した。
マーカスはいつも親切で公平だ。誰一人見捨てようとなどせず、常に大局を見て行動できる人物だ。
しかしだからこそ、その両肩に凄まじい重圧がかかっているだろうことは、コナーもよく知っている。
彼には、変異体となった時の恩もある。それにサイバーライフ社から支援を打ち切られている今の自分が定期的にメンテナンスを受けられるのも、ジェリコの設備を借りているお蔭だ。だからこそ、なんとか彼の役に立てればいいのだが――そう思いつつ、なかなか何もできていない現状がある。
『アンダーソン警部補によろしく』
「ああ。ノースたちにも」
――通話が切れる。
受話器を戻したコナーは、ふと、空を見上げた。
今日は快晴だ。しかし、夕方になるにつれてだんだん天気が悪くなってくるという予報だった。
ハンクはちゃんと、洗濯物を室内に干して出て来たのだろうか――
そんな考えがプログラムの片隅を過ぎったその時、デトロイト市警から通信が入る。
***
――2039年5月16日 14:53
ラファイエット通りへと車で行く間、ハンクはずっと不機嫌な様子だった。
普段よりさらに激しい音量でヘビーメタルを流しながら、法定速度スレスレで街道をかっ飛ばしているところからも、それは明らかだ。
デトロイトの中心地の賑やかな街並みが、徐々に閑静な住宅地へと移り変わっていく様を窓から眺めていたコナーも(というのも、話しかければ相手がさらに不機嫌になると思ったからだが)、ついに相棒のほうを向き、おもむろに口を開く。
「警部補、そろそろ目的地ですよ。気持ちはわかりますが、機嫌を直してください」
「機嫌? はっ、お前に言われなくても充分上機嫌だね」
口の端を歪めながら、ハンクは皮肉っぽく言った。
「殺しの捜査を中途半端なまんまにさせられたと思ったら、今度は金持ちの爺さんのアンドロイドを捜せとさ! まったく、これだから警官はやめられねえな」
「仕方ないでしょう。アンドロイド絡みの捜査は、すべて私たちの担当です」
「俺もお前みたいな
言いながら、警部補は荒っぽくハンドルを切った。
シートベルトをしているのにも関わらず、自分の身体が大きく揺れるのを感じながら、コナーはじろりと横目でハンクを見やる。
「……ええ、そうですね。私は
チキンフィードでの定番メニュー、XLサイズのパイナップルパッションソーダ。
問われたハンクは、一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐにそれを掻き消した。
「証拠がないだろ」
「髭についてますよ」
警部補はちらりとこちらを見ると、わざとらしくフン、と鼻を鳴らす。
「うるせえな。前に言っただろ、どうせみんないつか死ぬんだ」
「どう死ぬかも重要です。それに縁起でもないことを言わないでください。断言しますが、あんなに糖分の多いソーダばかり飲んでいたら、いずれ生活習慣病になりますよ。ゲイリーに、次からはミネラルウォーターを出すよう頼んで……」
「あー、わかったわかった! 事件を選り好みすんのは三流のやることだよな! 俺が悪かったよ」
大声を被せてこちらの発言を遮ると、彼は決まり悪そうな表情をしていた。
――もっともコナーとて、ハンクが本気で今回の捜査をないがしろにしているわけではないというのはわかっている。
ただ、タイミングが悪すぎたのだ。
ミックが法的・医学的には自然な、しかし刑事の勘としては不自然な死を遂げ、吸血鬼事件の捜査が足踏み状態の時に、まさか「個人の頼み事」に駆り出されるなんて。
今回のデトロイト市警からの通信は、先ほどハンクが言った通りの内容を伝えるものだった。
つまり、ラファイエット通りに住んでいる富裕層の老人、ダーレン・ブロードハストの家に所属しているアンドロイドが行方不明なので、ぜひハンク・アンダーソン警部補に捜索してほしいと相談があった、というものである。
ブロードハスト氏はシリウム精製に必要な希少金属採掘業の元締めの一人であり、つまり高額納税者であると同時に、警察にも太いパイプを持つ人物だ。
だからいかにアンダーソン警部補がファウラー警部に食ってかかったところで、その頼みを無碍に断るわけにはいかない、というわけらしい。
「……ったく、わざわざのご指名とはな。光栄だね」
「もしかすると、何か裏があるのかもしれません」
通りに差し掛かったところで、コナーは言う。
「データによると、その行方不明のアンドロイドはXR600型とのことですから」
「珍しいのか」
「ええ、とても」
頷くと、説明を続けた。
「XR600型は、すべてオーダーメイドなんですよ」
「オーダーメイド?」
「容姿だけでなく、組み込まれたソーシャルモジュールや機能、材質までも、すべて注文を元に作られるんです。もちろんかなり高額なので、そう誰しもが利用できるサービスではないのですが」
「なるほどな」
目的地であるブロードハスト氏の邸宅が近づいてきた。
ハンクは車の速度を落としながら、息を吐く。
「金持ちが作らせた、世界に一人だけのアンドロイドってか。ま、いなくなればそりゃ心配かもな」
「その代わり、同じアンドロイドは理論上いないことになりますから……捜索も容易かもしれませんね」
「そう願いたいね」
そう言って警部補は口を閉ざした。
ブロードハスト氏の邸宅の、金属製の巨大な門が見えたからだ。
車を停めるとハンクは窓を開け、門衛(珍しくも人間だ)に向かって自身の身分証明書を見せる。
「連絡を受けて来た、デトロイト市警のハンク・アンダーソンだ」
「お待ちしておりました」
若い男性の門衛は、すぐに無線でどこかに連絡を取った。
するとほどなくして、門がひとりでに大きく開かれる。その向こうに見えたのは、今どき珍しいほどに古式ゆかしい作りの、瀟洒な屋敷である。3階建て、エントランス前には高級ホテルもかくやというような立派な前庭、そして数々の彫刻と、手入れの行き届いた木々の緑。
どうやら、これこそが【ロココ建築様式】に分類されるようだ――と車を降りたコナーが分析していると、ハンクが脇腹を肘で小突いてきた。
「おいコナー、仕事だぞ」
「すみません、警部補」
つい好奇心が勝って、眺めてしまっていた。
コナーは気を取り直すと、ハンクに続いてブロードハスト邸に足を踏み入れるのだった。
***
「ようこそいらっしゃいました」
とエントランスホールで二人を出迎えたのは、ブロードハスト氏本人ではなく、一人の初老の男性だった。
きっちりとした背広を身に纏い、英国流の恭しいお辞儀をしている。
「私はブロードハスト氏にお仕えする、執事のスワンと申します」
顔認証の通り(アリスター・スワン 63歳、とデータにある)の自己紹介をしてみせたスワン氏に対し、ハンクはいつも仕事の時にそうするように、短く名乗る。
「デトロイト市警のハンク・アンダーソンです。こっちはアンドロイドのコナー」
次いでさっそくとばかりに、彼は本題に移った。
「それで、ブロードハスト氏のアンドロイドが行方不明になったそうで……詳しい話をお聞かせ願いたいのですが」
「は、はい。ではどうぞ、こちらへ」
スワン氏はどうやら、応接間へと案内してくれるらしい。
彼の先導に従って進むハンクの顔をちらりと見れば、苦虫を噛み潰したようだった。おそらく「俺は立ち話で結構だ」と言いたいけれども、一応我慢しているのだろう。
コナーはというと、すれ違いざまに警部補にお辞儀をする屋敷の使用人たちが、全員人間なのが気になった。
今どき家事手伝いのアンドロイドは一般家庭にも完全に普及しているし、大金持ちともなれば、何十人も働かせていて不思議ではない。
そこを、すべて人間を雇用しているとは――
例の革命以降、アンドロイドが信用できないから、というような理由なのだろうか。
雇っていたアンドロイドたち全員が「退職」してしまったのだろうか。
それとも、何かもっと深い理由でも?
訝しんでいる間に、応接間に通される。
屋敷の外見通り、欧州風に纏め上げられているその部屋は、マホガニー材で作られた調度品といい、壁に掛かっている著名な画家の絵といい、いかにも賓客をもてなすための内装である。
促されるままに、警部補は席につく。平静を装っているようだが、少し落ち着かない様子だ。
一方でコナーはいつもの癖で、というより普段は必ずそうなるからなのだが、ハンクの斜め後ろの壁際に、後ろ手を組んで立った。
するとスワン氏は、こちらに向かって言う。
「あの、どうぞ、コナーさん。あなたもお掛けください」
――珍しい。
革命後とはいえ、一介のアンドロイドにこんな応対をするなんて。
「ありがとうございます。それでは」
コナーがハンクの隣の椅子に腰かけると、スワン氏の指示のもと、飲み物が提供される。
ハンクには、繊細なボーンチャイナのティーカップに入ったアールグレイ(【2kcal 水、キーマン茶、ベルガモット】)。そしてなんとこちらには、透明なグラスに入れられたブルーブラッド――もちろんサイバーライフ社の純正品だ。
あまりにも珍しい事態に、コナーが思わずじっとグラスのブルーブラッドを見つめていると、ハンクが慌てた様子で、こそこそと横から声をかけてくる。
「おい。頼むから、絶対に指つけて舐めたりするなよ。恥ずかしいからな」
「しませんよ、必要がありません」
――犯罪現場ではないのだからそうする理由もないというのに、いったい何を慌てているのだろう?
スワン氏のほうはというと、お茶を運んできた使用人たちに何か指示を出して部屋から退出させているので、こちらのやり取りは聞こえなかったようだ。
ややあってから応接間にスワン氏とコナーたちの3人だけになると、執事はテーブルを挟んで向かい側の席についた。
そして、おもむろに語りだす。
「その……本来ならば、当人であるブロードハストがこうしてお話しすべきところを、私が代理でお話しする無礼、どうぞお許しください」
スワン氏は目を伏せた。
「ブロードハストは高齢でして、最近はあまり体調が優れず……とりわけアンドロイドが行方知れずになってからは、食事もほとんど摂れないありさまで。ですので、私がお話しする次第です」
「なるほど」
ハンクが相手に合わせるように相槌を打ち、質問する。
「では、そのアンドロイドの見た目の特徴と、いなくなった時期をお話しいただけますか」
「は、はい」
スワン氏はいそいそと、横にあるお茶を運んできたワゴンからタブレットを取り出した。
そしてその画面をこちらに見せる。表示されているのは、上等なソファに腰かけた一人の老人の写真である。
「これが、主人であるブロードハストです」
禿げ頭と高い鼻、そして丸い眼鏡が特徴的な外見の白人男性。顔認証からも、それが【ダーレン・ブロードハスト 89歳】本人であるのは確かな事実である。
「そして……」
一度画面を自分側に向けると、スワン氏は何度か画面をスワイプした。
そして次に彼がこちらに向けた時、そこに映っていたのは――
「こりゃあ……?」
「驚かれるかもしれませんが、左に立っているほうが、ブロードハストのアンドロイド。XR600です」
警部補が驚きの声を発するのも無理はない。
そこにいたのは、瓜二つな二人だった。
写真の右側にいる本物のブロードハスト氏だという人物と、寸分違わぬ外見。ただ、こめかみについているLEDリングのみが、左側に立つのがアンドロイドであることを示す唯一の証拠となっている。
それ以外は、目つきも骨格も、佇まいすらも、見分けがつかないほどの「同一」さ。
コナーの分析ですらも、人間かアンドロイドかの判断に若干の猶予を必要としたほどだ。
「これは……なんとも、そっくりですな」
「はい。彼――XR600“アイザック”は、ブロードハストが自分の『双子』を作るべく、サイバーライフに発注した存在ですから」
ハンクの言葉に深く頷くと、スワン氏は語った。
「元々ブロードハストは、親兄弟もなく、身一つで財を成した人物です。だからこそ、周囲に真の意味で信頼できる者がおらず、いつも心休まらぬ日々を過ごしてきたと言っていました……そこで彼が4年前にサイバーライフ社に依頼したのが、自分とそっくり同じアンドロイドでした。外見のみならず、性格も物の考え方も、色の好みまで同じ……自分の兄弟であり、片腕たりうるようなアンドロイドを求めたわけです」
「はあ」
怪訝な顔を隠そうともせずに、ハンクは返事した。
しかしスワン氏はさらに説明する。
「そうして作られたアイザックは秘書としてだけでなく、まさに双子の兄弟のように彼に尽くしました。実のところ、私が執事としてこのお屋敷に勤めるようになったのは2年前からなので、そういう意味では、アイザックのほうが私よりも彼に仕えて長いんです。……ともかくあの二人は、本当に仲がよかった」
言うなり、執事は遠い眼差しになる。
「半年ほど前、あの革命の折――アンドロイドのリコールが始まった時も、ブロードハストはアイザックの回収を逃れるために、万策を講じました。その甲斐あって、彼は無事だったのですが……その後からですな。主人が体調を崩すようになったのは。そしてアイザックがいなくなったのは、今から一週間ほど前です」
「いなくなる前に、何か兆候のようなものはありましたか?」
コナーが問いかけると、スワン氏は頭を振った。
「いいえ、何も。ブロードハストが臥せりがちになってからも、アイザックは変わらず彼と親しく過ごしていたのですが……突然……」
――つまり、何も思い当たる節はない、ということのようだ。
となると自発的な失踪ではなく、事件や事故に巻き込まれた恐れもある。
コナーがそう思って考えを巡らせていると、スワン氏がああ、と小さく声を発した。
「そうでした、念のために。こちらが、いなくなる直前の頃のアイザックです」
彼は再びタブレットをスワイプすると、一枚の写真をこちらに見せた。
写っているブロードハスト氏は、車椅子に座っていた。そしてその隣に立つアイザックは、彼を元気づけるように、自らの手をブロードハスト氏の手に重ねている。
それ以外は、なんということもないような写真のはずだ。――しかし。
「……」
コナーは、なぜか、自分のプログラムが何かしらの「違和感」を訴えているのに気づいた。
――なんだ? この感覚は。何を訴えようとしているのか?
しかし、その違和感の原因に思い当たるよりも先に、スワン氏はタブレットを引っ込めてしまった。次いでハンクが、真剣な面持ちで口を開く。
「お話は理解しました。まずは、アイザックがいなくなった前後の状況について、詳しく調べる必要がありますな。ここで働く皆さんに、いくつか質問させていただいても?」
「ええ、はい、もちろんでございます」
スワン氏はほっとした様子で頷いた。
「使用人の皆には、刑事さんがたのご質問にはきちんとお答えするよう、申し付けてあります。どうぞなんなりと」
「それはありがたい。では、少し失礼しますよ」
言うなりハンクはアールグレイを一口啜って立ち上がると、深々とお辞儀するスワン氏を尻目に、応接間の外に出た。
コナーもそれに従う。
そして応接間の外の廊下で、警部補は腕を組み、声を低めて問いかけてきた。
「コナー。お前はどう思う?」
「現段階では、アイザックは自発的にここを去ったわけではないと推測します」
ハンクは目で頷いた。
「だが、なんにせよもう少し情報が欲しいとこだ。俺はこれから屋敷を回って、目ぼしい人間に話を聞いてくる。お前は、何か怪しい点がないか調べてくれ」
「わかりました」
こちらがそう返事すると、警部補は念を押すようにもう一度頷く。
「気をつけろよ。何かわかったら連絡しろ」
「はい。警部補もお気をつけて」
その会話を皮切りに、コナーとハンクは、それぞれ別の場所に歩き出した。
ハンクは廊下の向こうでシーツを運んでいる様子の、中年の女性のところへ。
そしてコナーは――まずは、エントランスホールにおかしな点がないか調べてみることにした。
仮にアイザックが意に反して連れ去られたのなら、何かしらの痕跡が屋敷に残っているはずだ。もっとも、もし泥棒や強盗の類が屋敷に入ってきていたのだとしたら、執事のスワン氏をはじめ使用人の皆が気づくだろうから、あったとしてもその痕跡は僅かなものだろうが――
そう思いつつ、スキャンを起動する。
まずは窓枠や上に続く階段の手すりなど、手がかりがありそうな場所をチェックした。
しかし、特に異常は見当たらない。
ならばと次に調べるのは、調度品や絵画、彫刻などの貴重品――これは、もし入ってきたのが泥棒ならば興味を持つだろうと思ってのことだったのだが、こちらも、特におかしな点はない。
いくつかの指紋はついていたが、それらはすべてスワン氏をはじめ使用人の人々のものだと断定できた。そもそも、あまり汚れすらついていない。よほど大切に磨き上げられているのだろう。
となれば、さらに次にスキャンするべきなのは――
と、考えながら視線を下に向けたところで。
コナーの目に映ったのは、エントランスホールの左側の壁の下方にあるマークだった。
壁と床の境目の、そのぎりぎりのラインに描かれているのは、「→」の印。
しかも――
書かれてから数日経っているせいで、肉眼では決して発見できないだろうが、青い文字はしっかり残っていた。
「……!」
近づいて、至近距離からさらに精密に調べてみる。
するとそのブルーブラッドは、紛れもなく【XR600型 #908 312 006】のものだと断定できた。そして書かれたのは、【推定 7日前】。
「……アイザックの血か」
誰にともなく呟くと、その矢印の示す先を見やる。
そこには別の部屋への扉があり、さらにその向こうには、庭へと続く勝手口があった。
誰もいないその部屋(カクテルパーティーなどをする時に、客をもてなすのに使われる部屋なのだろう)を突っ切って勝手口の傍までやって来ると、その扉にも――よく見れば――同じくアイザックのブルーブラッドを使用して描かれた矢印がある。
その矢印は、勝手口の外の庭へとこちらを誘っていた。
しかもその真下にはやはり青い血で、ご丁寧に、こうメッセージが書かれている。
【コナーへ 一人で 来てくれ】。
――明らかに、このメッセージの主はコナーだけを呼んでいる。
どこかへ誘っているのだ。
ハンクも呼ぶべきだろうか? ――少しだけ、そう思ったものの。
この先の状況がわからない以上、万が一のことも考えて、ここは「指示」に従っておくべきか、と思い直した。警部補は同じ屋敷にいるのだし、呼ぼうと思えば、いつでもできる。
そのように結論づけると、コナーは、音を立てないように勝手口の扉を押し開けた。
外は少しだけ薄暗くなっており、その空気は、湿気を孕んでいる。
もうすぐ雨が降るかもしれない。
そして視線を巡らすと、すぐ傍の木の幹にもまた、ブルーブラッドで矢印が描かれていた。
油断なく気を張りつめながら、ゆっくりと庭を進んでいく。
***
その頃、ハンクは呼び止めた中年のメイドの話を聞いていた。
ふくよかな体型のその女性は、元々話好きだったのだろう、仕事の手を休めて陽気に語ってくる。
「ええ、そうね。確かに、アイザックとブロードハストさんはとても仲がよかったわねえ。それに彼、とっても働き者なんですよ。このお屋敷のことなら、アイザックに聞けばなんでもわかるくらい。ほんとよ。棚にある食器の種類と数から、2階に昇る階段の段数までなんでも!」
「あー、なるほど」
女性のお喋りに若干気圧されながらも、ハンクは質問を挟む。
「それで、例えば、アイザックを恨みに思うような人物に心当たりありますか? どうも聞いてると、彼が勝手にいなくなるようには思えないものでね」
「あらやだ、恨み? いいえ、とんでもない!」
メイドはぱたぱたと手を振った。
「そりゃ世間じゃ、アンドロイドが憎いなんていう人がいるのは知ってますわ。それに、まあ、うちにはブロードハストさんの意向で、アイザック以外のアンドロイドはいないけど……あんなにいい子はなかなかいないと思いますよ。本当に親切で……執事のスワンさんだって、来たばかりの頃は、アイザックに仕事を教えてもらってたくらいだもの!」
――相槌を打ちながら、ハンクはスワン氏のコナーに対する態度を思い返した。
スワン氏はアンドロイドであるコナーに嫌悪感を見せるどころか、むしろかなり好意的に接していた。おそらくそれは、アイザックとのこれまでの関係があったからこそなのだろう。
そしてアイザックに対して好意的なのは、この屋敷の使用人全体がそうらしい。
ということは、彼がいわゆる「人間関係」の問題でここを去ったという線は薄くなるだろうか?
女性の話が一段落したところで、ハンクはさらに質問した。
「では、ここ一週間くらいで何か妙な出来事はありませんでしたか。物音とか、人影とか……なんでも結構なんですが」
「うーん、そうねえ……? ごめんなさい、それはちょっと思い当たりませんわ。私、お仕事の時はだいたいお屋敷の中にばかりいるもので。エリオットに聞いてみたらいかがかしら? 門のとこにいる警備員だけど、仕事熱心な子だから」
ここに来る時に身分証を見せた、あの若い門衛だろうか。
ハンクは女性の勧めに従うことにした。
確かに門番ならば、行き来する人間に詳しいことだろう。
手短に礼を述べて去ろうとすると、その背を呼び止められる。
「あの、刑事さん。アイザック、きっと帰ってきますわよね?」
「万全を尽くしますよ」
「その、私……アイザックのことももちろん心配なんですけれど、ブロードハストさんのことも気がかりで」
女性は、それまでの明るい様子を一転させ、気落ちした様子で語った。
「アイザックがリコールされるかもってなった時……ブロードハストさんが彼をどこかに隠していたそうだけど……その後、ブロードハストさん、倒れて入院してしまったんです」
「入院……心労で?」
「ええ。幸い2週間もしたら戻ってこられたけれど、最近もまたご体調が悪いみたいだし。もしアイザックの身に何かあったら……」
今度は入院よりももっと悪いことが起きるかもしれない。
そう思うと、不安で仕方ないということなのだろう。
どうやらブロードハスト氏は、変わり者ではあるだろうが、慕われているようだ。
ハンクは得た情報を頭の中で整理しつつ、門へと向かう。
(そういえば妙に静かだが、コナーの奴はうまくやってんだろうな?)
そんなことを思いながら。
***
一方でコナーは、庭のかなり奥にまでやって来ていた。
植え込みを利用して作られた迷路のような場所の奥、あまり人が踏み入ることのなさそうな、茂みの蔭にあたる場所。
アイザックの血の矢印に導かれるままに辿り着いたが、ここに来るまでには、特にこの庭に変わった様子はない。
それに雨がぽつぽつと降り始めたこともあってか、庭には今、誰もいない。
重苦しく圧し掛かってくるような鈍色の空の下、コナーは静かに辺りを見渡して――
――近くの大きめの岩に、「←」の矢印を発見する。
そしてその向こうには、庭と外の境界を示すような石壁と――その前に古びた物置が一つ。スチール製の、それなりの大きさの収納庫だ。
足音に気をつけながら、コナーはその目の前にやって来た。
そして、物置の扉に手を掛けて――鍵がかかっていないその正面には立たないようにしながら――横から一気に、それを開け放った!
すると。
「わっ!?」
驚愕の声をあげて中から転び出るようにして現れたのは、身なりのよい格好をした一人のアンドロイドだ。
禿げ頭、高い鼻、そしてアンドロイドには不要なはずの眼鏡。何より、基本的に若い姿にデザインされるアンドロイドの中では特異な、その老いた外見。
――間違いない。
「君がアイザックだな」
こちらが問いかけると、アンドロイド――XR600アイザックは、やっと状況を理解した様子で、弾かれたように振り向いた。
「ああっ……ああ、君は! デトロイト市警のコナーだね」
声音は老人だが、話しぶりは若々しくアイザックはそう言うと、喜色満面にコナーの元に歩み寄った。
「ああ、本当に一人で来てくれたのか! しかしそうか、やっぱり彼は警察に相談したんだな……」
そう言って嘆息するアイザックには、スキャンした限り、外傷もシステムの異常もない――もちろん変異体ではあるが。
彼の右手人差し指の先にはスキンのプラスチックを溶接した小さな痕があり、見れば物置の中には、ブルーブラッドのついた小さなアイスピックとライターが落ちている。
どうやら血のメッセージを書いたのも、このアイザックで間違いないようだ。
彼が無事で、あっさりと発見できたのはよかったが――
「どうして君は、一週間もこんな場所に?」
コナーはアイザックに問いかける。
「みんながとても心配しているよ。誰かに閉じ込められたのかい? それとも、何か事情が?」
「事情……ああ、そうなんだよコナー!」
アイザックは、途端に眉を悲しげに顰める。
そして懇願するように――そのLEDは黄色く光っている――声をあげた。
「頼むよ、どうか彼を!
「ブロードハスト氏を?」
――どういう意味だ?
とこちらが問いかけるまでもなく、アイザックは己の右手のスキンを解除した。
「説明は……私のメモリーに接続してもらったほうが早いだろう。どうか、見てくれないか」
どうやら、状況はかなり逼迫しているようだ。
コナーは同じく右手のスキンを解除すると、差し出されているその白い手をとり、アイザックのメモリーに接続した。
すると――
「……!」
視界全体に広がるアイザックのメモリーの内容――そのあまりに想定外な情景に、コナーは、一瞬言葉を失った。
「……君は……」
接続を終え、右手のスキンを元に戻しながら、呟くようにアイザックに言う。
「そうか、ブロードハスト氏は……」
皆まで告げずとも、アイザックにはわかったようだ。
なおも悲しそうに、彼は頷く。
――どうりであの写真を見た時、謎の「違和感」を覚えたわけだ。
コナーは目を閉じ、軽く頭を振ると――そのLEDは黄色から平常の青へと戻る――アイザックに問いかける。
「それで、君の望みは」
「君から
「アイザック、それは、あまりいい考えじゃないよ」
コナーは、冷静に続きを述べる。
「彼はきっと、ひどく不安定な状態だ。僕がいくら真実を突きつけたところで、受け入れられないと思う」
「そんな……」
アイザックは悄然としている。だが――
「心配はいらないよ」
敢えて相手を元気づけるように、力強く言った。
「大丈夫、僕に考えがある。もしよかったら……手伝ってくれないか?」
***
「変わったこと……うーん」
ハンクに質問された門衛のエリオットは、若干の幼さの残る顔を顰めて首を傾げている。
「どんなことでもいいんだ。例えば大きな荷物が届いたとか、見慣れない車が通りかかったとか」
呼び水のようにさらに質問すると、エリオットはしばらくしてから、ああ、と短く声を発した。
「あのー、一週間前よりずっと前の話なんですけど、いいですかね?」
「もちろん、聞かせてくれ」
「あれは確か、えーと、アンドロイドの革命が起きてから、半月くらい経った頃かな」
エリオットは、自分の右側にある門の辺りを指した。
「珍しく、とても大きな荷物が届いたことならありましたよ……サイバーライフ社から」
「サイバーライフから?」
「ええ。いつもはブルーブラッドの箱くらいしか届かないから珍しいなと思って、よく覚えてます」
これくらいだったかな、と彼が手で示したその箱の大きさは、自動販売機程度だった。
「ちょうどそれと同じ時期に、ブロードハストさんが病院から戻ってきて……だから、入院中に注文したのかなって思ってたんですけどね」
「その荷物の中身については?」
「ああ、ちょっとそこまでは。一応外側から、危険物じゃないか機器でチェックはしますけどね。開けて見るところまでは、しない決まりになってるんです」
なるほど、と返事しながら、ハンクは考える。
――珍しいオーダーメイドのアンドロイド、XR600。そしてサイバーライフ社からの、大きな荷物。
ブロードハスト氏が革命後に体調を崩して入院していたことと、何か関連が見えてきそうな気はするが――
具体的にそれがなんなのかまでは、まだわからない。
「どうもありがとう、参考になったよ」
エリオットに挨拶して、ハンクは屋敷へと踵を返す。
一度コナーと合流して、情報を突き合わせてみる必要があるだろうか――
と、思考がそこまで達した時である。
ポケットの中の携帯が鳴った。――コナーからだ。
「もしもし、どうした」
『警部補! 実は』
相棒の声は切迫した様子である。
『アイザックを発見したのですが、思わぬ状況になっていて……一度、屋敷のエントランスホールまで戻っていただけますか』
「そりゃ構わんが」
と言うより、アイザックを見つけたのか? 彼は無事なのか?
そう聞こうと思った矢先に、電話はぶつりと切れてしまった。
「なんだってんだ、いったい……?」
訝しみながらも、今は、とにかく戻るしかない。
鼻先と肩に冷たい雨が当たるのを感じながら、ハンクは屋敷へと駆けていった。
***
そして戻った邸内では、本当に思わぬ事態が発生していた。
「ア、アイザック!? どうしてこんな……!」
腰を抜かしているスワン氏の視線の先にいるのは、頭から青い血を流してぐったりしている老人、否、アンドロイドのアイザックと――
彼に肩を貸しているコナーだった。
「庭で発見した時には、こうなっていたんです。予期せぬエラーで倒れ、頭を損傷したようで……」
そう説明するコナーは、やって来たハンクの存在に気づく。
「警部補! すみませんが、アイザックを運ぶのを手伝ってください。彼を2階に運ばないと」
「2階?」
手当てなら1階でもできるのでは? と思ったのはハンクだけではないらしい。
同じく疑問を浮かべている様子のスワン氏に対して、コナーは真剣に訴えた。
「それが……アイザックが、どうしてもブロードハスト氏と話がしたいと。彼は2階の自室に?」
「え、ええ! ああ、2階に行くにはエレベーターもあります。どうぞ……!」
スワン氏はようやく立ち上がると、コナーをエントランスホールの端へ案内した。景観を損ねないために装飾の一部のようになっているが、どうやら、そこにはエレベーターがあるらしい。
ハンクはアイザックの右肩に腕を回し、コナーと一緒に彼を支えて歩く。
「おい、よくわからんが頑張れよ! 気をしっかり持つんだ」
「う、うう……」
声をかけても、アイザックはぐったりしたまま俯いている。
その表情は窺い知ることはできない――
が、一つだけ引っかかることがあった。
――なぜ彼のLEDは青のままなんだ?
「こ、こちらです!」
しかし疑問が結論に至るより先に、スワン氏の導きでエレベーターに乗った3人は、ほどなくして上階に着く。
そこから廊下を進んですぐにある、大きな両開きの扉の先――そこが、ブロードハスト氏の私室なのだという。
「ブロードハストさん、すみません! 入りますよ」
大声で呼ばわってから、コナーはその扉を開けた。
壁を埋め尽くすほどの本棚が印象的な部屋の中央には、大きなベッドが設えられている。
そしてそのベッドの上には――
「ア、アイザック……!?」
一人の老人が、半身を起こした状態で目を丸くしていた。
そう、写真で見た通りのブロードハスト氏だ。
一旦アイザックを床に下ろすと、コナーは氏に近づいて語りかける。
「あなたのアイザックが、大切な話があると。ただ、彼は損傷を受けていて……」
「そんなっ!」
叫ぶが早いか、ブロードハスト氏はベッドから滑り出ると、横たわっている自身の双子のもとへとやって来る。
「アイザック……! なぜだ、どうしてこんな怪我を!」
「ダーレン」
仰向けに横たわっているアイザックは、掠れたような小さな声で語る。
「は、話があるんだ……どうか私と君と、刑事さんたちだけに……」
「わ、わかった」
ブロードハスト氏は素早く頷くと、スワン氏をはじめ、その場に居合わせている使用人たちを下がらせる。
不安げな表情を浮かべた面々が部屋を出ると、アイザックは、なおも掠れ声で話した。
「ダーレン……私は、もう駄目みたいだ。庭を歩いていたら、突然プログラムがエラーを起こして……」
「そんな馬鹿な! メンテナンスでは、毎回問題なかったはずだ……!」
ブロードハスト氏の双眸から、涙がぼろぼろと零れ出ている。
ハンクは堪らず、傍らに立っているコナーを問い質した。
「なあコナー、なんとかできないのか!? このままじゃ……!」
「方法はあります」
苦い表情で、相棒は応える。
「彼と完全な互換性を持つアンドロイドの生体部品と、損傷した部分を入れ替えるんです」
「互換性? 同じ型ってことか」
「はい。そして残念ながら、アイザックと同じ型は……」
コナーは沈痛な面持ちで目を閉じた。
――そう、アイザックはオーダーメイドのXR600。
彼と「同じ」アンドロイドは、理論上この世に二人といないのだ。
「クソッ……」
ハンクが短く吐き捨てる間に、呆然と床にくず折れたブロードハスト氏は、アイザックに縋るように泣いている。
「嫌だ、嫌だアイザック! 私を一人にしないでくれ……! 私にはお前しかいないんだ!」
「すまない、ダーレン」
アイザックは言う。
「でもどうか、怒らないでほしいんだ。私はただ、君に気づいてほしかったんだよ……」
「気づくだって!? いったい何に」
気づけと――
と、紡ごうとしたのだろうブロードハスト氏の唇が、ぴたりと止まる。
次いでその涙が止まると、彼の表情は徐々に、驚愕したものへと変わっていく。
「そうか――」
ブロードハスト氏は愕然と叫んだ。
「そうかっ!」
状況を呑み込めないハンクの前で、ブロードハスト氏は、素早くコナーのほうを向いた。
「君っ! 君が、デトロイト市警のアンドロイドか」
「はい」
「頼みがあるんだ」
ブロードハスト氏は、その場で己の右腕を高く挙げた。
そしてその腕が、手が――
――
「なっ……!?」
どういうことだ? と訝るハンクを置いて、彼は言った。
「使ってくれ! 私の生体部品を使ってくれ。私と彼はまったく同じ設計図で作られているんだ。互換性なら問題ないはずだ!」
「ブロードハストさん」
問いかけには応えず、冷静な声音で、コナーは逆に質問する。
「では、あなたはアンドロイドなんですね?」
「なんだって!?」
ハンクは思わず驚きの声を発してしまうが、しかし、ブロードハスト氏はそれに動じない。
「ああ、そうだ。私はアンドロイドだ。私が……最初にダーレンが作った、“アイザック”だよ」
ブロードハスト氏――否、“アイザック”はきっぱりとそう言い放った。
すると倒れていたはずのアイザックが、勢いよく起き上がり、立ち上がる。
そして彼は、“アイザック”を後ろから抱きしめた。
「よかった! “アイザック”! ようやく思い出してくれたんだな」
「ああ……」
再び涙を零しながら、“アイザック”はゆっくりと振り返り、己の「双子」を抱き返した。
「どういうことだ、こりゃあ」
ハンクは疑問符を浮かべたまま、すべて知っているらしいコナーのほうを向く。
彼は微笑んでいた。
「おい、説明してくれ。アイザックの怪我が噓だったってのはわかるが……」
「警部補、実は」
コナーは笑みを消すと、声を潜めて語った。
「本物の、人間のブロードハスト氏は……既に亡くなっていたんです」
「な……」
何度目かの驚愕の声を発し、そして理解する。
「革命後に倒れて入院したって時、か」
「ええ。ブロードハスト氏は、心労がたたり病院で亡くなりました。ですがその時偶然にも、看取ったのはあそこにいる“アイザック”……最初に氏が自分の双子として作ったアンドロイドだけでした」
――コナーは説明する。
ブロードハスト氏が亡くなった時、“アイザック”は、その死を受け入れられなかった。
これまで半身のように暮らし、想いあってきた双子が、自分を守るために命を減らして死んでしまったのだと理解したくなかった。
そこで彼は変異体となり、同時にそのプログラムは変調をきたしてしまう。
“アイザック”は思い込んでしまった。
ダーレン・ブロードハストは死んでなどいない。
なぜなら自分こそが、
“アイザック”は病院に金を払ってダーレンの遺体を秘密裡に埋葬すると、ダーレンとして、彼の私財を投じサイバーライフ社に新たに発注をかけた。
自分と同じ設計図で作られ、自分のメモリーをダウンロードした、新しいXR600。
2人目のアイザックを製作させたのだ――ダーレンがそうしたのと合わせるために。
「そうか、門衛のエリオットが言ってた大きな荷物ってのは……2人目のアイザックが入った箱だったのか」
「アイザックの最近の写真を見た時、私も違和感を覚えていました。原因はそこにあったんです。人間のブロードハスト氏が、アンドロイドにすり替わっていた――」
けれど1人目の“アイザック”は、既にこめかみのLEDを取り外してしまっていた後だった。また目視ではなく、写真による分析だったことが、コナーのプログラムが「両方ともアンドロイドである」という結論を出す妨げとなっていたのだろう。
コナーはさらに説明を重ねる。
「そして、1人目の“アイザック”が自分を人間だと思い込んでいることは、彼の生活に支障をきたす原因となりました」
――その光景を、コナーは、アイザックと接続したメモリーで知っていた。
“アイザック”は何度か人間の食べ物を口に入れ、その度に後になってトイレで吐き捨てていた。またサイバーライフ社のメンテナンスを受けずにいたせいで、徐々にその機能に不調がみられるようになったのだ。
だがこうした様子も、何も知らないスワン氏などの人間の使用人から見れば、「体調を崩している」ようにしか見えない。
アイザックたち以外にアンドロイドが邸内にいないことも、“アイザック”の誤認に拍車をかけた。アンドロイドは基本的に、相手がアンドロイドだと一瞥でわかるものなのだ――その認識を歪めるほどの、強烈な「想い」でもない限りは。
このままでは、“アイザック”は自らの誤認が原因で死んでしまうかもしれない。
彼の意思によってこの世に生まれ、彼と共に生きてきたアイザックにとって、それは耐えがたい未来だった。
「だから2人目のアイザックは、自分の『双子』を救うために、わざと行方を眩ましたんです。そうすれば必ず1人目の“アイザック”は警察に相談するはず。そして警察は、必ずあなたを……そして、その補佐である私をここに寄越すはずだと」
「さっきまでの芝居はお前のアイデアか?」
「はい。“アイザック”の誤った認識を正すには、ブロードハスト氏を亡くした時と同程度の、強烈なショックを与えるほかないと――強引な方法でしたが」
ちなみにアイザックが頭から流していた血は、物置にあったブルーブラッドの袋から拝借したらしい。
「……そうか」
ハンクはそれきり口を閉ざすと、なんとも言えない表情でアイザックたちを見ていた。
やがてアイザックは“アイザック”から身を離すと、こちらに向かって言う。
「すまなかったよ、コナー。こんなことに付き合わせて」
「いいんだ。“アイザック”が助かってよかった」
コナーの答えに、アイザックたちは微笑んだ。
「そして、アンダーソン警部補……わざわざお越しいただいてしまって、本当に申し訳ありません」
頭を下げたアイザックは、ブルーブラッドを拭うと――重苦しい表情を浮かべる。
「……この後の私たちの処遇は、わかっています」
「処遇?」
「警部補、法律のことです」
コナーが横から説明する。
「法律上、アンドロイド個人に所有権は認められていません。つまりブロードハスト氏が死亡し、いるのがアンドロイドのアイザックたちだけだと判明した今、もう二人には……」
二人にはこの屋敷にいる権利も、ブロードハスト氏の遺産を使う権利すらもない。
法的にはブロードハスト氏の遺産は人間の相続人に分けられるだろうし、同時にアイザックたちもまた、氏の「遺産」として誰かに相続されてしまうことになる。
だからこそアイザックは当初、アンドロイドのコナーに相談するだけで事を済まそうとしていたのだ――
これ以上、ここで生活を送ることができなくなるから。
「……はあ」
と、そこでハンクはため息をついた。
そして――
頭を掻きながら、投げやりに言い放つ。
「おい、コナー。お前、何言ってんだ急に。バグったのか」
「えっ?」
戸惑うコナーの横で、警部補は“アイザック”に対して語りかける。
「あー、よかったですな、
「警部補……!」
表情を途端に明るくするコナーよりも、さらに驚き、嬉しそうな顔で、アイザックたちはハンクを見ている。
「アンダーソン警部補」
“アイザック”は深くお辞儀した。
「あ、ありがとうございます……!」
「俺は何も、頑張ったのはこいつです。ほらコナー、もう帰るぞ」
「はい!」
扉を開けると、待ち侘びていた様子のスワン氏たちが、一斉にブロードハスト氏の部屋に雪崩れ込んでいく。
アイザックの無事を喜び合う彼らを尻目に、コナーとハンクは邸宅を退出した。
***
「警部補、先ほどの対応はお見事でしたね」
降りしきる雨の中をデトロイト市警へと帰る車中で、コナーはいつになく興奮した気持ちを抑えきれずにハンクを褒め称えた。
警部補はというと、ハンドルを握りながら自嘲的に肩を竦める。
「別に、褒められたもんじゃねえよ。アンドロイドを見つけろって命令された通りにやって、それ以上は
不意に、ハンクは表情を暗くした。
「あのスワンって執事も、他の人たちも、本当のことは知らないままだ。……それでいいのかって気は、少しするがな」
「……そうですね」
スワン氏たちは、主人であるブロードハスト氏の死を知らないままだ。
いつの日か“アイザック”たちが、彼らに真実を伝える日はくるのだろうか――
「……ま、それはあいつらが考えることだ」
しばらくしてから、ハンクはそう言って鼻を鳴らした。
「終わった事件のことをつらつら考えてられるほど、俺たちは暇じゃねえ。さっさと戻って、報告書だ」
「もし雨が止んだら、まずはスモウを散歩に連れていかないと」
警部補に合わせて、努めて明るくコナーは言う。
「最近新しいコースを試したのですが、彼はずいぶん気に入ったようですよ」
「お前、言っとくがスモウは俺の犬だからな」
勝手に妙な芸仕込んだりするなよ――
と、ハンクが釘を刺した頃。
車に備えつけられたハンクの通信機が鳴る。
相手はファウラー警部だ。
「ったく、今度はなんだ?」
ボヤきながらハンクは片手を伸ばし、通信機の液晶をタップした。
「アンダーソンだ。今は忙しいんですがね」
『ハンク、一旦こっちに戻って来い』
ファウラー警部は相変わらずの強引さでそう言った。
だが、その声はどこか――少し、困惑しているようにも聞こえる。
一方でハンクは、心底嫌そうな顔で返事した。
「ご命令でなくても、今そっちに行ってる最中ですよ。……なんだよジェフリー、また事件だってのか?」
『ああ、だが現場にはベンを行かせた。そっちに行ってもらう前に、お前たち二人に用事がある』
――ファウラーにしては珍しい物言いだ。
いったい何が起こったというんだろう?
戸惑うコナーたちを乗せた車は、一路デトロイト市警へと戻る。
そして――――
「よお、コナー!」
署に戻ったコナーを目にするや否や、ギャビンは嬉しそうに笑いながら声をかけてくる。
「お前、今までお疲れさんだったな。会えなくなるのは寂しいが……お別れ会は開いてやるよ!」
「……?」
首を傾げるコナー、苦虫を噛み潰したような顔のハンクを置いて、ギャビンはコナーの肩を乱暴に叩くと、ガハハと大笑いしながら休憩室へと行ってしまった。
「……何言ってんだ、あいつ?」
「ハンク、コナー!」
署長室からお呼びがかかる。
「オフィスに来い!」
命令のままに、コナーはハンクについてファウラーの部屋に向かう。
そして――一歩、踏み入れたところで。
「……!」
それはまるで、時間の止まる感覚とでも言うべきだろうか。
コナーはその時、プログラムの外で思った。
アイザックのように――自分にも、
半年前に対面した同機体のナンバー60とも違う、まったく別個に造られた存在がいたのか、と。
ひたとこちらを見据えるその瞳は、今の空の色のように灰色だった。
そして彼の纏う服の胸元には、こう文字がある。
すなわち――「RK900」。
遠くで、雷の鳴る音がした。
(第3話:双子/The Gemini 終わり)
アンダーソン警部補が仕事の時に使う敬語が好きです!!!
クロエと喋ってる時とか。