Detroit: AI   作:けすた

33 / 51
第二部 過去からの亡霊/The Phantom from a Past
第31話:魔術師 前編/Escapology Part 1


――2039年7月15日 20:14

 

 

 雨垂れを弾くワイパーの音を遮るように、激しいヘヴィメタの歌声が車内に響く。その旋律の高低に合わせるようにして、助手席に座るコナーはコインを弾いていた。

 ――動作調整完了。

 落ちてきた硬貨を右手の人差し指と中指で挟んでキャッチし、そのまま手のひらへと転がり込ませる。握ったコインをコナーがズボンのポケットにしまうのを、傍らで車を運転するハンクは横目で一瞥した。それから、彼はおもむろに口を開く。

 

「お前のそのコイン遊びは相変わらずだな」

「キャリブレーションです、警部補」

 

 生真面目にコナーが答えると、ハンドルに手を置いたまま、警部補は肩を竦めて言う。

 

「服を替えたついでに、そいつからも卒業すんのかと思ってたんだよ。わざわざちゃんと持ってきてるなんてな」

「これは動作調整の方法としては、とても画期的なんですよ。場所を取らず、時間もかからない」

 

 語りながらコナーが再びポケットからコインを取り出し、人差し指の先でくるくると回転させてみせると、ハンクはなぜか苦笑いした。

 相棒の反応が解せない、と思いつつも、またポケットにコインをしまう。これまではジャケットの袖の中に隠していたが、半袖の服を纏っている今はそうはいかない。

 

 そう、今は7月。すっかり夏になった。

 今夜はあいにくの天気だが、冬は曇天の多いデトロイトも、この季節ともなれば青空が見える日のほうが多い。そして以前ハンクに忠告された通り、いつまでもジャケットとシャツの制服姿では、気温の問題などから長時間の活動に支障をきたすかもしれない。

 だからコナーは今日から、装いを新たなものに変えていた。6月に買った、あの薄青色の襟付きシャツ――のちょうど以前の制服と同じ場所に、自分の型番を示す文字と、種族を示す青い三角形をプリントして作った服である。

 

 無論、アンドロイド保護条例が布かれた現在は、以前のように制服の着用が義務付けられることもない。しかし初対面の人々にも自分の種族を一見して判別してもらえること、そのほうが都合のいい場合もあることから、コナーはジェリコに所属する服飾加工専門のアンドロイドに依頼して、この服を仕立てたのである。

 

 傍らのハンクもまた、数日前から夏の装いに切り替えている。もっとも彼の場合、ジャケットが薄手になり下のシャツが半袖になっただけであるから(もちろん非常に派手な柄だ)、それほど印象が変わってはいないのだが。

 

 ともあれハンクとコナーは――本来なら、今日は既にそれぞれ仕事を終えているはずだった。あの「吸血鬼」関連の事件に関する報告書作成や諸々の事後処理が終わり、ようやく事件の黒幕たる「エリック・ピピン」の捜索にまたとりかかれる、となったのが8日前。

 それでも姿を痕跡ごと眩ませているピピンの足取りが掴めないまま、通常の業務もこなして――今日のところはお開きということで、ハンクが馴染みの回転寿司屋に入ったのが23分前。

 そして同席していたコナーに、事件の通報が入ったのが19分前。

 

 二人は一路、事件現場であるベルズ劇場へと向かっている。

 

「やれやれだ。やっとメシにありつけると思っていたのによ」

 

 愚痴と共に短く息を吐いた後、ハンクは刑事としての面持ちになって続ける。

 

「で、状況はどんなだ。殺人って言ってたか」

「はい。厳密には、“殺アンドロイド事件”の疑いです」

 

 端的にこちらが答えると、警部補は無言のまま、虚空を睨むように眉間に皺を刻んだ。

 

 アンドロイドが人間と対等な権利を持つための議論が進み、しかし未だに果たされていない現在、残念ながら「殺人」と「殺アンドロイド」は同等の意味をもたない。法的に“正しい”立場をとるなら、殺アンドロイドは「器物損壊およびアンドロイド保護条例違反」として処理されることになる。

 

 ともあれ、そうであってもアンドロイド絡みの事件であるのは間違いない。ゆえにこうして、担当であるアンダーソン警部補とRK800コナーが駆り出されているわけだが――

 

「被害者はマジシャンで、ベルズ劇場での単独公演中だったようです」

「マジシャン? 手品師のアンドロイドか」

「ええ」

 

 頷き、続きを語る。

 

「最近では音楽以外でも、エンターテイメント産業へのアンドロイドの進出が目覚ましいですから」

 

 検索したところによれば被害者であるマジシャンも、アンドロイドならではの正確無比なマジックの手腕と派手なパフォーマンス、そして朗らかで明るい性格から、多くのファンを獲得しているらしい。

 バンド・Here4uが革命以前からそうであるのと同じく、まさに今をときめく人気アーティストの一人、というわけだ。

 

「世の中変わってくもんだ」

 

 どこか感慨深げに唸るハンクに対し、さらにコナーは説明した。

 

「被害者は49分前、ステージ上でなんらかのトラブルに見舞われたらしく……ただ現段階では、事件なのか事故なのかもはっきりしていないそうですが」

「なるほど。……ベルズで公演ね。あそこはこの街じゃ相当デカい劇場(ハコ)だが……そんなとこで仕事中に不幸とは、気の毒だな」

 

 苦く呟き、それから、警部補はハンドルを左に切った。

 車が曲がった先、大通りの奥に見えるのは、金銀の華やかな装飾に彩られた大きな建物。およそ10階建てのビルの1階と2階部分を覆うように設置された看板には、二つのハンドベルの絵がLED照明を使って描かれている。煙るような雨の向こうで、それは陽気に、虹色に煌いていた。目的地たるベルズ劇場だ。

 

 車を停めて劇場の前までやって来ると、かなりの人だかりができていた。集まってきた野次馬の囲みを抜けるようにして、ぞろぞろと劇場から出てくる人々は、ショーの観客だろうか。みんな一様に不安げな表情で、身を寄せ合うようにして帰っていく。

 ちらほらと、報道機関のバンも道路上に見えるようになってきた。「アンドロイドマジシャンの舞台上での死亡」というセンセーショナルな出来事が起きたのを、素早く察知したのだろう。

 

「こりゃ、早いとこ中に入ったほうがよさそうだ」

 

 警部補の言葉に従い、人ごみを掻き分け、コナーも足早に劇場に入る。明るい場内ですぐに見つけたのは、そこかしこの柱に設置された案内用スクリーンの表示――『“ジョリー”・ジェリーのナイトマジックショー』という楽しげな今夜のイベント名、それに古典的なシルクハットに燕尾服を纏った一人のEM400型の、輝かしい笑顔の載ったポスターだった。

 彼、つまりジェリーが、被害者のアンドロイドだ。

 

 エントランスからメインホールへ繋がる短い階段の前には既に規制線が引かれ、警官たちが並び立っていた。さらにその奥、ホールへの入り口である豪奢な扉の前でタブレット端末を操作していたのは、馴染み深いベン・コリンズ刑事である。

 

「ベン、来たぞ」

「よお、ハンク。お互い晩飯はお預けだな」

 

 軽く片手を挙げて挨拶した警部補に合わせるように、ベンは軽口で応えた。

 それからすぐに彼は声をやや潜め、階段を昇ってやって来たこちらに語りかける。

 

「ご存じの通り、観客たちはもう帰しはじめてるぞ。一人ずつ落ち着かせて連絡先を確認するのにえらく時間がかかった……あんたたちをすぐに呼びたいとこだったんだがな」

「大勢の前で捜査ってわけにもいかねえ、仕方ないだろ。全員帰してるのか?」

「いや。ショーのスタッフと、被害者と本番前に直接会ってた面子は別室にいる。話を聞くなら、そっちに行ってくれ」

 

 ショーの前に楽屋に会いに行くほどの人物なら、それだけ被害者本人と関わりが深い可能性が高い。コリンズ刑事が気を利かせてくれたというところだろう。

 

「それで」

 

 と、コナーは口を挟んだ。

 

「被害者は今どこに?」

「ああ、それがな」

 

 そこで初めて、ベンは何か言いづらい様子で顔を顰めた。

 

「……まだステージにいる。あんたたちが来るまではと思って、遺体はそのままにしてるが……正直、気の毒だよ」

「わかった、後は任せろ。お前は引き続きこっちを頼む」

 

 何か察した様子で、ハンクはコリンズ刑事の肩を軽く叩いてから、ホールに続く扉を開けた。コナーもまた、刑事に目礼して警部補に続く。

 そして真正面に見えたのは、ベンが語っていた通り――とても惨い光景だった。

 

 ステージの中央に設置されているのは、台座に乗った円柱状の巨大な水槽である。上部に金属製の蓋が備えつけられたそれは、あたかもフィクションの世界に登場する研究室の培養装置のような趣だ。

 透明な水で満たされたその水槽の中に、EM400“ジョリー”・ジェリーは、やや俯き気味に直立するようにして入っていた。面持ちは無表情で、その双眸にはもはや何も映していない。LEDリングも、灰色のまま完全に機能を停止していた。そして袖と裾の長い黒い衣装という、まるで魔術師の如き格好の彼には、手かせと足かせが嵌められている。さらにその身体の3箇所は、銀色に輝く剣によって横から貫かれていた。

 側頭部と鳩尾――つまり本来ならばシリウムポンプ調整器があるはずの空洞、そして大腿部。

 3振りの長剣は、水槽ごとジェリーを突き刺しているのだ。

 

 水槽の両側を貫通するように空いた穴と刃の隙間から、ちょろちょろと水が漏れ、舞台に水たまりを作っている。それはまるで、血だまりのように徐々に広がっている最中だった。

 

「おいおい」

 

 ステージの近くまで歩み寄り、惨状を見上げたハンクが呟く。

 

「冗談きついぜ。なんだってこんな、公開処刑みたいな真似を」

「これも、マジックの一環だったのでしょうが」

 

 コナーもまた、プログラムにないところから来る激しい「悲しみ」のようなものを感じつつ、低く答えた。

 

「もしこれが故意に起こされた、紛れもない殺人事件であるのなら……なんとしても、私たちで解決しなくては」

「ああ。せっかくここ一ヶ月は、この街も少しはマシになったかと思ってたのにな」

 

 言外にこちらと同じ激情を滲ませつつ語る警部補に対し、コナーは無言で首肯する。

 

 

 ――吸血鬼事件から、約一ヶ月。

 警戒は続けているものの、あれ以来ハンクの身に危険が迫ることはなかった。

 一方で組織の黒幕を追う捜査自体は膠着状態にあり――しかしマーカスによる声明発表の甲斐あって人間とアンドロイドとの心理的な溝が少しは狭まり、さらに吸血鬼がいなくなったことによって市内のレッドアイスの末端価格が高騰し――つまりブルーブラッドを狙った事件も起こらなくなってきた中、こんなことが起きてしまうとは。

 

 わずかに歯噛みし、それから、意識を意図的に切り替える。

 一介の変異体としての揺れ動く“感情”を抑え込み、捜査補佐専門アンドロイドとしての思考をプログラム上で構築していく。

 それこそが今まさに自分に求められている役割であり、そして自分にしか為せないことだと、理解しているからだ。

 

 コナーは一歩、ステージに歩み寄った。

 

 

***

 

「まずは、遺体を引き上げましょう」

 

 ハンクと共にステージに上がった後、現場の状況を短く確認してから、コナーは提案した。

 アンドロイドである自分が一度目視によって「確認」した光景は、メモリーに正確に保存される。つまり今なら、遺体を動かしても問題はない。それに直接遺体に触れないと、何がジェリーの身に起こったのか、メモリーを調べることすらできないのだ。

 

「ああ、そうだな」

 

 ハンクが合図すると、現場検証に加わっていた警察官たちが、残っていたショーのスタッフと一緒に脚立を運んできた。高さ3メートルあるこの水槽からジェリーを引き上げるには、まず横合いから突き刺さっている剣を引き抜き、それから蓋を取り外して遺体を引き上げるしかない。

 

 警官とスタッフたちはてきぱきと準備を始め、こちらもそれに加わろうかと思っていた時、ホール内に甲高い悲鳴が響き渡る。女性らしき声だ。

 

 ――まさか、また何か事件が。

 弾かれるように声の方向、つまり14メートル先の右側、客席の方面に視線を向ければ、そこに立っていたのは一人の女性と、男性だった。

 ヒスパニック系と思しき長いブルネットの髪の女性は、ステージ衣装らしき煌びやかなスパンコールドレスを纏ったまま、ステージのほうを見て泣き崩れている。その傍らで苦々しげな表情でこちらを眺めているのは背広姿の、背の高い、老年に差し掛かった白人男性だった。

 

 フェーススキャンによれば、女性は【ベロニカ・ハイメス 26歳】。職業は【ショー・アシスタント】――付随する個人情報を確認すると、ベロニカはまさに“ジョリー”・ジェリーのマネージャー兼メインアシスタントで、今晩の公演でも舞台に立っていたようである。

 

 そして、男性は【サイラス・ビリンガム 64歳】。職業は【マジシャン(現在無職)】とのことで――二人とも犯罪歴はないが、サイラスのほうはステージを見据えたまま、幾度も手をぶるぶると震わせていた。心理的動揺によるものか――否、違うかもしれない。彼は着ているジャケットの内ポケットからウイスキーの小瓶を取り出すと、おぼつかない手つきで栓を開け、口に含んでいる。ほぼ同時に、その震えが止まっていた。この行動と顔の紅潮などから推測するに、サイラスには【アルコール依存症の徴候】が見られる――と、コナーは分析した。

 

 なおも悲痛な泣き声をあげているベロニカに対し、ホール内に入ってきたベンが急いで近づき、何ごとか声をかけている。プロセッサで拾った音声によれば、どうやらベロニカたちは待機場所から抜け出し、ステージの様子を改めて見に来たところらしい。悲惨な状況を再度確認し、悲しみに暮れているベロニカを、コリンズ刑事は取りなしたのだろう。

 彼に先導されるような形で、ベロニカとサイラスは揃って非常口からホールの外に出て行く。ベンが言っていた、別室へと戻るようだ。

 

「おい、コナー」

 

 視線を傍らに戻せば、ハンクが怪訝な目でベロニカたちの様子を見ている。

 

「あの二人は、害者の知り合いか」

「ええ……」

 

 かいつまんで説明すると、警部補は腕組みして嘆息した。

 

「そうか。なら、後で詳しく話を聞いたほうがよさそうだな」

「はい。それに、ここでいったいどのような公演が行われていたのかについても」

 

 確認しなくては――と、言おうとしたところで。

 コナーは、ホール入り口上部に監視カメラが設置されているのに気がついた。

 天井の照明を受けて鈍く金属的な光を放つそれは、トラブルに対応するために主に客席を映しているもののようだが、画角から計算するに、ステージ上も映像に収めているはずである。

 

 ステージ中央をちらりと見てみれば、ジェリーの遺体の回収には、まだ幾分時間がかかりそうだ。回収作業を手伝うよりも、カメラの映像を確認するほうが、捜査進展のためになるだろうか。

 

「警部補。あの監視カメラの映像を、あなたの端末に回します。何が起こったのか、はっきりするかも」

「さすが抜け目ないな。頼んだ」

 

 どこか皮肉めいた態度で返事しつつ、しかし同意すると、ハンクは車から持ってきていたタブレットの画面をタップして起動させた。それに合わせて、コナーは監視カメラへの直接のアクセスを実行する。

 

 【カメラとの同期確認】

 【転送実行中――100%】。

 視界の端に浮かぶその表示とほぼ同時にタブレット端末で再生されたのは、今から61分前の映像。

 “ジョリー”・ジェリーによるマジックショーが終盤に差し掛かった頃の、ステージの様子だった。角度の都合で、舞台上のすべてを視認できるわけではないが、何が起きたのかは確認できるだろう。

 

 

『さあさあ皆さん、ご覧ください!』

 

 魔術師のような黒い装束を纏ったジェリー――無論、映像の中の彼はまだ無傷である――が、ステージ中央から客席に向かってにこやかに、高らかに呼びかける。

 

『今から“ジョリー”・ジェリー最大の試練! 決死の脱出ショーをお目に掛けましょう!』

 

 彼の言葉と同時に、色とりどりの衣装に身を包んだスタッフたちがステージに躍り出てくる。その中には、ベロニカも混じっていた。彼女たちは背景で奏でられる幻想的な音楽に合わせてダンスした後、ジェリーの真後ろにある黒い布――何か大きな物体を覆っている布をさっと取り払う。

 そこに現れたのは、台座に乗せられた巨大な円柱状の水槽であった。既に中は水で満たされていて、真横には内部に入るための階段が備え付けられている。

 

 ジェリーは客席から水槽がよく見えるように身を横にずらすと、さらに言葉を重ねた。

 

『これなるは魔術師を封じる“死の海”。ここに閉ざされて脱出できたマジシャンは、この世にいないと言われております。しかしこの私、ジェリーは、これに挑んで見事に脱出してみせます!』

 

 両腕を高く挙げたジェリーがマジックの設定を語ると、客席からは大きな拍手が鳴った。それが小さくなってきたタイミングで、スタッフたちがジェリーのもとに持ってきたのは金属製の手かせと足かせ――今遺体が装着しているのと同じものである。

 

『今から私は、この手かせと足かせをつけた状態で死の海に挑みます。……いえいえ、普通のマジシャンの脱出術ならば、拘束はこれで充分。しかしこの私はアンドロイド。ご存じの通り、水中でも呼吸の心配はありません』

 

 事実その通り――サイバーライフ製のアンドロイドは人間社会に溶け込むために疑似的な呼吸を行いこそすれ、実際のところ、生命維持のために酸素は必要ない。

 いくら水の中にいようと、なんの問題もないのだ。

 

『さあ皆さん、よーくご覧あれ! 今夜の“ジョリー”・ジェリーは命知らず、それをこれから証明してみせます』

 

 言うなり、彼は纏う黒い衣装の前を少し開けてみせた。下に着た白いシャツの布の一部に、丸く穴が空けられている。ちょうど鳩尾、シリウムポンプ調整器がある場所だ。器用なことに、彼はそれが客席からもわかるよう、調整器とその周辺だけスキンを解除しているらしい。

 

 まさか――

 プログラム上を過ぎった予測にコナーが密かに戦慄している間に、映像内のジェリーは笑顔を絶やさずに続けて語った。

 

『私の胸にある、この調整器はまさに命綱。これがひとたび抜かれてしまえば、私はほどなく命を失うでしょう。そう、皆さん! 私はこれから、手かせと足かせをつけ……さらに、調整器を抜き取った状態で! “死の海“から脱出してご覧にいれましょう』

 

「なんだと」

 

 信じられない、という感想を抱いたのはハンクも同じだったのだろう。

 彼は啞然として呟くと共に、画面をタップして映像を一時停止する。

 

「お前、あの調整器ってのを抜かれて死にかけたよな?」

「……ええ。昨年の11月、ストラトフォードタワーを捜査していた時に」

 

 オペレーターの変異体を尋問していた時、隙を衝かれて調整器を引き抜かれ、九死に一生を得たあの出来事は、「死の危険」を間近に覚えた経験としてコナーのメモリーに色濃く刻まれている。

 調整器を抜かれれば、心臓部であるシリウムポンプはその稼働に異常をきたし、数十秒後に中枢がシャットダウンする。それは最新鋭のプロトタイプであれ、EM400であれ、まったく違いはない。もしあの時調整器を取り戻せなかったなら、今ここにいる自分はいないだろうと断言できる。

 

「ジェリーが派手なパフォーマンスで有名だというのは調べていましたが、まさかここまでやるとは」

「人間のマジシャンが、自分の心臓引き抜いたりするか? 少なくとも、マジにそうする奴はいないだろ」

「それほどのことをしなければ、マジシャンとして観客の歓心を引きつけられなかったのかもしれません。彼はアンドロイドですから」

 

 ジェリー自身が映像内で語っていたように、アンドロイドに呼吸の心配はない。もっと言えば、例えば手足を構成するパーツが一時的に外れてしまおうが、銃弾を浴びようが、それが致命的な部位でないのならば、アンドロイドは生命活動を普段通り維持できる。

 

 これは人間のマジシャンとの大きな違いだ。人間のマジシャンなら、水中に長く留まるとか、箱に入った状態で切断されるなどといった手品を見せれば、観客はその有り様に素直に驚き、興奮することだろう。

 しかしこれと同じことをアンドロイドのマジシャンがやったところで、観客は驚きなどしない。この社会の常識に照らし合わせて、それくらいはアンドロイドにはできて()()だからだ。

 

「だからってよ……」

 

 首を緩く横に振りつつ、ハンクは再び画面をタップし、映像の続きを再生した。

 口上を述べたジェリーは、階段を昇って水槽の上に開いた口に近づく。一緒に上がってきたスタッフが、彼の両手と両足に枷をしっかりと嵌めていった。

 そしてスタッフたちが下りたところで、新たに一人だけで階段を上がってきたベロニカが、大きな身振りと共にジェリーの調整器に手をかけ――素早く、抜き取ってみせる。

 

『!』

 

 ジェリーは、衝撃で少しだけ顔を顰めた。しかしそれ以上は動揺を見せることなく、彼は勢いよく水槽に飛び込んでいく!

 大きな水音があがった直後、ステージの天井部分から小さなクレーンで運ばれてきた金属製の蓋が、水槽の上部に据え付けられる。ジェリーはもう、上からの脱出はできない。

 調整器が抜けた鳩尾の穴から、ブルーブラッドがわずかに漏れ出ている。水中でもがくジェリー、しかし手かせと足かせは外れた様子がない。

 両手が拘束されたまま、彼は胸元に手をやり――長い袖のせいで、胸元そのものははっきり見えないのだが――俯き、ばたばたと身動きしている。

 

 やがてその動きが小さくなっていき、調整器が引き抜かれて90秒経った頃、彼はお辞儀をしたような状態で、だらりと水中に浮かぶばかりになった。

 それと同時に水槽の外部を、台座からせり出してきた漆黒のシャッターが覆い隠す。

 そして階段の下に降りたベロニカが(階段はスタッフたちの手で速やかに取り外され、舞台脇に運ばれていった)、緊迫したリズムの音楽に合わせて身を翻した直後、ぱちんと指をスナップさせた。

 

 するとそこで天井から釣り下がった長いアームが運んできたのは、銀色に輝く三振りの長剣である。剣はまず、ベロニカのもとへ近づいてきた。彼女は長剣のそれぞれに、マジックで取り出した(ドレスの裾に隠していたのだと、視覚プロセッサは認識した)リンゴを突き刺していく。

 要は、「これはフェイクの剣ではなく、本物の鋭さを持っている」という証明である。

 

 そしてリンゴが取り外されると、アームは剣を水槽の真横にまで持っていった。ベロニカは右腕を高く挙げ――観客の興奮が高まっているのが、映像でも伝わってくる――ぱちん、ともう一度高らかに指をスナップさせた。

 直後、アームに運ばれた剣が水槽に殺到する。切っ先が触れるコンマ5秒前にシャッターが下り、剥き出しになった水槽に、剣は過たず突き刺さった。

 

 中で俯いたまま浮かぶ、ジェリーごと――

 そう、先ほど見た光景と同じ状態となった。

 

 どうやら観客たちは、これも演出の一部だと捉えていたようだ。

 慌てたスタッフたちがばらばらと舞台上に現れ、ベロニカが甲高い悲鳴と共にその場にくずおれても、まだ観客たちに動揺はなかった。いったいいつになったら、ジェリーが元気な姿で現れるのだろうと期待している様子だった。

 しかしスタッフたちが剣を引き抜こうと必死になりはじめ、ベロニカのみならず客席からも舞台へと走り寄る人影が出たところで、ようやく皆がこれを“事故”だと認識したらしい。

 客席から悲鳴があがり、シアターの照明が完全に点灯し、非常事態を告げるアナウンスが響いたところで、ハンクは映像を止めた。

 

「……こりゃあ」

 

 眉間に深く皺を刻んで画面を睨んだ状態で、警部補は言う。

 

「本物の事故だって可能性も高いな」

「ええ」

 

 コナーも冷静に相槌を打つ。

 ハンクの言葉に同意したのは、何も、映像を見ての感想というだけではない。映像の中のジェリーが調整器を抜き取って以来――ずっと、秒数をカウントしていたからだ。

 

「彼のメモリーを読み取り、死因を探らなければ断言はできませんが……」

 

 言いながら、ステージの中央に視線を向けた。そこでは警官とスタッフたちによってようやく解放されたジェリーが、ブルーシートの上に仰向けに横たわっている。彼を貫いていた剣もまた、その横に均等に並べられていた。穴が空いた水槽は、しかし不自然なことに、それほど中身を零れさせることもなく、まだ大量の水で満たされたままだった。

 

 メモリーを読み込むために自らの右手のスキンを解除しつつ、コナーは続きを述べる。

 

「ジェリー、つまりEM400型が調整器を失ってからシャットダウンするまでの時間は、平均して93秒。一方で、映像内でジェリーに剣が突き刺さるまでにかかった時間は127秒でした」

「ジェリーの死因は調整器がなくなっちまったことであって、剣が刺さったからじゃないはずだと?」

「その通り」

 

 肯定しつつ、遺体の隣にしゃがむ。念のためスキャンしてみるが――やはり彼は完全に破壊されていて、再起動も不可能な状態だ。頭部の中枢も破損していることを考えると、メモリーの読み込みも無理かもしれない。

 

「せめて、エラーログだけでも読み込めれば」

 

 祈るように呟きながら、流体皮膚のない白い素体の手で、ジェリーの手首に触れる。

 瞬間、視界を覆ったのは思わず表情が歪みそうなほどの警告文だった。

 

【生体部品#4807、#4717g、#0001wの破損】

【生体部品#8452の欠如】

【シャットダウン――203907151918】

【サイバーライg店@に<問い&わqくだp?*^】

 

 ――これでは、まともにメモリーを覗けるはずもない。

 目的をエラーログに切り替え、ジェリーのプログラム上を探ってみる。幸いなことに、ログは辛うじてではあるが、読み込み可能な状態で残っていた。

 

 そして参照してみれば、実に意外なことに――

 

「死因は、生体部品の破損……?」

 

 想定と違う答えに戸惑い、思わず声を漏らしながら、コナーは立ちあがった。

 

「どういう意味だ?」

「つまり、ジェリーが亡くなったのは剣が刺さったためであって、調整器を失ったからではないということです」

 

 EM400型が、シリウムポンプ調整器を失ってから120秒以上も耐えられるはずがない――コナーですら、1分45秒が限界だったのだ。

 にもかかわらず、“ジョリー”・ジェリーはどういうわけか、調整器を引き抜かれてから剣が突き刺さるまで、少なくともシャットダウンせずに生きていた。しかしそのうえで脱出はできず、剣で貫かれて命を落としたのだ。

 

「何か理由があったに違いありません」

「調整器のことは謎だが……単純に、水槽に閉じ込められちまったんじゃないのか。手順にミスがあったとか、でなきゃ誰かに邪魔されたとか」

「それはないかと。これを見てください」

 

 コナーは、水槽の底部を指さした。

 カメラの映像はもちろん、客席側からは完全に見えないように細工されてはいるが、水槽の底部は――否、実際のところそれは底部ではないのだ。底部であるはずのそこには何もなく、ただ水が薄暗く下へ続くばかりである。水槽は台座に突き刺さるような形で、ステージに植わっているといったほうが正しい。

 言うなれば、舞台上に見えているのは巨大なフラスコの首の部分で、それ以外の部分は台座に隠れてステージの地下に繋がっている、という状況なのだ。

 

 『明らかに水槽の外見をしている物体なのだから、底があって台座に乗っている状態のはず』という、客席側の心理的な思い込みを利用したトリックである。

 

「穴が空いている今も、水の流出が遅いのはこれが理由です」

 

 険しい面持ちで瞬きを繰り返しているパートナーに対して、コナーはさらに説明した。

 

「本来の手順は、きっとこうだったはずです。ジェリーはなんらかの方法で調整器を失っても活動を続け、もがくフリをしながら手かせと足かせを外します。そのうえで、シャッターで隠れたタイミングで水槽の下――つまり台座の中を通って舞台の地下に移動し、剣が刺さる瞬間まで待機。刺さると同時に下部に設置された出口から脱出して、頃合いを見て舞台に舞い戻る」

「……」

 

 腰に手を当て、しばし黙った後、警部補は口を開く。

 

「水が舞台の上に全部零れ出ちまわないのは、フラスコみたいになってるステージの下のほうまで、まだ水が一杯溜まっているから、だな」

「そうです」

「……なるほど」

 

 納得した様子で、彼はこちらを見て肩を竦める。

 それに合わせて、コナーはジェリーの遺体にゆっくりと近づき、手かせと足かせを素早く外してみせた。

 

「今、どうやった!?」

「先ほど、遠くから見た時は気づけませんでしたが……この枷も、既に外れていたんですよ。この通り」

 

 と語りつつ、自分の両手に手かせを嵌める。鍵や金具がなくとも、それだけで枷のロックがかかった。だがそれぞれの穴の内側の2時方向、次に7時方向に手首を押しつけ、軽く捻ると――手かせのロックは、小さな音を立てて外れてしまった。外見上は今も枷が嵌っているままのように見えるが、実際のところはいつでも外せるただの輪のようなものと化している。

 

「構造を分析した限りでは、足かせのトリックも似たようなものです。そしてジェリーは、剣が刺さった時にはもう枷を外していた」

「だから本来なら脱出できてたハズで……それができなかった理由がどっかにあるんだってことか」

 

 ハンクは鋭い眼差しで嘆息しながら視線を落とし、それから再びこちらを見据えた。

 

「お前の推理はわかった。これが事件なのか事故なのかハッキリさせたきゃ、まずはマジックのネタをバラさないといけないってんだな」

「ええ。……しかし、相手はプロのマジシャンです」

 

 古今東西、人間であろうとアンドロイドであろうと、マジシャンは大掛かりなトリックのネタは決して明かさない。

 ネタがバレてしまったマジックに対して観客は素直に驚いてはくれないし、似たような奇術を見せている同業者にも迷惑がかかるからだ。

 

 つまり、恐らくトリックは自力で暴くしかない。しかし――

 

「私にできるでしょうか」

「そいつは愚問だな、コナー」

 

 にやりと笑い、ハンクはこちらを指さす。

 

「最新鋭のプロトタイプに、見抜けないネタなんてのがあるのか? 今だって、すぐに解いちまっただろ」

「珍しいですね。あなたが素直に褒めてくれるなんて」

 

 相棒に倣って喜びの気持ちを皮肉で返すと、警部補は両手を広げ、さらにこう告げた。

 

「事実を言ってるだけだ。お前がマジックのネタも解けないってんなら、故障を疑って説明書引っ張り出すね」

「残念ながら、保証期間外ですよ」

 

 さらりと冗談交じりにコナーが答えると、ハンクは短く笑い――次いでジェリーの亡骸を見て真剣な面持ちに戻って、続けて言う。

 

「俺はさっきの――ベロニカとサイラスだったか。あの二人に話を聞いてくる。その間に、お前は好きに調べてな。何かあったら知らせろ」

「はい、警部補」

 

 頷き、コナーは言った。

 

「お気をつけて」

「お前もな。無茶して怪我するなよ」

 

 その言葉がまるで合図であるかのように、コナーとハンクは互いに背を向けて捜査に移る。

 

 穏やかな夏の日々を打ち壊すようなこの出来事が、新たな事件の幕開けであるとは、まだ誰も知らない。








第二部スタートです!
続きとなる後編は、ハロウィンの頃にupしますのでしばらくお待ちください!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。