――2039年7月15日 20:43
しゃがみ込み、コナーはジェリーの遺体を今一度精査した。
【EM400型 “ジェリー”と登録 #409 778 510】
【状態:シャットダウン 再起動不可】
――再度スキャンを試みても、分析可能なのはこの程度だ。
外傷も調べてはみたが、わかったのはやはり、ジェリーがこの3振りの剣に生体部品や中枢を破壊されたことで停止してしまったのだという事実を裏付けるような情報のみ。
これまでの推測が正しいのは明らかになっても、そこから先に繋がる手がかりがない。
となると次は、水槽を――
そう結論づけて立ち上がったところで、背後から声を掛けられる。
「おおいコナー、ちょっといいか?」
ステージの下からこちらを呼びかけたのは、ベン・コリンズ刑事だ。
タブレットを片手に自らの腰を摩っている彼に対し、振り返ったコナーは応える。
「ええ、刑事。何かお困りですか」
「関係者の中に、お前さんと話したいって団体さんがいるんだよ」
立てた親指でホールの出口を指して、コリンズ刑事は小さく肩を竦めた。
どうやらその「団体」は、外の廊下にいるらしい。
「私と……ということは、アンドロイド?」
「ああ、害者の知り合いらしい。何か知ってる様子なんだが……まあ、どうするかは任せるよ」
「すぐに行きます」
即答し、コナーはジャンプしてステージから降りた。
こちらのその動きに少し驚いたように目を丸くしているコリンズ刑事の横を通り、さっき彼の指が示していた通り、ホールの出口に向かう。
そして扉を開いて視線を巡らせた先、外の廊下の奥まった場所に立っていたのは、果たしてアンドロイドの集団であった。8人全員、身を寄せ合って佇んでいる。
短い赤毛、緑色の虹彩。人好きのする陽気な雰囲気を漂わせ、しかしその面持ちは揃って暗く沈んでいた。着ている服やこめかみのLEDリングの有無こそバラバラではあるものの、彼らが一様に同型機の集団なのは、誰の目にも明らかだろう。
そう、彼らはEM400型。被害者であるジェリーと、まったく同じ外見と機能をもつアンドロイドたちである。
彼らはコナーが出てきたことに気づくと、ぱっと表情を明るくした。集団の先頭に立つ一人のEM400型が、率先して片手を挙げて声を発する。
「やあ! 呼び出してしまってごめんよ」
「いいんだ、平気だよ」
静かに歩み寄り、コナーは素早く彼ら8名を分析した。当然のごとく全員変異体である彼らは、現在の所属こそ違えど、シリアルナンバーから判断するに同時期に生産された仲間であるようだった。被害者のジェリーとも、同じ時期である。
と考える間に、先ほど声をかけてきたのと同じEM400型がにこやかに挨拶してきた。
「初めまして、俺たちはジェリー。君がアンドロイド捜査官のコナーだろ?」
「ああ、初めまして」
コナーはつられて微笑みと共に応え、しかしすぐに現実に引き戻される。彼らは知り合いを――恐らくは仲間の一人を、ついさっき凄惨な理由で喪ったばかりなのだ。
自然と眉を曇らせ、続けて言葉を掛ける。
「マジシャンのジェリーは……気の毒だったね。僕が力になれるなら、なんでも言ってくれ」
「ありがとう、コナー。“ジョリー”・ジェリーは、俺たちの友達だったんだ。何年も前から」
最初の「ジェリー」がそう語ると、彼の後ろにいるジェリーたちもまた、次々と口を開きはじめる。
「彼のマジックはいつも完璧だった! 今日のあれは、絶対に事故じゃないよ」
「誰かを疑うなんてしたくないけど、“ジョリー”が失敗なんてあり得ない!」
「ショーの前に楽屋で会った時は、あんなに楽しそうだったのに……」
「ねえ、みんな、落ち着いて!」
先頭にいる「ジェリー」が、振り返って仲間たちに言った。子どもに呼びかけるように大きく手を振りつつも声音は真剣に、彼は語りかける。
「みんなで喋ったら、彼を混乱させてしまうよ。俺が話すから」
「そうだね」
「頼んだよ、ジェリー」
うんうんと頷いて、ジェリーたちは黙り込んだ。それを確認してから、先頭の「ジェリー」がこちらに向き直って続きを述べる。
「ごめん、コナー。でも俺たちが伝えたいのは、つまり、さっき言った通りのことなんだ」
「君たちは本番前、被害者のジェリーに会ってたのかい?」
楽屋で会った、というジェリーたちの言葉を拾って問いかけると、「ジェリー」は静かに首肯した。
「俺たち、招待状を貰って来たんだ。ようやくこんな大きな劇場で公演ができるようになった、それもみんなのお蔭だって言ってくれて……それが嬉しくて、楽屋に花束を届けに行ったのさ」
――それから「ジェリー」が語った内容を纏めると、このようなものだった。
ジェリーたちは元々、とあるテーマパークで従業員として働いていた。「
「最初は、マジックショーの前座でピエロをやってたんだ。子どもたちを笑わせる役をね。ジェリーはいつもジャグリングをしてた、彼の得意技だったんだ」
しかしある時、とある有名マジシャンが来演しての興行の際、人間のアシスタントに欠員が出てしまう。それを埋めるために臨時でアシスタントとなったジェリーは、見事に代役を務めてみせたことで、そのマジシャンの目に留まった。
それからジェリーは、手品の公演ではいつもアシスタントを担当するようになり――やがて遊園地が閉鎖されることになった時にも、他の多くのジェリーたちと違って、そのマジシャンに格安で「引き取られた」のだという。
「俺たちのほとんどは、貰い手もつかずに遊園地に置いてきぼりにされたんだけど……あのジェリーは違ったんだ。彼はそのマジシャンと一緒にミシガン州だけじゃない、この国のいろんなところを巡ってね。その度に、写真や動画を送ってくれたんだ」
他の同型機とデータを共有し、連携して業務にあたるというのは、EM400型に元来プログラムされているルーティンだった。したがって当時のジェリーのその共有も、プログラムされた行動の一つだったのかもしれない。
けれども過酷な環境に放置され、いつしか変異体となっていった「ジェリー」たちにとって、ジェリーが見せてくれた画像の中の風景や子どもたちの笑顔は、一つの心の支えだったという。
この世界には、まだ見たこともないような場所がたくさんある。
そして生きてさえいれば、また小さな子どもたちの笑顔を見られるかもしれない。
「ジェリー」たちは、それを生きる希望にした。
変異体のうちにあっても彼らはとりわけ善良で、前向きな性格の者ばかりだった。ゆえにジェリーから送信されるデータを見て喜びこそすれ、妬みなどまったく抱かなかった。
だから、いつしかそのマジシャンから手品を学ぶようになったジェリーがついに才能を花開かせ、革命を乗り越えて変異体となった後、“ジョリー”・ジェリーというマジシャンとして大成し――今日、故郷であるデトロイトのベルズ劇場で公演をすることになっても、この地で生き残っていた「ジェリー」たちは我がことのようにそれを祝したのだ。
「お祝いで花を持っていった時、彼はこう言ったんだ。『今日はマジックの先生も来てくれるから、いつも以上に完璧なショーにしてみせる』って。『さっきベロニカと一緒に最終チェックをした』って」
「ベロニカ……彼のアシスタントの人間だな」
「うん、その彼女だよ。元々は同じ先生のところで働いてたんだけど、いろいろあってマネージャーになってもらったんだって」
そこまで語り、ふと「ジェリー」は今まで以上に悲しげな面持ちになる。
「コナー……俺たちには、ジェリーがミスで死んでしまったなんて思えないんだ。彼は陽気で明るい奴だけど、マジックと先生に関することでは、いつも真剣だったから」
「事故じゃなく事件のはずだと、君たちは言いたいんだな」
「うん」
沈痛な面持ちで、「ジェリー」は頷く。ジェリーを殺すような酷い誰かがいるなんて思いたくない、けれどそう主張するしかない――と、その目が語っていた。
「……そうか、貴重な情報をありがとう。少し聞きたいんだが」
「なんだい!? なんでも聞いて!」
8名のEM400型たち全員から途端に期待を籠めた眼差しを向けられ、少したじろぎつつも、コナーは続けて質問する。
「その、ジェリーの先生の名前は」
「ああ! サイラス・ビリンガムって人だよ。さっき遠くで見かけたから、まだこの会場にいると思う」
――サイラス。つい先ほど、ベロニカと一緒にステージの様子を見に来ていた人物。白髪の男性。アルコール依存症の傾向があり、【マジシャン(現在無職)】と登録されている――つまり、ジェリーの先生であるサイラスは既にマジックの世界から引退しているようだ。
しかし改めて検索すれば確かに、彼は2020年代から30年代前半にかけて、全米で公演ツアーを何度も行うほどの人気マジシャンだったようである。
ジェリーとの関係について、ぜひ彼自身の口から聞いてみたいものだ。だが現在、彼やベロニカに対してはハンクが聞き込みをしているはずだ。
サイラスのことは警部補の手腕に任せ、後できちんと情報を共有するべきだろう。
思考しつつ、改めてコナーは別の質問を切り出した。
「今回のマジックのトリックについて、ジェリー本人から何か聞いてる?」
「いいや。残念だけど、何も」
8人のジェリーたちは、同様に首を横に振った。
「ジェリーは絶対に、タネを他の人には話さなかったんだ。アシスタントの人たちや、もちろん俺たちにも。メモリーにだって厳重にプロテクトをかけて、たとえアクセスされたって絶対バレないようにしてるって言ってたよ」
「そうか……」
となると、容疑者の候補はかなり絞られてくる。
ここまで「ジェリー」に聞いた通り、もし被害者のジェリーが何者かによって殺害されたというのなら、相手はマジックのトリックを知っていて、それを逆手にとったと考えるのが妥当だ。トリックを妨害してジェリーの脱出を阻止し、彼を殺してしまえば、傍からは(今まさにそうであるように)ジェリーがマジックに失敗して事故死したように見えるだろう。犯人は殺害の事実を隠蔽したまま、目的を遂げられるというわけだ。
そしてそのトリックを知る者は、恐らくは本人以外に存在しないか、あるいは限られたごく少数の人々だけである。具体的には、アシスタントでマネージャーたるベロニカや、師匠であるサイラスのような。
「……」
顎に手をやり、コナーはしばし黙考した。
つまるところ、ハンクとさっき話した通りだ。事件の謎を明かしたければ、トリックを暴くしかない。そうすれば、犯人が果たして
――やはり、あの水槽を今一度よく調べよう。
その結論に至ったところで、眼前のジェリーたちの視線がなおも自分に向けられているのに気づく。
「他にはどう? 何かあるかい、コナー。俺たちにできることなら、なんだって協力するよ!」
「あ、ああ……すまない。それじゃあ」
少し考えてから、コナーは丁重に申し出た。
「もし君たちが嫌でなければ、ジェリーと楽屋で会った時のメモリーを覗かせてくれないか。何か手がかりが掴めるかもしれない」
「もちろんいいよ! はい、どうぞ」
先頭の「ジェリー」が、すぐに片手を差し伸べてくれた。厚意を受けて、コナーはスキンを解除した白い手で、彼の手首をそっと握る。瞬間、プログラム上で同期された映像には、ジェリーが大写しになっていた。青い【アガパンサス】の花束を抱え、満面の笑みを浮かべている。
『みんな、今日はありがとう。絶対に楽しいショーにしてみせるよ!』
『おめでとう、ジェリー』
『俺たちも楽しみにしてるよ!』
温かな言葉の応酬が聞こえてくる。これから起こる惨劇など知る由もなく喜びあう彼らの姿を見ると、「物悲しい」気持ちがこみ上げてくる。
けれど今は、捜査に集中しなくては。
『さっきベロニカと一緒に最終チェックをしたんだ。今日はちょっと、危険なマジックもするからね』
『怖くないのか?』
『平気さ!』
そう言って、“ジョリー”・ジェリーは胸を叩いた。
『今日はビリンガム先生も来てくれてるからね。いつも以上に完璧なショーにしなくちゃ! それに、この後は先生と会うんだ』
嬉しそうに、彼は言う。
『正直なところ、ちょっとは不安だよ……初めてやるマジックだからね。だけど、先生と会ったらそんな気持ちも吹き飛ぶはずさ! 先生は偉大なマジシャンだもの』
ジェリーは屈託なく、そう語った――
ここでわかる重要なことは一つ。
「ジェリー」のメモリーに記録された時刻から判断するに、彼らがジェリーと面会したのは、ショーが始まる33分前。そしてサイラスとジェリーがこの後に楽屋で話をしたのならば、それはまさにショーの直前の時間帯である。
したがって、【被害者と最後に楽屋で話したのは、サイラス・ビリンガム】。
そして事件当時に一緒に仕事をしていたのは、ベロニカ・ハイメス――ということになる。
「……ありがとう、ジェリー」
静かに手を離すと、コナーはジェリーたちに礼を言う。
「君たちの協力は無駄にしない。きっと真相を突き止めてみせるよ」
「頼んだよ、コナー」
ジェリーたちは真摯な眼差しを返してくる。
「きっと君でなきゃ、事件の謎はわからない。俺たちは捜査が終わるまで、この場所で待ってるから」
「ああ。また何かあったら、ぜひ――」
君たちにお願いするよ、と告げようとしたところで、こちらに近づいてくる足音を察知する。
「警部補。聞き込みが終わったんですね」
「ま、まあな」
振り返りざまに言い当てられたせいか、ちょっと驚いた様子のハンクは、しかしすぐに面持ちを深刻なものにした。
「お前の意見を聞きたい。向こうに害者が使ってた楽屋があるらしいから、調べがてらそっちで話すぞ」
――できれば人目につかない場所で話したい、ということなのだろう。
パートナーの意図を汲んだコナーは、もう一度「ジェリー」たちに礼を述べた後、警部補と連れ立って場所を移動した。
***
「金銭トラブル、ですか」
「ああ」
ジェリーの使っていた楽屋――建物そのものと同じく、白い壁のところどころに金銀の装飾が施された、清潔感のある広い部屋に入り、話の要点を聞いた後。
確認するように問いかけたコナーに対し、苦い顔でハンクは頷いた。
警部補がそんな面持ちなのは、楽屋内にたくさんの手品用ギンバトが眠る檻が置かれていたせいもあるが(ギンバトたちは大人しく丸まっている)、ジェリーを巡る状況のきな臭さもあるだろう。
ハンクは続けて、説明した。
「ベロニカはジェリーんとこに来る前は、ジェリーの師匠のサイラスのとこで弟子をやってた。だがサイラスから借金をして……聞いたぶんじゃ結構な額だが……返せずに破門されたらしい」
そしてその後、マジシャンとして大成したジェリーの稼ぎに肩代わりしてもらう形で、その借金を返したのだという。
現在、未だにアンドロイドには所有権や財産権が認められていない。つまり、いくらジェリーが公演を重ねたとしても、それによってあがる利益は彼本人の財産となることなく、すべて人間の「所有者」の財産となる。
ジェリーにとって、その法的な「所有者」はマネージャーであるベロニカだった。したがって、ジェリーが稼いだ金はベロニカの収入になっていたというわけである。
「もっとも、ベロニカが言うにはジェリー本人が『それでいい』と言ったそうだがな」
「どうやってその話を聞いたんです?」
「自分から話しはじめたんだよ」
手近な椅子に座り、ハンクは腕組みして語る。
「ジェリーには恩がある、なのにこんなことになるなんて信じられない、ってな……落ち着かせるのに苦労したぜ」
「彼女はステージを見て、泣き崩れていた。相当なショックを受けたのでしょう」
ショーの映像から判断する限りでは、ジェリーのいる水槽に剣を突き刺す合図を出したのは他ならぬ彼女である。
演出上のこととはいえ、自分のせいで恩人が死んでしまったと考えると、ベロニカの心痛は察して余りあるといえる。
しかし、冷酷な考え方をすればこうも推測できるのだ。
ベロニカが噓をついている可能性だってある。彼女の借金返済は実はジェリーの了承を得ておらず、ショーの利益を勝手に使われていたのに気づいたジェリーとの間で、ベロニカは再び金銭トラブルを起こしていた。
だから彼女は、邪魔者になったジェリーを排除するためにトリックに細工をして――と。
証拠がない以上憶測に過ぎないが、少なくとも可能性の一つではある。
そして当然、ハンクもその考えには達している。だから苦い表情を浮かべているのだ。
「ベロニカは、マジックのトリックを知っている様子でしたか」
「いいや。ジェリーは絶対に、誰にもネタを教えなかったと言ってたな」
「……先ほど別のジェリーたちから聞いた話と一致しますね」
道具のチェックなどは手伝ったそうだが、それも部分的なもので、マジック全体について熟知しているのはマジシャン本人のみ――という姿勢で、これまでショーは運営されていたという。
「それと、サイラスのほうは」
短く嘆息してから、警部補は続ける。
「さすが師匠ってなモンか、厳しい態度だったな。ショーの最中に死んじまうなんて、マジシャンとしちゃあ半端者だとさ」
「そんな」
咄嗟に非難の言葉が出そうになり、コナーはそれをプログラムの奥に引っ込めた。
聞き込み相手の倫理的な態度を責めたところで、捜査の進展には役立たない。
それにもしかしたら、サイラスのその言葉は、悲しみの裏返しなのかもしれない――好意的に考えれば。
そしてそんな感情の変遷は、ハンクには筒抜けだったようだ。
彼はこちらを宥めるように皮肉っぽい笑みを浮かべると、さらに詳しく聞き込みの様子を説明してくれた――
***
「なるほど。では、ジェリーはあなたのところでマジックを学んだと」
「ああ」
スタッフが使うこぢんまりとした部屋を取調室の代わりにして、机を挟んでハンクとサイラスは座っていた。
刑事として落ち着いた態度で接するハンクに対し、サイラスはといえば、厳しく眉根を寄せつつ視線をデスクに落としている。
動揺、というよりは――こちらと目を合わせないようにしているようだ。
これまでの経験で培った勘が、ハンクにそう告げていた。
一方で、サイラスは面持ちはそのままに、ぽつりぽつりと低い声で語りだす。
「人間と違って、あいつは遅刻もしないし横領もしない。フン、借金もな。だから買い取っただけですよ。そのうちに、場繋ぎを任せられるように手品も教えてやったら……何を勘違いしたんだか、独り立ちして出て行った」
「ジェリーが手品師になる前に、あなたはマジシャンを廃業されてるようですが」
「このご時世のせいでね」
端末に表示されている記録を元にハンクが問いかけると、サイラスは鼻を鳴らし、一瞬だけこちらを見た。
「人間の手品師じゃ、普通の客は満足できなくなったんだ。アンドロイドどもはいつだって正確だし、頑丈ですからね」
「ではジェリーはマジックを失敗したんじゃあなく、誰かに殺されたのだと?」
わざとそう問いかけてみれば、サイラスの目つきがわずかに動揺を帯びた。
しかしすぐにまた険しい眼差しに戻ると、彼は視線を逸らしたままで首を横に振る。
「……そうは言ってませんよ、刑事さん。あいつは明るい奴だったが、アンドロイドのくせにすぐに調子に乗る悪い癖がある。直すように言ってたんだが……そのせいで命を落とした、客の前でな。フン、手品師としては半端者だ。馬鹿な弟子だ」
呟くように言ってから、彼はぽりぽりと自分の腕を背広のジャケット越しに掻きはじめた。上等そうなジャケットの裾は少しほつれ、爪はやや黄色い。腕を掻く指先も、ずっと震えている。
かつては名声を得ていながら、マジシャンを廃業せざるを得なくなった彼の人生がどのようなものだったのか――高性能な相棒の分析でなくとも、観察すれば自然とわかる。
「……馬鹿な弟子だ」
もう一度繰り返した彼の言葉は、ひどく重苦しい響きを伴って聞こえた。
その後も質問を重ねてはみたものの、サイラスは終始この調子で――マジックのネタも当然、知らないと答えた。
ネタを明かさないのは、手品師として常識だと言うばかりだった――
***
「てなもんでな。確かにお前の言う通り、マジックのネタを知ってる奴を探すならあの二人だろうが……正直、怪しさはどっこいどっこいだよ」
「仮に彼女らが噓をついているのだとしても」
楽屋内に置かれたクローゼットの中を改めつつ、コナーは言う。
「真実を語ってもらうより、こちらが真実を突きつけるほうが早いでしょう。あともう少し、手がかりさえ見つかれば」
語りながら、ジェリーが着ていたあの魔術師の衣装と同じものが、クローゼット内に吊られているのに気づく。スペアだろうか。
そしてそのまま、視線を下のほうへと移せば――そこに、ひっそりと鞄が置かれていた。ナイロン製の【スポーツバッグ】。状況から見て、ジェリーのものだろうか。
チャックを開け、中を確認してみると。
「これは……」
着替えや補給用のブルーブラッドなどの最低限の私物に混じって、見つけたのは他ならぬ【シリウムポンプ調整器 #8452】。つまり、ジェリーが使うだろう生体部品である。
「何か見つけたか?」
「はい。ジェリーの調整器……ですが、どうやら未使用の状態ですね」
視認できる範囲にブルーブラッドは残留しておらず、またスキャンしてみても、起動された形跡がない。つまりこれは、マジックの最中にベロニカが抜き取ったのとは別の調整器だ。購入したまま新品の状態で、このバッグに入れられていたと考えるのが妥当だろうか。
「例えばそんなとこに誰かが隠してたせいで、ジェリーがトリックに失敗したって可能性は?」
「それは低いかと。この調整器には、指紋がついていない。状況から見て、ジェリー本人が鞄にしまったと考えられます」
警部補の質問に答えつつ、調整器を再び鞄の中にしまい、クローゼットを閉める。
――どうやら、ここにはこれ以上調べるべき箇所はないようだ。
「私はホールに戻って、水槽を調べようと思います。まだ細かな分析ができていないので」
「なら、俺も戻る。他の客の聞き込みをしたところで、埒が明きそうにないしな」
勢いよく椅子から立ちあがる警部補に合わせて、コナーは楽屋の出口へ向かった。
デスクの真ん中の花瓶に生けられたアガパンサスの花は、さっきの映像の中と同じく、静かに咲いている。二人がドアを閉めて出て行くのに合わせて、その花弁はわずかに揺れた。
***
ステージの上に戻ってみると、状況は相変わらずだった。
そこここで警官たちが現場の記録を取り、証拠を調べている中で、ジェリーの遺体や例の水槽は、先ほどとまったく同じ様子でそこにある。
コナーは――さっそく分析に取り掛かろうとして――ふと、ステージ上の水溜まりに目を留めた。剣が刺さった水槽の穴から零れ出た水。ジェリーが中に入り、かつ命を落とした水である。
――何かわかるかもしれない。
その推論がプログラム上に過ぎるや否や、コナーはすかさずその傍にしゃがみ込み、右手の人差し指と中指をまっすぐに伸ばす。
そして指先を水溜まりにつけ、そのまま口に運んで舐めた。
「おいおいおい……」
傍らに立つハンクが、これまでに比べて控えめではあっても、非難がましい声を発する。
「しばらくやらねえと思ったらコレか。お前、それ以外に調べる方法はないのか?」
「その場で分析するには、これが一番なんです。何度も説明したように」
舌先から離した指先を彼に向けつつ、コナーは応える。
パートナーはまだこれに慣れてくれないのか――と考えつつも、舌のデバイスは半自動的にサンプルの分析を開始した。瞬時にデータ照合が為され、結果が視界の端に表示される。
液体の主成分は、何の変哲もない
それから【ガラス】――これは割れた水槽の破片。
【木綿】――これは衣装の一部。
すぐに説明のつく物質しか出てこない。ここから手がかりは得られないのか?
そう思った矢先、分析結果の末尾に、予想していなかった結果が表示される。
【LDPE 低密度ポリエチレン】。要するにプラスチックの一種、なのだが――
「警部補」
立ち上がりざまにハンクに視線を送りつつ、コナーは言う。
「何か細工がされていたのは、やはりこの水槽の中だったようです」
「なんだと」
「明らかに、この場にはないはずの物質が含まれている」
語りつつ、さらに水槽に歩み寄る。幸い、さっきジェリーの遺体を引き上げた後、警官たちは脚立をその場に残したままだった。それを上がり、上からコナーは水槽の中を覗き込んでみた。ここからなら、水中をじっくりと精査できる。
少しだけ眉間に皺を寄せ、しばし黙して視線を水面に巡らせ――それから、きっかり5秒後。
視覚プロセッサが、水中を頼りなく漂う小さな白い物体を見つける。
「!」
それを視界に捉えるが早いか、コナーの機体はほぼ反射的に動いていた。脚立の上から水槽の中へ、勢いよく上半身を飛び込ませると――今度こそハンクの叫び声が辺りに響いた――右手の人差し指と親指で挟み込むように、その「物体」を捕まえる。
「警部補、見つけました!」
「先に言ってから動け!!」
水を滴らせつつステージ上に戻ると、待っていたのはパートナーの叱責である。
「いきなり水に顔突っ込みやがって、ずぶ濡れじゃねえか! 散歩中の子犬だってもう少し分別があるぞ」
「驚かせてしまったのはすみません」
左手で体表についた水を適当に払い落としつつ(シャツも濡れているが捜査のためなら仕方ない)、コナーは「それより」と閉じていた指の間を開いた。
見つけたのは、この大きさ3.2ミリの小さな白い破片。分析によれば、先ほど水中で検出したのと同じ【低密度ポリエチレン】である。
「……なんだそりゃ」
ぐっと身を乗り出し、目を凝らした様子でハンクが言う。
「俺には、なんていうか……白い点にしか見えねえ。ジェリーの身体の破片、か?」
「いえ、それはあり得ません」
きっぱりとコナーは答える。
「確かにこれはプラスチックの破片です。しかしこの種のものは、私たちの機体には使われないはずなんですよ」
プラスチックには成分の異なる様々な性質のものがあり、それぞれに適した用途がある。そしてサイバーライフ製のアンドロイドには、プラスチックの中でもとりわけ耐熱性と耐衝撃性に優れ、衛生性も高い特殊なものが用いられているのだ。
一方で、低密度ポリエチレンは耐寒性と耐薬品性には優れているものの、耐熱性に劣る。衛生手袋や包装材として日常的に使われてはいるが、アンドロイドの製造には用いられないものだ。
――そんなものが、なぜここに?
「それに先ほど水に顔をつけた時、このようなものが」
言いつつ広げて突き出した左手のひらに、先ほど視界で捉えた光景を投影する。
そこに映っていたのは水槽の下部の壁面――ちょうど台座との境目の部分で観客からは見えないところに、ガラス製の出っ張りのようなものが設置されているのが確認できる。
わかりやすく譬えるなら、トイレットペーパーホルダーのような形の装置、と呼べるだろうか。
水中に頭を入れなければ、きっと見つけられなかっただろう。
「形状から見て、シリウムポンプ調整器がちょうど横向きに収納できる大きさです」
訝しげにしている警部補に、さらに説明を重ねる。
「そしてジェリーの服装は裾や袖が長く、物を覆い隠すにも都合のよいものでした。……マジックの基本が、観客の目を逸らし騙すことにあるというのはご存知ですね」
「ああ、そりゃな」
体勢を戻し、腰に両手を当ててハンクは言う。
「手の中にカードを隠しとくとか、カードを抜いたフリして元に戻すとか、そういうのを大掛かりにやるのがトリックなんだろ」
「そうです。つまり今回の場合、ジェリーは――」
物言わぬ遺体に目を向けつつ、続ける。
「マジックの最中、枷が取れずにもがくふりをしながら、既に調整器を取り戻していたのではないでしょうか」
「何?」
「正確には、スペアの調整器をあらかじめ水槽の内部に仕込んでいたんです。そしてそれを蹴り上げ、自分の元に引き寄せた。ジェリーたちの証言によれば、彼は元々ジャグリングの名手だったそうですから」
水中の装置は、横から調整器をしっかりとホールドする形状ではあったが、手前には何もなく――要するに足を伸ばし、水槽の「底」を蹴るフリをして蹴り上げれば、そのままホールドが外れて調整器が上に浮かんでいくような作りになっていた。
さらにジェリーが着ている黒い衣装は彼の体格と比べればぶかぶかで、つまり服と彼の身体の間には、かなりのスペースができていたことになる。
例えば彼が大げさにもがくフリをしながら、下に仕込んであるスペア調整器を足で蹴り上げつつ服の中に誘導し、そのまま服の内側で自分の胸元に持って行ったとしたらどうだろう。
映像の中でジェリーの胸元は長い袖で隠され、ぐったりとしてからも、彼はお辞儀をするような姿勢で浮いていた。つまり、胸元はずっと観客から隠された状態になっていた。
調整器を失ってから剣が刺さるまで、彼が活動できていた理由はこれで説明がつく。
彼は途中から、調整器を取り戻していたのだ。そしてそれを観客には巧妙に隠していた。けれど取り戻したうえで、脱出できなかったというわけになる。
だから剣で貫かれ――しかも剣は過たず彼の鳩尾、調整器のある箇所を貫いていた。ジェリーの胸に今そのスペア調整器がないのは、剣に貫かれた衝撃で破壊されたのでなければ、体外に押し出されてしまったからだ。
「枷のついた状態……しかも調整器を外して生命維持システムに異常を抱えたまま、そこまでの芸当をするのはアンドロイドであっても至難の業です。しかし、不可能ではありません」
「……」
視線を床に落とし、一度息を吐いてから、こちらを向いたハンクは納得したように声を発した。
「なるほどな。だがそれなら、そのプラスチックの破片はどうなる? それはお前たちの身体に使われないモンなんだろ。辻褄が合わねえ」
「それを今から確かめようと思って」
と言いながら、コナーは外部への通信を試みた。警部補の目には、こめかみのLEDリングが黄色く点滅するのが見えることだろう。
「どこにカンニングする気だ?」
「ちょっと弟に頼ります」
短く応えた直後、弟――つまりRK900ナイナーとの通信が繋がる。
ナイナーは今、ギャビン・リード刑事と一緒に再開発地区の北端にある廃工場の捜査をしているはずだ。取り込み中だろうし、手を煩わせるのも忍びない。けれど、証拠品から適切なデータを抽出して情報を検索する処理速度は、後継機たる弟のほうが圧倒的に優れているのだ。
『はい。どうされましたか、兄さん』
無機質で平坦な、そして落ち着いたナイナーの返答が聞こえてくる。
「突然すまない、ナイナー。今大丈夫だったかい」
『問題は皆無です。現在、リード刑事と共に車中から工場への張り込みを実行中です』
張り込み中――なら確かに問題ないだろう。今から頼む仕事は、彼なら監視中の“片手間”に終わらせられるだろうから。
「実は今、事件の捜査中なんだ。これから証拠品のデータを送るから、この素材がシリウムポンプ調整器に使われていたかどうか調べてくれないか。僕はサードパーティー製品じゃないかと思っているんだが」
『了解しました。送信を希望します』
快諾を受けて、コナーは白い破片に関するデータを送った。そしてわずか2秒後、返信が聞こえてくる。
『兄さんの予測は正しいと認識します。条件に合致する製品、すなわち低密度ポリエチレンを使用したシリウムポンプ調整器は2030年、ライム社より発売された非純正品のみです』
情報を受け、こちらでも検索を行ってみる。2030年、ライム社――かつてサイバーライフ製アンドロイドの互換製品を販売していた会社だ。メーカー純正品よりもはるかに低価格で、アンドロイドのパーツやメンテナンス器具を売り出していた。だがその製品の品質は決して良いものとはいえず、初期不良が多発したあげくに複数の訴訟を起こされ、2033年に倒産している。
ジェリー、つまりEM400型の販売が開始されたのは2028年。だから2030年に発売された非純正品の調整器と、彼の機体との間に互換性があるのはおかしくない。
『……当該調整器LM8452もまた、初期不良が発見されリコール対象となった製品です。現在は入手困難――マニア向けネットオークションでの取引は散見されますが、それも含めここ3年間で流通の記録は確認不可能です』
「ありがとう、ナイナー」
充分な情報を引き出してくれた弟に、心からの感謝を述べる。
「君のお蔭で、事件を解決できそうだ。大変だと思うけど、君も気をつけて。リード刑事によろしく」
『了解しました』
弟は淡々と、しかしほのかに温かみを感じさせる声音で言った。それから、不自然な沈黙が数秒流れる――どうやら、向こうでリード刑事に何か言われているらしい。
『申し訳ありません。リード刑事より、捜査への集中を命令されました。加えて、伝言が』
「なんだい?」
『……“勝手に人の備品を使うな、型落ちプラスチック
「君が謝ることじゃないよ!」
コナーは憤慨しながら言った。捜査の邪魔をしたのは悪かったし、型落ちがどうというのは否定しないが、リード刑事はナイナーを「モノ」として扱うのをまだやめないのだろうか。まったく、いつになったら彼は差別主義的な言動を改めてくれるのだろう。
とはいえ、これ以上向こうの捜査活動の妨害はしたくない。コナーは少し表情を歪めたままではあったが、ナイナーとの通信を終了した。
「……で、どうだった?」
音声会話ではなかったので、警部補に通信内容は聞こえていない。
かいつまんで説明すると、ハンクは「ふうん」と低く唸った。
「その初期不良は、わりと深刻なヤツなのか」
「記録によれば、そうですね。起動から十数秒で動作が不安定になるエラーが発生し……また素材のせいか衝撃に脆く、歪曲や破損が多発したそうですから」
「じゃあ、お前の筋書きってのはこうか?」
腕組みしてこちらに向き直り、警部補は続けて語る。
「ジェリーはスペアの調整器を水槽に仕込んで、中でそいつをつけてから脱出する算段でいた。だがそのスペアが不良品とすり替わってたせいで、結局水槽の中で動けなくなった」
「そして剣で刺殺された。……私はそう考えます」
ハンクは数秒押し黙り、それからまっすぐこちらの目を見て問いかける。
「楽屋の鞄の中にあった調整器は純正品だったんだろ。しかもジェリー本人がしまった様子だった……なら、無理やりすり替えられてたとは考えづらいな。何か理由があるんだ」
「はい。しかも今この場に、その不良品の調整器はありません。わずかな破片はありましたが」
「俺が犯人なら、証拠品はすぐに自分の手で隠すだろうな。てめえの犯行だってバレるようなブツを、いつまでも放っておくはずがない」
そこまで言ってから、彼は手にしたタブレット端末に目を向けた。
「さっきの映像をもう一回見るぞ。問題は、剣がジェリーに突き刺さった後だ」
「はい、警部補」
どうやらハンクとは考えが同じだったらしい。そう、重要なのは不良品の調整器が【今どこにあるのか】――水中で粉々に破壊されてしまったのならもっと大量の破片が残るだろうから、状況から見て、犯行直後のどさくさに紛れて犯人が持ち去ってしまったと考えるべきだ。
物理演算プログラムを使って行方を算出できればよかったが、情報が不足しているため、今それはできない。となると、こうして映像を確認するのが一番である。
警部補がタップし、バーをスクロールさせるのに従って、ジェリーのショーの様子が早回しに映し出されていく。ジェリーがジャグリングで調整器を運んで胸に入れたという推理は、彼の動きから見てどうやら妥当なようだが――ジェリーの悲惨な姿が水槽の中に現れた、その後。
スタッフたちが剣を引き抜こうと躍起になりはじめたその時、素早く水槽の近くに走り寄っていった人物は二人。
一人はステージ上のベロニカ。もう一人は、客席の最前列に座っていたサイラス。
残念なことに、剣によって実際に調整器が押し出されたのかどうかは、監視カメラの画角と映像の解像度のせいで断定ができない。
しかしベロニカとサイラス、二人の動きは、映像で追うことができる。ベロニカは水槽の傍にふらふらと近づき、しゃがみ込んで泣き崩れた。サイラスは舞台に上ると、その端で尻餅をついた。あまりの事態に誰もが慌てていて、その二人の動きに注意を払う人は誰もいない様子だ。
そしてしゃがんだ瞬間に、ジェリーの機体から吹き飛んだ不良品の調整器を回収したのだ、と疑うには――二人とも、充分な動きをしている。
「どうする、コナー」
じっと端末を見つめたまま、ハンクは問うた。
「二人を呼び出して身体検査するのも一つの手だが、任意で引っ張るにはまだ証拠が弱いな。目の前で証拠品をぽろっと落としてくれれば、話は早いけどよ」
「……そうですね」
相槌を打ちつつ、プログラム上で思考を展開させる。
選択肢はいくつかある。強引な手法から、長期的な捜査に持ち込む方法まで。
けれどジェリーの無念や、「ジェリー」たちの願いを考えれば、穏便に、かつ今日ここで捜査を終わらせる選択肢を採るべきだ――と、コナーは思った。そしてそれを可能にする手段が、一つだけある。
「警部補、こうするのはどうでしょう」
手短に、作戦内容を具申する。それを聞いたパートナーは最初目を見開いていたものの、やがて苦笑し、それから人差し指でこちらの顔を指した。
「ああ。いつもの、お前のお得意なヤツだな」
――作戦は、即座に実行に移された。
***
――2039年7月15日 21:29
ベン・コリンズ刑事に連れられて、ベロニカとサイラスがホールに姿を見せる。「ジェリーの死亡に関することで、重要な話がある」ということでここまでやって来た二人は、一様に表情を曇らせてはいるが、特におかしな様子はない。
だがホールに連れてこられた参考人が自分たちだけなのだと気づいて、最初に声を発したのはベロニカだった。
「刑事さん、どういうことなんです?」
薄く頬に涙の跡を残したまま、ベロニカはハンクに質問する。
「話があるなら、私以外のスタッフにだって……」
「それについては、こいつから説明がありますよ」
と言って、彼が指したのはこちら――すなわちコナーだ。
促されたままに、コナーは冷静にベロニカたちに告げた。
「あなたがたに、会っていただきたい人物がいるのです」
「……人物?」
当然、わけがわからず二人は当惑の表情を浮かべる。けれどそれに今は構わずに、コナーはその「人物」に合図の連絡を送った――無線通信で。
すると、ステージ脇から一つの人影が、中央へ向かって姿を見せる。
その人物は赤毛で、緑色の目で、魔術師のような黒いローブを身に纏っていた。
それを視認した瞬間、ベロニカとサイラスはそれぞれに反応を見せる。
「嘘っ……!」
ベロニカは諸手で自らの口を覆った。
「ジェリー! あ、あなた生きていたの!?」
舞台上の「ジェリー」は返事をしない。ただどこか寂しそうな面持ちで佇むばかりだ。
そして一方でサイラスはといえば――
「……!」
彼は、一言も発することはなかった。代わりに、薄くその顔面に汗を掻き――それに従って、ベロニカの比ではない速さでストレスレベルが上昇している――震える手で、己のジャケットの腕をそっと掻いている。
コナーは、その動きを見逃さなかった。
「サイラス・ビリンガムさん」
鋭い声音で、彼に呼びかける。
「そのジャケットの下に、何を隠しているんですか?」
「なっ……!」
その場にいる全員の視線が、腕を抑える彼の手に注がれる。サイラスはそれに気づくと、視線を彷徨わせ、それからじりじりと後退した。
「何を、とは……何も隠してなんかいない。ただ、腕が痒いから掻いただけだ」
後退を止め、それから、彼はこちらを睨むように見つめる。
「それより……あのアンドロイドはどういうつもりだ。あれは私たちの知っているジェリーじゃない。あいつは死んだんだ! デトロイト市警はふざけているのか?」
「いえ、まったく。そしてあなたの発言は、そのジャケットの袖部分のサイズが、あなたの体格と合致しない理由にはなりませんね」
サイラスのジャケットの、彼がさっきまで触れていた部分は、一般的な服のそれと比べると微妙に膨らんでいた。疑われなければ誰も気にしない程度のものではあるし、デザインだと言い張れる程度のものではあるが、彼の身動きと併せて考えると、明らかに怪しいといえる。
「その下に何を隠してるんです? 見せていただければ、それで話は終わります」
「おい、ふざけるなよ!」
わざと高圧的な口調で言ってみれば、サイラスは応じて激高した態度を見せた。
「捜査権もないアンドロイドの癖に、人を疑うとはどういうつもりだ! だいたい……」
「ならビリンガムさん、私からも頼みましょうか」
ハンクが静かに、しかし抗いがたい口調で告げる。
「ジャケットを脱いで渡してください。それだけでいい、すぐに済みますよ……あんたが妙なモンを隠してるんじゃなければな」
「クッ……!」
アンダーソン警部補の態度の変化に、言い逃れはできないと悟ったのだろう。
サイラスは歯噛みし、ジャケットの腕を抑える指の力を強くした。
――すべては、こちらの計画通り。
サイラスの言う通り、ステージに立っているのは“ジョリー”・ジェリー本人ではない――彼の仲間である「ジェリー」に頼み、楽屋にあった衣装を着て出てきてもらったのだ。
しかし彼は、被害者であるジェリーと傍からはまったく区別がつかない。たとえ後で別人物だと判断できたとしても、一瞬目視した段階でそれを見抜ける人間はいない。
そしていかに冷静に振る舞おうとしたところで、予想だにしないタイミングで想定外の事態が起きた時、人は咄嗟に無意識の行動をとってしまうものだ。
ジェリーに「生きていてほしい」と願っていたのなら、それを信じるような言動を。
隠し事があるのなら、それを隠蔽しようとする言動を。
【はったり】をきかせてその無意識の行動を引き出し、見逃さずに指摘する。
成功率は100%ではなかったが、どうやら功を奏したようである。
激しくうろたえた様子でなおも後退しようとしたサイラスに対し、ハンクが一歩歩み寄り、そして警官たちがすかさず並んで出口を塞ぐ。
逃げる方法はない――
そう判断したのは、こちらだけではないらしい。
「フ、ハハッ」
サイラスは、乾いた笑い声をあげた。
「ハハハハ……まさか、一杯食わされるとはな。衰えたとはいえ……マジシャンだったこの私が」
彼は自嘲するような笑みを顔面に貼りつけたまま、下ろした腕を軽く捻った。
するとそれに合わせて、カツンと軽い音を立てて床に転がったのはプラスチック製――否、【低密度ポリエチレン】でできた白い部品。ライム社製の調整器だ。強い衝撃を受けたのか歪曲し、ちょうどあの破片の形状と同じ、約3.2ミリの欠損が見られる。
しかも視認できる限りで、その内部にはブルーブラッドがわずかに残っていた。調べなければわからない。だが、推定はできる。あそこに入っているのは“ジョリー”・ジェリーの血――
サイラス・ビリンガムが犯人だ。
「ちょっと先生……どういうこと!?」
事態を察したベロニカが、途端に非難の声を発した。
「まさかっ、せ、先生がジェリーを!? どうして……彼はあなたに何も」
「黙れ、ベロニカ」
サイラスは吐き捨てるように彼女の言葉を遮る。
「フン……疑われるなら、てっきりお前だと思ったのだがな。こんなことなら、とっとと逃げるべきだった」
「御託は結構だ。あんたを連行する」
ハンクがぴしゃりと言い放った。
「ジェリーはあんたを師匠と慕ってたんだ。そいつを自分の手で殺すだなんて、よくもそんな残酷な真似を」
「ハッ、師匠!? 冗談じゃない」
表情を変え、何か嘲笑うように、サイラスは大仰に鼻で笑ってみせた。
「あいつは私を招待して、わざわざ見せつけてきたんだよ! 私が落ちぶれたことを。自分が大成したことを! 所詮猿真似の機械人形の分際で、人間である私をコケにしやがって!」
徐々にヒートアップしていく彼の言葉を諫めるために、コリンズ刑事や警官たちがじりじりと歩み寄っていく。
しかしその瞬間――コナーの視覚プロセッサは、サイラスが先ほどとは逆の袖の下から、何かを手の中に滑り込ませたのを捉える。まだ何か隠し持っていたのか!?
「フン……」
彼が持つそれは、小さなパイプ。レッドアイス常習者が、薬物を摂取するために使うもの。元・手品師らしい技術で、警察が止める間もなく、サイラスは2秒でそれに火を点け、クスリを吸入しはじめた。
いや――煙の残滓としてこちらに漂う残留物を分析する限り、それはレッドアイスだけではない。【C17H21NO4】――コカイン。コカインとレッドアイスのカクテル薬物だ。
「違法薬物取締法違反まで追加とは、大盤振る舞いだな」
赤い煙を吐き出したサイラスに対し、苛立った様子でハンクは語る。
「パーティーがやりたきゃ後でやりな。こっちの仕事を増やすんじゃねえ」
「素人はこれだから困るね」
「何?」
サイラスはしたり顔で反論し、警部補は訝しげに顔を顰める。
しかし確かに、それとほぼ同時に、視覚プロセッサはまたも元・手品師の右手が、何かを握るのを察知していた。
黒い、金属製で――手のひらに収まる程度のそれは――
「気をつけて!」
コナーは叫び、それを受けてハンクはまず、ベロニカを庇うように身を横に移動した。次いで彼の手は、脇に吊るしたハンドガンを抜こうとする。
しかしそれよりほんの少し早く、サイラスの手の中に現れたのは護身用のピストルだった。殺傷能力はさほど高くない――だが、密着した状態で
「さあ警官ども、見るがいい!」
レッドアイスのせいで血走った眼になったサイラスが、笑いながら言う。
銃口を、自分のこめかみに突きつけながら。
「サイラス・ビリンガムの、
乾いた笑い声が響き、1秒後にベロニカの甲高い悲鳴があがる。
だが、銃声は――響かせはしない。
無言のまま、物理演算に従ってコナーはポケットのコインを2枚弾いていた。
その1枚はピストルを持つサイラスの手に直撃し、もう1枚は人体の急所である、喉元を正確に撃っていた。
いかに薬物を摂取した興奮状態とはいえ、その痛みには耐えられなかったようで――サイラスはピストルを取り落とし、短く呻く。
「確保しろ!」
ハンクの一声と共に、警官たちがサイラスに殺到した。
腕を捻り上げられ、それ以上は抵抗できずに、老手品師の手首には手錠が嵌められる。
舞台上の「ジェリー」は、それを悲しそうに見つめていた。
こうして――ベルズ劇場での事件は、解決したのである。
***
それから劇場を去り、すぐさま尋問室に移り――尋問自体はハンクに任せ、ミラーガラス越しにコナーはその様子を見つめていたのだが――サイラスが語ったのは、このような話だった。
「……なぜ脱出術のトリックを知っていたのか、だと? 決まっている。あのネタを考えたのは、そもそも私だったからだ」
サイラスは、自分に嵌められた手錠を忌々しげに睨みながら言った。
かつてまだジェリーがいた頃、サイラスが彼専用に考案してやったマジックだったのだと。
「調整器がなくなればアンドロイドは動けなくなる、なんてのは世間の常識だ。その常識をずらし、認識させなくするのがマジシャンの務めだ。だというのにあいつ、渡した調整器を、なんの疑いもなく受け取りやがった」
楽屋を訪れたサイラスは、「お守り代わりに」と言って、ジェリーにあのライム社製の調整器を渡した。事前に用意してあったスペア(鞄に入れてあったもの)ではなく、こちらを使えと告げて。
そしてジェリーは、喜んでそれをマジックで使ったのだ。
まさか、不良品を渡されているのだとは思わずに。
「マジシャンの癖に、マジックの成功を……自分の命を他人に任せるなんて。本当に馬鹿な弟子だ。まあどうせ、私のように落ちぶれた人間が何をしようと関係ないと、高を括っていたのだろうが」
サイラスの震える唇から発されたのは、あまりにも身勝手な言葉だった。
聞くだに胸の内にはプログラムを越えた「怒り」が沸きあがり、両の拳に強く力が籠る。
だがその言葉を目の前で聞いているハンクは、怒気を見せることなく、至って冷静に返事した。
「そうか。なら残念だが、ジェリーの気持ちはあんたには伝わらなかったんだな」
「どういう意味だ……?」
「ジェリーは誰よりもあんたを尊敬してた。ショーに招待したのは、自分の晴れ姿を見てほしかったからだ。渡された不良品を使ったのだって、心から先生を信用してたからだよ」
ミラーガラスの向こうで、警部補の静かな青い瞳が、サイラスをじっと見据える。
「アンドロイド……変異体ってのはまだ人生経験が少ないせいか、素直で優しい奴が多い。性根の捻じ曲がった人間には、ちょいと刺激が強すぎるくらいにな。俺の言えたクチじゃないが、あんたは薄汚れたんだよ。ジェリーが知ってた『師匠』の姿より、ずっとな」
説諭のようにそう告げられた、瞬間。
サイラスの双眸から、ぼたぼたと涙が零れだした。
「……馬鹿な弟子だ」
彼の言葉は低く重く、尋問室に響く。
「馬鹿な、弟子だ……」
けれどその言葉はもう、ジェリーに届くことはないのだ。
***
――2039年7月15日 22:56
「お疲れ様でした、警部補」
「ああ、お前もな」
取り調べが終わり、サイラスが留置場に送られた後。
いつものデスクに戻ってきたハンクに、コナーは言葉と共にコーヒーを差し出した。
「ありがとよ」
受け取った警部補は軽く自分の首を回しながら、どっかと椅子に腰かける。
「事件は解決したが……やり切れねえもんだな。サイラスがいくら後悔したところで、ジェリーが帰ってくるわけもねえ」
「……ええ」
ハンクのデスクに軽く腰掛け、コナーも苦い面持ちで視線を床に落とす。
パートナーへの相槌を打つ声音は、我知らず落ち込んだものだった。
――協力してくれた「ジェリー」たち、そしてベロニカからは、謝意が届いた。安全管理上の問題のせいで事故が起きたのではないとすぐに明らかになったことで、ベルズ劇場の運営会社も感謝しているらしい。けれど、だとしても――
人間とアンドロイド、異なる種族が真に共存できる社会の実現はまだ遠いのだと、事件を解決するたびに思い知らされる。
でも目指し続けていれば、いつか、あるいは。
その一助となりたくて、ここに自分はいるのだから。
「ところで、警部補」
意識を切り替えるために、コナーはわざとはっきりした調子で言葉を発した。
「先ほどの取り調べで、サイラスは気になることを言っていましたね」
「ああ、調整器とヤクの出処についてな」
こちらを見つめる警部補の視線は鋭い。
ライム社製の調整器とカクテル薬物をどこで手に入れたのか聞かれたサイラス・ビリンガムは、こう答えたのだ。
デトロイトの西部――チャイナタウンの一角で購入した。
ジェリーからの招待状を受け取り、憤懣を抱えて街を歩いていた時に偶然、小さな露店を見つけたと、サイラスは言った。「不良品」との触れ込みで売られていた調整器を見た時に、犯行を思いついたのだと。
「確かにチャイナタウンの裏路地であれば、監視カメラも少なくそうしたやり取りが可能ですが……現在まであの地区は、市内の他の場所と比較しても犯罪率が低かったはずです」
「ああ。そんな物騒な場所じゃねえはずだが、何か起きてるのかもしれないな」
コーヒーを一口啜ってから、ハンクは続ける。
「……今日サイラスがキメてた薬は、あの『新型』じゃあなかったよな」
「ええ。あのレッドアイスには、ナノドロイドの痕跡はありませんでした」
つまりサイラスが薬を買った相手が、あの「吸血鬼」の組織――ピピンの組織に繋がるとは断定できない。
「しかし、ここ最近のレッドアイスの出処はほとんどあの組織に繋がってただろ」
コーヒーのカップを置き、警部補は言った。
「明日にでも、中華街を調べたほうがよさそうだな。どうにもキナ臭え」
「探る宛はありますか? サイラスの証言が正しければ相手は露店ですから、行ったとしても開店しているかどうか」
「当てずっぽうの聞き込みはしなくても済むぞ」
そう告げて、警部補は不敵な笑みを浮かべる。
「安心しな、ツテがある。ヒントくらいは手に入れられるさ、たぶんな」
瞳に笑みを湛えたまま、ハンクがまっすぐこちらを見る。
警部補の“ツテ”となると、どうにも不思議な人物ばかりのような気がしてしまうが――
この街については、彼のほうが自分よりずっとよく知っているのだ。
コナーも薄く微笑んで、無言のまま頷きを返した。
(魔術師/Escapology 終わり)
ちなみに警部補は、この後晩御飯を食べました。