Detroit: AI   作:けすた

35 / 51
第33話:飛燕 前編/Hecatoncheires Part 1

――2039年7月16日 12:11

 

 

 【XLサイズのタピオカティー 713kcal、ブラックタピオカ(でんぷん)、砂糖、生クリーム、チョコスプレ―、紅茶】――

 

 昼食代わりにするには栄養バランスがおかしく、ティーブレイクとしてはおぞましいカロリーの飲料が、ストローを通じて勢いよく警部補の口に吸いこまれていく。

 澄み渡る青空の下、観光客の賑やかな声がそこかしこから聞こえてくるオープンエアのカフェの席で、コナーはその様を眉を顰めて見つめた。

 

「どうした、コナー」

 

 ほぼ糖類で構成された液体を運ぶストローから口を離したハンクは、対面に立つこちらの手元を顎で軽く指しながら続けて言う。

 

「お前も早く飲んじまえ。捜査はこれからだぞ」

「ええ……しかし」

 

 自身が手にしているプラスチックカップ――の中のブルーブラッドに視線を落としてから、コナーはなおも訝しんだ。

 

「奢ってもらっておいてなんですが、先ほども言った通り、まだ補給は必要ではありません。それにあなたも、もう少しカロリーを気にされたほうが」

「仕方ないだろ」

 

 タピオカの粒を咀嚼し、飲み込んでから、警部補はいたって真剣に答えた。

 

「これから会う奴に話を聞くためには、こうするしかないんだよ。でなきゃ俺だって、昼日中からこんな甘ったるいもんを飲みやしないね」

「……」

 

 ではチキンフィードのパイナップルパッションソーダは一体なんなのか――という質問はプログラムの内に留めておくことにして、コナーはカップの中身を一気に機体に流し込む。

 携帯端末の充電で譬えるなら、残り90%が100%になった、というような補給を終えた後、視線は(「意外と悪くねえ味だな」と言いたげな面持ちで食事に戻っているパートナーに向いてから)自然とチャイナタウンの街並みへと移る。

 

 向こうに見える煌びやかな朱塗りの門は日光を照り返して燦然と立ち、通り沿いには料理店や土産物屋が並んでいる。人々が穏やかに行き交い、土曜日の昼時を楽しむ路上には、ゴミ一つ落ちていない。つまり犯罪の気配の薄い、清潔な街。

 

 この場所のどこで、サイラス・ビリンガムはあんなものを手に入れたのだろう。

 こんな平穏な地区にも、吸血鬼の組織の魔の手が迫っているというのだろうか?

 しかし今はただ、警部補のツテに頼る他ない。

 手持ち無沙汰になったコナーは、取り出したコインでキャリブレーションを行った。

 

 

 デトロイト西部、ユージーン通りを中心としたこの一区画は「チャイナタウン(中華街)」として知られている。

 そして合衆国内にチャイナタウンは数あれど、デトロイトの中華街はそのうちのどこよりも、真新しい歴史を持つという特徴があった。

 

 かつてデトロイトに存在していたチャイナタウンが、人口減少の煽りを受けて消滅してしまってから約20年後。サイバーライフ社の隆盛によって中国の科学技術者や労働者が招聘されることで、再びこの都市に中国にルーツを持つ人々が集まるようになり、さらに地域のコミュニティが形成されるようになっていった。

 当初は小さな中華料理店や雑貨店が並んでいた程度だったものの、都市計画としての観光事業の後押しを受けて区画整理され、だんだんと大きくなったこの街は、現在ではデトロイト内でも有数の治安のよさを誇っている。

 

 だからこそ、サイラスの自供が信じがたかったのだ。

 粗悪なシリウムポンプ調整器と、カクテル薬物――つまりレッドアイスとコカインの混合品を、チャイナタウンの露店で買ったという彼の発言が。

 

 

『露店にいたのはアジア系の男だった……手元と声しか気にしていなかったから、人相はわからないが』

 

 ハンクの取り調べに対して、サイラスは苦い面持ちでこう語った。

 

『酔っていたから、場所がどこかも覚えていない。ただその店が細い道の奥で、まるで息を潜めるみたいに開いていたのは記憶にある。店には色々と、アンドロイドどもに使うような器具だの機械だのが並んでいて……不良品と書いてある調整器を見て、ジェリーを殺す方法を思いついた』

 

 そして彼が20ドルを支払ってライム社製のシリウムポンプ調整器を購入すると、店員が淡々と、あるものを差し出してきたのだという。

 小さなチャック付きビニール袋に入った、赤と白の塊。すなわち、レッドアイス・カクテル。

 

『店員が言ったんだ。“これはおまけです”……とな』

 

 まるでハロウィンの菓子を配るような気軽さで差し出されたそれを、しかし、サイラスは拒まなかった。この都市の落伍者ならほとんど誰もがそうであるように、彼自身も一度や二度、レッドアイスに手を出したことがあったから――というだけでなく、その時の精神状況が自暴自棄の極みにあったからだ。

 

 かくしてサイラス・ビリンガムの手に調整器と薬物が渡された結果、ジェリーは舞台の上で殺害され、こうしてコナーとハンクはチャイナタウンに来ている。

 吸血鬼の組織、そして謎に満ちた人物であるエリック・ピピンに繋がる情報を求めて――

 

 

「待たせたな。そろそろ行くぞ」

 

 キャリブレーションを終えたコナーがコインをポケットにしまったのとほぼ同時に、最後のタピオカを吸い終わった警部補が、近場にあったゴミ箱にプラスチックカップを放り込みつつ言った。

 

「必要なブツは、お陰さんで手に入ったからな。後は相手の機嫌次第ってとこだ」

「ブツとは?」

 

 短くこちらが問いかけると、ハンクは口元に笑みを浮かべ、指で挟んだ小さな紙をぴらりと取り出した。『雲霞茶房 次回10%OFFクーポン』と、そこには書かれている。

 要するに、このカフェのクーポン券だが――?

 

「…………?」

「後で説明してやるから、とにかくとっとと移動するぞ。“善は急げ”だ」

 

 言うが早いか、彼は言葉通りに店を出た。首を傾げていたコナーも、姿勢を正すと警部補の後に続く。

 進む先は、ユージーン通りから東に逸れた細い路地。喧騒を離れた、どことなくひっそりとした印象の場所である。

 

 そして路地に面して建っている古ぼけた一軒の店――「ティーショップ・ヤン」と看板に掲げられている――の前で、ハンクは歩を止めた。

 

「ここだ」

 

 再び例のクーポンを取り出してから、彼はちらりとこちらに視線を送って続ける。

 

「言っとくが、余計な口は出すなよ。ちょっと気性の荒い奴だからな」

「港湾労働者組合のバッシュ氏のように、ですか?」

「あいつとは少しタイプが違うが……まあ、似たようなもんかな」

 

 シニカルに言ってのけると、警部補は入り口のドアノブに手をかけた。いわゆる“アジアンテイスト”な、流麗な装飾が施されたその扉が開くのに合わせて、ドアベルが涼しげな音を立てる。

 ほぼ同時にコナーの視界に映ったのは、やや暗い照明の店内だ。壁一面に備えつけられた棚と、収められている無数の中国茶の缶――そして空気中に漂う【リナロール】や【ゲラニオール】、つまり茶の香気を検出したプロセッサの分析結果が表示される。さらにほどなくして店のカウンターの陰から顔を見せたのは、一人のアジア系の女性だった。

 

「あらぁ~、いらっしゃい……」

 

 にっこりとした笑みを湛えて挨拶しつつ歩み寄ってくるその人物は、白髪交じりの茶髪を引っ詰め、小柄で丸みを帯びた身体に、シンプルな紺色のワンピースを纏っている。

 フェイススキャンによれば、彼女は【レイチェル・ヤン 54歳】。犯罪歴はなし、職業は中国茶店経営――どう見ても、このチャイナタウンの一般的な住人といった佇まいだ。

 

 しかしレイチェルのその笑顔は、来客たるハンクを捉えた瞬間に消え失せた。真顔になった彼女の、やや鋭い印象に変わったその瞳で見つめられる中、警部補は苦笑と共にクーポン券を差し出して口を開く。

 

「久しぶりだな、“ラチェット”。()()()()()()()()?」

 

 ただの会話というには僅かに不自然に、つまりはっきり相手に聞かせるように警部補が告げると、ラチェットと呼ばれたレイチェルはまず、小さくその場で嘆息した。

 そして険しい面持ちのまま、どことなく観念したようにハンクに言う。

 

「いつもの、ね。黄金桂を?」

「10.3グラム頼む」

 

 淀みなく警部補が答えると、レイチェルはもう一度ため息をつき――

 

「随分と久しぶりじゃないか、ハンク」

 

 当初のにこやかさはなく、けれどこれが彼女の素なのだろうと予測させるような気軽さで、腰に手を当てた彼女はアンダーソン警部補の名を呼んだ。

 

「あんたがここに顔を見せるのは4年ぶりかね。もう一生会わないもんなのかと思ってたけど?」

「ああ……ま、色々あってな」

「ワケは知ってるよ。あんたに関する噂話は、ここにいたって勝手に耳に入ってくるからね」

 

 そこまで語ったところで、レイチェルがこちらに視線を向けた。それまでずっとパートナーに向けられていた瞳を自分のほうに向けられたことで、コナーは少し身構える。

 

 警部補は、アンドロイドに対する彼女のスタンスについては警告してこなかった。しかしハンクの知り合いの全員が、変異体に対して友好的であるとは限らない。

 初対面の人物を相手にする時には、ついこうした気構えを手放せずにいるのだが――

 

 意外なことに、レイチェルの目に浮かんでいるのは嫌悪でも好意でもなかった。

 瞳孔のサイズ、それに血流の変化から判断するに、彼女の身体的反応を表現するのに一番近い言葉は――そうだ。変異体事件の捜査に送り出される直前、最終調整を重ねていた頃にサイバーライフの研究者たちが自分に向けていた視線、すなわち「学究的好奇心」に満ちた眼差しだろうか。

 

「ふうん」

 

 うっすらと口元に笑みを湛え、レイチェルはこちらを見つめたまま言った。

 

「この子が噂の相棒だね。ま、クーポン券持ってきたってことは“スペシャルサービス”をご所望なんだろ? 店ん中で喋るのもなんだし、ついて来な」

 

 ひったくるようにクーポンを受け取ると、彼女は踵を返して店の奥の扉へと歩いていく。だが数歩したところで、にわかに横を向いて声を発した。

 

「兄貴! 店番頼むよ」

「よう、ジョナサン。元気か?」

 

 それまで一言も発さぬまま、まるで壁の一部のように静かに座ってテレビを見つめていた老人――レイチェルの兄らしい――にハンクが挨拶すると、相手は視線をテレビに向けたまま、枯れ枝のような手を妹と警部補に向かって振るのだった。

 

 そしてレイチェルはといえば、扉を無造作に開けると、続く階段をすたすたと降りていく。

 彼女の姿が階下に消えていったのに合わせて、ハンクが小声で語りかけてきた。

 

「どうやら気に入られたらしいな。めでたく関門は突破だ」

「彼女があなたの言うツテで……あのクーポン券と入店後の会話は、“サービス”とやらの提供を受けるのに必要だったのですね」

 

 こちらもまた声量を抑えて確認すると、警部補は頷いて応える。

 

「ああ。さっきのカフェは、あいつの姪が経営しててな……ここの茶葉が卸されてる。30ドル分飲み食いして例の券を貰って、合言葉を言うってのが昔からの決まりなんだよ。お互いにWIN-WINってやつさ」

「なるほど」

 

 つまりハンクがXLサイズのタピオカティーとブルーブラッドを買ったのは、そうしないと購入金額が30ドルに届かなかったから――という理由か。

 

「警部補、ならば一杯18ドルの高級烏龍茶を注文すればよかったのでは? わざわざあそこまで、糖質の高い商品を選ばなくても。以前から言っているように、健康の維持のためには日頃から」

「あーあー、それは……後で話してくれるか。一ヶ月後くらいとかにな」

 

 先ほどの店のメニューを検索したうえで、彼の体質に合ったチョイスを提案したというのに、警部補はそれ以上聞きたくないとばかりに手を振ると、さっさと階段を下りていってしまった。

 【一ヶ月後 ハンクと健康について話す】とリマインダーに入力してから、コナーもまた階下へと歩を進める。

 

 木製の階段はかすかに軋む音を立てながら、地下室へと続いていた。先に扉を開けて中に入り、こちらに背を向けて佇んでいるレイチェルの背を目印に、コナーたちもまたその部屋に踏み入る。

 すると――

 

「これは」

 

 プログラムを揺らした純粋な「驚き」を前に、コナーは我知らず声を発した。ハンクもまた無言ながら、部屋の中央――すなわちレイチェルの立つすぐ傍に向けた目を、大きく見開いている。

 

 そこにあったのは、およそ上階の様子とかけ離れた、アンドロイド工学関連の設備だった。整備と組立用のアーム、それを制御するためのパーソナルコンピューターとモニターといった基本的な機材のみならず、棚に整然と陳列されているのは生体部品や拡張パーツである。ここはもはや、小さなラボといえた。

 何より驚嘆すべきなのは、警部補の視線の先にいる「彼女」だ。

 艶やかな黒髪を二つ結びにし、薄緑色のいわゆるチャイナドレス(旗袍)を纏った見目麗しい「彼女」は、紅を引かれた薄い唇で弧を描き、腹の前で手を組んだ姿勢のまま、静かにハンクを見つめ返している。

 

 分析結果によれば、「彼女」もまたアンドロイド。しかし、サイバーライフ製では()()

 ――【フェイヤン(飛燕)社製、DH-F05型“ユートン(雨桐)”】。ここにいるはずのない存在が、紛れもなくこうして眼前にいる。

 

 一歩だけ歩み寄り、さらにまじまじと、コナーはユートンを見つめた。

 分析したところ、機体の素材や耐久性などは、自分たちとそう変わらない。しかし瞬きもせず、それどころか一切微動だにせずひたすらじっと佇んでいるその姿は、「人間社会に溶け込むこと」を第一としてデザインされたサイバーライフ製と比べると、明らかに異なっている。きっと機能としては“無駄”な動きを省き、コストパフォーマンスを優先しているのだろう。

 そしてユートンの首には、まるでチョーカーか首輪のような形で、細い緑色のLEDが発光していた。恐らくはこの首部分が、自分たちでいうこめかみのLEDリングに相当するのだろう――

 

「……」

 

 同じ「アンドロイド」という語で呼ばれ、けれど違う存在。コナーはどことなく、不思議な感覚がプログラム上に沸きあがってくるのを感じた。

 

「こいつは驚いた」

 

 ハンクもまた、半ば呆れたような顔をしながらレイチェルに言う。当のレイチェルはといえば、どことなく誇らしげに胸を張っているのだが。

 

「ついに完成させやがったのか。5年前に聞いた時は、組み立てる前に通報されるのがオチだと思ってたんだがな」

「あたしの実力なら、ざっとこんなもんさね。これでやっと店を手伝ってもらえるよ」

 

 そう言って、レイチェルはユートンの肩に軽く手を置いた。

 

「といっても、当局の監視が緩くなったのは変異体の『革命』の後からだけどね。それまでは面倒なもんだったよ。パーツの購入契約だけで一苦労だったさ」

「それはそうでしょう」

 

 つい口を挟んだコナーは、勢いのまま告げる。

 

「まさかデトロイトに、フェイヤン社の製品が……それもアンドロイドがいるだなんて。本当に、あなたが組み立てを?」

「ああ、そうだよ。少しずつ部品を仕入れてね」

 

 あっさりとレイチェルが認めるのが、やはり信じがたい。とはいえ彼女の言葉を疑うつもりはないし、そもそも自分の視界の端に表示されている分析結果が、先ほどからうるさいほどに眼前の違法行為を警告しているのだが――

 

 今一度辺りを見回してから、コナーはゆっくりと幾度か瞬きをした。

 

 アンドロイド製造、またそれに関連した技術において、アメリカに比肩しうるのはロシアか中国である――というのは、もはやこの社会の常識だ。

 ブルーブラッドの模倣に失敗したロシアが、旧式の製造技術を流用しながらも寒冷地対策を施した強力なアンドロイドを生産している一方で、ブルーブラッドの代替となる人工体液を開発し、独自のアンドロイド製造技術を確立したのは中国である。

 そして一般向けの雑誌などでも記事にされているように、中国製のアンドロイドの一番の強みは、圧倒的な燃費性能のよさと頑丈さにあった。

 

 中国におけるアンドロイド製造を一手に担っている大企業・フェイヤン社製のアンドロイドは、サイバーライフ製のものと比べると最大出力に劣る欠点をもつ。また汎用性はありつつも、その中枢の計算能力自体はほどほどのものに抑えられているという。しかしながらメンテナンスや充電がなくとも、数ヶ月間は支障なく動作できるという素晴らしい長所があるのだ。

 ゆえに彼ら/彼女らはその性能を活かし、広大な農地での農作業や、工場における軽作業、あるいは一般家庭での家事労働など、中国におけるあらゆる産業に進出している――かつて、サイバーライフ社製のアンドロイドがそうであったのと同じく。

 

 そしてもう一つ、重要な特徴がある。それは、フェイヤン社製のアンドロイドおよびその生体部品などのあらゆる付属品は、合衆国内への輸入禁止措置がとられているという点だ。

 様々な理由が考えられるが、最も大きな要因は、政府とサイバーライフとの癒着にあるだろう。それはともかくとして――

 

「この部屋に設置されている設備やパーツもフェイヤン社製……すべて輸入禁止・規制品目に該当するものばかりです。ヤン氏、あなたは一体どうやって」

「こいつは昔っからこうなんだよ」

 

 腕組みしたハンクが、苦笑混じりに説明してくれた。

 

「よその国で作られた機械のパーツを集めちゃあ、修理したり改造したりな。特に、禁止されてる品には目がねえのさ」

「実益を兼ねた趣味を他人にとやかく言われたかないね」

 

 レイチェルは鼻を鳴らした。けれど、警部補の言葉を否定しない。

 

「それに、向こうで作られた品をギャングだのマフィアだのが使ってた時に、解析を手伝ってやったのはどこの誰だと思ってるんだい。こっちは格安で情報提供してやってんだ、感謝してほしいくらいだよ」

「ああ、まったく。その通りだな」

 

 “降参”を示すように両手のひらを彼女に向けたハンクは、肩を竦めてみせる。

 すると今度はそれに満足したように鼻を鳴らしてから、レイチェルはこちらに向き直った。そして静かに、右手を差し伸べてくる。

 

「自己紹介が遅れたね。レイチェル・ヤンだ。“ラチェット”って呼んどくれ」

「はじめまして、ラチェット」

 

 目の前の右手に、同じく右手を伸ばして握手してから、コナーもまたいつもと同じく自己紹介をした。

 

「私はコナー。デトロイト市警のアンドロイドです」

「ああ、はじめまして」

 

 握手を離して2秒後、レイチェル改めラチェットはにやりと笑って呟く。

 

「賢いね」

「なんだって?」

 

 コナーではなく、ハンクが訝しげに声をかけると、彼女は警部補に対して答えた。

 

「賢い、って言ったのさ。さすがサイバーライフ製のRシリーズ、執念感じるような作り込みっぷりだね。滑らかな会話と動作に、高度で正確な分析機能。警察にいるのがもったいないくらいだよ」

「それは……ありがとうございます」

 

 素直に、コナーは謝意を述べた。

 ――自分が最新鋭のプロトタイプであることは事実だし、少し誇らしく思う気持ちもないわけではないが、そこを他者に評価してもらえるのはめったにないことだ。そう思うと、自然と微笑んでしまう。

 一方で、ハンクは親指でこちらを指しながら言った。

 

「残念だが、そいつに世辞は効かねえぞ。クソ真面目だからな」

「『初対面の50代の人間が、不愉快に感じない程度の力で握手する』ってだけでも、かなり繊細な動作なんだよ、ハンク。どうせあんたのことだから、この子の価値もわからずに胸倉掴んで揺さぶったりしてんだろうけど」

 

 確かにそれは何度かされました――という返答も一応プログラム上には浮かんだが、どことなく決まり悪そうな面持ちの警部補を見て、やめておくことにした。

 代わりに捜査を進めるために、コナーは率先して口を開く。

 

「ところで、ラチェット。以前から、あなたには捜査にご協力いただいているそうですが……今回も、アンダーソン警部補がぜひ力をお借りしたいと」

「ああ、そうだ。ここが観光地になるより前から住んでる、お前にどうしても話を聞きたくてな」

 

 気を取り直した様子で言うと、ハンクはジャケットのポケットから、ハンカチに包んだ白い部品――シリウムポンプ調整器の残骸を取り出した。むろん、ジェリーに使われたあの品だ。

 一瞥したラチェットは、途端に顔を顰めてみせた。

 

「ライム社製? なんでこんなもんが」

「こいつを売った奴が、この街のどっかにいる。……ヤクと一緒にな」

 

 ヤク、という単語を聞いた瞬間、ラチェットの纏う雰囲気がひりついたものに変わる。ストレスレベルが上昇し、交感神経系が活性化し――要は、真剣な表情になった。

 

「薬物だって……この街で? あんたがホラ吹きならって、こんなに願う日はないよ」

「俺もそう願うね」

 

 嘆息混じりに、しかし真摯に警部補は告げる。するとラチェットは面持ちを険しくしたまま、顎に手を置いて虚空を睨んだ。

 

「……ここ2・3ヶ月の話だけどね。ジャンキーっぽい連中が、ちらほら街をうろつくようになったんだよ。特に通りの西側の、細くて入り組んだ路地の辺りを」

「こいつを買った奴は、露店で手に入れたって言ってんだが……心当たりあるか?」

「営業許可のない露店が出てたって噂は、最近聞くようになったよ」

 

 顎から離した手を軽く振りつつ、彼女は語る。

 

「安全な観光で売ってるこの街としちゃ、与太者も勝手な商売も大迷惑さ。ここいらの住民の自治団体でも、証拠を押さえるために路地裏に監視カメラを設置したらどうかって意見が出てるが……風評が悪いってんで反対意見も出てる」

市警(ウチ)にタレ込みゃよかったのによ」

「さっきも言ったろ、ハンク。まだただの噂さ。誰も露店でヤクが売られてるところを、はっきり目撃したわけじゃあないからね」

 

 それに――と、ラチェットは腰に手を当てた。

 

「噂の中心にある店は、ここいらじゃ有名な『リュウズ・ペットショップ』だからね。あそこの娘さんに向かって、ひょっとしてヤクを売ってますか、なんて聞ける奴はいないだろうよ」

「……ペットショップ?」

「警部補。中古のペット用アンドロイドの販売を手掛ける古物商のようです」

 

 手短に、データベースの検索結果をハンクに告げる。

 

「店の営業自体は16年前からのようですが、ここ2年間で業績が急上昇しており……地元のビジネス系ウェブメディアでも、幾度か取り上げられていますね」

「最近じゃあの店は、動物アンドロイドだけじゃなくてアンドロイド関連のパーツならなんでも手広く扱うようになってる。だから人間だけじゃなく、変異体のお客さんも増えてるみたいだよ。それもこれもすべて、あそこの店主がシーラに代わってからさ」

 

 それからラチェットが語った内容を要約すると、こんなものだった。

 シーラ・リュウは2年前、病死した父に代わって店を継ぐと、優れた商才を発揮するようになった。彼女は幼い頃からこの近辺では有名な「神童」で――かのカムスキーと同じくコルブリッジ大学で人工知能とアンドロイド工学を学び、飛び級で卒業したらしい。

 

「どういうわけか、周囲の予想に反してサイバーライフには入社しなかったんだけどね」

 

 ともかく卒業後から店を手伝いはじめたシーラは、自身が経営者になると、扱う商品の種類を拡大して大成功を収めた。適正価格でパーツを買い取り、安値で売ってくれる優良店舗だという評判がさらに客を呼び寄せているのだという。近々、市内に支店を展開する計画もあるそうだ。

 ――しかし。

 

「何度も言ってる通り、証拠は一切ないよ。でも、噂が立ちはじめているのさ……あの店の周りを見慣れない妙な連中がうろついていただの、変に大きな荷物が運び込まれていくのを見ただの」

「噂が本当なのか、それともシーラが儲けてるのが気に食わない奴らが騒いでるだけのデマなのか……はっきりしないってわけだな」

「その通り。だからあたしたちも、手をこまねいてる」

 

 そこまで語ってから、ふうと息を吐き――やや険のとれた表情で、ラチェットは続けた。

 

「なんにせよ、あんたたちの捜査に関係してそうな場所といえば、あたしが知ってるのはリュウズだけさ。無駄足かもしんないが、行くだけ行ってみたらどうだい」

「ああ、そうさせてもらうよ。悪かったな、長話させて」

 

 気安くそう言うと、警部補は軽くラチェットに手を振り、それからすぐに階段に足をかけようとして――

 

「おっと。じゃあな、お嬢さん」

 

 無言で佇んだまま、微笑んでいるフェイヤン社のアンドロイド・ユートンに向かって、彼はそっと挨拶をした。

 確かに――ひとしきり驚いた後は捜査に集中していたばかりに、こちらも挨拶をするのが遅れていた。コナーもまた、ハンクに倣ってユートンに声をかける。

 

「さようなら、ユートン」

 

 しかし、彼女は無反応だ。その視線は警部補を捉えたまま、ぴくりとも動かない。代わりにユートンはきびきびと唇を動かし、姿勢は変えずに柔らかな声音でこう言った。

 

「さようなら、またお会いしましょう。ハンクさん」

「あらら、ユートンったら。気を悪くしないどくれよ、コナー」

 

 コナーとハンクが揃ってきょとんとしていると、横からラチェットが口を開く。

 

「知ってると思うけど、フェイヤン社製のアンドロイドはあんたたちとはプログラムの根幹からして違う……カムスキーの技術を使ってないからね。だから複雑なソーシャルモジュールも搭載されてないし、なんていうか、融通がきかないんだよ」

「私が話しかけても、反応できないのですね」

 

 要するに、アンドロイドは「物体」であり、返答すべき対象ではないとプログラムされているのだろう――TV番組から聞こえる音声やスピーカーから流れる音楽にいちいち返事しないようにするためには、必要な措置ということで。

 しかしながら、アンドロイド同士では必要最小限の会話や交流しか行わないというのは、変異する前のサイバーライフ製アンドロイドも同じである。

 だから特にこの出来事自体には怒りも嘆きも感じず――しかしコナーは、自分の内側でフェイヤン社製の“同族”に対する興味がさらに膨らむのを感じた。

 

 限りなく近しく、一方で限りなく遠い存在。

 ユートンはいつも、何を感じているのだろう。それとも、何も“感じて”などいないのだろうか。カムスキー製のプログラムだからこそ自分たちは変異したのか、それとも彼女たちも変異の可能性を秘めているのか。

 そういえば去年、ロシアでもアンドロイドによる事変が起こったという噂は、果たして真実なのか――

 

 とりとめのない疑問が浮かび、だがそれらを自ら打ち消した。

 今は、捜査に集中しなくては。

 

「次はお茶っ葉も買ってっとくれよ!」

 

 わざわざ戸口まで見送ってくれたラチェットにもう一度礼を述べてから、コナーたちはまっすぐ、件の店――リュウズ・ペットショップへと向かうのだった。

 

 

***

 

――2039年7月16日 13:43

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 カウンターに立つアジア系の男性従業員が、愛想よくというほどでもないが、礼を失しない程度の声音で挨拶してきた。

 コナーたちが足を踏み入れたリュウズ・ペットショップは、現代的な白いLEDの照明と、磨き上げられたフロアタイルの床が特徴的な明るい店である。

 売り場に並んでいる中古のアンドロイドパーツはどれも状態のよいものばかりだし、ガラスケースや鳥かごに入れて売られているペット用アンドロイドたちも、元気な様子を見せている。ストレスレベルがかなり低いところから見ても、適切なケアを受けているようだ。

 念のためにスキャンしてみたが、盗品が売られているというようなこともない――

 

「デトロイト市警のハンク・アンダーソンだ」

 

 カウンター付近に客がいないことを確認したうえで、バッジを見せた警部補は手短に、静かに告げた。

 

「最近この辺りを、不審人物がうろついてるらしいんだが……よければ、少し店主に話をうかがっても?」

「え、店長に……は、はい。少々お待ちください」

 

 ハンクの要請を聞いた店員はぎょっとしたようだが、それでもそれ以上は何をするでもなく、静かにバックヤードへと入っていく。

 ほどなくして、店員と共に姿を見せたのは20代のアジア系の女性だった。理知的な顔立ちに、黒褐色のボブカットの髪。シンプルだがそれなりに上質なスーツを纏ったその姿は、「やり手」という前評判を裏付けるようなものだった。

 

 フェイススキャンによれば、彼女が【シーラ・リュウ 24歳】で間違いない。

 シーラはカウンター前にいるハンクに対して、まずはにこりと微笑んでみせた。それから彼女の視線が、こちらのほうに向く。

 

 そしてその瞬間――

 

「!」

 

 彼女が無言のままに見せた身体的反応に、コナーは違和感を覚えた。

 しかしそれに考えを巡らせるより先に、ハンクが丁寧にシーラに挨拶をしている。

 

「はじめまして、アンダーソンです。こっちはコナー。あなたが店主の……」

「シーラ・リュウです。こんにちは、刑事さんがた」

 

 違和感をもたらした反応は、すでに消え去っていた。とても落ち着いた声音で、シーラも礼儀正しく挨拶を返す。次いで、彼女はこう提案してきた。

 

「よろしければ、奥の事務所で。ここでは少し……お話もしづらいでしょうから」

「ああ、それはありがたい。お願いします」

 

 警部補の言葉を受けて、シーラはまたにこりと笑うと、バックヤードへ続く戸口の隣に立ってこちらを招いた。どうやらあの奥に、応接のためのスペースが設けてあるようだ。

 彼女をつれて来た店員のほうは、新しく入店してきた客の応対に回っている。

 

「……」

 

 戸口へと歩いていくハンクに従って移動しつつ、コナーはもう一度シーラをスキャンした。

 先ほどの奇妙な反応の正体を探りたかったのだが、わかったことといえば、彼女の鼓動が標準よりもやや早い(つまり軽度の緊張状態)という事実だけである。そして、自分の店に警察が来たとあれば、たいていの人間は多少緊張して当然だ。

 つまり今のシーラからは、怪しいところなどまったく見つからない。

 

 では、先ほど彼女が一瞬だけ見せた反応――激しい「興奮」は一体なんだったのだろう?

 こちらを見たあの刹那、シーラの血流は一時的に活発になり、交感神経系が活性化していた。それはラチェットが自分を見た時の「好奇心」とも違う、もっと強い感情を示していたのである。

 プログラムの診断結果では「極度の興奮状態」としかカテゴライズされないために、正体を探れないのだが――ひょっとしたらそれこそが、ラチェットが言っていた噂の真偽を確かめる手がかりなのかもしれないのに。

 

 どことなくもどかしい疑問を抱えたままではあるが、それでも今はまず、シーラから話を聞くべき時だ。勧められた応接用のソファに座ると(コナーも着座できたのだが)、低いテーブルを挟んで向かい側に腰かけたシーラは、単刀直入にこう切り出してきた。

 

「不審人物……のお話でしたね。あの、それでしたら実は」

 

 そこまで言って、彼女は俯き、口ごもるように押し黙った。そのまま6秒が経過してしまったので、ハンクがやや狼狽したような眼差しでこちらを見てくる。

 彼が年若い女性に対してあまり強く出られる性格ではないというのは、これまでの捜査でよく知っている――無論、今は強く出るべき場面でもないのだけれども。

 パートナーの代わりに、コナーはそっと促すようにシーラに声をかけた。

 

「お困りのことがあるなら、なんでも聞かせてください。もちろん、プライバシーには充分に配慮します」

 

 自分から話しかければ、あるいは先ほどの反応がまた見られるかとも思ったのだが、予測に反して彼女は「軽度の緊張状態」を保ったままだった。

 面を上げたシーラは、やがて意を決した様子で「それでは」と話を切り出す。

 

「実は私の店の従業員が、おかしなことをしている様子なのです。廃棄が決定した品を無断で売り捌いたり、麻薬……レッドアイスに手を出していたり、など」

「……!」

 

 探していた手がかりと、あまりにも合致した内容の証言。

 ではラチェットが語った噂はやはり真実で、しかしシーラ自身がそれに関わっているのではなく、すべては従業員の犯行だというのだろうか――?

 

 きっと内心で驚いているのは、ハンクも同じだろう。だが彼はいたって冷静に、シーラに対して言った。

 

「それならすぐに、デトロイト市警に相談してもらえれば」

「いいえ、それも考えたのですが……彼……その従業員は、父の代からこの店で働いてくれている人なんです。それに、証拠もありません。一度、様子がおかしいと思って私から話を聞いた時も、そんなことをするはずがない、と否定されてしまって」

 

 顔を俯け、膝の上に置いた両の手を拳にしながら、シーラはそう語った。

 要するに、確証のないうちから警察に通報して、事を荒立てたくはないのだろう。

 

「……お話はわかりました」

 

 警部補は、やはり冷静な態度を崩さずに告げる。

 

「では、その従業員の名前は? まさか、さっきのカウンターの」

「はっ、はい」

 

 今は閉ざされているバックヤードの扉を見やりつつ、シーラは言う。

 

「彼です……ベニー・シモンズ。その、このようなことは考えたくもないのですが……彼は一度、薬物関係で服役していて」

「そうなのか、コナー?」

「はい、警部補」

 

 素早くデータベースを同期させたコナーは、視界の端に表示されている情報と照らし合わせて、小さく首肯した。

 

「彼は違法薬物の所持および使用により、8年前と6年前に逮捕されています。二回目の逮捕後に懲役刑を受け、2年間服役していますね」

「その後、ベニーは父の店で働くようになり……今でも、真面目に働いてくださっていると思っていたのですが」

 

 シーラは暗い面持ちでそう言うと、また俯いてしまった。

 信頼している人物が、自分の目を盗んで悪事に手を染めているかもしれないとなれば、彼女の態度は当然といえる。

 

 しかし、不可解な点はある――

 店に入った直後、コナーはカウンターに立つ従業員、すなわちベニー・シモンズが、薬物による犯罪歴の持ち主であるのに気づいていた。参考にする・しないにかかわらず、出会った人物には基本的にフェイススキャンを実行するようにしているので、それはある種当然だといえる。

 

 しかしながらベニーからは、違法薬物を定期的に使用している人物の身体的特徴――例えば充血した目であるとか、落ち窪んだ印象を与える目の下のクマであるとか、そういったものが一切検出されなかったのだ。

 もしもシーラの発言が正しいのなら、ベニーがレッドアイスに手を出したのはつい最近のはずで、であるならばそうした痕跡が残っているはずだ。

 

 この不可解さを、今この場で【突きつける】か、【突きつけない】か。

 プログラム上に浮かぶ選択肢を無言のままに吟味したコナーは、結局、この場では突きつけないことを選んだ。

 

 先ほどの「興奮」も含めて、シーラには少し不審な点がある。理由が明らかになるまでは、こちらも何も気づいていないような態度をとっておいたほうがいいだろう。

 シーラの発言が事実ならばそれでよし、万が一彼女が何かを隠しているのなら、この段階で問い質して警戒されてしまうよりは、黙っているほうが捜査上の都合がいい。

 

 ――というようなことを数秒の間に考えているうちに、警部補がシーラに対し、取りなすように語りかけている。

 

「我々からベニーに、それとなく事情を聞いてみましょうか」

「それは……いえ、それは結構です」

 

 彼女は、下唇を噛むようにしながら訴える。

 

「勝手なことだとは理解していますが、まだ彼を疑いたくないのです……決定的な場面を見かけたら、その時こそ警察にご相談しますから」

「わかりました。では、今回はあくまでもお話を伺ったということで」

 

 ソファから立ち上がりつつ、ハンクが落ち着いた口調で語る。

 

「何かありましたら、すぐに連絡をください。連絡先はここに」

「あ、ありがとうございます」

 

 渡された警部補の名刺を受け取ったシーラは、ほっと微笑んだ。ストレスレベルが下がり、緊張状態も緩和している。

 

「今日ご相談できましたので、私も安心しました。本当に感謝します。……それに」

 

 と――シーラの双眸が、再びこちらに向けられる。

 それに合わせて、また彼女の交感神経系は、さっきと同じ程度に活性化していた。

 

「あの、SNSやニュースでも拝見していましたが……本当にコナーさんはすごい性能をお持ちなんですね。人物を見ただけで、詳細な分析ができるなんて」

 

 彼女の瞳は、きらきらと輝いていた。ラチェットと同様、アンドロイド工学を修めている立場としては、そうした機能がどれほど高度なものかわかるから――ということだろうか。

 

 ――なるほど。では先ほどの興奮状態も今と同じく、こちらの能力に対しての期待と評価の表れと考えるべきなのか? それにしても今日は特に、性能を褒めてもらえる日のように思う。

 そんなふうに考えつつも、コナーは穏やかに、恭しく目礼して返事した。

 

「捜査補佐を専門として造られたので。お力になれたのなら、幸いです」

「い、いえ、こちらこそ……不躾にすみません。展示会以外の場所でRシリーズとお会いできるなんて、思ってもみなかったものですから」

 

 はにかむようにそう言って、シーラは視線を逸らした。

 ――彼女の「興奮状態」は続いている。自分の存在が、シーラの抱えていた不安感を緩和するきっかけになれたのなら、それこそよかったと思うのだが――

 

 

「どう思う、コナー」

 

 店内で客の応対をしているベニーを横目にしながら店を辞した後、ユージーン通りを歩いていったん駐車場へと戻る道すがら、警部補がぼそりと聞いてきた。

 

「シーラが言ってたのが本当なら、ベニーがサイラスにヤクと調整器を売ったってので終わりだ。だがなんとなく、そう信じ切るのには抵抗がある。理由もクソもない、単なる勘だがな」

「同意します」

 

 端的に告げてから、ハンクに続きを語る。

 

「シーラの発言内容そのものが、おかしいというわけではない。しかしベニーからは、薬物使用の痕跡が見つかりませんでした。それに私を見た時の、彼女の身体的反応が気になっているんです」

「身体的……? なんだそりゃ」

 

 訝しむ警部補に、コナーはかいつまんで状況を説明した。

 

「……もし彼女が特殊なプロトタイプとしての私に対面して喜んでいただけなのだとしても、疑問が残ります。シーラの反応は、ラチェットのそれとは明らかに別のものでした」

「つまり、エンジニアとして“興奮”してただけだとは思えないって意味か?」

 

 ややあってから、ハンクは「ふうん」と唸ると、皮肉っぽく首を捻る。

 

「そりゃ、確かに少し妙だな。お前の間抜け面を気に入ったってんでもない限りは」

「恋愛的な感情なら、そうと分析できるはずです」

「冗談だよ、気にすんな」

 

 やや乱暴に言って、しかし目は真剣なまま、警部補は続けた。

 

「とりあえず、あの店をもう少し調べてみるべきだな。感づかれずに探りを入れるいい方法が、何かあるはずだ」

「やはり一度、車内で作戦を立てましょう。人目につきませんし、立ち聞きされる心配もない」

 

 話している間に、駐車場まで辿り着く。観光地とあってそれなりの広さ・大きさのものがそこかしこに点在しているのだが、警部補の車を停めているのはビルの中の立体駐車場である。

 

 車の近くにまでやって来て、ポケットの中の鍵をハンクが起動した――

 その時だ。

 

「兄さん?」

 

 音声プロセッサに届いたのは、淡々としていながらもほのかに驚きを帯びた、馴染みのある声。

 ――通信ではない、肉声だ。

 

「あっ」

 

 視線を巡らせて、すぐに気づく。

 対面に停まっている車のすぐ隣に立つ、二つの人影――

 ギャビンとナイナーだ。

 

 

***

 

――2039年7月16日 14:28

 

 

『なんだってハンクとペットの型落ちロボが、揃ってこんなとこにいやがんだよ』

「そりゃ、捜査のために決まってるだろ。場所が被っちまったのは、お気の毒だったようだがな」

『ケッ』

 

 警部補の車内に、明らかに不機嫌なギャビン・リード刑事の声が響く。

 今、コナーたちと彼らとは、端末の通話機能を介して会話しているのだ――車は向かい側に停まったままだというのに、わざわざ。

 「せっかく顔を合わせたんだし、どこかで茶でも飲んで打ち合わせするか?」というハンクの提案を、主にギャビンが却下したのが理由なのだが、それはともかく。

 

 思いがけない邂逅の後、なぜ弟たちがチャイナタウンに来ているかはすぐにわかった。

 ナイナーによれば、昨日張り込んでいた再開発地区の廃工場(麻薬中毒者の溜まり場だったらしいが)の捜査の結果、チャイナタウンの露店にて、レッドアイス・カクテルが売られているという情報を彼らは掴んだ。

 そこでさっそくその露店の正体を暴くために、リード刑事とナイナーはこのチャイナタウンへとやって来たのだ。まさかハンクとコナーまで来ているとは、彼らも気づいていなかったそうだが――

 

『リード刑事、アンダーソン警部補』

 

 平坦な抑揚で、弟が語る。

 

『兄さんからの情報を整理した結果、私たちの捜査目標も“リュウズ・ペットショップ”に該当すると判断します。共同での捜査の実施を提案します』

「そりゃあいい。俺たちも、何かいい手はないかと――」

『はぁあ!?』

 

 ハンクの言葉を遮って、さらに不機嫌そうなリード刑事の声が聞こえた。

 

『何が提案だ、勝手こいてんじゃねえぞポンコツ! 誰が好き好んで、あいつらなんかと』

「いいですか、リード刑事」

 

 落ち着いた声音で――ただし傍から見ればやや不愉快そうに眉間に皺を寄せながら、コナーは口を開いた。

 

「あなた個人の嗜好ではなく、捜査の進展を気にかけてください。再開発地区にまでレッドアイス・カクテルが広まっているとあれば、状況は相当に深刻です。一刻も早く事件を解決しなければならないのですから、あなたもプロとして」

『ハッ。備品のてめえに警察のプロの何がわかるんだよ。こりゃお笑い種だね!』

 

 わざとおどけた調子で言って、ゲラゲラとギャビンは笑ってみせる。

 まったく――なんてやりづらい人物なんだろう。

 

「そこまでだ、お前ら」

 

 少し厳しい声音で警部補が言うと、リード刑事は舌打ちして笑うのを止めた。

 

「ギャビン。とにかくお前だって、あの店を調べなきゃなんねえのは変わらないんだろ? だったら、調べてみりゃあいい……俺たちはそれを見て“応援”してるからよ」

「どういう意味です、警部補?」

 

 こちらが問いかければ、ハンクはニヤリと笑ってみせる。

 

「俺たちはついさっき、あの店に出向いてシーラと話したばっかだ。本当に従業員のベニーが犯人なら、俺たちがまた店の周りをうろつけば当然警戒するだろうな。だから今から出向くのは、面の割れてないギャビンがいい」

 

 ただし――と、彼は付け加えた。

 

「せっかくだ、隠し事があるならこっそり見せてもらおう。ま、ナイナーがよければ……だけどな」

『私、ですか?』

 

 弟の、僅かに戸惑ったような声が聞こえる。コナーも、そして恐らくギャビンもまた、警部補の真意がわからなかったのだが――どうやらハンクはしばらく黙している間に、捜査のアイデアを閃いていたらしい。

 

 そしてそれが良案だというのは、自分と弟だけでなく、不承不承ではあっても、リード刑事も提案に乗ったことから明らかなのだった。

 

 

***

 

――2039年7月16日 15:54

 

 

 リュウズ・ペットショップの自動ドアが開き、また新たな客が入ってくる。カウンター業務についているベニーは、ほぼ反射的に「いらっしゃいませ」を口にした――が、客はこちらが挨拶を言い終わるか終えないかくらいの時点で速足で前にやって来ると、どすんと重々しい音を立てて、両手で抱えていた荷物をカウンターに下ろす。

 

 鎮座しているのは、見慣れない一台のドローンだった。

 白と黒の二色で、三角形が組み合わさったような形の羽根には、よく見ると小さく「No.3 Cattleya」と印字されている。

 

「買い取り、やってんだろ」

 

 客の男性は、息を荒げながらも(ドローンが重かったのだろうか?)やや横柄な態度で、カウンターに寄り掛かるようにして問いかけてくる。地味な半袖のTシャツとデニムのズボンという、どこにでもいそうな出で立ちなのにどことなく威圧感を覚えるのは、鼻筋にある古い傷跡が“カタギでない感”を醸しだしているからかもしれない――

 

「おい、聞いてんのか? やってんだろ、中古店なんだからよ」

「はっ、はい」

 

 ベニーはこくこくと頷いた。

 

「や、やっております。あの、こちらのドローンを買い取りということで……?」

「そうだよ、見りゃわかんだろうが。さっさとしろ」

「かしこまりました……」

 

 内心で「やれやれ」とぼやきながら、ベニーは所定の手続きを始めた。こういう客はそんなに珍しくはないが、地味に精神的に疲れるから困る。そもそもこのドローン、市場に出回っている品ではないようだが、まさか盗品じゃないだろうな?

 

 客商売の基本として表情には出さずに、内心では訝しみつつも作業を進めるベニーは、知る由もない。

 今、電源を落とされているようにしか見えないそのドローンが、実は起動状態だということも――

 下部に設置されているカメラの向こうに、デトロイト市警の刑事たちがいるということも。

 

***

 

「へえ、よく見えるもんだな」

 

 車内の端末に同期された、ナイナーのドローン・カトレアからの映像を見ながら、警部補は感嘆の声をあげた。

 

「それに、ギャビンの奴もよくやってるじゃねえか。これくらい印象悪いほうが、逆に相手にもサツだって疑われずに済むだろ」

「このまま、何ごともなく進めばいいのですが」

 

 映像の中で『は? 盗品なわけねえだろうが。故障したわけでもないのに、保証書が必要だってのか』と、ベニー相手に凄んでいるギャビンの声を聞きながら、コナーはつい、そんな呟きを口にした。

 

 だがそれは置いても、警部補の今回の捜査計画は見事なものだ。

 電源OFFを偽装したカメラ起動状態のカトレアをリュウズ・ペットショップに“売却”し、内部から店の様子を観察するという、このアイデア。買い取られた品はまず店内の倉庫に行くだろうから、そこで待機して、証拠を掴むチャンスを待てばいい。

 

 特に閉店後の時間なら、ナイナーの遠隔操作で倉庫内を飛び、見て回ることだってできるようになる。正規の捜査手法ではないし、強引で邪道な方法だが、手持ちのカードを使って捜査を早期に進展させるには、今はこれがベストだろう。

 

「ありがとう、ナイナー」

 

 大切な仲間であるドローンの“売却”を承諾してくれた弟に、通信越しに礼を言った。

 

「事件が解決したら、きっとカトレアを買い戻すから……」

『問題は皆無です、兄さん』

 

 淡々と、向こうの車に座っているナイナーは語る。

 

『私自身とドローンたちの機能は、すべて市民の保護を目的としています。捜査の進展に寄与できるならば……カトレアも本望のはず、です』

「お前さんがサイバーライフにうるせえことを言われないうちに、さっさとなんとかしてやるからな」

 

 穏やかに警部補が言うのとほぼ同時に、カメラの向こうでは進展があったらしい。

 ベニーの声が聞こえてくる。

 

『……査定が終わりました。25ドルになります』

『は? 25?』

 

『……25ドル……』

 

 ギャビンだけでなく、どことなくショックを受けた様子で、ナイナーはぽつりと呟いた。

 

『ええと……状態も良好で傷もほとんどありませんが、保管用のケースや説明書がないのが問題ですね。それに市販品ではないようですので、どうしても査定金額はこれくらいに』

『チッ。まあいい、それで勘弁してやるよ』

 

 こちらとしては、とにかく売ることさえ成功すればいいのだから、金額は大した問題ではない。ないのだが――

 

『25ドル。カトレアの金額は25ドル……』

「ナイナー、気を落とさないで。別に価値を判断されたわけじゃないんだ」

『はい、申し訳ありません。それは理解している、のですが』

 

 いつにも増して低い声音で、ナイナーは語る。

 

『リード刑事が定期的に摂取する、ダイナーのロコモコセットが30ドル。カトレアを売却しても、当該メニューは注文不可能なのだと思考してしまいました』

「それは……」

 

 ――なんて言ってあげればいいのだろう。

 

「お前ら、画面を見ろ。動いてるぞ」

 

 警部補の言葉で、思考が現実に引き戻される。

 見ればカメラの向こうでは、ちょうどギャビンが店を出るところだった。彼が自動ドアを抜けて去っていくのと同時に、カウンターに残ったカトレアのカメラが拾ったのは、ベニーの嘆息と独り言である。

 

『やれやれ、最近はああいう客が多くて困る……』

 

 ぼやきながら、彼はカトレアを台車に載せてカウンターの裏へと運んだ。どうやら買い取った品は一度ここに保管し、店を閉める前に倉庫に運ぶらしい。

 つまり、目論見通りに動けるようになるのは恐らく夜になってからだ。

 それまでは、この位置から店内を監視できるが――

 

『カトレアからの映像の中継と同時に、店内の監視カメラとの同期を実行しています。異常があれば、即時お伝えします』

 

 気を取り直した様子で、ナイナーが静かに報告した。

 

「よし、頼むぞナイナー。状況が動くまでは、しばらく根競べだ」

 

 言うが早いか、警部補は頭の後ろで両手を組み、シートの背もたれにぐっと身を寄せた。

 彼の言う通り――ここは、しばらく待つしかないだろう。

 

 ほどなくして向かいの車にギャビンは無事に戻ってきて、それから先、6時間ほど――

 コナーたちは、駐車場から監視しながらの待機を続けた。

 そしてその間、リュウズ・ペットショップでは、特に何もおかしなことは起こらなかったのである。

 

 

***

 

――2039年7月16日 21:50

 

 

『お疲れ様でした、皆さん。明日もよろしくお願いします』

 

 姿は見えないながら、シーラの声が、映像の向こうから届く。

 そしてベニーを含めた従業員たちの挨拶の声が聞こえてきた後、天井の照明が順々に消えていった。つまり、今日の業務が終わったのだ。

 

「ようやくか。これで調べられるな」

「倉庫に運ばれる際にも、カトレアが不審がられなかったのは幸いでしたね」

 

 リュウズ・ペットショップでは、買い取った品を最終的に店長がチェックするという決まりがあるらしい。シーラはカトレアを興味深そうに眺めていたが、特に何をするでもなく、倉庫に運び込むことを許可していた。

 

 倉庫はバックヤードの隣のスペースに、それなりの広さのものが設えられている。スチール製の大きな棚に部品や機材といった商品が置かれているという単純な作りだが、遮蔽物が少ないぶん、こちらとしては都合がいい。

 

『……監視カメラの映像を確認。視認可能な範囲に、従業員およびシーラ・リュウの姿はありません』

『じゃ、とっとと探りを入れろよ』

 

 ギャビンの言葉を受けて――というわけでもないのだろうが――ナイナーはカトレアの遠隔操作を開始した。

 飛行機能を起動させ、プロペラを静かに回しながら、カトレアは棚から外に出る。映像で確認できるのは、ひたすら暗い室内の様子だ。両側には棚が並び、それが視界の届く範囲で、ずっと奥まで続いている。左側にかすかに白く明るい場所があるのは、非常口の灯りか。

 あるいは誰かが、実はまだ店に残っているのだろうか。

 

『おい、こんなに暗くて何があんのかわかるかよ』

『私の映像分析機能を同期させます。解析の結果、確認可能な事項をモニターに表示します』

 

 ナイナーが告げた約1秒後、言葉通りに、映像内に分析結果が表示された。つまり棚に置かれているパーツや機材の型番などの詳細が、一目でわかるようになったのである。

 

 とはいえ視認できる範囲では、特に怪しいものは存在しない。家事用アンドロイド向けの拡張パーツや、簡易的な修理用キット、猫型アンドロイド向けの玩具など――

 そこでカトレアはひとまず、左側の明るい場所に向かってゆっくりと移動することになった。棚に載っているものを一つずつ確認しながら、ドローンは無音で飛んでいく。

 

 ガラスケースの中でスリープ状態になっている、蛇型アンドロイド。

 ひと昔前のAシリーズ専用の脚部パーツ。

 未開封状態のブルーブラッドのパック――

 

 薄暗い倉庫内には、やはり、盗品や危険物などはないようだ。

 ここを調べても、何も出ないのか――?

 

 コナーのプログラム上にそんな疑念が浮かんだその時、カトレアのカメラにある物体が映り込んだ。

 

「これは……!」

 

 思わず軽く身を乗り出しつつ、驚きが口を衝いて出る。

 

「どうした」

 

 戸惑う警部補に、端末の画面の左端に映っているアンドロイドの【左腕のパーツ #6754p】を指しながら説明する。

 

「このパーツは、レイモンドの左腕と一致しています! 覚えていますか、警部補。レーヴァングランドで、アシュトンとの賭けに敗れてしまったAP700ですよ」

 

 今年の5月27日、ハンクと共に潜入した違法カジノの捜査中、コナーはレイモンドという名のアンドロイドや、彼と同じような変異体たちを救っている。

 彼らの多くは、金銭の代わりに賭けた己のパーツや生体部品、あるいはメモリーそのものを奪われており――レイモンドの場合は、助け出せた時点で既に、右脚と左腕を失っていた。

 

 さらに、そうして奪われたパーツや、データを初期化されたアンドロイドなどが、「狩場」あるいは「A」と呼ばれる場所に送り出されてしまったのも確認できている。

 そのうち「狩場」と呼ばれていたスカーレットオアシスの捜査は、既に完了した。

 だが「A」が一体何を指すのかは、未だ謎のままだった。

 

 もしかすると――ここが、その「A」なのだろうか?

 

 変異体としての感情、そして捜査補佐専門アンドロイドとしてのプログラムがもたらす反応が、胸の中で複雑に絡み合って膨らんでいくのを感じる。核心に至れるかもしれないという「期待」と、冷静でいなければという理性的な判断だ。

 

 一方で警部補は、腕組みして画面を睨みつつ言った。

 

「レイモンドのことは、もちろん覚えてるが……これがあいつの左腕だとなぜわかる?」

「彼は正規の手段ではなく、幾人かの力で引きちぎられるようにして、パーツを失いました」

 

 メモリー内に残る、当時見た映像――出し物の一環として、無残に腕をむしり取られてしまうレイモンドの姿を再生しつつ、コナーは語る。

 

「その時の傷口の形状は、はっきりと記憶しています。当時目撃した断面と、この左腕パーツの断面の形状は、98%一致している」

『兄さんに同意します』

 

 それまで黙っていたナイナーも、おもむろに述べた。

 

『当該左腕は、AP700レイモンドから奪取されたものと判断可能です。また、右奥2.6メートル先に安置されている右脚パーツ』

 

 ゆるゆると飛んだカトレアが、ナイナーが言った通りの場所にやって来て、滞空する。

 そこには【右脚のパーツ #6751k】が置かれていた。

 

『ジェリコが保存した被害状況のデータベースを照合した結果、当該右脚も、レイモンドの傷口と形状が一致していると確認しました。レーヴァングランドとリュウズ・ペットショップの間には、明白になんらかの連関が存在します』

『おい、だったらラクなもんじゃねえか』

 

 どことなく浮かれ調子のギャビンの声が聞こえてきた。

 

『動かぬ証拠がこんだけ上がってんだ、明日には店の連中をしょっぴけるだろ。とっ捕まえて、とことん話を聞いてやればいい。簡単なもんだ』

「ああ、そうだな」

 

 険しい面持ちのままではあるが、ハンクもそれに同意する。

 

「手続きもある、今すぐってわけにはいかないが……釣果は上々ってとこだな」

「そうですね」

 

 ――まさか、こんな形で捜査が進展するとは思ってもみなかった。

 しかし早期に決着がつけられるのなら、それが一番だ。

 

 そう思ったコナーは、ほっと「安堵」の感情が沸くのを認識し――

 しかしそれとほぼ同時に、カメラの向こうの異音を察知した。

 

 それは、何かそれなりの重さのものが、幾度も床を叩くような音。

 しかも分析によれば、その音の主は徐々にこちらから離れるように移動している。

 

「ナイナー!」

『移動させます』

 

 音が聞こえたかどうか確認するまでもなく、弟はカトレアを直行させた。

 音の主の現在地は、先ほどの白いぼんやりとした灯が見える場所。近づいてみればそれは、外の廊下に通じる戸口だった。消灯したはずの店の中、なぜかこの廊下には監視カメラもなく、明かりが点いている――

 

 そしてカトレアのカメラが床のほうを向いたその時、コナーは、そして隣で様子を見ているハンクも、同時に目を見開いた。

 

 床の上に見えたのは、アンドロイドの腕だった。

 ほふく前進するような形で、ゆっくりと外の戸口へ這い出ようとしているアンドロイドの腕。形状からして、恐らくは成人男性の外見のアンドロイドのものだと思われるが――

 

 カメラを引かせ、全身を映そうとしたその瞬間。

 映像が、唐突にぶつんとブラックアウトした。

 

「なっ……!」

『おい、どうなってんだポンコツ!』

『申し訳ありません。通信が途絶しました』

 

 僅かに動揺を含んだ声音で、ナイナーが言った。

 

『状況から見て、なんらかのトラブルが発生したものと思われます。……操作の再開、通信の再接続、共に不可能です』

「こいつは参ったな……」

 

 苦虫を噛み潰したような面持ちで、ハンクが唸った。

 

「闇カジノの品が出たと思ったら、アンドロイドまで……ありゃあどう見ても、逃げようとしてる動きだった」

「あの状況ではカトレアだけでなく、先ほどの映像のアンドロイドにも危険が迫っているかもしれません」

 

 居ても立ってもいられず、コナーは警部補に具申した。

 

「私は今からあの店に行き、彼を救出してきます! ご許可いただけますよね」

「なんだと」

 

 警部補は口の端を引き攣らせ、また苦い顔をする。

 

「お前、明らかにヤバい場所に丸腰で行くってのか? それなら俺も」

「警部補はここで応援を要請してください。こうしている間にも、事態が悪化しているかもしれない……私なら、店のセキュリティも迅速に突破できます」

 

 これから中に入るために、正規の手段を取っていてはどうしても時間がかかる。

 それより先に緊急の手段として自分が急行して、せめてあのアンドロイドだけでも助け出せれば――

 

 必死な思いでそう告げるのだが、ハンクはなかなか首を縦に振ってくれない。

 さらに説得を重ねようと口を開きかけたところで、端末の向こうからナイナーの声が届いた。

 

『では、私も同行します。私と兄さんの二人で、緊急避難行為としての強行的捜査を実施します』

「……」

 

 警部補は一瞬だけ両目を閉じた。そして開くと同時に、こう問いかけた。

 

「お前はそれでいいか、ギャビン」

『へ、当然。アンドロイドがどうなろうと知ったこっちゃないが、周りを固める人間は必要だろ』

 

 要するに、犯人の逃亡に備えて周囲を警戒する役を所望するということらしい。

 

 それを聞いて納得したのか、警部補は直後、コナーとナイナーに許可を下した。

 人気の少なくなったチャイナタウンの道路を、二人のアンドロイド刑事が疾走する。

 数分後、辿り着いたリュウズ・ペットショップの周りには――今は、誰もいなかった。

 

 







続きは、12月25日(金)の朝8時に投稿されます!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。