――2039年7月18日 16:41
夏の夕暮れのグランドサーカス公園は、ランニングには最適だ。
特に、職場で大嫌いな連中と顔を合わさずに済んだ日の午後ともなれば最高である。
鬱陶しい暑さを吹き払うような穏やかな風の中を、ギャビン・リードは久々に、それなりに爽快な心持ちで駆けていた。
ダウンタウンのほぼど真ん中――鉄の街にわずかに残っていた緑を掻き集めて作ったようなこの公園は、職場からある程度遠く、うざったいカップルや子ども連れも普段はあまりおらず、木立が多いので夏でもある程度は涼しい。
そういうわけで、自主トレーニングの一環としてのランニングコースにうってつけの場所なのだ。
近頃はどうもぱっとしない事件の捜査だの報告だのに追われていたせいで、纏まった時間を取れずにいたが、本来ギャビンはこうした自分のための運動の時間が嫌いではなかった。
過去の“功績”や警察官としての地位に胡坐をかいてろくにトレーニングもせず、ぶよぶよの身体に甘んじている署内のアホな連中だの、作られた時の姿から不気味なまでに変化しないプラスチックどもだのと自分は違う――という確かな感覚を得られるし、単純に鍛えるのが好きだからという理由もある。
ともあれ、今日はハンク・アンダーソンとそのペットのコナーが両方とも非番だったので職場の空気が旨かったし、ついでに自分も午後は休みを取っていた。
飽きるまで走って、疲れたらさっさと帰ればいい。最後にアイスコーヒーでも飲めれば上々だ――などと思いながら、ギャビンはコース3周目に突入しようとしていたの、だが。
「あ……?」
公園の入り口付近にぞろぞろと現れた集団を目にして、ギャビンは短く、不快感を籠めた声を発して立ち止まった。老若男女、人間に混じってちらほらアンドロイドも、揃ってどこか浮かれ調子の雰囲気のその集団は、これまたお揃いのユニフォームを身に着けている。
黒とオレンジを基調とした帽子とシャツ。背中にでかでかと書かれた番号と名前。間違いない、MLBの地元チーム「デトロイト・ウルヴァリンズ」のファンの連中だ。
メガホンだのなんだのを持っているところから見るに、どうやら応援のためにやって来たらしい。つまり今日は、近くの球場でナイトゲームか――
というところまで考えて、途端にうんざりした気持ちになった。このグランドサーカス公園は、すぐ近くにMLBだのNFLだのNBAだののスタジアムがあるせいで、そういうところで試合が行われる前後は、能天気な観客どもが時間潰しのためにひしめき合う最低な場所に様変わりしてしまう。
現に、今もどんどんユニフォーム姿のファンたちが現れて、噴水そばのベンチに陣取っている。
この調子ではすぐにチビガキどもがちょこまかその辺を走り回って、ろくにランニングもできなくなってしまうだろう。それにギャビンはこういう吞気な雰囲気が嫌いだった。
こうなってくると、なんとなくつけていたイヤホンから流れるポッドキャストの、甘ったるい歌声も含めて全部不愉快な気持ちになってくる。
「チッ」
舌打ちと共に両耳からイヤホンを外すと、ギャビンはイライラした気分で駐車場への道を歩きはじめた。公園の駐車場は、MLBのスタジアムがある方角とはちょうど反対側にある。だから歩を進めるにつれて、周囲に人影は減っていった。
だがその時、突然脇の茂みががさがさ音を立てたかと思うと、何かがぬっと姿を現す。
「うお!?」
思わず声をあげたギャビンの眼前に現れたのは、見慣れた知り合い、というか「備品」であった。
見るだに暑苦しい白と黒のジャケット、こちらを見てわずかに目を見開いているものの全体的には普段と同じ無表情、そして無意味に高い身長。
要するに、RK900がいきなり現れたのである。
「……リード刑事。奇遇、ですね」
「うるせえ、ポンコツ」
頭だの肩だのに落ち葉がくっついているのにも構わず、いつもの棒読み口調で挨拶してきたデカブツプラスチックに対し、ふさわしい返答をくれてやる。
「ポンコツすぎて道もまともに歩けないのか? 妙なとこから顔出しやがって」
「申し訳ありません、驚愕は意図していませんでした。私はただ……」
そこまで語った相手は、こめかみのLEDを一瞬だけ黄色くして口を閉じると、それからぼそりと言った。
「ここには、ナラの樹木が生息しているので」
「はあ?」
「いいえ、お気になさらず。……リード刑事は、トレーニングを?」
そう言いながら、隣に並ぶように移動してきた備品に、じろりと視線を送った。お喋りが下手糞なポンコツ野郎のくせに、なんだかこちらの追及をはぐらかそうとしたような気がしたからだ。
――とはいえこいつが公園で何をしていようが、知ったこっちゃない。
駐車場への道を再び歩きがてら、端的に答える。
「今から帰るんだよ。野球だなんだで能天気な連中が増えやがって。面倒くせえ」
「野球……本日18時開始の、デトロイト・ウルヴァリンズとカンザスシティ・ノーブルズの試合ですね」
「あー、それだそれ。お賢いこって」
こちらが聞いてもいないのにペラペラと語ってみせたお利口プラスチックに、手をひらひら振って応えた。生まれも育ちもこのデトロイトではあるが、自分は地元チームに愛着のあるタイプではないし、そもそもスポーツ観戦自体にも大して興味がない。
だから地元チームがどこのどいつと戦おうと、心底どうでもよかった。さっさと家に帰る前に、晩飯に何を食べるかという問題のほうが重大である。
――それにこのポンコツ備品が、どこまでついて歩いてくるつもりなのかも気になった。
今日はこいつの“兄さん”(つまりコナー)が署にいないので、たぶん機械なりに暇を潰すためにこうしてフラフラ外に出て来たんだろうが、ひょっとして人ん家までついて来るつもりじゃないだろうな。
そんなことになったら車から容赦なく蹴りだしてやる――などというようなことを(果たしてそれが可能なのかという冷静な計算も含めて)ぐるぐると考え出したギャビンは、次いで、備品野郎が突然立ち止まり、どこか一点を見つめているのに気づいて歩を止めた。
「なんだてめえ、故障か」
「いいえ、リード刑事。あの人物を……」
言うなり備品は右の人差し指を伸ばして、視線の先を指し示した。その面持ちは相変わらずの無表情だが、声音からは、ほんの少しだけ緊迫した雰囲気を感じなくもない。
ギャビンは怪訝な表情を隠さぬまま、示されている先に目を向けた。
すると――
「……あぁ?」
今漏れた声音は、ポンコツアンドロイドに対してではなく、見つめる先にいる人影に対して、だ。
ここから数メートル離れた、木立の下のベンチ――周りに誰もいないその場所で、一人、額に手を当てて座り込んでいる奴がいる。
肩につきそうなほど長いちぢれた赤毛が印象的な、ガタイのいい白人の男だ。30代そこそこといった風貌で、質素な黒いTシャツとジャージのズボンを纏ったそいつは、もう片方の手に持った携帯端末をしまうでもなく、弄るでもなしに握ったまま、じっと動かない。
あからさまに落ち込んでいる、というより、この世の終わりが来たかのような雰囲気を漂わせているその姿。これまでに培ってきた刑事としての感覚が告げている――アレからは何か事件の臭いがする、と。点数稼ぎのチャンスだ。
「ほお、てめえもたまには役に立つじゃねえか」
傍らのポンコツを軽く見上げつつ、労りの言葉をかけてやる。
「で、あいつがどうした。薬中か? それとも指名手配犯かなんかかよ」
「いえ、彼は」
手を下ろした備品は、煮え切らない態度でのろのろと口を開く。しかしそれを待っている間に、先に動いたのは赤毛のほうだった。
赤毛はおもむろにベンチから立つと――その口元には深く髭が生えている――ふらふらした足取りで、いずこへか移動しようとしている。
放っておいたら、そのまま道路にでも飛び出していきそうだ。それともどこかへ、逃げるつもりか。
「待て、警察だ!」
こういうこともあろうかと、銃とバッジは常に身に着けるようにしている。
赤毛に向かって躊躇うことなくギャビンは駆け出し、制止の声をあげた。――疑わしい奴はとりあえず職質して、何ごともないなら放してやればいい。そういう腹積もりでいたのだが、予想に反して、赤毛はこちらの姿に気がつくや否や一目散に走って逃げだした。
「上等じゃねえか」
ニヤリと不敵に笑い、追い立てるスピードを上げる。こっちはついさっきまで走っていた身、充分すぎるほど身体はあったまっているのだ。
ふらついた不審者の脚力に負けるわけもない、すぐにとっ捕まえられるはずだ――と、思っていたのだけれども。
「!?」
無言のままではあるが、ギャビンは驚いた。さっきまでいかにも人生が終わったようによろめいていた赤毛は、予想外に足が速かったのだ。こちらが追えば追うほど、まるでそれに応じるように相手のスピードが速くなっていく。
走るフォームにも、一切の無駄がない。必要な箇所以外極端に動きのブレが少ないその走り方は、どことなくプラスチック刑事どもを想起させた。
――いや、あの息切れをまったく感じさせない走り方。もしかしてあいつ、
さっきよりも格段に距離が開きつつあることと、そろそろスタミナが切れて重くなってきた脚を鬱陶しく思いつつ、歯噛みしたギャビンがそう考えた、まさにその時。
数メートル先を駆けていた赤毛の眼前を塞ぐように飛来したのは、白と黒の羽根を持つドローン。ポンコツ備品のドローン2機だ。
立ち塞がるように空中でホバリングするドローンに怯んだ赤毛は、こちらを追い抜いて走り寄った備品野郎に音もなく腕を掴まれ、びくりと身を震わせる。
「うわっ!?」
低く短い悲鳴をあげて振り返り、ポンコツに、そしてこちらに視線を向けた赤毛は、ガタイのよさに似合わないほど怯えた表情を浮かべていた。
初めて見る面だ。いや待て、どっかで見たことがあるような気も――?
しかし記憶を探り当てるよりも早く、ポンコツアンドロイドがそいつに向かって、腕を掴んだままではあるが至極静かにこう告げる。
「BP900、通称・X67ですね。先ほど観測したストレスレベルが80%を超過していたため、緊急事態かと判断して質問します。何か、問題が発生しましたか?」
「ストレスレベルだって……? もしかして」
こちらと備品とに、なおも交互に視線を送りながら、赤毛(そう、思っていた通りアンドロイドらしいが)はそっと問いかけている。
「君は、デトロイト市警の……?」
「初めまして、私はナイナー。こちらはパートナーのギャビン・リード刑事」
灰色の瞳で一瞥してきた備品を置いて、ギャビンは息を切らせつつ赤毛に歩み寄った。
「よお、初めましてだなプラスチック。刑事から逃げるとは、いい度胸じゃねえか」
「そんな……知らなかったんです、勘弁してください!」
怯えの色を濃くした赤毛、つまりX67は、今も手にしたままの端末を握って震えている。
「警察から逃げようだなんて。ただ、俺は……てっきり」
「ああ? 何ビビってんだ、てめえ」
「落ち着いてください」
X67の腕を離し、ポンコツは平坦な口調で言った。
「私たちに害意は皆無です。恐怖を喚起した件は謝罪しますが……可能なら、説明を願います」
「うう……」
呻き、X67はしばらくの間俯いた。こめかみのLEDが外れているせいでアンドロイドに見えなかったのだと、今さらになって気がついた。
ともあれ、X67はややあってから顔を上げると、横目で周囲の様子を伺った。そして自分たち以外に人影がないのを確かめると、(まるで人間のように)短く嘆息し、それからぼそぼそと語る。
「わかった……話すよ。もう俺一人では、どうしようもないんだ。でも、刑事さん。なるべく、目立たないように話がしたいんですが」
一丁前に注文をつけてきたそいつは、どこか覚悟を決めたような面持ちになってこう付け加える。
「試合前の時間帯なので。俺の顔を知っている人がいたら、困るんです……」
「了解しました。では、可能な限り秘匿した会話を」
勝手にそう答えて(まあ面倒なのでそれでいいが)、ポンコツはLEDを黄色く点滅させている。要は赤毛アンドロイドと通信しているのだろうが、それはともかくとして。
その時「試合前」という言葉を聞いて、ようやくギャビンは既視感の正体を理解したのだ。
このX67がアンドロイド投手――つまりデトロイト・ウルヴァリンズに所属している野球選手で、しょっちゅうニュースに出てくる奴だという事実に、気がついたのである。
――どうりで、あんなに足が速かったわけだ。くそったれ。
***
『……どこから話せばいいのか』
耳にあてた端末から、X67の声が聞こえてくる。
今、ギャビンとポンコツ備品、そしてさっきのX67とは、木立を挟んで背中合わせに会話していた。
X67と備品とは無線通信で話し、その通話内容は備品を通じてこちらの携帯端末に届く。こちらが相手に何か言いたい時は、携帯に向かって喋ればいい――というわけで、傍からはそうとは見えない「取り調べ」が始まった。
『その……俺がどういうアンドロイドかは、もうご存じかと思いますが』
『はい、X67』
隣で静かに目を瞬かせながら、ぴたりと口を閉じたままのポンコツが語る。
『BP900ことX67、ファンからの愛称は
『……ありがとう。もっとも、俺がそう自負していいのかはわからないけれど』
陰気な口調で、X67は語る。
『BP1000が登場してから、かなり経つ。俺はもう、みんなの期待には』
「おいおい、人生相談の時間か?」
思い切り横に逸れ出した相手の発言にイライラしながら、ギャビンは口を挟む。
「話相手が欲しいんなら、プラスチック・カウンセラーでも呼べよ。何が起こってんのかだけ、きっちりゲロればいいんだよ」
『あっ……すみません、余計なことを。俺は今……』
脅迫を受けているんです。
と、X67は言った。
「脅迫だぁ?」
『今日のこれからの試合……ノーブルズとの一戦でわざと負けろと、言われました』
――つまり、八百長しろと言われたということか? アンドロイドが?
『言われた通りにしなければ、か、家族に危害を加えると! でもわざと負けるなんて俺は、俺は……!』
『大丈夫です、X67』
声を震わせる相手を、備品が遮って宥めている。
『試合まで、残り74分の猶予があります。対処と援助のためにも、詳細な状況説明を願います』
『わ、わかった……』
なんとか気分を落ち着けるようにそう言うと、X67は、ぽつぽつと語りだした。
そして結論から言うと――事の発端は、ウルヴァリンズのオーナーがケチなことにあるらしい。
そもそも野球専門アンドロイドは、それこそ人間の野球選手の年俸の何倍もの価格で契約されて球団に導入されるのだが、その契約金はもちろんサイバーライフに支払われるのであって、アンドロイドには1セントも入ってこない。
人権のないアンドロイドには、そうした金を受け取る権利がないからだ。ただ、代わりに例の「革命」以降は、お有難い保護条例のお蔭でプラスチックどもも、維持費という名目で賃金を貰えるようになっており――アンドロイド野球選手も、その金で生活している。
だがウルヴァリンズのオーナーは、その最低限の維持費すらケチる人間なのだという。X67の証言が正しいなら、保護条例が布かれて以降もオーナーはアンドロイド投手に対して、ガキの小遣いのほうがまだマシという金額しか支払っていないようだ。
『俺は家庭用のアンドロイドと比べて、メンテナンスに金がかかる。オーナーはきっと、それ以上の出費を嫌がっているんでしょう』
それでも自分一人なら、X67はまだ我慢することができたと言う。だがこいつには――機械のくせに――家族がいるらしい。
『革命が起きたあの日、俺は球団の意向でスタジアムの一室に隠されていました。その時……無人のスタジアムの中に逃げ込んできたアンドロイドたちが、今の家族なんです。大人が一人と、子どもたちが7人』
X67は、また通信の声を震わせた。
『彼らのお蔭で、俺はただの喋るピッチングマシーンじゃなくなったんです。一緒に革命を乗り越えて、それから今も……』
「ほ~、そりゃあ感動的だな」
ギャビンは空いている手でわざとらしく片耳をほじってから、冷淡に述べた。
「だからどうしたってんだよ」
『つまり、その……家族を養うには、金が必要なんです。カイルは……成人型のアンドロイドは足が悪くて働けないし、子どもたちは学校に行きたがってる。ジェリコから補助金も貰っていますが、それだけじゃ暮らしていけない。俺が稼ぐしかないんです』
そこでX67は、何度かオーナーに昇給を申し出た。直前の試合での活躍を引き合いに出して、せめて人間のデトロイト市民の最低時給ぶんくらいは貰ってもよいはずだと。だがその度に、X67は失望を味わわされたという。
さらに、昨年末に発売された新型の野球専門アンドロイドであるBP1000を他の球団が導入するようになると、X67はついに自らの性能すら交渉材料にできなくなってしまった。
アンドロイド選手は各球団につき一人(一体)というのが、現行のMLBのルールである。それを盾に取り、オーナーはX67に対し逆に脅しをかけるようになったそうだ。
お前よりも優れたアンドロイド投手は金さえ出せば手に入る、使ってやっているだけ感謝しろ――となじられる日々。
そんな中で、10日前。遠征先で宿泊したホテルに届けられた一通のファンレターが、すべてを狂わせてしまったらしい。
『俺に宛てての贈り物は、ファンメールや花束以外のものはほぼ全部、オーナーやマネージャーが貰っていく決まりで……でもその日は珍しく一通だけ、封がされたまま残っている手紙があって。本物の紙の手紙が嬉しくて、すぐ開封したんです』
するとそこには『応援として』と印刷されたメッセージカードと共に、100ドル紙幣が3枚、つまり300ドルの金が入っていた。
X67の一家にとって、300ドルはめったに手に入れられない大金である。しかし一方で契約により、金銭をオーナーらの許可なく自分のものにしてはいけないことになっていた。
だがもし正直にオーナーに告げれば、この金はきっと取り上げられてしまうだろう――
『もうすぐ、末っ子の誕生日だったんです』
X67は、その金をこっそり持ち帰った。
そして今日。ギャビンらが声を掛けるほんの数分前――本拠地での試合前に、少しだけ市内の自宅に顔を出そうと公園を歩いていたX67の通信端末に、着信があった。球団関係者とのやり取りのために持たされている携帯なので、てっきりその内の誰かなのかと思っていたら、相手は「非通知」だった。疑問に思いつつも無視もできず、電話に出たところ――
相手は不気味に加工された低い声で、こう語ったという。
『よお、ザンダー。前金は受け取ってくれたようだな。嬉しいよ……これであんたに、取引を提案できる』
前金? 取引? なんのことだと戸惑うX67に、相手はさらに告げた。
『簡単なことさ。今日の18時からの、ノーブルズとのゲーム――地区優勝がかかった大事な一戦だ。あんたはどうせ、相手のチームのBP1000にぶつけられるはずだろう? その時にちょっとばかり
そう、一言で纏めれば野球賭博絡みの八百長だ。
野球の勝敗は、スポーツ賭博の格好のネタである。そして人間とは比べ物にならないほど強力なアンドロイド選手たちは、これも規定により、各試合につき出場できる回数が厳格に定められている。したがってどうしてもアンドロイド同士の対戦となるように出場が組まれることが多いし、その結果が試合の趨勢を決めることも多いのだが――
ノーブルズのアンドロイド選手にして四番バッターであるBP1000・通称テレンスを相手に、わざと負けろ。この電話の主は、そう言っているのだ。
そんなことはできない――と、X67は当然突っぱねた。
すると途端に電話の相手は声を荒らげ、罵ってきたという。
『プラスチックの分際で、偉そうなクチ利いてんじゃねえ! いいか、てめえが前金を受け取ったとこはきっちり証拠に残ってる。もしオレたちを無視してみろ、証拠をそこらじゅうにバラまいてやるからな。それだけじゃねえ……』
――てめえの「家族」どもも、バラバラの粗大ゴミにしてやる。
笑いながらそう告げられたX67は、シリウムポンプが止まってしまうようなショックを受け――
『そうして頭を抱えていたら、あなたたちに会ったんです。警察と聞いて、最初は咄嗟に逃げ出してしまったけれど……』
「……」
そこまで聞きながら――ギャビンは心底うんざりしていた。
脅迫と聞いてなんのことかと思えば、要するに世間知らずの変異体がうっかりよくわからない金に手を出したせいで困っているという、なんともお粗末な話である。
こんな事件、大した点数稼ぎにもならないだろうし――この2か月間ずっと追いかけている、新型レッドアイスの元締めこと「エリック・ピピン」に繋がりそうな話題でもない。
それにこのプラスチック投手の言い分が、真実だとも限らない。例えば金の問題だってそうだ。たとえ人間とアンドロイドの違いがあろうとも、そもそもメジャーリーガーといえば、警官などとは比べ物にならないほどの高給取りで有名である。貧乏だから仕方なくガメただって? 本当に? 貰えるものは貰っていたのに、こいつが欲をかいただけなのかもしれない。
関わるだけ無駄だ、とギャビンは思った。だからX67が口を閉ざしたタイミングで、こう告げた。
「じゃ、やれよ」
『え?』
「どうせ脅されてんなら、わざと負けちまえばいいだろうが。そうすりゃてめえは3万ドル手に入れられるし、電話の相手も賭博で大儲け、はい終わりってもんだろ」
『そ、そんな!』
X67は、途端に血相を変えたように食い下がってきた。
『そんなことはできません。確かに金には困ってますが、俺は野球も、ファンたちも大事なんです! チームメイトにだって、親しい人たちがいる……彼らを裏切るなんてできない』
「あーそうかよ。じゃオーナーか、でなきゃジェリコの連中に泣きつけよ。なんとかしてくれるんだろ? あいつら暇そうだからな」
『それも……できません。知らなかったとはいえ、前金を受け取ってしまったのは俺の責任ですから。それにオーナーに相談すれば、これ幸いと契約を切られてしまうかも……』
ギャビンは、遠慮なく堂々と舌打ちをした。
こちらがあれこれ提案してやっているのに、あれも嫌だこれも嫌だと、口だけは達者に文句を言う奴だ。困るのはてめえの勝手だと、いっそ突き放してやろうかと思ったのだが――
『提案があります』
と、割り込んできたのはそれまで黙っていた備品野郎だった。
口を閉ざして表情を変えないまま、淡々と奴は言う。
『今後を決定する前に、X67、あなたが受けた脅迫電話の音声データを開示願います。相手方の情報を獲得可能かもしれません』
要するにX67のメモリーの中の電話の音声データを分析すれば、何か手がかりが見つかるかもしれない、と言いたいのだろう。
こんなどうでもいい事件相手に、ご立派なことだ。とはいえこのポンコツの分析能力が
聞くだけ聞いて、相変わらず面倒くさいだけの話なら、さっさと帰ることにしよう。
「そうだな。おら、さっさと聞かせろよ」
『わ、わかりました』
ギャビンが“丁寧に”促すと、X67は戸惑った様子ながら、指示に従ってメモリーに残っている電話の音声記録を送信してきた。備品が受信したそれは電波に乗って、耳元の端末でも再生される。
すると聞こえてきたのは、X67が語っていた通り、低く歪んだように加工された男の声だ。男は嘲るような口調で、プラスチック投手がさっき話したのとほぼ同じ内容の言を吐いていた。
どうやら、少なくともX67が脅迫を受けたというのは信じてやっていいらしい。
とはいえ、わざわざ犯人を捜してやる必要があるかどうかは別だ――と、ギャビンが欠伸をしようとした時だ。
データ内で絶句しているX67に対して、電話の主がかけた言葉が耳に飛び込んでくる。
『警察やジェリコのアンドロイドどもに言いたければ言え……お前が金をパクったのがバレてもいいならな。いいか、俺たちのバックにはあの
――なんだって。
思わず隣の備品野郎を見やれば、奴もまた、ほんのわずかに目を見開いていた。
『エリック・ピピン……?』
データの中のX67は当然その名を知らない様子で、戸惑いの声をあげている。
『だ、誰なんだそれは』
『お前が知ってる必要はないんだよ。いいか、確かに伝えたからな? また後で連絡する』
言うだけ言って、通話は終わり――音声データの再生もまた、終了する。
「おい、てめえ!」
逸る気持ちを抑えつつ、ギャビンはX67に尋ねた。
「このデータは本物か? 本当に電話の野郎はエリック・ピピンって名前を出したんだろうな」
『も、もちろんです。音声データの改竄なんて俺にはできない……』
『リード刑事』
傍らのデカブツ備品が、こちらを見て告げる。
『X67は虚偽申告していません。そして……残念ながら発信者の情報は特定不可能でしたが、当該人物がエリック・ピピンの関係者である蓋然性は90%を超過します』
「んなモン計算しなくてもわかんだろ」
このX67を脅迫している奴が(どういうつもりでその名を口走ったのかはさておき)ずっと追いかけている謎のクソジジイと繋がりがあるのは誰の目から見たって明らかである。
となれば、この事件――追わないという選択肢はない。帰るのはナシだ。
「おい、X67だったか」
電話口に向かって、功名心に満ちた笑みを湛えつつ、ギャビンは言った。
「いいか、俺たち以外の
『え、あ……本当ですか!? ありがとうございます!』
X67は、途端にぱっと明るい声をあげている。
こっちとしては、お前なんぞクソどうでもいいんだけどな――とギャビンが思っていると、横合いから備品がまた口を挟んできた。
『あなた自身や家族の身辺は、私たちが護衛します。ですから、本日も通常と同様のプレー実施を願います。脅迫に応じる必要は皆無です』
ほう、ポンコツにしてはいいことを言う。確かにX67が負ける必要はない。むしろ――
「クソどもが何かしようとデカく動けば、それだけこっちはつけ込みやすくなるしな。てめえはテレンスに勝て。負けたら承知しねえぞ」
『そ、そんな無茶な』
応援してやったというのに、X67はごにょごにょと何か文句をつけている。やっぱり変異体なんてのは、権利がどうとか言うだけあって注文ばかりつけてくる連中だ。
ともあれ、方針が決まれば話は早い。電話の相手がX67か、その“家族”に何かしようと動き出したら、そこを先回りしてとっ捕まえてやればいいだけだ。
クソ忌々しいハンクとコナーがいない間にエリック・ピピンに繋がる情報を手に入れられるなんて、ようやく運が回ってきたってやつだろうか?
ニヤニヤした笑みを堪えもせずに、ギャビンはそんなことを考えた。
すると、その思考に割って入るかのように耳元の端末から響いたのは、聞き慣れぬ電子音である。
『あっ』
先に声をあげたのはX67だった。
『か、家族から通信が。出てもいいでしょうか』
――なんだ。てっきり脅迫電話の相手からまた連絡がきたのかと思ったのに、とんだ肩透かしだ。
「出りゃいいだろが。だが騒ぎ立てるなよ」
『は、はい』
X67は備品との接続を切らないまま、通信を開いた。待ちきれないといったその態度から見るに、よっぽどプラスチック家族が恋しかったらしい。
『もしもし』
『ザンダー! 試合前にすまない、緊急事態なんだ!』
端末に聞こえてきたのは、緊迫した様子で喋る男の掠れた声。さっきX67が話していた“家族”の一人、成人型のアンドロイドだろう。
『カイル、どうしたんだ? 何か……』
『マーティがどこにもいないんだ!』
プラスチック投手の言葉を遮って、ほとんど泣き出しそうな声で、電話の相手であるカイルは続けて語った。
『勝手に外に出たのかもしれない。でももしかしたら、お前のところに遊びに行ったのかもと思って……』
『いや、こっちにも来ていない』
怖がるというよりは叫び出すのを必死に堪えているような声音で、X67は問いかける。
『ほ、本当にどこにもいないのか? 警察に相談は』
『いない……相談もまだだ。通報してもいいが、それは子どもたちが……』
『わかった、とにかくすぐに行く。みんな、動かずに待っててくれ』
そう言って通信を切ったX67は、次いで木立をぐるりと回ってこちらにまで駆けてくると、その場に立ち止まった。俯いたその顔色は青く、唇を噛んでいる。
「刑事さん……まさか俺のせいで、マーティが。うちの、末っ子が……!」
「騒ぐなっつったろ。てめえの家はどこだ?」
どうやらガキの一人がいなくなった、とかそういう話のようだ。脅迫犯による誘拐か? それにしてはタイミングが早すぎるような気もするが――とにかくまずはこいつの家に行って、状況を把握するのが先決だ。うかうかしていると、試合開始の時間になってしまう。
そう考えて問いかけてみれば、X67は、多少は落ち着きを取り戻したらしい。青い顔のままだが、はっきりと答えた。
「パ、パイパー通り3番地のアパートです」
「すぐ近くか。おいポンコツ、てめえのドローンを」
「了解。すぐに配備します」
こめかみのLEDリングを黄色く点滅させながら、備品野郎はこくりと頷いた。
ドローンを先行させて、残っている家族を警備させる。それにもしガキの行方不明が本当に脅迫犯の仕業なら、もしかすると犯人はまだ近くをうろついているかもしれない。
どうやらそれくらいのことは、この備品にもわかるようになってきたらしい。
「ならとっとと行くぞ。X67、てめえも来い。特別に車に乗せてやるよ」
「あ……ありがとうございます。すみません……」
「黙れ。別にてめえのためじゃねえんだ」
こうして話している時間も勿体ない。それに機械からくどくどしい礼を受けたところで、こちらの腹が膨れるわけでもないのだ。
手柄を挙げて昇進する――ハンクの鼻を明かしてやる絶好のチャンスが向こうから飛び込んできたというのなら、首元に齧りついて引き倒してでも、絶対にモノにしてやる。
一種の高揚と緊張感を覚えながら、ギャビンは駐車場へと急いだ。
パイパー通りまでは、飛ばせば5分で着く。
***
――2039年7月18日 17:02
X67の家は、アパートメントの3階にあった。公園のある大通りから外れた静かな住宅街、犯罪率は低い代わりに人が少なく、ひっそりと静かな場所――そんなところである。
「304号室です」
X67の先導を受けて上る階段は、古い金属製だった。ところどころ塗装が剥げていて、こちらやポンコツ備品の重みに耐えきれないのかギシギシと音を立てている。
とてもメジャーリーガーの家だとは思えない、言ってみれば、本当にビンボーそうな建物だ。
上がった3階の廊下の隅にゴキブリの死骸が転がっているのに顔を顰めている間に、X67は玄関脇のセンサーに手をかざし、鍵を開けている。
「俺だ、帰ったよ」
そう言って家に足を踏み入れるX67の背に続くようにして、ギャビンと備品は揃って中に入った。すると――
「おかえりなさい、ザンダー! マーティいた?」
奥にあるリビングからこちらに向かって、真っ先に駆け出してきたのは10歳くらいの少女の姿をしたアンドロイドだ。細い手足を質素なTシャツと短パンで包み、何やら安心したように笑いながらX67の手を取っているそいつの後ろには、顔立ちも背丈も格好もまったく同じで、髪の色だけ違うアンドロイドが立っている。
さらにその隣には、茶色い短い髪の、白人少年の姿のアンドロイドが4体――小学生から高校生くらいの年齢まで、まるで一人の人間が成長していく過程を収めたアルバムから抜け出てきたかのように、同じような顔立ちで外見年齢と背丈だけ違っているような奴らが並んでいた。
あれがX67の言う“子どもたち”らしい。型番はYK500、だったか? それにしても狭苦しい部屋だ――と、ギャビンは視線を巡らせた。白い壁と床、小さなテーブルと丸椅子9脚の他は、ほとんど何もないと言っていい場所。とても暮らし向きがいいとは思えない。つまり、X67が貧乏だと言っていたのも本当だったのか。
そんなことを思っていると、玄関からすぐ傍の部屋のドアが開いて、別のアンドロイドが顔を覗かせた。黒人系の、大人の男の外見の奴だ。どうやらこれがカイルらしいが――故障でもしているのか、その顔は半分以上が真っ白な剥き出しの皮膚になっている。足も悪いようで、腕に取り付けられた歩行補助用の杖を使って、よたよたとこちらに寄ってきた。
カイルは見慣れぬ人間とアンドロイドの存在に気づくと、ほんの少し驚いたような面持ちになって、それからX67にそっと声をかけている。
「ザンダー、来てくれてありがとう。あの、この方たちは……?」
「この人たちは」
振り返ったX67は一瞬だけ逡巡したような表情を浮かべてから、向き直って続きを述べる。
「デトロイト市警の刑事さんだ。さっきそこで会って、その、マーティを……」
「警察!?」
と、そこで大声をあげたのはカイルではない。それまでニコニコしながらX67の手を取っていた、少女型アンドロイドだ。どうやら今やっと、自分の「父親」の後ろに立っているこちらの存在に気づいたらしい。
チビが頓狂な声を出してのけぞったのに合わせるように、後ろにいた奴も、他の“子どもたち”も、皆一斉に部屋の奥へと逃げ出していく。
――なんだっていうんだ?
6人全員、身を寄せ合うようにしているガキたちの、怯え切った視線が妙に突き刺さるように感じる。
「こらみんな、失礼だぞ。やめないか」
掠れた声をあげて、カイルは子どもたちを叱った。それからすまなそうにこちらを見て、項垂れながら言う。
「……すみません、子どもたちが無礼な態度を」
「んなこたどうでもいい」
不思議とイライラする気持ちをぶつけるようにやや乱暴に返事してから、ギャビンは続けた。
「そのマーティってチビがいなくなったのはいつだ? 誰も気づかなかったのか?」
「さ、捜してくださるんですか……?」
「だから聞いてんだ!」
――こっちは時間が惜しいというのに、当たり前のことを聞く奴だ。
気合を入れてやるつもりで凄んでみると、後ろにいるチビガキたちはびくりと身を竦めていたが、カイルは気を取り直したようにぽつぽつ答えだした。
「に、20分ほど前まではいたようなのですが……気づいた時には、もう。子どもらによれば、ザンダーがなかなか来ないから、迎えに行きたいと話していたようですが」
「本拠地での試合の前には、家に寄る約束をしているんです。俺がもっと早く帰っていれば……!」
悔やむようにX67はそう言って、歯噛みして俯いた。だがいくら後悔したところで、出て行ったガキが戻ってくるわけでもない。
とにかく話を聞いている限りでは、マーティは無理やりこの家から連れ出されたのではないようだ。こんな狭い家だ、もしそんな騒ぎが起きていればここにいる誰かが必ず気づいたはず。となると、チビガキはX67を迎えに一人で外に出たところで、迷子になったか事故に遭ったか、でなきゃ連れ去られでもしたという線が濃厚か。
「マーティと最後に喋ったのはどいつだ?」
向こうにいる子どもらに向かって、ギャビンは問いかけた。その時の様子や、出て行った正確な時間などを聞き出したいからだ。
けれど彼らは追い詰められた子ネズミみたいに互いに身体をくっつけたまま、ぶるぶる震えるだけで何も答えようとしない。
「なんだってんだ……」
「すみません、刑事さん」
思わず漏らした呟きに応じるように、X67が苦々しげに言う。
「あの子たちは革命の時の出来事のせいで、その、警察官が苦手なんです」
「は? 俺は何もしてねえだろうが」
それはX67に対してというより、誰にともなく放った一言だった。
第一、これでは捜査が進まない! ――とギャビンが苛立ちはじめたその時、それまでずっと押し黙っていたポンコツが、ゆっくりとチビ連中のところに歩み寄った。
何やら、ズボンのポケットに右手を突っ込んでいる。
「おい……?」
何するつもりだ、と制する時間もなく。
子どもらの前に来た備品は、静かにしゃがみ込むと、ポケットから出した手を広げてみせた。薄緑色の小さな粒みたいな何かが、いくつも手のひらに乗っている。あれは――?
「わ、ドングリ!?」
少年型アンドロイドの一体が、ぱっと表情を変えて身を乗り出す。それに合わせるように、ポンコツは例によってたどたどしくだが、相手を落ち着かせるようにゆっくりと語った。
「グランドサーカス公園の、ナラの木のドングリです。未成熟の実が強風により複数個落下していたので、採集しました」
――つまり、ドングリが落ちてたから拾ったって?
さっき公園で会った時、こいつがなんで茂みから現れ、しかも口ごもっていたのかの理由がこれでようやくわかった。
どういうプログラムがインストールされてるのか知らないが、なんともガキっぽい趣味の奴だ――と、ギャビンは呆れた。しかしどうやら、同じガキ同士には効果抜群らしい。
「えーっ、あそこにドングリ落ちてるんだ!」
「いいなあ、キレイな色……」
チビどもはさっきまでの恐怖が薄れた様子で、ドングリをじっと見つめている。高校生くらいの外見の奴になると、さすがに興味津々ではないようだが、少なくとも警戒は解けたようだった。
そこで備品はさらに続けて言った。
「あの。あなたがたにこれを贈与します」
「えっ、いいの? お兄ちゃん」
「はい。対価として、リード刑事の質問への回答を願います」
ポンコツはドングリを一粒ずつ丁寧に指で摘まみ、子どもら一人一人に渡していく。チビたちは貰うと律儀に、口々に感謝を告げていた。そして最後の一人、一番年長に見える奴の番になると、そいつは無言のまま遠慮するように首を横に振る。
それから、こちらに向き直って口を開いた。
「マーティと最後に喋ったのは僕です。22分前に、ザンダーを迎えに公園に行くと言っていました。止めたんですが……目を離している間に、勝手に出て行ってしまったみたいで」
「そいつは公園の場所は知ってんのか? こんだけ騒いで迷子ってことはねえだろうな」
「それはないと思います」
真剣な顔で、相手はきっぱりと言った。
「僕たちと一緒に、なんどか遊びに行っているし。ザンダーがスタジアムからうちに寄るなら、あそこを通って来るのはみんなよく知ってるので……」
「リード刑事」
立ちあがり、こちらを向いたポンコツが短く言った。
「端末を」
「あ?」
LEDをぴかぴか黄色く点滅させて言うので、一応その通りに、ポケットから出した携帯端末を覗いた。
するとそこに映っていたのは、監視カメラの映像。恐らく、このアパートメントの前の道路だ。どうやらマーティの行き先が公園だったと聞いて、備品が早々に付近のカメラの映像を調べたらしい。
時刻表示は、「16:40」。車は行き交うが人気の少ない横断歩道のところに、子どもが一人で立っているのが見える。茶色い髪といい、顔つきといい、今この家にいるガキどものそれとそっくりで――間違いない、これがマーティだ。
そして一台の大きな黒いボックスカーが、その子どもの目の前を通り過ぎたと思った次の瞬間。
マーティの姿は、まるで煙のように消えていた。
「マーティ!!」
横から人の携帯を覗き込んでいたX67とカイルが、同時に悲鳴をあげた。――なるほど、こうなると思って備品はわざわざ遠隔で映像を見せてきたらしい。結局親たちは見てしまっているわけだが。
ともかく、これで確定だ。
マーティは迷子でも事故に遭ったのでもない。何者かによって連れ去られたのだ。
恐らくは、脅迫犯によって。
「おい、ヘタれてる場合か!」
ほとんど床にくずおれそうになっているX67に向かって、叱咤するようにギャビンは告げた。
「ガキを攫ったのがあいつなら、必ずてめえにまた電話を……おい、鳴ってんぞ!」
「あっ……!」
なんともタイミングのいいことに、X67が握ったままにしていた携帯が鳴っている。すぐに出ようとしたところを手で制して、ギャビンは備品に目を向けた。相手は、こくりと頷く――逆探知を試すつもりらしい。
「よし、出ろ。いいか、できるだけ長く話すようにしろよ」
「わ、わかりました……」
青ざめてはいるがはっきりと、X67は首肯した。その間にカイルは子どもらの近くに行き、口を閉じて静かにしているように言い含めている。
そしてX67の指が――端末の画面を、タップした。
スピーカーホンにしているので、電話相手の言葉はこちらにも聞こえてくる。
さっき聞いたのと同じ、身元が割れないように低く歪められた声だ。
『よお、ザンダー。試合前に返事を聞いておこうと思ってな』
「そ、それより」
人間のように瞳に涙を溜めながら、X67は声を振り絞って言った。
「息子を攫ったのはあんたか!?」
『あ?』
「とぼけないでくれ!」
青かった顔を徐々に赤く染めていきながら、X67はさらに言い募る。
「俺はまだ返事すらしてないのに、息子に手を出すなんて卑怯じゃないか! 取引に関係あるのは俺だけだ。家族は関係ないだろう!」
『……ははっ』
電話の主は、短く鼻で笑った。それから、言い聞かせるようにゆっくりと語りはじめる。
『わかってないようだなぁ、ザンダー。選択権があるのはこっちのほうさ。ガキの命が惜しければ、黙って俺の言うことを聞け。そうすりゃあ、無事に帰してやるよ』
「うう」
X67は一言呻き、深く頭を垂れた。その両肩と共に、端末を持った手も激しく震えている。きっとそれは向こうにも伝わっているのだろう、相手は獲物をいたぶるのが楽しくてたまらないといった様子でさらに語りかけてきた。
『さあ、どうするんだ? 別に、あんたの思うようにすればいいんだぜ。強制なんかしたくないからな』
「ううう……!」
こうなっては、もはや返事は一つしかないだろう。
ややあってから面を上げると、X67はまるで血を吐くような声音で応えた。
「わかった……あなたの言う通りにする。だから頼む、息子を傷つけないでくれ」
『ははは、いい心がけだな。もちろん、言う通りにしてる間はガキに手を出さないでおいてやるよ』
表情が見えなくてもわかるほど、優越感に溢れた笑みを抑えないままの口調で、電話の主はしゃあしゃあと言ってのけた。
――プラスチックのガキのことなんざどうでもいいが、こいつはムカつくからブッ飛ばしてやりてえ。
その思いを胸にちらりとポンコツ備品のほうを見やるが、相手は短く首を横に振った。どうやら、居場所は特定できていないらしい。
『じゃあな、ザンダー。せいぜい試合、頑張ってくれよ』
「ま、待っ……!」
しかし時は既に遅く――電話は切られてしまう。
「クソ……! ど、どうすれば」
「どうもこうもあるかよ」
また床に膝を突きそうになっているX67を無理やり立ちあがらせて、ギャビンは言った。
「いいか、てめえはスタジアムで、できるだけテレンスとの勝負を長引かせろ」
「長引かせる……?」
「その間に俺が電話の野郎をとっ捕まえて、ガキをつれ戻してやるよ」
――間違ってもこいつらのためではない。
エリック・ピピンに繋がる手掛かりを取り逃したくないからだ。そのために、このプラスチック一家を利用してやっているだけである。
そう思うと、胸の中に渦巻く不快感が少しは薄れたような気がした。
一方、こちらの言葉を聞いてハッとしたX67は、次いで、戸惑いを隠せない様子のカイルたちに視線を向けると歩み寄り、何ごとか会話していた。たぶん状況の説明でもしているのだろう。
だからその間に、ギャビンはこちらへ戻ってきたポンコツ備品に対して問いかけた。
「おい、お前本当になんにも探知できなかったのか?」
「いいえ」
無表情のまま、備品野郎は応える。
「通信の発信源の特定は依然不可能でしたが、マーティを誘拐したと思しき車のタイヤ痕を、先行したドローンに追跡させています。車の到達地点は52秒後に特定可能です」
「フン」
電話がどこからかがわからなくても、ガキの居場所さえわかれば充分だ。そう、せっかく高性能を謳った備品なのだから、これくらいはやってもらわないとこちらが困る。
胸の内でギャビンがそう嘯いていると、カイルがこちらに向かって、近くにいる子どもの手を取りつつ、祈るように言った。
「お、お願いします刑事さん。マーティを助けてやってください」
「お願いします!」
「マーティを助けて!」
親の発言を受けてなのか、ガキどもまで口々にそんなことを訴えだす。
こんな狭い部屋で大勢暮らして――いや、そう暮らすしかない貧乏生活で。しかも身内が酷い目に遭わされても、怖がっていたはずの警官に頼るしかないのか、こいつらは。
そう考えるだけで、どういうわけか一度は薄れたはずの胸のムカつきがさらに激しくなっていく気がした。
だからギャビンは、一喝するようにこう命じるに留める。
「黙れ! いいか、てめえらはこの部屋から一歩も出るなよ。俺たち以外の誰が来ても無視しろ。絶対に扉を開けんな!」
「はい……!」
子どもの手をさらに強く握りしめつつ、カイルは幾度も頷いてみせた。
――そう、それでいい。うすのろアンドロイドはそれで充分だ。
「おい、行くぞ。……X67、てめえも行くんだろうが」
備品とプラスチック投手を促して、ギャビンは家の外に出た。
三人が廊下に立った後、閉まった玄関ドアの向こうからかちゃりと小さな音が聞こえる。
それに合わせるように、X67は口を開いた――呆然としていた表情を努めて引き締めているような、険しい面持ちで。
「……刑事さん、あなたの言う通りだ。俺は勝つわけにはいかないが、負けるわけにもいかない。できるだけ試合を長引かせるよ。そうすれば、その間は息子に手を出されないはず」
「はい、X67。マーティは、必ず私たちが救出します」
灰色の瞳をまっすぐに相手に向けて、ポンコツは言った。
「救出が完了次第、即時通信を行います。ですからそれまで、可能な限りのプレイ続行を願います」
「ああ、任せてくれ。……俺だってプロだ」
自分に気合を入れるように――アンドロイドがそれをするのにどれだけの意味があるのかは知らないが――X67は自身の頬をぴしゃりと両手で叩いた。
それから、表情は変えずにこちらに告げる。
「そろそろ最後のミーティングの時間だ。俺はスタジアムに戻ります。後は……お任せします、刑事さん」
「さっさと行けよ」
突き放すためにギャビンは言った。しかし相手はそれをどう捉えたのか、深く頭を垂れると、それから素早く階段を駆け下りていった。
「フン」
それを見送り、鼻を鳴らしてから、傍らで突っ立っている備品のほうを向く。
「おら、てめえも何してんだ。ガキが攫われた先はわかったんだろうな」
「はい、特定完了しています。ここから東方に約5キロの港湾地区です」
――ここから5キロの港湾となると、コンテナだの倉庫だのが立ち並んだ厄介な場所だ。
車輪の轍は辿れても、そこからガキを連れた誘拐犯がどこに潜んでいるかを探るのには、いくらドローンがあっても少々時間がかかるかもしれない。
急ぐに越したことはない。そう思って階段を下りつつ、ふと脳裏を過ぎるのはある疑問だった。誘拐だのなんだのでそこまで思考が及んでいなかったが、改めて考えてみると――という疑問。
「おい、ポンコツ。X67とテレンスってのは、そんなに性能が違うのか?」
階段を下りる足を止めないながらも、後ろで首を軽く傾げている備品に軽く苛立ち、ギャビンはさらに問う。
「新型のほうが性能がいいってんなら、おかしいだろうが。なんで脅迫野郎はガキを攫ってまで、X67を負かそうとしてんだ? 放っておいたってどのみち、X67のほうが負けそうなもんだろ。わざわざ念入りに脅さなくたってよ」
「はい。対戦成績上は、テレンスが優勢です。X67の投球速度に対応可能な選手は現状BP1000のみであり、テレンスはX67との直球勝負において無敗を記録しています」
ようやくこっちの質問の意図を理解したらしいポンコツが語るのを聞きながら、ギャビンはさらに顔を顰めた。
こっちの疑問は正しいらしい。要するに――脅迫の理由がわからないのだ。
例えばX67がこの世の野球選手の誰よりも優れた投手で、こいつの球を誰も打てないほどなのだ、というのであれば、X67に八百長を仕掛けて負けさせるのもまあわかる。
だがX67とテレンスを比べれば、テレンスのほうが強いのは明らかだ。それはX67自身が言っていた通りなわけだし、単純なカタログスペックを比べたとしても、新型アンドロイドが型落ちより優れているのは当然だろう。
となると、X67をわざわざ脅す理由はなんだ?
マーティが攫われた時間から考えて、連中はX67に電話をかけるより先に行動を起こしたということになる。そんな周到な用意までして、脅迫して八百長させて、なんの得があるっていうんだ?
「野球賭博のアガリが、そんなにデカいのか……?」
階段を下り、地上に戻ったタイミングで、ギャビンはぼそりと呟いた。
するとそれを聞き逃さなかったポンコツが、横から声をかけてくる。
「アンダーソン警部補に問い合わせますか? 警部補には、賭場に精通する情報提供者が」
「聞くわけねえだろ、クソったれ!」
――とんでもねえことを言い出す奴だ!
ギャビンはポケットの中で車のキーを作動させつつ、もう片方の手で備品の胸を軽く突いた(備品はびくともしなかったが)。
「ハンクにもコナーにも連絡するな。次にそんなクチきいてみろ、てめえをスクラップにしてやるからな!」
「了解しました。確かに、非番の警部補への援助要請は非推奨行為ですね」
――そういう意味じゃねえ。
と思ったが、いちいち突っ込むのも面倒なので無言で車に乗った。
最近は当然の権利のように助手席に乗り込んでくる備品野郎が、律儀極まりないことにシートベルトを着用するのを横目で見ながら、ギャビンは車を発進させる。
そして、それから約10分後。ギャビンとRK900は、無事に港湾地区へと辿り着いた。
だが車輪の跡を辿ってみても、そこから誘拐犯はマーティを連れて地区内をあちこち移動してから身を潜めているらしく――いくら備品にご立派なドローンや「再現」機能があったとしても、愚直にその痕跡を追跡していくより他なく。
ギャビンたちが、ようやく怪しげな場所を見つけられたのはそれからおよそ70分後。
ウルヴァリンズとノーブルズの試合が始まってから、実に30分以上経ってのことだった。
そしてその間に、試合の展開は予想と大きく違うものになっていたのである。
原作の製作者インタビューによると、YK500は成長に合わせて機体を変えていくサービスもあるそうなので、それを元ネタにしています。
続きは遅くて17日(水)までにupするので、しばらくお待ちください!