――2039年7月18日 18:32
日はまだ沈まずに、西の空にしつこく残っていた。
この港湾地区のあちこちに並ぶ倉庫の周囲には、馬鹿でかいコンテナがいくつも積み置かれて、迷路のように道を形成している。お蔭でギャビンとRK900は、身を隠しながらここまで来れた。
そんな通路の陰から、頭だけ覗かせたギャビンは内心で毒づく。
――あの倉庫か?
いや、もうあからさまにあそこしかないだろ。クソったれ。
視界には、白い外壁も屋根もところどころ塗装が剥げた、ややみすぼらしい倉庫があった。そしてその周囲に点々と立つ、ご丁寧に銃火器を装備した人相の悪い連中の姿も。
あれではあの倉庫の中に“何かあります”と宣伝しているようなものだ。備品に辿らせた痕跡から見ても、攫われたアンドロイドのガキ・マーティは、そして脅迫犯どもは、確実にあの中にいるはず。
だが潜入の策を練る前に、確認しなければならないことがある。
「おい」
コンテナの陰から視線は前方に向けたまま、傍らのアンドロイドにギャビンは小声で問いかけた。
「試合はどうなってる? X67の奴、もう負けちまってないだろうな」
もしX67がテレンス相手に早々に敗退してしまっていたら――つまりテレンスにヒットを打たれるとか、ホームランをかっ飛ばされるなどして脅迫犯の狙い通りの展開になっていたとしたら、こちらの苦労が水の泡である。
用事が済んだらあいつらはとっととどこかに逃げはじめるかもしれず、散り散りになられでもすれば一網打尽にするのは難しい。署の応援を呼んでこの辺りを封鎖させ、包囲するにしても時間がかかるし、もし人質のガキを盾に取られれば後が厄介だ。
連中が自分たちの目的が果たされるかどうかをヤキモキしながら待っている、この間隙を突いて侵入し――ガキを回収した後、倉庫の連中を叩きのめすのが一番ラクな方法である。だからこそ、現状は把握しておかねばならない。
そう思って尋ねたところ、ポンコツ備品はLEDリングを数秒間点滅させた後、おもむろに言う。
「……2回の表。X67は現在、テレンスに対して投球を実行中です。指名打者として出場したテレンスに対し、ウルヴァリンズは切り札としてX67を登板させた模様」
チッ、と舌打ちが漏れる。思っていたよりも試合展開が早い。なら今すぐにでも行動を起こすべきか――?
だが次に備品野郎が口にした内容に、ギャビンは眉を顰めた。
「現在、X67は16球目を投球。テレンスは2ストライク、13ファールの状況です」
「は?」
「……今、ファールが14に到達しました」
14ファール? 野球にはさして詳しいほうではないが、その数字がおかしいというのは理解できた。
ファールというのは、要するに、打者が打った球がフェアグラウンドに入らずに、ファールグラウンドまで飛んでいってしまった状態だ。もっと簡単に言えば、球が飛んでいくには飛んでいったが適切なエリアに入っていないので、ゲームが進行せずにいつまでも投手と打者が勝負をしているという状況である。それが14球もの間、ずっと続いているだって?
確かにX67は、「できるだけ試合を長引かせる」と言っていた。それは事実、果たされているわけだが――こんなのが偶然であるはずはない。しかしわざとファールボールばかり打たせるなんて芸当、実際できるもんなのだろうか? アンドロイド投手ならば、ひょっとしてボールに何か特殊な回転をかけたりして、打球を強制的にファールにできるとか?
「いや、無理だろ。相手は新型のアンドロイドだぞ」
思わず自分の考えに自分で突っ込んでしまうと、備品は何やらこくりと頷いてみせた。
「リード刑事の懸念は妥当です。X67が野球専門アンドロイドである点を加味しても、BP1000相手にファールのみを誘発させる行為は不可能と判断します」
「じゃあなんなんだよ。この状況はよ」
「……適切な説明かは不明ですが」
一丁前に前置きをしてから、ポンコツは淡々と語った。
「打者には、不利な投球に対し故意にバッティングを実行し、ファールボールを誘発させるカットという戦術が存在します。テレンスがX67に協力し、試合の遅延行為を実行中だと仮定すれば、現状の説明が可能です」
「……カワイソーな子どもを救うために変異体同士、チームの枠を超えて協力してますってか? なるほど、そいつはサイコーだね」
嘯きながらも、心の片隅で考えた。――まあ、それなら筋が通ってはいる。
さっき公園で備品がやってみせたように、アンドロイド同士というのは声に出さなくても、通信で互いに意思疎通ができる。X67が打席に立ったテレンスに通信して自分の状況を説明し、協力してもらっているのかもしれない。変異体どもは、仲間意識だけはご立派だからな。
だが、そう考えるにしても胸の内に引っかかるものはある。
X67はさっき、野球自体もファンも、チームメイトのことも自分は大切に思っている――などとのたまっていた。そんな奴が、いくら同じ変異体の選手だからといって、敵チームの四番打者に助けを乞うだろうか? 別れ際の口ぶりでは、自分の才覚だけで状況をコントロールしようとしていたように思えたのだが。
「……15ファールに到達しました」
淡々と数えるポンコツ備品の声で、我に返る。
――そうだ、機械どもの考えなんて、どうせいくら考えたって理解できるはずがない。
言葉通りに試合を長引かせているのなら、それでよし。
こっちはこっちの
気分を切り替え、ギャビンは倉庫周辺の様子を改めて注意深く探った。
ポンコツのドローン(結局3機をX67の家族のもとに残し、ここには5機連れてきている)が上空から集めてきた情報を見ても、倉庫の周りの警備はそれなりに厳重で、隙を突いて倉庫に入るというのはやや難しそうだ。ガキ一匹、というか一台を人質にしているだけなのに随分な心配性だ――とも思うが、それだけデカい賭場なのかもしれない。
「……」
無言のまま、さらに考える。
発想を変える必要があるかもしれない。こっそり中に入るのが難しいなら、例えば、
もし都合のいい奴が警備に立っていれば――と再度視線を巡らせたギャビンは、ややあってから、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
銃火器を持っているとはいえ、相手は所詮ごろつきやチンピラだ。訓練された軍人のように、皆が皆規律のある動きができるわけではない。
ほら今も一人、欠伸をしながら、ふらりと警備の輪から外れてこちらへ歩いてくる奴がいる。さらに都合のいいことに、そいつは目深にパーカーのフードを被っていて、背格好が自分とほぼ同じだった。
笑みは自然と、さらに濃くなる。
――よし、あいつを使おう。
こちらが銃を構えたのを見て取ったポンコツが、無表情ながらどこか不思議そうに、小首を傾げて問いかけてきた。
「リード刑事、立案が完了しましたか?」
「プラスチック刑事が突っ立ってる間にな」
皮肉ってやったのに鼻白むでもなく――まあ当然か――灰色の瞳をぱちぱち瞬いているだけの備品に、さらに言ってやる。
「こっちはランニングの後、着替える暇もなくこんなとこまで来てんだ。そろそろ服を取り換えねえとな」
事件さえなけりゃ、こんな汗みずくの格好のままで駆けずり回る必要もなかった。そのぶんの落とし前は、今もこちらに向かってきているあのアホにつけてもらうとしよう。
物陰で小便でもするつもりなのか、気の抜けきった顔をしているそいつの背後に回り込むのは、造作もないことだった。
素早く拳銃のグリップの底で頭を殴れば、チンピラは無言のまま、うつ伏せに昏倒する。
――こうなれば、後は話が早い。
「おいポンコツ、ぼさっとしてんじゃねえ」
気絶したままの相手のパーカーを剥ぎ取りながら、ギャビンは鋭く備品に告げる。
「てめえにも山ほど仕事があんだよ」
「はい、リード刑事」
短く頷き、ポンコツ備品は言う。
「実行可能な命令であれば、なんなりと」
「フン」
口だけ達者でも、行動が伴わなければ意味がない。
実際、作戦には備品としてのこいつの機能が必要不可欠なのだから。
チンピラの着ていたパーカーを羽織ると(やはりそれはサイズぴったりだった)、ギャビンはプラスチック刑事にいくつか命令を下した。
そうして、準備を整えたおよそ3分後――作戦が実行される。
***
倉庫内は、一種異様な空気に包まれていた。
本来の持ち主の会社が倒産して以来、とり壊されるでもなく残っていた空き倉庫は、今はいかにも堅気ではない人間たちがうろつく無法の空間と化している。
拳銃だの小銃だのの銃火器を構えた男たちが警備を固める中央で、簡素なパイプ椅子に座っているのは、背広を纏った初老の男。彼が睨みつけているのは、手にしている携帯端末。そしてその画面に映るのは、今やMLB史を塗り替える状況となった、ウルヴァリンズ対ノーブルズの試合の様子であった。
男が片耳だけ嵌めているイヤホンからは、興奮を抑えきれないアナウンサーの実況が聞こえている。
『――中継をご覧の皆さま、球場を包むこの熱気が果たして伝わりますでしょうか。ザンダー対テレンスの勝負は既に開始から17分32秒を超過、ザンダーは1打席24球超えというメジャー史上最多記録を打ち立てております。今はベンチ陣のみならず両チームのファンが、固唾を吞んで試合展開を見守っています……』
ファールばかり打つテレンスの姿に、当初はノーブルズ側のファンから怒号と罵声があがった。だがファールが10球を超えた頃からそうした声は徐々に聞こえなくなっていき、ザンダーの投球数が22を超え、MLBの記録更新となった時にはむしろ歓声があがった。
アンドロイド同士のこの勝負、何か特別な事件が起きている。そんな感覚を、スタジアムにいるすべての人間が感じ取ったのだろう。
そして当然、この背広の男にとっては、こんな状況が望ましいはずもない。
クソプラスチックときたら、機械の分際で、こちらの「提案」に無様に抵抗してきているのだ。痛い目に遭わせてやりたいのはやまやまだが、今スタジアムにいるそいつを、直接脅して痛めつけることはできない。
だから今は――と、男は視線を端末から外し、背後を見やった。
大型の動物を入れるような無骨な檻の中に、倒れ伏している子どもがいる。否、子どものような形をした機械が一台入っているのだ。ただの家電製品なら叩き壊してもこちらの手が痛むだけでつまらないが、アレは感情があるなどと言われていて、要するに殴られると悲鳴をあげる。
憂さ晴らしにはちょうどいい。
男は傍らに立つ護衛に命じて、檻の中のガキをここまで連れて来させようとした。
だが彼が口を開くより先に、嵌めているイヤホンから聞こえてきたのは外部よりの通信――つまり、外の警備からの連絡だった。
『……ボス。報告です』
「アンバーか。どうした」
この特徴的な喋り方とダミ声は、間違いなく見知った部下の一人のものだ。
そう判断した男は、“アンバー”が語る言葉に耳を傾ける。
『怪しい奴を捕まえました。銃で脅して、大人しくさせてます。どうしますか』
「どんな野郎だ。サツか? なぜ
『はあ、警察ではあるようなんですが……どうやらアンドロイドらしくて、無駄に頑丈で』
男は、短くため息をついた。
アンドロイド――まったく、厄介な奴らだ。
「わかった、ならこっちまで連れて来い。こっちのポリ公どもとやり合う時に、利用価値があるかもしれん」
『了解しました』
ブツ、と通信が切れてしばらく後、こちらの命令通りに“アンバー”は倉庫の中にやって来た。
目深にフードを被った“アンバー”が銃を突きつけて歩かせているのは、やたら背の高い男である。いや、こめかみにLEDリングがあるから、やはりアンドロイドか。
白と黒のジャケットを着たそいつは、無表情のまま、命乞いのつもりなのか両手を肩の高さくらいにまで上げて歩いている。そしてこちらの存在に気づくと、妙に抑揚のない声音でこう語った。
「撃たないで。命ばかりは、お願いします」
「ボス、こいつです」
目の前に来た“アンバー”は、アンドロイドの背中に銃口を向けたままで言う。
「辺りをうろついていたので、捕まえました。……ガキと一緒の檻に入れときますか?」
「ああ、そうしろ。一番手っ取り早い」
面倒だとは思いつつもそう命じると、部下は首肯してアンドロイドを連れて行く。
アンドロイドは大人しく、“アンバー”の様子にも特におかしな点はなかった。――だから当然、ここにいる誰も気づかなかったのだ。
アンドロイドに銃を突きつけている人物のフードの下の顔が、アンバーでは
***
ギャビンの立てた作戦は、実にシンプルなものだった。
見張りを気絶させ、服を奪って成り代わり、「怪しい奴を捕まえた」という体で、ポンコツ備品ともども堂々と正面から倉庫内に侵入する、という内容だ。
気絶させた奴は背格好がちょうど一緒だったし、本来ならこちらの正体がバレるきっかけとなりうる声や話し方についても、備品の機能を使えば問題ない。
備品が(コナーよりも優秀なので!)相手の声を直接サンプリングしなくても、声帯の構造だのスマホの中身だのをスキャンすれば相手の声真似ができるというのは、以前の事件で既に知っていた。
自分の胸元に携帯端末を仕込み、備品に音声データを通信させてそこから再生すれば(ついでにそれに合わせて適当に口パクすれば)、傍から見れば、自分がそいつの声で喋っているように思えることだろう。
そしてその作戦は、ものの見事に大成功というわけである。
クソみたいな棒演技はともかくとして、ポンコツ備品は首尾よく、檻の中に入っていった。檻の鍵は本物のアンバーが持っていたから、簡単に開けることも閉めることもできるが――すぐ近くに本物の見張りが立っていることだし、ここはボスらしき男が言っていた通り、こいつらを閉じ込めておけばいいか。
フードを目深に被ったまま、ギャビンは無言で檻に鍵をかけ、背を向けた。
すると直後、檻の中から備品がこちらの耳元のイヤホン――ランニング中にポッドキャストを聴くのに使っていたやつだ――に通信してくる。
『リード刑事。昏倒中のアンドロイドは、予測通りマーティです』
「……死んでんのか?」
ほとんど口パクのような勢いの小声で問いかければ、備品は静かに言った。
『いいえ。腹部を殴打され、レベル1のダメージを受けて強制スリープ状態に移行していますが……再起動処置を実行すれば、問題なく覚醒します』
要は、「寝てるだけで命に別条はない」ってことか。
まあ、気絶してるなら今はそれでいい。起きていて泣き喚かれでもしたら、そっちのほうが厄介だ。
ギャビンは何気ないふうを装って、すたすたと前方に歩いた。「これからまた見張りに戻ります」といったような態度で、じつに自然であるように。
けれどその間に、背後の備品は動き出している。
『……上方に開放中の窓を発見。アネモネとバターカップの侵入に成功。マーティの護衛にあたらせます』
で、お前自身はどうする?
『この強度の金属ならば、歪曲は容易です。静粛かつ速やかに、倉庫内の見張りの無力化に着手します』
じゃ、さっさとそうしろ。
――というかこいつ、歪曲って言ったか? つまり檻の鉄格子をひん曲げて外に出るつもりか? 最新鋭のアンドロイドのくせに、手段が力押しすぎないか、てめえ。
とツッコミを入れたくなるのを堪えつつ、ギャビンは今なお携帯端末で悠長に試合を眺めている、ボスの後ろに立った。
そしてその後頭部に、無言で銃口を突きつける。
「な……!?」
まさか、部下だと思っている男にこんなことをされるとは思ってもみなかったのだろう。
男はほとんどスマホを取り落とさん勢いで狼狽し、それから、振り返りたくても無理なのを悟ると両手を肩あたりの高さにまで上げた。
まったく、クソ野郎が慌てふためくこの瞬間は、何度目の当たりにしても楽しいものだ。
「ア、アンバー貴様……どうしたんだ!? 何をして」
「残念だが、そいつは今頃半裸で夢の中をお散歩中だぜ」
銃は突きつけたまま肉声でそう告げて、空いた片手で勢いよくフードを取り払ったギャビンは、満面の笑みを晒した。
「楽しいギャンブルの時間はおしまいだ、クソ野郎。てめえらとエリック・ピピンの繋がり、たっぷり聞かせてもらおうか」
「エ、エリック……?」
戸惑ったような声をあげながら、掲げた手をおたおたと震わせているこの男は、たぶん本来なら「警備は何をやっている!」と叫び出したいことだろう。
だが、仮に叫べたとしてもそれは無駄というものだ。なぜなら――
「リード刑事」
すたすたと隣まで歩いてきたポンコツ備品には、当然ながら傷一つない。
「倉庫内の脅威の排除に成功しました。失神状態に留めています」
「はいはい、ご苦労さん」
事もなげに報告する備品野郎に、こちらも事もなげに返事してやった。だがアンドロイド刑事の周りでは、さっき檻の傍にいた奴も含めて10人前後のチンピラどもが、全員床に這いつくばっているのだ。
――ものの数分で、しかも無音でご覧の有り様である。もしこの備品が突然凶暴になって人間に牙を剥いたら、少なくともデトロイト征服くらいならできるんじゃないか――
この場に関係ない事柄を考えそうになって、ギャビンは内心で頭を振った。
んなどうでもいいことより、今は目の前のクソ野郎を締めあげるのが先だ。
「おいポンコツ、こいつをスキャンしろ。どこのどいつだ。この街の人間か?」
「了解。待機願います」
備品は背広男の前に回って、見開いた両目でじっと相手の顔を見つめている。そして男の口から「ひぃ」というクソ情けない声が漏れたのとほぼ同時に、ポンコツ備品はこう答えた。
「ルイス・ハートリー、59歳。ミズーリ州出身。強盗傷害、詐欺、威力業務妨害による犯罪歴あり。カンザスシティ周辺で小規模ながらギャングを組織しているとの情報あり。……そして」
ずいっと一歩、背広男――つまりハートリーの眼前にさらに歩み出ると、備品は続けた。
「倉庫内の荷物に、コカイン粉末の反応を多数確認しました。売買目的で輸送中と認識します」
「ひっ、そ、それは……!」
「ひゅぅ、そりゃ豪勢じゃねえか。ええ? ルイス」
銃を相手の頭に突きつけたまま、楽しい気持ちを隠さずにギャビンは口笛を鳴らすと、ぐるりと回ってハートリーの顔を正面から覗き込んだ。
「わざわざカンザスシティから出向いてきて、野球賭博ついでにコカイン売ろうってハラだったのか。ご苦労さん! だが残念だったな」
ニヤリ、と笑ってから続きを述べる。
「X67を念入りに脅したのが運の尽きってやつだ。身の丈に合った真似をしてりゃ、こうならずに済んだのになあ?」
――たっぷり威圧して恐怖心を植え付け、それから尋問してやろう。
そう思って(あとは優越感に浸るために)あえてこんな物言いをしてやったわけだが――そして、てっきり言われたハートリーはさらに怯えるだろうと思っていたのだが。
「え……え?」
ハートリーは相変わらずおろおろしているが、その表情に浮かんでいるのは恐怖ではなく、色濃い戸惑いだった。
言われている意味がわからない、と言いたげに視線を泳がせた後、相手はおずおずと口を開く。
「ど、どういう意味だ。X67……? お、俺たちが脅したのは」
「リード刑事!」
間の悪いことに、いつの間にか気絶中のチンピラどもの携帯端末を漁りはじめていたらしいポンコツ備品が、ハートリーに被せるようにして声を発した。
「なんだてめえ! こっちは今忙し……」
「彼らは、X67を脅迫していません」
は?
何を言ってる――とこちらが備品のほうを一瞥すると、備品はチンピラが落とした端末を弄りながら、また口を開く。
「通話履歴、およびメッセージの履歴を確認しました。彼らが脅迫していた相手は、テレンスです」
「なんだと」
テレンスって、あのノーブルズのテレンスか?
今、ちょうどX67が戦っている相手の――?
というこちらの疑問を察したように、ポンコツはさらに続けて語った。
「カンザスシティ・ノーブルズのテレンスに対し、ハートリーらは複数回にわたる脅迫を実行しています。端末内の通信記録が証拠となります」
「マジか……? だがマーティは、X67の」
「な、なんだと」
声をあげたのは、ハートリー本人である。
「あのガキはテレンスの子どもじゃないのか!? 畜生、部下どもめ……」
「てめえは黙ってろ」
軽く銃で小突いてやると、ハートリーは悲鳴を吞み込んで押し黙った。
だが――今のこいつの一言で、なんとなく状況が見えてきた気がする。
「おいポンコツ」
ハートリーに油断なく銃を突きつけてから、ギャビンは備品野郎にさらに質問した。
「まさか、テレンスにも“家族”がいるのか? で、そいつらはあのアパートの」
「はい、リード刑事」
相手はこくりと頷く。
「情報検索を完了しました。X67の一家の住宅と同一の建物に、テレンスと事実婚状態として登録されている人間の女性と、少年型のYK500が居住しています」
「クソが……」
誰へというわけでもなく、ギャビンは毒づいた。
つまりマーティは、このハートリー率いるアホなギャング集団によって、テレンスの息子と
考えてみれば、X67の家にいた子ども型アンドロイドどもも、そっくり同じ人間が成長したような、傍目からは区別のつきづらい容姿をしていた。
たぶん子ども型のアンドロイドは外見にそんなにバリエーションがないのだろうが、それはともかく、もしテレンスのガキもマーティと同じ見た目なのだとすれば――
「アパートから出て来たガキの区別がつかずに、攫っちまったってことか?」
「は、はぁ」
銃を向けたまま問いかけてやると、ハートリーはへつらうように笑いながら応える。
「そ、そういうことのよう……ですな」
「クソが!」
今度こそはっきり相手に毒を吐き、ギャビンはハートリーに吠えた。
「ざけんな、タダ働きかよ! こっちはエリック・ピピンの野郎をとっ捕まえるために、こんな臭えところまで来たのによ」
「しかし、リード刑事」
まるで空気を読まずに――そしてしゃがみ込んでマーティの介抱をしながら、備品は口を開いた。
「疑問を認識します。では、X67の脅迫犯は何者なのでしょうか」
「あ? そりゃあ……」
答えようとして、はたと口を閉ざす。――確かに、あれは一体誰だったんだ?
ハートリーたちは、テレンスを脅迫していた。ということは当然、テレンスには試合でX67に
では、X67に対してテレンスに負けるように脅していた、あの通話の主は誰だ?
――いや、待て待て。
ここは一度、思考を整理する必要がある。
ギャビンは細く息を吐き、それから落ち着いて考えた。
まず――ファールがあれだけ長く続いていた理由は、X67が試合を長引かせようとしているのと同じように、実はテレンスも長引かせようとしていたからに他ならない。
恐らくテレンスはハートリーによって「息子を誘拐した」という脅迫を受け、それを信じたまま試合に出てしまっているのだろう。自分の家に電話でもすればすぐに真偽を確認できそうなモンだが、まあそれもできないようにされていたのかもしれない。
ハートリーの手の中の端末に映っている中継を覗き見る限り、投球はまだ続いている。いよいよ35ファールという数字になっているようだが、それはさておき――
テレンスとX67とは、図らずも同じことを目的としていた。だからこそ、この奇妙な試合展開が可能となったわけだ。
それはわかる。だが、理解できないのはX67の脅迫犯のほうだ。
かかってきた電話で、息子のことについてX67になじられた脅迫犯は「ガキの命が惜しければ」とか、「言う通りにしてる間はガキに手を出さないでおいてやる」などと言っていた。
自分たちがマーティを攫ってなどいないという事実を、当然脅迫犯たち自身はよく知っているはずだ。そしていやしくもプロのギャングどもや犯罪者なら――ギャビンの認識では――自分たちの認識と違う出来事が起きれば、警戒してすぐに状況を把握しようとするか、あるいは余計なアシがつかないように、さっさと撤退を選ぶものである。
要するにX67を脅迫した連中からは、そうした“プロっぽさ”が微塵も感じられない。「よくわからないがX67が怯えているから、それに乗っかって息子を誘拐したことにしてやろう」――というような、お気楽な感覚で動いているようだと言うべきか。
まったく能天気な連中だ。そんなおめでたい脳ミソで、よくもまあ「警察やジェリコのアンドロイドどもに言いたければ言え」などと、大上段からモノを言えたもんだ。
ギャビンはフン、と短く鼻を鳴らして――
それから、我知らずハッと短く息を吞んだ。
待て。待て待て――今過ぎった違和感はなんだ。
脅迫犯が電話で喋った言葉が、妙に引っかかる。
奴が電話口で語ったことと、X67が語った現状を合わせて考えてみると――
もしかして、X67を脅迫していたのは。
――確信に満ちた予感に、ギャビンは思い切り顔を顰めた。
やっぱりこんな面倒な事件に首を突っ込むべきじゃなかったか、などと思いながら。
だが次の瞬間、そんな気分は哄笑と共に打ち破られた。
唐突にゲラゲラ笑いだしたのは、誰あろう、銃口を向けられているハートリーである。
「なんだてめえ。イカれたのか?」
「そんなワケないだろう、この若造が!」
気持ちの悪い笑顔を浮かべて、ハートリーは続けて言う。
「お前たちはもうおしまいだ! さっき部下どもから連絡があった――今、この倉庫に向かっているとな!」
「んだと……」
「定期連絡が途絶えたら、控えの連中が押し寄せることになってるんだよ! 悠長にしやがって、ざまあみろ!」
ぎゃはははは、とハートリーは大笑いをかましてきた。
ムカついたので無言のまま腹に一発拳をぶち込んでやると、クソ野郎はまるで趣味の悪い目覚まし時計よろしく、白目を剥いてとたんに大人しくなる。
とはいえ、状況がヤバいのには変わりない。
このぶんでは外の見張りどもが、倉庫の状況を察して突入してくるのも時間の問題だ。
とっととここからズラからねば。
「ポンコツ、ガキはどうした!」
「現在、再起動中です」
マーティを抱きかかえた備品は、腕の中の子どもにじっと視線を注いだまま言った。
目を閉じていたガキは、やがてこめかみのLEDリングの色を黄から青に変化させると、ゆっくりと瞼を開く。
そして自分を見つめるポンコツに気づいて、悲鳴をあげた。
「う、うわ! お兄ちゃん誰!? さっきも言ったでしょ、僕のパパはテレンスじゃないよ。ザンダーだ!」
「静粛に」
唇の前に人差し指をくっつけるジェスチャーをしながらマーティを立たせると、ポンコツは淡々と告げた。
「あなたを救助に来ました。今から移動しますから、私の背後を追跡願います」
「え、えっ……?」
「ガタガタ抜かすな、クソガキ!」
我慢ならずに、ギャビンは大声をあげた。
「今からてめえの親父に会わせてやる。無駄口叩いてるとブッ壊すぞ!」
「ひっ……!」
両手で口を抑え、マーティは涙目になった。――そういえばX67の家のガキどもは警官嫌いなんだったか。ハッ、上等だね。
「リード刑事、その発言は」
不適切です、とでも続けようとしたのだろうか。ご立派なロボットが余計なことを言うより先に、倉庫の入り口に姿を見せたのは、手に手に拳銃を持ったチンピラどもである。
――上等じゃねえか。
ギャビンは怯まず、口の端を上げた。そしてすぐ近くで今も気絶している、ハートリーの身体を抱き起こすと――
「てめえら、これをよぉく見ろ!」
ぐったりしたハートリーのこめかみに銃口を突きつけ、それがよく見えるようにまっすぐ倉庫の入り口のほうを向くと、腹の底からの大声でこう言ってのけた。
「俺たちを撃ちてえんなら、どうぞご勝手に。だがその時、てめえらのボスは蜂の巣だがな!」
「……!」
相手側に動揺が広がっている。それを確認して、ギャビンは内心で良しと呟く。
まさか侵入者によって、自分たちのボスが人質に取られるなどとは思っていなかったらしい。人間を盾にするだなんて、きっとお上品な備品やコナーなんかには真似できない所業に決まっているが――いや、ひょっとしたらそれくらいやるのかもしれないが――まあともかく、これも生きるための機転というものだ。つべこべ言われる筋合いはない。
「ボスの命が惜しけりゃ、その場から動くな。一歩でも動いたら、こいつの脳天をフッ飛ばしてやる。いいな!」
ハートリーの重たい身体を引きずりながら、ギャビンはじりじりと移動する。チンピラどもが血相を変えて佇む中、だんだんと倉庫の入り口に近づいてきた。後ろの様子は見れないが、どうやら備品はマーティを庇うようにしながら、こちらについて歩いているらしい。
まあ、あの無駄に頑丈な機体とドローンの盾があれば、万が一撃たれても平気だろう。
『リード刑事』
耳に入れたままだったイヤホンに、その備品からの通信が入る。
『署に応援を要請しました。3分28秒後に、警官隊が到着予定です……そして』
ややもったいぶるようにしてから、ポンコツは続きを告げた。
『私の予測が正確なら……次の目的地はスタジアムではなく、X67宅かと認識します。車を手配します』
例によって棒読みな調子でそう言って、プラスチック刑事は黙りこくった。
だが――
「わかってんじゃねえか」
倉庫から一歩外に出たところで、悔しげなギャングどもを眺めつつ、ギャビンはそう呟くのだった。
***
――2039年7月18日 19:52
もはや誰も一言も発さない静寂が、スタジアムに満ちている。
そしてそこにいる全員の視線を一身に受けながら、X67は、自分の右肩が猛烈に放熱しているのを感じた。
視線の先にいるチームメイト、すなわちキャッチャーは、応援するように短く頷きかけてくれる。だが対する相手、テレンスは、その双眸に鋭く力を漲らせたまま、じっとこちらを睨みつけていた。
――どういうことだ。
X67のプログラム上を、疑念だけが過ぎっていく。
息子の命を守るために、デトロイト市警の刑事たちにすべてを託し、己はできるだけ試合を長引かせることに決めた。テレンスにどれほど通用するかはわからないが、過去のデータを元に計算し、最も「ファールになりやすい」球を投げたのは確かだ。
だがまさか、新型のBP1000ともあろうものが、42球の長きにわたるまで、こちらの策に引っかかり続けるなんて。
否、それだけではない。テレンスのいわば“消極的”な態度に疑問を持ったX67は、自分の一番の決め球――かつBP1000には通じない球である、時速193キロの剛速球をわざと放ってみた。
本来のテレンスならきっとヒットに持ち込んでくる、こちらにとっては危険な選択である。けれど思っていた通り、テレンスはそれすらもファールにもつれ込ませた――
それでわかったのだ。テレンスは、わざとこうしているのだと。
しかし、その理由がわからない。息子のため、X67はデトロイト市警の刑事と家族を除けば、誰にも脅迫を受けた事実を明かしていない。無論、テレンスにもだ。
――なのにどうして今、彼はこんな行為を?
傍から見れば、アンドロイド選手同士が名勝負を繰り広げているように見えるかもしれない。つまり、自分たちの真意が露見してしまう恐れはない。
だがこうしてテレンスの、深みのある褐色の肌と青い瞳に視線を返してみても、彼が何を考えてこんなことをしているのか探ることすらできないのだ。
それにそろそろ、肩も限界に近づいてきた。いくらアンドロイドとはいえ、関節や筋肉の構造は人間のそれに近い。だから無理な投球を続ければ、いずれガタがくる。
――マーティは、息子は無事なんだろうか。
あの刑事たちは、本当に信頼できる人たちだったのだろうか。
今さらながらそんなことを考え、そして、X67はそれを恥じた。彼らに託したのは他ならぬ自分自身なのに、なんて身勝手なんだろうと。
そうして、投球体勢に移ったところで――
突如としてスタジアムに、この場にふさわしくないファンファーレが鳴り響く。
「な……!?」
いきなりの出来事に、X67だけでなく、テレンスも、また他の選手たちも同様に周囲を見渡した。観客たちからも、どよめきがあがる。
鳴り響いているのは、打者がホームランを打った時に流れる音楽だ。スクリーンには変わらず、テレンスとこちらの姿が映し出されているようだが。
疑問に眉を顰めた、その時。
スクリーンの映像が、なんのアナウンスもなしにパッと切り替わる。
そしてそこに映っている人々を見た瞬間、X67は、自分の目から涙が溢れるのを感じた。
『ザンダー、がんばれー!』
声が届く。
映像の中で応援席から手を振っているのは、カイルと7人の子どもたち。そう、7人。カイルに抱き締められながら、マーティは笑顔を浮かべている。――ああ、無事だったのか!
それに彼らの隣の席には、同じく微笑んでいる金髪の人間の女性と、マーティと同じ型番の少年アンドロイドが一人、カメラに向かって手を振っていた。次いで彼が両手に持って広げるタオルケットには、テレンスの名が印刷されている。
ファンというよりは、もっと親しみを感じるその笑顔。もしかすると彼らは、テレンスの家族なんだろうか?
そう考えたのとほぼ同時に、向こうから何かが土にぶつかる音が聞こえた。
はっとして視線を動かせば、そこには、バットを持ったまま泣き崩れるテレンスがいた。
まるで張り詰めていた糸がぷつりと切れたかのように、押しとどめていた感情が溢れ出てきたかのように――テレンスはそれまでの冷静な態度から一変して、わあわあと大泣きしている。
その姿を見て、X67は直感した。そう、身体組成上“機械”の自分が直感などと言うのはおかしいのかもしれないが――根拠はなくとも、確信を帯びた思考だ。
突き動かされるように、X67はマウンドを離れ、テレンスのもとに駆け寄った。
そして二言三言、言葉を交わした後――
互いに真実を知り、親愛を込めた抱擁を交わしたのだった。
***
そして、その抱擁と同時刻。
「なんだと……!」
スタジアムのVIP席で、怒りに震える老人がいた。
デトロイト・ウルヴァリンズのオーナー、ディーン・サルバスである。
サルバスの思考を埋め尽くしていたのは、「こんなはずでは」という一言である。
――こんなはずではなかった。
もっとスムーズに、事は運ぶはずだったのに。
憤怒に突き動かされるままに、サルバスは携帯端末を取り出して電話をかけた。電話の相手はもちろん、しくじった
数秒後、電話に出たそいつ――すなわちベンチ入りしているウルヴァリンズの選手の一人に対して、サルバスは怒声を浴びせた。
「どうなってるんだ、貴様! 計画はどうなってる、これじゃあまるで……」
「おっと~。こいつはおかしいなあ」
唐突に。
背後から歩み寄ってきた見知らぬ男――鼻筋に傷のある、得体の知れない30代くらいの年齢の男が、こちらの声を遮るようにして、ニタニタと話しかけてくる。
「ウルヴァリンズのオーナーだろう、てめえ。こんな時に、一体なんの“計画”のお話なんですかねぇ?」
「なんだお前、どこから入り込んだ! おいっ、誰かこいつを摘まみ出……」
「残念だったな!」
いかにも意地の悪い笑みを浮かべて、その男はこちらの眼前に何やらバッジを突きつけてきた。そこに刻まれていた文字は――
「デトロイト市警……ギャビン・リード刑事?」
「英語は読めんのか、なら結構。そこまでモーロクはしてねえようだな、ジジイ」
どうやら警察の権限を行使して、この席にまで入り込んできたらしい。
だが警察が一体、自分になんの用事だというのか。いや――もしかして。まさか。そんなはずは。
震えるサルバスに、リード刑事はニヤリと告げた。
「X67に対する脅迫行為、および不正なチーム運営に関する諸々の容疑――まあ纏めるとアンドロイド保護条例違反の疑いってので、任意同行してもらうぜ」
「ぐ……!?」
サルバスは言葉に詰まる。
――バレるはずがないと思っていた。よしんばバレてしまっても、
なのに、こうなるだなんて!
話が違うぞ、ピピン!
言葉にならない呻きをあげつつ、サルバスは視線を泳がせた。任意同行を拒否するとか、逃げ出すとか、本来なら何か取れた手段もあったかもしれない。だが今は周囲の人間のほとんどが、突然球場で抱き合って泣きはじめたアンドロイド選手に目が釘付けになっていて、こちらに誰も注意を払ってくれていない。
それに今、電話しているところをこの刑事にはっきりと目撃されてしまっている。
電話の内容を問い質されたら、そしてこの携帯端末の通信履歴を見られたら、もう言い逃れはできない――
「じゃ、行くか?」
まるでどこか遊びに行く時のように、リード刑事は右手の親指を己の背後に向けて、気軽に言ってのけた。
こちらを舐め切ったその態度、腹が立つ――
腹が立つが、しかし、どうしようもない。
ディーン・サルバスは項垂れて、それから、パトカーまで粛々と移動したのだった。
***
ギャビンが真実に気づいたきっかけは、実に単純なものだった。
脅迫犯は、こう言った。「警察やジェリコのアンドロイドどもに言いたければ言え」――
この言葉が、まずおかしかったのだ。なぜ脅迫犯は、「オーナーにチクるな」とは一言も言わなかったのだろう?
オーナーがX67を冷遇しているという事実は、ひょっとすると知っている奴もいたのかもしれない。だがもし馬鹿正直にX67がオーナーに脅迫を受けていることを相談したとしたら、最悪の場合、本格的に警察が動き出すことになるかもしれない。
その危険を、脅迫犯がまったく考慮していない理由はただ一つ。
オーナーが自分たちの側にいると、知っているからだ。
そしてオーナー自身がX67を脅迫する側にいる理由も、一つに絞られる。
X67は言っていた――各球団にアンドロイド選手は一人というルールを盾に取り、オーナーは自分をなじっていると。「お前よりも優れたアンドロイド投手は金さえ出せば手に入る」と言われたのだと。
しかしオーナーは、X67をそう簡単に「解雇」できない。アンドロイド保護条例が布かれた現在、人間の雇い主は自分だけの都合で、雇っているアンドロイドを放逐したり、廃棄したりできなくなったのだ。それにX67を強引に解雇すれば、きっとジェリコに訴えられ、世論の槍玉にあげられる。
そうならないためには、どうすればいいか? 簡単だ、X67自身に「問題」があるようにさせてしまえばいい。X67に八百長事件を起こさせ、それをオーナーたちが糾弾し、先に責め立てる。
そうすれば世論はX67のことを「欲をかいてチームを裏切った変異体」だと認識するし、X67自身も罪を認め、球団を去るだろう。
後は新型のBP1000を円満に雇い入れ、チームを補強すれば完璧だ――
そもそも勝率の低いテレンス相手に、わざと負けろと脅しを入れた理由はただ一つ。
X67に事件を起こさせるという、マッチポンプのためだったのだ。
そもそも球団関係者とのやり取りのために持っているという端末の電話番号を知っているという段階で、犯人候補としては球団関係者が有力だったわけだが。
――となれば、オーナーはまずクロ。そして脅迫犯はオーナーが自由に動かせる人材だろうから、チーム内にいる何者かである。
決定的な場面を抑えるために、ギャビンと備品はまずハートリーを警官隊に引き渡した後、マーティを連れてX67の自宅に行った。そしてマーティが親や兄弟たちと再会している間に、テレンスの家族の住む部屋を訪れ――こちらの家族はテレンスが脅迫されているのを知らない様子だったが真実を話し、彼女たち全員をスタジアムへと連れていった。
チケットのない人間とアンドロイドの入場を渋る係員たちをバッジで黙らせ、カイルたちの先導をポンコツ備品に任せてから、自分はVIP席へと向かったわけだ。
うまくカイルたちの存在をX67たちに知らせろよ、とは命令していたが――まさかファンファーレの後、スクリーンに観客席を映すだなんて。アンドロイド刑事が、あそこまで派手な演出をしてみせるとは思ってもみなかった。
スタジアムの入り口付近の道路で、サルバスを乗せたパトカーが遠ざかっていくのを見つめながら、ギャビンは小さく鼻を鳴らした。
すると背後に、聞き慣れた足音――無意味に無駄のない動きを伴った、いかにも機械的な足音が聞こえた。
「なんだポンコツ」
振り返りざまに、ギャビンは眉を顰めた。
「機械どものお涙頂戴は見てなくていいのか? ハ、お前も随分な真似したもんだな」
「X67とテレンス、さらに観客全体の意識を集中させるには、あの手段が最適でした」
それに、と、備品野郎は少しだけ俯いて続けた。
「カメラと音響機能のハッキングは違法行為、ですが……ログの残留がないよう、工夫したので」
「ぶはっ」
堪え切れず、ギャビンは噴き出した。
「バレなきゃ犯罪じゃねえ、ってか! まさかてめえに笑わされるとはな、ちょっとは見直したぜ!」
辺りをはばかることなく、ギャビンはゲラゲラと大笑いする。
プラスチック刑事はそれをどこか恥ずかしそうに――見えなくもない目つきで眺めた後、おもむろに、また口を開く。
「試合は中断されました。X67とテレンスの一件もありますが……サルバス氏とウルヴァリンズの一部選手が任意同行を受けた事実が、察知された模様です。まもなく、スタジアム内の人々が退場を開始します」
「そりゃ結構」
大笑いをやめて、ギャビンは皮肉っぽく言った。
これから先、X67やテレンスがどうなろうが、あるいはウルヴァリンズがどうなろうが知ったことではない。
大事なのは、あのオーナーや選手どもと、エリック・ピピンにどんな関係があるのかである。それを知るために、こっちはあちこち駆けずり回ったのだから。
そろそろこっちも撤収して、署に行くか――と、思った時である。
備品の後ろに、ひっそりとマーティが立っているのに気がついた。
「あ?」
「あ、あ、あのう……刑事さん」
マーティはおずおずと近づいてきて、それから、小声で告げた。
「助けてくれて……ありがとう。お巡りさんだからって怖がって、ごめんなさい」
「ハッ」
いかにも殊勝な、可愛らしいコドモとしてのその態度。微笑ましいという奴もいるかもしれないが、こっちとしては単に乾いた笑いが出るばかりである。
ギャビンは、黙ってマーティに近づいた。
それから、彼の目の前でしゃがみ込むと――その額を、思い切り指で弾いた。
「あっ……!?」
アンドロイドだから痛覚はないだろうが、衝撃は感じたらしい。
小さく声を発したガキは自分の額を抑え、驚いた様子である。こちらの人差し指が当たった箇所を中心に白い素体が見え、それが流体皮膚によってまた徐々に覆われていくのを、ギャビンは冷めた気持ちで見つめた。
――ほれ見ろ。やっぱり機械じゃねえか、と。
「何がありがとうだ、このガキが」
立ちあがり、マーティを下瞰して、ギャビンは言った。
「そもそもてめえが勝手に外に出て、クソどもにとっ捕まったのが悪いんじゃねえか。いいか、次にこんなクソみたいな問題起こしてみろ……ただじゃ済まねえからな」
クソ刑事に酷いことを言われたと、せいぜい親に泣きつけばいい。
そんなつもりで、こっちは告げたにもかかわらず――
「うん! ……わかりました。本当にごめんなさい、刑事さん」
どういうわけか、ガキは笑ってそう言った。そしてやって来た親と兄弟のもとへ、一目散に駆けていったのであった。
機械だろうが有機物だろうが、ガキの考えることはわからない。
「おい、行くぞ」
備品に声をかけ、ギャビンはやはりさっさと署に戻ることにした。
だが備品野郎はというと、なぜか動こうとしない。代わりに、口の両端を怒ったネコみたいに吊り上げた――例の、クソみたいに下手な“笑顔”を浮かべてから、こう言った。
「リード刑事。とても、よい訓戒でしたね」
「は?」
「社会に対する正しい警戒心の保持は、マーティにとって重要であると認識します。それに」
珍しくも口数多く、アンドロイド刑事はさらに語る。
「リード刑事、あなたの……言動と感情と理性は、一致していない。一致していないのに、ある種の調和を伴って、あなたという人格を形成している」
「……何言ってんだ?」
「あなたは、そう。人間」
備品は、まっすぐにこちらを見つめて言った。
まるで、何か尊敬に値するものを前にしているように。
「とても、人間。という印象を受けます」
「サイバーライフに連絡しろよ。すぐにオーバーホールが必要だってな」
何を意味のわからないことを――元から変だと思っていたが、ついにバグが深刻なレベルに達したらしい。
それきり署に戻るまで、ギャビンは一言も発さなかった。
そしてポンコツ備品がそれをまるで気にしていない様子なのに、さらに苛立ちを募らせるのだった。
サルバスがピピンとどういう繋がりのある人間なのか、判明するのは翌日の取り調べでのこと。
だがその前に――この時のギャビンとRK900には、知る由もない。
なぜ今日の大騒動を経ても、ジェリコが球場まで乗り込んでこようとしなかったのか。
その理由に、コナーとハンクが巻き込まれていたという事実など。
(スタジアム/Say It Ain't So! 終わり)
個人的に、リード刑事はけっこう推理力があると思うのです……特に、今回のように自分の利害がはっきりと絡んでいる場合は。
次回は、非番の時を過ごすコナーとハンクが中心となる話です。