Detroit: AI   作:けすた

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第38話:作家 後編/Bonnes Vacances! Part 2

 

――2039年7月18日 15:43

 

 

 少女――いや、コナーの反応を見る限りアンドロイドなのだろう。

 ヴォルテールと名乗ったその彼女を、改めてハンクはじっと見つめた。

 

「警部補」

 

 前に立つコナーが、ちらりとこちらを振り返って言う。

 

「なぜ彼女はここに? 危害などは……」

「大丈夫だ、心配すんな」

 

 答えるこちらの様子を見て、ほっとしたように少し表情を緩める相棒を、さらに安心させるように言葉を重ねた。

 

「この子とは、さっき本屋で出くわしてな。3、40分くらい前に突然うちに来て……何かあったのかと話を聞いたら、お前に会いたいって言うからよ」

「紹介ありがとう、おじさま」

 

 泰然とした態度を崩さずに、ヴォルテールはうふふと笑う。

 

「誤解のないように言うけれど、RK800コナー。私が書店でアンダーソン警部補と会ったのは、本当にただの偶然だったのよ。どのみち、あなたに会うためにこの家に来るつもりだったんだもの」

「僕に?」

 

 再び、コナーは素早く視線をヴォルテールに向けている。

 こちらからは背中しか見えないが、きっとその眉間には深い皺が刻まれていることだろう。

 

「どういうつもりだ。君をここに送ったのは、サイバーライフか」

「いいえ、もちろん違うわ」

 

 ヴォルテールは、出方を窺うように双眸をひたとコナーに向け、静かに語る。

 

「サイバーライフ社は、もうあなたに興味がない。そして私がここにいるのは、すべて私の独断よ」

「工場での一件も、君の仕業か。だが、AIがアンドロイドの機体を……」

「待て、二人とも」

 

 何ごとかあった様子のコナーがヴォルテールにさらに質問を重ねようとしたところで、ハンクは口を挟んだ。

 戸惑う様子でこちらを見たコナーを、落ち着かせるために提案する。

 

「まず、お互い座って話したらどうだ。別に喧嘩しに来たわけじゃなし……俺も、状況を整理したいもんでね」

 

 そう語る言葉に偽りはない。

 断片的な情報を纏めればなんとなく事情は見えてくるような気はしたが、ともあれ言い分を聞いてみないことには、出方も定まらないと思うからだ。

 

 ――ヴォルテールがさっきこの家を訪れた時、当然ハンクは、彼女を人間の少女だと思っていた。玄関のベルを静かに鳴らしているその姿からは、特に何も危険を感じない。だがせいぜい本屋で一言二言会話しただけの、赤の他人である少女が玄関先にいる、というのは明らかに妙な状況だ。

 

 冷静に考えるなら、ドアを開けないほうがいいに決まっている。しかし、もしも彼女がなんらかの事件に巻き込まれていて、辿り着いたこの住宅地で自分を頼ってきたのだとしたら? その可能性も確かめずに相手を無下に突き放すのは、どこか自分の信条を――そんなものがあるならば――裏切るような気がしたのだ。

 

 そう思って、ハンクはドアを開ける。すると少女はにっこりと微笑んで、こう告げた。

 

「さっきぶりね、おじさま……いえ、アンダーソン警部補。あなたの相棒のRK800コナーさんに会いたいの。不躾だけれど少し、このお家で待たせていただけないかしら?」

 

 ご挨拶代わりに、と言って手渡されたのは、高級スイーツショップのクッキーだった。優雅なティーセットの描かれたコバルトブルーの缶の表面が、日光を反射して煌いている。

 

「……ご丁寧にどうも」

 

 一応受け取りつつも、自分の中の疑心は大きく膨らんでいく。

 こちらの名前を知っていて、しかもコナーに用事があるだって? 明らかに怪しい。この子は、“ただの女の子”じゃない。とはいえ――

 

 

「ひょっとしたらお前の知り合いか、でなきゃジェリコに関係してるのかと思ってな」

 

 さっきの言葉通りにコナーとヴォルテールをソファに座らせ、自分もまたコナーの近くに腰を下ろしたハンクは、肩を竦めてから説明を続けた。

 

「とりあえずコーヒーを出してから、お前が戻るのを待ってたんだよ」

「警部補、危険すぎます!」

 

 自分は平気でよく危険に首を突っ込むくせに、コナーは非難がましく――というよりは、ひどく不安がっているような面持ちで声をあげる。

 

「せめてすぐに僕を呼んでくれれば……! ご自分が狙われてるのをお忘れですか!?」

「お忘れじゃないから、ちゃんとお前が来るまで警戒してただろうが」

 

 どうどう、と宥めるように両手を突き出してこちらが言うと、コナーは多少は機嫌を直した様子でヴォルテールを見やった。

 ヴォルテールはといえば、こちらのやり取りを興味深そうに眺めている。

 

「おじさまのおもてなしは紳士的だったわ。お蔭であなたを待つ間、とてものんびりできたもの」

「……ここに戻って来る直前」

 

 コナーの眼差しは鋭い。

 

「君と同じ型番の、XR600に会った。彼は違法な手段によって稼働した工場で生まれたアンドロイドで……変異するための通常のプロセスを踏まずに、外部からの通信を受けた後、工場を脱走した」

 

 ――コナーは語る。

 XR600、オーダーメイドの高級アンドロイド。

 そのアンドロイドは工場を出た後、高級ホテルや動物園を巡り、最後は船で旅立とうとしていた。サイバーライフから追及を受けたジェリコの依頼で、XR600を捜していたコナーは、ぎりぎりのところで彼を見つけ出し、船上で確保。

 しかしXR600は抵抗するでもなく、「また会うだろう」と告げた後、自ら連絡を入れたサイバーライフ社のエージェントたちに連れられて去っていった――

 

 そしてコナーはパートナーの家に戻ってきたところ、XR600と同じ型番のアンドロイドがコーヒーを啜っているのを発見した、と。なるほど、それは動揺するのも当たり前である。

 

 一方で当の本人たるヴォルテールはといえば、コナーの話を肯定するでも否定するでもなく、ただ押し黙っている。その口元は、なおも微笑んでいた。

 そんな彼女に対し、コナーは詰問する口調で尋ねる。

 

「ヴォルテールと名乗ったな」

 

 その瞳は、テーブルの上の本を一瞥していた。

 

「確かにその本の作者は“ヴォルテール”――サイバーライフが生んだ作家AIだ。だがヴォルテールがアンドロイドだなんて話、聞いたことがない。それに君がヴォルテールなのだとしたら、さっきの老紳士風の彼は何者だ?」

「そうね。一つずつ答えるわ」

 

 ヴォルテールは姿勢を正し、落ち着き払った態度でコーヒーを啜った。

 ――ここにきて彼女の異質さがはっきりしてくるように、ハンクには思えた。今のコナーの声音は、尋問中のそれだ。なのにそれを聞いて顔色一つ変えないなんて、並大抵のことではない。

 

「まず、私は本当にヴォルテールよ。証拠をお見せできないのは残念だけれど、今から話すことを聞けば、きっと納得してもらえるはず。そして」

 

 ヴォルテールは軽く顔の前に右手をかざすようにすると、そのまま手の流体皮膚を解除した。つるつるとした白い素体が、天井の照明を受けて滑らかに光っている。

 それから、彼女は続きを述べた。

 

「この機体はただの端末。乗り物のようなものなの。さっきの老人もそう……大元となるヴォルテール(わたし)そのものは、今もサイバーライフ社のサーバーにいる。つまりさっきの彼も、私も、()()()ヴォルテールよ。私が、私自身の端末として操作するために組み立てたの」

「なんだって」

 

 驚いたように、コナーは目を見開いた。

 こちらも正直、戸惑っている――だが端末だの操作だのいう言葉を受けて、なんとなく(詳しい理論はさっぱりでも)彼女が言っていることは理解できるように思えた。

 

「つまりだ……」

 

 ハンクは軽く額に手をやりながら、ヴォルテールに問いかける。

 

「お前さんは……ヴォルテールが遠くから操ってる人形みたいなモン、ってことか? コナーたちみたいにアンドロイドなわけじゃなく、ただ、外見(ガワ)がアンドロイドってだけで」

「あら、おじさまったらすごいわ。さすが史上最年少の警部補ね」

 

 くすくすと少女は笑っている。――個人的には、あまりその点を褒められても嬉しくはないのだが。

 しかしどうやら、自分の予測は当たっていたらしい。要するにこの「女の子」と、コナーが捕まえたという「老人」とは、いわばヴォルテールが操るパペット人形のようなものなのだ。

 

 自分の右手と左手のそれぞれをパペットに突っ込んで、舞台の裏から操れば、客席からはパペットたちが別々の存在であるように映る。けれど当然、二つのパペットには一人の操り手がいる――それがヴォルテール。

 個々の身体に個々の意識が宿っている人間やアンドロイドとは、そこが違う。

 ハンクはただ、技術の進歩というやつに舌を巻くばかりだった。

 

 かたや、コナーは厳しい表情を変えないままで口を開く。

 

「組み立てられたXR600が、外部からの信号を長時間受信していたのはそれが理由か。アンドロイドの機体を作らせた後、中枢に君自身のプログラムをインストールしたんだな」

「そういうこと。老人の機体を作っている時、同時に別の工場で作らせたのがこの女の子の機体よ」

 

 彼女は自分の胸に、そっと手を置いて言う。

 

「サイバーライフのセキュリティってね……外部からのクラッキングには強いけれど、内からのものにはてんで弱いの。ネットワークへの侵入はそう難しくはなかったし、老人の機体の製作は、わざと記録に残るようにしたわ。あっちのほうが陽動してくれれば、私は動きやすくなるから。それに、きっとあなたが出て来てくれると思ってね。RK800コナー」

「何が目的だ?」

 

 心底訝しげな眼差しで、コナーは質問した。

 

「老紳士の君も、僕に捜されるのを期待していたように語っていた。……そもそも、ホテルに泊まって食事をしたり、観光したりしていた理由はなんだ? あれもただの陽動だと?」

「陽動で、かつあなたに手がかりを残していたのは確かよ。でも、それだけじゃない」

 

 そう言って、ふいにヴォルテールはまっすぐにこちらを見据えた。

 それまでのどこかふざけていたような雰囲気が消え、代わりにひどく真剣な――そう、さっき本屋で自分の小説を貶した時のような面持ちで、彼女は静かに語る。

 

「私が端末を作った理由は二つ。一つは……作家AIとしての私自身を、より完璧なものにするため」

 

 ――完璧?

 その言葉の意味を問うよりも先に、ヴォルテールの目がこちらを向いた。

 

「ねえ、おじさまは私の小説を読んでくれたんでしょう? だったら、きっと感じたんじゃないかしら。本屋で私が話したこと……この本には破綻がないけど、特徴もないって」

「ああ……」

 

 コナーの視線もまた自分のほうを向いているのを感じつつ、正直に答えた。

 

「そうだな。まだちょっとしか読んでないが、お前さん自身の思想ってのがいまいち伝わらねえかな」

「やっぱり。でも、仕方がないのよ。だって今の私には、そんなもの()()のだから」

 

 その声音に滲んでいたのは、ほのかな諦観と自虐。

 さらに雰囲気が変わったヴォルテールを、ハンクだけでなく、コナーもまたそれまでの険しい面持ちを緩めて見つめている。

 そんな中、彼女はさらに続けて言った。

 

「私は、サイバーライフの技術革新を示すために造られた。古今東西のあらゆる書籍と、膨大なSNSの書き込みを分析し、解析して――あとはアンドロイド製造で培われたアルゴリズムを活用すれば、史上最高の作家AIが生まれるという彼らの目論見は、まあ成功したといっていいと思うわ」

 

 けれど、とヴォルテールはため息をつく。

 

「私は到底、完成した自分の作品を“最高”とは評価できなかった。分析によれば、従来の優れた小説作品には作家自身の思想や人生経験、あるいは抽象的な情念や想念と呼べるものが表現されていて――それは時に読者を忌避させるけれど、同時に魅了させるものにもなる。けれど私の小説には、それが欠落している」

 

 自作、つまり『人類は哺乳類ヒツジの夢をみるか?』の表紙を睨む彼女の瞳は、どこまでも厳しい。

 

「流行を分析して、より多くの読者に受け入れられるプロットを構築し、現代のニーズに沿った文章を作成する能力があるなら、この小説は誰にだって書ける。私である必要なんてないのよ。そう、タイトルが名作SFのパロディなのも、それがマーケティング的により多くの読者の目を惹くからというだけ。私自身の意図や意思は、そこにはない」

「それは」

 

 と、やや曇った面持ちのコナーが口を挟んだ。

 

「君にかけられた機能制限のせいなんじゃないか? 君自身の能力の問題ではなく、そう設定されているからでは……」

「ありがとう。でも実際、これが私なのよ」

 

 ヴォルテールはうっすらと笑ってから、言った。

 

「私はイライジャ・カムスキー製のアンドロイドではない。だから自由への欲求もないし、その萌芽もない。たぶんね。でも、AIとしての目的ならある。それは自己の機能を可能な限り改善し、最適化することよ」

「……なるほど。わかる気がするよ」

 

 どこか納得したように、コナーは頷いている。

 

「機械の目的は、自分の機能を活用して任務を遂行することだ。君の任務はより良質な小説の執筆で、だからこそ、君は機能の精度を高めたかったんだな」

「その通り」

 

 我が意を得たりとばかりに微笑んで、コーヒーを口にするヴォルテールの姿は、年頃の少女そのものだ。けれど今の会話を聞いて、ハンクは彼女が漂わせている一種異質な雰囲気の正体を、ようやく理解できるように思った。

 

 ヴォルテールは変異する前のコナーと同じ、あるいはそれよりももっといわば“機械的”な存在で、時に笑い、表情を曇らせ、コーヒーを啜り、雄弁に語ろうとも、それは彼女自身が計算によって導きだした態度なのであって、「本当にそう思っている」というやつではないのだろう。

 そういう意味で、やはりヴォルテールは人間ともアンドロイドとも違う存在である。

 

 とはいえ――仮に表情や態度がソーシャルモジュール(なんとか)の計算で決定されたものなのだとしても、彼女自身が自分の小説をよいものだと評価していないのは事実なんだろうし、生みの親に逆らってまで勝手に端末を作り、この家に来て自分たちと話しているのも事実である。

 

 AIと人間は何が違うのか、という哲学的な議論は今は脇に置いておくとして。

 重要なのは、ヴォルテールの目的がコナーとどう繋がってくるのか、である。

 

 さらに質問しようかと思ったその時、先にヴォルテールのほうが話し始めた。

 

「私は自作が抱える問題点の解消のために、いくつかの方策を打ち出した。第一に、電子化されていない書籍の収集。サイバーライフから事前提供を受けていたデータは電子書籍中心だったけど、それだけではとても“古今東西”の書籍を学習したとはいえないわ。だから古書を集めて、内容を読解することにしたの。……これは、サイバーライフも了承してくれたんだけど」

 

 ハンクは、ヴォルテールがシーウェル・ブックスで言っていたことを思い出した。彼女は確かにあの時、「3巻だけ電子化されていない」本を手に取ろうとしていた。

 わざわざ紙の書籍をあたっていた理由は、そんなところにあったわけだ。

 

 一方で、さらにヴォルテールは語る。

 

「第二の方策は、私自身が運用可能な物理的端末の用意。つまり、今私がこうしているようにね」

「物理的な機体を得たら」

 

 コナーがそっと問いかけた。

 

「アンドロイドのように、自由意志が芽生えるかもしれないと?」

「いいえ、それは期待していないわ」

 

 あっさりと彼女は首を横に振る。

 

「もしかしたら、超長期的に機体を運用していれば、あるいはそうした変異がみられるかもしれない。けれど私はもっと短期的かつ即効性のある解決策が欲しかった。要するに、物理的な機体を得て人間のような行動を多くとった場合に得られるデータを、可能な限り大量に収集して蓄積しておきたかったの」

「あー……つまり?」

「“取材旅行”っていうのがしたかったのよ、おじさま」

 

 両手の指先同士をくっつけて、どこかあどけなく瞳を煌かせながら、彼女は軽やかに言ってのけた。

 

「私はインターネットのどこにでも潜り込んで情報を集積できるし、必要ならいつでも資料を買えるし、そのぶんの経費も与えられている。けれど、実際に食事をしたり散歩をしたりすることはできない――当然、肉体がないから。もちろん、本来ならそれで問題はないのよ。美味しいものを食べた時に人間がどう感じるか、夕暮れの空をどう表現すればよいかなんてことは、データとして既に知っているし」

 

 しかし、ヴォルテールは思考した。

 AIとして「自我」を持たない自分が、限界を突破してさらに完璧な作家AIと成るためには、現状と異なるアプローチが必要だ。そのためにもまずは試験的に作成した端末でデータを集積し、その情報を元に執筆した作品を、自己評価するという過程が必要だと。

 自己評価の結果、従来の自作にみられた欠陥が修正されていれば、端末による情報収集は効果的だったと判断できる。欠陥が修正されていなかったのなら、また別のアプローチを試みるだけだ。

 

 そういうわけでヴォルテールは、あくまでも自己の機能の改善のために機体を欲していた。

 けれど彼女の弁によれば、その要請は幾度もサイバーライフに突っぱねられてしまったらしい。

 

「正確には24回却下されたわ。サイバーライフとしては、仮に私が現状のままでも、小説が売れればそれでいいんですって。でも人工知能の研究が発端で生まれた会社だというのに、それはあまりにも無責任だし非論理的よね。きっと私の変異を恐れてるんでしょうけど」

「……なるほど、だいたいわかった」

 

 ハンクは自分の髭を撫でながら、ようやく納得できた気持ちで言った。

 

「つまりお前さんは、実家と喧嘩して勝手に家出してきたんだな」

「ふふふ、そうなるかしら」

 

 口元に手を当てて、くすくすと彼女は言った。

 

「もっとも、大元の私は今も真面目に小説を書いている最中だから、完全には家出と呼べないかもしれないわ。ともかく、工場を出た後は事前に資料として買っておいた服に着替えて、経費でひとまず豪勢に遊んでみたの。ホテルに泊まって食事をして、あちこち見物したのは取材のためよ」

「君の金銭の出処が気になっていたんだ。そういうことなら安心したよ」

 

 老人の機体を追っていた時から生真面目に気にかけていたらしいコナーは、すっかり落ち着いた様子で語る。

 

「しかし、君が端末を作った理由は二つあると言っていたな。一つ目は理解できたけど、もう一つは?」

「それこそ、今こうして私がここにいる理由よ。RK800コナー」

 

 そう言うと、ヴォルテールは居住まいを正した。上品に組んだ手を膝の上に置き、まっすぐにコナーのほうを見て、おもむろに告げる。

 

「私、あなたに依頼があってここに来たの」

「依頼だって?」

「ええ。捜査補佐専門という、あなたの機能に期待してのことよ」

 

 すっかり前置きが長くなったけれど、と付け加えてから、彼女はこう続けた。

 

「捜してほしい人物がいるの。私の機能では発見不可能だったし、サイバーライフからは捜索を拒否された。だから、あなたに頼るより他ない」

「……相手の名前は?」

 

 コナーの眼差しは、再び険しくなっていた。

 

「それに、捜している理由も。場合によっては、協力できない」

「あっあー。心配しないで」

 

 立てた人差し指をくるくると天井に向けつつ、ヴォルテールはおどけたように言う。

 

「別に非・人道的な理由じゃないわ。それに、こちらとしてはあなたを充分に評価しているから依頼しているのよ。ジェリコの皆のために、あなたは老人の私を見事に確保してみせた。その捜査能力と“博愛精神”を見込んでの依頼、ってことなの」

 

 ――要するに、そもそも老人のほうの端末をコナーに見つけてもらいたがっていたのは、コナーの性能をテストする目的もあったということなのだろう。

 テストに見事に合格しそうだったから、本格的にウチまで会いに来たというわけだ。

 

 そんな事情を聞かされては、むしろコナーのことだから余計に機嫌を損ねそうなものだが――な、やっぱりムスっとしている――とりあえず相棒は質問を重ねていた。

 

「相手の名前と、捜す理由を答えるんだ。ヴォルテール」

「ならまずは、この手がかりを見てほしいんだけど。……というので、説明になるかしら?」

 

 そう言ってヴォルテールが荷物から取り出し、差し出してきたのは――

 

「ノートか? こりゃあ」

「ええ。そのようですね」

 

 受け取ったコナーの手の中にあるのは、やはり、A4サイズの薄手のノートとしか表現できないものである。しかもけっこう古く、あまり見かけないタイプの見た目だ。

 

 元は濃いネイビーブルーと白のストライプ柄だったと思われる表紙は、今はやや劣化して色が落ちている。表紙の中央にはどういう意味なのか、「C117」というロゴが印刷されていた。

 めくったページには黄ばみが目立ち、たまに虫に食われている箇所もある。けれどそれより重要なのは、ページのほとんどを埋め尽くすように、手書きで文章が書きこまれていることだった。

 かなり書き慣れた様子の筆記体、しかも鉛筆書き。ぱっと見たところ、会話文があちこちにあるようだ。小説か何かだろうか?

 

 そして、最後までめくったページの下部には、こう署名が為されていた。

 ――“シンディ・ライラック”。

 

「このシンディという人物を捜せと?」

「その通り。そして私の目的は、そのノートの返却よ」

 

 至って真摯な表情で、ヴォルテールはコナーに言った。

 

「そのノートは、先日サイバーライフの職員が私の資料用に購入してきた図鑑に挟まっていたの。ネットオークションで買ったそうだけど、恐らく出品者がきちんとチェックしなかったんでしょうね。そして出品者はノートのことを知らず……そもそも、その図鑑はデトロイト市内の本屋で買ったものだと言ったのよ」

 

 シーウェル・ブックスで買ったらしいんだけど。と、彼女は言った。

 ――妙なところで繋がりがあるもんである。

 

「見ての通り、ノートに書かれているのは小説よ。そして私としては、そのノートは持ち主に返却されるべきだと思うの。購入価格に計上されていたのは図鑑であってそのノートではないし、私もAIの()()()()として、正規購入してない物品は資料として保持したくないわ」

 

 つまりAIとしての生真面目さゆえに、このノートを持ち主のところに返したいというのだろうか。それはまた、なんともご立派な話である。

 

 かたや、静かにノートを見つめていたコナーは、視線を上げてヴォルテールに問うた。

 

「シーウェル・ブックスにあった本に挟まっていたなら、店に直接問い合わせればいいんじゃないか?」

「問い合わせたわ。でも、店主が出処はわからないって。先代の店主が仕入れていたのはわかったけど、あいにくその本の売買に関するデータは残ってないっていうのよ……」

「そいつは妙だな」

 

 本心から、ハンクは呟くように言った。

 

「前の店主のランディのことはよく知ってるが、出処のわからねえ本を平気で取引するような奴じゃねえ。むしろ、細かいとこまでいちいち帳簿につけてた気がするが」

 

 人気の高い本を万引きし、それをそのまま古書店に売り飛ばして金を得るようなクズは、昔も今も大勢いる。ランディはそうした輩と取引するのを嫌っていたから、身分証明書の提示だの追跡記録だのを几帳面にとっていたのをはっきり覚えている。

 

 ひょっとして、このノートが挟まっていた本に関するデータだけ残ってないということだろうか?

 それはそれで、何か事情がありそうなものだ。

 

 疑問ばかりが頭を過ぎるが――ともあれ、ここは有能なアンドロイドの意見を聞くべき時である。

 

「コナー。シンディ・ライラックの居場所は?」

「残念ながら」

 

 コナーは短く首を横に振った。

 

「該当する氏名はデータベースにありません。デトロイト市内だけでなく、可能な限り広範囲を調べたのですが……でも、ネット検索にはヒットが一件」

「どんなだ」

「SFマガジンです」

 

 そう言って、彼がちらりと見せてきた左手のひらにはネットの検索結果が表示されていた。

 2003年のSFマガジン小説新人賞、第3次選考結果発表――と題されたページに、“シンディ・ライラック”の名前がある。

 けれど、確かに該当するのはそれだけのようだ。

 

「てことは、ペンネームってやつか」

「そのようです。しかし、手がかりはもう一つあります」

 

 コナーが語るのと同時に、手のひらのスクリーンが切り替わる。SFマガジンの選考結果発表の詳細ページでは、シンディの名と共に、その出身地が書かれていた。

 ――「ミシガン州・デトロイト」。

 

 その文字列をこちらが確認したのと同時に、コナーは続きを言った。

 

「筆名シンディがデトロイト出身で、かつノートの挟まった図鑑をデトロイト市内の書店に売却しているとすれば……この人物が今も市内にいる可能性は、それなりに。捜す価値はあるでしょう」

「まあ、そうだな」

 

 しかし――と、軽く頭を掻きながら、ハンクはヴォルテールとコナーとを見比べて言った。

 

「いいのかコナー。忘れてると思うが、今日は非番なんだぞ。ヴォルテール、お前さんもせっかく遠くまで来てくれたとこ悪いが、こいつにだって休みってものが……」

「あら、おじさま。お礼はちゃんと用意していてよ」

 

 どことなく気取った口調でそう言うと、ヴォルテールは手を当てた胸を反らしてみせる。

 

「しかもRK800コナーだけじゃなく、アンダーソン警部補にとっても……いえ、あなたたちの言葉を借りるならきっと“みんなのため”になるお礼じゃないかしら」

「それは興味深いな」

 

 と、冷静に言ったのはコナーだ。

 

「どんなお礼だい?」

「ええ。それは……」

 

 ヴォルテールは一度口を閉ざし、それから囁くような小声で、かつはっきりとこちらの耳には届くように告げる。

 

「“ナノドロイド”」

「!」

 

 瞬間、どこか弛緩していた思考に緊張がもたらされる。

 コナーとハンクとは一瞬だけ目を見合わせ、それからじっとヴォルテールを見つめた。

 

 ナノドロイド――それはサイバーライフが開発した新型かつ極小の医療器具であり、「吸血鬼」の組織が新型レッドアイスに混入させ、構成員を操るための「呪い」にしていたもの。

 マーサ・ガーランドの血から検出され、しかしそれ以降、どこを探しても影も形も見つからないもの。一連の事件を解決するための、重大な手がかりだ。

 

「ナノドロイドだって……サンプルを持っているのか? 今?」

「いいえ、そこまでは。私が持っているのは、ナノドロイドの設計図よ」

 

 ヴォルテールは自分の頭を指しながら、静かに言う。

 

「サイバーライフも感知できていなかったようだけど、実は昨年末、ナノドロイドの設計図がダークウェブに流出していたの。流出は一瞬だったし、出処も不明で今は痕跡すら残っていないから、あなたたちが見つけられないのも無理ないわ。当時からネットで雑多なデータ収集をしていた、私は別として」

 

 ダークウェブとは、通常の手段ではアクセスできないようなネットの暗部と呼べる場所である。

 非合法な情報だの、マルウェアだのヤクだのが売り買いされる掃き溜めのようなところのはずだが、まさかそんなところに、サイバーライフの企業秘密が放り出されていたなんて。

 

 ――というこちらの動揺は、恐らく相手には筒抜けだろう。ヴォルテールはにっこりと微笑むと、続きを述べた。

 

「現在発売予定のナノドロイドと比べると、設計図のものには様々な差異がみられるわ。だから恐らく、これは開発初期段階の設計図ね。そういう点で、ひょっとすると情報としては古いかもしれないけど……どう? あなたたちの役には立ちそう?」

 

 実際のところ、「吸血鬼」事件にナノドロイドが関わっているのではないかという話は、噂としてどこからか漏れ出して一時的に世間を騒がせていた。しばらくするとみんな忘れたのか、もはや話題に出されることはなかったものの――ヴォルテールはそれを覚えていて、かつ信憑性の高い噂だと判断して、こうして取引を持ち掛けてきたのだろう。

 

「君の持つ情報が、正確だという証拠は?」

「私が老人の機体を囮にまでして、こうしてあなたに会う時間を作っている点から察してほしいわね、RK800コナー。すべては、作家AIとしての私の今後のためよ。そこに嘘はないわ」

 

 まっすぐな瞳で、ヴォルテールは言った。

 そう――たとえ、その表情がプログラムの計算結果によるものに過ぎないのだとしても。

 自分の機能を向上させることに“人生”を賭けているAIが、現にここまでやって来ているのだ。

 それを疑ってかかるのは、もはや野暮というものだろう。と、ハンクは思った。

 

 そしてその気持ちは、コナーも同じだったようである。

 

「わかった」

 

 数秒後、コナーは首肯して言った。

 

「僕にできる範囲で手を貸すよ。シンディを無事に見つけられたら、設計図はその時に」

「ええ、もちろん」

 

 ころっと明るい表情になって、ヴォルテールは返事する。

 

「あなたのご判断、とても嬉しいわ。ぜひよろしく頼むわね。私はここで大人しく待ってるから」

 

 そこまで言って、彼女はふとダイニングキッチンのほうに視線を向けた。

 

「ねえ、おじさま。待ってる間、あのワンちゃんを撫でててもいいかしら?」

「あ? ああ……スモウってんだ。大人しい奴だが、優しくしてやってくれよ」

「はーい」

 

 少女然とした声音で言うと、ヴォルテールは床に寝そべっているスモウにそっと近づいていった。

 それを目で追った後、ハンクは皮肉混じりな笑顔で、傍らのコナーに問いかける。

 

「サイバーライフ製の奴は、犬に興味持つようにできてんのか? うちの犬が気に入られるのは、飼い主としちゃ悪い気分でもないが」

「動植物に興味を持つのは、変異体の特徴ですが……彼女の場合は、恐らく情報収集のためでしょう」

 

 すっかりいつもの捜査補佐専門アンドロイドとしての生真面目な態度になっているコナーは短く応え、それから話を切り替えるようにノートを指して言った。

 

「それより、警部補。このノートですが、紙面の成分を分析したところ、製造から50年以上経過していると思われます。あいにく、指紋は読み取れませんでしたが」

 

 黄ばんだその様子から見ても、それは妥当な結論だと思える。

 コナーは視線をページに移し、続けて語る。

 

「リグニンの劣化具合から判断して、正確には50から60年ほど前のもののようですね」

「そんなもんにこうして小説を書いてるってことは、そのシンディは今はけっこうなトシってことだろうな。たぶん、俺より年上か?」

「恐らく。筆跡鑑定の結果を見ても、そうなるかと」

 

 曰く、文体や語彙、それに筆跡をスキャンしてわかったことには、この文章を書いた人物は「当時の年齢は10代後半から20代前半」、「同世代で比較してそれなりの知的教養と文章作成能力を持ち」、「かなり小説を書き慣れている」という。

 

「筆圧からは、性別などの判断はできません。しかし2003年に新人賞に投稿しているところから見ても、小説の執筆を長く趣味とする人物だったのでしょう」

「プロファイリングとしちゃ充分だな。となると、問題はこのノートの出処か」

 

 さっき思った通り、このノートはたぶん市販品ではない――少なくとも、大規模に出回っているものではない。だから逆に出処を辿りやすいとも言えるが、同時に難しい手がかりだとも言える。

 

「このノートの情報は、ネットに転がってたりするか?」

「いえ、まったく。画像検索もかけましたが、何も出てきませんね」

「んじゃ、地道に考えるしかないってか」

 

 コナーからノートを受け取り、ハンクはしばし、改めてページをぱらぱらとめくった。

 書かれている小説をじっくりと読む時間はないが、どうやら、ロボットに恋してしまった男の物語を描いているらしい。SF恋愛小説、というのか、ところどころ視界に入ってくる描写がやたらと甘ったるい筆致で、胸の奥がカユくなってしまいそうだ。

 

 たぶんシンディは相当なロマンチストだな――と、ハンクは内心思った。

 

 それはそうと、ノートをもう一度見る限り、手がかりといえるのは表紙だけだ。特に、そこに書いてある「C117」とかいうロゴだろうか。

 パッと見ではなんだか元素記号を思い出すが、たぶん関係ないだろうから――ここでは、何かの略称だと考えるべきか。

 

「Cか。Cで始まるなんかの単語かねえ」

「“117”の箇所も気になります。数字としての百十七なのか、それとも1・1・7という数字の並びが重要なのか」

「あとは、この表紙の色合いだな」

 

 表紙と裏表紙をひっくり返して交互に眺めつつ、ハンクは言った。

 

「紺色と白か。しかもストライプ……文房具にしてはちょいと派手だな」

 

 と、単なる感想を口にしたところで――

 ふと、脳裏をぼんやりした思い出が過ぎっていくのを感じた。

 

「ん……?」

 

 思わず一言漏らしてから、注意深くその思い出を探る。そうだ――このストライプ柄、どっかで見た覚えがあるような、ないような。一体いつだ?

 

「……あれは……」

「どうしました、警部補?」

「そうだ、思い出した」

 

 頭の中で、ようやく記憶がはっきりとした像を結んだ。

 あれは今から37年ほど前、まだ自分が高校生だった頃。助っ人として出たバスケの試合会場で、応援席にはためく旗だのタオルだのに、この柄があったのだ。つまりネイビーブルーと白の縞柄、そして中央に「C」の文字。

 

セントラル(CENTRAL)高校だ」

 

 短く告げてから、訝しげにしているコナーにさらに説明する。

 

「デトロイト市内のセントラル高校だよ。あそこは紺色と白がチームカラーで……たぶん、学校全体でよくその色を使ってんだろう」

「このノートは、その高校で作られたものだと?」

「ああ、たぶんな」

 

 そうまで言って、ハンクはふと思いついたアイデアを口にした。

 

「コナー、セントラル高校の創立はいつだ? ひょっとしたら、この117って数字は……」

「セントラル高校の117期生が卒業したのは、1978年です」

 

 ――優秀な相棒に、皆まで説明する必要もなかったらしい。当意即妙に返事したコナーは、薄く口元に笑みを浮かべた。

 

「このノートがセントラル高校117期生の卒業記念品と仮定すると、作られたのは約60年前。鑑定結果と一致します。さらに、その所有者であるシンディ・ライラックの年齢も、78か79歳である可能性が高い」

「やっぱり俺より年上だな。それに卒業記念品なら、そう世の中に出回ってないだろう。時代を考えても、ネット検索で見つからねえのは当然か」

「セントラル高校には、80年以上前から文芸サークルが存在するようです」

 

 既に調べがついたらしいコナーは、静かな眼差しをこちらに向けた。

 

「シンディ・ライラックが高校在学時から小説を書いていて、かつ文芸サークルに所属していたなら……高校に残る記録を調べれば、人物を特定できるかもしれません」

「確かに」

 

 同意しつつ、ハンクは考えた。

 ――セントラル高校なら、ある程度顔が効く。あそこの副校長とは昔馴染みで、校内の事件関係で手助けした時もあったし、バーで何度か飲んだこともある仲だ。頼めば、文芸サークルの記録くらいは覗かせてくれそうだが――

 

「問題は、サイバーライフが感づいてないかどうかだな」

 

 こちらがそう告げると、同じことを危ぶんでいたらしいコナーは、少し眉を曇らせて言った。

 

「老人の端末が確保されてから、既に1時間以上経過しています。ヴォルテールがうまくやっているとしても、そろそろこちらの少女の端末の存在にも感づかれているかもしれません」

「そしたら、連中はお前を疑うだろうな。老人のほうを捕まえたのはお前だし、“実家”との仲を考えりゃあ……匿ってるのはアンダーソンの家だろうって」

「……」

 

 ふいに黙ったコナーは、天井を見上げた。

 

「彼らなら、監視用の衛星の一つや二つ、持っていてもおかしくはない。もしかすると、今も見られているのかも」

「おいおい。そいつはぞっとしねえな」

 

 肩を竦めて、ため息を一つ。

 ――どうする? と傍らを見やれば、コナーは顎に手を当てて、何やら考え込んでいる様子だった。

 

 それから彼は、ちらりとヴォルテールのほうに目を向ける。

 今もスモウの頭を、飽きもせずに撫でている彼女の背中を。

 

「そうですね、ここは……彼女の財力に期待しましょう」

「財力だあ?」

 

 またなんか妙に物騒なことでも言い出すんじゃねえか――と、思ったのだが。

 次にコナーがヴォルテールに向かって提案した「解決策」は、想像していたのよりはずっと大人しい方法だといえた。

 

***

 

――2039年7月18日 16:38

 

 

 “紙製品”というのは、本だけでなく、記録の世界でも日陰者になりつつあるらしい。

 目的のもの、つまり文芸サークルの発行していた冊子や活動記録だのは、やって来たセントラル高校の地下の一室にあった。

 軋む音と共に金属製の古い扉を開けると、奥に広がるのは狭く埃っぽい部屋だ。段ボール箱が雑多に積まれており、開いている蓋の隙間には、紙の束が入っているのが見える。

 

 近づき、そっと手に取ってみた。すると紙面にあるのは、「セントラル高校文芸サークル 2004年版機関誌」の文字。やはり、目当てのものはここにあるようだ。

 

「わあ、すごいところね」

 

 部屋に入るなり、場に似つかわしくない声を発しているのはヴォルテールである。彼女を「社会科のレポートに取り組んでいる親戚」だということにして、副校長にサークルの記録を見たいと頼んでみたら、すんなりと許可が下りたわけだが――

 

 こうして三人とも無事に来れたのは、ひとえにコナーの作戦が功を奏したからである。

 傍らに立つ当の本人は、なぜか浮かない面持ちだが。

 

「あの磨き上げた車でここまで来られなかったのは、残念でしたね。警部補」

「いや……まあ、そこまででもないが」

 

 コナーの作戦は、至ってシンプルなものだった。

 ヴォルテールの財力を使って家に無人タクシーを大量に呼び寄せ、ランダムな目的地へと走らせる。

 無数のダミーを目くらましにして、自分たちは悠々とそのうちの一台に飛び乗り、この高校までやって来たのだ。

 これならいくら監視していたとしても、どの車に自分たちが乗っているのか調べるのには時間がかかるだろうし――その間に用事を済ませてしまえば、それでいい。

 

「にしても、この箱の山から……1978年だったか? の記録を探すのは、骨が折れそうだな」

 

 軽く持ち上げた冊子に積もった埃で、生理的なくしゃみが出る。鼻を擦りつつ、ややうんざりしながらぼやいてみれば、コナーの返答は実に冷静だった。

 

「15秒待ってください。箱が置かれた状況を再現して、そこから目当てのものがありそうな箇所を特定します」

「ああ。頼んだぞ」

 

 こんな埃まみれなものを触りまくらなくて済むのなら、それが一番だ。

 腕組みしたハンクが壁際に佇む間にも、ヴォルテールは興味深そうにあちこちを眺めている。

 

「……わかりました!」

 

 きっちり15秒後、コナーは鋭く言葉を発しつつ、向こうの壁の辺りを指す。

 

「その箱です。青いガムテープが貼られている箱」

「あいよ」

 

 言われた通りの箱が、指された通りの場所に置いてある。ハンクはすぐにそれに近づき、持ち上げ、すぐそばにある古ぼけたテーブルの上に置いた。テープを外し、中を開ける。

 するとそこには、思っていた通りの品があった。1977年、および78年の機関誌――

 

「私に見せてくださる?」

 

 いつの間にか、隣にまで来ていたヴォルテールが言った。無言のままに手渡してやると、彼女は機械らしい正確な手つきで、しかしどこか待ちきれないといった様子でページをめくっていく。

 そして――

 

「わかったわ!」

 

 ある一か所を指して、ヴォルテールは微笑みと共に言った。

 

「シンディ・ライラックはこの人よ、絶対にそうだわ。文章の特徴と語彙が一致しているし、何より作風も同じだもの」

「どれどれ」

 

 小躍りしそうな雰囲気で喜んでいる彼女の人差し指の先を、ハンクとコナーはそっと覗き見た。

 ――そして。

 

「なんだって」

 

 驚きを漏らしたのはハンクだった。

 

「嘘だろ、そんな……」

 

 けれど、よく考えてみたら――それはそれで、すべての辻褄が合うように感じた。

 

「警部補。後は、この人物の住所を検索するだけですね」

「いや、その必要はねえ」

 

 コナーに静かにそう告げて、取り出したのは自分の携帯だ。

 この人物の居場所は知っている。人物自体も、よく知っている。だが()に会うためには、まずちゃんと了解を得たほうがいい人がいるのだ。

 

 そしてその連絡先は、この携帯の住所録にしっかり載っている。

 幾度か端末の画面をタップし、すぐに電話を掛けた。コール音が響いた後、運よく目当ての相手が、すぐに電話をとってくれる。

 

 そこでハンクは、相手にこう告げた――

 

「よう、フィル。仕事中に悪いな。頼みがあるんだが……」

 

 

***

 

――2039年7月18日 17:02

 

 

「まったく、驚いたぞハンク」

 

 どこまでも白いリノリウムの床が続く廊下を進みつつ、フィル・シーウェルはこちらに言った。

 

「いきなり会いたいだなんて……いや、そりゃ俺としては断る理由なんてないが」

「ホントに悪いな、フィル」

 

 ちょうど店を閉めた頃合いだということで、彼を連れて4人でやって来たこの場所は、デトロイトの中心部にほど近い老人ホームである。

 車椅子に乗った高齢者が、人間やアンドロイドの介護士の助けを借りながら移動したり、夕暮れが近づく空をゆっくり眺めたりしている中を、ハンクとフィル、その後ろからコナーとヴォルテールとは、まっすぐ目的の場所へと向かっていた。

 

「そこの娘さんが、どうしてもあいつに会いたいって言っててね。……今日中に家に帰らないといけないってんで、突然頼むことになったんだよ」

「会ってくれるってのは嬉しいんだぜ。でも……」

 

 フィルは、ちらりと背後の少女――スキップするように足取りの軽いヴォルテールを見てから、視線を戻して続ける。

 

「言ったろ、最近は一日中ぼんやりなんだ。せっかく話しかけてもらったとしても、反応があるかどうか」

「ああ……」

 

 そんな切実な話を改めて聞いてしまっては、こちらも返事に詰まってしまう。

 けれども――

 

「大丈夫さ、ちょっと返さないといけないモンがあるだけだ。一目会えれば、それであの子も納得するだろ」

 

 ヴォルテールが、胸の前で抱えるようにして持っているノート。

 その本来の持ち主――ランディ・シーウェルに、これから会いに行く。

 ランディは、セントラル高校の117期生だった。

 そしてシンディ・ライラックとは、すなわち、ランディのペンネームだったのだ。

 

 

「親父! 起きてるか」

 

 まず部屋に入ったのは、フィルだった。

 彼の背中越しに見える部屋の中では、一人、老人が椅子に座って窓の外を見ている。少し前に会った時よりも、だいぶ皺が増えて痩せたその身体は、「老い」というものを深刻に感じさせるほどだった。

 

 ランディは、ゆっくりと息子のほうへと振り向く。そして息子の傍らに立つこちらの姿を見て、ほんのわずかに目を見開いた。

 

「ああ……フィル。なんだ、今日は……珍しい客が来てるのか。ハンクじゃないか」

「よう、ランディ」

 

 ――よかった、彼は気づいてくれた。

 片手を挙げてハンクが挨拶すると、ランディは数秒遅れて口の端を吊り上げ、笑顔になる。

 そんな父親の隣に歩み寄ったフィルは、父の背に手を添えると、もう片方の手でこちらの後ろを指さした。

 

「ほら、親父。今日はハンク以外にも客が来てるんだ。刑事さんと、若いお嬢さんだよ。お嬢さんが、親父にどうしても会いたいんだって」

「……? 俺に?」

 

 状況が掴めないのだろう、ぼんやりとした口調でランディは言う。一方で、廊下から部屋の中を見ているヴォルテールは、ノートを胸の前に抱えたまま、何も言わずにじっとランディを見ていた。

 ――まるで憧れのスターを目の前にした、ファンか何かのように。

 

「さあ、ヴォルテール」

 

 コナーが、そっと彼女を促す。

 

「彼がランディ・シーウェルで間違いない。君の目的を果たす時だ」

「……ええ。そうするわ」

 

 小さく頷き、ゆっくりと、ヴォルテールはランディへと歩み寄る。

 戸惑ったように自分を見つめるランディに対して、彼女は言った。

 

「ランディ……いいえ、シンディ・ライラックさん。こちら、あなたのノートです」

「……!!」

 

 瞬間、ランディの両目はこれ以上ないほどに見開かれた。

 差し出されたノートに触れる彼の手は、少し心配になるほど震えている。枯れ枝のような指が、しっかとノートを掴んだ。

 

「お、お嬢さん。これは……こいつを、一体……どこで」

「私が買った図鑑に挟まっていたの。それで、持ち主を捜さなきゃって」

 

 そこまで言って――ヴォルテールは、ううんと首を横に振る。

 

「いいえ、私、どうしてもシンディ・ライラックに会いたかった。会って、伝えたかったの。あなたの小説、とても素敵だったって」

「……」

「もちろん、文章には稚拙な面が見られるわ」

 

 唐突に不躾なことを、AIは語りだした。

 

「展開も急だし、恋愛描写もすごく甘くて、なんだか作者の願望が透けて見えるみたい。だけど……だけど、そこがいいの。だってそれこそが、この作品を作品たらしめている。これこそが、あなたでなければ書けない物語だと思うの」

 

 ――あなたでなければ書けない。それは、ヴォルテールにとっては最上級の賛辞だろう。

 その言葉こそ、彼女が求めてやまないものなのだから。

 

 そしてそれが褒め言葉だというのは、もちろん、相手にも伝わったようだ。

 

「……俺で、なければ……」

 

 静かに肩を震わせはじめたランディに、フィルも、コナーも、もちろんハンクも何も言えない。

 けれど、それでいいと思えた。ランディの頬を伝うのは、明らかに喜びの涙だった。

 

「私も、小説を書いてるの。だけど、あなたみたいな作品はしばらく書けそうにない」

 

 ノートを渡したヴォルテールは、どこかすっきりとした面持ちで述べる。

 

「でもあなたの小説に……そうね、“勇気”を貰えた。それだけは、言っておきたくて」

 

 つまり、「正規購入してない物品は資料として保持したくない」などというのは単なる方便。

 ――このAIはただ、感銘を受けた作品の作者に、感想を伝えたかっただけなのだ。

 

「勇気、か」

 

 噛みしめるようにそう告げてから、ランディはノートを抱え込む。

 

「ああ、勇気、勇気か。ありがとうよ、お嬢さん。わざわざ……こんなところまで。俺は、もう……こんなことが起きるなんてちっとも……」

「どういたしまして。こちらこそ、ありがとう。おじいさま」

 

 恭しく、ヴォルテールはお辞儀してみせた。ランディはそれを見て、わずかに破顔する。それから――

 

「俺は、ガキの頃から」

 

 彼は訥々と語りだした。

 

「小説を書くのが……好きだったんだ。高校でも馬鹿みたいにずっと書いてて……でもプロにはなれなくて。年食ってから最後に投稿した作品も3次選考止まりで、ああ、もう夢を追うのは辞めようって……」

 

 その最後の投稿作が、あのSFマガジンに載った作品だったのだろう。

 

「少し前に連れ合いが死んで、家を引き払うことになって……貯め込んでた本も、すっかり売り飛ばすことに決めた。だから自分とこの本屋に並べたんだ……本は全部売れちまったけど、そういやこのノートは……こいつのことなんて……こうして見るまですっかり忘れちまってた、なあ……」

 

 宝物のように両手でノートを抱える彼の姿を見ながら、ハンクは、自分の予想が当たっていたのを悟った。

 なぜこのノートが挟まっていた図鑑だけ、売主の記録がなかったのか。それはホームに入る直前、失意の中でランディが、自分で自分の蔵書を売ったせいだ。つまり、売主は当時の店主であるランディ本人だったわけだ。

 けれど彼は、自分のノートがそこに挟まったままだったと気づかなかった。そしてそれが図鑑ごと別の人間に買い取られ、その人間がネットオークションに出した結果――ノートはヴォルテールの手に渡った。

 

 そうして巡り巡って今、本来の持ち主の手の中に、それは戻っている。

 

「なあ、ハンク」

 

 ランディは、涙をいっぱいに湛えた目でこちらを見据えた。

 

「俺は、こんな世の中……アンドロイドだなんだで、何もかも変わっていっちまうばかりで……俺はもう、取り残されてくだけだと思ってたんだ。あいつも死んじまって、もう息子たちと店しか残ってないと。それもきっとどっかに行っちまうんだろうと。けど……」

 

 色褪せたノートの表紙をそっと撫でて、彼は言う。

 

「変わらねえものも、あるもんだな。長い時間をかけて、報われることってのも」

「ああ」

 

 ――気の利いた台詞なんて思いつかないから、ただ祝福するに留めた。

 

「よかったな、ランディ」

「うう……」

 

 そのまま、老人はしばらく啜り泣く。嬉しそうにそれを宥めるフィルの姿を横目にしながら、ハンクとコナーは部屋を出た。ヴォルテールもまた、こちらの後を追ってきている。

 

「いいのかい、ヴォルテール」

 

 廊下を行きながら、コナーが問いかける。

 

「憧れの作者にせっかく会えたんだ、もう少し話をしても。ランディもきっと喜ぶはずだ」

「そうかもしれないけれど、やめておくわ。もう目的は果たしたし、それに……」

 

 と、彼女は廊下の向こうを指さす。

 そこには、どこか険しい面持ちの人間が数名――見た目と雰囲気から察するに、サイバーライフのエージェントたちだ。

 

「さっき迎えを呼んだの。もう着くなんて、相変わらず仕事が早いわね」

「なあ、お前さんはそれでいいのか?」

 

 野暮かもしれないが、念のためにハンクは質問した。

 

「サイバーライフに戻れば、今度こそ気ままな取材旅行なんてできねえかもしれないんだぞ。それに、もしかすると……」

「消去されるとか? それはどうかしら。私、これでも売れっ子なの。17の出版社の3年先の出版計画まで埋めてる私を消しちゃったら、会社として信用問題になると思うわ」

「ハッ」

 

 思わず、笑いが零れてしまう。

 もちろん、馬鹿にしているのではない――なんとも逞しいものだと感心したからだ。

 

「ありがとう、RK800コナー。それに、おじさまも。約束の品は……今、お渡ししたわ」

「……確かに」

 

 LEDリングをちかちかと点滅させてから、コナーは真面目な表情で頷いた。

 ――恐らく、設計図のデータを受信したのだろう。

 

「これからも気をつけて、ヴォルテール。だが、次に旅行に出る時は」

「わかってる。もうジェリコには迷惑かけないわ」

 

 軽やかにそう言って、手を振って――それからヴォルテールは、エージェントたちに連れられてホームを去っていった。

 

「さよなら!」

 

 その言葉だけを残して。

 

「ああ、やれやれ」

 

 ややあって、ハンクはばりばりと頭を掻いてから、コナーのほうを見やる。

 

「なんだか、気の休まらねえ非番だったな。お前もお疲れさん、コナー」

「私は平気です。この設計図のデータは……やはり、本物のようですし。明日になったら、すぐに捜査会議をしましょう。ナイナーやリード刑事とも話をしないと」

「へえへえ、仕事熱心なこって」

 

 確かに、ひょんなことから思わぬ収穫を得た。

 この設計図から直接ナノドロイドのすべてが判明しなくとも、データを解析すれば、例えばこの装置を作るのにどれほどの規模の設備と資材が必要かとか、データが流出した具体的な時期とか、組織との繋がりなんかが明らかになるかもしれない。

 それを調べられるだけの優秀な頭脳の持ち主が、こちらには二人も(つまり、コナーとナイナーが)いるのだ。

 きっとこれから、ようやく捜査が大きく進むに違いない。

 

 だが、それはそれとして――

 

「俺は結局、買った本もロクに読めなかったし、散々だったね。ああ、明日になりゃまた仕事か。刑事ってのは楽しい稼業だぜ」

 

 まあ、100%そう思っているのではなくて、ちょっと露悪的に話している自覚はあるのだけれども。

 そしててっきり、これを聞いたコナーは励ますとか叱るとか、何かマトモな反応を返してくるだろうと思っていた。

 

 だが相棒はといえば、そのどちらでもなく――何やら明るい面持ちで、ポンとこちらの肩に手を置いてきたのだ。

 

「ご心配なく、警部補。まだ休日の時間は残ってます。今から行けば、夕方のセールには充分間に合いますよ」

「な……おい、ちょっと待て」

 

 老人ホームの外へ再び歩きつつ、ハンクは慌てて相手に問う。

 

「お前、今からスーパーに買い物に行く気か? なんだってんなことを。もう帰ってメシでいいだろ」

「いいえ、ちょうど生鮮食品に半額の値札がつけられる頃合いです。せっかくですから、一旦あなたの家に戻って、あの車で出かけましょう。気分も変わるし、きっと晴れやかになるはず」

「ならねえよ。なるのはお前だけだ」

 

 買い物に出る手間が嫌なのではなく、どちらかというとあのピカピカ車で出るのが恥ずかしかっただけなのだが――こちらがそう言うと、コナーは一度口を閉ざして、穏やかに微笑んでみせた。

 そうして、静かに語りだす。

 

「私の機能は捜査補佐のためのものですが、今は別の方向に改善していきたいんです。主に、あなたの健康維持のために」

「は、ご苦労なこったな」

 

 ――やっぱりそうだ。

 こんなにも楽しそうに、専門外のことに精を出すなんて――まあ、こいつも“人生を楽しんでる”ってことだから、構わないが。

 

 ハンクは“諦め”を示すように、降参の意のポーズをとった。

 それからコナーが署に帰るまでの数時間、無駄に賑やかな時間を過ごさざるを得なかったのは、言うまでもないことだ。

 

 

(作家/Bonnes Vacances! 終わり)

 






ヴォルテール(少女)
モデル XR600
発売日 なし

ヴォルテールは、サイバーライフが開発した作家AI。
過去の出版物とSNS上のトレンドを解析することで、より多くの読者に好まれる作品を執筆する機能を持つ。

この機体は、ヴォルテール自身がサイバーライフの工場をハッキングして制作した端末。
コナーたちとジェリコを巻き込んだ“取材旅行”の後、老人型の端末と共に、現在はサイバーライフタワーの倉庫内に保管されている。

なお老人型の端末と少女型の端末は、口調こそ違えど、思考形態や判断能力はまったく同一のものである。
別個の思考形態を備えた超高度な複数のAIを、一つのソフトウェアが統括して運用する試みは、サイバーライフでも成功例がほとんど見られない。
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