Detroit: AI   作:けすた

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第42話:逆転 後編/The Unusual Suspect Part 2

――2039年7月20日 11:39

 

 

 トルシェム氏の邸宅が建っているのは、デトロイト郊外の住宅地だった。十数年ほど前までは「高級」な場所として名を馳せていたその区画は、今はどことなくうら寂しい場所へと変貌している。ダウンタウンに高層マンションが林立するようになり、高所得者は皆そちらに引っ越してしまったせいだ。

 

 そうした土地柄によるものなのか、あるいは本拠地のシカゴと比べるとこちらは「別邸」という扱いだったからなのかは不明だが、トルシェム邸もまた立派な外観ではあるものの豪邸というほどではない、ひっそりとした印象の建物だった。

 両隣が売家となっているので、犯罪の隠蔽にはもってこいなのかもしれないが。

 

「……」

 

 空港を出てからこの住宅地まで、お互いにほぼ無言を貫いていたコナーとギャビンは、なおも無言のまま、停めた車中からトルシェム邸を眺めた。

 

 ――これからこの屋敷を捜査し、グレアム・トルシェム殺害の真犯人たちが、遺体を隠蔽するのに使っただろう冷蔵設備について調べなければならない。コーディ・モールズとメイジー・トルシェムが姿を眩ませている今、わずかであろうと、手がかりを掴むための行動をすべき時なのだ。

 今、ハンクにはグレアム殺害の嫌疑がかけられてしまっている。潔白を上層部に証明できなければ、彼は15時から始まる査問に掛けられるだろう。そうなれば、懲戒フォルダに刻まれた素行不良のせいで、警部補の刑事人生が閉ざされてしまうかもしれない。

 

 だが、そうはさせない。

 相棒であり恩人であるアンダーソン警部補の冤罪は、必ず自分が晴らしてみせる。

 その決意を胸に、コナーは弟であるナイナーの服装と立場を借り、ギャビン・リード刑事をパートナーとして、こうして捜査に乗り出しているわけなのだが――

 

 車から降りたコナーは、ギャビンがやや乱暴に反対側のドアを閉める音を感知しながら、辺りに素早く視線を巡らせた。

 トルシェム邸の周囲に自分たち以外の人影はなく、行き来する車すらまばらな状態だ。監視カメラもないので、ここに最近訪れた人間がいるのかどうかは断定できない。

 

 ただ、トルシェム邸のほど近くの道路上に、大型のバイクが一台停まっているのが目に留まった。痕跡からみるに、ここに駐車されたのは【9:43】頃。

 乗っていた人物がどこに行ったのかまではあいにく分析できないが、気になったのはナンバープレートが引き剥がされている点だった。【道路運送車両法に違反】と、視界の端に表示されている。

 

 ――偶然ここにあるだけなのか、それとも先客がいるのか。

 コナーは訝しんだ。けれどそれを明確に言語化するより早く、背後から投げかけられた言葉に思考を中断する。

 

「ハッ、こんな時にも点数稼ぎか? さっすが、お偉いプラスチック刑事サマだな」

「別に見咎めていたわけでは」

 

 反論しながら振り返れば、声の主たるギャビンの視線とぶつかった。彼は相変わらずこちらを揶揄するような笑みを浮かべていたが、普段と違い、その目にはどこか怒気のようなものが燻っているように見える。

 先ほど空港のホールで口論になったのは確かだが、まだそれを根に持っているというのだろうか? ――あれはどう考えても彼が悪いのに!

 そう思いつつも、表向きは冷静に、コナーは続けて言った。

 

「あそこに放置されているのが偶然かどうか、考えていただけです」

「あーそーかい。そりゃご立派ですね」

 

 まったく立派だとは思っていない口調でそう言ってのけると、ギャビンは踵を返してトルシェム邸へと歩み寄っていく。

 要は、さっさと屋敷を調べるのが先決だと言いたいのだろう。彼の物言いはともかく、それにはこちらも同意する。

 コナーは足早にギャビンの背を追い、追い越し、先に玄関ポーチに辿り着くと、ドアの呼び鈴を押した。

 

「すみません!」

 

 声で屋内に呼びかける。誰かいるなら協力を要請したいところだが、無人ならばそれはそれで問題だ。コーディやメイジーが重要参考人ではあっても逮捕状が出ているわけではない以上、無理やりこの家に押し入って調べることはできないのだから。

 

 しかし、誰も出ない。

 仕方ないので、コナーはドアを大きく三度叩いた。

 

「開けろ! デトロイト市警だ!」

 

 はっきり呼びかけてみても――やはり誰も出ない。

 

「おい、いきなり大声あげんな!」

 

 傍らのギャビンは自分の耳を押さえて文句を言っている。また皮肉なのかと思いきや、彼の表情の引き攣りようとストレスレベルから見てどうやら本心らしい。

 

「音量調節ミスってんじゃねえのか、このポンコツが」

「いいえ。それはそうと」

 

 手短に否定してから、コナーは問いかける。

 

「どうします、リード刑事。周囲の様子を探るか、近所に聞き込みに回るか……いずれにせよ、手分けするべきかと思いますが」

「手分け、ね。そりゃ当然だが」

 

 途端に、彼は不敵な表情を浮かべた。そのまま玄関ポーチの短い階段を下り、道路のほうへと向かいつつ、続けて語る。

 

「こんな寂れた街のご近所どもに話を聞いて、何かわかると思うか? コソ泥だって寄り付かねえだろ、こんなとこ」

「確かに」

 

 こちらもポーチから下りながら、素直に相槌を打つ。

 なるほど、彼の言う通りだ。さっき確認したように、ここの両隣は売家である。たとえコーディたちがこの家で何か怪しい行動をとったり、あるいは大型の冷蔵庫などを借りて堂々と運び入れたりしていたとしても、近所の住民がそれを目撃している可能性は極めて低い。聞き込みが無意味とは言わないが、信頼できる目撃証言が得られる保証はない。

 

「では、どうすると?」

「こういう時はよ……」

 

 道路脇まで来たギャビンは、わざとらしくこちらを一瞥した。

 それから、設置されているゴミ箱のバケツ――回収業者が来るまで、家庭ごみを戸別でまとめて捨てておく大型のものである――に向かって足を振り上げ、思い切り蹴とばした。

 

 必然、ゴミ箱は派手な音を立てて倒れる。蓋も外れ、分別などされていないその内容物が、無残にアスファルト上に散乱した。中身の詰まった黒いポリ袋、ワイン瓶、缶ごみ、紙ごみ、雑多な生ごみなど。

 

 しかし、これで何を?

 ギャビンの意図がわからず、コナーは小首を傾げて相手を見やる。すると、彼はニヤついたまま口を開いた。

 

「ほれ、掃除しろ」

「な……?」

 

 顎で命じてきたギャビンの言葉が信じられず、思わず戸惑いを発してしまう。いくらアンドロイド嫌いだからって、捜査中にまで無意味な命令をしてくるとは考えていなかったのだが――

 

「わかんねえのか? 見ろよ」

 

 腕組みした彼はそう言いながら、靴先で道路上のゴミを指した。そこにあるのはくしゃくしゃに丸まった紙ごみ――クレジットカードの明細書と、その封筒だ。

 

 はっとしたコナーが視線を再び送ると、ギャビンは我が意を得たりとばかりにさらにニヤついて、語りだす。

 

「相手はプロでもなんでもねえ、ただのトーシロだ。そんな連中が、こういうゴミにまで気をつけると思うか?」

「なるほど。捨てられているゴミから、犯罪の痕跡を探るのですね」

 

 納得と共に、コナーは初めて本心からギャビンの手腕を素晴らしいと思った。

 

 ――要は、こういうことだ。コーディたちは恐らく犯罪のプロではなく、ハンクに罪を着せたその過程がいかに計画的なものだったとしても、証拠隠滅にまで細かく気を遣っていないのは、こうしてゴミを普通に廃棄していることからも明らかである。彼らは、これを探られるかもしれないとは思っていないわけだ。

 

 となれば、何か犯罪を裏付けるような証拠をゴミの中から発見できる可能性がある。もしコーディたちが、自分たちにとって要らないものを不用意に捨てているのなら、例えばここから大型冷蔵庫のレンタルや購入に関するレシートなどを見つけられるかもしれない。そうすれば、捜査は大きく進展する。

 

 もちろん無断でゴミを漁るなど、本来であれば正式な捜査手法として認められない行為だ。しかし重要参考人たちが姿を消し、かつこちらには時間制限があるとなれば、多少強引な手も使わざるを得ない。

 それに散乱してしまったゴミを、そのまま放置しておくこともできない。というより、仮に何か余所から指摘を受けたとしても、ギャビンはこう抗弁するつもりなのだろう。

 

 ()()()()足がゴミ箱に当たって、()()()()中身をブチ撒けてしまったから、掃除しただけだ。なんか文句あるか。それともゴミをほったらかしにしててもいいってのか、と。

 

 ギャビン・リード刑事が、自分のキャリアのためならたとえ人を怒らせるような行為でも平気でしてしまう性格だというのは、これまでの仕事上での付き合いや、ナイナーからの伝聞でよく知っていた。

 しかし今、彼のその容赦のなさが、思いも寄らないような打開策を提示してくれたのである。

 

 さすがはデトロイト市警の刑事だ。先ほどはつい売り言葉に買い言葉で、弟の機能に頼ってばかりだろうなどと彼につまらない皮肉を言ってしまったけれど、撤回するべきか――

 などと、コナーはそんなことを思ったのだが。

 

「じゃあな」

 

 コナーがしゃがみ込んでゴミに向き直るやいなや、ギャビンはすたすたとトルシェム邸のほうへ戻っていく。

 

「どこに行くんです?」

 

 問いかけにちらりと振り返ったギャビンは(彼は既に拳銃を抜いている)、こちらを見下ろすような目つきでこう応える。

 

「決まってんだろ。どっかに入り込む隙間がないか見てくんだよ」

「本気ですか」

 

 訝しさを露わに、コナーは問いかけた。

 

「令状もなく押し入っては、不法侵入にあたりますよ。それに一人では危険です。私も……」

「てめえの仕事はそっちだろが!」

 

 途端に声を荒らげて、彼はゴミを指さした。

 

「プラスチックにはゴミ漁りがお似合いだろ。特にお前は、ハンクの世話で慣れてそうだしな」

「警部補の手伝いとゴミになんの関係があるのかわかりませんね、リード刑事」

 

 ――少しは見直したと思ったのに、またもや問題発言だ。

 コナーはギャビンをじろりと見据えた。けれどその時、緩く吹いた風のせいで紙ごみが飛んでいきそうになる。相手から視線を外さぬまま、コナーはそれをしっかと片手で捕らえた。

 

 一方で、ギャビンはそんなこちらの様子をへらへらと眺めている。

 

「ご苦労さん。せいぜい手ぇ抜くなよ」

 

 こちらに向けた人差し指をさらに突き出してから、短く声をあげて笑った後、彼はさっさと去ってしまった。どうやら、家の裏庭に回るつもりらしい。

 

「……まったく……」

 

 ギャビンの姿がすっかり見えなくなってから、ごく小さく、コナーは独り言ちた。

 確かにアンドロイドである自分なら、たとえゴミを掻きまわしたところで人間のように悪臭に悩まされることも、繁殖した細菌による感染症を恐れる必要もない。それに、分析すればより詳細な情報を得られるだろう。

 とはいえ彼のあの物言いでは、まるで体よく雑用を押しつけられてしまったようで、気分がよくない。

 

 首を軽く横に振ってから、コナーはゴミの片付けと分析を開始するのだった。

 

***

 

 

 トルシェム邸の敷地内の庭は、最低限の管理が施されている印象はあるものの、さして整っているとも言えないようなところだった。

 もっとも、金持ち臭が全開のごてごてした庭なんてものはもっと嫌いなので――こぢんまりとした家庭的な庭というのもそれはそれで嫌いだが――まあよしとしてやるか、などとギャビンは考えた。

 

 しょぼしょぼと地面に生えた芝を踏みながら、コナーとのさっきのやり取りを思い出す。

 今頃あのポンコツ刑事は、澄ました顔してゴミ拾いに精を出していることだろう。

 ――いい気味だ。何が「弟の機能に頼ってばかり」だ、ふざけるなよクソが。

 

 内心で毒づきながら、ギャビンは拳銃のグリップを握る手の力を強める。

 まったく、誰が好き好んでコナーなんかと“コンビ”になるというのか。あのいかにも最新鋭のアンドロイドらしい、エリート然とした落ち着き払った態度が、酔いどれアンダーソンの冤罪のせいでちょっとは崩れている様子なのは見ていて面白いが、ただそれだけだ。

 

 これまでを思い出しながら歩いていると、だんだん苛立ちが募ってくる。おまけに屋敷の窓は、どれを調べてもきっちりと鍵がかかっていた。クソ、どれか一つくらい空いていてもいいものを。

 さらに歩いて別の侵入口を探しながら、ギャビンはますますイライラして考えた。

 

 ――そもそも自分にとって、ハンクの濡れ衣など心底どうでもいいことだ。あの酒臭アンダーソンの今後がどうなろうと、こちらの昇進には何も関係がない。それどころか、警部補の枠が一つ空くのだから、かえって都合がいいくらいかもしれない。

 

 それでもこうしてコナー()()()と一緒に捜査をしているのは、ひとえに、自分のプライドの問題だからだ。決して、ポンコツ備品のRK900が余計な口出しをしてきたからではない。

 

 屋敷の裏側に回り込みつつ、ギャビンは今朝の出来事を――すなわち、出勤してすぐ、備品に通路を塞がれた時を思い出した。

 

 

 今朝、自分のデスクに向かおうと廊下を歩いていたら、いきなりポンコツが目の前にぬっと現れた。例によってこめかみのLEDリングを黄色にビカビカさせているので、どうせまた何か起きたのだろうと思っていたら、相手はいやに(無表情なりに)緊迫しているように見えなくもない面持ちで、事情を説明しはじめたのだ。

 

 ハンク・アンダーソンが殺人の容疑者とされていること。

 昨日の事件の顛末。

 このままだと、職を辞さねばならない展開になり得ること。

 

 ポンコツはボソボソと語った後、いきなり口を閉ざした。

 それから、一度は落ち着きかけたLEDリングの光をまたもビカビカさせると、こんなことを言ってきた。

 

「ついてはリード刑事に、兄さんとの一時的なチームアップを要請します。アンダーソン警部補の援護が目的です」

「は? 誰がんなことするか」

 

 腕組みしてせせら笑いながら、ギャビンは言い放つ。

 

「あのオッサンにも、ついに焼きが回ったってこったろ。酒で潰れる前にハメられて終わるなんて、ロクな人生じゃねえな。ははははっ!」

「本当に」

 

 その時――生意気にも――遮るように声を発してから、備品は続けて言った。

 灰色の瞳でこちらをまっすぐ、見つめたまま。

 

「本当に、そう思考しているのですか。リード刑事」

「あぁ? どういう意味だ、てめえ」

「私は、あなたが……この結末を希望しているとは認識しません。あなたが警部補と対立してきたのは、それがあなたの『心』の問題だからではないのですか」

 

 ――まったく意味のわからないことを、ポンコツはのたまった。

 だから脇をすり抜けて先に進もうとしたのに、備品は巧みなフットワークでなおも行く手を塞いでくる。

 こちらの舌打ちなど意に介さずに、相手はさらに喋り出した。

 

「仮にこのままアンダーソン警部補が失職したなら、リード刑事、あなたは今後永遠に、彼を超越したと認識する機会を喪失してしまいます」

「は? 超越……?」

「彼よりも自身のほうが、刑事として優越していると証明可能な機会を喪失する、という意味です」

「……」

 

 やはり、ちっとも意味のわからないことを言っている。きっといつにも増して、酷いエラーでも出ているのだろう。こんなのが正真正銘の最新鋭だなんて、サイバーライフも地に落ちたものだ。

 

 そんな思いを抱きつつ、しかしギャビンは立ち止まった。

 別にポンコツの語りに共感したからなどではない。単に、このままではずっとデスクに辿り着けなさそうな気がしただけだ。

 ついでに、ここではっきりさせておいたほうがいいだろう。

 そう思って、ギャビンは備品に対して口を開く。

 

「ハッ。ハンクより俺のが優れてるなんて当たり前のこった。いちいち証明する必要すらねえ」

 

 しかし、続きの言葉が出てこない。ポンコツの発言が参考になったわけではまったくないが、思い当たるものがあったからだ。

 

 そうだ、酔いどれハンクには信奉者(シンパ)が多い。クリスやベン・コリンズだけでなく、もっと末端の職員だの警官だのも含めて、あいつのことをすごいだの、すごかっただのともてはやす奴は大勢いる。

 それに何より、さらに考えてみれば。

 もしこのままハンクがいなくなったなら、誰よりもあいつ自身に、ギャビン・リードのほうが優れているのだと見せつけてやる機会がなくなってしまうのは確かである。

 

 20年ほど前の6月、あの路地裏での出来事が頭を過ぎった。

 あの日与えられた「屈辱」を、コケにされた苦痛を、あいつにも味わわせてやらなければ気が済まない。

 そうなると、あの時投げて寄越された絆創膏を、逆に突きつけてやる時まで、あいつには警官でいてもらわなければならないことになる、だろうか。

 

 そうとも、勝ち逃げなんてさせてやるものか。もちろんハンクはそもそも“勝って”などいないのだが、少なくともあいつがこちらをコケにしている限り、あいつの中では勝ち逃げというのが事実になってしまう。

 そんなのは絶対にお断りだ。

 

 ――となると。

 

「おい、ポンコツ」

 

 改めて、ギャビンはRK900に告げた。

 

「一つ。型落ち野郎がふざけた真似しやがったら、速攻でゴミ箱に叩きこんでやる。二つ。ハンクがどうなろうと、俺の知ったこっちゃねえ」

「理解しました、リード刑事。……ご協力に感謝します」

 

 ポンコツ備品のこめかみのLEDの色が、黄色から青に変化して、安定する。

 その有り様を見るのもなんだか不愉快な気分になってきて、ギャビンはもう一度盛大に舌打ちをした。

 

 

 ともあれ、こちらが曲がりなりにも「協力」してやるつもりになったのは、それが理由だ。

 だというのに、あの型落ちアンドロイドは言うに事欠いてギャビン・リードはRK900におんぶにだっこだなどと、よくもそんなクチを叩けたものだ。

 

 こうなればあいつよりも先にさっさと証拠を掴んで、吠え面かかせてやるに限る。

 お前はせいぜい臭えゴミでもペロペロ舐めてろ、クソロボット!

 

 この場にいないコナーを頭の中で罵倒している間に、ギャビンは見事に屋敷の裏口を発見した。

 しかも――そう、ギャビンの意識が職務中のものに切り替わる。

 

 うっすらと、裏口は開いていたのだ。

 

「……マジか」

 

 口の中で、ギャビンは呟いた。極力足音を立てないようにしてそっと近づいてみても、やはりドアはほんの僅かではあるが開いており、自由に中に入れるようになっていた。

 

 心臓の鼓動が早くなり、緊張感がある種の高揚を伴って胸中を満たしていく。

 うっすらと笑みを湛えながらドアノブに手をかけ、そのまま静かに引いて、隙間から身体を屋内へと滑り込ませた。

 

 油断なく銃を構えつづけているものの、予想に反して邸内(ここはダイニングルームだろうか?)には人影がなく、しんと静まり返っている。当然、天井の灯りも消えていた。

 やはり留守なのかとも思ったが、その時、かすかな物音が鼓膜に届く。隣部屋か――と視線を巡らせてみると、この部屋とドアで隔てられた向こう側から、再びがたりと小さな音がした。

 よくよく見れば、ドアの下から白い光が少しだけ漏れている。

 

 隣に誰かいる。

 裏口を開けっ放しにしていたのは、きっとそいつだ。

 そしてこんな時にこの家にいるということは、くだらないコソ泥か、あるいは――

 

 いよいよ獲物を前にした肉食動物のごとき気分で、それでも慎重に足を動かしながら、ギャビンは隣室へのドアに歩み寄る。ゆっくりとドアノブを回し、扉を押し、銃を突きつけるようにしながら半歩、部屋に踏み入った!

 すると――

 

「……!」

 

 ビンゴだ。

 踏み込んだ先の部屋はキッチンで、小さなテーブルと椅子を挟んだ向こう側には、冷蔵庫が二つあった。一つは、一般家庭用のやや大きなもの。その隣には大の大人が一人まるまる入れてしまいそうなほどに大型の、業務用冷蔵庫。

 

 しかも業務用のほうを今、熱心に掃除している奴がいる。念入りに、まるで何かの痕跡を消そうとしているかのように丁寧に、中を雑巾で拭いているのだ。

 背を向けているのでこちらの侵入には一切気づいていない様子のそいつは、赤茶色のちぢれた髪を生やした、20代半ばくらいの白人の男である。

 そしてコナーから事前に得ている情報で、相手の正体にはすぐ思い当たった。

 

 こいつこそが、コーディ・モールズ。

 空港の警備員であり、かつ、グレアム・トルシェムを射殺した実行犯と思しき男。

 なのにこうしてのこのことトルシェム邸に来ているばかりか、せっせと証拠隠滅作業を警官の目の前でやっているとは――あまりにも馬鹿すぎて、同情したくなるほどだ。

 

「手を挙げろ!!」

 

 まあ、もちろん同情なんてしないんだが。

 内心で嘲笑いながら、ギャビンは鋭く警告を発し、テーブル越しに相手に銃を向けた。

 きっとコーディは跳び上がり、震えあがって慈悲を乞うに違いない――と、思っていたのだが。

 

「……」

 

 予想に反して、コーディはなんの反応も見せなかった。こちらの言葉にはまったく反応せずに、せっせと雑巾を動かしている。肩透かしに負けずにじっと相手を観察すれば、なんと奴の両耳にはイヤホンが刺さっていた。

 つまりコーディはブルートゥースで音楽を聴きながら、吞気にお掃除中というわけだ。恐らく、さっきの玄関先でのコナーのクソデカボイスになんの反応もなかったのも、単純にこいつが気づいていなかったせいなのだろう。

 こうなってくると、なんだか逆に馬鹿にされているような気分になってくる。

 

 なんならこのままブッ放してやろうか、それとも近づいていきなり手錠(ワッパ)嵌めてやるか――などと思ったが、もちろんさすがにそうはしない。

 ギャビンは相手に銃口を向けたまま、目の前にある椅子を強く蹴とばした。木製の高価そうな椅子は大きな音を立ててシンクに激突し、そしてその衝撃で、ようやくコーディは気づいたらしい。

 

 コーディはゆっくりと振り返り、こちらを見て一気に表情を引き攣らせた。

 ――そうそう、こうでなくては話にならない。

 ギャビンはニヤリとほくそ笑み、それから銃口をくいくいと動かして、まずはイヤホンを外させた。

 

「コーディ・モールズだな」

 

 青い顔をしている相手に向かって、静かに告げる。

 

「俺が誰かわかるか? デトロイト市警のもんだ。てめえがやらかしたコロシと、つまんねえ小細工について話がある。鉛玉ブチ込まれたくなかったら、大人しくついて来るんだな」

「し、し、知らない」

 

 御多分に漏れず、コーディは間の抜けた弁明もどきを繰り出した。

 

「知らない、オ、オレは知らない! オレは言われた通りにやっただけだ、ぜ、全部アイツにやれって言われたから」

 

 ――アイツ? メイジー・トルシェムのことか?

 内心では訝しむものの、それは面に出さずに、ギャビンはわざと相手を鼻で笑ってみせる。

 

「へーなるほど、そいつは興味深いね。そういう話も全部署で聞くからよ、まずは両手を挙げな。間抜けが」

 

 未だにまごまごと雑巾を片手にモタついているコーディに、優しく作法を教えてやる。

 けれど、だというのに相手の顔色はますます青ざめていくばかりだった。視線が泳ぎ、手が震えている。銃を突きつけられてビビらない人間などいないのは確かだが、こんなんでよく警備員なんてできたもんだ。

 

 などと、余計なことを考えたのが悪かったのかもしれない。

 

「うわあああああ!」

 

 瞬間、コーディは叫ぶと同時に手の中の物――要は雑巾をこちらに投げつけてきた。

 

「ぶっ!?」

 

 異臭のする雑巾は、運悪くギャビンの顔面に当たる。そしてベショベショに濡れて貼りつくそれを頑張って顔から剥がし落としている間に、どたどたと大きな足音を立てつつ、コーディは部屋の外へと逃げ出していったのである。

 

 ――まずい。このままでは取り逃がしてしまう!

 

「待てコラぁ!!」

 

 怒りのままに一喝してから、ギャビンは急いでコーディを追った。

 

***

 

 

 その頃コナーは、ゴミの分析と掃除をほとんど終わらせていた。

 

 残念ながら、最初に見つけたクレジットの明細書や、その他の紙ごみや生ごみからは、有益な情報は得られなかった。

 最後に残ったのは折り畳まれた状態でそのまま捨てられていた近所のバーガー屋のチラシと、目の前にある黒いポリ袋のみ。コナーはポリ袋に手を伸ばした。

 

 固く結ばれた袋の縛めを解くと、中にはポテトチップスの袋や枯れた花、使用済みのティッシュペーパーと一緒に、くしゃくしゃに丸められた薄い紙が入っている。

 

 紙ごみを手に取り、ゆっくりと広げる。それはどうやらレシートで、紫色のインクによってこう印刷されていた。

 

『デトロイト・家具レンタル ユース株式会社

業務用冷蔵庫 2039年7/17~7/23の期間 640ドル

デトロイト市リンガー・アヴェニュー241 メイジー・トルシェム様』

 

「……!」

 

 声にこそ出さなかったが、コナーはぱっと表情を明るくした。

 ――間違いない。これはメイジー・トルシェムが冷蔵庫をレンタルしたという動かぬ証拠だ。

 そしてレンタル期間をみるに、もし彼女がまだ返却していないのなら、この家の中にその冷蔵庫はまだあるはず。

 ならば直接調べられれば、きっとグレアムの痕跡を見つけられる。すなわち、冷蔵庫に遺体が隠されていたことと、グレアムの死亡推定時刻が操作されていたこととを裏付けられるのだ。

 

 後は、コーディとメイジーの行方さえわかれば事件解決である。

 

 ようやくはっきりとした筋道が立ち、我知らず「安堵」の感情を覚えながら、コナーは証拠品であるレシートを大事にポケットにしまった。それからポリ袋をゴミ箱に戻そうとしたところで、ふと、強い風が吹く。

 

 風に煽られて、残っていたバーガー屋のチラシがふわりと宙を飛び、やや離れたアスファルト上に落下した。

 先を急ぐ身ではあるが、ゴミをそのまま放置しておくのは忍びない。おもむろに立ち上がると、コナーはチラシに歩み寄り、拾い上げた。

 

 ――その時である。

 

 大きな音と共に、トルシェム邸の玄関のドアが勢いよく開く。何ごとかと視線を向ければ、飛び出してきたのは赤茶色のちぢれた髪、そばかすの散った顔を真っ青に染めた一人の男性だった。

 フェイススキャンの結果を待つまでもない。既にメモリーから呼び出しているその顔と名前は、現段階での最重要目標として厳にプログラムに刻み込まれている。

 

 コーディ・モールズだ。なぜここに!

 ともあれこれは絶好の機会だ。コナーは持っていたゴミを一旦放り出し、すかさず相手に駆け寄っていった。

 

 だがコーディは道路脇に停めてあったバイクに跨ると――やはりあれは事件に関係するものだったのだ!――素早くエンジンをかけ、無我夢中といった様子で逃げ去ろうとしている。

 こちらの鼻先で、相手のバイクが動き出した。コナーは叫ぶ。

 

「待て!」

「待てっつってんだろうがぁ!」

 

 玄関のほうから聞こえたのは、ギャビンの叫び声である。察するに、邸内に押し入ったところでコーディと鉢合わせにでもなったのだろうが、今はそちらに気を配っている余裕はない。

 ここでコーディを見逃すわけにはいかない!

 

 刹那のうちに決断を下したコナーは持てる全速力で駆けだし、一気にバイクを追いかけはじめた。

 機能として自分に発揮できる最高速度はせいぜい時速35キロ、バイクのそれとは比べ物にならない――というのはわかっている。視界の端にも、このまま追跡してもコーディに追いつくのは不可能である旨の警告が表示されていた。

 

 だが、だとしても、ここで止まることを選べなかった。ハンクが疑われる前、もし自分がもっと早くに真相に気づけていたら、より冷静沈着でいられたならば、事態がここまでこじれることもなかったのだから。ここで諦めることを、自分で自分に許可できない。

 アンドロイドに疲労による減速などない以上、追い続けていれば、打開の可能性があるかもしれない。

 

 それに相手は、用意周到にもナンバープレートを外している。ここで見失ってしまったら、警察のシステムやナイナーのドローンの助力を得ても、再発見まで時間がかかってしまうだろう。

 タイムリミットまで、あと3時間しかないというのに!

 

 コナーは限界ぎりぎりまで、さらに足を速めた。幸いにも車通りは相変わらず少ないので、邪魔が入ることはないものの、距離が縮まることもない。一方で相手は何度もおどおどと後ろを振り返りながら、こちらの様子を窺っている。怯え切っているが、降伏するつもりもない、という姿勢が感じられた。

 

 しかも、それどころか――バイクに跨ったまま、何かごそごそと身を動かしたと思った次の瞬間。

 ぐるりと身を翻したコーディが、こちらに向けているのは拳銃の銃口であった。

 

 どうやらバイクのほうに用意してあったらしい、などという考えがプログラム上を過ぎると同時に、激しい衝撃を右肩で感知する。

 撃たれた。

 恐怖に歪んでいた人間の顔が、勝利を確信した笑みへとゆっくり変わっていくのを、視覚プロセッサがはっきりと捉えている。

 

「う……!」

 

 たまらずコナーはたたらを踏み、足を止めた。ソーシャルモジュールが自動的に「苦痛」を示す声をあげさせ、いくつかのエラー報告が視界の端に流れていくのが見える。

 ――だが。

 

「ひいいっ!?」

 

 何事もなかったかのように動き出し、なおも駆け出すコナーの姿を見て、もうずいぶん距離を稼いでいるというのに、コーディは悲鳴をあげた。

 さすがにバイクから滑り落ちるようなことはないものの、ほぼ錯乱状態になり、さりとてまた銃を使う度胸もなく、彼はしがみつくように移動している。

 

 やがてバイクは、大通りへと入っていく。足を止めずに猛追するコナーと相手との距離は、しかしますます広がり、バイクは視界の奥で黒い点のようになっていき――

 

「おい、とっとと乗れ! コナー!」

 

 バイクの行方を睨み据えるコナーの真後ろで、乗っている車のドアを開けたギャビンが大声をあげるのだった。

 

***

 

 

 ――まったく、とんでもねえアンドロイドだ。

 

 運転席でハンドルを握るギャビンは、努めて平静を装いつつも、内心ではコナーに戦慄していた。というより、どちらかというとドン引きしていた。

 今、道路上で回収したプラスチック刑事は、平然とした面持ちで助手席に座っている。けれども実際のところはまったく落ち着いてなどいないだろうことはLEDリングがビカビカと光っている点から一目瞭然だし、そもそもその目つきの鋭さからして、これまで見たことがないレベルでキレているのも明らかだった。

 

 そしてコナーの視線は、今も大通りを爆走してバイクで逃走中のコーディの背に向けられている。

 こちらもかなりのスピードで追いかけているので、かなり距離は縮まってきた。後は、どこか都合のつく場所に追い詰めることができればそれでいい。

 

 どこに追い込めば一番都合がいいか、刑事としてのギャビンは素早く計画を立てている。

 だが一方で、頭の片隅ではこんなことを思い出していた。

 

 コナーが時折突拍子もない真似をするというのを、ハンクが他の警官どもに零しているところは、既に何回か目撃している。それにポンコツ備品もまた、捜査の都合でコナーの話が出た時に「兄さんの果敢な判断能力が効果を発揮し」とか「兄さんは非常に勇猛なので」とか、妙な褒め言葉を付け加えることが確かに何度かあった。ほとんど聞き流していたが。

 

 ともあれ、今まで真面目一辺倒だと思っていたお澄ましペットロボに、あんなにも獰猛な一面があったとは。

 任務の遂行を最優先にしている、とか、機械として自分の身の安全を考えていない、だとかいう説明をつけづらい、一種異様な迫力をギャビンは感じたのである。

 普通、バイクを走って追いかけようとするか? 撃たれたのに平然と追跡を再開するだろうか?

 

 さっきコーディを取り逃がしそうになった時、ギャビンはここまで乗って来た車に咄嗟に飛び乗り、バイクを追おうとした。まさにそのタイミングで、あの追跡を目の当たりにしたのである。その時に脳裏を過ぎったのは、90年代に作られた映画のワンシーンだった。

 細かい筋は忘れたが、未来の世界から来た殺人アンドロイドが、主人公たちをあんな勢いで追いかけ回していたような気がする。あのコナーの有り様は、撃たれても大して怯まないところも含めて、それとそっくりだった。

 

 そしてさっきも言った通り、そんなコナーの姿を見て、もちろんギャビンは尊敬も感動もしていない。

 あえて譬えるなら、今まで従順だと思っていた大型犬がいきなり他人に牙を剥いて暴れている姿を見た人のような気持ち、といったところか。無論、実際にそんな場面に出くわした経験はないのだが。

 

 どうやらやはり、変異体というのはどこまでいってもエラーを吐いたアンドロイドらしい。

 アクセルはしっかり踏んだまま、ギャビンは横目でもう一度コナーの様子を確認した。コナーは無言だが、フラストレーションを示すように口をもごもごさせている。

 

 ――こいつ、撃たれてたよな?

 思わず自分の記憶を疑いつつ、ギャビンはおもむろに口を開いた。

 

「おい……お前、平気なのかよ」

「なんです?」

「さっき肩撃たれてただろうが!」

 

 首だけこちらに向けて訝しがるアンドロイドに、ギャビンはなおも問いかけた。

 

「シャットダウンしそうならそう言えよ、ゴミ収集車を呼ぶからな」

「ご心配なく。軽い傷です」

 

 わざと挑発してやったというのにそれに乗るでもなく、コナーは真面目な面持ちのまま、RK900のジャケットをぺろりとめくった。また横目で確認すれば、黒いインナーに覆われた右肩には確かに小さな凹みがあり、ブルーブラッドも僅かに滲んでいるようだが、「怪我」と呼べそうなのはそれだけだ。

 

 そしてこちらが質問を重ねるまでもなく、コナーはぺらぺらと続きを語りだす。

 

「ナイナーの制服の防弾性能を考えれば、あそこで弾を避けるよりもあえて受けたほうが、追跡には都合がいいと判断したんです。それは間違っていませんでしたが……せっかく借りた服が汚れてしまった。彼になんて謝ればいいのか」

 

 ――心配するとこはそこかよ、というツッコミが喉まで出かかった。しかしそれを告げたら何か負けたような気がするので、ギャビンは言葉を呑み込む。

 

「ま、まあ、シートが汚れないんならそれでいいがな」

 

 ハンドルを握り直してから、そう嘯いた。

 

「自分の車がアンドロイドの臭え血で汚れるなんて、そんなのまっぴら」

 

 ――ゴメンだ、と続けたかったのだが。

 そう語ろうとした口は、眼前の光景によって自ずと啞然とした時の形に変化した。助手席のコナーも、声こそあげないながらも驚きを隠せずにいるようである。

 

 コーディは大通りを行き、順当に考えれば、次の角を右に曲がっていくのだろうとギャビンは予想していた。逃げ込んで車を撒けそうな路地があるのはその方角だし、こちらもその腹積もりで動いていたのである。

 

 ところがコーディは、なんと通りを直進した。その行く手は高速道路であり、傍らにはでかでかと”WRONG WAY”と表記された看板が建っている。

 つまり、奴は高速道路を逆走しようとしているのだ。恐怖によるものか、パニック状態なのか、ただの無謀なのか、それは知らないけれども――

 

「マジかよ」

 

 一応そちらに向かって車を進めつつも、ギャビンはさすがに、嗤うでもなくぎょっとした。

 このデトロイトで高速道路を、しかもバイクで逆走しようとするだなんて、自滅への道まっしぐら以外の何ものでもない。

 

 もちろんそれは、自分たちにとっても同じことだ。

 癪ではあるが、これは署に連絡して応援を呼び、道路を封鎖してもらうしかないだろうか。

 

 そんな穏当な考えが頭をもたげるが、しかし、それは助手席の型落ちがあげた声によって掻き消されてしまう。

 

「何をしてるんですか? 早く追ってください!」

「正気かてめえ!?」

 

 ついに頓狂な声を発し、ギャビンはコナーに引き攣った顔を向けた。

 

「お前、やっぱ故障してんのか。あれが見えねーのか、逆走だぞ逆走! 俺に死ねってか!」

「何言ってるんです、追わなきゃ捕まえられないでしょ!」

「追ったら死ぬっつって……オイ、何してんだ!」

 

 突然、自分の手の表面を白くしたコナーが運転席に手を伸ばしてきたので、ギャビンは慌てて身体でガードする。一方でコナーは、信じられないものを見るような目で見つめてきた。

 

「このスピードじゃ追いつけない。操縦に不安があるなら、私にやらせてください!」

「誰がてめえなんかに」

 

 と言う暇もなく、なんと勝手に車の速度が上がっている!

 愛車はみるみるうちにスピードをあげて、高速道路に突っ込んでいる。既に逆走ルートをひた走っているコーディのバイクをぴったり追いかけるように、車は勝手に動いていた。

 まさか――と思ってじろりと隣を見ると、コナーは澄まし顔をしている。つまり澄ました顔で、白くなっていた手をゆっくりと元に戻していた。

 

「おい、てめえ!」

「大丈夫、操縦権を私に移しました。あなたは署に応援を呼んでください」

「何が大丈夫だ! ハッキングすんじゃねえ、これは俺の車だぞ」

 

 ――ああ屈辱的だ。このギャビン・リードが、プラスチック刑事ごときの行動に振り回されているだなんて!!

 

 そんなふうに思う間にも、車はすさまじい速さで高速道路を駆け抜けている。向かい側から来た車が一台、二台、三台、すべてそのすれすれをすり抜けるようにして、ガンガン前に突き進んでいるのだ。

 すれ違いざま、トラックの運転手が幽霊でも見るような目つきをこちらに向けているのが見えた。

 そりゃそうだろう、こんな状況なら自分だってそうする。

 一歩間違えれば即死だ。こんなの、命がいくつあっても足りない!

 

「コナー、今すぐに車を止めろ! これは命令だぞ」

「すみませんが、私はアンダーソン警部補の命令しか聞けません」

「ハンクの命令だって聞いてねーだろうが、このトンチキアンドロイド!」

 

 妙にキリッとした面持ちで言い放つロボット刑事に対して、ついにギャビンは苛立ちを籠めてハンドルを拳で殴った。

 しかしそれにコナーが反応するよりも早く、聞こえてきたのは耳慣れたサイレンの音である。

 

 視界の奥、コーディのバイクを挟むようにして、大挙して押し寄せてきたのはパトカーだ。

 まさかコナーが応援を呼んでいたのか、それとも「高速を逆走している奴らがいる」という通報でも入ったか――と思っていると、車に備えつけの端末に通信が入り、訥々としたアンドロイドの声が聞こえてきた。

 

『……失礼します。無人運転パトカーの要請は完了しています。現在、現場に到着したものと認識します。高速道路の封鎖も同時進行中です』

「ありがとう、ナイナー。助かったよ」

 

 コナーは、ぱっと表情を明るくして備品に礼を述べている。

 どうやら、さっき揉めているうちに要請を出していたらしい。だったらそう言え、とコナーを一発シメてやろうかと思ったが、その間に行く手を阻まれたコーディが、バイクを止めて慌てふためいているのに気がついた。

 パトカーが隙間なく並んでいるのですり抜けていくこともできず、さりとてバイクを捨てて一人で駆け出して逃げるという度胸もないのだろう。もちろん、携えている拳銃でこちらとやり合うだけの度胸も。

 

 それを確認するが早いか、コナーはさっさと車を停め、勝手に降りていた。LEDリングの色が、黄色と青の間で激しく移り変わっているのが見える。おまけに目つきはさっきと同じく、キレ散らかしたような雰囲気だ。そしてそのまま、もはや道路上にへたり込んでいるコーディに向かってつかつかと歩み寄っている。

 

 ――絶対に何かやらかす。

 そう思ったギャビンは、ぶへぇと深くため息をついてから、同じく車を降りた。

 すると――

 

 ちょうどコナーが、コーディの眼前に立ったところだった。

 こちらからは奴の背しか見えないが、その表情は想像がつく。コーディが、潰されたカエルのような気の毒な悲鳴をあげたのが聞こえた。

 

 かたや、コナーはコーディの足元に視線を移してぽつりと言う。

 

「かぶれている」

「へっ……!?」

「あなたの左足首の皮膚の炎症は、ドクウルシとの接触によるものだ。分析によれば、接触したのはおよそ8時間前。朝の4時に、デトロイト河の河川敷でいったい何をしていたんです」

 

 問われたコーディは、びくりと身を震わせた。

 ギャビンには状況がよく掴めないが、どうやら相手には身に覚えのあることらしい。

 

「し、知らない! このかぶれは、き、近所の公園で」

「近所とはどこです? その種の皮膚炎を引き起こすドクウルシは、市内ではあの河川敷にしか生息していない。何より、何も知らないのならなぜ私を撃つ必要があったんですか」

「ひいぃ……」

 

 相手にとってみれば、コナーは差し詰め銃の効かない無敵ロボットか何かのように見えているのだろう。

 じりじりとさらに距離を詰められて、コーディはほとんど失禁寸前のような表情になった。

 だがそれにも負けずに、コナーはいきなり大声をあげた。

 

「警部補の銃を使って、あの場でグレアムを射殺できたのは君だけだ! それとも、すべてメイジーがやったとでも言うのか!? ならその手についている被害者の体液はなんなんだ!」

「ひいっ!」

 

 犯人は右手をさっと隠している。だが既にアンドロイド刑事に見抜かれてしまっているのだから、今さらそんなことをしても無意味だろう。

 というより、どうやらコーディが冷蔵庫を拭いていたのは、遺体から冷蔵庫に漏れた「何か」をせっせと拭いていたからのようだ。つまりその雑巾が顔面に当たったのだから、今、自分の顔には――

 

 ギャビンは思い切り顔を引き攣らせた。できることならこの場で顔を百万回は洗いたいし、普段の自分なら、えげつないほど汚いモンを投げつけられていたというのを知った段階で、コーディのクソ野郎に三発は蹴りを入れていたことだろう。

 

 だが今、不思議とそういう気持ちにはならなかった。たぶん理由は――

 

「これは、冷蔵庫のレンタルの証拠品のレシートだ。メイジーの名義が、はっきりと記載されている。これでもまだシラを切れると思ってるのか? 自分の行いぐらい、認めたらどうなんだ!?」

 

 ぶち切れ機械のワンマンショーが、飛行機の騒音より激しく鼓膜を揺さぶっているせいだと思う。

 そう考えたギャビンはふと、昨年の11月の夜、オーティスとかいう男を殺した変異体を尋問している時のコナーの姿を思い出した。

 ――そういえば、こいつは前から唐突にデカい声を出すのが十八番だったな、クソが。

 

 それからギャビンは自然と、連想するように尋問の夜の記憶をさらに呼び起こした。

 あの時、コナーは脅したりすかしたりと目まぐるしく態度を変えながら、結局“見事に”尋問を成功させていた。それだけでも手柄を取られたようで面白くないのに、その後は「そっとしておけ」などと機械のくせに命令してきて、こちらの面目を潰してきたのだ。

 

 分を弁えない機械に礼儀を教えてやろうと抜いた拳銃も、しゃしゃり出てきたハンクのせいで止められてしまった。思い起こすほどに、自分がコナーを嫌っているのは、初対面のあの夜の出来事がきっかけなのだ。

 

「……」

 

 コーディに対するコナーの激しい「尋問」が続く中、それを思い出すとだんだん腹が立ってくる。

 つまり、こうして傍観者となっている自分自身に対してである。

 

 そうとも。なぜこのギャビン・リードが、プラスチック刑事なんかの言動にビビった挙句に、こうして温かく奴の尋問を見守ってやらなければならないのか。

 真相などどうでもいいことだが、このまま事件が解決した時に、「リード刑事は驚いているだけで特に役に立ちませんでした」などと、ペットのアンドロイドがハンクに報告しやがったとしたらどうする?

 

 そもそもハンクに勝ち逃げさせないためにここまで苦労しているというのに、こんなところでまでコナーの野郎に手柄を奪われてたまるか。あの尋問の夜のような気分を味わってたまるか。

 ギャビンはそう決意した――とはいえ、いきなりここで銃を抜いてコーディに突きつけるのは得策ではない。それを判断できる程度の冷静さは残っていた。

 

「い、言いたくない! 頼むから勘弁してくれぇえ!」

 

 既にコーディは、これ以上ないくらいにビビりあがっているからだ。ああいう奴にあれ以上の恐怖を与えてやるとなったら、それこそ実際に痛めつけるくらいしか手段がないだろうが、そんな方法を取ればまたお利口野郎どもに問題視され、チクられてしまうだろう。面倒事はごめんだ。

 

 となるとここは、警察学校でお馴染みの()()を試さないといけないかもしれない。

 たとえ普段の自分の方針とは真逆でも――これ以上コナーにコケにされないためには、やってやるしかない。

 

 そう思う間に、アンドロイド刑事による尋問は真骨頂を迎えていた。

 

「教えろ、誰の差し金だ! こんな事件を偶然引き起こせるはずがない、裏で手を引いている奴がいるんだろ。エリック・ピピンか!? どうなんだ、答えろ!」

「や、やめろぉ……」

「おいおい、待てよ」

 

 もはやえぐえぐと泣きはじめているコーディを見下ろしつつ、ギャビンは穏やかに割って入った。にこにこと、できるだけサワヤカに。

 そして大声を出したからか、息をしているわけでもないのに肩を激しく上下させているコナーの隣に立つと(「何するつもりだお前」というような眼差しを向けられているが無視して)、被疑者に静かに語りかける。

 

「なあおい、お前も苦労するよなあ? 冷蔵庫を拭けってのは、アイツに言われたのか?」

「はっ……」

「メイジーだよ。面倒事を押しつけられたんだろ? わざわざ休みの日に危険な仕事やらされるなんて、辛いモンだよなぁ?」

 

 わざとらしく、ギャビンは大きなため息をついた。

 するとコーディは泣くのをやめてこちらに視線を向け、一方でコナーはといえば、何やらハッとしたような表情でこちらを見ている。

 そこで、すかさず続きを述べた。

 

「今、ここでゲロっちまえよ。そうしたらほれ、お上にも慈悲があるってモンかもな。それとも、こっちのアンドロイド刑事に死ぬまで揺さぶられたいってんなら、止めやしないぜ?」

 

 横のコナーを人差し指で指しながら、ギャビンは身を曲げてぐっとコーディに顔を近づける。

 それから、そっと囁いた。

 

「ここだけの話、コイツはこれ以上キレるともっとヤバいぞ。そうなる前に、俺は親切で言ってやってんだが。なあ、怒鳴られてツラかっただろ?」

「うう……!」

 

 うるうるしたコーディの両目から、大粒の涙が溢れる。――どうやら、我慢の限界だったようだ。

 そしてそれは、ギャビンにとっての作戦成功を意味する。

 それから相手は、内心でにんまりするギャビンに対して、知り得るすべてをベラベラと語りだしたのだった。

 

 メイジーとは長く恋人、現在は不倫関係にあり、グレアムに掛かっている保険金目当てで、共謀して今回の殺人事件を引き起こしたこと。

 彼女からグレアムを殺害する方法を伝授されると共に9mmのホローポイント弾を一発渡されて、その指示通りに動いたこと。

 昨日の犯行時にはハンクの銃を持って車内の助手席に身を潜め、グレアムが後部座席に乗り込んだのと同時に、いきなり射殺したこと。

 そしてトルシェム邸内の冷蔵庫に隠した遺体と射撃時の空薬莢を、今朝の4時頃に河川敷に転がして逃走したこと――ウルシにはその時にかぶれたこと。

 

 けれどそれ以外はよく知らないのだと、コーディは真に迫った様子で訴えてきた。

 

「そもそもアンダーソン警部補が空港に来たのは、麻薬密輸の件でグレアムに疑いがかかっていたからでしたが」

 

 やや落ち着いた様子で、コナーがコーディに問いかける。

 

「それについても、詳細を知らないと?」

「うぅ、は、はい」

 

 コーディは何度も頷いている。

 

「あまり多くの人間が、事件についていろいろ知ってるとそこからバレるからって……自分もあまり詳しく知らないようにしているんだって、そう言って……ました」

「自分も、だぁ?」

 

 遠慮なく、ギャビンは疑問の声をあげた。

 

「メイジーが全部仕切ってんじゃなかったのか。それとも、やっぱピピンの野郎が関わってんのか?」

「オ、オレは知らない。メイジーに聞いてくれ」

「ええ、そうします」

 

 すんなりと首を縦に振って、それから、コナーはずいっとコーディに近づいた。

 もう靴先が、相手のへたり込んだ尻に触りそうなほどの距離だ。

 

「ではお聞きしたいのですが……当のメイジー本人は、今どこに?」

「う……!」

「入院したとは聞いてますが、どこなのかは教えてもらっていなくて」

 

 穏やかに言いながら、コナーはすっとしゃがみ込んだ。

 それから、静かに続けて問う。

 

「ご存じなら、ぜひ教えてくれませんか。どうしても事件を解決したいんです」

「そ、それは……」

 

 下唇を噛み、震えてから、コーディはなけなしのプライドを掻き集めたような表情を浮かべた。

 けれど顔を上げ、コナーの面持ちを窺うや否や、すぐにそれは泣き顔に戻ってしまう。

 ――コナーの顔つきがどうなっているのかはこちらからはやはり見えないが、それは問題じゃない。ギャビンはもう一度、コーディに話しかけた。

 

「なっ、ヤバそうだろ。今のうちに話しといたほうが身のためだぜ?」

「う、う……」

 

 コーディはこちらを見て、また恐怖のアンドロイドの顔面を拝んだ。それから――恐らく、クズなりに恋人を裏切るのには抵抗があったのだろうが――観念したように、とある病院の名を告げた。

 

 そこは先に睨んでいた通り、政治家だの、スキャンダルを起こした芸能人だのが「病気療養」の名のもとに隠れ住むような場所だ。メイジーはそこに入院しているという。

 なるほど、そうした病院ならば世間の目からも警察からも自分を守ってくれる――と、踏んだのに違いない。

 それは馬鹿な考えだったと、後悔させるのはこの後だ。

 

「では、私たちはこれで」

 

 腰が抜けたままのコーディに対して、追加の応援としてやって来たパトカーのサイレンをバックに、コナーは堂々と言い放つ。

 

「あなたの取り調べの続きは、また署に戻ってから行います。その時は、もっと素直にすべてを告白してくださるよう、期待しています」

「はっ、はいぃ!」

 

 ほとんど平伏するような勢いで、コーディはコナーに返事している。

 まあ、哀れと言えば哀れではあるが――とっととゲロったのだからそれでいい。駆けつけてきた警官たちによってパトカーに押し込まれる時、コーディが妙にほっとした顔をしていたのが印象的だった。

 

 こうしてコーディ・モールズは、無事に逮捕されたのである。

 

「ケッ、クソが」

 

 奴を乗せたパトカーが見えなくなった頃、自分の車に戻りながら、ギャビンは吐き捨てるように言った。

 

「こんなとこまで来させて、手間かけさせやがって。ま、あとはメイジーんとこにカチコみゃ終わりだな」

 

 どちらかというと、それは独り言だった。

 ここからメイジーのいる病院までの道のりにかかる時間は、約30分。スムーズに事が運べば、この馬鹿げた苦労も多少は報われるというものだろう。

 やれやれと首を振りながら、さっさと車に乗り込んだ。ここでチンタラしていたら、高速の封鎖が解除されて、今度こそ轢き殺されてしまうかもしれないからだ。

 しかし――

 

「あ?」

 

 助手席に乗り込んできたコナーが、妙に神妙な面持ちをしているのに気づく。見咎めたギャビンが声を発すると、相手はこちらに視線を向けて、それから静かに言った。

 

「リード刑事。先ほどはご協力いただき、ありがとうございました」

「……んだと?」

「実行犯を前にすると、つい攻撃的な言葉ばかり選んでしまって。あなたのご助力がなければ、きっと尋問は成功しなかったはず」

 

 そう告げて、プラスチック刑事は微笑んだ。

 いつものような皮肉たっぷりの、口元だけ吊り上がったような気持ち悪い笑いではなく――

 いわゆる、純然たる笑顔というやつである。

 

「ゲッ」

 

 そんな()()を向けられては、とても悲鳴をあげずにはいられない。ギャビンは堂々と表情を歪めた。けれどもコナーはどう勘違いしたのか、さらにべらべらと喋り出す。

 

「あなたがあえて犯人に同情的な態度をとってくださって、助かりました。あれこそが、尋問の基本である『良い警官と悪い警官』ですね」

「……クソが」

 

 『良い警官と悪い警官』とは、尋問に関する心理術だ。あえて攻撃的な態度をとる警官と、同情的な態度をとる警官とに分かれることで、相手に心理的揺さぶりをかけたり、「良い警官」のほうに信頼感を持たせたりする方法をいう。警察学校の教科書には、必ず書いてある手法なわけだが――

 

 もちろん、ギャビンはそれを承知していた。コナーが凶暴化している時だからこそ、自分があえて穏やかにコーディに接することで、期待している成果を得られるだろうと。

 

 だが、これはよくない。

 コナーの野郎に、こんな感想を述べさせるのは。

 自分があえて「良い警官」をやったのは、ハンクとペットのアンドロイドに思い知らせてやるためだ。

 ひとえに「あなたのすさまじい実力を思い知ったので、型落ちらしく大人しく隅っこで暮らしますぅ~」と言わせてやるためだ。

 

 決して「ご協力ありがとう」だなんて――つまり手伝ってくれたのだ、なんて思わせるためではない!

 

 気持ちの悪いことを言われたせいで、胸の奥がムカムカする。

 ギャビンは苛立ちのままに、はっきりと口に出して言ってやった。

 

「いい気になるなよ、コナー。誰がてめえに協力なんかするか!」

 

 ハンドルを殴るようにしながら、自動運転をONにする。

 それから、思い切り指を相手の眉間に突きつけて告げた。

 

「これで貸しはチャラだからな、クソアンドロイド!」

「……?」

 

 まるで耳慣れない言葉を聞いた犬のように、コナーは首を傾げている。

 

「貸し? どういう意味です」

「俺がそう何度も、てめえごときにビビらされてたまるかよ」

 

 ――さっきまでのコナーの凶暴ぶりにドン引いてしまった自分、傍観者めいていた自分に対する決別のつもりで、ギャビンはわざと声をあげて笑う。

 

「これに懲りたら、ちょっとは人間様を敬うこったな。お前ら変異体を中心に地球が回ってると思ったら大間違いだ、クソどもが」

「仰っている意味がわかりません」

 

 さっきまでの純朴そうな態度がなりを潜め、今度は思い切り訝しげな顔で、コナーはこちらをじろじろ見ている。

 

「私は何もあなたに貸したつもりなどないのですが。むしろ、私のほうがあなたに」

「黙れ、このプラごみ野郎!!」

 

 ――もうこれから先は何があろうと、たとえ疑似的にであろうと、こいつに“協力”なんてしてやるものか。

 

 そういうつもりで言ったのだが、それがこのみんな大好きプラスチック刑事に通じているのかどうかは知らない。興味もない。どうでもいい。

 今はただ、無駄に気力を消耗してしまったような気がする苛立ちを、さっきの一言で吐き出して終わりにしたかった。

 

 それきり黙りこくってしまったギャビンと、首を傾げたままのコナーを乗せて、車は一路、メイジーがいるという大病院へと向かう。

 

 

 さらにその後は、思っていたよりも簡単にコトが運んでいった。

 推理と積み上げた証拠、それから突きつけたバッジの威力は、どうやら胡散臭い病院相手にも有効のようだったからだ。

 

 最初は守秘義務契約と、医療従事者としての倫理を理由にメイジーの引き渡しを拒んでいた病院側も、当人が殺人に積極的に加担していたことと、それを既にコーディが証言している事実を告げられると、態度を軟化させたのである。

 無意味に警察とやり合うより、「患者」を渡すほうがいろいろな意味で有益だ、と判断したのかもしれない。

 

 ともあれホテルよろしく最上階のVIP病室にいたメイジー・トルシェムは、無事にデトロイト市警に引き渡された。

 犯行に使われた車も、病院建物内の駐車場の奥に停められているのが発見された――どうりで、ドローンでも発見できなかったはずである。

 

 そしてコナーが調べたところ、車内には発砲の痕跡とグレアム殺害の証拠となる物質(スチフニン酸鉛だの、硫化アンチモンだの、害者の血液だの、お決まりのやつである)がわんさか検出された。

 

 これだけ証拠があれば、誰が真犯人かなど、幼稚園児でもわかるだろう。

 こうして時刻にして14時21分、査問委員たちの乗った車が署まであと300メートルの圏内に迫ってきていたところで――ハンク・アンダーソンの無実は、完全に証明されたのである。

 

 

***

 

――2039年7月20日 16:26

 

 

 署長のオフィスのドアがゆっくりと開き、そこからハンクが姿を見せる。後ろ頭をポリポリ掻きつつ、いかにもつまらない時間を過ごしたと主張したげな面持ちではあるが、その口元は笑っているのを、コナーはしっかりと確認していた。

 

「ハンク!」

 

 いつもの自分のデスクで弟と一緒に、署長室から警部補が解放される時を今か今かと待っていたコナーは、彼の姿を見るや急いで立ち上がる。

 

 かたやハンクは、それを見て苦笑した。

 

「おいおい。別に、何十年ぶりの再会ってわけでもないんだからよ」

「すみません、でも……こうしてあなたの潔白が証明されたのが嬉しくて」

 

 コナーが言うと、ハンクは何も応えずに――しかし微笑んだまま、ただ肩を竦めた。それから、黙って立っているナイナーに視線を移してこう告げる。

 

「ジェフリーが、ギャビンと()()()活躍は認めてやるってよ。ただ、これから先こういうことがあっても、もうくだらない手品は使うなだとさ」

 

 つまり、RK800とRK900が入れ替わって捜査していたことは不問に付してやるが、もう二度とこういう真似はするなよ、という意味であろう。

 

「了解しました」

 

 ナイナーは、静かに瞬きながら応える。

 

「今後、同種の状況が発生しないことを祈念するばかりです。しかしながら……今回、多少なりとお役に立てたことは嬉しい、と認識しています。申し訳ありません」

「謝る必要なんてないよ。君がいてくれたからこそ、すべて上手くいったんだ!」

 

 無表情のまま顔を俯ける弟に、心からの感謝を述べた。

 

「あのままハンクが査問に掛けられていたらと思うと、ぞっとするよ。僕一人では、きっと対処できなかっただろうし……君が警部補と一緒にいてくれたから、安心して捜査できたんだ」

「ぞっとする、ねえ」

 

 自分のデスクの椅子に座ったハンクは、今度は皮肉っぽく笑った。

 

「確かに、お前を放っといてムショ送りになったらぞっとするかもな。今回だって、肩をケガしたんだろ? だから無茶すんなって、いつも言ってるのによ」

「それは……その点もすみません」

 

 やや悄然となって、コナーは応えた。

 既に例の制服の汚れについてはナイナーに謝ったし(彼は許すどころかこちらを心配してくれた)、肩の凹みも、簡単な処置で修理してある。

 けれど、毎回のように警部補から警告されているのに、つい夢中になって突っ走ってしまったのは事実である。反省しなければならない。

 

 しかしそんなこちらの様子を見て、特にハンクはそれ以上叱るでもなかった。代わりに彼は後ろ頭で両手を組み、大きく背を伸ばすように椅子の背にもたれかかると、ぽつりと言う。

 

「世話かけたな」

「ハンク……?」

「俺が下手打ったせいで、お前らに迷惑かけちまった」

 

 姿勢はそのままに、彼は続けて語った。

 

「過去ってのはどんなに時間が経っても、纏わりついてくるもんだって知ってるはずなんだがな。忘れたくないことでも……忘れちまいたいことでも。それに足元を掬われてちゃ、ザマぁねえってもんだぜ」

「いいえ」

 

 我知らず決然と、コナーは声を発していた。

 

「昨日言った通り、あなたは既に過去に向き合っている。卑劣なのは、それを利用しようとした犯人たちのやり口です。きっと一連の事件に関する捜査の中心にいるあなたを失脚させ、妨害をしようとしたのでしょうが」

 

 到底許しがたい、本当に卑怯な行いだ。相手はハンクの命を直接狙うのではなく、社会的な失墜を狙ったわけだ。ナイナーやリード刑事の協力がなければ、今頃どうなっていたことか。

 

 一方、ハンクはそれに対して何かコメントを残すでもなかった。

 姿勢を戻した彼は、ちらりとこちらに一瞥を――何か、とても温かな眼差しを――向けると、それから刑事としての面持ちになって口を開く。

 

「妨害ね。すると、メイジーはやっぱりピピンと関係が?」

「はい、警部補」

 

 署に戻ってからさっそく行われた、リード刑事によるメイジー・トルシェムの尋問には、ミラーガラス越しにすべて同席していた。

 手短に状況を説明するつもりで、まずは結論から先に告げる。

 

「今回の二つの事件、つまり空港での麻薬密輸未遂とトルシェム氏の殺害の裏には、ピピンによる協力があったようです」

 

 それからコナーは、警部補に詳細を説明した。

 

 メイジー・トルシェムがエリック・ピピンと関わりを持ったのは、とある非公式のパーティ会場でのことだった。グレアムに付き添って参加したパーティで、「人材コンサルタント」だと名乗ったピピンは、「何か困りごとがあればいつでも相談してほしい」と語ったという。――先日の球団オーナーの状況と、とてもよく似ている。

 

 しかしその口ぶりの割にピピンから名刺などが渡されることもなく、メイジー自身も少し奇妙だと思った数週間後、事態は動いた。

 

 メイジーは、以前から多額の借金に頭を悩ませていた。グレアムにも内緒のその負債は、日に日に膨れ上がっていく一方だった。資産家のグレアムと結婚しているという立場を利用しても、まだ金が足りない。どんどん送られてくる督促状に困り果てていた頃、個人の電子メールに、あのピピンから連絡があったのだという。

 

「そのメールは直接確認できましたが、残念ながら送り主のアドレスは架空のものになっていました。きっと追跡を逃れるためなのでしょうが……ともかく、ピピンはなぜかメイジーの借金や人間関係を把握していて、そのうえでこんな提案をしてきたそうです」

 

 ――あなたの借金返済と、コーディ君との関係。どちらも両立させる、いい方法を知っています。

 別の方から受けている依頼と、あなたの問題の解決方法がちょうど噛み合っているのです。

 あなたのパートナーは、保険に加入していますね。

 どうでしょう、私のコンサルティングに任せてみませんか?

 あなたはただ、私の指示の通りにこなせばいいのです。どうです、簡単でしょう?――

 

 他にあてのなかったメイジーにとって、グレアムに掛けられている死亡保険金は魅力的であった。

 だから彼女はこの提案に飛びつき、コーディを共犯者に、ハンク・アンダーソンに罪を着せるための行動をとった。

 けれども彼女自身が、計画の全容を把握していたわけではない――つまり、メイジーは「なぜ」アンダーソン警部補が空港に来るのか、「どのような」事件にグレアムが巻き込まれるのかについては、まったく知らなかったのである。

 

 ここからは推測になるが、恐らくピピンは、同時期にエミール・ダックスからも依頼を受けていたのだろう。つまり、グレアム・トルシェムの社会的信用を失わせるために、彼に罪を着せてほしいという依頼である。

 しかしピピンにとってはアンダーソン警部補を捜査から外すことのほうが重要であり、かつそのためには、グレアム・トルシェムと警部補を直接接触させる必要があった。

 

 だからピピンは、あえて麻薬密輸未遂事件のほうでは手がかりを多く残した。その日のうちに事件が解決され、かつ、安堵したグレアムによってハンクが面罵されやすいような状況を作れるように。

 

 空港での事件の際、簡単な聞き込み調査を行った時、メイジーはアンドロイドやミニテーブルに関する質問に「知らない」と答えた。かつ、ストレスレベルなどを分析しても、彼女には嘘をついている様子がなかった。

 それも当然だったのだ。彼女は本当に、エミール・ダックスの事件に関しては何も知らなかったのだから。

 先ほどコーディが言っていたように、事件に関して「自分もあまり詳しく知らないようにしている」というのは、真相の露見を防ぐためだったのだろう。

 

 メイジーはピピンから、「グレアムが空港から帰ろうとしたら、だまし取った警部補の銃で彼を撃ち殺せ」という指示を受けていた。それに従った結果、あの事件が起きた――

 

「ふん、そういうことか」

 

 警部補は、腕組みをして唸るように言った。

 

「ピピンの野郎、他人に事件を起こさせて、自分はアイデアを提供しただけですってか。人材コンサルタントというよりは、犯罪コンサルタントって感じだな」

「吸血鬼事件のことを考えても、人の心理を操って事件を起こすのを得意とする人物のようです。このまま放っていては、また被害者が出るかも……」

「確かにな。だが、今はこの情報が得られただけでも一歩前進ってやつだ」

 

 腕組みを解き、ハンクは落ち着いた口調で語る。

 

「それにいくら連中の組織がデカくても、もう今回と同じ手は使ってこないだろ。これからは俺たちも警戒するし……ほら、一度タネが割れた手品を客に披露する奴もいないだろうからな」

「……そうですね」

 

 ピピンとその「協力者」である眼鏡の男については、徐々に情報が集まりつつある。

 とはいえそのいずれもが、尻尾を掴む決定打とはなりえていない。彼らが明確に姿を現したとされる場所をいくら調べても、痕跡は完全に消されていて、足取りを追えないようにされているからだ。

 

 だがもしこれから先、彼らが大きく動くことがあれば――それはこの社会全体にとって不幸なことだが――つけ込めるだけの隙が生じるかもしれない。

 それまでは警部補の言った通り、今回の事件解決をもって「一歩前進」とするべきだろう。

 

「なあ、ところで」

 

 と、ハンクが辺りを見回しながら言った。

 

「ギャビンの奴はどこだ? てっきりすぐに顔を合わすと思ってたが」

「リード刑事は現在、休憩室にて待機中です」

 

 ナイナーが応える。

 

「尋問の完了後、疲労を認識したので休憩を実施すると。警部補が署長室から解放されるまで、私たちと共に待機することを提案しましたが、却下されました」

「そうか。面倒かけちまったから、あいつにも一言礼を言っとこうと思ったんだがな」

 

 これは皮肉ではなく、本心といった様子でハンクがぼやく。

 そこで、コナーは言った。

 

「では、私がリード刑事にお声がけしましょう。よろしければ、お礼もお伝えしておきますよ」

「へぇ、こりゃ珍しい」

 

 青い瞳を大きく見開いて、さも面白そうにハンクは言う。

 

「お前がギャビンに話しかけに行くなんてな。つるんで捜査して、仲良しにでもなったか?」

「いいえ、そういうわけでは」

 

 そこはきっぱりと、コナーは否定する。

 

「ですが、少しは理解できたように思うんです。彼の人となりというものを」

「人となりねえ」

 

 ハンクはそう言って、ナイナーに視線を向けた。

 ナイナーはそれに応えるように、ゆっくりと頷く。

 

「……捜査を通じ、私であっても、多少はリード刑事が理解可能になりつつあります。兄さんであれば、猶更であると判断します」

「そういうもんかね。まあいい、ならお前に任せるさ。俺が言ってもこじれるかもしれないしな」

「わかりました、警部補」

 

 短く頷いて、コナーはデスクを離れる。

 すぐそこにある休憩室の中の様子は、この角度からではよく見えなかった。

 

 

***

 

 休憩室に入ると、ギャビンはこちらに背を向けて、椅子に腰かけていた。しかし足音は聞こえていたのだろう、彼はふてくされた表情で振り返るなり、高圧的な声音で言う。

 

「おい、コーヒー持って……チッ、てめえかよ」

「以前も言った通り、パートナーに命じるのではなくご自分で動かれたほうが、あなたの健康のためにもなりますよ。リード刑事」

 

 努めて穏やかに、コナーは応える。しかしギャビンはというと、つまらなそうに鼻を鳴らしたきり、そっぽを向いてしまった。

 だからこちらは、それに対してちょっとだけ首を傾げてから――事前に用意していたものを、彼に投げて寄越す。

 

「なっ……!」

 

 何かを投げつけられたのに気づいた相手は、驚いた様子で(しかし見事に)それをキャッチした。

 投げたのは、もちろん雑巾ではない。スポーツドリンクの入ったボトルである。

 

「僭越ながら分析したところ、水分補給が必要な様子だったので。そのブランドはローカロリーかつ食物繊維入りです。おススメですよ」

「誰も聞いてねえよ、プラスチック」

 

 さらに腹立たしそうに、ギャビンは言う。けれど彼は、それを逆にこちらに投げつけたり、わざとらしく捨てたりはしなかった。中身を開けはしないが、一応テーブルの上に置いている。

 

 だから、コナーは用件を述べた。

 

「アンダーソン警部補が、あなたに感謝していると。ご協力がなければ、どうなっていたことか……捜査中の私の態度についても、お詫びします。すみませんでした」

「ハッ。とことんポンコツだな、てめえは」

 

 鋭くこちらを睨みつけつつ、頬杖までついてギャビンは語る。

 

「詫びるってんなら、今後二度と俺の邪魔はするな。機械らしく、命令にはちゃんと従うんだな」

「それは認識の相違があるかと」

 

 その場に立ち、後ろで手を組んでから、彼に言い返す。

 

「あなたに刑事として優れた点があるのは認めますし、そのアグレッシブさも驚嘆に値します。ですが他者に対する態度と、差別的言動はいただけませんね。そういった点を改善していただけるなら、喜んでご提案は承りますが」

「言ってろ、クソが」

 

 吠えるようにギャビンは言い、次いで――やはり水分摂取が必要な状態だったのだろう――ボトルを開けると中身を喉に流し込み、それからこちらに向き直って、続きを述べた。

 

「つーか、何が言いたい? ご主人様が戻ってきたから、調子こいて俺に喧嘩売りに来たのか」

「いいえ、まさか。ただ、一つお伺いしてみたくて」

 

 告げてから、コナーは、にこやかにこう問いかける。

 

「どうでしょう、私たち……そう悪くないチームだったと思うのですが」

「ハ!! どこがだよ。本当に頭イカれてんな、てめえ!」

 

 ギャビンは、いかにも面白い冗談を聞いたとでも言うようにのけぞって笑った。

 そして姿勢を戻すのと同時に、こう応えてきた。中指を立てながら。

 

「てめえと組むなんて二度とごめんだ。クソったれ」

「そうですか」

 

 だからコナーは、にっこりと笑顔を返す。

 

「意見が合いましたね、リード刑事」

「ケッ!」

 

 こちらの返答を聞いて、彼は呪われろとばかりに吐き捨てた。

 椅子から飛び降りるようにして床に立つなり、手にしたボトルを叩きつけるようにゴミ箱に捨てる。

 

 そしてそれきり何も言わず、振り返ることもなしに、ギャビンは休憩室を出て行ったのだった。

 

 ――コナーは思う。リード刑事は決して、いわゆる「いい人」ではない。

 ハンクに対する謎の敵愾心はそのままだし、弟をポンコツ備品と呼ぶのも、アンドロイドをプラスチック呼ばわりするのも、未だに辞めはしない。

 

 けれど、だからといってこれから先、何も変わらないわけではない。現にかつての、革命が起きる前の彼と、今の彼は少し違っている。

 それはきっと、ナイナーとの関わりが彼をそうさせたのだということもあるだろうし――こちら側の認識だってそうだろう。今回のことで、コナーは実際に、リード刑事のことを多少は理解できたように思っているのだ。

 

 互いを知れば、何かが変わることはある。

 それは何もリード刑事に限った話ではなく、この社会全体にとっての希望であるように、今のコナーには感じられた。

 

「おい、コナー!」

 

 パートナーが、自分を呼ぶ声がする。

 きっと報告書のことで、何か困っているのだろう。

 

「今、行きます!」

 

 コナーは短く答えて、休憩室を出た。

 ゴミ箱の淵に引っかかっていたボトルが、小さな音を立てて中に落ちていった。

 

(逆転/The Unusual Suspect おわり)




これまでの拙作におけるコナーとギャビンの相性は、AからEランクで表すと「E」だったのですが、今回の件で「D+」か「C-」程度にはなったぐらいのつもりです。

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