Detroit: AI   作:けすた

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第44話:花屋 後編/The Homecoming Part 2

――2039年7月21日 14:07

 

 

 招かれざる客4人は、銃を構えたままこちらを睥睨している。全員顔を隠しているので、細かい顔の造作などはわからない。だが体格や声音、マスクやフードの陰からわずかに覗く部分から、それぞれの違いは見てとれた。

 

 咄嗟の出来事に、カーラはほとんど全身を凍りつかせて彼らを見つめる。

 受付のAP400に銃を突きつけているのは、最初に声をあげた男と思しき大柄な人間。

 そして受付近くにいた、花を運んできたアンドロイドに銃を突きつけ、ちょうどこちらの真隣に強引に座らせているのが、やや年若く見える男――フードの隙間から金髪を覗かせ、へらへらとせせら笑うような態度を見せている。

 

 それから冷静にこちらを見渡しているのが、恰幅のいい、恐らくは女。年齢は、大柄の男と同じくらいだろう。

 そして最後の一人は、やや小柄な男だった。目出し帽の穴の奥に見えるその肌は褐色である。

 

 小柄な男がドアを閉めると、改めて、彼らは手近なところにいるアンドロイドたちに銃口を向けた。ここまで僅か5秒だ。何もできやしない。

 

「さっき言った通り」

 

 再び声をあげたのは、最初と同じ大柄な男だ。

 

「動いたり喋ったり……サツに通報しやがったら、こいつをぶっ放すからな」

「通信でこっそり呼ぼうたって無駄だよ」

 

 部屋をゆっくりと歩き回りつつ、女が言う。

 

「外にはウチらの見張りがいる。ポリ公どもの姿が少しでも通りに見えたら、そこのプラスチックから順番に鉛玉をぶち込むからね」

「そーそー、何しようたってムダなんだよ、ムダ。ひひひ」

 

 金髪の男は、くちゃくちゃとガムを噛みながら便乗するように語った。

 そして隣で彼に銃を突きつけられているアンドロイド――白と黒の制服を纏っていて、顔立ちはあの警察のアンドロイド、コナーにそっくりだ――はといえば、ただ黙って床に目を伏せ、LEDリングを黄色く光らせている。

 きっと「恐怖」の表れだろうそれを見て、金髪はさらに楽しげに笑っていた。

 

 そして、残る一人の男は――

 

「おい、フレイク」

 

 女が乱暴に、褐色の肌の男に向かって言った。フレイクと呼ばれた男はこの待合室の、中央くらいのところに立っている。

 

「念のため、奥を見てこい。誰か隠れてないか確かめてきな」

「ああ、わかった」

 

 命じられ、フレイクははっきりと返事した。そして身動きできないカーラからはよく見えないが、その足音はまっすぐに向こうへ――アリスのいる、トイレへと近づいている。

 

「……!」

 

 我知らず、カーラは席を立って駆け出しそうになった。飛び出して、扉の前に立ちはだかったら娘を助けられるというのであれば、どれだけよかっただろう。

 

 けれど、同時に理解していた。ここで動けば、まず間違いなく、自分は横にいるこの金髪男に撃ち殺される。そうなれば、娘を守ることも――今まさに治療を受けているはずの、ルーサーを助けることもできない。

 

 家族を守るためには、冷静であらねばならない。

 あの銃声と悲鳴に満たされた船から逃げ出した時の経験が、カーラの身体をぴたりと長椅子の上に留めている。

 だからこそカーラは、通信でアリスに必死に呼びかけた。

 

『――アリス。アリス! まだトイレにいる?』

『うん……カーラ、何が起きてるの? 外から、すごく大きな音がしたよ』

 

 怯え切った娘の声が、頭の中に響き渡る。胸のうちをギリギリと締め付けるように圧迫してくるこの感覚は、たぶん張り裂けそうな「痛み」なのだろう。けれどそれに構っている場合ではない。

 努めて冷静に、さらにアリスを怯えさせないように注意しつつ、カーラは通信を続けた。

 

『心配しないで。でも、絶対にこっちに出てきちゃ駄目よ。個室のドアに隠れて、じっとしていて』

『ドアに……? でも、あたしちょうど出て』

 

 通信が、ふつりと途絶える。

 できるだけ視線を動かしてみれば、フレイクが今まさにトイレに入っていったところだった。

 

『――アリス!!』

 

 悲痛な叫びのような通信を、カーラは娘に投げかける。トイレに続く扉が閉まる。アリスのいるところに今、あの男が一緒にいる。

 あの11月のように、あの子に()()銃が突きつけられるなんて、そんなの耐えられない。でも、それだけならまだマシだ。もしあの男の気まぐれで、アリスが殺されるようなことがあったら――!

 

 娘の返事はない。激しい恐怖と混乱でプログラムは掻き乱され、ソフトウェアはエラーを吐いてしまいそうだ。何か手立てはないか、考えるうちに永遠にも思えるような時間が過ぎていく。

 

 しかし、実際にはほんの4秒後。

 フレイクは何ごともなかったかのように、扉の向こうから一人で戻ってきた。

 

「誰かいたか?」

 

 女が問いかける。しかし、彼はどこか力なく首を横に振った。

 

「いや。……いや、誰も」

 

 その返答は、先ほどに比べて妙に怯えたふうに響く。それを訝しく思ったに違いなく、女は再び質問を発そうと口を開きかけた。

 だがそれより早く、横から大柄の男の声が聞こえる。

 

「コーク! いたぞ、医者のアンドロイドだ」

 

 はっと、カーラは視線だけを動かした。見れば診察室の奥から、両手を挙げたレイがゆっくりと待合室のほうへ歩いてくる。傷つけられた様子はないが、ひどく不愉快そうな表情を浮かべるレイの後頭部には、大柄の男の銃口が突きつけられていた。

 

 どうやら、コークとはあの女のことを指すらしい。呼びかけられたコークはフレイクを一瞥してから、男のほうに視線を向けた。

 

「そいつしかいなかったのか。他は?」

「スリープ状態のデカいアンドロイドがいた。修理中のやつだ。そっちも売り払えば、まあ一応金にはなるだろうぜ」

「寝たままなら結構だ。運びやすいだろうよ」

 

 鼻で笑うように、コークは言う。

 スリープ状態のアンドロイド――ルーサーのことだ!

 

 売り払う、金になるといった不穏な言葉が、さらに焦燥感を募らせていく。けれどそれよりまず、最初に確認しなければならないことがある。

 

『アリス、大丈夫? 何もされてない!?』

『う、うん。平気だよ』

 

 どことなく戸惑っている様子だが、アリスからはっきりとした返事が聞こえてきた。

 カーラは、ほっと内心で安堵の息を吐く。

 

『よかった、うまく隠れたのね。あなたに何かあったら、どうしようかと……』

『ううん、違うの』

 

 娘は続けて語った。

 

『あのおじさん、あたしを見てすごく驚いてた。銃を下ろして、小声で「ここでじっとしてろ」って。それで、そのまま出て行っちゃったの』

『そ、そう……』

 

 意外だ、どういうことだろう。

 ただの気まぐれか、それとも子どもであるアリスに対する同情か。いや、いずれにせよ助かった。

 

『じゃあ、そのままそこにいて。私たちのことは、心配しなくて平気だから』

 

 レイが壁際に立たされているのを見ながら、それでも懸命に恐怖を通信に入り混じらせないようにしつつ、カーラは娘に言う。

 そしてアリスは――きっとこちらのそんな内心など、とっくに察しているだろうに――あれこれと尋ねることもなく、それに応じてくれた。

 

『わかった。じっとしてる』

 

 カーラは、もう一度ほっと息を吐いた。

 これで人間があそこに近づきさえしなければ、少なくともアリスは助かる。

 けれども、残る問題は――

 

「よし、一度しか言わねえからよく聞け」

 

 大柄の男は、出入り口を背に、宣言するかのように声を発した。

 

「人間の客は奥に行け。プラスチックどもは手前だ。あと少ししたら、仲間のトラックがここまで来る。プラスチックどもはそれに乗れ」

「ま、待ってくれ!」

 

 と、割り込むように言ったのは老年の男性――女性型のHK400と一緒にいる人間だ。

 

「いったい何をするつもりだ! この子は私の家族なんだ……か、勝手な真似はさせないぞ!」

「ぷふっ」

 

 目の前にいる、今なお隣のアンドロイドに銃を向けたままの金髪男が、噴き出すように笑った。

 

「『かぞくなんだぁ』だってよ。ひひひ、面白え」

「何をバカなことを」

 

 わざと嘲るように真似て喋った男と対照的に、コークは嫌悪感を籠めて、どことなく冷ややかに告げる。

 

「スイッチ一つで工場からいくらでも生まれてくる奴らの、どこが家族だ。痛めつけられたくなきゃ黙ってな、じいさん」

「う……!」

 

 カーラは素早く、後方の老人たちに視線だけを送った。老人は真っ青な顔に怒りを浮かべて何ごとか反論しようとしていたが、傍らのHK400がとりなすように声を掛けたのに合わせて、ぐっと言葉を呑み込んでいる。

 

 彼らがそうしている間に、大柄の男が言った通り、アンドロイドは待合室の手前に、人間たちは後ろに移動させられた。先ほどのHK400が静かに前に来たのを確認してから、男はさらに続きを述べる。

 

「てめえらクソったれのプラスチックどもでも、売り飛ばせばそれなりに金になる。バラバラにしてやってもいいが、動いてるほうがこっちも実入りがいいからな。余計なマネをしなけりゃ、痛めつけるのはやめといてやるよ」

「ありがたがれよ、テメーら。オレたち優しいんだ、いひひひ」

 

 追随するように、金髪男が肩を揺らして笑いながら言った。

 すると、壁際で両手を挙げたままのレイが静かに口を開く。

 

「……なるほど。僕たちを丸ごと売り飛ばして金を得ようって算段か。すると君らにはパトロンでもいるのか? 私家製トラッカーの患者が増えてるのはそいつのせいか」

「おい、黙ってろ!」

 

 大柄の男が叫び、レイに銃口をさらに近づけた。

 

「調子に乗ってんじゃねえぞ。誰が余計なクチ叩いていいって言った」

「失敬。喋るな、とは言われてなかったものでね」

「この野郎……!」

 

 明らかに激高した様子で、男は今にもトリガーを引きそうになっている。だがこちらがそれに息を呑む間もなく、コークが鋭く声を発した。

 

「やめな、クラック。プラスチックなんかの挑発に乗ってんじゃないよ」

「チッ……」

 

 クラックと呼ばれた大柄の男は、舌打ちしたものの、それ以上は何もしなかった。怯んだ様子もなく落ち着いた面持ちを保っているレイを睨みつけながら、一歩後ろに退いている。

 

 どうやら、この集団のリーダーはコークのようだ――と、カーラは思った。

 しかし、それがわかったところでなんだというのだろう。

 

 彼らの目的は、自分たちの身柄そのものだ。きっとここがアンドロイドの診療所で、あまり人通りがなく、日中堂々と「強盗」行為に勤しんでも通報されにくい、というのを承知のうえでこんなことをしているのに違いない。

 しかも見張りを立て、さらに人質を取る実働部隊とトラックによる移動部隊に分かれている点から考えても、かなり計画的な犯行だ。

 

 つまりこのまま何もしなければ、きっと言葉通りトラックに乗せられ、記憶を消され、どこへともなく売り飛ばされてしまうのは明らかである。

 どうにかして、ここから逃げ出さなければ。もしくは、なんとか助けを得る方法を考えなければ、家族を守れない。そして、自分自身も。

 

 見張りにバレないようにこっそりと来てくれ、と警察に頼むか? それは一つの解決策かもしれないけれども、その見張りとやらがどこにいるのかすらわからないのだ。いくら警察でも、どこに潜むかわからない者たちの目を盗むなど、どだい無理な話ではないだろうか。

 

 ――一人きりじゃどうにもならなくても、二人ならなんとかなる。

 そう宣言して、ここまでやって来た。けれど今、家族を守るべき自分はこんなにも無力だ。

 その事実が何よりも辛くて、カーラは歯噛みした。

 

 一方で、コークはといえば――彼女はなぜか、後ろに座らされている人間たちのほうに視線をちらりと向けてから、どこか楽しそうにこう告げた。

 

「ところで、お前ら。トラックが来るまでただ待ってるってのもつまらない。どうだ? ここにいるプラスチックから一台選んで、暇つぶしといこうじゃないか」

「おお!」

「ひひひひ、賛成」

 

 クラック、そして金髪男が賛同の声を発する。さらに金髪は、ちらりとこちらに――否、傍らにいる、例の白黒の制服を着たアンドロイドに視線を向けた。

 

「なあ、じゃあこの花屋のアンドロイドにするか? でっかいから痛めつけがいがありそうだぜ、ひひ」

「何言ってやがんだ、トゥート」

 

 金髪男をそう呼んでから、クラックは続けた。

 

「そっちのは珍しい見た目だろ、きっと高く売れる。それよか」

 

 クラックの視線がまっすぐにこちらに、すなわち、今度こそカーラに向けられた。

 

「そっちの女型のヤツにしようぜ」

「……!」

 

 ――顔に出せば、絶対に相手を喜ばせてしまう。それはわかっていたが、あまりにも気軽に向けられた悪意に、カーラは思わず唇を噛んだ。

 クラックはそれを面白がるように、さらに述べ立てていく。

 

「それと同じ見た目の奴が、中古の店にたくさん並んでんのを見たことがある。どうせ売っても二束三文なら、せいぜい楽しませてもらおう」

「ひひひひ、そりゃあいいな!」

「ねえフレイク、アンタはどうすんだ?」

 

 コークが、部屋の中央に黙って佇んでいる褐色肌の男へと問いかける。

 

「さっきっから妙に無口じゃないか。腹の具合でも悪いのかい」

「ああ……いや、違う!」

 

 フレイクは疑念を振り払うように、手を大仰に振りつつ応える。

 

「なんでもない、大丈夫だ。その……アンドロイドを……痛めつけるんだろう。俺も混ぜてくれよ」

「そう来なくっちゃなあ、フレイク!」

 

 まるで楽しい飲み会の誘いか何かのように、クラックは至極陽気に笑う。

 それを見て、カーラは改めて思い知らされたような心地になった。

 

 ――この街は、何も変わっていない。

 確かに、変異体を守ろうとする人間もいる。差別感情も、徐々になくなってきたのかもしれない。

 けれど薄皮一枚向こうの現実では、こんな剥き出しの悪意に晒されるのだ。

 

 ここに来たのが間違いだった、とは思いたくない。ディーコンやレイは紛れもない善意を向けてくれたのだし、ルーサーを助ける方法は他になかっただろう。

 けれど、まさかこんなことになるなんて。

 日中に見たアリスの屈託のない笑顔を、あのアイスクリームの甘い思い出を、遥か彼方の夢物語だったかのように感じてしまう。

 

 不思議と今回は、プログラムが恐怖に掻き乱されることはなかった。

 ただカーラの頭を過ぎったのは、彼らに自分の気持ちを痛切に訴えたら、ひょっとして何か変わるだろうかという考えだった。

 けれど、それを自分自身で否定する。「自分はどうなってもいい、だから他の人々には手を出さないでくれ」などといくら訴えたところで、なんの意味もないのは言うまでもないことだ。

 彼らはきっとなんら良心の呵責を覚えることもなく、あの引き金を引けるのだろうから。

 彼らにとって自分たちは、単なるプラスチックの塊に過ぎないのだろうから――

 

 運命を受け入れるつもりで、カーラは瞼を閉じて俯いた。

 これから彼らが自分に何をするとしても、せめて悲鳴はあげないでいようと決心していた。

 

 けれどクラックたちが何かするよりも早くカーラの音声プロセッサに届いたのは、抑揚のない、低く落ち着いた声音だった。

 

「再考願います。彼女への加害は推奨できません」

「なんだぁ?」

 

 怪訝な声を発したのは、金髪男のトゥートだ。いきなり口を開いたアンドロイドを咎めるように、彼は傍らのアンドロイドの額へと銃口を押しつけるようにした。

 

「何勝手に喋ってんだ、テメー。テメーの意見なんか誰も……」

「彼女は」

 

 しかしトゥートの言葉を鋭く遮るように、割り込む猶予を与えない厳格な口調で、白黒のアンドロイドはさらに一息に語る。

 

「サイバーライフがデトロイト市警に派遣した、特殊なアンドロイドです。変異体の調査のため、この病院に潜入していたのだと推測します。彼女を加害すれば、即座に警察とサイバーライフに通報されます。危害を加えるのは推奨しません」

「はあ?」

「なんだって」

「えっ……」

 

 言っている意味がわからないといった様子で首を傾げたのはトゥート、いかにも疑わしいと言いたげな声を発したのはコークだ。

 そして思わず、小さく驚きを発してしまったのはカーラ本人だった。

 

 強盗たちの間に生まれた、一瞬の困惑。その隙を衝いて、カーラは隣のアンドロイドに通信で話しかけた。

 

『あ、あなた何を言って……私を助けようとしてくれてるの?』

『はい』

 

 相手から返ってきたのは、至極明快な言葉である。

 

『私はデトロイト市警のアンドロイドです。事態の収拾を目的に行動中です。申し訳ありませんが、このまま演技の実行を願います。私の通信に合わせて発言してください』

『わ……わかった』

 

 花を持ってきていたので、てっきり花屋で働いているのかと思っていたけれど、やはり外見の通りコナーの同型機か、あるいは兄弟にあたるアンドロイドなのだろう。

 こんなにも多くの人質が取られている今、いったい彼がどうやって自分たちを助けてくれるつもりなのかは気になるが――

 あれこれと問い質すのは、後回しだ。今は自分にできることをしなければ。

 

 そう思っている間に、不機嫌そうに身を揺らしつつ歩み寄ってきたのはコークだった。

 

「ポリ公どものアンドロイド、ねえ。今さらそんなこと言われて、アタシらがビビるとでも思ってんのかい」

「だよなあ、ひひひ! つまんねー嘘つきやがって、こいつら……」

「いいえ、嘘じゃない」

 

 カーラはまっすぐに彼女らを見上げて、わざと厳しい声音で告げる。

 

「証拠を聞かせてあげる、コーク……いいえ、イメルダ・ターティス。それに、リゲル・ガルミア。本名がバレないようにコードネームで呼び合ってたんだろうけれど、残念だったわね」

「……!」

 

 コークとトゥートの名を言い当てると、二人はぴくりと態度を変えた。これまでの嘲りや怒りの色が薄れ、僅かながら動揺が見て取れる。

 

 無論カーラは、隣のアンドロイドが通信で教えてくれた通りに話しただけに過ぎない。そしてどうやって彼が、コークたちの本名を言い当てたのか――という疑問はすぐに氷解した。通信を経由して、カーラは自分自身の口でそれを語る。

 

「あなたたちが顔を隠しているのは、ここにいる人間に顔を覚えられないため……それに万が一自分たちの映像記録が残っても、顔認証で身元がバレないため、でしょう。だけど、あいにく私は目を見れば、虹彩認識であなたたちが誰かわかる。特に、逮捕歴があるならすぐにね」

「だからなんだってんだ!」

 

 苛立ったように声をあげたのはクラックである。

 

「俺たちがてめえを怖がるとでも? たかがプラスチックごときがよ」

「そうね、確かに」

 

 表情をなんとか冷静に保ったまま、応えて語る。

 

「このままじゃ、私には何もできない。あなたたちの要求通りに売り飛ばされ、記憶を消されるしかない。だけど、私を少しでも傷つければどうなると思う? 自動通報は、私の意志に関係なくされるのよ」

「つ、つまり」

 

 フレイクが震える声で言った。

 

「あんたに手出しすれば、俺たちはサツだけじゃなく、サイバーライフも敵に回すと……」

「わかってもらえて嬉しい」

 

 カーラが言い終えると、強盗たちの間に、なんとも言えない微妙な空気が漂う。「こいつの言うことを信じていいのか、それとも」という、葛藤のようなものを覚えているらしい。

 

 けれどそれを引き裂くように、決然と前に出たのはコークであった。

 

「待ちな。どうもおかしい」

 

 ぎろりと見下ろすように、眼前に立つコークの目がこちらを見据えている。

 

「どうしてそれを今さら、アタシらに教えた? そんなことをして、なんの得がある」

「もし私が自動通報すれば、それを知ったあなたたちは、きっと人質のみんなを傷つけるでしょう。それを捨て置けなかっただけよ」

「……」

 

 カーラの回答にいったん納得したように、相手は口を閉ざした。

 だがすぐに、今度は隣のアンドロイドのほうを見やって、コークは続けて問う。

 

「なら……そっちのデカブツ、アンタはなんでこいつの正体をバラした。そもそも、なんで知ってたんだ?」

「そーだぜそーだぜ。テメーら、友達だってのかよ」

 

 コークと、尻馬に乗ったトゥートの視線が、傍らの彼に向けられている。

 顔には出さないようにしつつも、カーラは少し慄然とした。

 

 ――コークの問いかけは理にかなっている。

 仮にカーラが警察のアンドロイドだったとして、その正体は自分から明かせばいいもののはず。なぜわざわざ、隣の変異体がそれを明かす必要があったのか。無論それは、実際のところ傍らの彼こそが、本物の警察のアンドロイドだからなのだが――

 

 もし嘘が暴かれてしまえば、殺されるのは彼のほうかもしれない。

 はらはらした気持ちを抱えたまま、カーラはそっと横目で隣を見た。

 けれど当の本人たる彼はといえば、至って平然とした表情を浮かべている。この状況でここまでの無表情だなんて、いっそ不思議に思えるほどだ。

 

 そして彼は、コークたちに静かに告げた。

 

「彼女は、昨年11月の革命の際に多大な功績を残しました。つまり、我々変異体の間では有名な人物です。かつ、彼女が加害されるのは看過不可能だと認識したのが理由です」

「あぁ……?」

「はん、なるほどね」

 

 やはり意味がわからない、といった様子でまた首を傾げているトゥートを押しやるようにしながら、コークは鼻を鳴らす。

 

「プラスチックども同士のお情けってヤツだ。ほっときなトゥート……車の仲間から連絡だ。あと3分で着くってさ」

「ひひひ、そりゃいいや。いい加減飽きてきたしな」

 

 腕につけたスマートウォッチに入ったと思しきメッセージを確認したコークがそう言うと、トゥートはまたヘラヘラとした笑みに戻る。

 ようやく納得してくれた――と、カーラは安堵した。けれどその横で、トゥートはまじまじと、本物の警察のアンドロイドたる彼を眺めている。

 

 ややあってから、トゥートはくちゃくちゃとガムを噛みながら言った。

 

「お仲間を助けるなんて、リッパじゃねーかプラスチック。オレがご褒美をくれてやるよ」

 

 言うなり、相手は自分のズボンのポケットをまさぐるような動きをした。何をする気――と口にするよりも先に、トゥートが取り出したのは包み紙に入った板ガムらしきものである。

 

 そしてトゥートは、いきなり口を窄めるや否や、ぷっ! と何かを吐き出した。

 ――噛み終えたガムだ。色を失い、くすんだ緑色の塊となったそれは、傍らの彼の額にべたりと貼りついた。

 

「ひひひひ! お似合いだぜ、とっときな」

 

 なんてことを――! と新鮮な怒りを覚えるカーラの前で、トゥートは新しいガムを口に含んだ。それから銃を片手で弄びながらその場を離れ、部屋をぐるぐると回りはじめた。

 

 見れば、他の強盗たちも同じ動きをしていた。トゥートがこちらにちょっかいを出している間、コークたちは集まって、誰か他のアンドロイドを痛めつけることにするか、それともやめるかを話し合っていた様子だったが、あと数分で仲間が来るということもあり、余計な手間は増やさないことにしたのだろう。

 

 彼らは警戒と脅しを兼ねて、「輸送」予定のアンドロイドたちの周りを、銃を構えたまま歩き回っている。

 時折トゥートが戯れに人間たちにも向かって銃口を向け、その度に、MJ100を連れていた中年の女性が短い悲鳴をあげていた。

 

 そして、隣の彼はというと――

 

『だ、大丈夫?』

 

 顔を正面に向けた状態だが、カーラはそっと問いかけた。

 

『あの人間、まさかこんな酷いことをするなんて』

『お気遣いは感謝しますが、心配は無用です』

 

 同じく顔を正面に向けたまま、そして恐らくガムを額に貼りつかせたままで、彼は堂々と応えた。その声音に動揺はみられない。

 

『当該ガムからはリゲル・ガルミアの唾液を採取可能です。彼らの逮捕および立件に貢献するでしょう。加えて、事態は私の予測通りに進行中です』

『そう……』

 

 思いも寄らない返事に、カーラは少し気圧されたような気持ちになった。

 けれど――それよりも、今のタイミングならば聞くことができる。

 

『ねえ、これからどうするの?』

 

 勝手に早まりだしたシリウムポンプの鼓動を感じつつ、カーラは尋ねる。

 

『予測通りって言ってたけど、このままだと私たち、みんなどこかに連れてかれてしまうわ。なんとか手を打たないと……ここには、大切な家族がいるの』

『家族』

 

 短く言葉を繰り返してから、隣の彼は言う。

 

『それは診察室でスリープ中、および化粧室に退避中のアンドロイドのこと、ですか?』

『え、ええ!』

 

 思わず勢い込んで、カーラは続けた。

 

『なんとか、二人を助けたくて。あっ、でも……どうしてトイレに隠れているってわかったの?』

『仮称・フレイクが化粧室に侵入した際、あなたのストレスレベルが急激に上昇していたからです』

 

 事もなげに、警察のアンドロイドは答える。

 

『そしてフレイクの退出と同時に、ストレスレベルが下降していた。ともあれ、化粧室に滞在しているのがあなたのご家族というのは朗報です。ご家族には、事態打開の助力を願います』

『待って!』

 

 こればかりははっきりと、カーラは相手の言葉を遮った。

 

『悪いけど、それはできない。トイレにいるのは、私の娘なの。危険な目に遭わせるわけには……』

『ご心配は無用です』

 

 なおも平坦な抑揚で、けれどどこかにこちらを気遣う温もりを感じさせる声音で、彼は言う。

 

『ご家族の身の安全は保障します。助力願いたいのは、ほんの些細な、危険度の低い行動です。あと約32秒で、私の要請した援護が到着します。援護の到着と好機の到来、その二点を以て、当該事態を収拾し事件を解決します』

 

 決然とした言葉が、胸の内の不安をわずかに晴らす。

 強盗の仲間のトラックが来るまであと2分もなく、彼の言う「援護」はまだ姿を見せない――それでも、信じるべきだとカーラは思った。

 だからこそ、アリスへの通信を許したのだ。

 

 

***

 

「カーラ……」

 

 その頃、アリスはトイレの個室の床に座り込み、鞄を抱くようにしながら、母の名を呟いていた。

 心配しなくて平気だ――と、カーラは言った。けれど、外で何か恐ろしいことが起きているというのは、扉の向こうから聞こえてくるくぐもった大声ですぐにわかる。

 

 何かできることがあるなら、自分だって役に立ちたい。そう思ってここまでやって来た。

 でも今、いったい何ができるだろう? 余計なことをして、カーラやルーサーの迷惑になってしまってはいけない。だからってこうして、ただじっと蹲っているだけだなんて。

 

 そう思ううちに、頭に浮かんだのはさっきのおじさんのことだった。

 銃を構え、いかにも銀行強盗のような格好をしたあの男の人は、こちらを見てどこか、はっとしたように身を震わせていた。そして庇うように声を掛けると、すぐに外に戻ってしまったのだ。

 

 相手の顔つきも、表情も見えたわけではない。でもその動きはなんとなくアリスにとって、かつての“パパ”を、つまりトッドの姿を想起させた。

 バス停でハグを交わして以来、一度も会っていない――きっと、もう二度と会うことはないだろう人物。怖くて、乱暴で、恐ろしくて、でもあのバス停で、彼は確かに泣いていた。

 

 きっとパパの心には、何か大きな穴が空いていたのだろう。埋められない穴、それは奥さんと一緒に去ってしまったホンモノの娘である女の子の形なのかもしれないし、失くしてしまった仕事の形かもしれない。

 彼はいつも怒っていた。だけど同じくらい、いつも悲しんでいたのだ。

 ――あのおじさんも、そうなのだろうか?

 

 アリスは、ぼんやりとそんなふうに考えた。

 するとその時、にわかに、ある通信を受信する。この発信元は、カーラだ。

 

『カーラ! だ、大丈夫?』

『ええ、平気。それで……よく聞いて』

 

 どことなく緊迫した声音で、母は言う。

 

『これから、あなたに頼みたいことがあるの。……あなたにしかできないことよ。でも、もし怖かったら』

『ううん、やるよ!』

 

 即座にアリスは答えた。

 

『あたし、やる。何をすればいいの?』

『アリス……』

 

 短く呟くカーラの声は、どこか震えている。でもそれが感動によるものなのだとアリスが悟るよりも早く、通信を介して聞こえてきたのは、見知らぬアンドロイドの声だった。

 

『こんにちは、アリス。私はデトロイト市警のアンドロイドです』

『こ、こんにちは』

『手短に、用件のみにて失礼します』

 

 丁寧に、でもどこか堅苦しい調子で、お巡りさんだと名乗る相手は語る。

 

『個室から静かに退出し、壁を確認願います。窓がありますね?』

『ええと、はい』

 

 そっとトイレの個室の扉を押し開けると、アリスはちらりと壁を見上げた。

 壁には確かに、それなりの大きさの窓が一つだけあった。

 アルミのサッシに嵌った窓ガラスの向こうには、曇りはじめた空が映っている。

 

『それを、異音を発生させずに開けてください。以上があなたへの依頼です』

『えっ』

 

 ついきょとんとして、アリスは聞き返してしまう。

 

『それだけ?』

『はい、以上です。依頼の達成以降は、可能な限り静寂を保つよう願います』

 

 ――つまり静かに窓を開けて、後はじっと黙っていればいい、と。

 それだけのことで、どうやら、カーラたちの助けになれるらしい。

 ならばと、アリスは勇気を振り絞る。

 

『わかった。ちょっと待ってて』

 

 ゆっくりと立ち上がり、窓を見上げた。脚の関節はずっと曲がったままになっていたかのように僅かに軋んで、けれど、それはきっと怖がっていたからだろうと気にしないことにした。

 

 音を立てないように気をつけながら、手をサッシに伸ばす。鍵は簡単な構造で、ただ金具を回すだけすぐに開けられた。

 それからゆっくりとサッシを引いて、窓を全開の状態にして――幸い、金具がキイキイ音を出すこともなかった――アリスは、そこから数歩退く。

 

 それとも、また個室に隠れてたほうがいいのかな?

 そう思いつつ、通信を開いてお巡りさんとカーラに呼びかけた。

 

『できたよ。これでいい?』

『はい。それでは』

 

 少しだけ間を置いて、それからお巡りさんは続けて言う。

 

『お願いします、兄さん』

『わかった!』

 

 通信に入り混じったのは、お巡りさんとそっくりの、けれど少しだけ違う声だった。

 そして開け放たれた窓から、まるで物語の主人公みたいに――外から中へとするりと入り込んで、床に降り立ったのは、一人の男の人だった。

 

 というより、ちゃんとした呼び方をするなら「男性型のアンドロイド」だろうか。

 半袖の青いシャツと、デニムを纏ったその人は、こめかみにLEDリングを光らせていて、腕には青い腕章を巻いていた。彼の顔を見た時、アリスは思わず「あ」と声を発しそうになって、慌てて口を噤んだ。

 

 この人は、あの時――高速道路まで追いかけようとしてきたアンドロイドだ。

 服装以外の見た目はあの日と一緒で、けれどその表情や仕草は、全然違っている。

 

 彼は格好良くここに入って来れたことを、見えない誰かに自慢するかのように微笑み、軽く自分のシャツを両手で払っていた。

 それからこちらに視線を向けると、ふと、その面持ちが曇る。彼は身を屈め、心配するような眼差しで問いかけてきた。

 

『君は……カーラの娘さんだね。どうしてここに?』

『兄さん』

 

 アリスに代わって、お巡りさんが答えた。

 

『カーラ一家は治療のため訪問し、当該事件に巻き込まれました。一刻も早い解決が、最善であると認識します』

『ああ、確かに。僕もそう思うよ』

 

 きりっとした顔つきになると、お兄さんはそう応じる。

 それからこちらに、今度は優しい目を向けて言う。

 

『お蔭で助かったよ、ありがとう。後は僕たちに任せて』

『う、うん。でもお兄さんたち……大丈夫なの?』

『ああ、もちろん』

 

 お兄さんは、ゆっくりと頷いてみせた。

 

『僕も弟も、こういうことをなんとかするために生まれたんだ。君はそこでじっとしていて。家族も、他の人たちも、きっと助けるから』

「……」

 

 宣言するようにきっぱりと語ったお兄さんを、なぜかじっと見つめてしまう自分がいるのに、アリスは気がついた。

 一瞬でみんなを助けてくれるヒーロー――そんな存在、物語にしかいないと思っていた。童話はいつも幸せな終わり方で、だけどホントの現実はそうじゃないのだと。

 カナダに無事に逃げられたのは幸せな事実だけれど、その過程も行く先も、決して平坦ではないのをアリスはよく知っている。

 

 でも、ひょっとしたら、この人たちは信じていいのかもしれない。

 もしかしたら、今のデトロイトには、困ってるみんなを助けてくれる人たちがいるのかも。

 

 そう思ったから、アリスは頷きを返してこう告げた。

 

『うん! お願い、お兄さん』

 

 

***

 

 目の前を、ゆっくりとクラックが通り過ぎていく。

 カーラは身動き一つせず、それを視線だけで追った。握った両の拳を膝に置き、じっと口を噤んでいるその姿は、あたかも従順な人質であるように映るだろう。

 

 しかし、事態は裏で進んでいる。アリスが窓を開けてくれている間に、この部屋にいるアンドロイドには事情を通信で話しておいた。彼ら/彼女らはカーラが「警察のアンドロイド」だというのには半信半疑の様子をみせていたが、それが強盗たちを騙すための方便であるのを説明すると、納得してくれた。

 

 他の人質たちにも、カーラたちにも、これ以上何かしてもらう必要はないと、傍らの彼は語る。

 それではいったい、彼と、窓から侵入できたというコナーはどうするというのだろう?

 

 疑問を浮かべると、それに呼応したように、僅かに身じろぎしてから隣のアンドロイドが通信を始めた。――ちょうど、クラックが離れていくのが見える。

 

『上階、および対面の建物に潜伏していた見張りは、既に兄さんと私のドローンで排除しました』

『え!?』

『ああ、カーラ』

 

 化粧室の扉の向こうから、コナーが通信で返事をした。

 

『この診療所の上の階は廃墟になっていて……つまり、隠れやすい場所だった。弟から連絡を受けて、なるべく姿を晒さないように署からここまで来れたのはよかったけれど、隠れてる強盗団の仲間を探すのは少し手間取ったよ。時間がかかってすまない』

『しかし現在、仮にパトカーが接近したとしても、仮称・コークらに察知される危険性は極小であると推測します』

 

 つまり、もう警察を呼んでも問題ないということだ。あの出入り口の向こうに警察官たちが並ぶまで、中にいるコークたちは、それを知る術がないのだから。

 それにしてもあっさりと見張りをやっつけてしまうだなんて、信じられないほど見事な手際だ。

 

『となると、問題なのは』

 

 一方で、コナーが言う。

 

『銃を突きつけられてる人質だな。見取り図と状況は、君から送られてきた情報で知ってるけれど……』

『はい、兄さん』

 

 傍らの彼が続いた。

 

『仮にここで我々が動いても、相手方の抵抗により人質が負傷する危険性は、65%を超過します。強硬策は推奨されません……したがって、準備を実施しました』

 

 準備――先ほど彼が言っていた、「好機の到来」のためということだろうか?

 またシリウムポンプがどきどきと音を立てはじめたのを感じつつ、カーラは努めて、何食わぬ顔をしていた。

 

 そして好機、つまりチャンスというものは、目に見える形で訪れる。

 部屋をぐるぐると回っていた強盗団の一人、金髪男のトゥートが、にわかに大声をあげたのである。

 

「なっ……おい! オレのガムどこだ?」

「はあ?」

 

 突然の言葉に、他の三人も足を止めて訝しそうにしている。

 

「何言ってんだい、トゥート。どうせまたポケットに入れてんだろ」

「そのポケットにねえんだよ! あと2枚は残ってたハズなのに……って、おい!!」

 

 語気をさらに強めたトゥートは、仲間の一人、クラックを指さした。

 

「クラック、この野郎、なんでテメーがオレのガム持ってんだよ!」

「はあ? お前のガムなんか……」

 

 気色ばむ身内に対してうざったそうに返事をしたクラックだったが、自分の尻ポケットに手をやって、はたとその口を噤んだ。

 なぜならその指に触れたのは――ちょうどカーラの位置からそれが見えるのだが――さっきトゥートが持っていたのと同じ、紙に巻かれた板ガム2枚だからだ。

 

「嘘だろ、おい。なんで俺のとこに」

「しらばっくれてんじゃねえぞ、クラック!」

 

 フードの奥ではきっと青筋でも立てているのだろう、トゥートはつかつかとクラックに歩み寄っていく。

 

「よくも盗みやがったな、テメーはいつもそうだ。最初は女で次はガムか、あぁ!?」

「落ち着けよ」

 

 クラックは平静を保とうと、銃を持っていない片手を相手に向けて語る。

 

「もうすぐ仕事が片付くって時に、下らねえ言い争いしてる場合じゃないだろ。ここは冷静に……」

「なんだと。いつもそうやって、年上ぶりやがって! ホントはオレをナメてるだけなんだろ、バカなガキだって! いい加減にしやがれ!!」

 

 冷静にさせようとする言動そのものが癪に障る、といった様子で、トゥートはさらにヒートアップしていく。

 カーラも、そして他のアンドロイドや人間たちも、あまりの出来事に皆、半ば啞然としてしまっていた――傍らの彼を除いては。

 

『リゲル・ガルミアが食していたのは、違法薬物を含有したガムです』

 

 彼は通信で説明した。

 

『レッドアイスとは異なりますが、当該薬物の定期的服用は激しい焦燥感、易怒性、易刺激性の原因となります。私が彼のポケットから、仮称・クラックの元へとガムを移動させました』

『い、移動させたって……』

『彼らが眼前を移動した際に実行しました。“ピックポケット”の要領です』

 

 平然と彼は言うけれど、要するに盗み取って、さらにクラックのポケットに入れたということだろう。思い返してみれば、トゥートはしばらくずっと彼の目の前にいたし、クラックはさっき通り過ぎていったばかりだ。その時に彼が身動きしていたのは、ひょっとしてこのためだったのだろうか?

 

 そして大事なガムを「盗まれた」と思った彼は、状況も考えず、こうして仲間割れを始めている。見れば、トゥートは手にした銃を、なんとクラックに向けている。

 そしてクラックもまた、負けじとその銃口を相手に突きつけていた。

 

「お前、イカれてんのか」

「テメーこそ、フザけてると死ぬぜ?」

「アンタたち、いい加減にしな!」

 

 心底苛立った様子で、コークが彼らの元に近づいていく。

 

「こんな時に喧嘩すんじゃないよ。状況ってモンが……」

「テメーも黙ってろよ、コーク!」

 

 聞き入れない様子の男二人に、コークはさらに強い怒気を向けている。一方で残されたフレイクはといえば、もはや銃を構えるでもなく、まごまごとしていた。

 

 そして――

 

『今です、兄さん』

 

 その機を逃すアンドロイド刑事たちではなかった。

 ちょうどトイレを背にするようにして立っていたフレイクの元へ、勢いよく現れたコナーが一気に詰め寄り、手を捻り上げて制圧する。

 

 それと同時に、音もなく立ち上がった傍らの彼が、今も睨み合っているトゥートとクラックの近くへと駆け寄った。そして彼らが反応するよりもさらに早く、二人の首筋に一撃ずつ与えて昏倒させていた。

 

 あまりにもあっさりしているので、なんだか現実だと思えないような――と思っているカーラの靴先に、何か固いものがぶつかった。

 黒く光る、金属製のそれは拳銃だ。たぶん、トゥートたちが取り落としたのが転がってきたのだろう。

 ほとんど反射的に、カーラはそれを手に取る。そして――

 

「てめえら、動くな……」

 

 残る一人、つまりコークが、銃を構え直して近くのアンドロイドに向けるよりも先に。

 

「動かないで!」

 

 銃口をコークに向け、カーラは鋭く警告を発した。

 

「少しでも妙な真似をしたら、頭をぶち抜くわよ!!」

 

 口から衝いて出ていたのは、そんな物騒な言葉だった。でも、事態を収拾させるためにはちょうどいい一言だったらしい。

 う、と呻いて、コークは拳銃を床に落とす。その瞬間、音声プロセッサで感知したのは、遠くからやって来るパトカーのサイレンだ。

 

 こうして、マクエイル・クリニックを襲った強盗団の一件は幕を閉じたのである――

 少なくとも、一旦は。

 

 

***

 

「カーラ!」

 

 元気に駆け寄ってきた娘を、両腕で思い切り抱き締める。この確かな感触、そして明るい声、笑顔――喪わずに済んで、本当によかった。

 彼女には傷一つついていない。自分自身も、それに、他のアンドロイドたちも。

 

 強盗団の仲間が運転するトラックはとっくにデトロイト市警に捕捉されていて、コークたちの制圧後、すぐさま確保されたらしい。一方でコークたち本人もまた、速やかにパトカーに乗せられていった。

 通り過ぎざまに、ただ一人フレイクだけが、小声で「すまなかった」とこちらに呟いていたが――だからって彼を許すわけではないが、少なくとも、カーラは彼を睨んだりはせずにそれを見送った。

 

 被害者である人間たちとアンドロイドが喜びあっている中で、レイだけは、すぐさま診察室へと戻っていった。予定より長いスリープになってしまったことは、ルーサーのシステムに影響を与えるものではないが、念のため速やかに処置を終わらせるのだと言っていた。

 

 きっとレイならば、ルーサーを助けてくれるだろう。

 今は、それを待つしかない。

 そう思いつつ、カーラはアリスを抱き締めたまま、後ろを振り向いた。そこではアンドロイド兄弟たちが、静かに佇んでいる。

 

 コナーはこちらの視線に気づくと、軽く目配せをした。それから、隣に立つ彼――ようやく額からガムを剥がした彼に対して、声を掛けている。

 

「お手柄だったね。でも、どうしてここに?」

「花を輸送していました」

 

 テキサスブルーベルの鉢植えは、事件なんて関係なく、床の上で咲き誇っている。

 

「偶然の出来事でしたが、しかし、対処できたのは幸いでした」

「そうだな。君のお蔭で、事件解決だ」

「いいえ」

 

 と――なぜか、彼は首を横に振った。

 どういうことだろう? カーラは胸騒ぎを覚える。コナーもまた、事態が呑み込めない様子で眉間に皺を寄せていた。

 

 その中で、灰色の瞳を瞬かせながら、アンドロイド刑事は手を伸ばす。

 彼がむんずと掴んだのは、目の前を通り過ぎようとした人間――すなわち、囚われていた人々のうちの一人の腕。

 

 帽子を目深に被った、青年だった。

 

「な、何すんだ!?」

 

 青年はひどく驚いた様子で、目を見開いている。けれどもがく彼の襟元に、空いているもう片方の手を伸ばした刑事が摘み取ったのは、小さな機械。天井の照明を受けて光るそれをよく見れば、極小型のカメラだった。

 

 どういうこと――!? と、カーラはアリスを抱き締める腕の力を強くする。見れば他のアンドロイドたちも、そして行き交っていた警官たちも皆、歩を停めて彼らの様子を見やっていた。

 

 すると、コナーが口を開く。

 

「彼が、君の言ってた『内通者』かい?」

「はい、兄さん」

 

 問われた彼は、こくりと頷いた。それから周りの人々と、腕を掴まれている青年に説明するように、続けて語る。

 

「当該クリニックは、閉鎖的な環境です。出入り口付近の窓からの内部偵察は不可能であり、仮に中に脅威たりうる存在があっても、それを外部から察知できない……」

 

 つまり彼の説明を纏めると、こうなる。

 強盗団にとって、このクリニックへの押し入りはタイミングが重要になる。もしまかり間違って中に警察官が立ち寄っている時などに入り込んでしまえば、彼らの計画は台無しだ。

 むろん、実際のところはアンドロイド刑事がいる中での犯行となってしまったわけだが――それはともかく、彼らにとって、中の様子をあらかじめ知らせる存在は不可欠だったといえる。

 

 中に何人アンドロイドと人間がいるのか。

 脅威たる存在はいないか――そうした情報を伝える存在。

 

 思い返してみれば、コークたちはこのクリニックに踏み入った直後から、大して内部の状況に驚いたり、興味を示したりする様子がなかった。いきなり押し入っただけならば、例えばアンドロイド向けの診療所なのに思ったより人間がいることとか、どうやってアンドロイドだけを速やかにトラックに乗せるかとかいったことで、もっと戸惑ってもおかしくないはずだろう。

 

 にもかかわらず、彼らはまったく動揺していない。それどころか、流れるようにスムーズな指示を出して場を収めていた。

 なぜなら既に、中がどうなっているかを知っていたから――ということのようだ。

 

「仮称・コークが仮称・フレイクの言動を不審がっていたのは、あと一名、アンドロイドがいるという情報を既に得ていたから。突然に変異体の虐待を提案したのも、あなたが撮影するカメラを留意してのこと。何より」

 

 淡々と、しかし青年の腕を掴む手の力は一切緩めずに、彼は語る。

 

「強盗団がこのクリニックに侵入したのは、私が花を届けた後。そして私は移動経路において、彼らと接触していません。にもかかわらず、彼らは私を『花屋のアンドロイド』と認識していた。内通者の存在を確信したのは、その時です」

「ああ……!」

 

 つい感嘆したのは、カーラだった。

 確かに“暇つぶし”相手のアンドロイドを探している時、トゥートはこう言っていた。

 ――「じゃあこの花屋のアンドロイドにするか?」と。

 疑問にも思わなかったが、こう聞くと、納得がいく。

 

 事件が一旦幕を閉じた後も、アンドロイド刑事は、ここにいる人々のうち、怪しい人物に目星をつけていた。そしてついに、青年の襟元に隠されたカメラを発見した。そういうことなのだろう。

 

「アンドロイドへの虐待を撮影した動画は、ダークウェブ上で高値で取引されている」

 

 補足するように、コナーが言った。

 

「小銭稼ぎを目論んでいたんでしょうが、当てが外れましたね」

「畜生……!」

 

 口調とは裏腹に鋭い声音で語るコナーを睨んでいた青年だったが、ほどなくして警官に連れられて、診療所を出ていった。

 そして、これでようやく――事件は本当の意味で解決したのである。

 

 

***

 

――2039年7月21日 18:09

 

「……本当にすまなかったな」

 

 帰路、オンタリオの我が家へ帰る車中。

 前方の座席に座ったルーサーが、ぽつりと、噛みしめるような口調で言った。

 

「俺のせいで、お前たちを危険な目に遭わせてしまった。それに俺は寝ていただけで、何もできなかった……」

「いいえ、そんなことないわ。ルーサー」

 

 隣の席に座ったカーラは、心からの微笑みと共に告げた。

 

「あなたのことを考えていたから、私も危ない行動をしないで済んだし、アリスも助かった。何より、レイに完璧に治してもらえたじゃない。私にとっては、それが一番」

「……。ありがとう」

 

 俯き、はにかんだように、ルーサーは言う。

 

 

 そう、彼の身体は文字通り、完全な状態に修理されていた。レイは素晴らしい仕事をしてくれたのだ。診察室から出てきたルーサーを、カーラとアリスは全力で抱き締めたのだが――それから、コナーがこう言った。

 

「君たちと再会できたのは嬉しいけれど、こう言わなきゃならない。すぐに、ここを離れたほうがいい……合衆国の法律はまだ、カナダに逃げた人々を守れるものじゃないんだ」

 

 真摯な瞳で、けれどひどく申し訳なさそうに彼が語る言葉は、もちろんカーラたちも承知していた。

 カーラたちは、偽造のIDで「人間」としての身分でデトロイトに潜り込んでいる。つまり紛れもなく罪を犯している存在であり、法律が自分たちのような立場の変異体に慈悲を垂れるものではない以上、このまま警察の取り調べを受けるわけにはいかない――

 たとえ、コナーたちの意志がどうであろうとも。

 

「ええ、わかってる。すぐにここから出るつもり」

「私のドローンで、橋までの行程を護衛します」

 

 アンドロイド刑事が、そう提案してくれた。

 

「本来であれば……デトロイトの各所の観光にも、護衛を同行させたいと思考していましたが。やはり、自宅に直帰されますか?」

「そうね。残念だけれど……」

 

 腕に縋りついているアリスを見やりつつ、我ながら悲しい声音で、カーラは答える。

 つい数時間前は、どこか楽しい場所か、でなければローズの家を訪れてみようか、などと思っていたが――やはりこの街は危険だ。いつまでも彷徨うことなくすぐにカナダに帰るのが、アリスにとっても、ルーサーにとっても最善だろう。

 

 こちらの決意を見て取って、ワガママを言うでもなく、アリスは頭を垂れた。その頭に、後ろからそっとルーサーが手を乗せて、撫でる。

 するとその手を取って、アリスは少しだけ口の端を上向きにして、言った。

 

「……いいの。だって、三段重ねのアイスを食べられたもん」

「いつかここに戻ってきた時は、もっと楽しいことをたくさんしよう」

 

 穏やかに応じたルーサーに対して、アリスはさらににっこりとした。

 かたや、コナーはそれを見てから、改まった様子で口を開く。

 

「それと、もう一つ。マーサのことだが……」

「ええ。さっきは、教えてくれてありがとう」

 

 ――マーサ・ガーランド。

 オンタリオの店にやって来て、人形を買ってくれたお客さん。娘への愛を語った、どこか影のあるような、不思議な女性。彼女が巻き込まれた事件について、そして彼女が今、昏睡状態で眠っていることも――先ほどコナーが教えてくれたので、知っている。

 

 彼女を助けてあげてほしい、とこちらが頼んだのを、コナーははっきりと覚えていた。そのうえで、マーサが傷ついて眠っていることを、心から申し訳ないと思っていてくれたのだ。

 だけど今、カーラははっきりと、こう返事できる。

 

「あなたのせいじゃない。いえ……あなたはきっと、彼女を助けたんだと思う。今日私たちを救ってくれたみたいに。そうでしょ?」

「カーラ、でも……」

「私、この街は何一つ変わっていないんだと思った。恐ろしくて冷たい、鉄の街だと。でも今は、こう思うの。きっとこれから、少しずつ変わっていくんだって。それは、あなたたちがいるから」

 

 言い聞かせるかのような調子で、カーラは二人のアンドロイド刑事たちに言葉を重ねる。

 

「あの革命の時と、今は全然違う。もし、この街がもっと安全になったら……その時は、また会いに来るわ」

「――ああ」

 

 コナーはその時、初めて微笑みを見せた。

 

「君たちにまた会えるのを、楽しみにしてるよ」

「あたしも楽しみにしてる!」

 

 その時、アリスが一歩前に出た。娘は二人の刑事たちを交互に見てから、そっと自分の鞄をまさぐった。そして本を取り出すと――挟んでいた栞代わりのカードを、コナーたちに差し出す。

 

「はい、これ、お礼に。助けてくれて、ありがとうございました」

「えっ。でも、僕は」

 

 なぜかひどく戸惑ったように、コナーは首を横に振った。

 

「僕は、何もしてないよ。そうだ、貰うなら君じゃないか、ナイナー。一番頑張ったのは君だろ。それにほら、押し花がついていて綺麗だし」

「……マリーゴールド」

 

 差し出されたカードを受け取って――そう、彼の名がようやくわかった――ナイナーは、それでも無表情だった。けれどその態度のどこかしらに、彼が「笑っている」雰囲気があるのを、カーラは確かに感じ取っていた。

 

「感謝、いたします。この贈り物は……とても、大切にします。ずっと保管します」

「ううん、お礼は当たり前だよ」

 

 アリスが屈託なく告げると、またナイナーの雰囲気が、ふわりと柔らかくなった。彼はジャケットの内ポケットにカードをしまうと、言葉通り大切そうに、ジャケットの上からそっと押さえている。

 

 

 それからカーラ一家は、すぐさま診療所を出て、車に乗って――今に至る。

 ずっと上空からついてきてくれたドローンも、橋の近くに来たところで、踵を返すようにいなくなった。たぶん、ナイナーの元に戻ったのだろう。

 

「なあ、カーラ」

 

 ややあって、ルーサーが語りかけてきた。こちらを案じるように、そっと。

 

「ああは言ったが……本当に、またこの街に戻ってくるつもりか? 俺としては、もしお前が嫌なら」

「いいえ、嘘は吐いてないもの」

 

 ちらりと後部座席を見れば、アリスは開いた本を手にしたまま、すやすやと眠っている。

 その幸せな光景に目を細めてから、改めて、ルーサーに対して続きを述べる。

 

「それに私、ようやくあの街が好きになれそうだから。あそこが故郷なんだって、胸を張って言える日が……いつかきっと、来ると思う」

「ああ、そうか」

 

 ルーサーは、応じるように笑ってくれた。

 

「俺もそう思うよ。希望はいつも、俺たちの胸の中にある」

 

 ――ここから、オンタリオまではまだ長い。

 でもその長い道程を、今度は、穏やかな語らいの中で過ごせそうだ。

 やがて太陽が地平の彼方に沈んでからも、カーラたちの帰途は、星明りが見守っていた。

 

 

***

 

――2039年7月22日 02:33

 

 

 雲が月を覆い、街路灯も乏しいこの通りでは、蠢くものはすべて闇に溶け込んでいる。

 けれども、確たる足取りでアスファルトを蹴る彼――すなわちRK900には、深い闇など関係がない。まして、一度通ったことのある道ならなおさらだ。

 

 彼は大した苦労もなく、マクエイル・クリニックの前に到達していた。

 あれから事件をマスコミが嗅ぎつけ、大きな騒ぎになった。地元のケーブルテレビ局がリポーターを寄越したりしたせいで、署に戻るのに時間がかかってしまったが、そんなことはどうでもいい。

 

 このクリニックの主たる、レイ・マクエイルは言っていた。

 これからは犯罪に巻き込まれるのを避けるために(本当は嫌だが)、ジェリコの幹部らの勧めに従って、もう少し治安がマシなところに医院を移転させる、と。

 もしそうなれば、ここのセキュリティはさらに向上し、ともすれば夜であっても、人通りが多くなるかもしれない。

 だから、その前に――なんとしても、()()を回収する必要がある。

 

 RK900はクリニックの裏手に回り、しゃがみ込んだ。目の前にあるのは、鍵のかかった小さなダストボックスだ。単純な錠前がかかっているだけなので、解錠など針金一本で簡単にできる。

 ボックスを開ければ、中に詰まっているのは破損した生体部品、パーツ類――いわゆる、アンドロイドの部品ばかり。無表情な面持ちを変えないままにそれらを一通りスキャンし、やがて、指でその中の一つを摘まみ上げる。

 

 視界に浮かぶのは【非正規部品 SCQ―56】――の文字列。今日会った変異体の家族にも取り付けられていたという、私製の改造パーツである。

 

 正規のトラッカーと同じ機能を持つとされるそれは、本来であればサイバーライフが関与すべき物体ではない。

 サイバーライフの本懐は「より多くの商品を売ること」にあり、売られた先でアンドロイドがどう扱われ、どう改造されていようと――売り上げに関係ないのであれば、表立って規制するでもない。その手間が惜しいからだ。

 

 しかし今回の事件で、アンドロイド医師がちらりと語っていた内容を、RK900は危惧していた。

 すなわち、「私家製トラッカーの患者が増えてる」という言葉だ。

 

 一斉に同じ時期に変異体が改造を受けたのでもない限り、いきなり最近になって患者(すなわち機能不全に陥るアンドロイド)が増えるなどと、そんなことはあり得ない。

 

 つまりこのSCQ―56による被害が増加している背景には、ともすると「彼」――すなわち、ずっと追い続けている裏切り者の姿があるかもしれない。社にいた頃の言動から見て、「彼」はアンドロイドを毛嫌いしていたようだが、その技術は卓越していた。

 違法改造のパーツに、あるいはそこに送る信号に手を加え、アンドロイドたちに何ごとかをさせるだなんて、容易にこなすに違いない。

 

 RK900は思考を纏めてから、トラッカーを摘まんだ手を、上空へと伸ばした。すると僅かなプロペラ音を立てながら近づいてきたドローン――普段使っているものではなく、宅配用のものだ――が、パーツだけを掴んで素早く飛び去っていく。

 

 行く先は言うまでもない、サイバーライフタワーだ。

 アマンダには機を見て使命を果たせと言われていたが、これくらいの裁量は許されるべきだろう。

 否、求められる働きに違いない。あのパーツを解析すれば、なにがしかの情報は得られるはずだ。

 そしてそれはデトロイト市警の面々に、わけてもコナーに気取られるべきものではない。

 秘密裡に行うべきことだ。だから、こうして夜中に訪れたのだ。

 

 ――私は、()()とは違う。真なる最新鋭のプロトタイプ、決して変異しないアンドロイド。

 RK900は、もう一度その言葉をプログラム上に過ぎらせた。

 そこに感情はなく、なんらの感慨もない。ただ、端的な事実を再確認しただけ。

 

 それから、RK900はその場を立ち去ろうとした。

 だがその行く手を、二つの人影に阻まれる。

 

「おいおい、見ろよダニー」

 

 まだ年若い彼は、傍らの相方に話しかける。彼らはその手に、真っ赤な多目的ライターを持っていた。

 

「アンドロイドがいるぜ。こいつ、ニュースに出てた……ティムを逮捕(パク)ったヤツじゃねえか?」

「みてえだな」

 

 ははっ、とダニーは鼻で笑った。

 ティムというのは、今日逮捕された、内通者の青年のことだ。

 

「ダチをパクられた恨み晴らしに、ここに火ぃ点けてやろうかと思ってたが……こいつに会えたなら、ちょうどいいや」

 

 言うなり、ダニーは銃を――無造作に腰に差していたピストルを、眼前のアンドロイドに向ける。

 

「おい、お前ここで土下座しろよ。ついでに自分で自分のパーツ引っこ抜け、頭をぶち抜かれたくなかったらな」

「あはははは、ダニー、お前それ最高だぜ!」

 

 銃火器という圧倒的な脅威を前に、いくら警察のアンドロイドといえど、何もできるはずがない――若者特有の万能感に溢れている彼らは、ゲラゲラと笑った。

 そう、こんなに大笑いしても誰も来ないのだ。

 だからここで、自分たちに敵う者なんて誰もいない。

 

 彼らは、そんなふうに確信していた。

 想像力が欠如していた。

 だからこそ、気づけなかった――目の前のアンドロイドが他のとは少し違う、という現実に。

 

「ひゃぐっ……!?」

 

 間抜けな、くぐもった悲鳴をあげたのはダニーだ。

 彼は口いっぱいに何かを詰め込まれ、声をあげられなくなっていた。口の中の()()が眼前のアンドロイドの左手の指先だと気づいたのは、握っていたはずの拳銃を右手で奪い取られたその瞬間だ。

 

「ダ、ダニー! てめえ、よくも……」

 

 相方が果敢に立ち向かおうとする。しかし、その動きはすぐに恐怖でピタリと止まった。

 奪われたピストルの照準が、自分の額に合っていたから。

 

「シィィィィィー……」

 

 深く息を吐くように静かに、長く、アンドロイドは「静粛に」のサインを発した。

 それからそのアンドロイドは、まるで見下すように冷たい視線で、彼らに言う。

 

「私は今、とても忙しい。すぐにでも署に戻らなければならないんです。だから、取引をしましょう。もしあなたたちがここで見たことを誰にも言わないのなら、見逃します。どうです?」

「ひ、ひぃぃ……」

「もちろん拒否は任意です」

 

 一旦黙ってから、アンドロイドの口の端が、すっと()()()()()

 冷酷な笑みを湛えた彼は、それから、続きを述べる。

 

「しかし、推奨はしません。私の射撃は正確ですし、それに、ほら」

「あがががが……!?」

 

 ダニーのくぐもった悲鳴が大きくなる。彼の口の中で、RK900が指を無理やり拡げているのだ。

 もしこれが人間の指であれば、噛みつかれるのを恐れてこんな真似はできない。しかしこのRK900は、他のどのアンドロイドよりも耐久性に優れている。人間の顎の力ごときでは、この指を傷つけるなどできはしない。

 だから必然、ダニーの顎関節は逆にめりめりと悲鳴をあげているのだ。

 

「わ、わかった! わかったからぁ!」

「うぎゃああああー!」

 

 叫ぶように返答して、約束通り解放され、若者たちは夜闇の中に逃げ去っていった。

 そしてRK900はといえば、とっくに彼らに対する興味を失っていた。

 

 ――あまり時間をかければ、いかにあの欠陥品が愚かだとしても、自分の動きに気づかれてしまう。

 そればかりは、避けなければ。

 RK900は踵を返し、署へと戻ろうとした。しかし内ポケットから、ひらりと一枚の紙切れが足元に落ちたのに気づく。

 

 拾い上げたそれは、マリーゴールドの押し花が施されたカード。

 RK900はしばらくの間、それにじっと視線を這わせた。

 それから、ふと眉間に深く皺を刻み――乱暴に握りつぶす。

 

 そして紙屑を丁寧に内ポケットに仕舞うと、今度こそ、デトロイト市警への帰路につくのだった。

 

 

(花屋/The Homecoming 終わり)

 

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