Detroit: AI   作:けすた

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第45話:3つの爆弾 前編/The Countdown Part 1

――2039年7月23日 11:12

 

 

 デトロイト市警のオフィスにて――コナーの向かいのデスクで、アンダーソン警部補が少し早いランチを摂ろうとしている。

 

 今日のメニューはチキンフィードのバーガーではなく、何の変哲もないサンドイッチだ。仕事の都合で仕方なく、というチョイスに過ぎないのだが、挟んである具はパストラミポークと人参のマリネで栄養価も高く、カロリーも二個合わせて【895kcal】と常識的な範囲内である。

 

 コナーは、自分の口元に微笑みが浮かぶのを感じた。

 毎日とは言わずとも、三日に一度はこういう食生活を自発的に送ってもらえたら、きっと今後の警部補の健康を気にする必要はなくなるだろう。

 それに――と、ズボンのポケットから手のひらほどの大きさの、白く薄いプラスチック製のケースを取り出す。

 

 今日のランチメニューがあそこまで穏やかなものなら、これを試してもらうにはちょうどいいかもしれない。

 

「警部補」

「なんだ、さっきっからじろじろと」

 

 一口頬張ったサンドイッチを呑み込んでから、ハンクは非難がましい視線をこちらに向けてきた。

 

「近くの売店じゃ、これしかなかったんだよ。それとも、不足があるってのかね」

「文句をつけたかったわけじゃありませんよ」

 

 コナーはケースの蓋を開けると、中からさらに薄い、半透明のフィルムを取り出した。ほんのりと青く、形は細長い長方形だ。きっとハンクの目には、「透明なチューインガム」のように見えていることだろう。

 

 怪訝そうな顔の警部補に対し、席を立って近づいたコナーは、その半透明のフィルムを差し出した。

 

「よかったら、こちらをどうぞ」

「どうぞってお前、なんだこりゃ。……クスリか?」

「いえ、食べ物です」

 

 受け取ったそれを指で摘まんで持ち上げ、覗き込むようにするハンクに、説明を重ねた。

 

「それはつい先日、ジェリコのアンドロイドたちが開発した可食フィルムです。人間が害なく食べられるのはもちろん、摂食機能のないアンドロイドでも食べられるものを目指して作られたそうで」

「へえ」

 

 と、ハンクは眉間の皺を消して興味深そうに言う。

 

「じゃ、お前もこいつを食えるのか?」

「それは試作品なので、残念ながら私にはまだ。でも開発が進めば、いずれはきっと食べられるようになるはずです」

 

 後ろで手を組んで、コナーは明るく続けた。

 

「無論、食べられるといってもシステムに異常をきたさないというだけで、私自身の機体には何も影響を与えません。人間のような味覚もありませんし……しかし、食事には生命の維持やグルメを楽しむというだけでなく、誰かと同じ時間や体験を共有することで、親睦を深める機能もあると考えています」

 

 可食フィルムから視線を外し、ハンクはこちらを見た。やや皮肉っぽく笑っている。

 そんな彼に対し、さらに語って聞かせた。

 

「このフィルムが実用化すれば、人間とアンドロイドの間の溝が狭まるきっかけになるはずです。同じものを食べる行為には、それくらいの意味が……警部補、なぜそんなに笑うんです?」

「いやいや、悪いな」

 

 指で摘まんだままのフィルムをひらひらさせながら、ハンクは肩を竦めてみせた。

 

「つくづく、お前も変わったもんだって思っただけだよ。で、俺にこいつをどうしろって? 食ってレビューでもすればいいのかな」

「ええ、その通り」

 

 我が意を得たりと、コナーは頷く。

 

「開発にあたり、まずは現段階での味への感想を広く求めているようです。幅広く、様々な人々の意見を集めているとのことで」

 

 先ほど言った通り、アンドロイドには、厳密な意味で人間と同じ味覚はない。そしてこの可食フィルムを開発しているのがアンドロイドである以上「人間にとって美味か否か」を最終的に判断するには、実際に食べてもらった意見を募る他ない。

 ジェリコからコナーへと、このサンプルが送られてきたのもそれが理由だった。身の回りの人間に食べてもらい、その感想を送ってほしい、と依頼されたのだ。

 

 そういうわけで、まずは最も親しく、信頼できる人間に試食を頼んでいるというわけである。

 

「シュガーレスで低カロリー、味はチョコミントを意識して作られているそうです。ぜひ、忌憚なき意見をお願いします」

「そういうことなら……ま、俺の感想でいいんならだがな」

 

 警部補はそう応えると――フィルムの薄青色を見て、改めて眉間に皺を寄せていたが――ぱくりと口に放り込んだ。

 

 どうやら事前の情報通り、それは舌に乗せたところですぐに溶けてしまったらしい。ハンクは顔を顰めたまま、何度か口をもごもごとさせた。それきり黙ってしまった彼に、コナーは待ちきれずに問いかける。

 

「どうです?」

「……遠慮のない意見が欲しいんだよな?」

「ええ、もちろん」

 

 こちらの返答に、ハンクは目を幾度か瞬かせ、それから端的に告げた。

 

「水で薄めたゴキブリのクソの砂糖漬けみたいな味だ」

「ああ……」

 

 ――なんと、とんでもない反応が返ってきた。しかしこれこそが、紛れもなく正直な意見なのである。

 

「わかりました。害虫の糞便にスクロースと水分を加えた味がしたようだ、と伝えておきます」

「待て待て待て」

 

 途端にハンクは手を振ってこちらを遮る。

 

「そのまま伝えるな! 今のはなんていうか、言葉のアヤってやつだ。俺はつまり、そんなに美味くはねえって言いたかったんだよ。いまいち味が薄いというか……なのに妙な苦みもあった、まるで洗剤みたいに」

「洗剤? ゴキブリの糞といい、奇妙なものを食べた経験があるんですね」

「あー、だからその……いいかコナー、人間ってのは食ったことのないモンでも想像でだな」

 

 純粋な驚きで尋ねただけだというのに、ハンクは何やら真剣に説明しようとしている。

 それに耳を傾けながら首も傾げていたところで、のんびりとした時間を終わらせたのは、いつもと同じ署長の大声であった。

 

「ハンク、コナー! オフィスに来い!」

 

 ――どうやら、何かあったらしい。

 すぐに表情を険しいものに切り替え、二人は揃ってデスクを離れる。

 

 いつか同じ食卓を囲めるかもしれないほど、そして真の意味で同じ職に就くことができるかもしれないほどに、人間と変異体の間の壁は崩されつつある。

 だがしかし、だからこそ騒動は起こるものであり――それは「吸血鬼」を巡る一連の事件が未だ解決をみない今でも変わらない。

 

 そして現在、このオフィスに、アンドロイド絡みの事件を担当できるのはコナーとアンダーソン警部補のみであった。

 後継機であり優秀な弟であるナイナーと、同僚のギャビン・リード刑事はここにはいない。彼らは別の命令を受けて、今頃はサイバーライフの施設にいるはずだ。

 

 

 それはともかくとして、今日も今日とて苦虫を噛み潰したような面持ちの署長から告げられたのは、深刻極まりない事件の発生だった。

 

「ついさっき、郊外の金属加工会社の工場で爆発騒ぎがあった。事故じゃなく、明らかに人為的な爆発物によるものだ。今はまだ大規模な混乱には繋がっていないが、問題は……」

 

 現場に、もう一つ爆発物が残されていることだという。

 

「現場からの情報が錯綜していて、詳しい状況についてはなんとも言えん。お前たちには、直接そちらに向かって調べてもらうことになる」

「ちょっと待った」

 

 腕組みしている片手を軽く挙げるようにして、アンダーソン警部補が口を挟む。

 

「大事件なのは認めるが……俺たちが行かなきゃならない理由はなんです? ほら、こっちは昨日の捜査の後始末で手一杯でね」

 

 無言を保ちながら、コナーもハンクと同じ疑問を抱いていた。

 

 昨日の捜査というのは、デトロイト河岸にある工場を巡る大捜査のことである。

 アンドロイド診療所での強盗事件が解決したその翌日、コナーはアンダーソン警部補、そしてナイナーとギャビンも加えて、改めて該当区域の怪しい施設を――すなわちナノドロイド生産が行われていそうな箇所を捜索したのだ。

 以前手に入れたナノドロイドの初期設計図と、そこから得られた情報を手がかりにしての捜査である。

 

 だが、結果は見事な空振り。

 河岸にある施設を徹底して調べても、それらしい場所は見つけられなかった。

 コナーたちは、骨折り損の結末に徒労感を覚えたわけだが――

 

 それでもナイナーとギャビンが別命によって署を離れている今、ハンクとコナーには代わりに報告書を纏め、今後の捜査計画を練り直すという重要な仕事がある。爆破事件とは穏やかではないが、デトロイト市警の爆発物処理班は優秀だ。本来なら、彼らに任せておけば事は済むはずなのに。

 

 これもまたアンドロイド絡みの事件なのか――それともひょっとして、他の誰にも処理ができないような、複雑な構造の爆弾でも発見されたのだろうか。

 内心で身構えるコナーの眼前で、署長はハンクに声を荒らげるでもなく、ただ短く嘆息してから告げた。

 

「お前たちに命令する理由は二つある。一つは、被害者にアンドロイドが含まれていることだ。現場からの第一報では、工場で働いていた変異体が遺体で発見されたらしい。そしてもう一つは」

 

 そこまで語った署長が、軽く顔を上げる。彼の視線はまっすぐこちらに、すなわち、コナーへと向けられていた。

 

「現場の爆発物処理班から、直々に進言があったからだ。『この爆弾の処理はアンドロイドに担当させるべきだ』とな」

「何……?」

「担当者の意見だ。それに街中で爆発が二度も起きれば、今度こそ大規模な被害に繋がるかもしれん」

 

 状況を考慮して、署長は現場の判断に任せることにしたのだという。

 けれども先方からのその言葉は、ハンクを怒らせるのに充分なものだった。

 

 

***

 

「ああクソ、人手不足ここに極まれりってヤツだな」

 

 激しいヘビメタの鳴り響く車内で、ハンクはいかにも腹立たしげに声を荒らげた。

 

「事件捜査はともかく、爆弾の処理はアンドロイドにさせるべきだと? 理由次第じゃただじゃおかねえぞ」

「警部補、どうか落ち着いて」

 

 いつも以上に荒っぽいハンドルさばきを眺めつつ、コナーは静かに述べた。

 

「署長の判断は納得できるものです。被害者にアンドロイドがいるのなら、私たちが担当するべきですし……爆発物の処理についても、私がやらなくてはならない事情があるのかも」

「どうだかな。『アンドロイドは生き物じゃないから』なんて言い訳かましやがるんなら、俺は一発殴る準備はできてるがね」

 

 確かに――「アンドロイドは機械であって生物ではなく、したがって仮に爆発物処理に失敗したとしても『人的被害』が出ないから問題ない」などという差別的な考えが背景にあって、現場がコナーを要請したという可能性もないわけではない。

 警部補が危惧しているのは、そういう事情だろう。

 

 だがコナーには、一つ思い当たることがあった。

 出動命令を受けてからこうして車に乗るまでの間に、現場である工場について情報を集めたのだ。

 

「警部補、署長は現場の工場のことを、金属加工会社のものだと言っていましたね」

「ああ……それがどうかしたのか」

「調べたところ、そこでは主にニッケルの精製を行っているそうです」

 

 まだ今一つピンとこない面持ちで、こちらを横目で見やるハンクに対して、さらに語った。

 

「金属の精製過程では、人体に有害な物質が生じることがあります。署長は、現場からの情報が錯綜しているとも言っていた……もしかすると、工場内は危機的な状況なのかも」

「なるほど。人間には危険でも、アンドロイドのお前ならってか。ならまあ、筋は通ってるな」

 

 やや怒りを収めた様子で視線を前方に戻したハンクに、少し間を置いてから、またコナーは口を開く。

 

「それに今回の事件、もしかすると例の使節団の来訪が関係しているのかもしれません」

「ロシアのお偉方のことか?」

「ええ」

 

 短く頷き、続ける。

 

「ロシアからの外交使節団が到着し、国家間での話し合いが行われている今……アンドロイドに関連した事件を起こし、注目を集めようと考える者が現れてもおかしくはない。特にこのデトロイトでは」

「ナイナーとロシアのロボットのこともあるからな……まったく、このクソ忙しい時によ」

 

 苛立ったように、それでも先ほどよりはかなり落ち着いた態度で、ハンクは噛みしめた歯の隙間から息を吐いた。

 

 ナイナーとギャビンに下された別の命令、つまり彼らが現在サイバーライフの施設にいる理由もまた、この外交使節団にある。

 黙りこくり、何ごとか考えながら運転するハンクの様子を眺めながら、コナーは昨日の夕方の出来事をメモリー内に呼び起こした。

 

 

 約半年前に軍事衝突寸前にまで陥った米露の関係を改善するべく、ロシアの外交使節団がワシントンを訪れるというニュースは、既に一昨日の段階で広く報道されていた。

 

 本来であればここデトロイトには直接的な関係はないはずであったその出来事は、しかし、コナーたちの予測を超えてこちらに結びついた。

 すなわち、その使節団の来訪に合わせて、別の特使がデトロイトにやって来ることが急遽決定したのである。

 

 ロシアの国営企業によって製造された、かの国で最高峰の治安維持専門アンドロイドが――その企業のスタッフと、パートナーたる人物と共にサイバーライフ本社を訪問する、ということに。

 

 ゆえに、ナイナーとギャビンにはこんな命令が下された。

 

『サイバーライフからの要請の通り、ロシアのアンドロイドと接触し、性能の比較調査に協力するように。なお接触および調査は、米露両国間の友好の証として広報されることになる』

 

 なぜこの忙しい時にわざわざ、なんだって自分まで、行くにしてもポンコツだけでいいはずだろうが――というリード刑事の(今回ばかりは)もっともな意見は、署長曰く「上」からの命令だからということで封殺されてしまった。

 

 状況を考えてみれば実際、今回の命令はデトロイト市警を超えたさらに上、合衆国そのものから下されたものなのだろう。米露対立の原因の一つが過熱したアンドロイド開発競争にあるのだとしたら、両国の最新鋭アンドロイド同士、さらにそのパートナーたる人間同士の“交流”は、両国の「和解」を国際社会にアピールするのにうってつけの材料だからだ。

 

 そして国からの命令に、いち地方公務員と署の(立場の上では)備品が逆らえるはずもない。

 こうして不満たらたらのギャビンと共に、ナイナーは大任を帯びて空港へと向かうことになってしまったのである。もちろん、ロシアからの使者を迎えるために。

 

「ナイナー、大丈夫かい」

 

 その日、署長のオフィスを出た後、コナーはそっと弟に問いかけた。

 

「捜査を終えたばかりで、新しくあんな命令がくるなんて……それに今朝から、ずっと落ち込んでいただろう?」

「……はい」

 

 消沈した、一方で彼をよく知らない者から見れば完璧な無表情で、ナイナーは首肯した。

 彼の右手は、制服の上着――正確に言えば、内ポケットの中身に添えられている。

 たまらず、コナーはさらに言葉を続けた。

 

「アリスからの贈り物のカード……どうして、あんなに折れ曲がってしまっていたんだろう」

 

 それは問いかけというよりは、どちらかというと呟きに近かった。

 朝、コナーがオフィスで最初に見かけたのは、椅子に座ったまま俯いている弟の姿だったのだ。

 その手には、見るも無残なほどにくしゃくしゃになった押し花の栞があった。強盗事件を解決した時、現場に居合わせたアンドロイドの少女・アリスに貰ったものである。

 

 なぜこんなことに――という疑問を解決するよりも先に仕事が始まってしまったので、その時のコナーには、ただナイナーを慰めることしかできなかったのだけれど。

 

「君はとても大切にしまっていたし……もしかして、誰かの嫌がらせか?」

「いいえ」

 

 今度は、弟は首を横に振った。悲しげな面持ちではあっても、断固とした雰囲気を帯びている。

 

「兄さんの懸念は妥当です、が……その可能性は低いと認識します。カードを毀損したのは」

 

 その時、ナイナーは確実に、何かを続けて語ろうとした。けれども言葉を呑み込んでしまって、次いで瞳に強い意志の光を宿して、彼は言った。

 

「私は大丈夫です、兄さん。現状における最重要タスクは、新規の任務への集中だと判断します。国家間紛争の回避にこの私が有用であるなら、私自身にとってもそれは幸福なこと、ですから」

 

 きっぱりとそう語って、やや気を取り直した様子で、ナイナーはリード刑事と署を発った――それが、昨日の出来事。

 

 そしてもし、今日のこの爆発物騒ぎが外交特使の来訪に合わせてのものだとしたら――否、仮にそれは無関係だったとしても、自分にしか処理できないものなのだとしたら。

 

 背景にどんな思惑があろうと、解決するのが、自分に課された使命だ。

 

 コナーは指先でコインを弾きながら、キャリブレーションに努めた。

 そしてちょうど動作調整が終わった頃、ハンクの車は、現場に到着する。

 

 

***

 

――2039年7月23日 12:01

 

 

 到着した現場は、案の定、物々しい様子である。

 パトカーと大勢の警察官の間を縫うようにして、大型の特殊車両が何台も配備されていた。しかし規制線のこちら側には、野次馬たちの姿はない。爆発物騒ぎとあって、近隣住民は避難したのだろう。

 

 そしてひときわ存在感を放っているのは、まさに事件が起きた工場であった。

 灯りは消え、ただ巨大な煙突から、もうもうと煙があがっている――

 

「やっと来てくれたか!」

 

 コナーたちが規制線の向こう側に入るや否や、カーキ色の防護服を纏った男性が、まっすぐ近づいて声をかけてくる。

 頭部の防護は外されているので、フェイススキャンはすぐに実行できた――デトロイト市警の爆発物処理班に所属する、若手の警官だ。

 

「助かった、そのアンドロイドじゃなきゃたぶん無理だ! 早くなんとかしてくれないか」

「おいおい、落ち着け」

 

 相手の物言いには、差別的な雰囲気はない。けれども妙に焦った様子の彼に対し、ハンクは制すように両手を軽く突き出した。

 

「いくらなんでも、状況もわからないのに突っ込むわけにはいかねえ。まずはどうなってるのか説明してもらえるかね」

「説明なら私がしよう」

 

 と、新たにこちらへ来たのは黒い口ひげが印象的な壮年の男性だ。スキャンによれば、どうやら彼が処理班の班長らしい。

 

「サンチェス、お前はあっちを手伝ってこい。……すまなかった、なにぶんこちらも扱ったことのないケースに動揺していてね」

「いえ、お気遣いなく」

 

 班長の命を受けて、若い警官が他の班員たちと合流していくのを目で追ってから、コナーは質問した。

 

「それで、状況は?」

「端的に言おう。テトラカルボニルニッケルが漏洩した」

 

 ――やはり。そう思ったコナーの眉間に、僅かに皺が刻まれる。

 かたや、アンダーソン警部補はやや当惑したような面持ちになっていた。彼への解説と班長への確認を兼ねて、コナーは口を開く。

 

「純度の高いニッケルを精製する過程で発生する、極めて毒性の高い液体ですね。無色無臭で揮発性も高く、皮膚接触でも呼吸によっても人体に吸収され、十数時間で間質性肺炎を引き起こし、最終的には死に至る危険性をもつ」

「ああ。ご覧の通り、幸い建物の外にまでは流出していないし……こちらもこういう工場が市内にある以上、充分な備えはしていたんだがな」

 

 それから班長が語った内容は、こんなものだった。

 

 今日の10時50分頃、作業を始めようと工場に入った職員の人間の目の前で、突如として爆発が起こった。それは危険物質の漏洩を防ぐための設備の一部を破壊し、「死の液体」が流出してしまう。

 

 緊急事態に際して、なんとか軽傷で済んだ職員は――今、病院で治療を受けているが――その時、すぐにしかるべき対応策をとろうとした。

 だがその視界の先に映ったのは、そして現場に最初に踏み入った処理班員たちが目撃したのは、あまりにも残酷な、もう一つの「爆弾」の姿だった。

 

「それがこれだ」

 

 班長が差し出したタブレット端末に表示されている写真を見て、ハンクのみならず、コナーも強烈な「嫌悪感」を覚える。

 

 写っているのは、工場の設備の前に、まるで献花のように置かれたアンドロイドの()()だ。署長が言っていた第一報の「工場で働いていた変異体の遺体」とは、このことを指しているのだろう。

 分析によれば男性型の【WM500】であるそのアンドロイドは、当然の如く死亡しているどころか、おぞましい姿にされてしまっている。

 

 両目のパーツは取り除かれ、虚ろな穴からは、爆弾の起爆装置へと繋がる配線が伸びていた。さらにその口には無機質なデジタル時計が無理やり押し込まれ、【048/59/0969】と、ミリ秒以下も示した時間表示を行っている。

 

 48分59.0968秒――いや、表示されているのは現在時刻ではなく残り時間だ。つまりこれは、アンドロイドの生首に組み込まれた時限式の爆弾。写真が撮影された時間を考慮して、許されている残り時間はあと34分。

 余裕がある、といえば確かにそうだ。爆弾の種類や影響を考慮しないのであれば。

 

 切迫したこちらの気持ちをさらに煽るように、その「爆弾」の手前の白い床には、真っ赤なスプレー塗料でこう書かれていた――『GOOD LUCK(がんばれ)』と。

 

「……そうか」

 

 重々しく口を開いたのはハンクである。

 

「ただでさえヤバい物質が溢れてるところに、時限爆弾……しかもアンドロイドに組み込まれてるときたら、さすがに対処はしきれねえな」

「ええ。万が一、アンドロイドのシステムが起爆の演算に流用されていたら厄介ですね」

 

 いくら処理班が優秀だとしても、解体を試みれば、不測の事態は発生するかもしれない。

 工場内部とあって高圧放水による破壊は論外、液体窒素等を用いた凍結処理も困難、そもそも振動を与えても平気なのかどうかすら怪しい。

 

 そして仮に爆破がもう一度起き、テトラカルボニルニッケルが辺りに撒き散らされるようなことになれば、今度こそ大惨事が引き起こされるだろう。

 むろん市内全域とはいかないが、この地域一帯が危険地区と化してしまうのは、決して考えすぎなどではない。

 

「わかりました」

 

 一も二もなく、コナーは返事した。

 

「私が解体してきます。警部補はここに残って、捜査の指揮をお願いします」

「お前だけ行かせるわけには……ってのは、今回ばかりは言えねえな」

 

 たとえ防護服を着たところで、専門的な知識もない人間が同行しても足手まといにしかならない――と自己判断したのだろう。

 不愉快そうに眉間に皺を刻んだままだが、ハンクはその青い双眸をこちらに向けた。

 

「任せたぞ、コナー。ザマねえこったが、こいつは確かにお前だけが頼りだ」

「はい、警部補」

 

 力強く、コナーは応えるのだった。

 

 

***

 

 工場の内部に一歩踏み入った瞬間、反響して聞こえたのは己の発した靴音。照明が消えた薄暗いエントランスには当然ながら人気はなく、何かが動く気配もない。ただ、およそ200メートル先の方向から何か音が聞こえるのを、音声プロセッサが認識していた。

 ごく微かにしか聞こえないため、音の正体まではまだ判別できないが。

 

『問題ないか、コナー』

「ええ、異常ありません」

 

 通信の向こうにいる警部補に返答してから、改めて周囲に視線を巡らせる。

 

 工場内には、目に見えた破壊の痕跡が広がってはいない。ただ、空気中の微細な物質にセンサーが反応した結果として、視界の端には【危険:テトラカルボニルニッケル、一酸化炭素を検知】と表示されている。

 

 事件が起きた後、すぐに処理班員たちによって破損箇所が覆われ、吸着剤が撒かれたようだが、それでも漏洩は完全には防げなかったらしい。

 徹底した通風換気が行われれば、いずれこの工場は再稼働できるだろう。しかしもし今ここに防護服を着ていない生身の人間がいれば、ひとたまりもなかったはずだ。

 

 そして自分はといえば、防護服は着ていない。必要ないからというだけでなく、機体のセンサーが覆われて検知の精度が鈍れば、作業に影響を及ぼす恐れがあるためである。

 

 だから今の服装は、いつもと同じ青いシャツとデニム。解除作業が終わり次第、機体ごと熱風式の洗浄を受ければ問題ない。

 ただし、疑似的な呼吸機能は意図的に切っていた。サイバーライフのアンドロイドには人間を完璧に模倣する目的で、本来なら不必要な人工肺が備わっており、通常であればそれは単なる「呼吸の真似ごと」で済むのだが――今回のように有害物質が空気中を漂っているなら話は別だ。

 任務を終えて外に戻った時、人工肺の内部にここの空気が残っていたら、汚染を拡げてしまうかもしれない。そうしたことのないよう、コナーはぴったりと疑似呼吸を止め、口を閉じていた。

 

「このまま現場に向かいます。直接この目で確認すれば、何かわかるかも」

『危なくなったらすぐに教えろよ』

「ありがとうございます」

 

 短く、しかし誠意を込めて返事をすると、コナーは予めインストールした内部の地図を頼りに歩を進める。

 事件現場と呼べる設備の場所は、ここから200メートル先、廊下の向こう――やはり、先ほどからかすかに聞こえている音の発生源と同じだ。

 

 道中には特に危険物はない。念のため他に爆弾が設置されていないかも確認しているが、それらしいものも見当たらない。注意深く、しかし足早に、時限爆弾のもとへと急ぐ。

 

 そして、現場たる工場の中枢部分に踏み込んだ時。

 コナーは音声の正体を把握し、同時に、最初の爆発時に何が起きたのかも理解した。

 

「……」

 

 プログラムにないところから湧き上がってきた「不快感」に、顔つきを険しくする。

 被害者に対する、犯人の明確な悪意を感じたからだ。

 

「何が起きたかわかりました、警部補」

 

 報告の一環として、物理演算ソフトウェアによる再現機能を実行しながら、通信で語った。

 

「第一発見者の職員は、同僚の声が聞こえたのでここに来たんです。そして知らず知らずのうちに、起爆装置を起動させてしまった……」

 

 床に残る職員の足跡、そして近くの壁に残る僅かな痕跡(【引っかき傷-最近のもの 痕跡の幅:39cm、スチール製ワイヤーによるもの】)を分析した後、プログラム上で再現されたのはこのような光景だった。

 

 事件当時、職員は、慌てた様子でここまで駆けてきた。そして声のする方をよく見ようと歩を進めた瞬間、右足がワイヤーに――床近くの低い位置に密かに張られていた罠に触れてしまったのだ。

 

 物理的衝撃を受けてワイヤーは素早く巻き戻り、その先にある起爆装置を作動させる。爆薬は正確にステンレス製の防護壁の一部を破壊し、タンク内のテトラカルボニルニッケルが流出し――

 

 そこまで再現したところで、コナーはまさに、破壊された壁のほうを見やった。

 壁、そしてタンクの真下には、写真で見た通りの「爆弾」が置かれている。

 変わり果てた姿にされてしまったWM500は、口に押し込まれた時計でカウントダウンを(残りあと30分だ)し続けながら、今も空虚にこの言葉を繰り返していた。

 

「プログラムが異常を検出しました。サイバーライフ・メンテナンスセンターに連絡してください。プログラムが異常を検出しました。サイバーライフ・メンテナンスセンターに……」

 

 職員を誘き寄せたのは、あの声だ。重大な「故障」をしたアンドロイドが発する自動音声。

 データによれば、あのWM500は四か月前からこの工場で働いている。目立ったトラブルも報告されておらず、きっと職員たちとうまくやっていたのだろう。

 そしてそんな彼だからこそ、爆弾の装置として選ばれてしまったのに違いない。

 

 WM500の首から下の亡骸は、工場設備の陰に隠すようにして、そのまま床に横たわっている。周囲には蒸発したブルーブラッドの痕跡があった。

 彼はこの場で、恐らくは不意を衝かれて殺害された。そして爆弾の一部にされ、かつ、彼を心配して近づこうとした職員は、期せずして罠を起爆させてしまった。

 

 犯人の目的も、正体も――今はわからない。

 だがこれ以上、あのWM500を無念な姿のままにしておくことはできない。

 

「一刻も早く、彼を解放しなくては」

『ああ。そうだな』

 

 状況を説明すると、ハンクも同意してくれた。

 コナーは誰にともなく頷くと、静かに、今なお壊れた言葉を繰り返している彼へと歩み寄る。

 

 持ってきていたツールバッグを下ろし、まずは分析を実行して、爆弾の構造を把握したところで――

 

「……!」

 

 コナーの表情は、自然と険しくなった。

 それからすぐに、再びハンクへの通信回線を開く。

 

「警部補、よい知らせと悪い知らせが。どちらから聞きますか」

『悪いほうだ、すぐ話せ』

「爆弾は恐らく、あともう一つあります」

 

 天井も含めて素早く見渡しながら、努めて冷静に報告する。一方で、通信の向こうのハンクは緊迫した声音になった。

 

『もう一つ? そこにあるのか!?』

「いえ。ただ、解析してわかったのですが……この爆弾には、通信用の電波を発生させる装置が組み込まれているんです。ごく原始的ながら、それなりに遠距離まで届く性能のものが」

 

 WM500の眼窩から伸びる配線、先にある起爆装置――爆薬そのものと合わせて、もう一つの防護壁にダクトテープで取り付けられているそれに視線を向けて、コナーは続けた。

 

「装置は、解体されるなどして起爆システムになんらかのエラーが発生した場合、自動的に作動するように設定されています。そしてその電波が届く先は犯人のもとか、あるいは」

『どっかに隠されてる三つ目の爆弾……てか』

 

 たとえ顔が見えなくてもどんな表情かわかるほどの悲憤に満ちた、唸るような声を警部補はあげる。

 

 つまり、こういう仮説が立てられる。犯人は、三つの爆弾を用意していたのだ。

 一つ目は、既に起爆された。二つ目は今ここで、残り29分を告げている。そして三つ目の爆弾は――二つ目が失敗した時に、起動なり起爆なりするようにセットされている。

 

 今ここで、二つ目を解除することはできない。どこかにある三つ目が、最悪の場合爆発してしまうから。

 しかしだからといって、二つ目を放置することもできない。29分後にはこれも起爆されて、死の液体が周囲に撒き散らされることになってしまうから。

 

『つくづく思ってたが、もはや完璧なテロじゃねえか。FBIサマが参上しないのが不思議なくらいだね』

 

 冗談めかして愚痴を零してから、ハンクは言葉を続けた。

 

『で、こんな状況でお前の言う“よい知らせ”ってのは?』

「二つ目の爆弾の構造自体は、ごく単純なものです。アンドロイドのシステムも関与していません」

 

 懸念のうち一つだけは解消されていた。

 確かにWM500は爆弾の一部として組み込まれており、その声は他者を誘き寄せる餌にされていたわけだが、彼のシステム中枢は分析によれば既に機能を停止しており、ただエラー時の音声を再生しているだけに過ぎない。

 

 要するに、アンドロイドの演算機構を利用した複雑な構造の爆弾などではなかった、ということだ。

 

「市警の爆発物処理班に任せたとしても、なんの問題もなく解除できるでしょう」

『となると、俺たちがやるべきなのは……』

「ええ。第三の爆弾の発見と解除ですね」

 

 ――電波の届く範囲は、そう広大だというほどでもない。せいぜい、ここから市内ダウンタウンまでの距離を網羅する程度だ。

 だがそれでも、残りたった28分で探しきれるものだろうか。

 もしナイナーがいてくれれば、ドローンで広範囲を一度に捜索できたものを――

 

 いや、今は時間が惜しい。ないものねだりをせず、捜索のために力を尽くさなければ。

 

 そんなふうにコナーが意図的に意識を切り替えようとしたその時、通信の向こうで、ハンクが言った。

 

『いいや。三つ目の在処を探すより、もっといい手がある』

「……それは?」

 

 問い返すこちらの音声プロセッサに届いたのは、相棒の不敵な一言だ。

 

『犯人の野郎を捕まえるんだよ。何、あと20分もありゃできるだろうさ……お前がいればな』

 






今年もご覧くださり、また応援くださいましてありがとうございました。
このシリーズも、たぶん2022年中には完結するのではないかと思います。
↑まだ終わりそうにないですね! すみません(2022年6月追記)

後編は1月中に更新できればと考えております。

2022年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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