――2039年7月23日 10:28
「あー……クソったれ」
呟きは、自分以外の誰にも届かない。
苦々しい面持ちで眺める空は、嫌味なほどに晴れ渡っていた。
抜けるような青空から少し視界を動かせば、この空き地を囲うように建つ廃ビルが目に入る。
今日は勤務日で、決して非番ではなく、ましてサボっているわけでもない。
にもかかわらずギャビンは今、こうして馴染みの場所――つまり廃墟の街の一角にいる。
空き地の隅に置かれっぱなしになっている資材(鉄骨か何かだ)に腰を下ろし、もう一度「クソ」と吐き捨てた。
それからまた、所在なく空を見上げる。鼻先をハエが一匹飛び去っていった。ギャビンは眉間に皺を寄せる。
なぜこの自分が、こんな時間に、こんな場所にいなけりゃいけないのか。なぜ、公園のベンチに鈴なりになって暇を潰す老いぼれどもみたいに、ボンヤリと日の光なんて浴びてなきゃならない?
問いの答えなどわかっている。さらに言えば、ここに留まっている他ないというのもはっきりわかっていた。とはいえこの胸のイラつきが消えるはずもなく、ギャビンは自分の片膝を使って頬杖をつくと、短くため息をつく。
――それもこれも全部、あの
脳内で悪態をつくと、ギャビンは昨晩からの出来事を思い出した。
デトロイト河岸にある工場をありったけ虱潰しに調べ上げ、それがまったくの無駄骨に終わった後。
ギャビンと備品のRK900は、ご立派な「署長命令」を受けて空港へと向かったのだ。
米露間での友好の証として、最新鋭アンドロイド同士を“交流”させる――そのために、向こうの連中を迎えに行け、という命令。
要は親善大使まがいのことをやれという、いち刑事としては意味不明な仕事のために。
***
――2039年7月22日 18:56
車は猛スピードで空港へ向かっている。そして、その行き先を変える権利は自分にはない。――というのはわかっていたので、ギャビン・リードは思い切りリクライニングさせた運転席に身を横たえ、車内の天井を睨んでいた。
ふてくされたガキじみた行動だというのは自覚しているが、こんなバカげた命令、とても真面目に受ける気になんてならない。
外国製のロボと、その取り巻きどもを迎えるだなんて、この自分がやるべき仕事ではない。いっそのこと、このままふて寝してフケてやろうか。
そんなことを考えていると真横から、抑揚のない平坦な声が聞こえてきた。
「……リード刑事」
「黙れ」
「リード刑事」
すかさず命じてやったというのに、助手席に(お利口にシャンと背筋を伸ばして!)座ったデカブツ備品は構わず、こちらに首だけを向けて続けた。
「自動運転時においても運転手は不測の事態に備えて前方を警戒するよう、法律で規定されています」
「ハイハイ、規定ね」
生意気にも小言を言ってきたプラスチック刑事を鼻で嗤ってやる。
「知るかよ、そんなモン」
「……」
一瞥すれば、備品は灰色の瞳を少し見開くようにして、じっとこちらを見つめていた。“呆れた”とでも言いたいのだろうか? さすが、アンドロイド刑事サマはどんな時でも規定だの所定の手続きだのが大好きなことで――
と皮肉ってやろうと思ったところで聞こえてきたのは、さらに抑揚なく垂れ流される音声だった。
「ミシガン州道路交通法第47条、修正第1項。自動運転車の運転者は道路・交通及び当該車両の状況に応じて、他人に危害を及ぼ……」
「黙れっつったのが聞こえねえのか!」
半身を起こして怒鳴りつけてやると、備品はぴたりと口を閉じた。
「たく、なんのつもりだ。ポンコツが」
「申し訳ありません」
無表情のまま、アンドロイドは言う。
「発言を受け、交通法規の確認希望かと認識しました」
――『知るかよ』と言ったせいだろうか? とギャビンは頭の片隅で訝しんだ。
「
憤懣をぶつけるように、ギャビンはポンコツ備品に向かって中指を突き立てる。
するとなんと、こちらに向かってポンコツは中指を突き立て返してきた!
「なんだてめえ、ケンカ売ってんのか!?」
「申し訳ありません」
と、備品は自分が出した中指をしげしげと見つめた。
「当該ジェスチャーが『強烈な侮蔑』を意味するとは理解しています。ですが……」
「あぁ?」
「私……私は感情表現が苦手、なので。リード刑事の動きをトレースし、模倣による訓練を試行しました。しかし、先刻の実行は不適切だったと認識します。重ねて申し訳ありません」
中指から握り拳に戻して(機械のくせにどことなく)しょげた風に俯くと、ポンコツはまた正面に視線を戻した。
「なんだってんだ……?」
ぼやきつつ、ギャビンは思い出す。
そういえば署を出る前に、ポンコツ備品とハンクの野郎とコナーが何やら話していたような気がする。
忌々しいことに、今回の機械どもの“交流”は、二つの国の国民が注目する一大イベント――だという。というかマスコミが入って、そういう大きなイベントであるということに
なので空港で向こうの連中と落ち合った直後、デトロイトご自慢の新型アンドロイド刑事はヨソから来たアンドロイドと一緒に、メディアの取材を受ける予定だという。
そしてポンコツ備品はポンコツなりに、自分が鉄面皮の無表情の棒読み野郎だというのを気にしているようだ――サイバーライフの最新鋭である自分が、コミュニケーション能力に乏しいというのは問題視されないか、などというふうに。
署長命令を受けてすぐ、オフィスの外に出るやいなや、備品はボソボソとそのことをハンクと自分の“兄”に相談していた。
するとハンクはにやりと笑うと、備品の背を叩きながら、こう言っていた。
『なあに、かえって表情が変わらねえほうが、
ハンクはすかさず中指を突き立てた。だが眉を顰めたコナーが、その手を強引に下ろさせる。
『公的な場でそのジェスチャーはお勧めできませんよ、警部補。そもそも、ナイナーに変な情報を教えないでください』
『じゃ、どうすんだ?』
『こうしましょう。……いいかいナイナー、笑顔を求められる時があったら、こうするんだ』
コナーはサムズアップの姿勢をとった。ポンコツはアホみたいに目をぱちぱちさせた後、同じように親指を立ててみせる。アンダーソン警部補とペットのアンドロイドは、それを見てやんややんやと褒めたたえていた。
『おっと、なんてステキな光景。ここは警察署だと思いきや、幼稚園児のお遊戯会場でしたかねえ?』
およそ警官がやるにふさわしくない奇妙な仕事を、アンドロイドなんかと組まされているせいで命じられてしまった苛立ちもあって、ギャビンはその場の全員に聞こえるように連中を嘲笑ってやったものだが。
ともかく、学習したジェスチャーを車内で練習とは、なんとも機械らしい生真面目さである。
しかしコイツが本当に、あの元“一兆ドル企業”サイバーライフ社が生み出した最先端アンドロイドだというのなら、いい加減作り笑いの一つや二つできるようになっていてもおかしくないはずなのに。
ソーシャルモジュールがないとかなんとか、コナーの野郎が言っていたような気もするが――自分だったらそんな欠陥商品をとても「最新鋭です」と外に出そうとは思わない。
そんな素人ですらわかりそうなことが理解できないなんて――やっぱり、サイバーライフの奴らは頭にクソが詰まっているに違いない。
そんな乱暴な結論に達したところで、フロントガラスの向こう、高速道路の行く手に小さく見えてきたのは目的地の空港だ。このぶんだと、あと15分もすれば着きそうである。
――フテ寝で体力回復は失敗か。そう思い、ギャビンは舌打ちをした。
デトロイト・メトロ空港に着いてみると、思いのほか、中はいつも通りの様子だった。国と国との一大イベントだというのなら、てっきりもっとマスコミだのが集まった騒然とした雰囲気になるのかと考えていたのだが、そうでもないらしい。
結局のところ(この後わかったことだが)サイバーライフ社は「セキュリティの都合上」立ち入りできるメディアを厳選し、取材できる会社を制限していたのだという。
たかがロボ同士の会談に、そこまでする必要があるんだろうか?
そんなふうに思っている間に、今回のメインゲストを乗せた飛行機は無事に滑走路に降り立ったようだ。超一流の音楽家が自分の楽器を運ぶ時にそうするように、外国産ロボットは、持ち込み荷物扱いで人間の座席に乗って来たらしい。
そういうわけでポンコツ備品と、サイバーライフの連中――てっきり備品と顔見知りだと思っていたが、そうではないという――そして幾人かのカメラマンたちと共に、ギャビンは国際線の到着ロビーに待機していた。
暇極まるので、近場の柱にもたれかかったまま携帯端末を弄っていると、にわかに周囲のカメラマンたちが動き出した。到着口のほうにレンズを向け、耳障りなほど、しきりにシャッターを切っている。
なるほど、件のロボットご一行がいよいよ到着した様子である。
「どれどれ……」
と、ギャビンは視線を到着口に移す。
そして、思わずぎょっと目を見張った。
やって来たのは――少なくとも、サイバーライフのアンドロイドとはまったく違う機械だった。
漆黒の機体。のっぺりした頭部に、一つ目の化け物よろしく光る大きなカメラレンズ。上半身はまだ人間っぽい形をしていたが、下半身はまるでニワトリのようだ。逆関節の足を動かし、ひょこひょこと身体を上下させながらこちらへと歩いてくる。
にもかかわらず、機械らしい駆動音はおろか、足音の一つも立てていないというのがなんとも不気味だ。
向こうの国のアンドロイドは旧式の技術、つまり20世紀くらいから開発されていた「人型ロボット」の技術の延長線上にある存在で“人間らしく”はない一方、厳しい環境にも対応できるよう作られている――という話は、雑誌か何かで読んだことがあった。
しかし、ここまで異なる見た目だとは。
そして北の国からやって来た人間どもはまるでロボに追随するかのように、これまた静かにロビーへとやって来る。
人間たちのうち、いかにも科学者らしいナリをした(要は
一方、真っ黒ロボのほうは脇目も振らずまっすぐに、デトロイト市警が誇るポンコツ備品のもとへと歩み寄っている。北極圏のシリウムを巡って相争っていた両国のアンドロイドの初めての邂逅という“歴史的”瞬間を撮ろうと、すかさずメディアクルーが二体の機械を取り囲んだ。
ギャビンはというと、眺めこそするものの、近づきはしない。取材を受けろ、などという命令は出ていないし、何よりマスコミ連中のメシの種になるだなんてまっぴらごめんである。
「チャンネル16のジョス・ダグラスです」
と、先んじて囲みの最前線に躍り出た男が、ポンコツと真っ黒ロボにマイクを突きつける。
「米露のアンドロイド同士の交流は、これが史上初ですね。ご感想は?」
昨今の「アンドロイド保護法」に則って、ダグラスというレポーターは丁寧な口調で問いかけていた。だが、肝心の機械たちに反応はない。
RK900のほうはこめかみのLEDリングを青から黄色に変えてピカピカ光らせているばかりだし、真っ黒ロボのほうは、顔面のレンズの真下を(スマホの通知LEDよろしく)ぼんやり緑色に灯しているだけだ。
「あ、あの……?」
レポーターも、他の記者たちも、きょとんとした様子でアンドロイドたちを見つめている。するとポンコツ備品は、たぶんポンコツなりに何か喋らないとヤバいと思ったのだろう。
LEDリングを黄色に点滅させたまま、何か言いたげに唇を動かした。
だがまさにそのタイミングで、先に漆黒ロボのほうが動く。
ロボは自分の右手を素早く動かすと、見事にサムズアップの姿勢を取ってみせた。
「おお!」
レポーターは歓声をあげ、カメラのシャッターが一斉に切られる。
「ご覧ください。はるばるやって来たアンドロイドは、とてもフレンドリーな性格のようです!」
カメラに向かってレポーターが言い、その後ろで、ポンコツ備品もまたおずおずと親指を立てていた。
(遅えよバカ!!)
酔いどれアンダーソンのせっかくの薫陶も、これでは台無しというものだ。
二体揃って友好的なポーズをしている光景は、なるほど一見、平和に思えるかもしれない。しかしわかる奴が見れば、サイバーライフの最新鋭アンドロイドのコミュニケーション能力が致命的だとバレるだけだろう。無表情なポンコツ備品のLEDは、黄色のままである。
「ハッ、くだらねえ」
こんなことのためにわざわざ空港まで来たのかと思うと、ほとほと馬鹿らしくなってくる。ギャビンは腕組みをし、ここから一人だけ抜け出る算段を立てようとした。
すると、こちらに――間違いなく自分のほうに近づいてくる人影に気づく。それは「風采が上がらない」という表現がまさにぴったりな、一人の中年男だった。
年の頃は、四十代前半といったところか。体格はこちらと同等だが、くすんだ金髪を無造作に生やしたもじゃもじゃの髪型といい、伸び切った口ひげといい、眠そうな目つきといい――ギャビン基準では「殴り合ったら勝てそうなヤツ」である。
そっけない半袖のワイシャツ姿のそいつは、こちらの眼前にやって来ると、ごそごそとズボンのポケットをまさぐった。
そしてそのまま無言でこちらに差し出されたのは、一枚の名刺。微妙に黄ばみ、角が小さく折れ曲がったなんともキマらないその厚紙には、英語でこう書かれていた。
『ロシア内務省 刑事捜索部 刑事 エメリヤン・ルキーチ・カレフ』
「……カレフ?」
相手の姓と思しきものを呟きながら、名刺を裏返す。裏側にはキリル文字が並んでいて、ギャビンには読めなかった――恐らく、同じ内容がこいつの母語で書かれているだけなのだろうが。
同時に、はたと気づく。そういえば署で命令を受けた時、「向こうのアンドロイドは現地のパートナーと一緒にデトロイトを訪れる」と聞いていた。そしてこいつの肩書は刑事である。――ということは。
「ああ!」
と、ギャビンは遠慮なく英語で話す。
「あんたがあの真っ黒ロボの相棒ってやつですか。はっ、いかにも苦労してそうなツラしてるな」
初対面の人間にナメられないためには、まずこちらから先制パンチを繰り出すべしというのがギャビン・リードの鉄則であった。
今回もその鉄則に従って皮肉を放ってやったわけだが、にもかかわらず、カレフという男からはなんの反応もない。相変わらず眠そうな目を定期的に瞬かせているだけで、戸惑うでも怒るでもなく、その唇はぴたりと閉じている。
――この男、英語が通じないのだろうか。それとも、時差ボケがひどいだけってか?
ギャビンが訝しんでいると、また向こうから素早く近づいてくる影があった。あの海外産の真っ黒ロボだ。
突然活発に動き出したロボに驚くマスコミ連中を尻目に、そいつはカレフのぴったり隣にまで移動してくる。するとそれまで無反応だったカレフが口を開き、表情を変えぬままモゴモゴと(ギャビンには耳慣れない言語で)何か呟いた。
直後、真っ黒ロボから聞こえてきたのは、流暢な英語である。
「『はじめまして、私の名はカレフです。隣にいるのはアンドロイドのドルーク8号です』」
「……? コイツ、喋れるのか?」
「いいえ、リード刑事」
と、いつの間にか隣に来ていたポンコツ備品が言う。
「ドルークはカレフ氏の発言内容を翻訳して発声しています。ドルーク本人の発話ではありません」
「『その通りです』」
また英語で語るドルークのレンズの下は、緑色に点滅している。同時に横にいるカレフがなおも何かごそごそ話しているので、同時通訳をしているというのは本当なのだろう。
「『ドルークには米国のアンドロイドのような発話機能は備わっていません。状況に応じて最低限、“是か非か”をLEDライトで表示する機能があるのみです。緑は肯定、赤は否定を指します』」
語る間に、ドルークの緑色のライトは消えている。問いかけに対して光の色で答えるだけという――アンドロイドの小言を聞きたくない人間にとっては最適な機能がついているらしい。
「『“ドルーク”とは、我々の言葉で“友達”という意味です。数日の滞在予定ですが、どうぞ私たちと友達のように、仲良くしていただければ嬉しいです』」
と語るカレフの表情は、さっきと何も変わっていない。ドルークには言わずもがな表情というものがない。
胡散臭い奴らだ、とギャビンは思った。しかし周囲にちらりと視線を巡らせてみれば、さっきまでロボたちを囲んでいたメディアクルーは、今度はこちらにカメラを向けている。機械たちが移動したんだし、アンドロイドの「パートナーである人間同士」の交流もまた、絵になると判断されたのだろう。
――この状況でヘタなことを言ってしまったらどうなるか。
情報は映像として拡散される。世論が形成され、後ろ指を指される。それだけならまだしも、署長は“お怒りに”なるだろう。そうなれば、約束の昇進話もパアになってしまうかもしれない。
ギャビンの頭の中を、いくつかの打算が駆け巡る。結果、彼は彼にしては穏当な言葉を発することにした。
「デトロイト市警のギャビン・リードだ。こっちはRK900」
「ナイナーです」
「そう呼ぶ奴もいる」
生意気に口を挟んできた備品に舌打ちが出そうになるが、それをこらえつつ、ギャビンはカレフに右手を差し出した。
「まあ、俺たちゃ人間同士だ。無事に国に帰りたきゃ、トラブルは無しといこうぜ」
「『同感です。よろしくお願いします、リード刑事』」
握手の瞬間、ここぞとばかりにシャッターが切られた。――フラッシュの光で目がやられそうだ。出世の暁にはこうやってスポットライトを浴びるのも悪くない気分なのではないかと考えていたこともあったが、ところがどっこい、自分に向けられる眼差しは想像以上にうざったい。
俯き、カメラに映らないところで、ギャビンはケッと吐き捨てる。
するとその時、サイバーライフの技術者たちがこちらへやって来た。どうやら続きの話は別室で、ということのようだ。
そしてマスコミと別れたギャビンたちが、空港内に設置された貸し会議室のような場所で聞かされた内容はといえば――
「ハァ!?」
ギャビンは頓狂な声をあげた。
「明日、俺に何をしろって?
「ああ刑事さん、どうか落ち着いて」
サイバーライフの科学者がとりなすように言う。
「我々はただ、アンドロイドの性能比較をしたいだけなのです。せっかく先方の国の協力も得ていることですし、またとない機会でして」
――相手の言い分はこうだ。
RK900もドルーク8号も、同じく捜査機関に属するアンドロイド。ならばその性能比較は、やはり捜査を実際に行わせることでやってみたい。
一方でRK900には単独での捜査権限はなく、ドルーク8号にもアメリカ国内での捜査権はない。というわけで――
「明日の朝10時になりましたら、リード刑事とカレフ刑事には、デトロイト市内に潜伏していただきます。そしてリード刑事の行方をドルークが、カレフ刑事の行方はRK900が捜査するのです」
「それで早く見つけられたほうが勝ちって? ハ! やっぱりかくれんぼじゃねえか、くだらねえ」
と言ってはみたものの、現状において、相手からの「お願い」は実質的には「署長命令」である。署長サマは愛する部下が海外産ロボとそのお仲間、そしてサイバーライフのくそったれ技術屋どもの言いなりになるのをご所望なワケだからだ。クソが。
ギャビン・リードは心の中で思う存分吐き捨てた後、空港を発ち、自宅に帰り、憤懣を抱えたまま眠りについた。
そして明くる朝、律義に身支度を整えて家を出たギャビンは、念のため監視カメラは避けるようにしながら馴染みのこの場所――つまりは廃墟ばかりのエリアにまで辿り着いたわけである。
ここにカメラがほとんどないのは知っているし、どこをどう抜ければどこに出るのかもきっちり把握している。エリアから出ない限り、そうそう見つかりはしないだろう。
――そういうわけで、ギャビンは今、この空き地にいるというわけである。
***
――2039年7月23日 10:35
もう一度ギャビンはため息をついた。携帯端末を弄れれば少しは暇つぶしにもなろうが、万が一ドルークに通信時の電波やなんかを探知する機能でもついていたなら――あるのか知らないが――それで自分の居場所が知れてしまうかもしれない。
したがって賢明にも、ギャビンは端末の電源を切っていた。
別に、技術屋の性能比較に協力してやりたいわけではない。ただ自分のほうが先に捕捉されてしまうというのも心底ムカつくからというだけだ。
アンドロイド刑事、いずれ自分たちにとって代わるのだろう存在。
そしてそんな奴らを生み出した人間たち。
あいつらに隙を見せるわけにはいかない。
くさくさしながら地面の石を蹴ったところで、ギャビンの耳は、ある物音を察知する。
タイヤの停まる音――それに、何人もの足音と話し声。今はまだ、ぎりぎり車の入る道路の辺りにいるようだが、複数の足音はどんどんこちらに近づいてくる。
まさか、居場所を察知されたのか? と身構えたギャビンが、ここを離れるか否か、少しだけ逡巡した時。
耳に入ったのは、今度はこんな声だった。
「皆さん、ここがデトロイトでも有数の廃墟街です。この階段を上った先にある壁には、かの有名な現代画家マイヤーズが若き日に描いたウォールアートが……」
そして携帯端末のカメラのシャッター音、雑談する声。やがて通りの向こうに、ちらりと人影がいくつも見えた。老人、中年、若いのも少し。先頭に立つ男は、観光会社のロゴの入ったTシャツを纏っている。
――なんだ、と内心で独り言ちる。
どうやら能天気な廃墟ツアーの一団がやって来ただけのようだ。ここが再開発もされないまま残っている理由の一つである。つまり、見捨てられたビルだの壁の落書きだのが、なんだかんだでいい観光収入源になるのだ。とはいえ現地民でもない奴が一人で迷い込むには危険すぎるので、ああしてトリップガイド付きで訪れる連中ばかりなのだが。
身構えて損した、とギャビンが耳を掻きながら再び座りなおす間に、ツアーは自由散策の時間になったらしい。あまり遠くまでいかないように、というガイドの声が聞こえた後、わらわらとこちらへやって来る連中が幾人か見える。
中年カップルと、しわくちゃの小柄な老人。ツアー客どもはこちらの存在に気づくと、少し驚いた様子を見せた。しかしギャビンが何も動かないのを悟ると、安心した様子できょろきょろと辺りを見渡している。
「チッ」
見世物じゃねえんだぞ、と思いながら、ギャビンはこの場を離れようとした。だがカップルたちが壁の落書き――こちらのすぐ近くにあるやつだ――の写真をスマホに収めている間に、手持ち無沙汰になったのか、老人のほうがひょこひょこと近づいてきた。
ああ、これは、絶対に話しかけられる。
予言にも似た確信と共に、ギャビンは相手を無視して立ち上がる。しかし、果たして、老人は口を開いた。
「あのう。あなたは、この辺りの人ですかな?」
「でなきゃこんなトコに一人でいねえだろうな」
老人の長話に耳を傾ける趣味はない。短く会話を打ち切って立ち去ろうと思ったのに、相手は気にせずに自分の話を始めてしまった。
「実は私もね、昔はこの辺りに仕事場があったんですよ。懐かしいなあ……風景は変わっても、雰囲気は変わることがない」
老人はほっほっと小さく身を震わせて笑った。
ギャビンはそれを横目で睨む。さっさと向こうに行ってもいいが、なんだかそうするのは、この老人から逃げ出したようで癪に障った。
かたや、老人は構わずに空を仰ぎながら語り続ける。
「アンドロイド……技術革新……世の中はどんどん変わっていってしまう。変わらないものの良さというのを、誰もが忘れてしまったのかと思うほどに」
――戯言ポエムが始まった。いい加減付き合っていられるか、壁にでも向かって喋ってろ。
ギャビンはうんうんうんと、適当に軽く頷いた。それから、さっさと踵を返すことにした。
だが、その時――ちょうど老人がこちらを向いた瞬間だったが――鼻の古傷が、じんじんとした痛みを放ちはじめた。
20年前、しけたギャングにナイフでつけられた傷。これが痛む時は、決まって何かよくないことが起こる。
オカルトは信じないが、これは経験則だ。なんだ。何が起きようとしている?
きょとんとした顔をする老人は放っておいて、ギャビンは素早く辺りを見渡した。けれど見えるのは廃墟と、壁と、能天気なカップルの姿のみ。
じゃあ、この直感と痛みは気のせいか?
否――カップルの会話が聞こえてくる。
「見て、すごくいいねがついてる!」
「やっぱり写真アップしてよかったねえ」
写真のアップ? SNSにか?
そう考えた時、答えはすぐに閃いた。カップルが撮っていた落書きがあったのは、自分のいたすぐ近く。
――写真に、
それをあのカップルが無造作にSNSに載せてしまっていたとしたら。
「ちくしょう!」
吐き捨てたギャビンが地面を蹴ったのと、ほぼ同時。
遠くから迫りくる風切り音と共に、空き地に降り立ったのは漆黒の機械。ドルーク8号だ。
廃墟のビルの屋上を伝って、ここまでやって来たというわけだ。
――奴はネットを監視していた。
俺が引っかかるのを待っていたのだ!
さすがは治安維持専門アンドロイド、陰湿な手を使いやがる。
「クソが……!」
脇目も振らず、ギャビンはドルークと反対側の道へと全力で駆ける。
別に捕まったところで死にはしないが、ここで捕まるのは絶対にゴメンだ。こっちにはこっちの意地というものがあるのだ。
空き地のすぐ近くには、このエリア特有の隘路がある。曲がり角が連続し、中にはしゃがみ込まなければ通れないほどに崩壊した場所もある。
ドルーク8号は、ポンコツ備品と同レベルにガタイのいい機体だった。
となればあまりに狭い道は、きっと通れないに違いない。
そう踏んで、ギャビンはわざとその道を通った。速度を落とさずに走り、天井が低くしゃがみ込むべき場所は、スライディングで一気に通り抜けてやった。
ちらりと振り返れば、ドルークの姿はない。
「へっ、ざまあみやがれ」
ニヤリと笑ってそう言ってやった、のだが――
耳に届いたのは、何かが擦れるようなガリガリという音。
まさか、と身を翻そうとした時、崩壊した道の隙間からヌッと顔を見せたのはドルーク8号。
奴は自分の脚を小さく折りたたみ、まるで曲芸師よろしく――いや、猫だろうか――強引に身を滑り込ませて突破しようとしているのだ。
「マジか、くそっ……」
眺めている余裕はない。ギャビンは即座に再び全力で駆けだした。
「ぐっ!?」
しかし、それ以上の逃亡は無理だった。
右足首に何かが絡みつくような感触を覚えた直後、ギャビンは後ろから引っ張られるようにして、そのままうつ伏せに倒れる。咄嗟に受け身を取らなければ、そのまま地面にキスしていたところだろう。口の中に砂が入り込んで不愉快だった。
振り返れば、ドルークは手を伸ばしている。というより、伸ばした手の先からワイヤーのようなものが射出され、そのままこちらの右足首にぐるぐると絡みついていた。
合衆国のアンドロイドは、武器を携帯する権利を持たない。だから警察に配備されているコナーや備品たちには、備え付けの武器というのが存在しない。
しかしその辺、ドルークは違うのだろう。治安維持専門だというなら、致死性の低いワイヤーガンくらい常備しているべきという考えか。
「クソが」
ギャビンは呪詛を吐き、それから諦めずに、前へと這おうとした。足首のワイヤーは固く結びついていて、簡単にはほどけそうにないからだ。ナイフも持っていない。銃を使えばなんとかなるかもしれないが、この距離だとワイヤーだけ撃ち抜くのではなく、自分の足まで傷つけてしまいそうである。
しかし、身体は無慈悲にも後ろへと引っ張られていく。
立ち上がったドルーク8号が、あたかも傲然と見下すようにこちらを眺めていた。
ワイヤーを巻き取りつつ、もう片方の手を上に構えるようにしている。あれでガシッと捕まれた瞬間、「リード刑事は確保された」ということになるのだろう。
腹立たしい。いっそのことあのロボ野郎の脳天を吹き飛ばしてやろうか。
苛立ちは頂点に達した。
だがこちらが何かアクションを起こすよりも先に、動きを見せたのはドルークのほうだった。
何か甲高い電子音(電話の呼び出し音のような)が聞こえた直後、昨晩会ったあの科学者の声が聞こえてくる。
『お疲れ様でした、リード刑事。実験は終了です』
「は? なんで……」
『カレフ刑事が、RK900に捕まったからです』
今通信を切り替えます、という言葉の後、いつものポンコツ備品の抑揚のない声が聞こえてきた。
『リード刑事。ご無事ですか』
「てめーに心配されるまでもねえ」
言いながら、無言でドルークに向かって、右足首の縛めを指さして訴える。
ドルークがワイヤーを操作して外し、自分の足は自由になった。
『カレフ刑事が市内のバーに滞在中のところを確保しました。ところで……』
一度言葉を区切ってから、アンドロイド刑事は続きを語った。
『ご報告です。サイバーライフ、およびドルークを製造した企業からの要望です。リード刑事には引き続き、今度はセントクレア湖のグロース・ポワント・ショアーズにある施設までお越しいただきたいとのことです』
「はぁあ!?」
今日一番大きな声をギャビンは発した。
「ふざけんな! なんでンなクソ遠いとこまで行かなきゃならないんだ」
『本日の任務に関連するとのことです。……拒否されますか?』
棒読みながら、最後だけ僅かに語尾が上がっているのが気に入らない。まるで傷ついた奴を慰めるような態度。それが「気遣い」のつもりか、機械のくせに。
ギャビンは舌打ちをした。
「拒否っても無駄だろうが」
そう言ってこちらが立ち上がった瞬間、ドルークは大きくジャンプして姿を消す。きっとこのまま屋上を伝ってエリアの外に出て、そこからセントクレア湖畔をまっすぐ目指すのだろう。
グロース・ポイント・ショアーズはここから車を飛ばして40分ほど、ベル島の北のほうにある。セントクレア湖を利用したヨットスクールだの記念公園だのが並ぶどうってことない場所のはずだが、果たしてそこでサイバーライフは何を自分にさせるつもりなのか。
「今度は石けり遊びでもしろってか? ハッ、超面白え」
乾いた笑いが漏れる。
だがしかし、このままフケるわけにはいかない。
それは意地とプライドというだけではなく――刑事としての貪欲さが生んだ、ちょっとした閃きのせいだった。
あの忌々しい「吸血鬼」の組織の新型レッドアイス。それに含まれるナノドロイドを作るには、大規模な設備と高度な技術者、それに大量の工業用水が要るというのは覚えている。
確かに昨日の工業地帯の捜査は、空振りに終わってしまった。
だが、単なる河べりではなく湖だとしたらどうだ?
実際のところ、セントクレア湖の岸辺に都合のいい廃工場があるなんて話は聞いたことがない。
しかしもしかしたら、そこにこそ、探し求めている答えがあるのかもしれない。
特に今回は、サイバーライフの連中の希望でわざわざそんな場所まで行くのだ。
普段であれば令状でもなければ立ち入れない、企業の所有する建物であっても、今回なら堂々と立ち入れるかもしれない。
――かもしれない、ばかりだ。
だがこの自分が、ままならぬ状況でいつまでもブツクサ蹲っていると思ったら大間違いだ。
証拠が見つからないのなら、泥沼を駆けずり回ってでも何か掴んでやる。
ギャビンは服についた土埃を手で払う。
それから、車のところに戻るのだった。
続きは7月23日の22時に更新します
(予約投稿です)