Detroit: AI   作:けすた

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第7話:ギャビンの最低な一日 前編/Bad Luck! Part1

――2039年5月20日 08:50

 

 

 最低な一日に限って、何も予兆はない。そういう日に限って、前日は極めて平凡だったり、始まりだけは、存外よい調子に事が運んだりするものである。

 

 ギャビン・リード刑事にとっても、それは正しかった。

 その日の前日である19日の夜、ギャビンはデトロイト市警で退屈な書類仕事を片付けた後、一人暮らしのアパートメントに帰った。そして郵便受けに入っていたダイレクトメールの数々を中身も見ずにゴミ箱に捨てると(この現代社会において未だに“紙のメール”だなんて、どうせ老人向けのサービスの宣伝に決まっている)、TVディナーを温めて食べ、だらだらと時間を過ごした後、床に就いた。

 

 明くる20日の朝は、快調なスタートである。

 近所のしょぼい馴染みのダイナーで、いつものように朝食セットを頼んだら、パンケーキの上に普段は一つしかないはずのバニラアイスが二つ乗っていたのだ。どうやら新入りの店員が間違えたらしいが、指摘はせずに、ギャビンはそれらを全部食べた。毎日使ってやっているのだから、本来これくらいして当然のサービスだ――と思ったからだ。

 パンケーキは最高に甘かった。

 

 さらに仕事場に辿り着きデスクについてみると、彼はすぐに、忌々しい人物と物体が揃ってオフィスにいないのに気がついた。

 忌々しい物体その2は、何やら花瓶なんて持って廊下の向こうを歩いている。

 

 興味を惹かれ、ギャビンは後ろのデスクに問いかけた。

 

「おいクリス。ハンクとコナーはどうした? やっとくたばったのかよ」

「違いますよ」

 

 端末からこちらに顔を向け、クリスは真面目に答えた。

 

「警部補はお休みです。なんでも昨日、捜査の途中で川に入って体調を崩したとか……」

「川!?」

 

 ギャビンは例によって、周囲の目も憚らずにゲラゲラ笑う。

 

「あの野郎、酒と川の水の区別もつかねえのか! そりゃ傑作だぜ」

「下水道の調査をしてたんです、仕方のない事故ですよ。……それで、警部補が風邪をひいたんで、コナーもお休みです。看病すると言って、備品の貸与申請を自分で出したとか」

「はっ」

 

 興を削がれ、ギャビンは乾いた声を発した。

 

「備品の分際で勝手に出歩いてんのかよ。ま、あのおすましペットロボがいないだけで清々するけどな」

 

 ――言うまでもないが、ギャビンはハンク・アンダーソンだけでなく、コナーのことも嫌いだ。

 カルロス・オーティスのアンドロイドの尋問をする前、初めて会った時の、あのいかにも冷静沈着で賢げな自己紹介の瞬間から大嫌いだ。機械のくせに、まるでいつかはお前の仕事なんて取ってやるとでも言わんばかりにしゃしゃり出てくるのを見ると、眉間に鉛玉をぶち込んでやりたくて堪らなくなる。

 しまいにあの従順ぶったクソロボットは、人の仕事に口を挟んでとんだ赤っ恥をかかせたどころか、こちらを小馬鹿にしたような態度までとってくるようになったのだ。

 

 例のアンドロイドの革命の直前、ハンクが事件の捜査から外された時もそうだ。

 あの時、ハンクがFBIの捜査官をぶん殴っている間、普段なら一応止めに入りそうなはずのコナーがさっさと地下の証拠保管室に向かうのを見て、ギャビンは違和感を覚えた。

 それで呼び止めたというのに、相手はさもさものように落ち着いた態度で「証拠を返却したら帰るつもりです」などと言ってきた。

 なるほど、所詮は機械か――と油断したのがいけなかった。コナーはその後、堂々と保管室を荒らして去っていったのである。

 きっとあのアンドロイドは、ギャビン・リードなら騙せると踏んであんな嘘を吐いたのに違いない。それを思うと、未だにはらわたが煮えくり返る思いだ。

 

 だから数日前、不気味なまでにコナーにそっくりな顔をしたデカブツアンドロイドが署に来た時は、しばらく気分が良かった。

 型番を見るに、あのデカブツのほうが新型だ。ということは順当に考えれば、コナーはお払い箱になるのだろう――と、ギャビンは考えたのである。

 ファウラーのオフィスからハンクと一緒に出てきたコナーが、いつものすまし顔はどこへやら、ひどく動揺した様子を見せていたのも、最高にスカッとした気分をもたらしてくれた。

 

 ――なのに、結局アンドロイド刑事が2体に増えただけで、コナーはなおも市警に居座っている。

 おまけに最近は、妙にふてぶてしくなってきた。この前、ムカついたので「ポンコツ!」と呼んでやったら、コナーは「自己紹介ですか?」などとしれっと言い返してきやがったのだ。腹に一発入れてやろうかと思ったが、あいつはニッコリと微笑んで(あのいかにもな作り笑いも嫌いだ!)さっさと立ち去ってしまった。

 

 本当に、思い出すだけで無性に腹が立ってくる。

 あのデカブツアンドロイドも、せめてコナーを追い出すくらいの役には立ってくれればよかったものを――

 と思ったところでギャビンは、デカブツがさっき持っていた花瓶を、仕事場の真ん中の机に置いているのに目を留めた。

 

「……何やってんだ、あれ?」

「花を活けてるんですよ」

 

 クリスは、微笑ましいものを見るような目をデカブツに向けて語った。

 

「この前解決した事件の被害者から、お礼の花束が届いたんです。そしたら昨日になって、ナイナーが自分が世話するって言いだして。水を入れ替えたり、長持ちさせてくれてるみたいですよ」

「ナイナー?」

 

 耳慣れない名前に問い返すと、クリスは「ああ」と小さく声を発して説明する。

 

「彼のあだ名です。コナーが二人だと紛らわしいからって、警部補が」

「ケッ」

 

 ――またアンダーソン警部補かよ。

 飾られた花を静かに眺めている機械(ナイナーなんて呼んでやらない)を見ながら、ギャビンは内心で吐き捨てた。

 

「備品なんだから備品でいいだろ。何があだ名だ、機械のくせに」

「あの、リード刑事」

 

 クリスは声を低め、控えめに言う。

 

「そういう言い方、やめたほうがいいですよ。なんていうか……その、周りに聞かれるとマズいのでは?」

「ハッ!」

 

 ギャビンは両手を軽く広げて鼻で笑った。

 

「思想の自由てのがあるだろうが。俺が何を言おうと、プラスチックに関係あるかよ」

「いえ、あの、そういう意味ではなく……」

 

 クリスが言いづらそうに顔を顰めた、ちょうどその時。

 

「ギャビン!」

 

 声を張り上げたのは、ファウラー署長である。

 

「オフィスに来い!」

 

 今日も今日とて、こちらの都合など顧みずに署長様は呼び立てる。

 おまけに、その後は備品野郎にまで声をかけていた。

 ナイナーとか呼ばれている機械は無言のままこくりと頷くと、無駄に機敏な動きでファウラーのオフィスまで向かっている。

 

「チッ……なんだってんだよ」

 

 舌打ちしてから独り言ち、ギャビンは署長室まで歩いていった。

 

 

***

 

 

「失礼しますよっと」

 

 一応声をかけてから、しかし不遜な態度は崩さずにギャビンは上司のオフィスに入る。

 デスクの椅子に座っているファウラーの表情は相変わらず険しく、一方でデカブツアンドロイドはまるで壁の一部のように、後ろ手を組んでひっそりと立っていた。

 

「で、ご用ですか署長」

 

 デスクの前に立って問いかけると、ファウラーは、やがて顰め面で口を開く。

 

「いい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい」

「選ばせてくれるんで? そりゃお優しい」

 

 ――勿体ぶりやがって、早く要件を言えよ。

 と面と向かって言うわけにはいかないので、わざとおどけた調子でギャビンが返すと、署長は目を閉じ、眉間に手を当てて首を横に振る。

 

「わかった、もういい。……いい知らせからだ。お前に昇進のチャンスがある、警部補へのだ。なんだったら、私から推薦してもいい」

「へえ!」

 

 思わずあがったのは、本心からの歓喜の声だ。

 もっと上の地位に就きたい、という上昇志向は自他共に認めるギャビンの野心そのものであり、仕事の動機でもある。今の刑事という立場から、さらに上へ――その願いが叶うかもしれないというのなら、それは実際、いい知らせだ。何より36歳で警部補だなんて、ハンク・アンダーソンの記録を大幅に上回る!

 

 しかしファウラーは、こちらが何か言うよりも先に、続けて語った。

 

「だが悪い知らせはこうだ。これからお前には、アンドロイド絡みの事件を担当してもらう。あいつと組んで、だ」

 

 警部が指す先にいたのは――あの無表情なクソデカロボットだ。

 

「……は……」

 

 それを理解した瞬間、ギャビンの口からは気の抜けたような息が漏れ――

 

「はあぁあ!?」

 

 信じられない、という感情を思い切り表現しながら、ギャビンはファウラーのデスクに近づいて食い下がる。

 

「なんだって俺が、プラスチックと一緒にンな仕事を!? アンダーソンだけじゃ足りねえってんですか!」

 

 しかし上司は人差し指を、今度はこちらの顔面に無言で向けた。

 そして、重々しい調子で言う。

 

「17回だ」

「……は?」

「勤務中のお前のアンドロイドに対する差別的言動について、半年で既に17回も抗議がきてる」

 

 ファウラーはおもむろに立ち上がると、なおも指を突きつけて語った。

 

「うち2回は、文書によるジェリコからの正式な抗議だ。私はこれまでに何度も警告してやったはずだが、お前は一向に反省する気がないらしいな?」

「お言葉ですがね、署長」

 

 相手の指を払いのけはせずに、ただ気を吞まれることなく、ギャビンは反論する。

 たしかに仕事中、邪魔くさいアンドロイドに毒づいたり、被害者ぶるアンドロイドに()()()()()()やったりしたことは何度かあったが――それになんの問題があるっていうんだ?

 

「ジェリコなんて、アンドロイドの仲良しクラブみたいなもんでしょう。そんなにビビる必要があるんで?」

「ビビりがどうという話じゃない!」

 

 ついに声を張り上げて、指を下ろしたファウラーはすさまじい剣幕で続けた。

 

「いいか、お前のような奴が一人いるだけで、デトロイト市警全体が差別を容認していると世間は判断する! お前のバッジを取り上げれば話は簡単だが、その前に、挽回の機会をやろうと言ってるんだ!!」

 

 バッジを取り上げる――という話をされては、さしものギャビンも黙るしかない。

 知らず知らずのうちに引き攣った顔で口を噤んでいると、ファウラーは少しだけ声の調子を抑えて語る。

 

「アンドロイドが関わる事件は毎日のように起きる、ハンクとコナーだけじゃもはや手が足りん。だからお前には、あの最新鋭のアンドロイドと組んで仕事をしてもらうというわけだ」

「……」

 

 ちらりと後ろのアンドロイドを見やった。

 奴は動揺するでも嫌そうにするでもなく、微塵も表情を変化させず、ただじっとこちらを見つめている。

 ――薄気味悪い。それが正直な感想だった。

 

「よく聞け」

 

 ギャビンの意識を引き戻すように、ファウラーは再び指を突きつけて言った。

 

「これを機に、その子どもじみた態度を改めろ。お前が半年間、無事にアンドロイド絡みの事件捜査をやってのけたなら、望み通り昇進の口利きをしてやる。だが」

 

 一拍置いてから、上司は宣告する。

 

「もしまた下らん軽口で抗議されたり、あのアンドロイドに傷を負わせて、サイバーライフ社からケチをつけられたりしてみろ。お前には、きかん坊なガキに相応しい地位に退職まで就いてもらうことになるからな!」

「ち……」

 

 思わず口から衝いて出そうになった罵倒文句を、ギャビンはなんとか飲み込んだ。

 しかしオフィスを出た瞬間、それは爆発して口から漏れる。

 

「畜生!!」

 

 今は無人のコリンズ刑事の机を、特に意味はないが思い切り蹴ると、ギャビンは荒く息を吐いた。

 

 ――アンドロイドの事件を捜査? アンドロイドと一緒に?

 ふざけやがって。なんでこの俺が、そんなクソ下らねえ仕事をしなけりゃいけないんだ。

 プラスチックなんかのために。プラスチックどもなんかのせいで。

 何かの間違いだ。絶対に、何かの間違いだ。

 

 肩を上下させるギャビンの姿を、周囲の警官たちは見ているが、しかし誰も声をかけようとはしない。クリスもまた、彼の机で、気の毒そうな表情を浮かべているだけだ。

 

「クソッ……クソが……!」

 

 呪詛の言葉が口からとめどなく流れていく。

 だが皮肉にも背後から聞こえてきたのは、あのコナーそっくりだが、抑揚の乏しい機械じみた声だった。

 

「リード刑事」

 

 ――デカブツアンドロイドが、パートナー面してさっそく話しかけてきたのだ。

 返事してやるのも癪なので無視していると、十数秒ほど経った後、相手はまた同じ調子で言った。

 

「リード刑事」

「うるせえ!」

 

 振り返ると、そこにいたのはやはり奴だった。

 灰色のガラス玉みたいな目を、まっすぐこちらに向けている。

 今なお完全な無表情で、デカブツは静かに話しはじめた。

 

「よろしくお願いします、リード刑事。私はRK900、通称ナイナー……」

「いいか」

 

 相手の言葉を遮って、一歩詰め寄る。

 腹の底から湧き出るムカつきを抑えきれないまま、しかしぶん殴ることもできないので、ギャビンは低く唸るような声で続きを述べた。

 

「……ホントは一言だって喋りたくねえが、俺自身のために、お前に二つだけ命令してやるよ。『俺の邪魔はするな』、『勝手に口を利くな』」

「……」

 

 デカブツはやや目を見開いた。

 そしてそのまま、黙って瞬きしている――

 まるでバカな牛か羊みたいに。

 

 その愚鈍ぶりにますますイライラして、ギャビンはさらに相手に詰め寄った。

 

「いいな? OK? それとも、ハッ、サイバーライフの素敵アンドロイド様は、人間風情の命令は受け付けませんってか」

 

 わざと煽るようにこちらが言うと、ほんの数秒だけ、アンドロイドのLEDリングが青から黄色に点灯した。しかしその後、LEDが青に戻ったデカブツは、無言でゆっくりと首を横に振る。

 ――そんなことはない、命令を受諾した、という意思表示のつもりらしい。

 

「ははっ」

 

 乾いた笑いが漏れる。なるほどこのプラスチック、コナーの野郎とは違って、備品として最低限の礼儀は心得ているらしい。

 

 しかし胸のムカつきは、未だ残っている。

 ファウラーの命令は理不尽だ。だが命令は命令だ、無視できるものではない。ハンクだって、いつも署長とやり合っているようだが、それでも毎回命令を吞まざるを得ない。それが警官というものだ。

 自我があるとか感情がどうとか抜かして、反抗的になっている機械どもよりも、よっぽど不自由な職業だ――

 

 一方で、目の前には「昇進」というニンジンがぶら下げられている。

 半年我慢できれば、警部補になれるかもしれない――ファウラーはそういう話題で部下に嘘を吐くことはないから、きっと本当なのだろう。

 これまで自分は、昇進のためならどんなことでもやってきた。多少荒っぽい捜査だってやったし、泥沼を駆けずり回って証拠を集めた時だってあった。

 半年――ほんのそれ()()の期間、アンドロイドどものお話を聞いてやりつつ、この備品野郎と一緒にいるのを耐えれば、苦労が報われる。

 たった半年、我慢できれば。

 

 苛立ちと希望と抑圧とが内心で複雑に絡み合っている。その心境を、ギャビンは一言で言い表した。

 

「……クソが」

 

 吐き捨てられても、従順な備品は、命令通り口を利かなかった。

 するとクリスがにわかに立ち上がり、こちらへと歩み寄ってくる。

 

「あの、リード刑事。すみませんが、さっそく通報がきましたよ」

「あぁ?」

 

 あからさまに機嫌の悪い声が漏れたが、相手は慣れっこらしい。

 クリスは控えめながらきっぱりとした態度で、続きを口にする。

 

「ファーンデール駅周辺で、人間とアンドロイドの集団同士のトラブルがあったそうです。小競り合いというか、喧嘩らしいんですが」

「喧嘩? だからどうしたってんだ」

 

 腕組みして、ギャビンは不機嫌を露わにしたままで言う。

 

「んなもん、どこででも珍しくねえだろ。わざわざ刑事が出張る話か?」

「いえ、それが」

 

 クリスは肩を竦めた。

 

「どうもアンドロイドの集団の中に、ジェリコの幹部がいるらしいんです。それで話がこじれて、揉め事に発展しそうなので、なんとかしてほしいと」

「チッ」

 

 思い切り舌打ちが出た。

 ジェリコの幹部? また面倒くさい奴が出てきたもんだ。

 

「機械の分際で、有名人にでもなったつもりかよ。下らねえ」

 

 そうは言いながらも、現場に行くしかないのは変わりない。

 クリスによれば、駆けつけた警官たちで話を聞いているものの、今なおその集団は互いに主張を変えず、一触即発といった状況らしい。

 正直、まったくやる気は起きないが――

 

「おい、行くぞ」

「……」

 

 立ち竦んでいるデカブツを呼ぶと、向こうは小さく頷いた。

 一方でクリスはアンドロイドに近づき、そっと声をかけている。

 

「ナイナー、緊張するだろうけど慣れれば大丈夫だ。頑張れよ」

「……」

 

 静かに目を瞬かせたアンドロイドは、またこくりと頷いている。

 まるでおつかいを頼まれた、聞き分けのいい子どもみたいに。

 

 その姿を見ているとなぜか無性にイライラして、ギャビンは鋭く言い放った。

 

「さっさとしろ、備品!」

「!」

 

 首だけで素早くこちらを向いたデカブツを置いて、ギャビンは外に出ていく。そしてそれきり振り返ることなく、足早に自分の車へと向かった――

 一応、備品は後部座席に「積んで」運んでやったが。

 

 

***

 

 

――2039年5月20日 10:11

 

 

 現場に到着してみると、通報からしばらく経つというのに、件の集団はまだ飽きもせず睨み合っていた。人間は十代後半くらいの奴らが4人、アンドロイドは6体程度。人間のうち一人は鼻血を流しており、アンドロイドのうち一体はうずくまったまま、もう一体に介抱されている。

 集団の双方を警官が宥め、これ以上の殴り合いにならないように止めているが、人間のほうもアンドロイドのほうも、バカ犬のように牙を剥いて罵り合っていた。

 

 いや――アンドロイドの側に一体だけ、自分たちの集団を抑えようとしている奴がいる。

 

「だから落ち着くんだ、みんな。暴力に訴えたところで、問題は何も解決しないぞ!」

 

 若い黒人の男の外見をしたアンドロイドだ。

 そいつはこちらの姿――否、後ろに立つ備品の姿を見ると、目を丸くして近寄ってくる。

 

「お前はコナー、じゃないのか? いったい……」

 

 ギャビンが振り返ると、デカブツはじっと押し黙ったままだった。

 ただ、LEDリングがその瞬きに合わせるようにチカチカと黄色に点滅している。

 どういうことかと思っていると、どうやら、通信をしていたらしい。

 やがて向こうのアンドロイドは、納得がいったように微笑んだ。

 

「そうか、ナイナー。マーカスが言ってた、コナーの弟か。はじめまして、俺はジョッシュ。ジェリコのアンドロイドだ」

 

 どうやら幹部というのは、このジョッシュという奴のようだ。

 見たところ当事者の中で冷静に話ができそうなのは、こいつだけのように思える。

 ギャビンは備品野郎の姿を遮るようにジョッシュの目の前に歩み出ると、素早く自分の身分証を見せた。

 

「デトロイト市警だ。おら、何があったかとっとと話せ」

「あなたは……ギャビン・リード刑事? 噂通りの人らしいな」

 

 身分証の名前を見たジョッシュは、冷ややかな視線を向けてくる――機械のくせに。

 しかしギャビンが怒鳴りだすよりも先に、相手は口を開いて話しはじめた。

 

「俺たちがここを歩いていたら、すれ違いざまに突然、一人の人間が殴りかかってきたんだ。それでそのまま、殴り合いの喧嘩になって……向こうはこっちが先に手を出したと言ってくるし、まるで議論にならない」

「最初に殴ってきたってのはどいつだ?」

「それが」

 

 ジョッシュは、後方の人間たちの集団を見やってから言った。

 

「いないんだ、消えたんだよ。だから俺はみんなに、あそこにいる人間たちと争っても意味がないと言ってるのに」

「消えただあ?」

 

 ギャビンの口から、ふはっ、と笑いが漏れる。

 

「プラスチックの世界じゃ、人間はオバケみたいに急に消えるのか。知らなかったぜ」

「……逃げたと言いたかったんだ。殴り合いになるのを止めていたから、相手がどこに行ったのかは知らない。ただ、最初に殴ってきた人間がいたのは確かだ。俺のメモリーに接続してもらったって構わない」

 

 それと、とジョッシュは冷たい目つきのままで言う。

 

「そういったあなたの態度には、もう既に抗議文書を送ったはずですが。リード刑事」

「ケッ」

 

 ――そうか、俺を面倒に巻き込んだのはてめえらだったな。

 正義ぶりやがって、このクソ機械どもが。

 

 ジョッシュとギャビンの間に、この上なく殺伐とした雰囲気が漂う。

 だがその時、ギャビンのポケットの中のスマホが短く震え、メッセージの受信を伝えた。

 

「あぁ……?」

 

 誰だ、こんな時に?

 訝しく思いつつスマホを取り出すと、画面に表示されているのは見慣れない名前――ナイナー?

 

『ナイナー >リード刑事への報告』

 

 ぎょっとしたギャビンは、傍らの備品野郎を見やった。

 備品はただ静かにこちらを見つめているだけだが、一方で、画面に表示されているのは確かにこいつのあだ名だ。――こいつが通信してきたってのか? なんのために?

 

 驚きに吞まれている間にも、メッセージは画面に間を置かず次々と流れていく。

 

『>仮説1:犯人は反アンドロイド主義者』

『>人間とジェリコ間でのトラブル誘発目的で人間の集団に紛れ込み、アンドロイド一名を負傷させ逃亡の恐れ』

『>街頭監視カメラの映像検証完了。仮説1の整合性:84%に上昇』

『>さらなる検証のため、アンドロイド・ジョッシュのメモリーへの接続を推奨』

『>接続を許可しますか?』

 

 ギャビンはずらずらと並んだメッセージに、一通り目を通した。

 なるほど、まあ、別に的外れなことが書いてあるわけじゃ――などと考えてしまいそうになり、慌てて意識を戻した。

 今の問題はそこじゃない。

 

「おい、お前!」

 

 すかさずデカブツに食ってかかる。

 

「何送ってきてんだ、口で言え気持ち悪い!」

 

 すると相手は、また少しだけ目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをした。

 すぐさまスマホの画面に、新しいメッセージが並ぶ。

 

『>命令2:勝手に口を利くな を実行中による緊急措置』

「はあ!?」

 

 思っていたより大きな声が出たせいで、ジョッシュだけでなく、向こうでいがみ合っていた集団もびっくりした目つきでこっちを見ている。

 だがそれに構っている場合ではなかった。ギャビンはきょとんとした様子の備品野郎の胸に、人差し指を突きつける。

 

「てめえ、俺を舐めてんのか? おちょくってるつもりかよ」

『>“おちょくる”とは?』

「口で言え、口で!!」

 

 怒鳴られてもまったくの無反応なプラスチックを睨みつつ、ギャビンは荒く息を吐く。

 たいていの人間は、大声で迫られれば多少なりとビビるものだ。

 しかし今、この目の前にいるデカブツは、動揺など微塵も見せずにただボンヤリとしているだけだ――何が悪いのかよくわからない、という顔で。

 

 ああ、なるほど。こいつは、確かにおちょくっているわけじゃない。

 本気で、正真正銘(マジモン)のポンコツアンドロイドだ。

 『口を利くな』と言われたからって、勝手に人のスマホにメッセージを送信してくるような――

 

「……あ?」

 

 そこまで考えて気がついた。

 ――俺はこいつに自分のメッセージIDなんて教えてない。

 

「て、てめえ!」

 

 スマホと備品野郎を交互に見ながら、我知らず恐怖の入り混じった声をあげた。

 

「まさか、俺のスマホをハッキングしやがったのか!? クソが、ブッ壊されてえのか!」

「……」

 

 デカブツアンドロイドはなおも喋らない。

 

『>命令2:勝手に口を利くな を実行中による緊急措置』

「それ言えばいいと思ってんのかてめえは!」

『>ご安心ください:データ類へのアクセスは未実行』

「当然だボケが……」

 

 思わず頭を抱えて、ギャビンは深くため息を吐いた。

 ――クソ、なんてこった。

 最新鋭のアンドロイドというから、てっきりコナーに輪をかけたような鼻持ちならないクソ野郎だろうと思っていたのに、まさかこんなに話の通じないポンコツだったとは。

 さっきジョッシュの質問にわざわざ通信で答えていたのも、『口を利くな』という命令があったからだ――きっとそういうつもりなのだろう。

 

 

 無論――実際のところナイナーには「ソーシャルモジュールの不備および社会性の欠如」という抜き差しならぬ事情があるわけだが、ギャビンにはそれを知る由もない。

 

 

 ギャビンは、もう一度嘆息した。

 仕方ない。こんなことを言うのは、まるでこいつに屈するようで腹立たしいことこの上ないが、このままだとスマホのデータをぶっこ抜かれて、そのままサイバーライフに送信でもされてしまいそうだ。

 まっすぐデカブツを見上げて、命令を修正する。

 

「よし、クソ備品。『口を利いてもいい』。だからもう二度とトンチキなメッセージなんて送ってくるなよ、クズ」

「了解しました、リード刑事」

 

 平坦で淡々とした口調で、アンドロイドは返事する。

 その後すぐ、奴は無表情のまま、まるで落ち込んででもいるかのように少し俯いてみせた。

 

「……申し訳ありません。ご不快にさせる意図はありませんでした」

 

 ――てめえの『意図』なんざ知ったことか!

 怒鳴ってやろうと思ったら、一連の流れを見守っていたジョッシュが、戸惑いを浮かべたままこう言った。

 

「あの……邪魔するようで悪いが、捜査をしてもらっても大丈夫か?」

「うるせえ、端からそのつもりだ!」

 

 機械の分際で注文つけてきやがって、とこちらは思っているのだが、相手の目にはもはやさっきまでの冷たい色はなくなっている。どちらかというと、同情とかそういった類のものだ。

 

 このギャビン・リードが、アンドロイドごときに同情されるなんて――

 最低だ。今日は自分の人生で最低の日だ!!

 

 苛立ち紛れにギャビンは、備品に対してジョッシュのメモリーへの接続を許可した。

 ジョッシュは快くそれを受け入れ、結果、顔認証を介して最初にアンドロイドを殴った奴の名前(ランディー・ゴスとかいうトロそうな男だ)が判明する。

 

 また、備品野郎が街中に飛ばしているドローン8機――1号機とか2号機でなく、備品は「“アネモネ”」とか「“カトレア”」だとか、花の名前のコードネームで呼ぶようになっていて最高にキモかったが――ともかくそれのうち“ヘレボラス”(8号機らしい)が、ここから数キロ離れた場所を移動しているランディーを発見した。

 

 そこからは早かった。パトカーを配備してそいつをとっ捕まえ、ちょっと揺さぶって「お話」を聞いたら、ランディーはすぐに自分の犯行を認めてベラベラ喋りだしたのだ。

 

 筋金入りの反アンドロイド主義者のそいつは、以前テレビで見かけたジェリコの幹部であるジョッシュが仲間と歩いているのを見かけ、()()を加えてやりたくなったらしい。

 ちょうど若者グループが道にいたので、近づいてそいつらのうちの一人のフリをし、すれ違いざまにアンドロイドを殴りつけ――それで、逃げたとのこと。

 

「ゆ、許せなかったんだよ……アンドロイドのくせに、偉そうに歩いてんのが」

「ンな下らねえ理由で面倒起こすな、クズが!!」

 

 つまらない騒ぎで人の貴重な時間を奪ったくせに、ボソボソと弁明しようとしているランディーに一発気合を入れてやろうとしたのだが、クソデカ備品に羽交い締めにされて失敗に終わった。

 ムカつくのは、それを見ていたジョッシュたちアンドロイドどもが、なぜか微笑みながら頷き合っていたことだ。どうやら、さっきまでいがみ合っていた人間たちと和解できたらしい。――何ほのぼのしてやがる、クソが。

 

 

「リード刑事、ナイナー、どうもありがとう」

 

 ランディーが警官たちによってパトカーに乗せられていった後、ジョッシュは落ち着いた態度でそう言った。

 

「あなたたちが来てくれなければ、もっと騒ぎになっていたかもしれない」

「別に、お前らのために来たわけじゃねえんだが?」

 

 字義通りの意味で言っているのだが、ジョッシュはわかっていない様子で苦笑して、頭を振る。

 

「俺は、あなたを誤解していたよ……すまない。アンドロイド嫌いの刑事なら、きっとまともに捜査してくれないだなんて決めつけて……偏見を取り除くために戦っているはずなのに、恥ずかしい話だ」

 

 ――もっと恥ずかしがれ。なんだったら地面に穴掘って埋まれ。シャベル貸してやろうか?

 と言ってやりたかったが、また抗議文書とやらを送られても面倒なのでギャビンは黙っていた。

 するとジョッシュは、今度は備品野郎のほうに向かって口を開く。

 

「俺たちは今日、例の『吸血鬼』の調査のために出歩いてたんだ」

「……吸血鬼」

 

 備品は珍しく自分から話しはじめた。

 

「ブルーブラッドを狙う正体不明の人物。アンドロイドと人間の不和の原因の一つ、ですね」

「ああ。仲間に警戒は呼びかけてるし、ここ最近は被害もないみたいだけど、いつまでもこのままじゃいられない。行動を起こさないと」

「ジョッシュ、あなたの発言には正当性があります」

 

 まったくの無表情のままだが、備品野郎はなおも続ける。

 

「でも、どうか、気をつけて。あなたというジェリコ幹部の存在が他者の攻撃性を誘発する確率は、48%です」

「確かに、その通りだ。これからは、歩く時はもっと注意するよ」

 

 真剣な眼差しでそう言って、ジョッシュはアンドロイドどもと一緒に帰っていった――

 

「……二度と出歩くんじゃねえ、クソが」

 

 ぼそりと漏らしたその一言は、幸いなことに、奴らには届かなかったようだ。

 ともあれこうして、面倒な仕事は片付いたわけである。

 

 

***

 

 

――2039年5月20日 12:29

 

 

 ファーンデールのファミレスは、貧乏そうな連中でそれなりに賑わっている。

 ギャビンは店の隅のテーブルにつき、さしたる感慨もなく、運ばれてきたイタリアンランチセット(「イタリアン」とは名ばかりの、ケチャップのかかったミートボール定食だ)をつついていた。

 

 備品野郎はといえば、向かいの席に座らせている。本当なら外で待たせていたところなのだが、店の外に出した途端、奴はまるで嫌がらせのように窓に張り付いて、こっちをじっと見つめだしたのだ。

 身長180センチ越えのアンドロイドが、周りの人間の驚きも無視して、街路から自分をひたすら凝視している中で悠長に飯を食うなど、さすがのギャビンにもできなかった。

 かといって中で立たせておくには、店内が小さすぎる。

 それに「デトロイト市警の警官が、連れのアンドロイドを座らせてあげてなかった」などとSNSに書き込まれ、拡散されてしまうのも考え物だ。

 

 そういうわけだから、ギャビンは特別な恩情を以て、備品に着席を許可したのである。

 

「感謝しろよ」

 

 言ってやったら、アンドロイドは顔色一つ変えずに頷いた。

 

「はい、リード刑事。感謝します」

 

 まるでオウム返しだ。まったく、これが本当に()()()なのか? 確かに捜査の時のこいつは、看板に偽りなくこちらの役に立っていたが――

 

 ギャビンは内心でブツブツ不平を漏らしながら、ひたすらデカく脂っこいミートボールを平らげた。

 それからセットのコーヒーを一口啜る――こっちはそう悪い味ではない。

 

 とにかく署に戻る前に、できるだけ時間を潰さなくてはならない。どうせ戻れば、報告書の作成というひたすら地味で退屈な仕事が待っているだけだ。でなければ、またアンドロイド絡みの事件が~などという連絡が入って気分を害する事態になるかもしれないが――

 いずれにせよ、ここで急いだところで益になることなど何一つないのだ。

 

 普段、緊急時でもない仕事時間はいつもそうするように、ギャビンは自分のスマホを取り出した。それからテーブルに足を乗せ、だらりと身体の力を抜き、ポチポチと端末をいじりはじめ――

 

「……あ?」

 

 画面上部に表示された通知に、小さく声をあげる。

 

『ナイナー >リード刑事への報告』

 

「おい、備品!」

 

 向かいに座って、どういうわけか窓に視線を向けているアンドロイドに対し、ギャビンは声を荒らげた。

 

「何やってんだてめえ、俺の命令なんか聞かないってか? 二度とメッセージ送るなって……」

 

 再びスマホが震え、新たなメッセージが追加される。

 

『>申し訳ありません。ですが緊急事態発生:会話の漏洩の回避を優先。ご了承ください』

「ハァ?」

 

 なおも視線を逸らしたままの相手に怪訝な顔をしても、奴は何も反応しない。

 スマホがさらにメッセージを受信している。

 

『>店内および店外の街路上より、私たちを監視する不審人物を合計5名確認』

 

 ――監視?

 なぜそんなことがわかる――と問うより早く、メッセージが続く。

 

『>判断基準:通常の店内利用客・通行人と比較して、当方を注視する回数が5倍以上』

『>ランディー・ゴスの事件捜査中より、周辺に当該集団の存在を確認:尾行と断定』

『>動機は不明』

 

「……」

 

 こんなメッセージを受信してなお騒ぎ立てるほど、ギャビン・リードは愚かではない。

 何気なくスマホから視線を外すふりをして、静かに周囲を見渡した。

 周りにいるのは、ごく平凡な客と思えるような奴らばかりだ。ガキを連れた夫婦だの、若い女二人組だの、ヨボヨボの年寄りだの、二十代くらいの若者どもだの。

 

 しかしその若者たちの幾人かが、こちらが視線を向けた時、不自然に目を逸らしたのをギャビンは察知した。

 なんだかんだと言われようと、これまで警察官としてそれなりの年月働き、刑事にまで昇りつめた身である。いわゆる一般人と、怪しい「クソ野郎」の違いはすぐにわかる。

 ――なるほど、あいつらか?

 

 ギャビンはスマホに視線を戻し、すらすらと文字を入力した。

 

『<そいつらの身元は? てめえ、見ればわかるならさっさとしろよ』

 

 備品からはすぐに返信がくる。

 

『>店内3名、店外2名(バイク搭乗中)の顔認証を実行。身元を確認。全員に共通のステータス:無職、薬物乱用による逮捕歴あり。網膜の異常:3時間以内のレッドアイス使用確率89%』

 

 ひゅう、と思わずギャビンは口笛を鳴らした。

 標本にして飾りたくなるほど、模範的なクソ野郎どもだ。小遣い稼ぎ代わりにとっちめて、業績をあげるにはちょうどいい。

 それにしてもなぜそんな連中が、この自分を監視などしているのか――という疑問に対しては、正直なところ、いくつか身に覚えがある。この前締め上げたヤクの売人繋がりか、それとも先月、尻を蹴り上げてやった強盗の仲間(ツレ)か何かか……。

 

 おおかた人気のないところに行ったのを狙って復讐でもしようという腹積もりなのだろうが、なに、そう焦らなくてもそのうち泣いて後悔するはめになるだろう。

 もちろんクソ野郎どものほうが、だ。

 

「……」

 

 無言のまま、ギャビンは席を立った。追随するように、アンドロイドも立ち上がる。

 会計を済ませて店外に出ると、アンドロイドは足早にこちらの横にやってきた。

 

「リード刑事。店内のカメラによれば、彼らも座席を立ちました」

「そうかよ」

「今後の方針を指示してください」

 

 そう言って、備品野郎は僅かに首を傾げた。

 

「市警に応援を要請するならば、即時対応可能です」

「は? 何言ってんだてめえ」

 

 呆れた、という態度を全面に押し出しつつ、ギャビンはアンドロイドに語る。

 

「尾行ごときでいちいちビビッて応援呼んでられるかよ。適当に撒いて、後でパクってやればいいだろ」

 

 つまり――いかにこの備品がポンコツといえど、アンドロイドであるからには、一度認識したものは消去命令が出されない限り永遠にメモリーに保持される。

 ということは、先ほどの顔認証の結果やデータもすべて記録されているのだから、クソ野郎ども相手に今この場で捕り物騒ぎを起こすよりも、一旦相手の尾行から逃れ、後で一網打尽に逮捕してやったほうが楽である――

 というこちらの意図を、果たして、備品は理解したのだろうか。

 

「……そうなのですね。私にはわかりません」

「ハッ」

 

 ――理解していないらしい。侮蔑の含んだ笑いが漏れる。

 

「ああそうか、てめえのお上品なプラスチック脳みそじゃ、そういうのは『対応不可能』らしいな。だったら邪魔せずに、すっこんでろよ」

「はい、リード刑事」

 

 備品野郎はこくりと頷いた。

 

「ご命令通り、あなたの邪魔はしません」

「フン」

 

 ――こいつのお利口さんぶりには、本当にイライラさせられる。

 そう思いつつも、ギャビンはファミレスの駐車場を出ると、そのまま道路を渡った。

 停めていた車には乗らない。店内にいた3人はまだしも、外にいるバイクの2人が邪魔だからだ。バイクは車より小回りが利くし、何より機動力がある。

 路上でいきなり襲われるというような事態は、それなりに人通りのある昼日中の街では起こらないだろうが、車で移動している時に、後ろからずっとついて来られるのは何よりも面倒だ。

 

 それに車で逃げるよりも、もっといい方法を知っている。

 向かう先は、ファーンデール中心地から離れた廃ビル群の辺り――廃車が停まりっぱなしで落書きだらけの駐車場だの、誰も回収しないゴミが不法投棄されている空き地だのがたいして珍しくない地域だ。

 

 やがて備品が勝手に口を開く。

 

「リード刑事。ドローンの報告によると、彼らは散開し依然私たちを尾行中です。それから」

 

 無表情のまま、それでもどことなく不思議そうな調子で、奴は続ける。

 

「あなたに質問します。現在の進行方向にある地域は、監視カメラが欠如し犯罪発生率も極めて高い危険地域です。なぜそちらへ移動するのですか?」

「都合がいいからに決まってんだろ。てめえ、本当にポンコツだな」

 

 歩きながらギャビンは、ポンコツの胸元を裏拳で軽く小突いた――思っていたよりも相手の胸は硬く、強烈な痛みが手に跳ね戻ってきたが、それはおくびにも出さないでおく。

 かたや備品は、なぜか納得したように目を瞬かせた。

 

「了解しました。複雑な経路を移動して、尾行を阻止する目的ですね。該当の路地は狭く、バイクでの侵入は不可能です。とても、合理的な判断です」

 

 プラスチックに褒められても嬉しくないけどな。

 と思ったが、話している時間も惜しい。ギャビンはとっとと先に行くことにした。

 途中、備品がまた口を開いて、この近辺の地図を参照しなくていいのかなどとほざいてきたが無視した。誰に向かって言っているつもりなのか聞いてやりたい。

 

 実のところ、ギャビンにとってこの近辺は昔馴染みの、いわばホームグラウンドのような場所なのだ。

 どの路地がどこに通じているのか、そのビルの内部はどんな状況になっているのか、アンドロイドのデータではきっと知りえないようなことまで、よく知っている。――二十年前から、ずっとそうだ。

 

 ギャビンはアンドロイドを伴って、まるで野良猫が人間の知らない道を知っているのと同じように、半壊したフェンスの下を潜り抜け、粗大ゴミの山を登って家屋の屋根を通り、ひたすら尾行を撒くように移動し続ける。

 

 アンドロイドは、定期的に追っ手の人数を報告してきた。最初は5人だったそれは、3人になり、2人になり、やがて一人きりになった。

 さらにしばらくして、その最後の一人がこちらを見失ったようだ、という報告がある。

 ギャビンは、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべた。

 後は備品からさっきのデータを引っ張り出し、こちらを見失っているクソ野郎どもを、警官として正々堂々と逮捕してやるだけだ。

 

 ――すると。

 

「リード刑事」

 

 備品野郎がまた口を開く。

 

「リード刑事、緊急事態です」

 

 表情は動かず、ただ一応、どことなく緊迫した口調である。

 

「あ?」

「尾行者が合計20名に増加しました。新規の15名はこの地域の外側から内側へ、私たちを包囲するように移動中です」

「……は?」

 

 今、なんつった?

 こちらの問いかけに、備品はしばしLEDを点滅させてから(たぶんドローンと通信しているのだろう)語りだす。

 

「当初の尾行者5名が、別の家屋内で待機していた仲間を召喚したようです」

「はぁ!? 話が違うだろクソが。ちゃんと見てなかったのかよ、お前」

「……申し訳ありません。屋内はドローンでの監視が不可能のため、発見が遅延しました」

 

 アンドロイドはまた、俯いて釈明している。

 チッ、と舌打ちしてから、一旦立ち止まった。

 

 これは厄介な状況になった。その人数で囲まれてしまっては、いくらなんでも見つかってしまうかもしれない。奴らを撒いてケツを引っ叩くために、せっかくわざわざこんな場所まで来たというのに、逆にやられてしまっては話にならない。

 それにしても追っ手が20人とは、そこまでして自分に復讐したいというのか?

 いや――奴らの目的は、本当に復讐だけなのだろうか。

 

 ギャビンは、古傷が空気に触れてビリビリと痛むような感覚を覚えた。

 鼻筋の辺りに昔作った、今はただの痕になっている古傷だ。これが痛む時はたいてい、よくないことが起きる。急に天気が変わって大雨が降ってくるとか、でなければ、クソ野郎ども相手にてこずるはめに陥る、とか。

 

「……クソが」

 

 指で古傷を擦りながら考える。

 どうする、あまり迷っている時間はない。

 尻尾まいてひたすら逃げるというのも手ではあるが、このポンコツ備品に情けない姿を見せるのは絶対にごめんである。

 ――そうだ、ポンコツ備品だ。こいつ、さっきから人の後ろを歩いてるだけじゃないか。『すっこんでろ』と命じたのは自分だって? うるせえ。

 

「おい、てめえ!」

 

 アンドロイドに向き直ると、ギャビンは高圧的に命令した。

 

「てめえのせいでこうなったんだろうが、そのお偉いおつむを捻ってどうにかしてみせろよ。それともプラスチック刑事ってのは、人をつけ回すしかできないのか?」

「それは」

 

 備品はしばし間を置いて言う。

 

「状況を打開する手段を私に一任する、というご発言でしょうか」

「あ? なんでもいいから、なんとかしてみろっつってんだよ」

「……了解しました」

 

 アンドロイドのこめかみのLEDリングの青い光が、くるくると回転する。

 

「手段を問わず、この状況を打開します」

「……は?」

 

 手段を問わず? ――なんでもいいって言ったからか?

 

 問い返す間もなく、にわかに備品は素早く――こいつ、こんな動きができたのかと思わず感心してしまうほどの速度で前方へと踏み出した。

 そのまま奴はこちらに向かって腕を伸ばし、瞬間、ギャビンの視界が奇怪な浮遊感と共にぐるりと動く。

 まるで性質の悪いジェットコースターに乗ったみたいな感覚の後、気づけば、ギャビンは備品野郎の肩に、まるで丸太か何かのように担がれていた。

 

「はっ!? ちょ、おい、てめえ何……」

「申し訳ありません。静粛に願います」

 

 何かを確認するように、備品はきょろきょろと周囲を見渡す。

 大の大人の男を一人抱えているというのに、さして重そうでもない。それどころか、何か目標を見定めると、陸上選手もかくやというスピードで駆け出した。

 その足の動きに合わせて、ギャビンの身体がガクガクと小刻みに揺れる。

 はっきり言ってまったく乗り心地はよくない! 繊細な人間なら、きっと乗り物酔いで吐いているところだろう。

 しかもこいつの向かう先は――

 

「おい! おい、てめえ、待て!」

 

 足をばたつかせて叫ぶ。

 

「前見ろ! か、壁じゃねえか!」

「問題ありません」

 

 まったく速度を落とさずにポンコツはしれっと言ってのけた。

 廃ビルの壁に正面衝突しそうになってるってのに、何が問題ないだと――

 

 衝撃に備えて、ギャビンは身構えた。だが、やって来たのはまったく別の種類の衝撃だった。

 幾度かの振動、そして風を切るような音の後、気づけば彼はアンドロイドに担がれたまま、5階建てビルの屋上にいたのである。

 

「……あ……?」

 

 なんのコメントも残せずにいると、備品はギャビンをそっと下ろし、そのぼんやりした牛のような、穏やかな灰色の瞳を向けてこう言った。

 

「壁を蹴って跳躍しました」

「はあぁ!?」

 

 頓狂な声をあげるのは、今日これで何度目だ?

 しかしアンドロイドは別に自慢気でもなく、淡々と告げる。

 

「壁を何度か交互に蹴れば、屋上への到達はさほど困難ではありません」

「交互にだと……?」

 

 恐る恐る下を見下ろす。よく見ると、今立っているビルの壁と向かい側のビルの壁(さっきこいつが突進していった壁だ)の中ほど何か所かに、土くれの着いた跡がある。

 あそこを蹴り上げて、ここまでジャンプしてきたっていうのか――?

 

「……ケッ」

 

 ギャビンは腕を組み、とりあえず平静をアピールした。

 ――プラスチック刑事にこんな非常識な動きができるなんて、きっと尾行者の連中にもわかるまい。ということは、奴らを出し抜く余裕ができたというわけだ。

 

「まあ、プラスチックにしては上出来じゃねえか。おら、移動するぞ」

「この場所から、ですか」

 

 備品は首を傾げた。

 

「この場に待機し、尾行者が撤収するまでの潜伏を推奨します」

「言っただろうが、てめえは邪魔するな」

「……」

 

 このビルの上に来たのは、なかなか好都合だ。ここの3階には隣の建物への渡り廊下(といっても、分厚い木の板のようなしょぼいものだが)が設置されていて、地面に下りずとも移動ができる。

 多少予定に変更はできたが、クソ野郎どもをとっ捕まえるのには変わりない。

 いや、このまま逃げて連中にコケにされるのも癪だ。どうせなら奴らの目的を聞きだすために――備品には、もう一働きしてもらおう。

 

 そうしてギャビンは、アンドロイドにいくつかの命令を下した後、階下へ移動するための戸口へと向かったのだった。

 






「食堂で尾行に気づいてアンドロイドと一緒に逃げる刑事」という流れは名作SF小説『鋼鉄都市』のオマージュ……パロディー……いや、とにかく格好いいからやりたかっただけなんです! 許してください!!


ところでナイナーのドローンは
1号機 アネモネ
2号機 バターカップ
3号機 カトレア
4号機 デイジー
5号機 エリカ
6号機 フリージア
7号機 ガーベラ
8号機 ヘレボラス
という名前です。

植物が好き、という個を確立したナイナーが自分でつけた名前です。
書く機会が今後あるかわからないので、ここに書きました。
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