「……ジンの容態は?」
「身体の方には何の異常もないね。ただ体内の偏食因子の反応が凄まじく減弱しているんだ。……しかしそれは普通の人間に近付くだけであって、こんなことになるはずはないんだけれど……」
「……何にもわからねえ、ってことですか」
旺神ジンが倒れている────
そんな報告を受けた医師達は安静を守らないからだと憤慨しつつも、即座に彼を医務室に運び込んだ。
しかし調べてみるとその実態は『P66偏食因子』の異常という医療の範疇の外にあるものだった。それが判明してから、ジンはデータを収集できる実験室の台の上でずっと意識を失い続けている。
ペイラー・榊の説明を、神楽リョウは苦しげな顔で聞いていた。
危うい状態にあったジンに対して注意を怠りはしなかった。
すぐにでも話し合うつもりだった。
その結果が、これだ。
(……俺は、また遅かったのか? こうなる事を防げなかったのか? もっと早く、あいつの首根っこを掴んででも……)
「自分の注意不足を悔やんでいるなら、それは大きな勘違いだよ」
榊の言葉に、リョウは俯いていた顔を上げた。
「確かに君は素晴らしい人間だろうが、しかし全知全能の神などではないんだ。全てにおいて自分の責だと思うのは、自分は何でも出来るのだと思い込んでいるのと同じだよ。
これは誰にも予想できなかった。そしてこれを解決できるのは、研究畑の人間である私達だ。
───いま君に出来ることは、私達を信じることなんだからね」
そう強い声で榊は言い切り、リョウは知らぬ間に思い上がっていた自分を恥じた。
────誰かを信じてここまで来れたのは、他でもない自分なのに。
ジンを頼みます、とリョウが感謝の意を込めて頭を下げようとした。
その時だった。
『連絡します。本部から通達が入りました。映像通信が繋がっているので、サカキ支部長と現在アナグラにいるゴッドイーター各位はラウンジに集合してください』
アナグラの中にそんなアナウンスが流れた。
「本部からの通達? 博士、何か知ってますか」
「いや、特に心当たるものはないな」
「アレですかね。まだリッカさんを引き抜きたがってるんでしょうか」
「……? ふむ……」
よくわからない事はあるが、ともかくテレビを使って何らかの伝達が行われるらしい。連れ立ってラウンジに向かう榊とリョウだが、2人の脳内には共通の疑問符が浮かんでいた。
────なぜわざわざ映像なんだ?
そうしてラウンジに到着した時には、もうゴッドイーター全員が集合していた。
ややもせずに天井から伸びたアームに取り付けられた画面が点灯し、大きく距離を隔てたどこかを映し出す。
そこにいたのは、顎髭を鋭く生やして顔に厳めしい皺を刻んだ壮年の男だった。
『やあ、極東支部のゴッドイーター諸君。健勝かね』
「これはこれはアラヤ博士。そちらも元気そうだね」
慇懃な挨拶に対して砕けた返答。
サカキは画面に映ったその男をアラヤ博士と呼んだ。
「知ってんですか?」
「
『貴様が軽すぎるのだ。阿呆』
細い目で笑うサカキと厳粛な顔で叩くアラヤは、恐らくその当時から似たような接し方をしていたのだろう。
数十年の時を孕んだ軽口は、曰く言い様のない重さのようなものを感じさせた。
「……さて、昔話に花でも咲かせたい所だけれど、本題に入ってもらおうか。この支部は今大きな問題を抱えているんだ。本部の、研究職の君直々の連絡ということに事態の進展を期待しているよ」
『そうだな。そちらとしても気になっているだろう。今回の議題は、アラガミの異常進化……君たちが《融合体》と呼んでいるものについてだ。
あれについての詳細が明らかになったので、情報の共有と共にこちらと極東支部の方針を伝達しようと思う』
その言葉に全員の顔色が変わる。
本部から自発的にその話題が出るということは、本部でも同じ事例を確認したという意味になる。その本部がその詳細が明らかにしたというのだ。
ゴッドイーター達の瞳に希望が宿る。
……ペイラー・榊、その人を除いて。
「……私は1度も、本部に《融合体》に関する情報を送った覚えはないんだけどねえ」
その一言に全員の思考が中断した。
ここまではまだ真意に到達した訳ではなく、その言葉の意味を量ることが出来ないだけだった。
しかし。
続くアラヤの言葉によって、その言葉は一気に最悪の方向に指向性の舵を切った。
『まず始めに。あれらを作り、君らを襲わせたのは私だ』
「……何だと?」
ほぼ全員が硬直する中、真っ先に口を開いたのはソーマだった。
『うまく状況が飲み込めていないようなのでもう1度言おう。
君達で言う《融合体アラガミ》を産み出し、それを操って極東支部にけしかけたのは、私だ』
「……どういう事だ」
『ふむ。論文の発表ではまず結論から話すべしというのが基本だが、頭がおいてけぼりを食らう場合があるのは欠点だな。
どれ、遠回りになるが、まずは私の思想という根本の部分から話すとしよう』
顎髭を撫でながらアラヤは言う。
『私は常々、ゴッドイーター達は不完全だと考えていた。
アラガミに比べて力も弱い。生命力も無い。他者からの支援が無くては戦うこともままならない。
……今は数や戦術の工夫で何とかなっていても、もし総力を持って当たらねばならない敵が同時に出現したら?
純粋な物量で押し潰されたら?
もはやそれは「今の」ゴッドイーター達に対処できはしないだろう。
極端な話、などとは言わせない。
敵はそれを充分に行い得るということを、サカキ、貴様が1番よくわかっているはずだ』
「身につまされる話だよ。ここの所それを思い知らされてばかりだからね。
………それで? その問題に対して、科学者である君はどんな回答を出したんだい?」
『単純な話だ。ゴッドイーター達がさらに強く成ればよい』
「……、」
『ゴッドイーターの能力の水準は、言ってしまえばオラクル細胞との適合率で決まる。
神機との適合率が高ければ高いほど戦いに向く。つまりアラガミであればある程、人類の矛に適するということだ。
……だというのに。
だというのに、「それ」を誰も実行しない。
答えがすぐそこにある、なのに倫理がどうのと人道がこうのと、最早それが通る時代ではないというのに………人々を救うため人の屍を積み上げる、なりふり構わぬ獣となった十年前を忘却の彼方に置き去ってな』
これまでの整然とした語り口を捨て、アラヤは忌々しげに吐き捨てる。
明らかに感情の入ったそここそにアラヤを突き動かす根元があるのだろう。
遠い何かを思い返すように唇を引き結んだサカキが、もう一度アラヤに問いかける。
「では……君が実行したと推測される『それ』とは?」
その答えは。
アラヤの回答が意味するものとは。
『─────《人間のアラガミ化》』
事も無げに言い放たれたその一言は、その場にいた全員を凍り付かせた。
実際にそれを見た者全員の頭の中で、バラバラのピースが繋がり始める。
異常進化したアラガミ。
その体内から出てきた人間。
そして、人間のアラガミ化────
「……成る程。体内に人間を宿したアラガミ……《融合体》とは、君の研究の成果だという訳だ」
『成果、ではなく経過だな。彼らは私の研究過程で産み出された試作品とでも言うべきものだ。
それらの集大成は既に私の後ろに控えている。
……皆、前に出て並びなさい。極東支部に御披露目だ』
アラヤの言葉と共に、後ろから4人の少年少女が並び出た。
年齢はリョウと同じくらいだろうか。
彼らは皆、一様に誇らしげな笑みを浮かべ───
────そして羽毛や尻尾、爪など、明らかに人間のそれとは異なる器官を有していた。
「……何っだ、ありゃあ………!?」
『
翠緑の羽毛と翼を持つ少女───
極彩色の羽と祭礼の仮面を付けた少女───ソフィート。
黄金色の腕と尾、鬼の角を生やした少年───グラディウス。
ドレスと修道服を合わせたような布を纏う少女───マリア。
「………人間のアラガミ化、か。それを実現できた事も驚愕だが、随分とまた───厄介なものにしてくれたね。彼らが私たちを襲ってくると考えていいのかな?」
『そーいうこった。テメェらは先生の大きな目標の為の犠牲になるんだよ。感謝しやがれ』
『グラディウス、気持ちは嬉しいが控えなさい。まだ私の話が途中なんだ』
明らかに見下した視線でそう宣ったグラディウスをアラヤが嗜めた。
クスクス笑う他の3人を睨む彼だが、素直にその指示に従い口を閉じる。
もっとも他の3人も口には出さないだけで、同様の事を考えているようだが。
『ゴッドイーターは適合者にオラクル細胞を投与することで作り出される。私が行ったものはそれと同じことに過ぎん。
投与する細胞の種類と過程が違うがね』
「過程が違う?」
『私はさっきああ言ったが、この数年でゴッドイーター達は目覚ましく進化している。
旧型から始まり近接・遠距離可変式の新型の登場、さらに《血の力》から派生する術技など……しかし私が注目したのは、その「進化」を促している因子だ。
代表的なものは君たち《ブラッド》のみに確認されるP66偏食因子だな。これの作用により《血の力》が発現する、実にわかりやすい。
……が、因子により強化されるその土台が貧弱だ。
オラクル細胞というものは宿主との結び付きが強いほど力を増す。
定期的に偏食因子を投与せねばならない者より、自分で生成できる者の方が圧倒的に強いのだ。
わかるだろう? ソーマ・シックザール君』
「黙れよ」
『よって従来の方法では不足であると私は判断した。
だから私は───回帰したのだよ。10年前の最も野蛮で原始的な手法に』
「……まさか」
サカキの表情が険しく歪む。
歯軋りの音と共に絞り出された声には、普段の彼からは想像もつかない程の怒気に満ち溢れていた。
「………調整も無しに投与したのかい! アラガミのオラクル細胞を!」
『その通りだ。流石だと言いたいが、その考察はまだ50点だな』
「ああ、まだ続くとも。理論も何もないあんな大雑把な方法では1000回繰り返しても成功するはずがない。ただ徒に犠牲者を生むだけだ!」
『その通り。だから私はそれに最新の要素を付け加えた。
………君たちが「意思の力」と呼ぶ、それだよ』
画面の向こうのアラヤがこちらを指差す。
『《P66偏食因子》。ゴッドイーターに異能の進化を促したもの。
特殊な能力を持つ感応種アラガミと《血の力》が同時期に出現したこと・オラクルを使うという能力の近似性を考えれば、アラガミの進化もゴッドイーターの進化も、この偏食因子によるものだと容易に結論が出る。
私はその因子のみを抽出し、そして利用した』
「P66偏食因子のみを抽出だと……?」
『シユウ。グボロ・グボロ。ガルム。ハンニバル。サリエル。
ゴッドイーターの素養がある者に、感応種に分化できるアラガミの細胞と《P66偏食因子》を同時に投与した。
そして見ての通り、ここに成功例がいる。
死にたくない。まだ生きたい。
そんな強い「意思」にP66偏食因子が答えたのだよ!
結果として完全なアラガミとなった彼らは並のゴッドイーターを軽く凌駕する膂力と生命力を獲得!
倒したアラガミを、究極を言えば適当な瓦礫でも食べればエネルギー補給が可能!
さらに彼らのオラクル細胞が偏食因子によって分化し、素体となったアラガミの感応種の能力を獲得するに至った!』
己の研究の核心を話す内にだんだんと語気に熱が籠っていくアラヤの背中を、後ろの『被験者』たちは敬意の眼差しで見つめている。
『先生』の壮大な研究の成果となれた誇らしさと、彼の計画の中枢を担える喜び。ただ純粋な視線を受けつつ、少し落ち着いたらしいアラヤは1つ息を吐いて言う。
『……無論、実証に至るまで数多くの死者が出てしまったがな。君たちが《融合体アラガミ》と呼ぶあれらは、みな私の研究の被験者なのだよ。
我が子たちを産み出す為の、尊い犠牲者たちだ』
「尊い犠牲、だぁ……?」
ここまで冷静に話を聞いていた神楽リョウが低く唸った。
「人をあんな風にしてどの口が言ってやがんだ?
テメェは大義を盾に命の尊厳を踏み躙っただけだろうが! ああ!? 耳障りのいい言葉で誤魔化してんじゃねえぞボケ!!
自覚がねえなら教えてやんよ。テメェはただのド外道だ!!」
リョウが吼える度に頬の刺青が歪む。
額に浮かぶ青筋が抑えがたい怒りを具現していた。
それに対してアラヤの表情が明確に不快を表現する。
『成る程。それが君の見解かね……実に、実に幼稚だ』
「あぁ!?」
『オラクル細胞を理解する過程で何人が犠牲になった? ゴッドイーターを完成させる過程で何人が犠牲になった?
君たちが当たり前のように使っている神機を完成させる過程で何人が犠牲になった!?
目的の為に捧げられた命を、罪もなく散らされた命を、敬意と追悼を込めて「犠牲」と言うのだ!
彼らを否定する権利が貴様のどこにある?
印象だけの薄っぺらい持論を振り回すな!!』
「………っっ!?」
反論────できなかった。
アラヤのやり方が間違っているという確信は揺らがない。
しかしそれを否定するには根幹である彼の行動とその為に重ねてきた年月が余りにも重く、その言葉は紛れもなく正しかった。
言葉に詰まるリョウの横にサカキが歩み出る。
「……そういえば。アラヤ、君はさっき『子供達』を5人分紹介していたけれど、今そこには4人しかいないね。もう1人はどこにいるのかな」
『ああ、ラガシュか。それならもう、とっくの前に君たちの所にいるはずだが────ああ、来たようだな』
パシュン、と入り口の自動ドアが開く音。
弾かれるようにそちらを振り向きその姿を見た極東支部……サカキとソーマを除いた面々が一様に絶句する。
ここに来るまでに相当な無理をしたのだろう。
立つ力もなくドアに寄りかかっていたせいで、ドサリとその身体が床に倒れ込んだ。
『ふむ、予定通りに進行しているようだな。これでこちらも心置きなく動ける。それでは……』
『先生。私たちの名前と目的の明示がまだですわ』
『ああ、そうだったな』
こほん、とアラヤは一つ咳払いをする。
『我々は最早、
我々は名前を神より産まれし刃────《クサナギ》と改め、愚鈍な狼を排し人類を救済するべく、
繰り返す。
我々は─────《クサナギ》。』
その言葉を最後に映像は途絶えた。
暴力的な静寂が支配する室内に掠れるような呼吸音だけが響く。
「で、だ」
何かを区切るように一言を発するリョウ。
向き直る先は全員の絶句を一身に受ける彼。
満足に動くことも出来ず倒れ伏した男に、リョウは静かに問いかけた。
「どういう事か説明してもらうぜ。ジン……いや、