それでは本編スタートです!!
【2021年7月12日追記】
当該車両のイラストが完成しました。彼は喜ぶかな…。
【挿絵表示】
由美「しかしまたかよ…」
私「でも今回はひと味違う感じになりそうだしいいんじゃない?」
久々の迷列車。だけど今回紹介するのはまた異なる列車だ。
由美「まあ、今回は南海6000系列全部と泉北線の100系、3000系なんだよねぇ…G5000系列みたいに長くなるかもしれないと思うと泣きそう」
私「でも期待通りにやらないとリクエストしてくれた南海泉北ラインさんに私たち2人そろってブロックされるよ?」
南海泉北ラインさんというのは私と由美ちゃんのフォロワー。数少ない女子鉄でもある。地雷は容赦なくブロックされるので要望に応えられないとそれなりの対応がなされることは警戒した。
由美「…俺、頑張るよ」
私「じゃあ始めますか」
【OP♪Aqours『HAPPY PARTY TRAIN』♪】
由美「まずは南海6000系から行きましょう」
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南海6000系は、1962年に登場した、高野線初の20m級オールステンレス製通勤型電車です。
当時高野線では宅地開発が進み、従来の15m車561形や17m車21001系などでは乗客をさばききれずにいました。
そこで20m級の大型車として本系列が登場しました。
~※~
私「車体や機器は…?」
由美「今から説明します」
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車体は東急7000系、京王3000系に続く3例目の東急車輛製のオールステンレス車体となりました。
東急車輛のオールステンレス車としては初の20m級の片開き4ドアを備えたものとなりました。
江戸車輛製のオールステンレス車を含めると中部高速鉄道G5000系から数えて6例目となります。
主電動機は端子電圧300Vで出力115kWの直流直巻電動機を使用。
駆動方式もWNドライブで、歯車比は5.31となっています。このため、先述の主電動機はWNドライブの狭軌用としては当時の最強クラスとなりました。
制御方式は超多段式のバーニア抵抗制御で、制動方式はHSC-D発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用しています。
台車はパイオニアIII型のTS-702およびTS-702Tを採用しました。この台車にはいろいろ問題があり、後に取り換えられることになります。
こうして1969年までに7次にわたって4両編成18本、計72両が製造されました。
全車がそろって間もなく6両編成での運転が開始されましたが、それに伴い6000系では以下の編成形態が原因で運用上不都合が生じていました。
・Mc-T-T-Mc×3本
・Mc-Tc+T-Mc×15本
このため、Tc車であるクハ6901の奇数車を方向転換し、2両編成×14本、4両編成×11本に組み替えて6両編成を組みやすくしています。
その後、1973年には昇圧を迎えましたが、1965年以前に製造された21両は600V専用仕様だったため、1972年に複電圧化工事が行われています。この昇圧と同時に主電動機出力も145kWとなりました。
1976年以降には橋本への乗り入れ開始に備え、抑速ブレーキの搭載と連結器の交換も行われました。同時期に6013F、6029F、6035Fに一時的に方向幕が設置されました。
~※~
由美「1985年には転機が訪れます」
私「まさか…」
由美「そのまさかです。続きをどうぞ!!」
~※~
初期車の登場から25年を迎えようとしていたため、1985年よりリニューアル工事が行われることになりました。
同時に冷房装置の取り付けも施行されることになります。
さらには乗り心地の悪いパイオニアIII台車は廃棄され、新造したS型ミンデン式台車か旧1000系から流用されたミンデンドイツ式の台車に交換されています。これにより未更新車および更新前の6100系との併結は不可能になりました。
また、残りの車両にも方向幕も取り付けられ、使用停止になっていた3編成も方向幕が復活しています。
この他、VVVF化も検討されていましたが、全車更新後ということもあり立ち消えとなりました。
製造当初は難波-三日市町間で運転されていましたが、1984年から林間田園都市、1992年には橋本まで乗り入れが開始されました。泉北高速鉄道にも乗り入れます。
2005年以降は運用数が増加していますが、MGが編成内に1台しかないため2両編成はもちろんのこと、4両編成も1本での単独運用はできない状態になっています。
そんな6000系も寄る波には勝てず、2019年より8300系に置き換えられて廃車が発生しており、2023年度末をもって全廃される予定です。
そのうち2両は大井川鉄道に譲渡され、ATSの取り付け等の改造を行って運用に入る準備段階にあります。
~※~
私「次は6100系を見てみたい!!」
由美「では見ていきましょう」
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南海6100系は6000系の増備車として1970年から73年にかけて76両が製造されました。
基本仕様は6000系に準じていますが、車体では扉が両開きになる、側窓が一段下降式になるという変化が見られます。
台車もパイオニアIII台車ですが、強度を高めたTS-709形やTS-710形がが採用されました。
また、1970年に登場した2次車からは当初から抑速ブレーキ搭載、1971年以降の車両は新製冷房車、1973年の車両は1500V用の単電圧車両となり、前者2つについては初期車にも1982年と1974年から1977年までに搭載されています。
1996年からは更新工事が施行されます。もちろん、パイオニアIII台車も取り替え対象であり、7100系や後に紹介する泉北高速鉄道100系や3000系の廃車発生品を利用してS型ミンデン式台車に取り替えられています。
なお、この台車交換により6300系に形式変更されており、更新済みの6000系との併結が可能になったものの6100系との併結は不可能になりました。しかし、6100系のまま更新された編成も存在し、その編成も2009年までに6300系に形式変更され、6100系としては形式消滅しています。
また、この更新工事により6両固定編成が誕生。4両編成1本を分割し運転台を撤去して別の4両編成2本にそれぞれ挟み込むという手法で8本登場しています。
運用上は2両編成と4両編成が6000系と、6両編成が6200系と共通化されており、複数の編成を組み合わせて4両から8両を組み幅広い運用に就いています。
6000系とは異なり、置き換え計画は今のところなく、今後も活躍が期待されます。
~※~
私「…短くない?」
由美「中部高速鉄道のG5000系やG5100系並みの複雑さがないからだと思う」
私「…じゃあ次は泉北高速鉄道100系を見てみたい」
由美「全廃されたやつなんだよねぇそれ…まあいいけど。関連性高いし」
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泉北高速鉄道100系は泉北高速鉄道線の開業に合わせて南海6100系をベースに1970年から1973年にかけて4連、2連各5本計30両が製造されました。
6100系とはセミステンレスであることが異なるほか、前面形状にも相違があります。また、冷房装置も当初は省略されました。
台車についてもSUミンデン式の台車を当初から搭載しています。
製造は3次に分けられ、1970年製造分が4連4本、1972年製造分が2連4本、1973年製造分が4連、2連各1本となりました。
100系は終始一貫して泉北高速鉄道線および南海高野線の三日市町駅以北で使用されました。
1983年から86年にかけて冷房化が行われます。これに伴いパンタグラフの交換や位置変更、MGの撤去やSIVの新規設置も行われました。
1987年には引き続き先頭に立つ予定のあるすべての先頭車に列車無線が取り付けられ、1988年12月から1989年4月にかけて方向幕の設置と前照灯の移設が行われ、6200系にやや似た印象となりました。
このようにして改造を受けたため、今後も広く使用される…
〜※〜
由美「…はずでした」
私「もしかして…?」
由美「そのもしかしてです。続きをどうぞ!!」
〜※〜
本系列はセミステンレス車体の老朽化が激しく大規模なリニューアル工事を行わなかったので、1995年の101Fを皮切りに廃車が発生。最後まで残った3次車4連1本と2次車6両も2000年3月をもって廃車され、形式消滅となりました。
廃車後は最後まで残ったうちの588が静態保存された以外はすべて解体処分されましたが、台車が先程の南海6300系へと転用されたほか、SIVや冷房装置が南海系列以外の会社に渡っています。
〜※〜
由美「しかし最後…というか6200系が複雑すぎる。やるしかないよな」
千歌「リクエストのためにもやろうね!!」
〜※〜
南海6200系は6100系の増備車として1974年から製造された車両です。
車体は6100系をベースにやや角張った構造となりました。
主制御装置については抵抗制御ですが、1500V専用設計としたのでバーニア制御を廃止し、直並列組合せ制御が付加されました。
台車も当初からS型ミンデン式台車となっています。
まず1974年には6連2本が落成。1977年には4連4本が落成しました。
1980年には4連1本とクハ6501形2両が落成。クハ2両は6連の6503Fから2両を抜き取って暫定的に4両編成2本を組成しました。
翌年にはモハ6201形4両と6連2本が落成し、1985年のモハ6201形2両の落成により増備は終了しました。
新造車としては最終的に6両編成6本と4両編成4本の計52両となりました。
その間、1975年と77年に本系列の車体をベースに、制御方式を電機子チョッパ制御にした旧8000系が落成。こちらは故障が多かったため、1990年にゲート制御部を更新、それでも経年劣化は否めず、2001年に7100系の廃車発生品のバーニア制御装置を利用して抵抗制御に改造。6200系に編入され、この時点で6200系は58両になりました。
その後、2009年頃になると4連運用が増加。しかし本系列の4両固定編成は制御装置が1つしかなく、その4両固定編成に6000系や6100系の2連を接続した6連での運用もできないことから、2009年から2012年にかけて毎年1本ずつVVVF化が行われ、運用の幅が広がりました。
更にその後、1982年に界磁チョッパ制御で落成した8200系6連3本が制御装置の老朽化に伴い2015年までにVVVF化され、6200系の50番台に編入。本系列は76両となりました。
本系列は初期車の製造から45年を超えた現在でも大規模な更新はVVVF化や6501Fの床材張替えや6503Fのモケットの交換以外一切行われていませんが、置き換えの予定もなく、今後の末永い活躍が期待されます。
中部高速鉄道のG5000系やG5100系についても初期車の製造から50年を超えてから大規模リニューアルを行っているので似た者同士と言えなくもありません。
〜※〜
由美「さて、…泉北線の3000系が最後に残ってしまった…」
私「…でもやらないと…」
由美「流石に…」
私「これはAqoursのリーダー命令。やるか私に監禁されるか、どっちか選んで?」ハイライト消し
由美「やりますやります!!」
〜※〜
泉北高速鉄道の3000系は100系の増備車として先程の南海6200系をベースに1975年から1990年にかけて60両が製造されました。
6200系と異なる点は台車の型番が100系と同じである点と抑速ブレーキを持たない点、そして車体がセミステンレスである点です。
1977年以降の製造車は当初から冷房付きとなり、1975年の車両にも1979年までに冷房が取り付けられています。
1985年以降に製造された車両はオールステンレス製となり、1990年のクハ2両の製造をもって増備が完了しました。
この間、3517Fが8両で暫定的に落成したものの、後に3513F、3515Fとともに編成が組み替えられて6両編成2本と4両編成1本になりました。
1999年にはモハ3019, 3020, 3025, 3026, 3029, 3030の6両に対して100系の廃車発生品による運転台を取り付けられ、50番台が登場しました。
2005年に4連の運用が増えた際の代走には50番台が抜擢されたことも多かったようです。
このように改造や増備を重ねて運用され続けてきましたが…
〜※〜
由美「2006年以降、ついに廃車が出てしまいます」
私「えっ?」
由美「そうなんです。続きをどうぞ!!」
〜※〜
2006年を持ってクハ3501, 3502, モハ3003, 3004の4両が廃車。3001と3002は3507Fの中間に組み込まれて6連化されました。
しかしその3507Fも2007年に廃車。2008年には3503Fと3505Fが廃車となり、これをもって1次車は全廃となり2次車にも一部廃車が発生しました。
2012年にはダイヤ改正により4連3本と2連1本が余剰廃車となり、南海電気鉄道に譲渡されました。
当時南海では本線系統の7000系の老朽化が極めて深刻で、それにもかかわらず8000系の増備費用の捻出が難しくなっていたため余剰になっていた3000系を泉北線から番号をそのままで購入し、7000系の一部を置き換えました。
なお、グループ会社から大手私鉄への譲渡の例は他に南国急行鉄道3000系100両と5000系200両が中部高速鉄道に譲渡された程度とかなり珍しいです。
譲渡車は8連、6連各1本ずつに組み替えられて運用再開。他形式との併結はできず、限定運用が組まれています。
譲渡車を含め、製造からすでに約30年が経過しており、大規模なリニューアルも行われていませんが、置き換え計画もなく、今後の活躍が期待されます。
〜※〜
由美「今回は本当の本当に以上になります。いかがでしたか?」
私「東武8000系の20年間712両とか中部高速鉄道のG5000系列の51年間736両に比べればマシだと思いたいけど…28年間で300両くらいだし」
由美「あの辺と比べるんじゃないよあれは化け物」
私「…だよね。じゃあそろそろ締めようか」
由美「そうだな」
私「今回はこの辺で…」
2人「ありがとうございましたー!!」
【♪高海千歌『Never Giving Up!』♪】
しかしあんなに渋々だったのはなんでだろう…私は不思議でたまらない。
次回は新シリーズで、急行のキノピコ氏をベースにしたキャラである南海泉北ライン氏を出演させます。