「お前さん、なにしてんの?」
「……オラ、その……迷子さなってしまっただ。」
「――――すまねぇロシア語はさっぱりだわ。」
「秋田弁だで。」
夏空の下を歩く少年は、黒髪に麦わら帽子を被せた少女が、田んぼの横で座り込んでいるのを見つけた。 秋田で育ってはいるものの、秋田弁を欠片も理解できない少年は首を傾げるが、『迷子』という単語だけは聞き取れたようで合点が行ったように頷く。
「迷子……迷子ねぇ。 じゃあ、こっから近いし、俺んち来る? まあ家じゃないけど。」
「……ええんだが?」
「は? ……あー、もう、帰ったら秋田弁勉強するか……。」
ガシガシと髪を掻き、ため息を一つに、少年は少女に手を伸ばした。
「俺は藤森勇人、今年で9歳。」
「……オラは皐月夜見だ。 ……7歳。」
夜見は勇人の手を取った。
夏の暑さも気にならないくらい、夜見の心臓の鼓動は早まっている。 勇人に引かれながら、そんな夜見はポツリと呟く。
「……あんだは、好い人だべ。」
「ははぁ……だろ? そう成れって言われて育ってるもんでね、俺以上の聖人なんてそうそう居ないからな。」
「……結構くっちゃべるだな。」
田んぼと林を挟んで、土を固めただけの道を歩く二人。 沈黙に耐えきれなかった勇人が、夜見にふと質問を投げ掛ける。
「夜見ちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」
「オラか? オラは……刀使さなりたいだで。」
「刀使かぁ。 カッコイイよね、刀使。 ――――あんな力があれば……。 あんな、力が…………。」
「っ、いでっ」
「――――ごめん。」
思わず力強く夜見の手を握ってしまい、慌てて緩める。 夜見の手が離れそうになったが、今度は夜見から、おずおずと勇人の指に手を絡めてきた。
「む。 ……んー、あー。 あ、そろそろ昼飯の時間だけど、なんか食べたいものってある?」
「それだば、おむすびを。」
「お握りね、了解―――」
「おむすび。」
「………………。」
「おむすび。」
「…………はい。」
その目は、対応を間違えたら死ぬのではというほどに本気だった。 直後に顔を赤くして照れている夜見を見ながら、勇人は大笑いする。
「すたらさ笑わなくても……。」
「ふっ……ごめんごめん。」
濃紺の瞳を細め、愉快そうに笑う。 釣られて夜見も無表情を少しだけ崩して目尻を緩めたが、されども運命とは、残酷を極めていた。
命を削りながら互いの体を刻み合う戦いに身を投じることになろうとは、当時の二人には―――思いもよらなかった事だろう。
◆
「――――ォォオオオオオオオッ!!」
「――――ガァァアアアアアアッ!!」
果たしてこれは、刀使同士の戦いだと言えるのだろうか。 そんな事を思いながら、エレンは辺りに飛び散るノロと鮮血を間近で見ていた。
獣じみた咆哮が喉から絞り出され、殆どノーガードでお互いの御刀を体に受ける二人だが――――既に体が限界の勇人と、ノロの過剰投与で痛覚が鈍い夜見。 どちらが圧されているか等、比べるまでもなかった。
「っ―――動けマセン……!」
傍観するしか出来ないエレンの腹には、ノロを固めて出来た拘束具が巻き付き、木の幹にエレンを押さえつけるように貼り付いている。
「ふん! ぬぬぬ…………まさか、動けなくされるとは思いマセンでした……。」
腕ごとエレンの腹に巻き付いて拘束するノロは高熱を放ち、辛うじて手元に落ちていた越前康継に触れている現状、エレンの体は写シを焼き焦がされるだけで済んでいた。
しかし、気を抜けば写シを剥がされ生身を焼かれるだろう。 エレンもまた、動けないにしても夜見のノロと戦っている。
「ガァッ!! アッ、ガ、ゥウァアッ!!」
「……苦しんでるの、デスか?」
ギョロリと見開かれた、右目が変形して出来た角から覗かれる瞳。 蹴り飛ばされ地面から引き抜かれたように吹き飛ぶ勇人を他所に、左手で首を押さえる夜見は、荒々しく口を開いて大きく呼吸する。
「……時間が、ねぇ……。」
「ユート!」
「こいつを突き刺せれば良いんだが…………ちょっと、関節動かなくなってきた。」
錆びたマネキンのようにぎこちなく握りこぶしを作る勇人は、夜見がふらつきながら、拘束されたエレンに近づくのを見る。
「しまっ……夜見!!」
「……薫――――!」
三人の間に出来た空間は二メートルにも満たない。 だが、御刀での治癒を加えても勇人が立ち上がり夜見の攻撃を防ぐのには最低でも三秒、しかし、既に水神切兼光を振り上げた夜見がエレンの写シを切り裂く―――――。
「ッッッだらぁ!!!」
―――事なく、水神切兼光の縦の一閃は、横合いから伸びる大太刀に防がれた。
「か、薫!」
「よう、二人揃ってボロボロじゃねえか。」
「おーっす、かおる……。」
「うわ……。」
桃色の髪を揺らし、少女―――薫は祢々切丸で水神切兼光を押さえ、バットでスイングするように夜見を後方へと打ち込む。
ノロで拘束されたエレンと―――死ぬ寸前の勇人を見てドン引きする薫は、目を逸らすように夜見を見た。 遅れて茂みから出てきた可奈美と姫和が合流し、ようやく五人が揃う。
「勇人さん!」
「無事……ではないな。 酷い顔だ、生きていただけよっぽどマシか。」
肩を貸す可奈美と共に立ち上がる勇人は、姫和にハンカチで顔周りの泥と血を拭われる。 傷口に染みたが、放っておくよりはずっと良い。
「むぐぐっ……いだだだだ!」
「…………しかし、あれが手紙にあった人体実験とやらか。 あれは……人間と呼べるのか……?」
「人間デスよ、少なくとも今はまだ、ネ。」
「エレンは……なんだそれ、ノロ?」
エレンの前で屈み、薫は指先をノロに伸ばす。 ジュッ、と。 指先に熱が走って、続けて痛みが鋭く突き刺さった。
「あっづ!?」
「触らない方が……遅かったデスね。」
「くそっ、なんなんだこれ!」
薫とエレンに歩み寄る勇人が、右手の御刀を蒼く輝かせ、体を癒しながら話す。
「荒魂の体内を血流みたく流れるノロは、熱を持つんだよ。」
「ヨミヨミは今、オーバードーズで半荒魂状態デスから……。」
「……ヨミヨミって誰だよ…………!」
――――刹那、空間が気味の悪い色へと染まる。
ノロを取り込み過ぎた夜見が戻ってくる頃には、その右腕と水神切兼光がノロで覆われ、癒着していた。
「……俺が、や…………ごぼっ」
「勇人さんはじっとしてて!」
まだ残っていたのか、と自分でそう自虐しつつ、口から溢れた赤黒い液体を見て口角を吊り上げる。 勇人の行動に僅かな違和感を覚えながら、姫和は小烏丸を抜きつつ薫と並んだ。
「可奈美と勇人は下がっていろ、チビは私と来い。」
「誰がチビだ、この貧乳。 ……エレンにくっついてるノロ、どうにかしといてくれ。」
それだけ言い終え、二人は夜見に迫る。 最早刀使らしい動きすらしない獣さながらな動作に、姫和と薫は攻めあぐねていた。
「くそ、なんだこいつ……さっきオレが戦ったときと全然ちげぇ!」
「――――斬るしか、ないか……。」
回復した今なら、折神紫に行おうとした『ひとつの太刀』を発動できる。
だが、写シを貼っていない夜見にそれをすると言うことはすなわち、約16倍の速度を以ての刺突を生身に叩き込む事になるのだ。
間違いなく夜見は死ぬ。
しかしノロを体内に入れている時点で死ぬ覚悟はしている筈。 誰もやれないのなら、最悪自分がするしかない。 薫が夜見の相手をしている今ならば、車の構えから予備動作・シフトチェンジ無しの三段階迅移を――――。
「どいてろ、姫和……。」
「っ、勇人!? 馬鹿……そんな状態で動いたら死んでしまうぞ!」
突然肩を掴まれ、反射的に振り返る。
夜見に切り刻まれては体を癒し、体に負担となる八幡力や迅移を多用し、口どころか鼻や涙腺からも血を垂らす勇人が、姫和を押し退け前に出た。
更にその奥の二人、ノロを消してもらったエレンと勇人を押さえておけなかった可奈美に睨むような目線を向けるが、二人は姫和に『無理!』とばかりに勢い良く首を横へ振っていた。
「俺は死ねないんだよ……少なくとも、もっと早くに夜見のノロを、奪ってやれたら良かったんだ…………だからこれは……俺の罪と、償いなんだよ……。 だから、俺がやらないと……。」
うわ言のような――――否、事実、うわ言だった。 姫和の肩を掴んだが、姫和の事は視界に収まっていない。 ふらふら、ふらふら、と。
祢々切丸を水平に持ちながらバックステップで下がる薫の横をすり抜け、路上を歩く酔っぱらいのように、夜見の下へと歩く。
「…………ガ、ァ、ウ」
「腹へっただろ、なにが食いたい?」
「―――――!!」
「…………そうか。」
ゆらりと力なく振り上げた御刀を、夜見の強化された豪腕が弾き飛ばす。
夜見の後方、勇人の目線の奥にすっ飛んだ御刀を他所に、勇人の眼前で夜見が右手を引き――――――姫和と薫、可奈美とエレンが息を呑むのに、気づかないまま。
ぐじゅり、と。 トマトに包丁を突き立てたような感触が、夜見の手にじんわりと伝わった。 さも返事であるかのように、夜見から見てヘソの右側に突き刺さる水神切兼光。
刀身の半ばまで埋まり、切っ先は背中側から飛び出していた。 完全にその命を獲った。 そんな確信が、ぼんやりと夜見の思考に有り。
故に、勇人の左手が水神切兼光の柄と右手を纏めて掴んできた瞬間、夜見の思考は停止する。 バチッと、不意に勇人の濃紺の瞳と視線が交差して、暗闇の底から絞り出すような声が耳に届く。
「づぅが、まぁ、えたぁ……!」
「っ――――!!?」
理性が無いにも関わらず、夜見は
獣のような本能が、目の前の男は危険だと知らせていたのだが、死にかけた体のどこにそんな力があるのかと思う程に、勇人の左手は万力で締め付けられたように振りほどけない。
「―――ごめんな、夜見。」
ゆったりとした動作で勇人が右手を御刀の方にかざし、尚も夜見の右手を水神切兼光ごと掴む。
寸での所で勇人に二本目が刺さるなんて事は無く、夜見の体に留まる御刀が遅れて蒼く発光したかと思えば、その光を夜見の全身に行き渡らせて行く。
「ガァアアアアアッッ!? アッ、ガアアア…………あぁ、ぅ、あ…………。」
蒼い輝きは、勇人の体を癒すときのように、夜見の全身からノロという不純物を消して行った。 角に変形した右目も戻り、水神切兼光と右腕を癒着させていたノロも無くなり、周囲を支配していた不穏な気配も消える。
やがて蒼の光が消えた時、残っていたのは、元の姿の夜見とその身を抱き抱えながら仰向けに倒れている勇人だけである。
「…………終わった、か。」
この言葉を最後に、勇人の意識はブレーカーを落としたように、ぶつんと途切れて闇に沈む。
果たして勇人は、刀使でも巫女でもない男は、ノロに頼らねば戦えもしない少女から、ノロを奪うという形で勝利したのだった。
評価・感想等、お気軽にどうぞ。