「そーいや、さっき勇人の御刀みたいな力は前例がどうたらこうたらって言ってたな。」
「その通りだよ薫くん。
赤羽刀。
荒魂の体内から時折見付かる錆びた御刀で、現状御刀を新たに製造できない事から、この赤羽刀を見つけることが刀使の戦力増加に繋がっていた。
「赤羽刀が御刀に戻ると、時折不思議な力をその刀身に纏わせている場合があるんだ。 所有者の膂力を上げたり、頑丈さを増したり。 勇人くんの御刀も、似たようなモノなのだろうね。」
「便利なもんだな。 そういう御刀が増えりゃあ、荒魂討伐も楽になるだろ。」
気だるげにサンドイッチを口に含む薫を見て、フリードマンは指を左右に振りながら否定する。
「残念ながらその手の力というのは、一定の期間で御刀から抜け出てしまうんだ。 まるで、錆びることで錆の内側に保護した刀身へと圧縮していたエネルギーを放出するかのようにね……。」
「……あ? どした、爺さん。」
自身の言葉に、フリードマンは疑問が解消されたような顔付きになる。 膝にねねを乗せて、ちぎったパンを食べさせていた可奈美が問う。
「フリードマンさん?」
「……いや、ああ、そうか。 なに、勇人くんの御刀の力の正体が分かったってだけさ。」
「それ、わりと重要じゃないデスか?」
エレンの小声にフリードマンも小さく笑う。
実はだね……と切り出して、食堂の椅子に座る三人に語り始めた。
「勇人くんの手術をする際、血液型を調べるついでにDNA配列や細胞の状態を調べたんだ。 そこでわかったのは、勇人くんの体にある細胞が異様に若すぎる、と言うことだった。」
「……それは良いことじゃないんデス?」
頭を振って暗に否定するフリードマンが、咳払いをして続ける。
「細胞というのは、否応なしに劣化してしまうんだよ。 そして人間に寿命があるのは、細胞の分裂回数が予め決まっているからなんだね。
彼の細胞は、17歳のモノにしては若い。 それこそ産まれて直ぐのような若々しさで―――――つまり、彼の身体は今になって『老け始めている』事になる。 全身の細胞をそっくりそのまま新しい細胞にすげ替えたように。 ……不自然だろう?」
可奈美たちの頭には疑問符が浮かぶ。 御刀一筋の可奈美は兎も角として、その手の知識が専門外の二人も同じように、話に追い付けていない。
「わかりやすく言うと、人が怪我をした際に治る理由は細胞が分裂・増殖して穴埋めをするからなのだけどね、そうしてもしなくても、人体の細胞は常に分裂、増殖、そして古くなっては体外に放出されるのを繰り返す。
だがもしも
人が老いるのは細胞分裂に限界が訪れるからで、人が死ぬのは細胞が分裂できなくなってゆくからだ。 若い内から細胞を新鮮で何度も分裂させられるモノに出来たら、その人が死ぬのはずっと先になるだろうね。」
あっけらかんと言い放つフリードマンだが、要するにこう言いたいのだ。
「……ユートは、ある意味不老不死になれる……という事デスか。」
「と言うよりは、限りなくそれに近い――――ある一定の若さを保ったまま、100年なんて目じゃない寿命を手に入れる事は可能だ。
彼の御刀にはそう出来る力があるみたいだね。 僕はあの御刀の力を、『複製』や『再構成』と仮称している。
あの御刀が不思議なパワーで魔法みたく『怪我を治してる』のではなく、『新鮮な細胞を複製して穴埋めしている』んだとすれば、細胞の異様な若々しさにも納得が行く訳だ。」
『お前は自分を、修理すれば直る機械か何かだと思っているんじゃないか?』
「――――――っ。」
何気ない姫和の言葉が、ある意味で的を射ていた事に気付き、フリードマンを前にして三人の肌が粟立っていた。
◆
「…………んー、んー。」
乾いた口内に貼り付いた舌を剥がしつつ、勇人のまぶたが開かれる。 ベッドに横たわっている自身の腰辺りのマットレスが沈んでいる事から、誰かが座っているのを理解した。
「……だ、れ……」
「――――勇人、起きたのか。」
濡羽色の髪に、緑の制服。 振り向いた少女の深紅の瞳が、ホッとしたように細められる。
「さっきは悪かった、少し言いすぎたな。」
「……良いさ、確かに、あれは俺が悪い。」
「少し待て、点滴を外してもらおう。」
潜水艦専属の医者を呼び、栄養を流し込み終えた点滴を外してから、ようやく自由になり始めた体を起こして立ち上がる。
「皐月夜見の所に向かうんだろう? 私も行こう。」
「俺が心配か?」
「念のためだ。」
御刀をそれぞれ腰に装着し、縦にする。 廊下に出て歩く姫和は、先のぐったりとした様子の勇人とは思えない速度の回復に驚いた。
「気分はどうだ? 顔色は良いようだが。」
「悪くないよ、なんだかいつもより夢見が良くてね。 姫和が近くに居たからだと思う。」
「――――――。」
「……今、変なこと言ったな。」
姫和は勇人にそう言われて、すぐさま早歩きになる。 姫カットで隠れている耳は、掻き分けて確認すれば真っ赤になっている事だろう。
「…………怒ってる?」
「―――怒ってない。」
遠回しに『姫和のお陰で安眠できた』と言われては、さしもの姫和でも勇人の顔を見られない。
故に勇人が、何故あんなことを口走ったのかを勇人自身が理解していないことを、姫和は知る由もなかった。
「…………さて、ここだ。」
「俺の居た部屋とは離れてるな。」
「怪我人同士とはいえ男女が同じ部屋でというのはな。それも生身で戦っていた二人だ、目覚めた片方が相手を殺そうとしないとも限らないのだから仕方ないだろう。」
ご尤も。 そう言って勇人は、自身が寝ていたのとは別の医務室の扉を無遠慮に開け放つ。
「……勇人。」
「どうせ寝てるだろ。」
「――――起きてますよ。」
扉の先の、清潔な白色の部屋。
そこに置かれているベッドの一つに、横になっている少女が居た。 右目を覆うように包帯を巻き、腕には勇人と同じように、それでいて複数の点滴が繋がれている。
「あー……気分はどうだ、夜見。」
「……悪くありません。 ですが、体から決定的なナニカが抜け落ちたのだろうという事だけは理解しています。」
まさか起きてたとは……と呟きながら、姫和を後ろに連れて近寄る勇人は扉の側の机から椅子を引っ張ってきた。
「俺がお前の体から、ノロを全部消したからな。 だからもうお前は戦えない。」
「……これで、紫様率いる親衛隊の戦力が貴方を含めて二人減った訳ですね。 そちらからすれば、喜ばしい事でしょう。」
夜見から見て右側、扉の方から来てそのまま側に座った勇人と壁際に立ちながら凭れる姫和。 二人を視野に収めるように顔の向きを変える夜見は、相変わらずの能面がごとき無表情だった。
「夜見。」
「……なんですか?」
諦めた、疲れきった声色で聞き返す夜見。 勇人は椅子に座ったまま、ベッドの縁に頭が当たりそうな位に顔を下げ、一言。
「お前の戦う力を奪って、すまない。」
――――無表情のままだったが、それでも驚愕していたのだろう。 第三者として立ち会っている姫和は、夜見が開き掛けた口を固く閉じるのを見た。
「……貴方が謝る必要が、どこにあるのでしょう。 私は自分から望んで、ノロという力にすがり――――貴方達を傷付けました。」
「結芽が戦える身体に戻りたくてノロを使った事は知っていた。 だから、夜見にも相応の理由があったんだろうとは思ってた。」
一度口を閉じ、深くため息をついて、勇人は一呼吸置いてから続ける。
「だから奪いたくなかった。 病気を癒せばノロにすがる必要の無い結芽とは事情が違う夜見からノロを奪うことが、正しいとは思えなくて、そうして悩んで……その結果がご覧の有り様だ。」
「……正しいことでしょう。
ノロを投与する非人道的実験に付き合ってきた我々
「夜見はどうなんだよ。」
ぴしゃりと遮り、言い返す。
横目で姫和を見れば、好きにしろとばかりにまぶたを閉じて腕を組んでいた。
「ノロなんていう負の産物を体に入れて、その力を使うために腕を切り刻んで、そこまでやってようやく並の刀使の実力に追い付いたお前が――――辛くないわけないだろ、痛くないわけないだろ……っ!」
「……私にそのような権利は―――」
「ある。 あるんだよ、夜見。 お前も人間なんだ、痛かったら痛いって言えば良いし、辛かったら誰かを頼っても良い。 ……俺はただ、お前にそうしてほしかっただけなんだ。」
チューブが繋がれている右腕の手をそっと握り、本人以上に辛そうな顔をして、夜見を見ながら勇人は、それでも優しく夜見に語りかける。
「俺と一緒に少しずつ、罪を償っていこう。 その間に
「――――私が、私を……。」
「それに俺は、ノロを利用することが絶対に悪だ、とは言えないし思えない。」
ぴくりと眉を震わせ、僅かにまぶたを開ける姫和。 だが勇人の言葉がまだ続くと判断し、傍観に徹した。
「ノロが無ければ、結芽は病気を癒せる俺に出会わず死んでいたし……中学に上がる時に別れた夜見とも会えずじまいだったろうしな。」
「……思い出したんですか。」
「お前にグッサリやられた時に。」
腹の辺りをさする勇人は、大して問題とは思っていなさそうに笑う。
『勇人くん、その……お久しぶり、です。』
『…………どっかで会ったことある?』
一年前、一言二言の会話で、目の前が真っ暗になる。 それを比喩でもなく事実として味わったのは、あの瞬間が初めてだっただろう。
古い友人に忘れられていて、憧れの刀使になる夢は穢れを以て成し遂げ、自分は汚れきっている。 忘れられるのも仕方がないだろう、そう考えてなにも思わないようにしていたが。
「――――いつか、夜見が
波の立たない海のように静かだった筈の心が、ざわめいて仕方ない。 穢れている自分に優しくしてくる勇人を、突き放したい。
「夜見
「――――。」
ダムに亀裂が走ったように、感情と表情を隔てる壁が崩れて行く。 返答の為に夜見は左腕に力を入れ、ベッドの上で座る。
左目で捉えた勇人の濃紺の瞳は、あの頃と何も変わらなくて――――。
「……はい。 だって、また貴方に会えましたから。」
そこでとうとう、今まで抑え込んでいた激情が濁流のように流れ出た。 プツンと糸が切れ、倒れるように勇人に身体を預け顔を胸元に隠して、夜見は嗚咽を漏らして言う。
「……ごめんなさい、勇人くん。 傷付けて……ごめんなさい……。」
「全部――――全部、許すよ。 だって元から、怒ってなんか無いんだから。」
背中を優しく撫でる度に、ボロボロと、涙腺から涙が溢れて止まらない。
ぐり、と顔を押し付けて。
誰にも見られないようにしながら、夜見はゆっくりと――――その心を固めていたモノを、ゆっくりと、溶かしていった。
「(この二人は、もしや私が居ることを忘れているんじゃないだろうか。)」
気まずそうに気配を消す姫和は言葉に出さずにそう思っていたが、それでも目尻と口角は、慈しむように緩みきっていた。
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