蝶型荒魂の群れを抜けた勇人たちは、疲れが抜けていないその足で工場地帯に訪れた。
「まるで迷宮だな。行くも戻るも難しい、先の見えぬ我に相応しい。さりとてここにあるものは、いずれも人の営みに欠かせぬものばかり」
「お前、本当によく喋るな」
「愚痴を溢したくもなる。こういった場は、ただ無用の存在の我とは大いに違う」
「さいですか」
勇人が呆れた表情でイチキシマヒメのぼやきに反応すると、先導して歩く紫が、おもむろに背後の彼女に質問を投げ掛ける。
「戯れに聞くが私との再度の融合は可能なのか」
「不可能だ。一度我ら3人が抜けた以上、最早そなたは器にすらなれない」
「じゃあ俺なら?」
「貴様は馬鹿か」
「キレそう。……あっ、そうだ紫さま、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ」
淡々と話を進める三人。その内の勇人が、ふと紫に声を向ける。
「なんで俺を呼んだんです? イチキシマヒメの護衛なら可奈美とか結芽の方が向いてるでしょう、俺じゃあ力不足ですよ」
「……お前のことは護衛のためだけに呼んだわけではない。別の目的がある」
「目的とは?」
おうむ返しする勇人に、今度は紫ではなく、イチキシマヒメがあっけらかんと答えた。
「そんなもの、我を貴様の御刀に取り込ませて無力化する為以外にあるまい」
「……あー、なるほど。タギツヒメの完全復活を遅らせるなら、俺の朧月夜は適役ですねぇ。──最初からこの時のために俺を保護して御刀を握らせたとか、そんな感じ?」
紫は小首を傾げてすっとぼけたように問う勇人に、珍しく表情を歪めて否定する。
「いいや。元々はお前の育ての親……藤森さんとの借りがあって、その借りを返すために行き場のないお前を保護しようとしただけだ。
私の中にナニカが居ると悟った藤森さんの指示と朱音の手引きでお前が御刀を握ってしまったのは、そのナニカ──タギツヒメにとっては誤算だったのか想定内だったのかは知らないが」
一拍置いて紫は続ける。
「……あくまでこの案は最終手段だ。少なくとも、保護した以上は、お前のことを守るのは私の義務でもある。藤森の身に何が起きるかわからない手段をやれとは言えない」
「お、お母さん……」
「それはやめろ」
はははは、と笑う勇人だったが、それから不意に黙り込む。歩きながら考えるそぶりを見せて、数拍置いてぽつりと呟いた。
「俺のことを保護していたのは、時期的に見ても紫さまというよりはタギツヒメと言える……もしかしてあいつ、俺のことを──」
「藤森ッ!」
「……また我を狙う者たちか」
勇人を思考の海から引き上げる紫の声。多数の気配を感じ顔を上げると、そこには──タギツヒメの駒たる
「あらまあ」
「……来たか」
「おっ?」
呆れ気味に朧月夜を腰から抜こうとした勇人は、紫が視線を向けた先に顔を逸らす。
視線の先にある木々を飛び越えて、巨大な影──否、巨大化したねねとその背に乗っていた可奈美たち六人が颯爽と現れていた。
「遅くなりました、紫様! 勇人さん!」
「可奈美……姫和たちまで」
「よく耐えたな勇人、ここは任せろ」
S装備を身につけた可奈美と姫和、舞衣と沙耶香、薫とエレンの六人が、逆に近衛隊に立ち塞がるようにして降り立つ。
「ここは私たちが押さえます、紫様と勇人さんはイチキシマヒメを連れて離脱をっ!」
「ここはオレたちに任せて先に行け! ──よし、今度は言えた……我が生涯に悔いなし!」
「突っ込んでる暇がない……頼んだ!」
背を向けて、可奈美と薫の声を最後に勇人は紫とイチキシマヒメを連れてその場から離脱する。背後で聞こえてくるねねの暴れる音を耳にしながら、がむしゃらに走っていた。
──形振り構っていられずイチキシマヒメを抱えていた勇人は、整備された石畳の上に彼女を下ろす。いつの間にか神社に訪れていたらしく、紫とイチキシマヒメは口を開いた。
「鹿島神宮……雷神にして武の神タケミカヅチを出身とする土地か」
「そして、鹿島新當流発祥の地と言われている。篝と結月と訪れたことがあった」
汗を拭って息を整える勇人は、どことなくしゅんとしているような目付きのイチキシマヒメに、なんとなく心配そうな声を掛ける。
「どうかしたのか」
「篝に結月……お前たちが必要としてる人間達だな。我には……」
「──なぜ私が20年も大荒魂を宿しながら己を保つことができたと思う? お前が、イチキシマヒメがいてくれたからこそだ」
「我が……?」
紫は二人の会話に割り込むと、そのままイチキシマヒメを見て続けた。
「タギツヒメの苛烈さとタキリヒメの合理性に苛まれた私は、日ごとに人間らしさを失いつつあった。けれどお前が……慎重で臆病で、自己否定的なイチキシマヒメが中にいてくれたからこそ、私は人の域に留まれたんだ」
「……果たして、『ネガティブさに助けられた』って褒め言葉なのかね」
「そう言うな。……とにかく、お前は不要な存在ではないよ。誰よりもこの私が、お前を──いや、お前たちを必要としている」
勇人とイチキシマヒメを見て、紫は言い切る。むず痒さに頬を掻く勇人は、隣にぼうっと立つイチキシマヒメが考え込むように視線を下げているのを一瞥し、それから森の奥を見やる。
「もうよいか?」
「空気読もうぜ」
神社の敷地内に現れたタギツヒメは、既に抜き身の御刀を二振り両手に握っていた。
すらりと朧月夜を抜きながらイチキシマヒメを背中に追いやる勇人と、同じく御刀二振りを抜いた紫が、タギツヒメに相対する。
「イチキシマヒメ、我のものとなれ。さすれば我が貴様に意味を与えよう」
「っ──イチキシマヒメ! お前は今すぐこの場を離れろ!」
「可奈美と姫和に保護してもらえ! 俺たちが食い止める!」
そう言って勇人は隣に立った紫に目配せする。力不足の勇人とタギツヒメが抜けて力の衰えてきた紫では、タギツヒメを倒すのは不可能だろう。故にこそ、この場で行うべきは、イチキシマヒメが逃げるまでの時間稼ぎだった。
──だが。
「死に損ない共が」
「づっ、ぅお」
「ぐっ」
タキリヒメを取り込んだタギツヒメの猛攻は熾烈を極めた。勇人の御刀を弾き、体勢を整える前に紫の眼前へと迅移を行う。
二刀流と二刀流がぶつかり合い、すさまじい速度で金属音が辺りに響くも、剣戟の激しさはタギツヒメが優勢となり圧し始める。
「それでもかつて我の──いや、最早……ただの壊れた器か」
「──ォオオッ!」
「貴様も、
「っるせぇッ!」
御刀二振りを叩き付けるようにして紫を引き離すと、今度は再度肉薄してきた勇人を鍔迫り合いに持ち込む。何もかもを見通しているかのように瞳を妖しく輝かせると、勇人は苦々しく表情を歪めて瞬間的に八幡力を起動し下がらせた。
「……ああ、そうか。その力を使いすぎたら、どうなるか分からぬから怖いのか」
「──ああそうさ。人間を辞めるつもりで全力を投じればお前に深手を負わせるくらいは出来る、だが怖いからやらん」
「素直だな。死なない程度であれば当然のように怪我を負う人間が、力に手を付けるのは恐れるとは……不可思議だ」
タギツヒメに飛び掛かるように斬りかかり、二刀流による連撃を捌く勇人。それに続こうとした紫は、立とうとして膝をつき、その身から写シが自然に剥がれる感覚を覚えた。
「くっ……体力が、もう……!」
「ほう、紫はもう戦えぬか」
「紫さま……!」
「そうら、守ってみせろ、藤森勇人!」
「なん──不味っ」
勇人の写シを剥がすように切り伏せ木に蹴り飛ばし、そのまま右手の御刀を振りかぶると、タギツヒメは紫に向けてそれを投擲する。
咄嗟に迅移だけは発動できた勇人はそのまま紫の前に滑り込み──御刀がぐさりと腹に突き刺さった。慣れたくもない激痛が駆け巡り、チカチカと視界で星が明滅する。
「藤森!」
「ぐ、おっ」
「……それが出来てなぜ力は引き出さんのだ。まあいい、二人纏めてあの世に送っ──」
御刀を振り上げながら迫るタギツヒメは、最後まで言いきる前に龍眼を起動する。そして、振り上げた御刀を防御に使うべく構えた。
「──二人に、触れるな……ッ!!」
「……ほう。人のために御刀を抜くか」
とどめの一撃を防御に使わせたイチキシマヒメは、勇人が腹から御刀を抜いて朧月夜で傷を直す様子をちらりと見て、言葉少なに伝えてからその場から逃げるように消える。
「二人とも、しばし待て!」
「……が、げほっ……なにか秘策でもあるのか? ……まあいい、紫さま、立てますか」
「お前こそ無茶をするな藤森」
立ち上がり、紫を庇うようにして写シを張り直す勇人が御刀を構える。
「──ふん」
それを見て、タギツヒメは、ただつまらなそうにため息をついた。
──近衛隊の相手を舞衣たちに任せ、可奈美に憧れる刀使──歩を本人に任せた姫和は、一人で勇人たちに加勢するべく走っていた。
そんなとき、向かいから慌てた様子でやって来たイチキシマヒメに眉を潜める。
「貴様、イチキシマヒメ……」
「お前の力を貸して欲しい……いや、我の力をお前に託したいっ!」
そう言ったイチキシマヒメに、姫和は苛立つように声を荒らげる。
「ふ……ふざけるなっ! 貴様も元はタギツヒメの一部! 母さんを苦しめた大荒魂と同じだろうがッ! それがどうして……!」
「それでも我は、自分をお前に託したいのだ十条姫和。我は折神紫を……藤森勇人を救いたい。このままでは、二人が死んでしまう」
「────」
そう言われた姫和の瞳は動揺して揺れる。もはや選択の余地はなく、そして必死の表情を取るイチキシマヒメが本気であると知り、姫和の脳裏には、勇人の笑みが走馬灯のように浮かんだ。
──イチキシマヒメが離脱して数分、写シを張れない紫と十数回目の写シを張り直した体力が無くなる寸前の勇人を前に、タギツヒメは余裕綽々の顔で仁王立ちしていた。
「さて……そろそろ死ぬか」
「殺らせ、ねえ、よ」
「ふ、じもり……」
ぜえ、ひゅう、と掠れた呼吸を繰り返す勇人がせめてもの盾にと前に立ち──そして、その眼前で刹那の隙間を縫うようにして蒼が弾けた。
遅れてキィ──ンという甲高い金属音と、静電気が弾けるようなパリパリという音。
タギツヒメをその場から下がらせるだけの速度と威力を以て割り込んできた存在が、紫を庇う勇人を更に守るようにして立ち塞がった。
「──ひ、姫和……?」
「────」
最後にようやく視界が蒼色の正体を視認し、それが、写シとはまた違う──