「貴様は馬鹿か」
「はい」
「この歴史的マヌケめ」
「はい」
どこまでも同じ景色が続く空間を延々と歩き続けている勇人は、その横で延々と罵声を浴びせる少女──タギツヒメに言葉を投げた。
「……今、どれぐらい歩いてるんだ?」
「さあな。一週間か、一ヶ月か、一年か、十年か、それを知る術は無い」
「腹は減らない、尿意もない、眠くもならない。疲れもしないから歩き続けられるが……景色に代わり映えがないと、気が狂いそうだな」
「だからこうして、仕方なく、会話を続けてやっているのだろうが」
「罵倒は会話じゃないんだよ」
いつの間にか腰に着ける装備が無くなっていた朧月夜を片手に握りながら、勇人はため息をつく。それを横目で見上げながら、タギツヒメは一拍置いて口を開いた。
「なぜお前までここまで来た」
「…………その場の……勢い?」
「馬鹿が」
「ちょっと待て話がループする」
再び罵倒に入ろうとしたタギツヒメの言葉を遮ると、彼女は舌を打ってから続ける。
「……大荒魂シキが行動を起こさないことが気になっていた。だから我との戦いに巻き込まれたお前に相手させるため遠ざけようとしたというのに……何度見逃してやったと思っている」
「──ああ、だから不自然にとどめを刺そうとしなかったのか。悪かったな諦めが悪くて」
「全くだ」
ふん、と鼻を鳴らして苛立たしげにするタギツヒメだったが──おもむろに動きを止めると、心底嫌そうな顔で眼前を見つめていた。
「…………面倒な」
「あん? どうした……お」
「──ん~?」
──不意に鉢合わせた女性が、小首を傾げて二人を見た。タギツヒメから勇人に視線を移し、それから握られている御刀を見て、彼女は合点が行ったように声をあげた。
「あーっ! あんたもしかしてタギツヒメ? そっちは……あれでしょ、勇人くん。
「え?」
「…………」
同じように片手に御刀を握っている女性は、そう言いながら勇人たちに近づきつつ、さも当然であるかのようにあっけらかんと言った。
「ねえ、手合わせしない?」
「はい?」
「私も戦ってみたかったんだよねぇ~! 男の刀使と、ちっこいタギツヒメと!」
にやりと笑って、女性は御刀を抜く。横の少女をタギツヒメと知りながら、退治ではなく立ち合いを望む女性に、勇人はどことなく既視感を覚えて、ほぼ反射的に問いかける。
「もしかして……可奈美のお母さん?」
「……うーん、まあ、そんな感じ? いやまあ、私は学生の頃で止まってるから厳密には違うんだろうけど……その辺はその子の方が詳しいんじゃない? ねえ、タギツヒメ」
「──チッ」
タギツヒメは嫌そうにしながらも、仕方ないとばかりにため息混じりに答えた。
「こいつは
「……? あれ、篝もこっちに居るの?」
「知るか」
「そう邪険にしないでよ、私だってここのことちんぷんかんぷんなんだもの」
御刀の峰を肩にトントンと当てながら、美奈都は苦笑を溢す。その様子に、勇人が言う。
「でも可奈美のことは知ってるんですよね。話をしたことがあるんですか?」
「そうねえ、たぶん可奈美は寝てる間だけ私に会えるのかも。でも夢だから起きたら忘れてる。不思議だけど、ここでの立ち合いの経験は体が覚えてるらしいし……まあいっかな! って」
「あーこの感じまんま可奈美だ」
「──ふぅん」
二人の会話を聞いていたタギツヒメが、納得したようにそう呟いて、それからしれっと勇人のふくらはぎ辺りを蹴りながら会話に混ざる。
「あだっ」
「恐らくだが、隠世のお前と千鳥の娘の夢が繋がったのは、その御刀がアンテナになっていたからだ。その千鳥とあの娘の千鳥は、お前と同じように半分ずつに分かれていたのだろう」
「私が……半分……?」
「……物理的にじゃない。分かれたそれらが隠世由来の何らかの物質で補い、その結果、同じ御刀が二つ存在する事態になったと考えろ」
す──っと指を額から顎まで線を引くように動かす美奈都に、タギツヒメは呆れながらそう返した。美奈都のマイペースさにげんなりとしているような彼女は、ふと、ピクリと反応する。
「…………我はもう行くぞ」
「えっ、なんで?」
「噂をすればなんとやら、ということだ」
「可奈美が近くに来てるのか」
「ああ」
「いや、普通に居ればいいじゃないか。なんというか……ここまで来ちゃったら、今さら斬る斬らないの話にはならないだろ?」
「仲良しこよしは御免だ」
勇人の顔を見て、それから視線を逸らすと、タギツヒメは背を向けながら続ける。
「我はやつらの親の仇でありお前たちが悩む問題の諸悪の根元だ」
「そりゃそうだが」
「……勇人くん、行かせてあげな」
「美奈都さん?」
「個人の意見は尊重してあげなきゃ」
「──ふん、我を個人として扱うか」
タギツヒメが呟いて、そのまま歩いて行く。最後に、勇人へと忠告を残して。
「ここは時間の流れが違う。我の計算では、千鳥の娘がここに来るまでに一ヶ月程だ」
「…………え゛っ」
「藤原美奈都の相手は、お前だけでやれ」
視界の果てに消えて行くタギツヒメを見ていた勇人は、肩を掴まれてぎこちなく振り返る。
その先に居たのは、いい笑顔で御刀を握って自分を見てくる、美奈都の姿だった。
「あ、あいつ──それっぽいこと言って逃げやがった……!?」
「よーっし、可奈美が来るまで立ち合い立ち合い! ほら御刀構えてっ!」
──楽しそうな美奈都の声と嫌そうな勇人の悲鳴は、ついぞ誰の耳にも届かなかった。
──可奈美が隠世の果てで美奈都と勇人の二人と再開したのは、タギツヒメがその場をあとにしてから暫く経ったあとだった。
「……ゆ、勇人さん……大丈夫?」
「この世界、疲れないし眠くもならないんだけどさ、そのせいで
「……えーっと」
「体内時計が正しいなら、俺は一ヶ月と一週間くらい、ず──っと美奈都さんの相手をしてたんだよ。頭がおかしくなるかと思った」
可奈美の両肩を押さえながらさめざめとそう答える勇人に、さしもの可奈美でも同情せざるを得なかった。いくら剣術馬鹿と言われていても、一ヶ月以上戦い続けるのは飽きるかもしれないと、頭の片隅でそう独りごちる。
「えー、私は楽しかったけどな。サイコーじゃない? ずっと立ち合いできるの」
「冗談はよしてくれ」
「…………あれ、勇人さん。タギツヒメは一緒じゃなかったの?」
「あいつは……どっか行った」
美奈都の相手が嫌で逃げた、とは言わなかった勇人に、可奈美は表情を歪める。
「えぇ……姫和ちゃんも居ないし、手がかりになると思ったんだけどなぁ~」
「あいつの事だ、鉢合わせたタギツヒメとまた戦ってる……とかはないか。それならわかる」
「ねえ、私たちが意外と早く可奈美と会えたんだし、案外その辺に居るんじゃない?」
「おか──師匠、流石にそれは……」
可奈美が美奈都の言葉を否定しようとしたその瞬間、彼女が持っている方の御刀──千鳥が、キィ──ン……と音を奏でる。
「──! 姫和ちゃんが近くにいる!」
「……マジ?」
「前にもこんな音が、すれ違った姫和ちゃんの御刀からも鳴ってた……だからきっと導いてくれる! 姫和ちゃーん!!」
可奈美が虚空に声を飛ばすと、こだまするようにして響き渡り──それから数分して、よく似た二人の人影が姿を現した。
「……お前の声はよく響く」
「──姫和、ちゃん?」
「ああ。久しぶりだな」
そのうちの一人、十条姫和。彼女が合流すると、可奈美は勢いよく飛び付いた。
「よかった……!」
「可奈美……」
「俺も抱きついた方がいい?」
「──いい、やめろ」
「あ、姫和ちゃん顔赤ーい」
「……黙れ」
可奈美に抱きつかれながら指摘されて、姫和は鞘に納めた御刀を肩に担ぐ勇人から目をそらす。それらを見ながら、美奈都はもう一人の人物──姫和の母、柊篝に向き直る。
「おひさ、篝」
「……はい、美奈都先輩」
「──ふふ、見なよ。私たちに……あんな可愛い娘が出来るんだって、嬉しいね」
しんみりとしながらも、その顔には穏やかな微笑が浮かぶ。感動の再開を見ていた美奈都たちだったが──その感覚は確かに、隠世が
「これは……なんだ、流れてる……?」
「ここは隠世に漂う小さな隙間。それが徐々に、隠世の果てに呑まれてるのでしょう」
勇人の疑問に、篝が返す。
タイムリミットが近づいている事実を前に、可奈美が美奈都に言った。
「お母さん、最後に会えてよかった」
「は? 何言ってんの、あんた達は帰るのよ」
「ぅえっ!? そ、そんなのどうやって」
「……隠世の果てに行ってしまった人は、もう戻れないのでは?」
「誰がそんなこと言ったの」
美奈都の疑問符を浮かべた顔に可奈美と姫和は困惑する。勇人の隣で考えるそぶりをしていた篝が、そんな二人の質問に対し言った。
「戻ったという前例はありません。ですがあなた達三人には肉体がある……私たちは無理でもあなた達なら。──そのためには」
──そのためには?
おうむ返しするように呟いた三人に、篝は真面目な顔で答える。その言葉を聞いて、勇人と姫和は眉を潜め、可奈美は苦笑を浮かべた。
「──やっぱこうじゃないとね~っ」
「──なんでこうなっちゃうんだろ」
向かい合って千鳥を構える二人が、同時にそう言った。『可奈美さんは美奈都先輩と立ち合ってください』、篝に言われるがままに立ち合うことになった二人を前に、ふと現れた階段のような段差を椅子代わりにして三人は見学していた。
「できるだけ未練を断ち切っておかないと、戻る妨げになるかもしれませんので」
「未練って……」
「とか言いながら、ほんとは可奈美も私と戦いたくてウズウズしてるんでしょ?」
「あはは……わかる?」
「母はなんでもお見通しよっ」
その言葉を最後に、二人は衝突する。その光景を見ながら、篝はおもむろに姫和に問う。
「私たちも、やった方がいい?」
「いえ、私は……」
「こういうところは、似てるのかもね」
「──あの、一つ聞きたいことがあります。あなたは……悔やんでますか?」
姫和の言葉に、逡巡して。
「……姫和、あなたは今、幸せ?」
「──はい。辛い時、重たい荷物を一緒に持ってくれる大切な人が、仲間達がいてくれるから」
ちら、と勇人を見て、それから篝に向き直って返す。篝は姫和を見て──
「そう。だったら何の悔いもないわ」
と言って、笑みを浮かべた。
篝はその後、可奈美と美奈都の立ち合いを眺めていた勇人に顔を向けて問いかける。
「えっと、藤森くん?」
「──え、ああ、はい」
「あなたは……藤森先生の孤児院の方、なんですよね?」
「……はい」
「その、一つだけ、頼みがあります」
「なんですか」
手持ち無沙汰で柄を弄っていた勇人の顔を見て、篝は一拍置いて言った。
「──姫和のこと、お願いできますか」
「母さん?」
「はい、お任せください」
「おい勇人?」
「ふふっ、姫和も幸せ者ね」
「……いや、まあ、その…………はい」
即答した勇人と、突然お願いをした篝を交互に見て、姫和は観念したように頬を染めながら呟く。くすくすと笑う篝は、視界の端で尻餅をついた美奈都を見て決着を悟った。
「──いったたた……負けた負けた」
「美奈都先輩はとんでもなく弱い時がある。そのムラが、美奈都先輩の剣なんです」
「ははは。だから大会でも勝てないんだよね~そんなわけで可奈美っ!」
「……は、はいっ」
篝に手を引かれて立ち上がった美奈都は、ぴしっとした声で可奈美を呼ぶと、一転して──にっと笑いながらあっさりと言い放つ。
「おめでとう可奈美、免許皆伝っ」
「──あ、ありがとうございました」
反射的に一礼をした可奈美。そんな彼女に、おもむろに勇人が背中をぽんと押した。
「──これが最後だぞ、甘えときな」
「────っ」
勇人の言葉を皮切りに、それまで我慢していたものが溢れたかのように涙ぐみ、可奈美は美奈都に抱きついて嗚咽を漏らす。
「……っ、お、かぁさん……お母さん──!」
「……可愛い可愛い私の可奈美。できれば、ほんとの体で抱きしめてあげたかったけど……剣は私の全て。ぜーんぶ託せた」
気恥ずかしさから自分のことを師匠と呼ばせ続けていた美奈都は、最後の最後で、可奈美を強く抱きしめ返す。本当の意味で母親の顔をした彼女を見て、続けて篝が姫和を前に腕を広げる。
「──姫和」
「……母さん、母さん!」
可奈美と同じように篝に抱きついた姫和。そんな彼女を優しく抱きしめる篝を見て、羨ましいものを見るように目尻を細める勇人は、ゴキッと首の関節を鳴らしながらぼやくように言った。
「いい光景だな。俺たちもやるか?」
「──馬鹿を言うな」
「──! タギツヒメ……!」
「えっ、タギツヒメ? なんで……?」
勇人が声をかけた方向から、ひょこりと体を出すタギツヒメ。それを見て、姫和と可奈美は驚いた様子で母から体を離した。
「結局戻ってきたのか。寂しかったんだろ?」
「……ふん」
「なあ、タギツヒメ」
勇人はそこで言葉を区切ると、視線を合わせたタギツヒメを見ながら続ける。
「──お前、俺のことを息子だと思ってるだろ」
「────」
「その気持ちは、よくわかるよ。俺にとってあんたは母親なんだから」
「……紫の体を使って保護し、育てた
──そうだな。そう言いながら、勇人は朧月夜を水平に持って、タギツヒメの前に出す。
「屁理屈で結構。だけどさ、やっぱり……このままこれでお別れして終わりってのは……なんか嫌なんだよな。ようやく分かり合えたんだ、俺はようやく……あんたとの繋がりを持てた」
「……藤森勇人」
「俺と帰ろう。ノロとして俺の御刀の中に入って、俺と一緒に、色んな所を見て回ろう」
苦い表情でそう言って、勇人はタギツヒメを見下ろす。見上げていた彼女は、憑き物が晴れたように表情を緩めて──
「……後悔するぞ」
「しない」
「お前の行動を褒めるものは居ない」
「わかってる」
「────馬鹿者が」
「そうだな」
そっと、鞘越しに鮮やかな蒼い光を放つ朧月夜に手を重ねて、タギツヒメは小さく笑う。
その顔には敵意も殺意も反乱を起こそうという気すら無く──ただただ、穏やかだった。
「……お前は本当に、馬鹿な息子だ」
「……ああ」
タギツヒメの最期の言葉をしっかりと聞き入れて──勇人は、ただのノロとなった彼女を朧月夜に取り込んだ。
この行動を咎める者は、この場には居なかった。その代わりと言わんばかりに、姫和と可奈美はそれぞれが勇人の片手を握る。
姫和は朧月夜を掴む勇人の左手を右手でそっと包むと、呟くように言った。
「お前の選択に文句は言わん。私は──タギツヒメを信じたお前を信じる」
「姫和……」
「さあ、帰るぞ二人とも。私たちの世界に」
「うん、そうだね……姫和ちゃん、勇人さん」
ぎゅ、と強く握る手に温もりを感じながら、三人は歩き始める。
「元気でねーっ!」
「お元気で」
「お母さんも体に気を付けてね!」
「……さようなら、母さん」
──いや、どう体に気を付けろってのよ。美奈都のそんなツッコミを背中越しに聞きながら、三人は歩を進める。今はただ、現世で帰りを待つ仲間達の顔を思い浮かべて。
──前例のない『隠世の果てからの帰還者』が三名現れた。刀使たちとその関係者を震撼させたニュースが流れたのは、年末の決戦から四ヶ月が経過した、桜が満開したとある日のことだった。
波瀾編、完結。
最終章、四季編に続く。