あの日から十年が経った今でも、私のやるべきことは変わらない。
アイドルになるためのレッスンを重ね、そうして自信を積み重ねた後に客の前へ立つ。あとは唄いきって、踊り明かして、一目で客を魅せていくのだ。
そうした実践は、確かに大切な事と断言できる。義務といってもいい。
――テレビを点ける。十年前からまるで変わらない歌番組が、映し出される。
けれど、時流を読むのもアイドルの仕事だ。どんなダンスが求められ、どんな歌が好かれ、どんな人間がウケるのか、それを研究して損をすることはない。
特に私は、十年分のブランクがある。たぶん、今のままでは時代遅れと評されてしまうだろう。それだけは避けねばならない。
『――Yellow Tulipさん、素晴らしいラブソングをありがとうございました。これからも、彼女たちには活躍してもらいたいですね』
だからこうして、私は欠かさず歌番組を見るようにしている。視覚的にチェックできるから、研究資料にはもってこいなのだ。
『それでは、次の人に移りましょう。……今をときめく女性達といえばアイアンフリル、では男性は?』
けれど、でも、今日はそれだけじゃなくて、
『それはもちろん、トップダンサーの藍川震さん! 今日は是非とも、お話を伺いたいと思います!』
テレビから、大きな拍手が湧く。女性たちの黄色い声が、絶え間なく聞こえてくる。名物司会者の隣には、「あの」藍川震が座席に腰掛けていた。
『こんにちは、藍川震です。ダンサーしてます』
藍川震(26)、テロップにはそう表示されている。
私と、同い年だったんだ。
『いやあ、こうして藍川さんとお話できて光栄です。今や日本のダンサーといえば、藍川さんですからね!』
『ありがとうございます。こうしてこの番組に出演できて、僕も光栄です』
あの人が、テレビの向こう側で照れくさそうに笑っている。謙虚ながらも、背筋は伸ばしきっていた。
胸の奥底まで、ぎゅっ締め付けられる感覚に陥る。もう心臓なんて動いていないはずなのに。
『最近は、毎日のようにあなたの名前を耳にしていますよ。テレビでも、街中でも、そしてラジオでも!』
『頑張ったかいがありました』
『おおー、謙虚ですねえ。……知っていますか? ここ最近は、あなたの影響でダンスを始めた子が増えていることを』
『はい。僕をきっかけにダンスを始めてくれるなんて、本当に嬉しいです』
彼はもう、どこまでもどこまでも遠い存在になってしまった。
もう十年も経つのだ。いろいろと吹っ切れて、こうしてジャイアントステップを踏んでもまったくおかしくはない。それが寂しくて、そして嬉しく思う。
『ほんとう、良いことですよね。……よければ未来のダンサー達に向けて、何かアドバイスを!』
『分かりました』
そして、彼が私と――カメラと向き合う。
『こんにちは、震です。皆さん、ダンスを始めてくれて本当にありがとう』
言葉通りに、穏やかに笑う。
『皆さんがダンスを始めたきっかけはなんですか? それはどんなことでも良いんです。格好良くなりたいから、ダンスが好きでたまらないから、僕を越えたいから、好きな子に振り向いてもらいたいから。それで良いんです、僕もそうでしたから』
好きな子に。
その言葉が、私の思考を痺れさせた。
『きっかけあっての夢です。それ原動力にしていけば、いつかは僕のように……いえ、僕をも超えられる日が来るかもしれません』
司会者が、『おおー』と声を上げた。
『……ですが、いつかは壁に当たる日がやって来るかもしれません。そういうものなんです、僕にも挫折していた時期がありました』
私の思い出が、音を立てずに膨らんでいく。彼と出会えた冬のことを、昨日のように思い出した。
『そういう時は、一度立ち止まってみてください。そのままダンスを続けても、逆に嫌になっていくだけです』
私は、心から頷いた。
『気分転換に遊んでも良いですし、甘いものを食べてリフレッシュするのもアリです。あとゲームも良いですね、近頃のダンスゲームはとても曲が豊富で、それでいて結果が必ず出てきますから、これが結構燃えるんですよ』
観客が、『へー』と口にする。司会者が『ゲームが好きなんですか?』と質問してきて、彼は迷わずに『はい』と返事した。
――今も、やってるんだ。
それがなんだか嬉しくて、口元が緩んでしまう。
『ダンスに行き詰まったりしたら、いつもゲームをしていますよ。……トップダンサーである僕ですら、こうして遊ぶんです。皆さんも無理をしないで、楽しみながら踊り明かしてくださいね』
『なるほど。いや、とても良いアドバイスでした』
『いえ』
『――あ、そうそう。さっきから気になっていたんですけどね』
『なんでしょうか?』
司会者の笑みが、とても色濃くなった気がした。
『動機の話で、好きな子に振り向いてもらうってあったじゃないですか。――もしかして?』
私の姿勢が、自然と前のめりになる。
その言及に対して、彼は決して否定しないまま、
『ええ。いました、とても好きな子が』
『おお~』
『その子がいなければ、こうして踊り続けることは出来ませんでした』
『それほどまで、大きい存在だったんですね。……どうです、振り向いてもらえましたか?』
彼は、少しだけうつむいた。
観客も、司会者も、他の出演者も沈黙して、数秒が経って――
『まだ、わかりませんね』
彼は、微笑んでいた。
『彼女とは、もう会えないと思います。ですが遠い遠いどこかで、僕のダンスを見てくれるのなら……それが、僕にとっての一番の幸せです』
観客から、静かな拍手が溢れてくる。司会者も、無言で頷いた。
『一途ですね』
『はい。これ以上の恋なんて、出来そうにありません』
――その言葉に、私はうつむくしかなかった。
『素敵なお話をしてくださり、ありがとうございました』
司会者が話を切り上げる。テレビ越しから、賑やかな拍手が湧いた。
『それでは、曲に移りましょう。今日は新曲を披露してくれるとのことですが?』
『はい。今回は、跳躍をテーマにしてみました。壁とか悩みとか、そういったものを飛び越えようという応援歌ですね』
『おお、いいですね』
『ありがとうございます。……それでは聞いてください、タイトルは『JUMP』です!』
そうして、彼は台に立つ。沢山のバックダンサーを引き連れて、やはり背筋を伸ばしきったままで。
スタジオが暗くなり、静かなイントロが流れ出す。多くの観客の目に晒される中、それでも彼は不動を貫いていて、
新曲に火が点いた瞬間、彼は踊っていた。
全身で曲を、己を表現していくさまは、間違いなくダンサーそのものだ。アイドル研究家として、理知的に「流石」と思う。
――けれど、でも、なんでこんなにも胸が締め付けられるんだろう。
新曲であるはずなのに、そのキレには既視感を覚える。手首をひねるクセも、靴底がつい飛び上がる傾向も、意味もなく服を払う遊びも、そのどれもが懐かしく思う。
なぜ、とは考えない。
だって私は、彼の近くにいたから。
だって私は、彼を打倒したかったから。
そして私は、彼のことが好きだったから。
なんでわたし、死んじゃったのかな。
なんで彼は、今も追い求めてくれるのかな。
よくないよ、そういうの。
彼のことが好きだからこそ、絶対にそう思う。
曲が終わる。司会者が『ありがとうございました! 素敵なダンスでしたねえ』と賞賛した。
――空気に一区切りがついて、私からため息が漏れる。
今日は早く寝ようかな。テレビのリモコンを手に取ろうと、ふと視線を感じ取って、
巽幸太郎の顔面が、どアップに映り込んだ。
「わ゛ひゃいッ!」
「おーどしたー? さっきから真剣な顔して。お陰で声もかけられなかったぞ」
ソファから転げ落ちそうになるも、手足と歯を食いしばって何とか持ちこたえる。
「な、何よ! 別にいいじゃない! アイドルを研究するのは、とても大事なことよ!」
沸騰した血の気に流されるがまま、私は幸太郎へ怒鳴りつける。
けれども幸太郎ときたら、やっぱりニヤケ面を引っ込めようとしない。
「そうだなー、それは大事なことだな」
「でしょう!?」
「いやでもな~、さっきのお前ときたら、すごいシリアスな顔してたんだぞ~」
「え、どういう」
「そのまんま、俺ですら手ぇ出せないようなマジ顔」
心当たりがない、なんて思えなかった。
「あれか?」
幸太郎は、あくまでもどこまでもおちゃらけながら、
「ファンか?」
別に。そう言えれば、この話はすぐに終わるはずだったのだ。
けれども私は、安易な答えを口にすることが出来なかった。自然とうつむいてしまって、それは、えっと、なんというか。
「――ま、なんでもええわい」
そして、この空気を断ち切ったのも幸太郎だった。
「入れ込むのも良いが、お前はゾンビィだ。そのことを、忘れないでくれよ」
「……わかってるわよ」
そうだ。
私は十年前に死んだ。だからこそ、誰かの未練になってはいけない。生きているみんなには、これからを歩んで欲しいと思う。
――あのひとの重荷になるなんて、わたしはいやだ。
「あと少しでサガロックだ。それまで、パーペキに仕上げておくんだぞ」
そうして、幸太郎がリビングから立ち去っていく。
私はテレビを消して、ソファの背もたれに身を預け、天井を眺めたままで沈黙に浸る。
彼の未練に、重荷になんてなりたくはない。
それでも、十年前から全く変わらない想いを聞くことが出来て、私は、
「――ありがとう」
後に、彼がサガロックへ出演することを私は知った。
もしもその時がやってきたら、私は、私は――
―――
あの日から、もう十年が経過していた。
ヒゲだって伸びるようになったし、背だってずいぶんと成長した。いつの間にか見なくなった常連もいたりして、環境は緩やかに変化していったものだ。
けれど、自分は昨日も今日も踊りっぱなしだった。これだけは、いつまでも変わらない。
ダンスコンテストを優勝するのに、数ヶ月が経った。ダンスゲームで新記録を叩き出すのに、何日もかかった。そしてプロのダンサーになるまで、数年はかかったと思う。
自分の才は凡くさいから、ここまで来るのにそうとう苦労した。折れそうになった回数なんて、もう数えきれない。
けれど自分は、そのたびに踏ん張れた。
それもこれも、ゲーセンがあったから。常連が、「CD買ったぞー」と茶化してくれるから。そして筐体の前へ立った時は、必ず「FANTASTIC LOVERS」をプレイしていたから。時おり食べるパフェが、心身を癒やしてくれたから。
――楽屋の片隅にある、自分のケースへ目を配る。
あそこには、あの人のゲームカードがある。それはお守りで、誓いそのものといってもいい。
自分にはあの人が居てくれたからこそ、ここまで辿り着けたのだ。
歌番組では、「これ以上の恋なんてできない」と言った。有名な女優から、「声」がかかったこともある。
けれども自分は、この恋をいつまでも抱え続けるつもりでいる。あの人以上の存在なんて考えられなかったし、あの人への情熱を裏切りたくなどない。
この恋だけは、死んでも手放すつもりはなかった。
――だからこそ、気になることがある。
今回のライブには、「フランシュシュ」というご当地アイドルグループが参加するらしい。活動したばかりらしいが、その詳細はほぼ不明だ。携帯で調べてみても、出来たてらしいアナクロな公式サイトしか表示されない。
詳細はともかく、注目すべきはメンバーだ。アイドルの名前に「1号」「2号」と名付けるセンスもまた凄いが、問題はその次、「3号」。
その3号は、3号は、あまりにもあの人に似ていた。
もちろん、何度も見返した。思い込んでいるのではないかと、気を静めたりもした。
けれども3号というメンバーは、やはりどうしてもあの人にしか見えなかったのだ。ちょっと癖の入ったショートヘアも、たくさんの花びらヘアピンも、その瞳も、あの人そのものとしか言いようがない。
本能が、「これはもしかして」と思った。
けれども理性が、待ったをかける。
公式サイトに掲載されている「はず」のあの人は、なぜ十年分も年をとっていない。どうして、当時のままの姿を保っているんだ。
自分の顎を触る。ざらついたヒゲの感触が、指先から伝わってくる。
こうなっているはずだよなあと、ため息をついた。
――やっぱり、生き写しか何かか。
そのとき、ドアからノックの音がした。
「どうぞ」
楽屋に、スタッフが入り込み、
「準備が終わりました。次、お願いします!」
「分かりました」
それだけを伝えて、スタッフは楽屋のドアを締めた。
――両頬を叩く。
さあ、踊ろう。俺の為に、皆の為に、あの人のために。
携帯の電源を切り、頭の片隅で「フランシュシュか」と思いはしながらも、その両足は止まらない。
楽屋のドアを開け、迷うこと無くメインステージへ向かう。そうして曇り空の下で台に立っては、沢山の客からありとあらゆるコールを浴びた。
そんな中でも、自分は落ち着けている。
自分はプロなんだなと、そう実感した。
フランシュシュの事はとても気になるが、それは後でいくらでも考えられる。
だから、今は、
「――みんな!」
観客の声が、そっと消えていく。
「今日は忙しい中、サガロックへ来てくれてどうもありがとう! そしてお疲れ様! 色々大変だろうけれど、俺と一緒に壁なんか飛び越えようぜ!」
JUMPのイントロが大音量で流れ、観客も負けないくらいに絶叫する。あまりの音量に身も心も震えるが、この瞬間が自分は好きだ。
バックダンサー達が、後ろから横一列に並んでいく。自分は顔をうつむかせたままで、けれども口元は確かに笑いながら、
「――!」
そして――
このサガロックで、自分は自信を持って唄いきり、そして間違いなく踊り明かせた。客からの止まらない声援が、笑顔が、拍手が、何よりの証明だ。
すべての人めがけ、「決めポーズ」であるサムズアップを示す。客も、同じように親指を掲げてみせた。
全てをやり通せた時、自分は何度でも何度でも思う。やっぱり、ダンスはめちゃくちゃ楽しい。
――そのとき、頭上から唸るような音が聞こえてきた。そっと見上げてみれば、雨が、降りかかろうとしている。
□
雨が降りしきる中で、いよいよフランシュシュがダンスを披露しようとしている。ただ歌を重視しているのか、ダンス中心なのかは、分からないのだけれども。
河童を着ながら、特設席にてフランシュシュの動向を見守る。リーダーであるらしい2号が、実に気合の入った自己紹介を終えて――
そして、曲が物静かに流れ出す。最初から軽快な「JUMP」とは打って変わって、フランシュシュの「アツクナレ」は階段式にテンションが上がっていく感じだ。このまま音ゲーへ移植しても、何ら違和感はないと思う。
メンバーの方だが、ダンスも歌も良い感じだと思う。4号の力強い歌声を耳にした時は、心がぞくりとした。
そんな中で、3号の動きは明らかに鈍っていた。
最初は、不慣れによる緊張かと思ったのだ。けれども他のメンバーは、しっかりと踊りきれているし歌えてもいる。震はただただ、首をかしげるばかりで、
その時、雷が鳴った。
3号が、頭を抱えていた。
その瞬間を、震は決して見逃さない。3号は明らかに、雷に対してひどく怯えていた。ライブ特有の、高揚感の中でさえも。
震の脳ミソが、制御不可能なまでに回り始める。あの人とよく似た3号と、雷とが組み合わさって、途端に8月5日の一面がフラッシュバックして、「あ」という声が出た。
――雷が怖いのか?
首を横に振るう。
それだけで判断するのは、いくらなんでも軽率が過ぎる。メインステージで己を表現している3号に失礼だ。
けれど、拳を作ってしまう。不安と期待感のせいで、歯をも食いしばってしまう。
そして数分が経って、「アツクナレ」が終盤へ差し掛かろうと、
意識が、真っ白に覆われた。
――自我を取り戻した瞬間、メインステージめがけ落雷が突き刺さっていた。
崩れ落ちるような轟音が耳をいつまでもつんざき、容赦の無い地響きが体を延々と振動させ、見たこともない強烈な光が視界をずっと奪い続ける。
乱れ飛ぶ悲鳴の中で、これが落雷なのかと思った。こいつのせいであの人は死んでしまったのかと、強く思考した。
永遠に続くかと思えた地獄は、やがて収まりをみせていく。誰もが姿勢を屈め、沈黙している中、震はそっと、メインステージへ目を向けて、
フランシュシュは、3号は、光輝いていた。文字通り。
嘘くさい、と思った。
けれど、3号は確かに光を発している。その二本の足で、メインステージの上を立っている。
メンバーの誰もが困惑しているのだろう。己が手を見つめている2号、観客へ目配りしている5号、自分の体をぺしぺししている6号、平然としている0号。3号と何か話をしている4号。
フランシュシュだけが、この場の時間を動かしていた。
それ以外は、ただただフランシュシュを見守ることしかできなかった。
――その時、曲がふたたび流れ出した。
極めて前向きな曲調が、最初からかっ飛んできた。それでも震は、近くにいる出演者は、客は、呆然とそれを見届けることしかできない。まだ、雷による衝撃が抜けきれていないのだ。
震はただただ、「おどってる」としか思っていなかった。口を半開きにさせたまま、フランシュシュを、3号のダンスを眺めていた。
生きてる、マジで生きてる。そんな思考を垂れ流していると、
フランシュシュが、指からビームを放った。
え。
マジで。
極めてゲームめいた光景を目の当たりにして、ほんの少しの時間だけを用いて、
「おおぉぉぉぉぉぉ――――――ッ!!!!」
震は十五歳児に戻っていた。観客達も、エンターテイメントを目の当たりにして歓声を上げていた。
信じられねえ、すげえ、3号のキレがよくなってる、あの動きは後ろで何度も見たことがある、またビーム撃ってくれな、
「撃ったぁぁぁぁ―――――――ッ!!!!」
トップダンサー藍川震二十六歳は、ただのゲーム好きの子供になっていた。光り輝く3号を見て、恋する少年へ還っていく。
フランシュシュは、3号は、どこまでも高らかに唄う。もはや何も恐れることなく、メインステージで精一杯にダンスを繰り広げていく。観客も出演者も、感情のままにフランシュシュへ声援を送っていた。
思う。3号のダンスを見て、心の底から思う。
あの人はまちがいなく、まちがいなく――
□
フランシュシュの楽屋の前に立って、数分が過ぎた。
フランシュシュ様と書かれた紙を、何回も確認した。
間違いなく、ここにいる3号がいるはずだ。それなのに、ノックの一つもできない。度胸なんて、ライブで散々鍛えられたはずなのに。
出たとこ勝負でここまで来てしまったが、どう話せば良いのだろう。ストレートに「あなたは水野愛さんですか?」と聞くべきか、遠まわしに証言を得るべきか。そもそも誰かに対して、故人に当てはめるだなんて失礼にも程がある。
去れ。培った礼儀が、そう指摘する。
けれど、恋が踏み止まらせる。
己が拳を見て、まとまらない考えを引きずったままで、両目をつむって、今度こそ覚悟を決めて、
扉が開いた。
3号と対面した。
あっさりすぎて、間抜けな「へ」が漏れた。3号も驚いているらしく、両目を丸くしながらで「え」が出た。
「――お?」
状況に気づいたのだろう。サングラスをかけた男が、楽屋の奥から近づいてくる。
「こんばんは。藍川さん、ですよね? はじめまして、僕はフランシュシュのプロデューサーをしています、巽幸太郎です」
「あ……どうもどうも。僕は藍川震、ダンサーをしています」
そして、巽幸太郎と真正面から対峙する。背がとても高くて、音もなく唾を飲み込んだ。
なんとか笑えた震は、幸太郎へ手を差し出す。幸太郎も、その手を握り返してくれた。
「あなたのご活躍は、いつも拝見させていただいています。いつ見ても、あなたのダンスは輝いていますね」
「いえ。フランシュシュのダンスも、歌も、とても素晴らしかったです」
そして、心の中で「ビーム最高でした」と付け加える。
「それで、私達に何か用件が?」
「え」
やばい。
なんと答えれば良いのか、まるで思いつかない。率直に言えば「3号さんと二人きりでお話をさせてください」なのだが、アイドル視線から考えたら一発でアウトだ。イメージダウンに繋がる可能性もある。
ちらりと、3号のことを見つめる。
3号の真顔が、震の視界に入る。
いまの3号は、自分に対してどう思っているのだろう。楽屋の前に突っ立っていたせいで、不審がられているのかも。
やっぱり、人の素性なんて暴くべきではないのかもしれない。
――でも。
「あの」
「はい?」
背筋を正す。
「実は、3号さんに聞きたいことがありまして」
ここに立っていられるのも、すべてはあの人と誓いあえたからだ。
ここまで来れたのに、大人らしく引き返すだなんて。そんなの、今の自分には出来そうにもなかった。
「――なるほど」
サングラスで、その表情は伺い知れない。
幸太郎は、3号へ目配りする。何を思ったのだろう、3号はこくりと頷いた。
ふたたび、幸太郎と向き合う。
「分かりました。……実は、3号はあなたのダンスが好きでして。これを機に意見交換ができるのであれば、プロデューサーとしても得るものが多いと考えています」
好き。
それを聞いた瞬間、心臓が高鳴りを上げた。
「それはそれは……ダンサーとして、とても嬉しいです。僕の方こそ、フランシュシュのダンスには見惚れてしまいました」
「おお、ありがとうございます。……今後もぜひ、あなたのご活躍を応援させていただきます」
「こちらこそ、フランシュシュのダンスをもっと見せてください」
ふたたび、幸太郎と握手をする。
「――色々話すこともあるでしょう。自分は、楽屋に戻ります」
「お手数かけます」
「いえ」
幸太郎が楽屋にまで下がっていき、扉を閉めようとして、
「3号」
「なに?」
「――待ってるからな」
その言葉に、3号は小さく頷いた。
そして、楽屋の扉が閉じられる。またたく間にしん、となる。
数センチも離れていない距離で、自分と3号がじっと向かい合う。ろくな言葉が思いつかないが、視線はもう逸らさない。お膳誰をしてくれた、幸太郎の為にも。
3号もまた、自分のことをずっと見据えている。嘘を見抜くような真顔を前に、やはり既視感を覚えざるを得ない。
――用事があると言い出したのは、自分なのだ。だから、先に口を開くべきは自分以外に他ならない。
「あの」
「あの」
被った。
3号の口が、気まずそうに緩む。自分も、似たような面をしてしまっているだろう。
――気を取り直して、
「えっと。3号さん、さっきのダンスはとても素晴らしかったです。まだ若いのに、これほどの才能があるなんて」
「い、いえ、そんな。藍川さんのダンスには、まだまだ及びません。あれだけ動いて、あれだけ唄えるなんて、とても凄いです」
「そう言っていただけて、踊ったかいがあります」
そして、3号の口元が穏やかに曲がって、
「藍川さん」
「はい」
「ダンス、好きですか?」
「はい」
即答。
「3号さんは、好きですか? ダンス」
「はい。むしろ、アイドル以外の自分なんて、考えられません」
「なるほど」
そして震は、ポケットに手を触れた。
「トップアイドルを、目指していますか?」
「はい」
3号は、すぐに答えてくれた。
「そしていつかは、あなたのようなトップダンサーになりたいと思っています」
彼女は、そう告げてくれた。
「……そうですか。これは強力なライバルが現れましたね」
「そうですか?」
3号が、くすりと笑う。
――相手は「3号」であるはずなのに、胸の内が熱くなっていく。
「ああ、ですが、ちゃんと気分転換はしてくださいね。踊ってばかりというのも、疲れますから」
「大丈夫です。あなたのインタビューは、しっかりと聞かせていただきましたから」
「あ、テレビ見てくれたんですね。これは嬉しいなあ」
「いえ。とても有意義なアドバイスでした」
そして震が、3号が、互いに気楽そうに笑う。
いつ本題を切り出そうかで迷ってはいるものの、ついつい語り合いを楽しんでしまう。相手が3号であるから、尚更だ。
――失礼な考えだ。ほんとう、そう思う。
「――あ、そうだ」
「はい?」
ふたたび気を取り直す為に、握りこぶしを軽く作る。何事もなかったかのように、にこりと笑ってみせた。
――3号は、両目をそっとつむって、そして、
「あなたには……好きな人がいると聞きましたが、ほんとうですか?」
3号も笑っていた。どこか、寂しそうに。
それを見て、心が遠くなりそうになる。
「あ、ああ、インタビューの?」
「はい」
震は、大きく息を吸う。
これまで生きてきて、震は些細な嘘も、怒られるようなごまかしも口にしてきた。
「ああ、いる。いるよ、大好きな人が」
けれど、このことだけは決して偽らない。あの人のことを、過去にしたくはなかったから。
そして3号は、「そうですか」とだけ呟き、ほんの少しうつむく。どこか見覚えのある花のヘアピンが、少ない気がした。
「――その人は、」
音もなく、そっと、3号が首を上げる。
「その人は、いま、どこにいますか?」
目と目が合う。
3号は、やはり脆い笑みを浮かばせている。対して自分は――やっぱり、同じような顔をしているのだと思う。
「遠い場所、かな。本当に、遠い遠い場所」
「……二度と、会えそうにはない?」
「そうだね」
「それでも、想い続けるんですか?」
「ああ。これ以上の恋なんて出来ないし、彼女への想いを裏切りたくはないから」
あの人への想いを、全て伝えられたと思う。
自己満足だし、やはり失礼極まりないが、3号にこのことを告げて本当に良かった。
震は、心の底から穏やかに笑い、
「――もう、十分だと思いますよ」
3号は、首を横にふっていた。
とても、優しい笑みを浮かばせながら。
「一途な恋、それは素晴らしいものだと思います。ですけど、それに引きずられるのは、とても悲しいことじゃないですか」
たぶん、きっと、根拠もないけれど、本心から口にしているのだと思う。
「藍川さんはまだ若いんですから、新しい恋を見つけて、それで幸せになっても良いと思いますよ」
「……そんな、そんなこと、ないよ」
強がりを滲み出しながら、あくまで笑って答える。
「……あなたは、」
3号は、こくりと頷いて、
「あなたは、恋のためならいくらでも頑張れるダンサーじゃないですか。それなら、今を生きる誰かと恋をしたほうが、ダンサーとしてもっと輝けると思います」
赤の他人が言うのなら、きっと適当に受け流していただろう。
けれど3号の前では、否定の言葉すらも出てこなかった。会ったばかりであるはずなのに。
「藍川さん」
「う、うん」
「私は、藍川さんのファンなんです。だからこそ、あなたには幸せになってもらいたいんです」
その宣言を聞いて、3号がどこか遠いように思える。
「……それに、ですね」
「うん」
そして、震は絶句した。
「あなたは、全てのダンサーにとってのラスボスなんです。ですから、未練を背負ったままでは張り合いが出てこないじゃないですか」
3号が、見覚えのある勝ち気な笑みを浮かばせていたから。
――確信した。
もう躊躇いなんてない、どうにでもなれとすら思う。今頃の自分ときたら、世にも情けない顔をしているのだろう。
そっと、ポケットに手を入れる。そして、中身を取り出して、
「3号、さん」
「はい?」
3号に――あの人に対して、ようやく、
「これ、返すよ」
お守りを、誓いを、形見を、王への挑戦状を返すことができる。
それがひどく嬉しくてたまらない、最後の夢が叶えられたと思う。これからも彼女とはゲームで競い合って、アイドルとして切磋琢磨しあって、いつかは一緒に――
「それは、私のものではありません」
ただの無表情で、「それ」を拒まれた。
震は、かすれた声で「え」としか言えない。
「一つ、聞きたいことがあります」
「……なんだい?」
「そのカードの、持ち主の名前は?」
震は、あの人の名前を呟く。縋るように。
けれども彼女は、表情を一つも変えず、
「なら、私は違います」
見覚えのある鋭い目を、きっぱりとした声を発しながら、彼女は、
「私は、フランシュシュの3号です。AIには、決してなれません」
何をも譲らぬ証明を、真っすぐから突きつけられた。
――今度こそ、受け入れざるを得ない。
あの人は、間違いなく十年前に死んでしまったのだ。ダンスゲーマーの命であるゲームカードを拒まれたからこそ、本当にそう思う。
そうか、そうなんだ。
終わって、しまったんだ。
「……わかった」
首を小刻みに揺らし、感情をなんとか整えようとする。
そうして、みっともなく笑いかけながら、
「ごめんね、変な話をしちゃって。じゃあ、そろそろ……ね?」
心の中で、あの人に――3号に対してお礼を言う。背中を押してくれて、本当にありがとう。
そうして、逃げるように背を向かせ、
「――あの」
振り向く。
いつの間にか、至近距離には3号がいて、
「一つ、聞いても良いですか」
「……何だい」
「その、あなたの初恋の人は、おいくつぐらいですか?」
君と同じだよ。そう言いそうになって、
「――十六歳ぐらい、かな。その時に、ちょっとね」
「なるほど」
事情を聞くこともなく、3号は小さく頷く。
「では、私と同じくらいですね」
「……そう、なるのかな」
なんとなく、そんな気はしていた。そうとしか、考えられなかった。
3号とは、未だ近くで視線が交差しあっている。どちらとも目を逸らさず、離れようとはしない。
「――もし、私が『その人』だったら」
――!
「『私』は間違いなく、世界一の幸せ者だと思うでしょう。私のために、あなたはここまで頑張ってくれたのですから」
「……そう、なのかい?」
「はい。同年代だからこそ、その人の気持ちが手に取るように分かります」
さっきから、疑問に思ってはいたのだ。3号は本当に、「3号」でしかないのかと。
けれども3号は、あくまでもAIであることを否定し続けている。これは額面通りに受け止めるべきなのか、或いは「AIと名乗ってはいけない」からなのか、自分にはよく分からない。
動きのキレも、声も、顔も、何もかもがAIと似ているのに。それなのに、AIとして触れ合ってはいけない気がするのだ。
「だからこそ、断言できます」
その理由は、きっと、
「『私』は満たされました。だからこそ、どうか新しい恋を掴んで欲しい」
AIが、死んでしまったから。
――それだけで、だからこそ、この距離感に納得するしかなかった。
「……本当に、それでいいのかい?」
「はい」
それ以上、意見を求めることはしなかった。他でもない3号が、そう証明してくれたから。
「――ここからは、私個人の意見を言います」
「え?」
背筋が、ぞくりと震えたと思う。
3号が、もっともっと近くに寄ってきたから。
「あなたは『彼女』のために、Sランクの結果を残してくれました」
――あ、
「もう十分です。フルコンボを勝ち取った以上は、あなたは先へ進まなくてはならない」
――あ、
「トップダンサーとしてみんなを幸せにする前に、あなた自身が幸せにならなくてどうするんですか」
――、
「時間をかけてもいいですから、どうか次の愛を見つけてください。今度こそ、人生を完成させてください」
3号は、真剣しか感じられない真顔で、
「迷いのあるラスボスを打倒しても、何の意味もないじゃないですか」
そう、言われてしまっては。
トップダンサーだからこそ、無言で、「うん」とうつむくことしか出来なかった。
――それで納得してくれたのか、3号はにこりと笑って、
「私達アイドルは、あなたに何度も何度も挑戦し続けます」
不意に、3号の顔が視界一面に映り込む。
何が起こった、最初はそう思った。
「……だから」
3号は段々近づいてきて、呼吸すら聞こえてきて――3号の顔が、自分の顔とすれ違い、
「首を洗って、これからは前に進んでいってね」
柔らかい冷たさが、首筋にそっと触れられた。
3号が、足音を立てて離れていく。震はただただ、首筋に手を当てることしかできない。
そして、3号が楽屋の扉を後ろ手に開けて、
「――じゃあね、震」
そうして、3号は扉の向こう側へと姿を消した。
――はあ、
フランシュシュの楽屋の前で、震は、ゆっくり、ゆっくりと、深呼吸する。
そうか。
初恋は、これで終わったんだ。
あの人が、初恋を幻想にしてくれたんだ。
だからこそ、心の底から今を受け入れられる。新しい恋をしてみようかなと、なんとなく思える。
――いや、幸せになるべきなんだろう。フルパワーじゃないラスボスなんて、倒しがいがないんだから。
見上げる。何もない天井だけが、目に入る。
わかった、わかったよ、3号。俺はトップダンサーとして、これからの人生を踊り明かすよ。
そしていつかは、愛しい人を見つけて、ラスボスとしてもっと輝いてみせるから。
約束する、心から誓う。
だから、最後にやるべきことをやろう。
□
外に出てみれば、空は嘘みたいな夕暮れ色に染まっていた。
雷のせいなのか、或いはビームで引き裂かれたのか、雨雲なんて一つも見えない。先ほどのライブが、まるで昔のことのように思える。
――ちょうどいい。
音の無い空を眺めながら、ポケットからあの人のゲームカードを取り出す。それを掲げ、しばらくはそのままでいて、いつしかカードを裏にひっくり返す。名前欄には、サイン文字で「AI」と描かれていた。
それを眺めて、数分が過ぎた頃。震はスタッフから借りたライターを取り出し、そっとゲームカードへ近づけていって、そこでひと息つく。
いろいろ、あったな。
そして、ゲームカードへ火を点ける。カードは間もなく全体にまで燃え移り、熱で形がひしゃげていって、やがては真っ黒に染まる。そうして風が吹くとともに、カードはかけらとなって、遠い空へと消えていった。
――首筋を、拭う。
これで、あの人の未練はなくなった。
だからこれからは、お互いに新しい人生を歩もうじゃないか。
それがいい、それが。
それでいいんだ。
――でも、
俺は、AIとの出会いを決して忘れない。
俺は、AIと相まみえた日々を胸に刻む。
俺は、AIとの逢い引きを記憶に留める。
俺は、AIとの和気あいあいを心に残す。
――俺は、あの日の事をすべて受け止める。
だから俺は、AIへの哀悼をここで終わらせる。
けれど今だけは、今だけは、十年分くらい泣かせてほしい。
心の中で、君への愛を、大好きを叫ばせてほしかった。
―――
夜更けだからか、サガのゲーセンには人気が少なかった。賑やかであるはずの音ゲーコーナーも、今となってはずいぶんと寂しい。
そんな中で、ダンスゲームに興じている一人のゲーマ―がいた。そのゲーマーは軽やかに両足を飛ばし、艶めかしく手首を捻り、楽しげに口元を曲げている。明らかに、踊り慣れていた。
誰も見ていない中で、ゲーマーはすべての譜面を掴み取っていく。いわゆる「ボス曲」をプレイしているというのに、ゲーマーは軽快にプレイし続けていくのだ。
そして、曲が終わる。
筐体が「FULL COMBO!」と叫ぶと同時に、ゲーマーは天めがけ人差し指を突き立てていた。
PLAYER NAME:GUEST PLAYER
PLAY MUSIC:JUMP
SCORE:100000 BEST SCORE
COMBO:FULL COMBO
RANK:S
両肩で呼吸しながら、名もなきゲーマーはどこまでも笑っていた。それはまるで、花が咲き誇っているかのような。
そして、ゲーマーはパーカーのフードをかぶる。物々しいサングラスを身に着けた後で、そのままゲーセンの自動ドアをくぐり抜け、姿を消した。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これで、あいはとまらないは完結です。
本当は短くまとめるつもりだったのですが、思った以上に長くなってしまいました。三題噺ということで、早く完結させたかったのですが……本当に申し訳ありません。
テーマをくださった銀羽織様、ヒノキの棒様、鈍一郎様、本当にありがとうございました。
これからも良いSSを書けるように、努力致します。
以下、おまけ解説です。
・サブタイトルは全て、「あい」がついています。
・キャラクターも、「あい」に関連したものです。
「藍」川震
Lotus=離れゆく愛
Anemone=はかない恋
Cosmos=恋の終わり
藍川「震」は、八卦から取りました。
始動する、前進する、という意味があります。
……これは意識していなかったのですが、雷の意味合いもあるそうですね。
・愛が攻略していった曲は、原作の流れに沿っています。
サニースマイル(晴れ)→曇り空の下で(曇り)→Rain(雨)→THUNDER(雷)