エンディング
『SIN』
名前を呼ばれて、思わずあたりを見渡してしまう。
慌てたままで左右を見渡せば、ここは自分のアパートで、真正面にはAIが居る。
『なに暗い顔してたの?』
『あ、ああ……いや、なんでもないよ』
震は、心の底から笑ってみせる。
だって今日は、待ちに待ったオフの日だったから。
『箸、進んでない。……おいしく、見えなかったかな』
『そんなことない! すげえ美味そうだよ、というかAIの料理はいつだって最高最高、パーフェクト』
『ほんとぉ?』
『ほんとほんと。じゃ、いただきます』
『ふふ、めしあがれ』
休日の朝日に照らされながら、震とAIはガラステーブルを挟んで互いを向き合い、そしていつものように朝食をとり始める。
今日は白米にサラダ、そして味噌汁にサンマだ。どれも色鮮やかで、大したことのなかった食欲が急に湧いて出てくる。
当初は失敗も多かったAIも、今となってはすっかり料理上手になった。これは負けていられないなと、夕飯担当として心の中で思う。
『……で、今日は久々のお休みなわけだけれど』
『ええ。どうしよっか?』
AIが、実に実に楽しそうに口元を緩める。
それにつられて、自分も似たような顔をしてしまった。
かたやトップダンサーでかたやトップアイドル、ほんの一日だけのオフをつかみ取るのも大変だ。
『どこがいいかな……散歩もいいし、映画館もいい。あ、パフェは食べたいかな』
『俺もどこにしようかな……AIとならどこへでも行けるけど、やっぱり、』
示し合わせたかのように、震とAIは歯を見せてにっこり笑い、
『ゲーセンは外せないわね』
『だよなー』
サンマの一切れを口にする。脂身と醤油が、口の中でじわりと染み込んでいく。
『前は負けちゃったけど、今日こそは勝ってやるんだから』
『そうはいかない。今のところの勝敗は五分五分だから、ここでAIに負けると立場がない』
『わかってるわよ、だから勝つの』
『うひー、苛烈』
今をときめくアイドルだろうとも、数年経って背が伸びようとも、AIの負けず嫌いはやっぱりちっとも変わらない。
けれども震は、そんなAIのことが愛おしくてたまらない。自分のことばかり考えてくれるAIを、これからも愛し通そうと思う。
『……AI』
『なに?』
『幸せだよ』
だから、感情のままに言葉を紡ぐ。
『私もよ、震』
そして愛も、まばゆいばかりの笑顔を返してくれた。
――これは当たり前のやりとりで、決して飽きることのない交わりで、
□
「――夢か」
また、同じような夢を見た。
肩を落としながら、目覚まし時計を手にとってみる。
時刻は朝の七時。大きな雨音が、カーテンを伝わってしんと響いてくる。忙しない芸能界に馴染みきったお陰か、寝覚めだけはすこぶる良い。
が、今日はオフだ。
二度寝しちまおうかな、と思う。
そうすればきっと、AIとまた――
ベッドから起き上がり、寝巻から私服に着替える。
自分は、AIと決別したのだ。「本人」の前で、そう誓ってみせたのだ。
ここで停滞することは、他でもないAIを裏切ることになる。だから震は、これからは前向きに生きるように考えている。
考えては、いる。
□
子供の頃と比べて、藍川震のライフスタイルはずいぶんと変わった。
まずは、何といっても芸能活動。おかげで自由時間なんて皆無に等しいし、出歩くにしても変装用サングラスが必要になった。トップダンサーとは、自由に振る舞うことすら大変なのだ。
雨が降りしきる街中で、震は傘を片手に両肩を落とす。
久々の自由時間にありつけたというのに、ひどいひどい天気だ。
道行く人とすれ違っていって、スクランブル交差点を渡っていき、蒸し暑さにあてられて「あついな」と呟く。そろそろ8月か、
あ――
今日は8月4日。水野愛の命日。雨。
トイレで吐いた記憶が、フラッシュバックする。忘れようとしたのに、やっぱり鮮明に意識してしまった。
『さて、いま注目を浴びているご当地アイドルグループといえば?』
ご当地アイドルグループ。
その言葉を耳にした瞬間、視線が街頭モニターに飛び移る。
画面にはCGで作られた日本地図が表示されていて、それきり画面がなかなか進行しない。もったいぶっているのだろう。
『それは、サガ生まれのフランシュシュです! 名曲と魅力以外はほとんど謎、メンバーの本名すらも謎! そんなミステリアスでロックでポップなアイドルグループの皆さんが、取材に応じてくれました!』
興味を抱いたのか、数人の老若男女が街頭モニターへ首を傾ける。
画面は日本地図から、サガのある土地めがけ拡大表示された。
白いスクリーンを背に、赤いアイドル衣装を身にまとった2号が街頭モニターに映し出される。
『こんちはー! リーダーの2号です! いやあ、こういうインタビューは初めてなものでして……でも、がんばって応えます! 押忍ッ!』
リーダーの2号が、トレードマークの笑顔をこれでもかと振りまく。数人の女子高生が、携帯で写真を撮り始める。
『いやー、まさかこんなに人気になっちゃうなんて……びっくりしてます! でも、それだけ私たちの想いが届いてるってことで、こう、すごく感謝してます!』
一年前のサガロックから、フランシュシュの名前はじわじわと売れに売れてきた。
とにかく名曲ばかり歌ってきたし、メンバー全員がとにもかくにもかわいい。アイドルグループとしての素質はまさに完璧だが――やはり「冬の蘇り事件」こそ、知名度向上へ大いに繋がっていったと思う。
ちょうど、『冬の蘇り事件はすごかったですよね』というテロップが表示される。2号は、たははははと苦笑して、
『あれはー……死ぬかと思いました! でも、ああいうのを乗り越えられた時、すごい達成感があったんです。これで私たちは一人前になれたんだなーって、そう自覚しています』
記憶が、一から十まで掘り起こされる。
サガにある会館でフランシュシュのライブが行われた時、雪の重さが原因で会場が半壊してしまったことがあった。
重そうな破片が舞台へ突き刺さっていって、震は迷わずメンバーの死を予感してしまった。あの日の落雷も、頭の中で駆け巡りながら。
しかしフランシュシュは、文字どおり、ふたたびよみがえってみせた。
神の悪戯すらも退けたフランシュシュは、3号は、破壊された世界の中ですべてを表現しきってみせたのだ。
いまでも、いまでも思い出せる。
震は、めちゃくちゃに笑った。ただの一ファンとして、歓喜した。3号推しとして、フランシュシュに負けないよう、この世界で踊り明かすと改めて誓った。
――そうして、2号の紹介が終わる。続けて0号がポーズを決め、1号が一生懸命に新曲の宣伝を行い、
『こんにちは、3号です』
体が、びくりと緊張したと思う。
『こうした媒体に出演することができて、私自身、とても緊張しています。何分はじめてなもので、つたない宣伝になってしまうかもしれませんが……』
そうとは思えないくらい、3号のトークはとても流暢で聞きやすい。視線だって泳いでいない。
――周囲から、「あの人、水野に似てるよね」というざわめきが湧いてきた。自分は、うなずきもしないし否定もしない。
『新曲ですが、今回はジャズに挑戦してみました。コンセプトは、何度も聞きたくなる、小気味いい、この二つです』
3号が、手に持ったCDジャケットに人差し指を置く。
『歌詞の解釈などは、すべて聴き手の皆さまにお任せします。踊れる、しんみりする、考えさせられる、感じたものすべてが、正解です』
踊れる――
『時間がある時、盛り上がりたい時、そして落ち込んでしまった時は、この曲を聴いてみてください。あなたの生きる意志を励ますことができれば、私は、とても嬉しいです』
そして3号は、慣れたように一礼する。画面が切り替わるまで、手を振って笑顔を見せてくれた。
周囲から、携帯のシャッター音が殺到する。
サングラス越しに見える3号は、やはりどうしても、
頭を振る。
3号の言う通り、自分こそ、生きる意志を持つべきなのだろう。
フランシュシュの番宣が終わる。そうして震は、ふたたび街中を歩み始める。
向かう先は、もちろん――
□
ゲーセンへ寄ってみると、ダンスゲームコーナーに人の目を集めているアイドルがいた。
その動きは実に軽やかで、ゲーム相手に全力を出し切っているのがよくわかる。後ろ姿で顔は見えないものの、さぞ楽しそうな表情をしているはずだ。
「お、SINじゃん。おひさー」
「よっ」
サングラスを外すと、Lotusがいつも通りの調子で出迎えてくれた。
「新曲、買っといたぜ。いい曲じゃん、難易度高そうだし」
「だろ?」
震とLotusが、肩を揺らしてひっひっひと笑いあう。
トップダンサーになって、震のライフスタイルはずいぶんと変わった。けれどもゲーセン通いだけは、今後も変えるつもりはない。
――周囲を見渡す。
兄ちゃんから姉ちゃん、そしておっさんが、ダンスゲームに興じているアイドルを注目している。現在のプレイ曲は「Over The Rainbow」、未だPERFECTを成した者がいないラスボス曲だ。
そんな曲を相手に、紅いロングヘアが特徴的な女性プレイヤーがハイスコアを叩き出し続けている。周囲からは、プレイヤーを称賛する声が後を絶たない。
もう一度、周囲を見渡す。
女性プレイヤーのAnemoneは、寡黙なCosmosは、やっぱり今回も不在だった。
そして、現在プレイ中のプレイヤーと目が合う。
それが原因かどうかはわからないが、画面から無情のmiss表示が。それでもプレイヤーは動揺することなく、ひたすらに曲を踊っていく。
――それから少しして、曲が終わった。
結果は文句なしのSランク。すごいものだと、震は、Lotusは、ギャラリーは、盛大な拍手をプレイヤーへ贈る。
そしてSランクプレイヤーは、惜しみない称賛に囲まれながら、震のほうを見た。
「……え? 俺?」
自分の間抜け面に、プレイヤーが小さくうなずく。その無表情からは、やる気らしいものがまるで感じ取れない。
「あなたがSINさん、ですね?」
「え、ま、まあ」
靴音を立てながら、プレイヤーが一歩近づいてくる。
有無を言わさぬ展開を前に、震はどうすることもできない。そしてプレイヤーは、そんな震の事情などお構いなしに、
「私のこと、知っていますか?」
プレイヤーから差し出されたゲームカードを見た瞬間、声も、感覚も、すべて失いかけたと思う。
――拳をつくる。深呼吸する。現実を視る。
「いえ……Iさんのこと、いま知りました」
「……そーですか」
Iが、気に入らなさそうに両肩をすくませる。紅いロングヘアが、ふわりと揺れた。
身長は170ぐらい、年は自分と同じくらいか。赤を強調としたラフな私服、勝ち気な釣り目、雫のようなピアス――
あの人とは、これっぽっちも似ていない。
「SIN、SIN」
「何」
Lotusから耳打ちされる。
「あいつはI、音ゲー界隈でいま話題になっている有名ランカーだよ」
「そ、そうなの」
仕事ばかりの日々を送っていたせいか、音ゲー周囲の情報にはずいぶんと疎くなってしまった。これが高校の頃なら、ランカーなんて当たり前のように認知していたのだけれども。
「悪い」
「いいですよ、べつに」
顔をむすっとされても。
「それよりも。プレイしてくださいよ、OTRを」
「え」
「ですから、Over The Rainbowをプレイしてくださいって言ってるんですよ。スコア勝負がしたいんです、私は」
「そ、そうなの……?」
プレイしていいのかな。
困惑を隠さず、震はゲーマー一同を見渡す。若い女性は無言でうなずき、兄ちゃんは手でうながし、おっさんは両腕を組んで「やってみなさい」。
Lotusの方を見てみたが、Lotusは無責任に笑いながら「乗ってやりな」と一言。これで大義名分は得た、逃げ場も失った。
いちおう現役ゲーマーではあるが、仕事柄、あまりプレイはできない。
体はちゃんと動いてくれるかなあ。そんなふうに思いながら傘をLotusへ預け、筐体へ1コインを投入し、ゲーマーカードを認識させ、OTRをセレクトする。
背後から、突き刺さるような視線がいやでも伝わってくる。
間違いなく、Iのものだ。
――曲がはじまる。
明るいギターサウンドとともに、雨あられの譜面が落ちてきて、
体が、勝手に動いていた。
□
ランクはS。スコアは、ミスは出たが僅差で震の勝ち。
しかして、誰ひとりとして歓喜の声を上げたりはしない。みんなビビってしまっているからだ、うつむいているIに。
「……あ、あの」
めちゃくちゃ悔しがっているのだろう。Iの握りこぶしが、見てわかるぐらい震えている。
どうしていいか分からず、震は一歩踏み出し、
睨まれた。
数センチ飛んだ。
「やっぱり……あんたは……キング……」
「は、はあ」
懐かしい名前で呼ばれた、気がした。
「さすがじゃん」
「ど、どうも」
「……決めた。あんた、今後も私と戦いなさい」
「――は?」
目にもとまらぬ速度で、何かを突き付けられた。
I、の携帯だった。
「電話番号、メールアドレス! 交換しなさい!」
「ほっ!?」
変な声が出た。
だって自分は芸能人で、トップダンサーなんだぞ。そんな奴から、こうもストレートに連絡先を交換しあうなんて――
「伝え合える方が、こうして合流しやすくなるでしょう。さあ早く、勝ち逃げなんて絶対に許さないんだから」
Iの目は、世間を賑わせている震ではなく、SINのことしか見ていない。
ゲーマーとしての競争心のみを、ひたすらなまでに燃やしている。
――口元が、躍った。
「わかった」
キングは、いついかなる時も挑戦者を受け入れるものだ。
震は、Iのプロフィール画面を注視し、
「……なに? どしたの?」
「あ、いや、なんでもないよ」
「そう。じゃあ早く」
「OK」
そうして、登録を完了させる。震の方もプロフィール画面を表示させて、Iは「うんうんほうほう」とアドレスを登録し終え、
「――どうも」
「仕事に余裕があったら、いつでも対決するから」
「わかった」
それで満足してくれたのか、Iはその場で腕をぐるんぐるん回し、
「んー、お腹空いた。ちょっと食べてくる」
「あ、はい」
その時、救急車のサイレンが外から響いてきた。都会にとっては、特に何の珍しくもない場面。
この場にいるゲーマーも、これといった反応を示さない。震は、過去のこともあってかほんの少し眉をひそめ、
Iは、憂鬱げな顔をして、外の方を見つめていた。
「――Iさん?」
「あ、ああ、ごめん」
そして、Iと向き合う。
「いい? 私はあんたに勝ちたいんだから、それまで長生きしなさい。特に火元には気を付けること」
真顔だった。
うなずく、しかなかった。
「そういうことだから。じゃ、ごはん食べてくる」
そう言って、Iは手を振ってこの場から立ち去っていく。
――はあ。
ゲーセンはいまも賑やかなはずなのに、ずいぶんと静まっている気がする。筐体から流れるデモプレイが、よけいに静粛さを引き立たせていた。
「……SIN」
Lotusから、しんみりと声をかけられる。
「長い付き合いになりそうだな、あいつと」
「ど、どういう」
Lotusは、得意げに笑って、
「あいつはな、消防士なんだ。それもSランク級の」
聞き慣れない単語を耳にしたせいか、ぼやけていた意識が急に象られていく。
「そ、そうなの?」
「ああ。どんな炎が相手だろうと、救命活動は絶対に成功させるし、キッチリ生きて帰ってくる」
雰囲気に一区切りがついたのか、兄ちゃんが筐体の前に立つ。1コインの転がる音が、軽やかに反響した。
「そんなあいつに、自然とついたあだ名は」
「ああ」
Lotusは、いつものお気楽な調子を崩さないまま、告げた。
「不死身のI」
「――そっか」
Lotusから、預けてもらっていた傘を受け取る。
これから先は、もっと人生が騒がしくなるだろう。
不死身のIとは何年も、何十年も付き合っていく気がする。自分が生きている限り、Iはずっと挑戦を仕掛けてくるはずだ。
もう一度、携帯を見る。
火山哀。それが、彼女の本名だ。
ゲーセンの出入り口から、白い日光が射しこまれている。大雨なんて、もうない。
□
Iとの付き合いが始まって、しばらくが経ったころ、
夢の中で、愛からにこやかに手を振られて、それきり彼女と会うことはなくなった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。