灰色の狼と白い椛   作:ごぼう大臣

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上司としての椛

 ……山の一部の地面から土の壁がいくつも出現し、大規模に隆起した夜が明けて。

 もう日も高く昇ったころ、天狗たちが住む山の集落の一軒家で、一人の白狼天狗がせっせと駆け回っていた。

 

「ふぅっ……」

 

 灰色をした獣の耳と尻尾を持ち、おかっぱ頭で小柄な一見少女のような少年。名をナキという。

 外では山伏のような制服を着て、剣と盾を携え仕事に勤しんでいるのだが、今は違う。黒く地味な半襦袢*1だけを着て、雑巾を持ち掃除に勤しんでいる。

 もうそれなりに長い時間が経っていた。彼がいる客間だけでも、ナキ一人にとっては広い。八(じょう)ある(たたみ)を拭くと、ホウキをかけた後にも関わらず雑巾は黒くなる。部屋中のゴミを丹念に取ろうとするとなかなか大変だ。

 床だけでなくテーブルの裏、その脚の下、本棚の後ろも忘れず拭く。家具と壁との間には意外にホコリがたまっていた。間近に見ると、物をどける度に白いものがムッと舞う

 

 一息ついて腰を上げ、部屋の隅に置かれた桶の水で、雑巾を洗う。

 すでに水は灰色に濁っていた。中に浸けて雑巾を揉むと更に黒く染まっていく。水から手が覗くと、何度も絞ったのか細い手に似合わずかなり荒れていた。

 

「そろそろ水も換えなきゃなぁ、たまに(こん)詰めると大変だよ……」

 

 額をぬぐい、ナキは部屋を見渡す。その気になれば五、六人入りそうな客間。しかし向かいの隅に置かれた座布団は二枚しかない。あまり使われた形跡もなく、綺麗というより寂しい雰囲気を漂わせている。

 

「あとはー、仏間に寝室に、お風呂と台所……あーもう、急がなきゃ」

 

 きつく雑巾を絞りながら、ナキはそんな事をぼやく。

 実際、彼の家は一軒家の中でも広い部類に見えた。客間の広さはもとより、そこからつながる廊下は長い。玄関から入って反対側の裏口まで、寝室や風呂以外にも出入りしてなさそうながらんとした部屋がいくつもあった。裏口と隣の土間から外に出れば、小さな掘っ建て小屋で出来た厠があり、更に周囲には醤油や米などをしまった大きな倉庫、表へ回れば縁側や井戸が見えてくる。

 見たところ金持ち、といえる部類かもしれない。

 

 しかし、その割には家の中にナキ以外の影が全く見えなかった。客間で掃除をする以外には、どこも物音一つしない。玄関にはナキの草履、よそ行きの下駄、仕事用の靴以外には、靴跡すらも見当たらなかった。脇にある質素な靴箱は薄くホコリを被っている。そのような寂しい雰囲気が、家中にうっすらと漂っていた。

 

「あとは仏間の花も変えて……父さんと母さん、二人分の……」

 

 そう言いかけて、ナキはふと言葉につまる。誰もいない部屋が、しんと静まり返った。

 そんな時、玄関の戸をコンコン、と叩く者がいた。

 

「ん?」

 

 外から聞こえる音が慣れなかったのか、ナキはぴくんと耳を立てる。そして雑巾を桶に戻し、あわててふすまを開け戸口へ急ぐ。

 

「お待たせしました……って、あれ?」

 

 草履をひっかけて引き戸を開けたナキは、キョトンと目を丸くする。そこには白狼天狗の隊長、犬走(いぬばしり) (もみじ)が立っていたのだ。

 

「あ……えーと」

 

「こんにちわ」

 

「こ、こんにちわ」

 

 ペコン、と頭を頭を下げる椛に、ナキはぎこちなく挨拶を返す。普段、ナキと椛は特に接点もなく、せいぜいイジメが見つかった際に気にかけられる程度だった。家への訪問など、言うまでもなく珍しい事である。

 

「少し、お時間よろしいですか?」

 

「え、ええ。構いませんが」

 

 短く答えたナキだったが、その態度はあまり落ち着きがなく、視線をキョロキョロとさまよわせる。

 

「でも、どうしたんですか。今日は僕、非番だった、はずですが」

 

「まあ、いくつかお話がありまして。上がって大丈夫てましょうか?」

 

「は、はい。どうぞ!」

 

 若干上ずった声で答え、椛を招き入れるナキ。しかしそこではたと自身の襦袢姿に気づき、更にあわてた調子でこう叫んだ。

 

「……あ! あーごめんなさい! 僕こんな格好で……。先に着替えてきますね!」

 

「え、はあ分かりました。すみません突然……」

 

「そのすぐ右に客間がありますから、ひとまず待っていてくださいっ!」

 

 ナキは跳び跳ねるように草履を脱ぎ捨て、廊下を一足飛びに走り客間の隣へと飛びこんだ。

 

「……」

 

 椛はナキの巻き起こしたそよ風を浴びながら、どうしたのだろうと首をかしげる。式台に足をかけて靴をそろえ、ついでにナキが放り出した草履も直してから彼女はふと、先ほどのナキの表情を思い出した。

 

(そういえば……さっきちょっと顔赤くしてたような気がするけど、襦袢がそんなに恥ずかしかったのかな……)

 

 

――

 

 

「お待たせしました。あ、座っていてください。今お茶入れますんで」

 

「いえ、お構いなく。あまり長居する気もないですから」

 

 とりあえず浴衣に着替え、ナキは客間で椛と向かい合って座った。椛はきちんと背を伸ばして正座し、尻尾の毛が落ちないようにと尾をくるりと巻く。ナキも倣ってちゃんと座ろうとするが、少し肩肘を張っているように見えた。

 

「まず、連絡事項から済ませますね」

 

「は、はい」

 

「そんな緊張しないで……。とりあえず、これを」

 

 椛は懐から折り畳まれたB5サイズの紙を取り出し、ナキへ手渡す。広げてみるとそこには二、三行の短い文面と小さな図解が印刷されていた。幻想郷で印刷物というのは似つかわしくない気もするが、山ではそういう技術が確立されているのだ。

 

「これは……?」

 

「来月から巡回ルートが一部変更になるんですよ。そのお知らせです」

 

「それくらいなら、仕事場で明日聞けば良かったんじゃ」

 

 わざわざ手を煩わせなくとも、という意味でナキは首をかしげたが、そこで椛は一瞬ん、と口ごもる。

 そしてやや言いにくそうに、小さく唸ってから口を開く。

 

「別に、問題なく連絡が行くなら構わないんですがね」

 

「ああ、確かに……」

 

 山の天狗たちは数も多く、いちいち上司が改めて呼びつけたり、連絡したりなどしていられない。よって不在だったメンバーなどには、後に仲間内で伝えるようにするのが山での習わしであった。

 ところが、いじめられているナキにはなかなか気安く話せる友人もおらず、いつの間にか一人だけ何も知らされずにいる……なんて事例が度々あった。酷いときにはわざと嘘の連絡を伝え、困らせるような輩もいる。

 今回はその点、前もって椛に助けられた訳だが、孤独な現実を暗に突きつけられたナキは少々肩を落とす。その空気を察知してか、椛は小さく咳払いをした。

 

「とにかく、覚えておいてくださいね」

 

「あ、はい。かしこまりました」

 

 ナキはあわてて姿勢を直し、返事をした。しかし、返事を受け取ってなお、椛はその場を動こうとしない。

 ややあって、ナキがきまり悪そうにこう尋ねる。

 

「あの……まだ何か」

 

「……これは私の個人的な質問なんですけど」

 

 椛はそう前置きし、身を乗り出してくる。それに押されるかのようにのけ反るナキに向けて、まっすぐ目を合わせながらこう言った。

 

「昨日、あの能力を使いましたね?」

 

「へ、ああ……」

 

 ナキはばつが悪そうに頷いた。意地悪な烏天狗から逃れるため、自身の『土を操る程度の能力』を使って周囲に土の壁をいくつも作ったのだった。

 

「だと思いましたよ……。あの力はあなたにしかありませんし」

 

「あ、あはは。ごめんなさい迷惑かけちゃって」

 

 ナキは気弱そうに笑う。彼は人間との混血なため非力で、作る力はあっても壊す力はない。そのせいで山の天狗たちの間では『気づいた者が壊せばいい』という事になっていた。ナキを除けば天狗たちはみな何不自由なく空を飛ぶので、よくも悪くもそれで済んできたのだ。

 ところが、椛は存外真剣な顔をして、こう話を続けた。

 

「いえ、それは良いんです。初めてではありませんし。ただ……」

 

「…………」

 

 目の前で戸惑う、いやほんの少し後ろめたい顔をするナキに、椛は言う。

 

「……ケガとか、していませんか?」

 

 椛の表情がふっと気遣わしげなものに変わる。それに反応してか、ナキはん、と押し黙った。互いに嘘をつくタイプではないようで、ナキが素直に答えたくないのが、かえってよく分かった。

 

「大丈夫ですよ。そんな大げさな」

 

「しかし、昨夜に私へ伝えなさいと言ったそばからこれでは、少々心配です」

 

「あの時はもう、夜でしたし……」

 

「私は隊長なんですよ。いつも遅くまで仕上げの仕事しているじゃないですか」

 

 軽く受け流そうとするナキだが、椛は引く様子をみせない。

 

「……むしろ、向こうが成りゆきでケガしちゃったんですよ。告げ口する気になんてなれませんって」

 

「……そう、ですか」

 

 結果的にではあったが、いじめてきた相手の方がケガをした。それを聞いて椛も一旦追求をやめる。

 ナキが小さく息をつくと、椛は肩を軽く回し、しばし脱力する。一時の間のあと、椛が苦笑しながら言った。

 

「やっぱり優しい子ですね、ナキは」

 

「そう思いますか?」

 

「ええ。自業自得でケガした人まで、気にかけるんですから」

 

 そう言い切った椛に、ナキはふと眉をひそめる。

 

「……僕が何かしたとか、疑わないんですね」

 

「そりゃそうでしょう。あなたが加害者側になんて、なる訳ないじゃないですか」

 

 椛はあっけらかんと言ってのける。ナキへの信用あってこその言葉だったが、ナキはかすかに表情を険しくした。

 加害者側になる訳ない。それは聞く者によっては、被害者側にしかなれないと取れなくもなかった。ナキは悪い意味ではないと頭で理解しつつも、いじめられる情けなさを突かれたようで胸を痛めた。

 椛はそれに気づいていないようで、また身を乗り出してテーブルに腕を乗せると、仕切り直すように言う。

 

「すみません。あともう一件だけ、いいですか」

 

「どうしたんです?」

 

 ナキも気を取り直して応じると、椛はこんな事を言った。

 

「もし良かったらなんですけど……ナキは異動してみる気とか、ないですか?」

 

「え、異動!?」

 

 ナキは虚をつかれたように驚きの声をあげた。椛は「あ、いえ、クビとかじゃないですよ」などと前置きしてから、こう述べた。

 

「白狼は基本的に警備担当ですが、絶対という訳ではありません。烏天狗たちのいる事務に回る事もできるんです」

 

 そう言って、ナキの目を見つめる。

 

「それでイジメが止むかは分かりませんが……何かしら変化はあるかもしれません。それにナキは、体力面の問題もありますし」

 

 柔らかに微笑み提案してくる椛。ナキは相づちも打たずじっとそれを聞いていた。白狼には滅多にない事務への異動。今までかなりの手をかけさせてしまったのだと痛感する。

 

「別に、新入りだからといって給料が低かったりはしません。ちゃんと生活できるだけは出ますよ」

 

「いえ、それは心配していません……。両親の遺産がまだちょっとあるので。けど……」

 

 言い淀み、ナキはふと下に目を落とす。椛が返事を待つこと数秒、彼は顔を上げて、こんな事を問う。

 

「その事務仕事の方は……やっぱり烏天狗の方が上司なんですよね?」

 

「? ええ。白狼の隊長が私なように、烏天狗も同じ組織系統です」

 

 それがどうしたのだろう、という風に椛は首をかしげる。しかし、ナキはそれを聞いて意を決したかのように目を光らせ、こう言った。

 

「僕……このままでいたいです。警備の仕事を、続けたいです」

 

「え……」

 

 その返事を聞いた椛は、意外そうに目を丸くする。しかしナキは迷う様子もなく、椛の方を強く見返す。

 

「ダメ、ですか?」

 

「いいえ。そりゃ無理には勧めませんが……」

 

 真剣な表情に戸惑ってか椛はこくこくと頷いて答える。しかしそのポカンとした顔は、ナキの真意をはかりかねているのがありありと見て取れた。

 

 

――

 

 

「……それでは、お邪魔しました。また仕事場で」

 

「ええ。お気をつけて」

 

 用事が済み、椛はまた仕事へ戻らなければならない。彼女が玄関で靴を履いている間、見送りに出たナキはどこか寂しそうに笑っていた。

 「失礼します」。そう言って戸を開けて出ていこうとする椛に、ナキは不意に口を開く。

 

「あのっ……!」

 

「?」

 

 椛がきょとんとして振り返ると、ナキはとたんに口ごもってしまった。しばしモゴモゴとしながら視線を逸らし、小さく言った。

 

「その……今日はありがとうございます。わざわざ来ていただいて……」

 

「ああ、気にしないでください。こんなのなんて事ないですよ」

 

 そう答えて快活に笑う椛。つられて微笑んだナキに向けて、最後にこんな事を言った。

 

「私は隊長なんですから。部下は皆、平等に大事にします」

 

 その台詞に、ナキの表情が固くなる。椛はそれに気づく事なく、くるりと背を向けて出ていった。

 再び一人になり、玄関の式台にたたずむナキ。ゆっくりと目を伏せながら、やはり寂しそうな笑顔で、小さくつぶやいた。

 

「平等に、か……」

 

 そっと押さえたナキの胸が、トゲがささったようにチクチクと痛んだ。

 

*1
和服の下に着る肌着、中でも丈の短いタイプ。襦袢だけを着る事もある

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