灰色の狼と白い椛   作:ごぼう大臣

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新聞記者の烏天狗 前編

「おら、逃げてんじゃねえぞコラ!」

 

「待てっつってんだよ! イライラすんなぁ!!」

 

「や、やだってば、やめてよ!」

 

 時間は朝方、八時頃。妖怪の山の本拠地である屋敷へ一旦集まった天狗たちが、それぞれの仕事を始める時分である。

 屋敷は烏天狗と白狼天狗が入り雑じって喧騒に満ち、高い木の柵で囲まれた門を足早にくぐっていく者や、天狗社会の戸籍管理、土地管理、財政管理など十数もの部門に分かれて書類仕事を始める者など、その気になれば何百人も入る場所で誰も彼もが波に流されるように激しく出入りする。

 

 ゆえに小さな喧騒、一人の少年が数人にいじめられるような騒ぎは、かき消されてしまうのも仕方がない。

 

 屋敷の裏にぽつんと、竹で仕切りを組んでかわぶき屋根で覆った小さな建物がある。(かわや)……つまりトイレである。その片方、扉に「男子用」と書かれた部屋の中で、弱々しく抵抗する少年と、しつこく絡む何人かの少年の声が響いていた。

 

「おいナキ。そんな顔のくせに男子便所入ってんじゃねーぞ!」

 

「つかお前本当に男かぁ?」

 

「あ、当たり前じゃない、いいから離れてよ……」

 

 山を流れる川の水を一部引いて作った、小用のための水洗式便器。白くてツルリとした不思議な材質で作られたそれは、配管の構造含め山の技術の結晶であり、同時に小用専用の場所が必要な男子便所にしかない。

 その便器のすぐ手前で数人の悪童に囲まれながら、小柄な白狼天狗が困りきった表情を浮かべていた。彼は灰色の耳と尻尾を持ち、綺麗に整えたおかっぱで、背丈も合わせて女子のように見えた。いや、男子便所にいる事や着ている制服からみて性別は明らかなのだが、つぶらな瞳を光らせ泣きそうになっている様は、言ってはなんだが乙女である。

 もっとも、その外見ゆえに彼――ナキは今現在やっかいな目にあっている訳だが。

 

「へっ! 男だってんなら証拠を見せやがれ!」

 

「そうだそうだ、今からションベンすんだろ。チ◯コ見せろチン◯!」

 

「ばっ、バカ言わないで!」

 

 なおも続く横暴に耐えかねたナキは、背後にいた悪童を押しのけてドアのついた個室へと飛び込む。すぐさま鍵をかけると、とたんにドアがドンドンと叩かれはじめた。

 

「てめえコラ! 逃げてんじゃねえぞ!」

 

「クソッタレ、開かねえじゃんかよ!」

 

 怒声が響き、ドアに蹴りまで入れられながら、ナキは急いで履いていた袴をまくり上げる。その時、戸口で何かがきしむ音がした。

 

「……うわっ!?」

 

 嫌な予感を感じて振り向いたナキが、仰天する。悪童がドアによじ登って顔を出し、ニヤニヤと見下ろしていたのだ。

 

「ほらどうしたんだよ。早くぬげや」

 

「ああもう、いい加減にしてよ! 出てって!」

 

「うわ、キレやがった!」

 

 とうとう怒りだしたナキを見て、悪童たちはゲラゲラ笑いながらトイレを飛び出していった。あわただしい足音が止み、ようやくドアの向こうが静かになってから、ナキはこっそりため息をついた。

 

「トイレに来ただけなのに、なんでこうなるかな……」

 

 用を足しながら、ナキは一人ごちる。もはやイジメ自体は彼にとって日常茶飯事だったが、せめて生理現象くらいは気兼ねなくさせて欲しかった。

 足元の木で組んだ便器の下から、つんとした臭いが漂ってくる。何でも河童のキュウリ栽培に活用するとかで、個室はあえて汲み取り式になったのだ。これから小用まで個室に逃げ込んでするハメになったら、と考えてナキは憂鬱になる。

 

 同時に、先ほどの出来事のせいだろうか。ナキは昔のある嫌な事件を思い出した。

 

 忘れもしない。ナキが白狼天狗として働きだして間もない頃である。ある日どうにも大きい用が我慢できなくなり、今いるのと同じトイレに飛び込んだ事があった。

 特に変わった事をした訳でもない。個室で目的にかなった用をしている最中に……これまた先ほどの悪童のように、ドアの上から覗いてくる者がいた。

 その時のナキは驚きながらも、何故そんな事をするかまでは分からなかった。トイレなど男女関係なく覗くものではないと思っていたし、覗きたいとも思わなかった。

 しかし、悪童はその直後に意地の悪い笑みをたたえたかと思うと、外へ飛び出して仲間の白狼天狗たちにこう叫んだのだ。

 

『おい皆! ナキの奴がウ◯コしてるぞ!』

 

 ……かくしてナキは、それからしばらくの間“ウ◯コマン”などという不名誉なあだ名で呼ばれる事となった。仕事場でトイレへ行く度にからかわれ、しかし無理に我慢する訳にもいかず、ナキにとっては不愉快な記憶でしかない。(なお、これが意外にもポピュラーなあだ名? であると、彼は後に知る)

 

 苦々しい思い出に顔をしかめながら、ナキはふらりと個室を出る。すると、またもやトイレの中に他人の大声が響いた。

 

「うおぉっ!」

 

「へっ?」

 

 驚いてナキが我に返ると、そこには同じ年頃の白狼天狗の少年が、目を見開いてのけ反っている。鉢合わせしただけで何がそんなに? と戸惑っていると、少年は顔をしかめてナキをまじまじと見つめてから、「あー……」と大げさに頷いた。

 

「なんだナキかよ……。女かと思った」

 

「……ごめん」

 

 おどかしやがってという口調でぼやかれ、謝ってみたもののナキは釈然としない。

 だが、実際のところ容姿のために性別を間違えられるのはよくある事だった。ナキは今さら文句をいう気にもなれず、そそくさと少年の脇をすり抜けていった。

 

「……もう行かなきゃ」

 

 厠を出て空を見上げ、ナキは沈んだ声でつぶやいた。空が青く澄みきっているのに比べて胸中のなんと暗い事か。

 重苦しい気持ちを抱えながら、見回りの為にナキはふわりと外に浮かび上がる。途中で逆光でも目に入ったのか、ふらついて落ちそうになっていた。

 

 

――

 

 

「え……っと、この川をくだればいいのかな……」

 

 妖怪の山の中腹、木々が開けて幅広い川が流れるのを横目に、砂利が一面に広がる岸辺をナキは歩いていた。

 川の幅は五メートルほど、深さは大人の膝まで程度だった。上流からの澄んだ水が穏やかに流れ、遊ぶにはうってつけの爽やかな場所だ。実際夏になれば若い天狗や河童たちが涼みにきたりしているのだが、悲しいかな孤独なナキには縁のない場所だった。今日この場所に来たのも、先日に告げられた巡回ルート変更の為である。

 

「はあ……」

 

 ため息をついて猫背になりながら、ナキはとぼとぼと川辺に歩み寄り、屈んで水面を覗いた。

 灰色のおかっぱ髪の、中性的な顔が映し出される。見慣れた自分の顔だったが、ナキはそれが好きではなかった。見つめていると、自然に表情が曇る。

 

「なんでこんな、女の子みたいな顔に生まれちゃったんだろう……」

 

 悲しげにそうこぼした。その時、ナキはふと顔を上げた。そして辺りの空気にすんすんと鼻を鳴らす。

 白狼天狗は狼の妖怪だけに、かなり鋭い嗅覚を持っている。その気になれば百人を百人とも、全て匂いだけで識別できる程だ。ナキは半妖なので能力は数段落ちるが、それでも人間の数十倍は利く鼻を持っていた。

 

 素早く立ち上がり振り返る。すると、茂みの陰からナキを窺う一人の烏天狗が「あっ!」と声をあげた。

 

(あや)さん……」

 

「あやや、見つかっちゃいましたか~」

 

 気安く笑って走り寄ってくる烏天狗、文を、ナキはやや警戒した目で見る。

 

 彼女の名は射命丸(しゃめいまる) (あや)。すらりとした細身の体型でワイシャツに黒のミニスカート、足には高下駄、頭には赤い頭巾(ときん)というファッションで、人間で言うなら十七歳くらいの見かけをした烏天狗の女の子である。

 立場的には特に権限もない普通の烏天狗。だが、彼女には一つ、他と違う趣味と仕事があった。

 

「ナキ君の見回り場所、変わったんですか? こんな場所にいるとは珍しい」

 

「ええ、僕はルートの変更で……。文さんはどうしたんですか、あんな場所に隠れて」

 

 ナキが聞き返すと、文はふふんと鼻を鳴らしてこう言った。

 

「私は写真の撮影ですよ~。新聞で今度『妖怪の山の自然が似合う男子・白狼編』を特集しようと思いまして」

 

「はあ……似合う男子」

 

 表面的な笑みをつくりながら、文は手に持ったある道具を掲げてみせる。両手で包めるくらいの大きさの黒い箱形で、前面から丸いレンズが筒の形に突きだしている。今となっては懐かしい、しかし幻想郷においては先進的なフィルムカメラである。

 文の仕事とはそのカメラを活用し、新聞を作る事であった。取材、執筆、発行、配達を全て個人でやっており、その情熱は称賛に値する。しかし一方で記事は些末な内容も多く、個人のスキャンダルやゴシップなども容赦なく書き立てられ広がっていくため、面と向かっては話しづらいという者も多かった。

 

「その……さっき隠れていたのも、記事に関係あるんですか?」

 

「もちろん! ナキ君の写真を撮ってたに決まってるじゃないですか~」

 

「あ、ちょ、ちょっと……」

 

 文は悪びれもせず答えるなり、目の前のナキへ向けて無遠慮にカメラのシャッターを切りはじめる。あわてて顔をかばい照れを浮かべるナキに、続けて文はこう言った。

 

「中性的な子も人気あるんですよ。特にマニアな方には」

 

「そっ、そうなんですか?」

 

「ええ、山は閉鎖的なんて言われますが、異性の好みなど意外と幅広くって」

 

「僕みたいのにも、ファンがいるのかな……」

 

「実際いますよ! 中には『女の子の服着せたーい!』なんて方も……」

 

 文が言いかけた瞬間、ナキは笑みを一瞬で崩し、悔しそうに唇を噛む。そしてかくりとうなだれると、相変わらず写真を取りまくっている文をよそに、猫背になった背を向けてフラフラと歩き出す。

 

「普段通りでいいじゃんって人もいるんですが、女装派とナチュラル派の溝は深いらしく……あれ?」

 

 ペラペラと喋りまくっていた文は遠ざかっていくナキに気づき、砂利を蹴飛ばして後を追う。

 

「待ってくださいよぉ! まだ二、三枚撮りたいんですから!」

 

「いやそもそも、人を勝手に撮らないでくださいよ」

 

 ナキも今朝のトイレでの出来事からこっち、さすがに機嫌が悪くなったのか、振り返りもせずにズカズカと大股で川沿いを下る。文が憐れっぽい声を出して追いすがるも、つっけんどんに引き離すのみ。

 

「もー、ちょっとからかっただけじゃないですか。おヘソを曲げないでくださいよ」

 

「……怒ってませんよ。ただ仕事があるんで」

 

 口ではそう言ったものの、ナキは正直イラついた気持ちをくすぶらせていた。今朝のトイレでの一件が思い起こされ、黒いシミが広がるかのごとく胸に憤懣が湧き上がってくる。

 文にそれをぶつけまいとしてか、ナキは別れの挨拶もなしに飛んで去ろうとするが、その時、文がふとこう漏らした。

 

「あーもしかして……気にしていました? イジメとかで」

 

 イジメ、その言葉にナキの足がピタリと止まる。こわばったナキの表情には気づくよしもなく、後ろ姿に向けて文はさらりとこう続けた

 

「いやなんか、チラチラ聞くんですよ。ナキ君が長いこと、ひどい事されてるって」

 

「だっ……誰に聞いたんですか!? まさか椛さんが……」

 

 ナキはとたんに青い顔になって文へ詰め寄る。その表情は普段いじめられる時とは違う、何かに思いもよらない裏切りを受けたとでもいうような顔だった。

 

「い、いえ違いますよ。私がたまたま見聞きしたんです。単なるうわさで」

 

「……そうですか……」

 

「ええ、椛に聞けば知っているかもしれませんが、別にそこまで興味なくて」

 

 興味がない。戸惑いながらも文が言ったその答えに、ナキはホッと胸を撫で下ろす。見方によっては酷いセリフだが、ナキはかえって安心する。

 イジメというのは、被害者が相談せず抱え込んでしまうパターンがままある。理由は人それぞれだが、よくある一つはプライドの問題だ。自分の情けない姿を知られたくないが為、一人で無理をして耐えるのだ。

 ナキも同じような心境であった。椛に気遣われ、目の前で泣いてしまうだけでも恥ずかしいのに、預かり知らぬ場所で他人にばらされるなど、考えたくもない悪夢だった。他人から見れば一人で大丈夫だなどと言っている場合ではないのだが、そこは内心の事。むしろ文にこうして事情を知られ、話題に出されるだけでも苦い気分だった。

 

「そういえば先日見ましたねぇ。椛と大天狗(だいてんぐ)様が話しているの。ナキ君がらみかな」

 

「大天狗様に……?」

 

「はい。知っているでしょう? 私たち天狗のナンバー2ですよ」

 

 文が肩をすくめる。大天狗というのは妖怪の山の天狗を取りまとめている、事実上のナキたちの最高の上司だった。天衣無縫の鼻高天狗だとか言われているが、地位もプライドも高いため自分から会おうとする者は少ない。ナキなど朝の朝礼で遠目に見る程度しか目撃の機会がなかった。

 

「よくやりますよ。機嫌を損ねたらどうなるか分からないのに、一生懸命食ってかかるんですから」

 

「椛さん、そこまで……」

 

 隊長という地位にあるとはいえ、いやむしろその地位も顧みずナキの事を訴える椛。それを聞いて、ナキの胸が急にいっぱいになる。

 

「……あれ……」

 

 無意識的にすすった鼻から、涙まじりの鼻水の音がした。目頭が熱くなり、あとはもう止められずに、涙が頬を伝う。

 どうして、自分はこんな顔の上に泣き虫なのだろう。そう自分に呆れながら、ナキは文の目の前にも関わらずポロポロと泣き出してしまう。

 しかし文の方はといえば、感激しはじめたナキをつまらなそうに見つめてから、やれやれと空をあおいだ。

 

「ま、聞く耳なさそうでしたけどねぇ。椛も頑固ですよ。部下一人のためにああだこうだと」

 

「え……」

 

 すかした笑みを浮かべる文を、ナキはしゃくりあげながら涙を溜めた瞳で見る。そこで文は向き直り視線を合わせると、少しだけ険の混じった口調で言った。

 

「あなたもあなたですよ。泣くほどお辛いのでしょうが、それが椛から大天狗様の所まで波及してくると……」

  

 途中まで言ってふうと息をつき、こう言い捨てる。

 

「今度はこっちが困るんですよねぇ、大天狗様の機嫌が悪くって、気まずいったら」

 

 文は途中から河原の岩に腰掛け、膝を組んで頬杖をついていた。目線は斜め下に逸らし、かったるそうに目を細めている。

 

 そのおかげで、ナキの表情が悲しみに変わったのには気づいていないようだった。

 なにも、文は彼を悲しませようとしているのではなかった。純然たる愚痴だというのは、その不機嫌そうな横顔を見れば分かる。それだけに、本心から自身が迷惑がられているのを知って、ナキは胸中が一気に寒々しくなるのを感じた。

 

「……うっ、う……」

 

 嗚咽が漏れる。今度は一転、悲壮なものであった。望んであんな目にあったのではない、そう言いたくても言葉にならなかった。文は涙に濡れた視界の中で、ナキをぼおっと眺めている。

 かくなる上はこれ以上醜態をさらすまいと、ナキはくるりと背を向けて去ろうとする。

 その時、背後の文が「あ」と声をあげた。

 

 それに反応して思わずナキが顔を上げると、空を飛んで自分に向かってくる四、五人の白狼天狗がいた。

 ナキは涙をとっさに拭い、その姿を見て眉を歪ませる。向かってくる連中は、まさに今朝彼に絡んできた悪童たちだったのだ。それぞれ仕事は割り振られているが、見つからなければいいとサボりつるむ者たちが、どうしても居るのだった。

 

 悪童たちは心なしか意地悪く口許を歪めながら、ナキと文の前へ降り立つ。そして一番前にいたリーダー格の少年が二人を交互に見て、声を張り上げた。

 

「よぉナキ! 珍しい組み合わせだな。二人して何やってんの?」

 

「べ、別に……何も……」

 

 ナキはとっさに目を伏せてモゴモゴと答える。文は無言で、岩に座ったままじっと悪童を眺めていた。

 答えないその様子が気にさわったのか、少年はナキを無視してツカツカと歩み寄り、文に尋ねる。

 

「ちわっす。文さんでしたっけ。はねっ返りの烏天狗」

 

「射命丸 文ですよ。新聞記者と呼んでください」

 

 ヘラヘラとした問いかけに、文は立ちあがり笑顔で答える。しかしその表情はどこか硬く、作り笑いだという事がありありと見てとれた。

 

「なんでナキなんかと一緒にいるの? 知り合い?」

 

「いえいえまさか~、たまたま会っただけですよ~」

 

(う、嘘だ……。写真撮ってるって言ったじゃないか……)

 

 文のあまりの態度の変わりように、ナキは一言も口を挟まず離れて突っ立っているばかりだった。おまけに文も悪童も笑いながら彼をのけ者扱いするので、ナキは誰にも気にかけられないまま肩を落とし、まるでしおれた花のようになっていた。

 そんな様子を文と悪童たちは相変わらず無視し、世間話に興じていたが、ある時文がそれを切り上げる。

 

「じゃ、私そろそろ行きますね。次の仕事があるので」

 

 そう言って、文は飛び立とうとする。しかしその時、悪童の一人が声をあげた。

 

「あ、それ!」

 

「へ?」

 

 つられて振り返った文。悪童はそのそばに飛びつくと、文が手に持っていた機械、カメラを間近に見つめながらうるさくはしゃぎだす。

 

「これカメラってやつッスよね!? うわー初めて見た! ひょえー!」

 

「あ、ちょっ、やめ……!」

 

「いいじゃないッスか!! ちょっと見せてくださいよ!」

 

 その場で振り払えなかったのが運の尽きであった。悪童は文から素早くカメラを奪い取ると、止めようとするのも無視して好き勝手にいじくりはじめる。ついには他の連中も集まり、持ち主を尻目に全員で観察会をしだした。

 

「えーと、こっちが前かな? んで、ここを押すのか」

 

「返してくださいよ! ねぇ!!」

 

「まあまあもうちょっと……。あ、そのままそのまま、はいポーズ!」

 

 大切なカメラを奪われてか文はおろおろと狼狽えだす。しかし悪童たちは知ったこっちゃないという風で、仲間を並べて写真まで撮り始めた。フィルムに限りがあるのも知らないようで面白半分にシャッターを切りまくる。

 ナキはといえば、その様子を遠くから無言で眺めていた。止めに入れば良かったのだろうが、普段悪童たちに抵抗できずにいるせいか、体を張る勇気が湧いてこない。文に対してざまあみろという気持ちもあったかもしれない。

 

「うーんもうちょっとみんな真ん中に寄って! そうそう、そのまま……」

 

 そのうち、気づけば悪童たちもアングルや構図に気を使うようになり、森林をバックに撮ろうとカメラを持った者が立ち位置を調整しているところだった。

 カメラのファインダーを覗きながら、撮影者は河原を少しずつ後ずさりし……。

 

 そこで、アクシデントが起こった。

 

「うわっ!?」

 

 撮影者が後ろを見ていなかったために、川に足をとられそうになる。すんでの所でバランスを取り直し転落は免れたが、カメラが手を滑り、あっという間に落下した。

 

「あ――」

 

 ナキと文が同時に声をあげる。その瞬間に、とぷんと音をたててカメラが川の中に沈む。

 

「あぁーーッ!」

 

 文が悲痛な声をあげる。機械にとって水濡れは大敵だ。ましてや水中をや、である。しかし叫んだところでカメラは浮かび上がってこない。何度も川底にひっかかりながらも、下流へとみるみる流されていく。

 文も悪童たちも、カメラが壊れたかも、という恐れのせいかとっさに動けず固まっていた。ただ視線だけが、焦燥した様子で流れていくカメラを追っている。

 

 そこで、ナキが素早く地面に手のひらを向け、握り、開く。自身の『土を操る程度の能力』を、カメラの元へと行き渡らせる。

 直後に川底の地面の一部がカメラを押し上げるように隆起し、踏み台程度の塊が水面から顔を出す。平らな上面には、ずぶ濡れになったカメラが乗っていた。

 

「あ……あ……」

 

 大切なカメラが引き上げられた安心感と元に戻らないかもしれないという不安で、文はすぐに言葉を発せなかった。目に涙を浮かべながらフラフラと歩みより、二、三歩歩いてヘナヘナと膝を屈する。

 悪童たちは罪悪感からか、文がへたり込んだのを見て、気まずそうな顔を見合わせる。そんな彼らを、しばらくして文がギロリと睨み付けた。

 

「ひっ」

 

 悪童たちは一様にすくみ上がった。ナキからは視線が窺えないが、その怯えようと何より醸し出すどす黒いオーラから、無言の怒りがひしひしと伝わってくる。

 悪童たちは一拍置いて我に返ったのか、ひきつった笑みを浮かべながら口々にこう言った。

 

「お、俺は悪くないよな」

 

「僕も知らねっ!」

 

「あ、もう昼飯食わなきゃ」

 

「彼女と約束あるんで」

 

 その場かぎりの言い逃れをし、連中は蜘蛛の子を散らすようにその場から去っていった。気づけばその場にはへたり込んだ文と、ぼんやりと青空を見上げるナキだけとなる。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

「……」

 

 さすがに見かねたナキが声をかける。文は弱々しく浮かび上がると、川の水面ギリギリを飛んでカメラを取り、ナキの隣に降り立つ。そのあいだ文は終始無言だった。

 

「……文さーん?」

 

 心ここにあらずといった表情の文に、ナキが手を振ってみせる。すると、ひゅう、と冷たい風が吹いて文の髪を舞った。

 それに一瞬、ナキが見とれた直後。

 

「あンの……ボケエェェーーッ!」

 

「わ、うわわわっ!?」

 

 文が天に向かって怒声をあげ、彼女を中心につむじ風が巻き起こる。その威力はスネまで覆うナキの袴をまくり上げ、岩山が崩れるような音を周囲まで響かせた。はるか遠くにいた鳥たちが舞い上がる砂のごとく一斉に飛び立つ。烏天狗の一人である文の本気がかいま見えた一瞬であった。

 

「ぜー……ぜー……」

 

 すっかり乱れた髪も気にせず、肩で息をする文。ナキが呆気にとられていると、彼女はぽつんと言った。

 

「乾かせば……大丈夫そうです……」

 

「へ?」

 

「カメラ……」

 

「あ、そ、それは良かった」

 

 底冷えするような声に一瞬戸惑いながらも、ナキは笑顔で相づちを打つ。しかし文はその瞬間、キッと顔を上げてナキを見た。

 

「よくありませんっ!!」

 

「え、な、なにが?」

 

 目を見開いて眉間にシワをつくる文。驚いてナキが口をパクパクさせる間に、こんな事をまくし立てる。

 

「あいつら私の相棒をこんな目に合わせて! あなただってイジメを受けているんでしょう、悔しくないんですかっ!?」

 

「そりゃ……私本人は悔しいですが……」

 

 つい先ほどイジメに興味がないと言った人間が、自分が被害にあった瞬間に憤慨しだすのを見て、ナキもやや白けた顔で文を見ていた。しかし文は相手が呆れているのも構わないという様子で、ニッコリと笑う。

 

「安心してください。ここは被害者どうし、手を組みましょう」

 

「はい?」

 

 唐突に言われ、目を丸くするナキ。文はそんな彼に、声をひそめてこう言った。

 

「私にいい考えがあります」

 

 

――

 

 

「……あ、ナキ。聞きましたよ。今朝は色々あったって……」

 

「あ、いえ。気にしないでください。どうにか追い返したので」

 

 夕暮れ。見張りをしていた白狼天狗がめいめい交代する時間である。退勤して着替える為に寄った詰め所で、偶然会ったナキと椛がこんな会話をしていた。

 

「知っていたら止めに行ったのに……」

 

「いやぁ、場所が男子トイレでしたし、今回はちょっと」

 

「そんなの関係ありませんよ。イジメの現場は現場です」

 

 廊下を並んで歩きながら、相変わらず真面目な顔で答える椛。真摯に向き合ってくれる事に感謝しながらも、この人ならやりかねないとナキは苦笑する。

 脇に抱えていた私物のマントを羽織り、ナキはぺこりと頭を下げる。戸口で去り際に、こう聞いた。

 

「椛さん、明日は早いんでしたっけ」

 

「ええ、帰ってすぐ寝て、夜明け前にまた出ます」

 

「うひゃ……無理しないでくださいね」

 

 ナキの労いの言葉に椛が手を振って答え、二人は別れた。

 詰め所を出て、暗くなった山の中を急ぎながら、ナキはふとこうつぶやく。

 

「隊長の仕事に僕の心配まで、いつまでもさせられないよね……」

 

 ナキはふと足を止め、上を見上げる。狭い道の両脇に立った木々から伸びる、頭上を覆い隠す枝と葉に紛れて、何かの影が動いた。

 それは、木々に隠れてナキの様子を伺う烏天狗、射命丸 文の姿であった。

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