「えー、最近は肌寒さも増してきておる。皆油断せず防寒対策もしっかりして……」
朝八時ごろ。始業前の天狗たち、白狼と烏問わず何百人とが集まった、天狗の集会場。
50平方メートルほどの広さで天井も高く、その気になれば外と同じように飛び回れるんじゃないかと思う天狗も少なくない。
その広い屋内は窓から差し込む日光だけでは到底明るさが足りず、山の不思議な技術でもたらされた電気がこうこうと彼らの頭上を照らしている。
その集会場の一番奥、数えきれない天狗たちに一様に注目され、いっそう照明でまぶしく照らされながら高い台に立って挨拶をする大柄な天狗の姿があった。
その名は大天狗。その背丈はゆうに五メートルほどに及び、肩幅は盛り上がり広く、まるで巨大な熊のように鍛えられた体躯を持っている。鼻高天狗ならではの大きな鼻も彼は別格で、大人の手で包んでもまだ余るほどの太さを持っている。その下には二股に分かれ、フサフサと重みすら感じる白髭があったが、年老いた印象よりむしろ年季と貫禄を感じさせるものだった。
天狗たちを実質とりまとめている大天狗が話す間、部下はほぼ一人残らず直立不動になり沈黙し、じっと話に耳を傾けている。普段は仲間内でおちゃらけているような輩も、緊張した面持ちでくしゃみ一つしなかった。ただ健康管理を促すだけの場面でさえ、会場全体が厳粛とした雰囲気に覆われている。
「……ともあれ、今日も一日頑張るように。では業務はじめ!」
大天狗が高らかに号令を出し、脇の舞台用の出入り口からその場を後にする。直後、集会場の全員が誰からでもなしに一斉に脱力した。
「あぁ~、疲れたぁ~」
「ほんとマジで怖いよねあの爺さん」
「もう出で立ちがね、アレなんだよ」
体と表情が弛緩し、口々に先ほどまでの疲労を愚痴りあう。そして仕事に出るため、気を取り直した面々がぞろぞろと後ろの出口へ歩きだし、波が引くように集会場が空になっていく。
その中で、壁際によけて一人ぽつねんと立っている者がいた。灰色のおかっぱと狼の尻尾。ナキである。
彼は談笑しつつ外へ消えていく同僚たちを見送りながら、時おり天井などを見上げてため息をついていた。
「ナキ」
そんな彼に声をかけてきたのは、白狼部隊の隊長にしてナキを気にかけてくれる数少ない人物、椛であった。ナキはあわてて姿勢を正し、愛想笑いをする。
「どうしたんですか。ボンヤリして」
「……いえ、何も。僕はいつもこうですよ」
相変わらず生真面目な表情で尋ねる椛に、ナキは笑みを貼りつけながら内心苦笑する。フッとさりげなくナキが目を逸らすと、椛は気遣わしげにこうも尋ねる。
「なんだか、文さんと会ったなんて聞きましたが、まさかその事で……」
「へっ? ああいえ、あの人は関係ないですよ。本当にいつも通りです」
新聞記者をやる烏天狗、文の名を出された途端、ナキは両の手のひらをブンブンと振って否定する。実をいうと一つ、彼女から持ちかけられた話があったのだが、椛を巻き込みたくはなかった。
ーーちなみに、椛は文の事をもっぱら文"さん"と呼ぶ。これは別にちゃんと年長者扱いしようとかそういうのではなく、単に『ちゃん付けや呼び捨てをするほど親しみが湧かないから』……だと、本人は言っていた。ーー
「そう……ですか。ならいいんですけど」
大げさにいつも通りと強調するナキに少々眉をひそめた椛だったが、結局はそれを信じ、安堵の笑みを浮かべる。
ナキは話題を変えようとしてか、今度は椛にこう聞いた。
「あの、椛さんは大丈夫ですか……?」
「ふふ、分かっちゃいます?」
ナキの言葉に、椛が珍しくおどけて笑う。よく見れば目が微かにどんよりとし、肌の張りや髪のツヤが落ちているようだった。ナキが心配そうにそれらを見つめていると、椛は眉間をつまんでやや覇気のない声で言う。
「正直に言いますと、少し疲れちゃって……。夜明け前に出勤してそのまま朝礼ですからね。はは」
「本当に大丈夫なんですか? いくら仕事だからって……」
「まあ……平気ですよ。今日は昼前からまた眠れますから」
我が事のように気を揉むナキを見て、椛は目を擦りつつ声の調子を戻す。集会場から人がいなくなったせいか彼女は大きく伸びをして、ついでに出たあくびを噛み殺す。
「ま、もしトラブルがあれば呼んでください。半分寝ながらでも、とりあえず行くので」
「え、えぇっ……。そんな、悪いですよ。お疲れの時に」
「あんまり難しく考えないでください。これも仕事です」
あたふたしだすナキを見てまた少し笑ってから、椛は背を向けてその場を出ていく。途中で片手を上げて挨拶をしていった。
一方で、ナキは無言。また一人になり、見回りにも行かずにグズグズと天井を見つめたりしていた。それはボンヤリしているというより、ただ外の、上空に何か気にかかるものがある、という風のしぐさに見えた。
ーー
「えーと、この辺も異常なし……と」
その後、ナキは特に何事もなく見回りの仕事をこなしていた。木々の間に気を配りつつ山道を進み、茂みの中をかき分けて隠れた者がいないか確かめる。空を飛んで回る時もあるが、配分として地上を念入りに監視せよ、というのが山の方針であった。草木が生い茂る地上の方が得てして隠れやすいからである。
もっとも、ナキは今まで幸運というか、リスやらタヌキやらしか見かけなかったが。
しかし、今日はちょっといつもと様子が違っていた。見知らぬ足跡や、木への爪痕がついてないかなどを探しつつも、ナキは時々木々に覆われた空を見上げ、浮かない表情をしていたのだ。
ーーその仕草の真相は何か。それは昨日にナキと文が立てた作戦を明かす必要がある。白狼部隊の悪童どもによって、文のカメラが水没の憂き目にあった直後の話である。
『私にいい考えがあります』
ナキと自分、お互い被害者どうし、手を組もうと持ちかけ、文はそう言った。戸惑い無言でいるナキを構わず、文は声をひそめて続ける。
『椛が大天狗様へ、再三イジメを訴えても対応してくれそうにない……と話しましたね?』
『ええ……それで?』
『相手の方が権力は上ですから、誠意に訴えるにも限界があります。そこで……』
そこで文は、川に落ちてしまったカメラを見せる。見たところ、乾かせば使えるらしい。
『決定的な証拠を見せて動かすんです。すなわち、イジメの現場を写真に撮ればいいんですよ』
文はさぞ名案、という風に口角をつり上げる。ナキは不安そうな顔で口を挟んだ。
『つまり、僕は一度いじめられなきゃいけない訳ですか……?』
『ええ。撮影は私がタイミングを窺いますから、変わった事はしなくていいですよ』
『…………』
事もなげに答える文だったが、ナキは気が進まない様子で口をきゅっと結ぶ。文が鼻白んだ顔をすると、彼は恐る恐る口を開いた。
『何か……他に方法はないでしょうか? それだと罠にはめるみたいで……』
『何言ってるんですか。そんな
ナキのためらいを一蹴する文だったが、ナキは表情の陰ったままでなおもこう言う。
『でも、例えば撮り方しだいでは無理やり悪者に仕立てあげたりも……できませんか?』
『あーもー煮え切らない人ですねぇ。でっち上げでもキッカケになれば結構じゃありませんか。普段の行いが悪いからいけないんですよ』
『いや、さすがにそれは
『と・も・か・く!!』
納得しそうにないナキの抗弁を強引にさえぎり、文は人さし指をその鼻先に突きつける。滲み出る圧力にナキが黙り込んだ隙に、文は早口に言ってのけた。
『今は奴らに仕返しする事だけを考えればいいんです。しっかりバッチリいじめられて下さいね。それでは!』
『そんなぁ……』
文が満面の作り笑いで背中を叩くと、ナキはしぶしぶ黙りこんでしまった。つくづく、毅然とした態度が苦手な少年である。
ーー……大体そんな訳で、ナキは今も文に撮影のチャンスを狙われているのであった。ナキがしきりに気にしている上方、木の上にはイジメの現場を見逃すまいとカメラを構える文が潜んでいる。
『……ただ、あの連中がフィルムを使いまくったんで、チャンスは少ないと思ってください。一、二発殴られるくらいの気持ちで』
脳裏に、文の最後の忠告が浮かぶ。ナキは山中を歩きながら、ずっと浮かない顔をしていた。
(悪い事じゃない……よね? どうも釈然としないなぁ、なんでだろ……)
モヤモヤした思いを抱えながら、右へ左へ道を辿る。ただ、内心はどうであれ、嫌な出来事というのは寄ってくるものだ。
「ぃようナキ、おはよう!」
噂をすればなんとやら、ナキの前にいつもの悪童たちが現れた。山道をふさぐようにゾロゾロと、横に広がって歩いてくる。
ナキがげんなりした表情をする間に、一団は彼を取り囲み、ニヤニヤと笑う。
「なあナキ~、今ヒマ?」
「ひ、ヒマじゃないよ……仕事中だもん」
後ずさりしつつ応答する。「みんなだって仕事じゃないの?」と言いかけて、やめた。今こうして退屈そうに連れだって歩いているのを見るに、何を言っても無駄である。
「ちょっと頼みがあるんだけどさぁ、聞いてくれない?」
「いや……今仕事中だって……」
「いいから、聞いてくれって」
頼みがある、そう言って悪童たちはナキが抗議するのも構わず間近まで詰め寄る。それは頼むというより強要だ。ナキにとって、今さらではあったが。
「……なにさ、頼みって」
ナキは表情を険しくして警戒しながらも、一応そう尋ねる。これがまた彼の律儀なところであった。
そろって卑劣な笑みを浮かべる、いつものメンバー。加えて逃がすまいとする包囲に、内容を明かさない頼みもとい、強要……。こんな状況になれば、はっきり言って一目散に逃げ出した方が
ところが、ナキはそれができなかった。いや、頭では馬鹿正直だと思いつつも、まず頼みを聞こうとしてしまうのである。十中八九ろくな事ではないにしても、話も聞かずに逃げるのは失礼だという、彼なりの礼儀であった。
ともあれ、ナキが応じてくれた事に気をよくしたのか、悪童の一人が横手の、木が密集して少々薄暗くなっている場所を指さした。
「あそこにちょっとした沼があるんだけどさ、そこに
「厄神、様」
悪童の言った名を復唱するナキ。厄神というのは、山に住む神様の一人である。人々の厄、つまり不運を吸収して紙人形にくっつけ、人知れず川に流して循環させるという役目を担っている。女の子の不幸を代わりに受ける雛人形というものがあるが、それをルーツに持つ神様だ。外見は十代半ばくらいの女の子で、噂では案外気さくで明るい子だと言われている。
しかし、だからといって気兼ねせず仲良くできるかと言われれば、そうもいかない。常日頃から厄に触れ続けている存在ゆえに、彼女に近づいた者は不幸になるといわれている。
家にカマドウマが繁殖する、恋人にフラれた、タンスの角に小指をぶつける……大小さまざま、不幸の噂は枚挙にいとまがない。
そんな厄神の名を出し、悪童は続けてこう言った。
「で、ちょっとその厄神を……沼に突き落としてくれないかなー、なんて」
「なっ!?」
ナキは耳を疑った。女の子を沼に突き落とすという蛮行もさる事ながら、近づけば不幸になると分かりきっている相手へやらせるなどと。
当然、彼も反発する。
「何それ! 出来る訳ないじゃん!」
「いやちょっと押すだけだって! 大丈夫、一回やったら逃げていいから!」
理屈で考えれば無意味な行為きわまりないが、悪童たちは意気込んで無理強いを続ける。続けて別の悪童は、背の低いナキの頭を掴んで揺らしながらこう言った。
「俺らも近くで見てるから! やってこい、ホラ!」
語るに落ちるとはこの事だ。近くだの遠くだの、全く口にしてやいないのにわざわざ言及するというのは、『俺らは逃げてるから、お前の後の事は知らん』と白状しているようなものである。
とかく、こういうイジメには確たる目的など存在しない。ただ他人が危害をこうむり、あるいはリスクを負うように仕向ければ、それが楽しいのである。ナキも度重なる仕打ちに、うすうす感づいていた事実であった。
「早くしろや! ついでにおっぱいぐらいなら触ってきていいから!」
「イヤだってば! いい加減にしてよ!!」
とうとうナキもたまりかね、悪童の手を振り払う。その態度に悪童がかぁっと目をむいた、その時。
悪童たちの頭上から、手のひらに収まる程度の黒くて丸いものが、いくつもボトボトと音を立てて落ちてきたのだ。
「あっ、いてェッ!?」
「あつ、つっ、あっ!」
それにぶつかった悪童たちは、そろって悲鳴をあげた。ナキは少し遠巻きだったので当たらず、突然の事に目を丸くする。
「な、なんだこれ。栗?」
「なんで急にこんなに落ちてくんだよ……」
悪童たちにぶつかったのは、トゲだらけのイガに包まれた栗であった。木にぶつかってもいないのに、と悪童たちは頭や首を押さえながら足元に散らばった栗を不思議そうに眺める。
この隙に、とナキは悪童の間をすり抜けて山道を駆けていく。
「あっ! テメェ待ちやがれ!!」
「逃げてんじゃねえよ、この野郎!!」
その後を追いかけ、悪童たちもどやどやとその場を去っていった。地面にはいきなり落ちてきた大量の栗が残る。
その出所、悪童から上手く風上にあたる場所に生えた栗の木のてっぺんに、カメラを持った文が座っていた。先程もイジメの現場を捉えるシャッターチャンスを狙っていた訳だが、今は枝に手をついて、不満げに口をとがらせている。
(あのままじゃ正直いい
心の中で一人ごちながら、文は手をついている枝をふと見る。先ほど揺すったせいで、実っていた栗が見事にみんな落ちている。
後で拾いに来よう、なんて呑気な事を考えながら、文はナキたちの走った方向へ飛んでいった。