「あークッソォ、何だったんだよさっきのは……」
「ナキ~、お前なにか仕組んだんじゃないだろな」
「……知らないよ。あと仕事中だって言ったじゃん……」
数分後、結局ナキは追いつかれてまた絡まれていた。正直もう見回りなどしていられなかったが、それでも規定のルートは回ろうと、言葉すくなに早足で歩く。
「ちっ、まだチクチクする……。おいナキ、本当に何も知らねえんだろうな?」
「それともアレか? 実はお前まで厄神だったりすんのか。近くにいるとろくな事がないとか」
「そんな訳ないじゃない。大体、そう思うのなら離れてよ。仕事にならないよ」
振り向いて文句を言っても悪童たちは離れない。前なり後ろなりについてきて、「謝れ」だの「一発なぐらせろ」だの難癖をつけてくる。
(ろくな事がないのはこっちの方だい)
ナキは心の中で愚痴った。やがて、目の前に続く道が開け、こぢんまりとした木造の建物が見えてきた。
三十坪程度の伐採された土地で、すっぽりと木々に囲まれて建つ家。平屋建てで、屋根も重々しい瓦ではなく、木板を張って明るい青色に塗っていた。
それ以外は引戸の入り口から壁まで塗装は一切なく、窓には白い障子紙が張られている。ほとんどが木そのままの色をした地味な、よく言えば落ち着いた色合いの家だった。
ナキはその家を見て、あれ、と小さくつぶやいた。
(この家……椛さんの)
そう、その小さな平屋は犬走 椛が一人で住む家だった。以前に一度だけ、「何かあれば訪ねてきなさい」と案内された事があったのだ。
しかし、なぜ今日に限って目の前に……と彼は首をかしげて、周囲に視線を巡らせてすぐに納得する。
ナキを取り囲み、さっきからやいのやいの言ってくる悪童たち。彼らが騒ぐのをやり過ごすうちに道を逸れ、いつの間にか椛宅の前まで来てしまったのだ。
こりゃいけない、早く戻らなきゃ。そう考えてナキがやれやれと頭をかいていると。
「……い、ナキ」
「ん?」
「おいナキ!! 聞いてるのか!?」
ふと気づいた声にナキが振り向くと、目の前で響く怒声。耳鳴りをこらえて我に返ると、口をへの字に結んだ悪童の姿があった。
「ご、ごめん。なに?」
「……テメェ、あの家がどうかしたか? もう一回だけ言うぜ。よく聞けよ」
ナキが愛想笑いをして聞き返すと、悪童はあからさまに舌打ちし、口を開く。
「俺らのために弁当買ってこい。全員分だぞ」
「お、お金は?」
「んなもんお前持ちに決まってんだろが! 早くしろ!」
「…………」
ナキはげんなりと肩を落とす。昼に出会うと時々、こんな風にパシリをやらされるのだ。それも山から出て里の弁当屋まで、である。時には『◯○時までに』と時間制限が課される事もあり、飛ぶのが苦手なナキは度々つらい思いをしたものだった。
「海苔弁なんざ買ったら許さねえぞ!」
「俺、焼き肉弁当!」
「幕の内ビッグサイズー」
「あと、酢豚のパイナップル抜き!」
さっさと行け、とばかりに目の前で口々にわめく悪童たち。その姿を見て、ナキの頭にある考えが浮かんだ。例の写真を頼んでいる文の事である。
いつもなら言われるがままに里へ向かうところだが、今ならば文がイジメの現場を押さえようと目を光らせている。ここでもし悪童たちをわざと怒らせれば、もしかしたら暴力に及ぶ場面が撮れるかもしれない。
「…………」
「あん? どうしたんだよ突っ立って。なんか文句あんのか?」
「じ、自分で……行けば?」
「んだとおっ?」
弱々しく言ったナキの抗弁に、悪童は目を剥き怒りだす。ナキはそっぽを向きながらも微かに脚を震わせていたが、機嫌をそこねた周りの連中は気づいていないらしい。
「なぁに急に生意気な口きいてんだ? あ?」
「…………」
「なんか言えや、ゴラァ!」
悪童の一人は肩をいからせてナキへ詰めより、どなり声をあげる。しかしナキはそれでも視線を合わせず、気をつけの姿勢で直立していた。
まだ、足りない。写真を証拠にするなら、少なくとも手を出す瞬間を撮らねばならないだろう。もう少し、相手がイラついてくるまでの辛抱……とナキは気づかれないように唇を引き結ぶ。
悪童の怒りはじわじわと溜まり、ついに拳を振り上げそうになる。
しかし、そこで別の悪童が気がついたように言った。
「あ! お前もしかして……」
「え?」
「まーた椛さんに泣きつこうとか思ってんだろ~?」
「へっ?」
キョトンとするナキを指さし、その悪童はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
「とぼけんなよ~。いつも助けてもらってるじゃねえか」
そう言いながら悪童はナキの肩をつかみ、にじり寄る。ナキがとっさに顔を背けると、周りの奴らも同じように笑みを浮かべていた。ナキの表情が反射的に嫌悪に歪む。
ほどなくして、悪童たちは次々とナキをはやし立てはじめた。
「なーるほど、俺らの事を口実にお近づきになろうって訳か!」
「へえぇ、意外にセコい野郎だな。いっつもグズグズ泣きながら、心の中では笑ってたのか」
「なっ! 何言ってるのさ!?」
ナキは意気込んで悪童たちを見据える。存外大きな声が出た。歯を食い縛りながら荒い息を吐いたが、悪童たちは意に介さずナキをからかい続ける。
「今さら言い訳すんなって! ほら今すぐ走っていけよ。『モミえもーん、アイツらが僕をいじめるよ~!』って」
「あっはっは、男のクセに情けねえなぁ」
「いいんじゃね? ナキなんてほぼ女みたいなもんだろ」
「むっ……」
次々と続く侮辱の言葉に、ナキも少々顔に怒りがにじむ。しかし悪童は相変わらず気にも留めずに、今度は陰口まで叩きだした。
「しかし、椛さんもなんでまたこんな奴の世話を焼くんだろうな」
「そりゃアレだろ~。『イジメを許さないアタシ格好いい!』てなもんよ」
「へっ、迷惑なもんだよなぁ。こっちにとっちゃウザいだけだってのに」
「いい加減にして欲しいよね~。あの石頭のペッタンコの仕切り屋の……」
いつしか悪童たちはナキをそっちのけにして愚痴を垂れ流す。それを横で聞きながら、ナキは何故だか今朝会った椛の様子を思い出していた。
隊長としての職に追われながら、弱音も吐かずにナキを気遣ってくれた彼女。今までも、自分の事でもないのにめげずに上司への訴えを続けている。
思い出すうちに、ナキの胸中にかあっと熱い衝動がかけ上る。険しい表情をしながら見据えるのは、いつも良いようにされている悪童たち。
「そのうち隊長やめさせられるんじゃねーの?」
「あ、それ良い! もうどっかに行ってほしいよな。大体、女のくせに――」
「ねえ」
ナキが突如、横から口を挟む。普段とはうって変わった、低い声だった。悪童たちが一斉にナキへと振り向く。
その視線にややひるみながらも、ナキは口を開く。
「僕は、いいけどさ……。椛さんをバカにするのは……やめてよ」
「はぁ?」
絞り出すようなナキの声に、悪童の一人が嘲るような笑みを浮かべて近寄る。背の低いナキは、必然的に見下ろされる形になった。
「そんなの俺らの勝手だろうが。それともなにか? お前の許可がいるってのか?」
悪童は威圧するように詰めよってくる。それでもナキは目を逸らさなかった。逸らしたら負けだという思いが、何故かあった。
こわばる口を必死に動かし、ナキは言葉をつむぐ。
「……椛さん……あの人は、毎日遅くまで働いてる。なのに、僕なんかに時間を割いてるんだよ……。今だって、疲れて寝てるんだ。なのに……!」
「へえぇ~。普段もさぞかしモタモタしてたんだろうなあ。部下として恥ずかしいぜ、その上職場恋愛か? おめでたいネーチャンだなぁ!!」
「……ぐっ……」
なめきった態度で更になじられ、ナキは知らず知らず拳を握りしめていた。悪童は更に続けて、ナキを目つけながらつぶやく
「つー事はだ……」
もったいぶった口調で言って、悪童は直後に、ナキに向けて拳を振り上げた。
「テメェをぶん殴っても、アイツもすぐには飛んで来ねえって事だよなぁ!?」
喜悦に満ちた表情で、悪童はナキに殴りかかる。体格も違い、すぐに吹き飛ばされそうに見えた。
しかし、悪童の拳がナキに届く寸前、一瞬早く悪童のアゴに、素早く硬いものがぶつかる。それは油断していた悪童へ見事に突き刺さり、痛みと衝撃をいっぺんに脳みそへ届ける。
「ぐああっ!!?」
「……あ」
悪童が目を丸くし、すっとんきょうな悲鳴をあげながら後ろへ吹っ飛ぶ。一方ナキは、右腕をまっすぐ振り上げた状態で、悪童をポカンと見つめたまま突っ立っていた。
周囲に立っていた連中も、目の前の光景をにわかに信じられなかった。悪童が殴りかかった瞬間、下から繰り出されたナキのアッパーカットが、相手のアゴに見事命中したのだ。
「え、ええと……」
「……いっ、い……てぇっ……!」
無意識に殴ってしまったのか、途端にうろたえ出すナキ。対して悪童は思いがけず殴られたアゴを押さえたまま、ずっと尻餅をついている。
他の悪童たちが一斉に、我に返ってすくみ上がるナキをにらみつけた。人数は一対多。今にも報復が始まるかと思われた。
が、その時……。
「何をしているんです!?」
遠くから、凛とした女性の声が響いた。ナキが振り向くと、白い襦袢姿の椛が家の方角からパタパタと駆けてくる。悪童たちが身構える中、椛は輪の中に割って入り、荒い息を吐きながら全員を見回す。
「……何があったんですか」
場にいる面々やその表情を見て、平常ではないと察したのだろう。眉間にシワを寄せて真剣な表情をしている。目の合ったナキがおずおずと口を開きかけるが、一瞬早く殴られた悪童が叫んだ。
「椛さん! そいつです! いきなりナキが俺を殴ってきたんすよー!」
「なっ、で、でもそれは……」
ナキは抗弁しようとしたが、焦って口が上手く回らない。椛が怪訝な顔をするのを見て、首筋に嫌な汗がにじんだ。悪童が椛に見えないように、小さくほくそ笑んだ。
しかし、今度は上空から別の女性の声が降ってくる。
「すいませーん、ちょっといいですか?」
「わっ!?」
それは、ずっとナキの様子を窺っていた文だった。悪童たちと椛が突然の乱入者に驚いている間に、文はニコニコと笑いながら椛にこう申し出た。
「先ほどの件ですが、ナキ君には十分に酌量の余地があります」
「いや、その前に文さん、どこから出てきたんです?」
「偶然目撃したんですよ」
相変わらずさらりと出任せを言う人だ、とナキは内心で呆れる。それを知ってか知らずか、文は悪童たちをわざとらしく横目に見ながらこう続けた。
「そういえばさっきも取り囲んで、厄神を沼に突き落とせ~なんて無理強いしてた気がぁ~……」
「おい待て! あれは未遂に……!」
「ばっ馬鹿!! しゃべるな!!」
「あっ……」
口を滑らせた悪童が、仲間に止められてあわてて手で口をふさぐ。しかし時すでに遅く、椛は鋭いまなざしで悪童たちを見据えていた。
「……とりあえず、私の家に来てください。この場にいる全員です」
「いぃっ!? 家って……」
「なに言ってんですか、あそこですよ。」
「知らなかった……」
(……ほっ……)
椛が言い放った瞬間、悪童たちは一様に顔をしかめ、ナキは安堵のため息を漏らした。その隣では、文が愉快そうにクスクスと小さく笑っていた。
――
「……もういい加減にしてくださいよ。山に住む天狗はみんな仲間なんですから」
「へいへい、分かりましたよ」
「ったく、無駄な時間を……」
時刻は夕方。椛宅からうんざりした表情の悪童たちが次々と出ていく。それを厳しい表情で戸口から見送るのは、制服に着替えた椛。先ほどの殴打事件の事情を聞き、たっぷりと説教をしたのだった。
やがて悪童たちは空に飛び去り、見えなくなる。椛はそれを見ながら小さく息をつき、後ろを振り返る。
「ナキと文さんもすみません。時間をとらせて」
「いえ、私は全然かまいませんよー」
「……おかまいなく」
茶の間に正座する二人。文は調子よく笑って手を振り、ナキは遠慮がちに首を横に振る。それに笑い返して正面に座ろうとする椛に、ナキが顔を上げて言った。
「あの……こちらこそすみません。貴重な休みを……その……」
気まずそうに再び顔を伏せるナキ。襦袢、もとい部屋着で出てきた事からしても、寝ていたかくつろいでいたのは間違いない。しかも始めに見た記憶だと、微かに寝癖らしきものまであったのだ。
椛はきょとんとして、直後にひどく笑いだした。
「へ? あーあーあー、気にしないでくださいよ。私が勝手に出てきたんですから」
「本当に仕事熱心ですねぇ、椛ちゃんは」
「文さんも少しは見習って欲しいんですがね」
「へへん、善処しますよ」
椛にじろりと見つめられ、文はヘラヘラと肩をすくめる。ナキはそのやりとりを見て、しばし安らぎを覚えた。
そんなナキに、「それと」と椛が声をかける。
「はい?」
あわてて振り向いたナキの正面には、なんだか呆れと慈しみが入り交じったような椛の表情があった。一瞬見つめ合った後、椛はこう言った。
「ナキ、あなたが恩を感じてくれるのは嬉しいですが、無理してケンカする事はないですよ」
「え……恩?」
「他人優先もいいですが、ほどほどにしないと。私は別に平気ですから」
からりとした笑顔でそう述べる椛。ナキは聞きながら、ふっと表情を曇らせた。隣で見ていた文は「あちゃー」と微かな声でつぶやいている。
「……僕、そろそろ帰ります」
「あれ、あの、どうかしたんですか」
「私も帰りますね~っ」
ナキはフラフラと立ち上がり、うなだれて出口へ向かう。椛はその様子に戸惑いの色を浮かべたが、文が素早く立ち上がり、ナキを出口へ押し出していった。
「では椛さん、また明日!」
「あの、ちょっと……」
文はやけに大きな声で別れを告げ、ナキを引っ張って出口へ飛び出し、一瞬で扉を閉めた。
その後には、茶の間で座ったまま不思議そうに首をかしげる椛だけが残った。
「……やれやれ、これは難しそうですね~」
外はもう夕暮れ。椛宅からしばらく離れた場所で、文は天を仰いでつぶやいた。地面すれすれで飛んでいる彼女の隣には、トボトボと相変わらずうなだれたまま歩いているナキがいる。
「……なんの話ですか」
「とぼけないで下さいよ~。珍しく怒ったのを見れば、さすがに分かりますって」
文はナキを見たまま歯を見せて笑う。ナキは頬を膨らませ、ぷいっと顔を逸らす。それは心なしか拗ねているように見えた。
「それよか参りましたね」
「何がですか?」
「いえ、カウンターパンチの瞬間ではいまいち証拠として弱いです」
「ああ、写真ですか」
カメラを見つめて額を押さえる文に、ナキは思い出したように頷く。そういえば、一方的に殴られた場面などは結局つくれなかった。
「まあ仕方ないですよ。椛さんを信じましょう」
「あなたは本当に椛、椛って……ああそうだ」
文は落ち着いた風のナキを半笑いで見つめていたが、ふと眉を動かして体ごとナキへと振り向いた。
「そういえば、あのシーン以外にも写真がありましてね」
「そう、なんですか?」
「ええ、それが……」
文は何やら怪しい笑みを浮かべ、目を細める。それを見て後ずさるナキへ、彼女は小さな声で言った。
「椛の……寝巻き姿」
「えーっ!?」
「ふふ、めったにプライベートは見れませんから、撮りまくっちゃいました」
文はウキウキと体を
「現像したら買いません? 一枚二千円!」
「え、いいいやいいですよ!」
「またまた~、あなたは買いたいハズだ! 間違いない! 正直に言いなさい!!」
「もぉーっ、よして下さい!」
ナキは顔を赤くして逃げ出し、文が追いかける。
今日、少しだけ距離が縮まった二人を、オレンジ色の夕陽が照らしていた。