灰色の狼と白い椛   作:ごぼう大臣

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今まで名字を出していなかった事に、今さら気づきました


腐った大天狗

「……も、もうすぐ来るんですよね……」

 

「ナキ、とりあえず落ち着きなさい。唇が紫ですよ」

 

 ある日、天狗の屋敷の奥の奥、普段は末端など立ち寄らない上層部の集まる棟。

 その中のこぢんまりとした和室に、ナキと椛は並んで座っていた。障子戸から入った先には重たく艶の入ったテーブルが置かれ、壁には掛け軸、その手前には慎ましやかな平たい焼き物に、色とりどりの花が活けてある。

 白く塗られた壁は染み一つなく、畳も本物のイグサが日に焼けず荒れずに整えられている。

 そんないかにも行儀よさを求めてくるような雰囲気の部屋で、ナキは椛と同じく座布団に正座し、背中をピンと伸ばした格好で固まっていた。

 

「そんなに怯える事ありませんってば。殺しに来る訳じゃないんですから」

 

「椛さんは平気なんですね……」

 

「私はまあ、何度も会っていますから」

 

 ナキのイジメの事で、と言い出しかけて椛は口をつぐみ、出されたお茶に手をつける。ナキは脚の上で握った手の中に汗を浮かべながら、じっとテーブルに目を落としていた。微かに震えているせいで、ナキの目の前の湯呑みのお茶が水面に波紋をつくっている。

 二人はナキがイジメを受けている事を訴えるために、今の和室に待たされているところであった。今度は直接会いたいと申し出たナキ本人を連れて。

 しかし、いよいよ会う段階になって、大天狗と初めて話す事になるナキは緊張と恐怖でブルブル震えてしまっていた。

 

「うー……いつも見ているだけでもおっかないんですよ、大天狗様」

 

「だったら誰に話すんですか。言っときますけど、天魔(てんま)様は会えそうにありませんよ。見た事ないし」

 

 椛は半分呆れながら言った。天魔というのは大天狗よりも更に上の立場にいる、天狗の頭領である。その権力は天狗たちのみならず河童たちにまで及び、一部を除いて妖怪の山を仕切っているような存在だ。女性らしいという噂だが、天狗の中でさえ姿を見た者はほとんどいない。

 ナキは椛の言葉にキュッと口を結び、真っ青ながらも真剣な表情になる。

 

「そ、そうですね……。勇気出さないと、進展しないし……」

 

「その意気です。ほら、ちゃんと証拠品もあります」

 

 椛は懐から写真を何枚か出してみせる。それは文が撮った、ナキの着物が滝壺に沈められた現場の写真だった。水面に浮かんでいる様子と、それに書かれているナキの名前をきっちりと納めている。

 

「そういえば、文さんは?」

 

「ああ、『深入りしたくないから』って、コレだけ渡してどっか行っちゃいましたよ」

 

「はは……」

 

 ため息まじりに言い捨てる椛に、ナキは苦笑する。彼も本音を言えば二人では心細かったのだが、文は元々あまり同情している風ではなかった。手助けしてくれるだけでも感謝しなければ、とナキは考え直す。隣では椛がしかめっ面で髪をかきあげていた。

 

「……せっかくナキが決心してくれたのに……」

 

「だ、大丈夫ですよ。僕は椛さんがいてくれるだけでも十分です」

 

 そうだ。結局一番がんばらなければいけないのは自分なのだ。自分がされた事を正直に訴えて対応を求めなければ、いじめられる日々はずっと続く。ナキはそう考えて自らを納得させ、奮い立たせた。

 ちょうどその時、廊下の向こうからドスドスと重たい足音が近づいてくるのが耳に入った。ナキはとっさに姿勢を直し、身構える。

 ガラリと乱暴にふすまが開け放たれ、髭を生やした大柄な男がちょっと屈んで入ってきた。大天狗である。前に張り出した太く大きな鼻の下に、二つに分かれた白い髭が蓄えられている。目つきは間近に見ると鋭く、小さい目の横にシワをつくりながらも身がすくむような恐怖を感じさせる。黒の着物に深草色の袴はそれぞれナキを覆うほどの大きさで、動きに沿ってなびくだけでもちょっとした迫力があった。

 大天狗は二人を一瞬ギロリと上から睨むと、向かいの座布団へ乱暴に腰を下ろす。そしてあぐらをかき、椛とナキを正面から見据える。

 ナキはその視線だけでまた怯えだし、ヒッと小さな声をあげる。椛はそれを横目に見て、頭を下げて最初の挨拶を述べた。

 

「忙しい中、面談の機会をいただきありがとうございます、大天狗様。今回は本人も来てくれましたので、是非とも話を聞いてあげてください」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 あわててナキも同じように礼をする。大天狗は返事をせずに「ふむ」と太い声でつぶやき、ナキの方へ問いかける。

 

「ナキ……山吹(やまぶき)ナキ、だったな。イジメを受けているそうだな」

 

「は、はい……数人の同僚や、烏天狗さんの一部から……」

 

「具体的にはどのような?」

 

 「う……」と思わずナキは言い淀む。自身が受けたイジメ、心身ともに傷を受けたそれらを話すのは、やはり勇気が要った。

 すかさず、椛が口を挟む。

 

「大天狗様、それは今までにいくつかお伝えしたはずです。わざわざ細かく聞かなくとも……」

 

「いいや、やはり本人に確かめねばならん。ひょっとしたら『勘違いだった』可能性もある」

 

 大天狗は横柄な口調で椛の言葉をさえぎる。続けて、さも独り言かのように天井を見て、しかし二人に聞こえる声でこう言った。

 

「犯人は聞くところ、(ひのき)(くぬぎ)弟切(おとぎり)敦盛(あつもり)木瓜(ぼけ)……計五人が主か」

 

「……へ?」

 

 急に出てきたイジメっ子の名前に、ナキはキョトンとして顔を上げる。しかし大天狗はその直後に衝撃的な一言を放った。

 

「後で本人たちにも確認を取らねばならんのう」

 

「……っ!」

 

 ナキは背筋に寒気を覚えた。大天狗がイジメっ子たちに事情を聞く。それは裏を返せば今の告げ口を彼らに知られる事を意味する。以前は椛が訴えていたが、ナキ本人が動いたとなればあの悪童たちも危機感を覚えるだろう。完全に下に見ていた相手が間接的とはいえ反抗しだした……そう考えて仕返しに躍起になりかねない。

 すなわち、イジメの劇化がありうる。

 

「ま、待ってください、それは……」

 

「何か問題でも? お前の言い分一つで裁きを下す訳にはいくまい」

 

「でも……」

 

 ナキは絞り出すような声で異を唱えるが、大天狗は彼の懸念に気づいているのかいないのか、ぞんざいに問い返しただけだった。ただ、その口調にはいささか白々しさが混じっていた。

 ナキは言い返せず下を向いてしまう。代わりに今度は椛が口を開いた。

 

「大天狗様、確認をしたいのですが」

 

「なんじゃ?」

 

「その……犯人の五人に詳細を聞く時には、私たちも同席してよろしいですか?」

 

「ふむ……それは分からん。(わし)も暇ではないからな。事実確認が一度にできるとは限らん」

 

 大天狗は素知らぬ顔で首を横に振る。一度にできるとは限らない、つまり長くかかる可能性がある。罪が確定するまでの間、悪童たちはおそらく野放しだ。ナキがその間に何をされるか、分かったものではない。

 

「……で、最初の質問に答えてもらえるかな? 具体的には何をされたんだ?」

 

「…………」

 

 先ほどより威圧感をもって、話を戻す大天狗。ナキは相変わらず下を向き、答えにくそうに口ごもる。ここでイジメの内容を話せば、悪童たちの報復が待っている。かといってそれを恐れて『勘違いでした』とでも答えれば、それこそイジメ自体をなかった事にされるだろう。ナキもいよいよ大天狗の意図に気づき、俯いて唇を噛む。

 顔を上げると、隣で怒りの雰囲気を醸し出す椛が目に入る。眉間にきつくシワをつくり、口を引き結んで、今にも声をあげそうになるのを抑えているようであった。瞳は敵を見すえる狼がごとく、黄金色に鋭く刺すような光を放っていた。

 その目がふと横に流れると、ナキと視線が合う。今にも泣き出しそうなナキの顔を見て、椛がふっと我に返る。

 瞬間、椛の目が見守るようなそれに変わった。そして表情を引き締め、一つ頷く。それを見て、ナキもわずかに緊張が解けた。少なくとも椛は味方だ、と思い直す余裕ができる。

 

「僕は……色んな事を、されました」

 

 たどたどしくだが、どうにか言葉を紡ぎだす。そして苦い気分をこらえながら、今までの仕打ちをいくつか打ち明けた。

 

「地下への縦穴に追い立てられたり、パシりをやらされたり、着物と、靴を……取られて……」

 

 喋るうちにだんだんと涙声になっていく。セリフが途切れかけた頃、今度は椛が身を乗り出す。懐から素早く、例の写真を取り出した。

 

「証拠はここにあります。見てください」

 

「……ふむ」

 

 机に広げられた数枚の写真を、大天狗は順番に手にとって眺める。滝壺に浮かぶ着物と靴、それらに刻まれたナキの名前……。しばらくそれをジロジロと見つめた後、大天狗は持っていた写真を机に放り出し、低いため息をついた。

 

「なるほどな、嘘ではないようだ……」

 

「分かっていただけましたか?」

 

 畳み掛けるように念を押す椛。先ほどからいまいち誠意のない態度を見せられ、顔色は険しいままだ。ナキはかろうじて顔を上げているが、明らかに萎縮している。

 ところが大天狗はそんな二人をにらみつけ、こんな質問を返す。

 

「この写真を撮ったのは誰だ?」

 

「……答えられません。イジメの犯人たちにからまれた経験があって、名前を出して欲しくないそうです」

 

 つらつらと返した椛のセリフに嘘はない。しかし実際、文はそこまで厳密に気にしてはいなかった。

 見るからにイジメの対応に乗り気でない大天狗。彼になるべく協力者の名は知らせずにおこうという、椛なりの言い逃れである。

 

「ふん、そうか」

 

 大天狗はいら立ち混じりにそうつぶやく。椛とナキはそこから続く言葉をじっと待つ。事実を確かめ写真の出所も一応は答えた。あとはどう対応するかの段階だ。

 しかし。

 

「……あっ……?」

 

 突如、大天狗は答える代わりに机に散らばっていた写真を素早くかき集めだした。そして二人が口を開く間もなく、早口にこう言い放つ。

 

「この写真は儂があずかっておく。折りを見て天魔様に渡しておこう」

 

 言うが早いか写真を懐にしまい込み、大天狗はすっくと立ち上がる。とっさに椛が腰をあげ、大天狗を引き留めた。

 

「お待ちください! まだ話は……」

 

「あいにく儂らは忙しいのでな。ここらで切り上げねばならん」

 

「せ、せめてこれからどうするおつもりなのか、教えてくださいっ!!」

 

 ナキも机から必死に身を乗り出し、今後の対応を聞き出そうとする。しかしそんなナキを鬱陶しそうに見下ろして睨みながら、大天狗は吐き捨てるように言った。

 

「それは後日に改めて伝える……。まずは天魔様にも話を通さねばな」

 

「それは……どれくらいかかるんです?」

 

「知らん! 天魔様はお忙しい身だ。くれぐれも貴様らで勝手に相談しようなどと考えるなよ」

 

「なあっ……!?」

 

 あまりに横柄な物言いに、椛は思わず怒気を露にする。上司だというのも構わず、勢いよく大天狗に詰め寄った。

 

「そんな言い方はないでしょう? 一番早く解決したいのはナキ本人なんですよ?」

 

 大天狗の腹ていどの背丈しかない椛が、下から食らいつくような目つきで言い募る。しかし、大天狗から飛び出したのは、冷酷な一言だった。

 

「……半妖の末端一人に、そこまで手をかけられるか」

 

「……ぐっ……!」

 

「……あ……ぁ」

 

 その言葉に、椛は怒りに顔をゆがめ、ナキは目に涙をにじませた。大天狗はそんな様子には一切構わずに背を向け、障子を開け放して出ていってしまった。

 

「…………」

 

「……そんな……」

 

 二人は全開になったままの障子をそのままに呆然としていた。乱暴な足音が遠ざかっていく。そんな中で、いまだ信じられないといった表情のナキが、ぽつんと悲壮な言葉を吐いた。

 

 

――

 

 

「あややや~、それはまた不誠実ですね~」

 

 ……その面談から一夜明けて。椛から詳細を聞いた文は、わざとらしくすっとんきょうな声をあげた。九天の滝のそば、高い樹の枝に並んで座りながら、文は幹に寄りかかり、椛は背筋を伸ばして文を困った表情で見ている。

 

「……やっぱり、真面目に解決する気はないのでしょうか」

 

「まあそうでしょうねー。聞いといてよかった。予想外の無責任さ」

 

 文は頭をがしがしとかきながら、呆れ顔で大天狗を酷評する。深入りしたくないと言いながら、やはり多少は気にしているようだった。

 

「報復をちらつかせて口封じを謀り、それがダメとなるや私の名を聞き出そうとして……」

 

 そこでぐっと背筋を伸ばし、わずかに真剣な顔になる。

 

「いつまでに見せる、と明言してない以上、写真はもみ消されると見ていいでしょう。『天魔様は忙しい、勝手に相談するな』というのは、大天狗が上に話を通さず握りつぶすという意味……」

 

「そんな……そこまで……」

 

「最後のセリフで本音が分かるでしょう。『半妖の末端一人に、そこまで手をかけられるか』とね」

 

「…………」

 

 文の冷静な一言に、椛はついに押し黙る。大天狗はイジメを解決する気はない。それどころか隠蔽しようとしている。その事実は、今まで何度も相談してきた椛にとって認めたくない残酷な現実であった。

 

「写真を全て渡さなくてよかった。今頃、多分捨てられています」

 

 文はやれやれと肩をすくめ、地上へと目を落とす。椛はやはりショックを受けたのか、俯いたまま黙りこんでしまった。

 眼下にはちょうど、滝壺から流れる川の水で顔を洗っているナキの姿があった。やはり不安は解消された様子もなく、しきりにあちこちを見回している。

 

「……そこまで上層部(うえ)が腐っているとなると、私も身の振り方を考えねばなりませんね」

 

 ふと、ナキを目で追いながら文がつぶやく。椛がへ、と振り向くと、文はいつもの胡散臭い笑みを浮かべ、ピッと人差し指を突きつける。

 

「椛。このままじゃ私たち三人はつま弾きにあってしまいます。山での生活は苦しくなるでしょう」

 

「……それにしては気楽そうですが」

 

「なぁに、手はまだまだありますよ」

 

 文は勝ち気な口調で言って、今度は下の滝を指さした。何があるのかと椛が屈んで目をこらしていると、文は指し示す正体は教えずに、こう胸を張る。

 

「まずは、味方を増やしましょう!」

 

 自信満々にそう言った文の真下では、ちょうどナキと入れ替わりに滝の裏側から姿をあらわす、たくさんの河童たちの姿があった。

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