トラックに轢かれたけど転生とかはしなかった。   作:PRD2

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続いたっぽい。
暇潰しに読んでやってください。

※あのときの半田さん、鰹出汁さん、最中七斗さん、MAXIMさん、変わり者さん、yourphoneさん、胡瓜さん。
 誤字報告ありがとうございます。


02

 ×月A日

 

 早いもので、入院から一ヶ月が過ぎた。何だか病室で食っては寝てを繰り返しているせいか時間の感覚がどうにも定まらないが、一ヶ月が過ぎても定期的に妹や友人達……主に潤しかいないのでもう潤って書くけど……が来てくれるので、そんなには退屈していなかったりする。

 妹と葉月ちゃんの仲も良くなったようで、最近ではベタついてくる葉月ちゃんを妹が引き剥がしている光景がそこそこ見られる。真緒が強引なことをするのは仲良くなった証みたいな物なので、葉月ちゃんは遠慮なくベタベタしてほしい。お兄ちゃんは妹に友達が出来て嬉しいのです。

 それと、葉月ちゃんと潤も仲良くなったようだ。お見舞いに来てくれた時にばったり会って、そこから意気投合したらしい。

 良かった……本当に良かった……。

 潤は正直友達がいないので心の底から嬉しかった。

 何だろう、この達成感……なんか娘を嫁にやるお父さんの気分になった。もう何も怖くない。奇跡も魔法もあるんだよ(迫真)。

 

 

 ×月B日

 

 今日は天気も良いので、車イスを借りて外に出てみることにした。なんとも都合の良いことに、左手が早めに治ったお陰で自分で車輪が回せるのである。これが若さか。

 取り敢えず病院の中庭みたいな所に来たんだが……誰もいなかった。まあ普通か。まだちょっと寒いし、俺も妹が持ってきてくれたジャケットなかったら外出なかったし。この際雪でも降ってれば雪合戦する少年少女の姿が……ないか。半分の月が空にのぼればあるかもしれんが。

 ただ、猫はいた。すぐに逃げちゃったけど、白くて綺麗な猫だった。すごい雪っぽかった。

 犬か猫かで選ぶと猫派なので、ちょっとラッキーな気分だ。

 

 

 ×月C日

 

 今日も中庭に出てみた。やっぱり外の空気を吸うのって大事だと思う。

 といってもすることが無いので、昨日の猫を探してみた。こう見えても猫の声の真似って結構得意だったりする。妹が似てるって言ってたので多分似てるはずだ。

 そんなこんな10分くらい粘ってみたものの、結局猫は来なかった。やはり真似じゃダメか……購買に猫缶あったりするだろうか。

 

 

 ×月D日

 

 猫缶は無いが煮干しとあたりめならあった。なんか酒のツマミ感がするけど、まあ良しとする。

 そしてここに俺の猫の真似をドッキング。俺、猫真似、ベストマッチ。

 そして苦労すること20分、なんと件の白猫が現れたのだった!

 ……本当に来るとは思わなかった。

 予想外の事にあたふたしつつ、煮干しとあたりめを贈呈しようと試みたが……車イスに座っているのであげにくかった。取り敢えず何とか近くのベンチまで誘導しつつ、餌をあげることに成功した。

 ……そしてモフモフはしない。

 まあ、待て。俺は知っているとも。

 犬はともかく、猫は食事中に触られるのを嫌がるのだ。待合室の雑誌コーナーにある『月刊モフモフにゃんにゃん』は既に読破済みだ。

 静観……圧倒的静観……!!

 奉仕の精神を唱えたマハトマ・ガンディーの如く、俺はこの猫の嫌がる事をしないと決めたのである。ギャルゲーのヒロインのように時間を掛けて攻略してやるぜ。ぐへへ。

 

 

 ×月E日

 

 今日も酒のツマミを片手に中庭に出陣。

 だが、今日は白猫に会うことはなかった。悲C。

 だが今回は人に会うことが出来た、というか中庭で猫の鳴き真似をしていたら声を掛けられた。聞けば病院まで聞こえていたらしい。メッチャ死にたい。

 名前を聞くと白夜(びゃくや)ちゃんと言うらしい。とりあえず千本桜を使えるかどうか聞いた俺は悪くないと思う。すごい困ってたけど。

 中庭で猫真似する変わった人がいたのでちょっと気になったようだ。自分で言うのも何だが、変わっている人に声を掛けるのは止めた方がいいと話したら笑われてしまった。

 そのあと色々話していると、検診の時間が来たらしいのでまた明日会う約束をして行ってしまった。

 それにしても若い子だった。中学生くらいだろうか。

 

 

 ×月F日

 

 今日は昨日出会った白夜ちゃんとお喋りをして時間を潰した。最初は中庭で白猫を待ちつつ話をしていたのだが、白夜ちゃんが寒そうなのでベンチに煮干しをいくつか置いてから彼女の病室で話すことになった。

 どうやら白夜ちゃんは体が昔から弱く、病院の敷地の外に出たことがあまり無いらしい。

 まだ小さな子なのに……酷なことだ。病気とは無縁な俺には想像が出来ないが、とても辛いことだろうに。

 俺は彼女を元気付けるために色んな話をした。大学生としての生活とか小学生の頃はサッカー選手に憧れていたこととか、友達とか妹のこととか……白夜ちゃんは笑っていたが、これで少しは元気が出ただろうか。

 

 

 ×月J日

 

 ここ数日白夜ちゃんと話していて何となく気付いたことがある。

 彼女の病気が……正直治る見込みのないことだ。患っている病気の原因が判明していないらしく、年を経る毎に病状も悪化しているらしい。頭痛や熱が不定期に酷くなり、そのまま死んでしまってもおかしくないそうだ。

 ……俺に出来ることは、励ましてあげることくらいだ。

 

 

 ×月K日

 

 白夜ちゃんの検診の時間が来たので話を終えて中庭に出てみると、ベンチには見覚えのある白猫が座っていた。今日はまだ煮干しを置いていなかったが、それでも来てくれたということは人にも慣れたということだろうか。

 そのまま煮干しをあげつつ自然な流れで撫でてみると、大人しく撫でられてくれた。すごいフワフワしてる。これが野良猫のキューティクルだとでも言うのか……!!

 思いきって膝に乗せてみても嫌がらないので、案外人に慣れていたのかもしれない。そのまま顎とかおでことか尻尾の付け根を撫でるととても気持ち良さそうにしていた。可愛いなコイツ。

 首輪が無いので野良の筈だが、近所のマスコットなのだろうか。白いので白雪(しらゆき)と勝手に名付けてみる。メスっぽいし。

 

 

 ×月L日

 

 今日は白夜ちゃんの病気が良くなるように、千羽鶴をプレゼントした。

 実はリハビリの一環として折り紙を折っていたので、簡単な鶴を山程作って千羽鶴にしてしまおうと考えていたのだ。元々は自分用に作っていた物だ。毎日三十枚くらい……感謝の折り鶴……! 一週間くらいを過ぎた頃には、俺の手捌きは音を置き去りに……していたわけではないが、綺麗に折るようにしていたし、白夜ちゃんにあげる方がきっと良いと思うから。

 小さい頃に聞いたのだが、千羽鶴は願い事を一つ叶えてくれる……らしい。ソースは知らんが、気にしてはいけない。きっと病気が良くなるようにと祈りまくったぜ。祈るだけならタダだからな。

 結構喜んでくれたようで良かった。今日は抱きながら寝るらしい。多分バラバラになるし、チクチクするだろうから止めておいた。

 

 

 ×月O日

 

 今日はお見舞いに来てくれた妹と葉月ちゃんと一緒に中庭で白猫を愛でていた。白夜ちゃんは偉い医者に看て貰うらしく、今日は一日は面会できないらしい。ちょうど良いから二人を紹介してみようと思ったのだが、仕方がない。

 白猫はここ数日のナデナデによりすっかりなついて、煮干しが必要ないレベルまで仲良くなれた。すごい可愛い。無防備にもお腹を見せて来るなんて、魔性の猫やでコイツはぁ……。

 だが何故か妹と葉月ちゃんは俺にすごいジト目を向けてきた。触りたいのか聞いたけど無言で首を横に振られたので、冗談で頭を撫でてみたら嬉しそうにしていた。

 これは……もしや話に聞くナデポという奴だろうか? いつからそんな主人公特性を得たんだろうか……もしやこれが『月刊モフモフにゃんにゃん』の力だとでも言うのか。

 ……まあ甘えたい盛りなのかも知れない。妹とは家では会えないし、葉月ちゃんもご両親とあまり仲が良くないらしいし。

 

 それにしても、白夜ちゃんは大丈夫だろうか。やっぱり心配である。

 何だが雰囲気が昔の妹みたいでついつい気になってしまったが……早く良くなることを願ってやまない。

 

 

 ×月P日

 

 あまりにも唐突だが白夜ちゃんの病気が治ったらしい。凄い奇跡である。

 朝の検診で、今まで病気だったのが嘘のような健康体なことが判明したようだ。医者が誇張なしでひっくり返ったと白夜ちゃん本人が言っていた。

 今日会った時も顔色が良くなっていたし、以前よりも表情が柔らかくなった気がする。良い……笑顔です。

 正直メッチャ嬉しい。治った理由が分からないのが気になるけど、それでも知り合いの命が助かったならもうなんでも良いと思う。

 やっぱり奇跡も魔法も……ってこれで治ったら魔女と戦う運命背負わされるやん。駄目やん。一応、白くて不思議な生き物に契約持ちかけられなかった? って聞いてみたらなんか不思議そうな顔してた。……ネタ分からないよね、今度DVD貸してあげよう。

 とりあえず、元気になって何よりである。嬉しすぎて足を怪我してなかったら喜びのあまりクルクルしちゃうレベル。千羽鶴もきっと役に立ってくれた事だろう。

 ……それにしても、回復初日に髪の毛染めるとか最近の若い子はフットワーク軽いな。

 髪の毛白くなってたけど……なんか凄い似合ってる。最近のブリーチってあんなに綺麗に色抜ける物なんだね。俺なんか一回赤く染めて友達に爆笑された苦い思いでしかないよ……。

 

 

 ×月Q日

 

 白夜ちゃんは念のため何日か検診で入院して、それでも異常が無ければ退院するらしい。俺より先に退院できそうだ。くっ……ここは俺に任せて先に行けっ……!

 そんな茶番を俺の病室でしてたら妹が来た。なんかドア開けて白夜ちゃん見た瞬間戦慄したような顔で『妹に、したのか……私以外の、女を……』と言い出した。最近の真緒は順調にオタクに染められてるなあ。そして妹にするってなんだそのパワーワードは。

 そのあと二人で色々と話をして仲良くなったらしい。妹は年下の友達が新鮮なようだ。真緒はお兄ちゃん子だったから、年上の知り合いばっかりだったからお兄ちゃんとしても嬉しい限りだ。

 それと、面接試験は合格とも言ってた。何の試験? 次はライターの火を消さずに持ってくる奴やるの? 再点火しなきゃ(迫真)。

 

 

 ×月R日

 

 今日は驚いたことに、俺の病室に白猫……白雪がいた。購買で煮干しを買ってきたらいつの間にかベッドにちょこんと座ってて驚いた。どうやって入ってきたのこの子。病院内には猫アレルギーの人もいるだろうし、あんまり良くないんだろうけど……やっぱり俺のこと覚えてたのだろうか、頭良いなぁ。

 仕方ないので病室で遊んであげた。ここは個室だし、後で逃がせば多分大丈夫だろう。

 それにしても……すごく……なついてます……。

 頭を撫でるとなすがまま、お腹を撫でると背中がのびるし、尻尾の付け根を撫でると嬉しそうに鳴く……『月刊モフモフにゃんにゃん』では尻尾の付け根は猫によって好き嫌いがあるし、そもそもあんまり積極的にじゃれてくるのは珍しいという話なのに……やっぱり飼い猫だったりするのだろうか。

 途中からお見舞いに来てくれた葉月ちゃんも、何だか驚いたようにこっちを見ていた。撫でる? って聞いたら顔を赤くして、そういうのは二人っきりの時が良いと話して出ていってしまった。……既に二人だけみたいなものでは?

 そのあとも白雪を可愛がっていると……白雪がおしっこをしてしまった。少し驚いたが、まあ猫だし仕方ない。犬だったら嬉しくてすることもあるらしいし。

 問題は……これをナースさんに何て説明するかだ。猫を病院に入れたって言ったら絶対怒られるよなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 少女──『神輿(みこし)白夜(びゃくや)』は不幸な人間だった。

 幼少より原因不明の病に犯され、体の弱かった彼女が病院の外に出られたのは主に物心つく前のことで──それからは年に一度あれば良いほどに容態が不安定だった。

 普段は体が少しダルくなるような倦怠感が存在するだけ──けれど何の予兆もなく起こる、頭をトンカチで割られるような痛みと体の内側から炎で焼かれるような痛み、そして手足を小さな虫が這いずるような気持ちの悪い感覚が、彼女自身が健常で無いことの証だった。

 身体検査の結果は悪い数値が所狭しと並び──なのに原因が全く分からない。新種の細菌が検出された訳でもなく、免疫機能不全でもなく──通常の病人程度には数値が低いが──、けれど過度のストレスによる身体機能の異常ばかりは判明していく。

 あらゆる検査に引っ掛からない彼女の暫定的な病名は、精神異常によるストレス障害──つまり痛みは彼女の思い込みでしかない、という散々な物だった。

「…………んっ」

 病室の寝台で横になった白夜は小さく声を漏らす。

 背中を這いずるナニカの感覚も、10年も付き合っていれば慣れた物。軽くため息を吐くだけで不快感は誤魔化され、少し辛い程度でしかない。

 けれど──自分が得体の知れないナニカに蝕まれるにつれ、自分の内側にあった大切な物が変質していく感覚は慣れたくはないと独り言を呟きながら、腕の中にある千羽鶴を強く抱き締める。綺麗に折られてピンと張った鶴の翼のチクチクとした感覚が、何故だか心地好かった。

「……お兄さん」

 呟くのは少しだけ会った青年のこと。

 人懐っこそうな顔で、優しい声で、ちょっぴりオタクっぽくて──お人好し。

 数日会っただけの女の子を励まそうと言葉を重ね、千羽鶴まで折ってくるような、どこにでもいそうで、けれどどこか浮き世離れした神聖さのある瞳をした変わった人だった。話をするのも聞くのも上手で、ここ数日の彼との会話を白夜は一言一句だって忘れたことはない。

 ──私にちゃんと向き合ってくれた、初めての人だった。

 誰もが白夜を遠巻きに見て囁いた。呪われた子供、精神異常者、忌み子、鬼の子……陰口は千差万別で、誰もが一歩後ろに引いて話をする。人ではない何かを白夜に重ねて、目を背ける。

 ──お兄さんはそんなことしなかった。

 最初は興味本意だった。

 何度も数えた天井のシミを何度も数え直していると、中庭の方に変な人がいた。にゃーにゃーと下手くそな猫の真似をした青年が、煮干しとあたりめ片手に猫を探していて……最初は馬鹿な人がいたものだと思っただけだった。

 だから次の日にはお目当ての猫を見つけ、その次の日も同じことをする彼に気紛れに声を掛けてみようと、小さな好奇心が首を上げただけのこと。

 ──運命だった。今ならそう思える。

 話してみると話上手な人で、自分の周りのことや小さな頃の話をしてきた。最初はどうでも良いと思ったことが、少しすれば苦笑の漏れる馬鹿話で──検診の時間が来たときには、もっと話していたいと思ってしまった。

 だから、暇潰し程度にはなるなんてひねくれた事を考えて次の日の約束をして……数日過ごした後には、それが唯一の心の支えになった。

「……お兄さん、おにいさん……御染、おにいさん」

 優しいお母様は七歳の頃には来なくなった。

 優しいお父様はもはや見舞いに来ることすらなかった。

 既に記憶は薄れ、二人の顔は覚えていない。今は何をしているのかさえ分からない。毎月支払われる入院費が、白夜には餞別にしか感じられなかった。

 だから──もう白夜には御染しかいない。考えられない。側にいて欲しい。手を繋いでほしい。抱き締めてほしい。頭を撫でてくれれば、それだけでもう何も要らなくなってしまいそう。

 けど──それでも、いつかいなくなる。

 彼の怪我が治って退院すれば、もう会うことも無くなるだろう。よしんば彼が白夜のお見舞いに来てくれたとしても、今より会う機会はずっと少なくなる。

 手を握ったときの彼の感触を思い出す。

 頭を撫でてくれたときの彼の温もりを思い出す。

 そして──それがもう二度と手に入らないと思うと、ドコカがおかしくなりそうになる。

「生きたい」

 白夜は生まれて初めて、心から『生きたい』と願った。

 生きていたいと。

 生きて彼と一緒にいたいと。

 それが出来るなら、何を犠牲にしたって構わないと。

 

『──その願いは、君の人生を対価に掛けてでも足るものかな?』

 

 子供の声がした。

 咄嗟に起き上がって、周りを見ると声の主はすぐに見つかった。診察や見舞いのための椅子の上に、ナニカがちょこんと座り込んでいる。月明かりが椅子を照らすと、そこにいたのは一匹の猫だった。

 白く、白くて、白い。

 体毛も髭も光彩すらも雪のように白い猫が、尻尾を左右に揺らして此方を見詰めていた。

「……誰?」

『そうだね……実は私も、私を表す言葉を持っていなくてね……とりあえず、白雪とでも呼んでくれ』

 彼──いや、彼女は子供のように高い声で、けれど静かにそう名乗った。

「……何の用? さっきの質問はどういう」

『おっと、まずは君の名前を教えてくれないか? 自己紹介は大事だろう?』

「…………『神輿白夜』」

 どこか偉そうな白猫を前に、疑問を抱きつつも名前を言う。白夜の名前を聞くと白雪はあぁ、とどこか納得した風な声を漏らした。

『やっぱり神輿の子か。どうりで変わった体質をしていると思ったよ』

「はぁ?」

『その()()()()()()()さ。天然にしては出来すぎ……というか、あり得ないと思ってたからね。遺伝子レベルの呪いならまだしも、()()()()()()()()なんて狙ってだって作れないさ』

 ──気付いたら手が伸びていた。

 白夜は意識の間隙を縫うように両手を伸ばして白猫の両前足を左手で、腰を右手で伸ばして自分の方へと乱暴に引き寄せた。咄嗟に怪我をさせないように首を避けたのは偶然だと断言できるほどに、白夜の心は気色の悪いナニカで渦巻いていた。

「──お前が知っていることを全部話せ」

 自分のモノとは思えないほどに冷たく暗い声が喉から競り上がるのを白夜は感じた。口からだけではない。這いずり回る手の感触が背骨からグジュグジュと音をたてて体外へ昇り、下腹部に溜まった気色の悪い感覚が全身の肌に張り付いていくき──不思議とそれが不快ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『そこまでにしときなよ。それ以上自分を失ったら、もう彼には会えなくなるよ』

 

 ──スゥ、と。

 息を吸うように小さな音と共に、ナニカが体の内へと戻っていく。

 いつの間にか閉じていた目を開けると、そこには先程と変わらず白夜を見る白猫がいるだけだった。

『……コントロール出来てるじゃないか、全く都合が良い。これなら私の役割は、知識を与えることくらいかな』

「さっさと話せ。殺すぞ」

『離して欲しいのは私の方なんだけど……まあ、いいとも。交渉するにしても、事前情報がないんじゃお話にならないだろうし』

 白猫──白雪はそう言うといつの間にか先程椅子に座り込んでいたように、ベッドに腰を下ろした。掴んだ手足の感覚が一瞬で消えたことに白夜は驚きながらも、憮然とした態度のまま千羽鶴を胸に抱えて白雪を見る。

『そうだね……簡単に説明すれば、君の病気は全て君の呪いを集める体質に問題がある』

「……まず呪いって何?」

『具体的には説明のしにくいモノだね。後悔、懺悔、羨望、怨嗟……そういった負の感情の塊であったり、死んだ生物の魂の残り香だったり、あるいは形を持たない妖怪みたいなのも呪いと呼ばれたりするし……人が不快に思うあらゆる物は、呪いだと思ってもらって構わない。こればっかりは言語化するのは難しい』

「……続けて」

『君の体質について話を戻すけど、君はおそらく身の回りに存在する呪いを片っ端から集めてしまうんだろうね。明確な範囲は分からないけど、君のある程度近くにある呪いは君に吸収されて君の一部となる。時折頭が割られるようなほど痛んだり、自分が自分でなくなりそうな感覚に襲われるだろう? それは君の中にある呪いが暴れている感覚だ……君の体は、それを沈静化することも出来るみたいだけど』

「……病気じゃ無いってこと?」

『君の生まれ持った体質が原因だから、病気とも言えるけどね。まあ、さっきも言ったように、その体質が偶然発現したとも思えないから、おそらく神輿の家が関係してるんだと思うけど』

「お母様とお父様を知ってるの?」

『君の両親は知らないけど、君の家については知ってるよ。神輿の醜聞は海外でも有名だからね』

「……私の、神輿の家は何をしている人達なの?」

『呪いについての実験や研究を主にしてるって話だけど……神輿は結果至上主義らしくてね。非合法な薬品も、倫理に背く人体実験も平気でするって話だね。そういった意味でなら、君は彼らにとっては有益なモルモットなんじゃないかな。呪い集めの触媒として、君以上の存在はそういないと思うよ』

「……そう」

『ここからは憶測でしかないけど、君の体質は計画された物だろう。呪いを集めて何をするのかは分からないけど、今の君は、君が思っている以上に危うい立場にいる。なにせ君というストッパーが死んだら、今まで溜めていた呪いが撒き散らされてしまうだろうからね……どうやら呪いの他にもナニカを溜め込んでるようだから、もし君が死ねばここいら一帯は良くて更地、悪ければ新しい呪い集めの土地に変貌するだろう』

 淡々とした子供のような声が、病室に響き渡る。

 白雪の顔は先程から変わらない。絵に描いたような猫の顔がそこにはあるだけだった。

 白夜は白雪の言うことを理解していた。呪いだの何だのと言われて要領を得ないものの、自分の体の中の気色悪い物の正体とが白雪の話す物と一致していることは感覚で理解できた。自分が死ねば、おそらく良くないことが起こるということも。

 

「でも──そんなことはどうでも良いよ」

 

 それらを理解してなお、白夜はそんなことに興味がなかった。

『……君のせいで無辜の人々が死んだとしても?』

「私のせいじゃないよ。だってこの体質ってお母様とお父様が作ったんでしょ? なら二人のせいじゃん。そもそも私が集めた呪いだってこの辺りに生きてた人達が生んだ物で、私の物だったわけじゃないし……責任転嫁も甚だしい」

 白夜は少し呆れた顔でそう呟いた。

 結局のところ、白雪の話を聞いたところで白夜の心が動くことなど欠片もなかった。自分が死ぬと周りにいる人も大量に死ぬからと言って、気を付けないととか責任を取らないとなんて思うほど殊勝な心を白夜は持っていなかった。

 ただ一つあるとするなら──じゃあお兄さんも一緒に死んじゃうからちょっと嫌だなーでも会えないならいないのと変わらなくない? という思考くらいなものだ。

 『神輿白夜』は『神蔵御染』ほどお人好しにはなれない。車線に飛び出る少女をつい助けてしまったり、不治の病にかかった少女を必死になって元気付けてあげられるほど、白夜は人間が出来てはいない。

「だからさ、さっさと本題に入ってよ。つまらない人情話とかお涙頂戴なセールス文句も要らないからさぁ──貴方が本当にしたいことを話してくれない?」

 それはあまりに人の心に欠けた言葉であり──そして白雪が求めていた言葉でもあった。

『…………小細工はいらなかったみたいだね。色々と、準備してきたんだけどなぁ』

 それは何かを諦める──というよりは、観念したような声だった。白猫の身でありながらも、白雪の口からはため息が漏れてしまいそうなほどに。

 ──少しでも交渉を有利に進めるために態々白夜の体の事について調べて、どうでも良い人間の命を引き合いに出して情に訴えかけるように仕向けたり……面倒な準備をしていながら、それが役に経たなかったことに若干残念に思いながらも、白雪は本題に入ることにした。

『まず先に言っておくけど、君は遠からず死ぬ。さっきみたいに感情に任せて呪いを制御出来ても、いずれはボロが出て呪いに飲まれるだろうからね。どれくらい先かは分からないけど……まあ、あと一年は持たないだろう』

 だから、と白雪は言葉を区切った。

『私と契約しないか? そうすれば、君はその体質を完全に制御する方法を知ることになる。おそらく力に飲まれることもなく寿命まで生きることも出来るだろうし、なんならその力を他の事に活かせるかもしれない』

「対価は何を?」

『最初に聞いただろう? 君の一生をかけて貰う……私にその体を貸してほしい。といってもたまに借り受けるだけだ、普段は君の体に精神を間借りするだけで君は好きに生きると良い。契約の際に私の記憶は君に、君の記憶は私の物と統合されるが……その時は少し覚悟して貰う必要があるかな。少しショッキングな記憶が映ってしまうだろうから』

「良いよ。少しでも長生きできるなら──お兄さんと一緒に生きる時間が増えるなら、私は何だってする」

 あまりにも胡散臭い白雪の言葉に、白夜は即決で頷いた。その目に迷いはなく、淀んでいながらも真っ直ぐな覚悟があった。

 白雪が右前足を出す。犬がお手をするように空に置かれた手は、白夜には分からないがおそらくそれが契約に必要な手順なのだろう。彼女は白雪の手をゆっくりととった。

「……一つだけ聞かせてくれる? あなたは何なの? とても普通の猫には見えないけど」

 白夜の問いに、白雪は少しだけ沈黙で返し、

『詳しいことはすぐに分かるだろうけど……そうだね、君たち風に言うなら【百万回死んだ猫】かな。回数もちょうど同じだし』

「……どういうこと?」

『昔ちょっと()()()をしたときがあってね。その時に呪いをかけられたのさ……()()()()()()()()()()()()()だけの、何の面白味もない呪いさ。実際は何回死んだかなんて数えて無かったんだけど、生き返ってから一ヶ月も経って何もなかったし、君に吸収されなかったから多分終わったんだと思う』

 だから、と白雪は言葉を区切った。

 先程と同じ言葉で、けれど少しだけ嬉しそうに──まるでイタズラが成功した子供みたいに。

 

『もしかしたら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そのときはドンマイってことで』

 

 刹那。

 一人と一匹は一つの瞬きと共に一つとなり──その瞬間に彼女らは一人になった。

 ──車に轢かれて死んだ。

 ──雨にうたれながら餓死した。

 ──人の子供に石を投げられて死んだ。

 ──馬に踏まれて死んだ。食べた餌に毒が入っていて死んだ。後ろから誰かに蹴られて死んだ。木が倒れてきて死んだ。少しずつ血を抜かれて死んだ。犬に噛まれて死んだ。魔法の触媒にされて死んだ。炎に焼かれて死んだ。生きたまま人に食われて死んだ。薬を撃たれて発狂しながら死んだ。腸を引きずり出されて死んだ。目を潰されて弄ばれて死んだ。酸素欠乏で少しずつ死んだ首を絞められて死んだ水の中に沈められて死んだ高圧電流を流されて死んだ剣に刺されて死んだ磨り潰されて死んだ病に侵されて死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死──

 ひゃくまんかい しんだ。

 

 

 

 

 

「……凄いな、これでもまだ自我があるのか。よほど執念深いというか強かというか……思っていた以上にこの子は強い子だな」

 ポツリと、呟いた。

 病室に白猫の影はなく、ベッドにいるのは千羽鶴を抱える白い髪の毛の少女の姿だけだった。少女は自身の前髪に触れると、興味深そうに見つめている。

「私からの影響は髪の毛くらいか。最悪体が変質しててもおかしくないんだけど……元々耐性があったのかな。呪い集めの祝福も問題なく動いてるし……まあ、これくらいなら私が誘導してあげればすぐに使いこなせるだろう。伊達に百万回も死んでないし、知識だけは蓄えている」

 白い少女は千羽鶴を持って立ち上がると、ベッドの横のフックに付いていた紐を掛けた。その千羽鶴を少女はしげしげと観察した。

 色彩は何も考えていないのか滅茶苦茶だった。市販の折り紙をバラで適当に千枚買ってきて紐を通しただけの、病院でならたまに見かける普通の千羽鶴だ。

 けれど、少女には他とは違うように見えていた。

(……真摯な感謝の念が籠められている。それほど強い力では無いだろうけど、それでも御守り程度の力はあるかな。……なるほど、随分と呪いが大人しいと思ったらこれのお陰か)

 千羽鶴を見ながら感心したように頷き、次にこれを作った人間の事を思い出した。

 少女の体の持ち主──白夜の記憶にもあった、青年のこと。

 ──起こったことは大した事じゃない。餌を貰って、頭やお腹を撫でられただけ。

 それだけで、彼女は──白雪は彼に恋をした。

 軽い女だと思われたって構わない。それも仕方がないほどの日々だったのだから。

 ──何度も死んで、生き返った。

 死んだと思えば何処とも知らぬ場所に生き返り、数日後には不幸にも死んで、また何処かで生き返るだけの毎日。生き返る場所も分からず、死に方も分からず、死ぬ時間も分からず──時間さえも飛び越える。現代に死んだことも人の生まれる前に死んだこともあれば、鎧を着た戦士が闊歩する時代でも、人の住まぬ森の中ですら死んだこともある。

 ──慣れることが出来ればどれだけ楽だったことか。

 あらゆる死に方を、考えうる様々な死に方に白雪が慣れることなんて無かった。辛いと思えば怖く、寂しいと思えば痛い死に方を何度も経験した。ただの猫である彼女が、いつしか人間と同じように考え、そして知識を蓄えることが出来るようになるまで死んだ回数は数百回程度だった。

 いつ死ぬのかとビクビクと怯えた時は上から落ちた瓦礫で死に、死なぬよう情報を集めては魔法使いに血を抜き取られて死んだこともあった。諦めたように静かに餓死を待ったときは浮浪者に食料として殺され、そもそも気付いた時には目を潰されて叩かれて死んだことだってあった。

 ──辛かった。

 ──怖かった。

 ──何よりも孤独だった。

 百万回も死んでおきながら、彼女の隣に立ってくれた同族はいなかった。暖かい部屋で、優しい飼い主に抱かれて撫でられる同族を見ては──何故誰も私を撫でてくれないのかと思ったものだ。

 助けて欲しいなんて思ってなかった。

 ただ──嘘でも演技でもいいから、優しくして欲しかった。

 毛繕いをしたかった。鼻を突き合わせて匂いを嗅いだり、寒い夜を一緒に過ごすような誰かが欲しかった。同族でも人間でも人外でも何でも良い。荒んだ心を慰めてくれて、甘えさせてくれて、優しく暖めてくれるなら──例え殺されたって構わなかった。それが虚飾にまみれた行動だったとしても、彼女はそれだけ満足出来たのだから。

 だから彼は──『神蔵御染』は白雪にはじめての優しくしてくれた他人だった。

「……明日にはこの子も起きるだろうし、色々と謝っておかないとなぁ。まあ、私の知識と……契約のオプションで猫になれる特典で勘弁して貰えるだろうか……」

 少女はベッドに背中を預けると、少しだけ罪悪感が沸いた。先程まで心中を占めていた焦りと緊張のせいで随分と大人げないことをしてしまったと己を回顧する。彼女らしくないほどに婉曲で回りくどいアプローチも、一重に彼の側に立つための最善手を打っただけ過ぎない。それほどまでに彼と一緒にいたかったというだけなのだが。

「それにしても……彼の周りは騒がしいな。魔法使いに月の魔王現象、呪い持ちの少女に……匂いだけだが()()()()()()()()()か。私より質の悪い女の子ばかりだな……全く運が良いのか悪いのか」

 ……まあ、それも気になりはしない。

 彼女達は全員、彼の害になるようなことはしないだろう。白夜の記憶を見るに、彼は普通を好む少年らしいので、それを乱すようなことはおそらくしない。小競り合いがいいところだろう。排除するような動きは滅多にしないに違いない。

 最悪は──ただの猫として彼の側にいるだけで良い。呪いから解放され、人間と契約したこの体が何年生きるかは疑問だが……少なくとも人間の寿命くらいは生きるとは思う。飼われて、撫でてもらって、愛されるのなら白夜も文句はないだろう。きっとそれは何よりも素晴らしいに違いない。

 あぁ──待ち遠しい。

 明日がこんなにも待ち遠しいのは初めての体験だと思いながら、彼女は眠りにつく。

 暖かな春は、もうすぐだ。

 

 

 

 副題

『呪い集めの少女と百万回死んだ猫と一般人』

 

 

 




神輿白夜
今回の主役。呪われ系というより呪いコレクション系女子。普段は大人しいけど怒ると口調が荒れる。
このあと凄い怒ったけどお兄さんが嬉しそうにしてたのでどうでも良くなった。特に自我に問題がないメンタルお化け。
後日、猫に化けて病室待機してたら凄いにゃんにゃんされた。気持ちよかった。

白雪
今回の主役。リアル百万回死んだ猫。死にすぎて魔法とかテレパシー覚えちゃうレベル。
怒った以外に白夜の精神に何の異常がないのに正直引いた。豆腐メンタルだけど追い詰められるとできる子。
後日、猫に化けて病室待機してたら凄いにゃんにゃんされた。感覚は共有してるので気持ちよかった。

神蔵真緒
サブ1。病室に自分以外の妹? を発見して戦慄。しかし自分と似た性格の子なのでなんか許した。

神楽坂葉月
サブ2。好きな人のお見舞い行ったら猫(に化けてる女の子)がトロ顔晒してたので、彼に混ざるかと提案されたんだけど逃げてきました。

石動潤
サブ3。いまだに出番ないのに設定だけが積み上がっていく。そのうち出てくる。

神蔵御染
主人公。今さらだが日記よりもモノローグの方が長い。
カウンセラーにしてテクニシャン。折り鶴を折るのと猫を撫でるのが異様に上手い。

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